2010年3月13日土曜日

Dieux oubliés


先日のイベントで伺った、林巧さんのお話の中には、とても印象的なものがありました。

「かつて始まった自分の旅は、未だ終わっていないのだ」というフレームの中に、さまざまなことがらが浮かび上がってきます。それは食の記憶だったり、水の物語だったりするわけですが、なんといっても「おばけ」と林さんとの交感には、余人を寄せ付けないところがあります。

一般に日本では、「おばけ」は恐れられる対象なのでしょう。が、人のいるところには「おばけ」もいるのだ、という感じ方をする中国などでは、「おばけ」の位置もおのずから違ってくるそうです。それはそうでしょうねえ。

「でもね、こわがる必要なんてないんですよ。ぼくらは生きていて、生きている人間のほうが彼らよりずっと強いんですから」

ああ、そうなのか。でもなぜ、彼らは出てくる?

「それはね、さびしいからですよ。それに出る相手っていうのは……」

なにも恨みを抱く相手ばかりではなく、たとえば池田弥三郎の『日本の幽霊』(画像)によれば、自分をいじめた相手には恐ろしくて出られない「おばけ」もいるそうなのです。ああ、心やさしい彼ら!

そして細かいことでいえば、あの「一反木綿」は、実は「布」ではなくて…… 

「バリの葬列では、あの『一反木綿』をず~~っと長くしたようなものを、親類縁者がみんなで運んで行くんです。あれはね、布じゃなくて、魂なんです……」

おお、そうだったんですか! 通りでゆらゆらしてたわけだ。

「ただね、首に巻きついたりもして、怖いところもあるんですけどね」

で、ずばり「妖怪」とは?

「忘れられた神です。かつて敬われた神々が、忘れられ、姿を変えて、妖怪になっているんです」

忘れられた神! そうかあ!

わたしたちは冗談に、「出たな妖怪!」なんてよく言います(?)が、こんなことを教えてもらうと、こんなつまらないセリフにも、急に陰影が生まれてきます。

とてもおもしろいお話でした!