2018年1月16日火曜日

意識と更新

今日、わたしが担当している授業は、
試験を含めてすべて終了しました。
(パチパチパチ!)
あとは試験の採点などがありますが、
これも来週には終わるでしょう。

今年の授業で印象に残ったのは、
まず、大学院の授業で、
久しぶりに「東京詩」を取り上げたこと。
7人のクラスで、その内5人が建築系、
2人が総合芸術系だったのですが、
やはり、ちがう専攻の院生がいると、
見方も感じ方も違うので、
刺激があっていいと思いました。

またこの「東京詩」では、
今までは、
20世紀、つまり明治時代の後半に入り、
詩の対象が拡大してゆく過程で、
都市(ここでは東京)もまた、
そうした対象になってゆく、
みたいな言い方をすることが多かったんですが、
今回は、(まあ大して違わないんですが)
都市というものはすでにあって、
でもそのことと、
人がそれを「都市」だと意識することの間にはちょっと差があって、
この「意識」の始まりの一つの現われが、
詩の中に呼び出された「東京」(の断片)なのではないか、
みたいな言い方をしてみました。
これはたとえば、
A子さんはずっと近くにいて、
「わたしは」そのことに特別な意識はなかったのだけれど、
ある事件をきっかけに、突然、
彼女が女性であることを意識し始めた、
みたいなことなんでしょう。
もしろんA子さんは、
初めからずっと女性だったわけです。

そしてもう1つ。
これはとても単純なんですが、
「ワールド映画ゼミ」で、
『わたしは、ダニエル・ブレイク』や『パレードへようこそ』を通して、
イギリスを取り上げたことです。
これはわたしには新鮮でした。
今までは、
ロンドンのエレファント・キャッスルなど、
ごく一部の地域に触れるだけでしたから。
授業時間が限られているので、
新たな要素を次々に増やすことはできないんですが、
やっぱり更新は必要ですね。