2017年10月8日日曜日

『映画原作派のためのアダプテーション入門』


若き同僚、
波戸岡景太さんの新刊、

映画原作派のためのアダプテーション入門』

が発売になりました。


わたしは、昨日から今日にかけて一気に読んで、
いやあ、おもしろかったです!
なんというか、とてもスリリングな本で、
しかも新鮮なカードが次々に出て来るので、
どんどん引っ張られるというか、
贅沢というか。
内容は十分論文になるようなものですが、
分かりやすい日本語で、
きっちり順を追って説明されているので、
ぜんぜん迷子になりません。

で、内容は、上のリンクに詳しいのですが……

このタイトルを見ると、まず、
アダプテーションてなに?
と思いますよね?
(つい先日80人のクラスでこの語について尋ねたところ、
知っているのは数人でした。)
これは、この本に合わせてごくざっくり言えば、
小説などの「映画化」のことなんですが、
大丈夫、本はまず最初に、
この語そのものを説明してくれます。
それからもう一つ、「原作派」もよくわかりませんが、
これはつまり、映画化された作品より、
その「基」になった原作のほうを偏愛する人たちのこと。
(ちなみに波戸岡さんは、
そういう人が多いと考えているようなんですが、
そして実際そうかもなんですが、
わたしは原作派ではありません。)

ただここで、最初の発見がやってきます。
今「原作」と言ったけれど、
これ、実は映画化されて初めて、
「(ふつうの)小説」は「原作」になるんじゃない?
なるほど、おっしゃる通り!
そしていったん「原作」になってしまうと、
その作品はもう、「(ふつうの)小説」に戻ることはできません。
だって、原作と映画の間には合わせ鏡的な、
消せない関係が生まれてしまうからです。
しかもたとえばその映画に出ている俳優たちは、
他の映画にも出ているわけです。
となると私たちは、
ある「原作」を読んだときに、
その映画化された作品だけではなく、
その映画に出演してる俳優の別の映画をも思い浮かべ、
俳優の持つ映画的ペルソナは、何層にも重なり&滲みながら、
「基」になった小説との、響き合いを生み出す……
(このへんの説明は、
本書のほうがずっと明快ですので、
ぜひそちらをご覧ください!)

この本には、
大昔に見てもう覚えていない映画
(『華麗なるギャツビー』、『レスザンゼロ』……)
も、まだ見ていない映画も、
まだ読んでいない小説も登場します。
でも!
それが気にならずに読み進められるのは、
作品紹介が分析の中に溶かされていて、
知らないうちに、
読者は作品のあらましを知ってしまうからなのでしょう。
(こういうのを、筆力というのでしょうか?)

『パリ移民映画』の中で取り上げた
『イブラヒムおじさんとコーランの花たち』
は、『モモの物語』という小説の映画化でした。
ただこの映画化に際して、
監督は舞台を、
ある(アシュケナジムの)ユダヤ人街から、
別の(セファラッドの)ユダヤ人街に移しました。
そしてその移った先には、
並行する、ただし高低差のある2本の通りがあり、
それはたった15段の階段で結ばれていて、
あたかもその階段は、
2つの世界の通路のように見えるのです。
これが、この映画におけるアダプテーションの核だなのだと、
今は思うのでした。

映画が好きで小説も好き、というあなた。
この本、おもしろいです!