2009年2月25日水曜日

書きたいこと


今日は1週間ぶりに大学に行き、静かに仕事に集中する、はずでしたが、とりあえず雑用を片付けようと思ったのが運のつき、いくつか雑用をこなすと、なんと5時! あらら……

昨日、「ポトスライム」のことを書いていて、前回の「時の滲む朝」のことを思い出しました。で、ちょうど手元にその時の文芸春秋があったのでぺらぺらめくってみると…… そうでした、こちらは、天安門事件に巻き込まれて挫折し、その後日本に渡ってくる青年の<熱い>話でした。

この選評を見ると、(以下敬称略で)石原慎太郎は「政治が書けてない」、宮本輝は「日本語がなってない」、村上龍は「<大きな物語>は終わったことがわかってない」…… というわけで、選者全員が認めているわけではないんですね。池澤夏樹のように、構成の粗さなどの欠点を認めた上で、将来性を買って、という選者もいました。

そして、池澤を含め、受賞に賛成した選者に共通しているのは、「この作家には、書きたいことがある」という評価です。ああ、たしかに…… これがないと、ただ器用なだけのお飾りになってしまいます。

で、わたしが思ったのは(というか誰でも分かることなんですが)、この「時の滲む朝」と「ポトスライム」に共通しているのは、それがプレカリアートの生活と接している、ということです。後者などは、もうはっきり『蟹工船』と比較されていますね。

これは厳しい問題なので、こんな言い方は能天気だと思われるかもしれませんが、たしかにプレカリアートの問題は、個人と社会を貫く問題であり、現代の問題であり、歴史的問題でもある、実に小説向きの題材のような気もします。そういう意味で、「ポトスライム」のような方向の小説は、もっと読みたいと思います。ただ、ここから「社会」へ広がってゆく視点が欠けると、それはほんとにショーモナイものになるだろうし、また、1つの「運動」の報告として書くなら、よほどのことがないとそれを高いレベルで成し遂げることはできないと思いますが。

久しぶりに(?)トリトメありませんでした。ソーリー!