2009年2月12日木曜日

言葉


まずはお知らせ。管啓次郎さんのブログを貼り付けます。

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3月7日、日本学術振興会のシンポジウム「芸術は誰のものか?」に参加します。
入場無料、申し込みは以下から。


ぼくは朝のセッションで、基調講演者・沼野充義さん(スラヴ諸語比較文学・世界文学)へのコメンテーター。司会はフランス文学者で翻訳家の野崎歓さん。どんなことを話すかは前夜まで(あるいはその場まで)決まらないと思うけど、ともあれ、よかったら遊びにきてください。

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ほんとに、誰のものなんでしょう!? 何が飛び出すか楽しみです!

ついでに、これもそそられます。

田中庸介『スウィートな群青の夢』(未知谷)朗読+刊行記念トークショー

言葉が生まれる瞬間
■池袋ジュンク堂 2009年3月14日(土) 19:00 ~  伊藤比呂美×田中庸介


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この「言葉が生まれる瞬間」の宣伝文を読んでいて、思い出したことがあります。それは、吉本隆明がどこかで書いていたこんなことです。

「詩人は自分に固有の表現・言葉を追求する」のが一般的だが、日本では谷川俊太郎ただ一人が、自在にさまざまな言葉を、高いレベルで操っている……

たしかにね、「固有の表現・言葉」を追求するのって、当然だと思っていたこともあります。でも、そうじゃない方向もあるわけですね。そもそも「固有」っていっても、言葉はわたしたちが生まれる前からすでに在る「システム」で、個人の創造物じゃないわけだから、厳密に「固有」ってのはあり得ないですね。

かといって、紋切り型のオンパレードで、たとえば、「今や遅しとおっとり刀で駆けつける、世にも珍しい目が点になる恋物語」みたいな小説、気持悪いですね。ほんと、紋切り型ばかりで書くと、いかにも何も考えていない感じがします。まあ、でも実際そうなのかな。だって、完全に、轍(わだち)のついた道だけを歩いているようなものだから。

考えだすと、言葉を使うのって難しいです!(ま、ふだんはあまり考えてないので、気楽に使ってます!)