『マルセル・エメ傑作短編集 』(中公文庫) 所収の、「パリ横断」。
これをクロード・オータン=ララが映画化したのが、
Traversée de Paris
です。
制作は1956年ですが、
舞台となっているのは、ドイツ占領下のパリです。
https://www.youtube.com/watch?v=Zvf-32o2DzE ←全編版
失業中のタクシー運転手マルタンは、
たまたま知り合った画家のグランジルに、
ひと儲けしないかと誘います。
マルタンは、
闇市で売る肉を密かに運ぶ仕事をしているのです。
そして二人は、
オーステルリッツ橋から近いポリヴォー通りから、
モンマルトルのルピック通りまで、
4つのトランクに入れた10キロの豚肉を運ぶことになります。
深夜のパリを、
大きなトランクを提げて歩く二人の男。
彼らは、メイン通りを避け、
裏道をたどってゆくのですが、それでも、
肉の匂いに引き寄せられた犬やら、
警官やら、
ドイツ兵やら、
をかわさなければなりません。
その道中そのものが、このロードムーヴィーの醍醐味です。
占領下のパリ、というのは、
しばしば本などで言及されるわけですが、
その時の庶民の感覚というのは、
イミイチ想像しにくいものです。
この映画では、細かな描写を通して、
そのへんの機微が伝わってきます。
当然ですが、みんなその状態を喜んではいないわけですね。
印象に残ったのは、あるカフェ(?)で働いていた少女です。
彼女は、胸に黄色い星をつけたユダヤ人で、
店主に搾取される形で働かされているのです。(34分あたり)
そして画家のグランジル(ジャン・ギャバン)が、
実はナチと懇ろで、
闇の仕事などする必要のない身分だというのも、
興味深い設定でした。
(原作では、彼の扱いがだいぶ違うのですが。)
ちなみに、闇の肉を卸しているのは、ルイ・ドゥ・フュネス。
これは、ぜひ日本版も、と思いました。
2015年6月30日火曜日
チガイ
小学生高学年の頃、
「同じ事柄を扱っていても、
新聞社によって伝え方が違う」
みたいな授業を受けた記憶があります。
同じ25日の、同じ会合についての記事です。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS25H49_V20C15A6PP8000/
http://www.asahi.com/articles/ASH6T5W6FH6TUTFK00X.html
「同じ事柄を扱っていても、
新聞社によって伝え方が違う」
みたいな授業を受けた記憶があります。
同じ25日の、同じ会合についての記事です。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS25H49_V20C15A6PP8000/
http://www.asahi.com/articles/ASH6T5W6FH6TUTFK00X.html
2015年6月29日月曜日
『マルセイユの決着』
ダニエル・オートゥイユ主演のフィルム・ノワール、
『マルセイユの決着』
を見てみました。
共演は、モニカ・ベルッチです。
https://www.youtube.com/watch?v=N7V8-1uLasc
メルヴィルの『ギャング』のリメイクということですが、
まず個人的な感想を言うなら、
ダニエル・オートゥイユは、
フィルム・ノワールが合ってないと思います。
やさぐれたところがないし、
暴力的でも、また抑制的でもないし。
そして決定的なのは、影がないこと。
いい役者だとは思いますが、
ギャングはピンときません。
この映画でいい感じだったのは、
器の小さい、小物のワルを演じたジルベール・メルキでした。
ギラギラしながら、無理して背伸びする男を、
じんわり演じていました。
(『イブラヒム』のモモの父親役のユダヤ人俳優です。)
あとは、マルセイユの路地の感じなんかを、
もっとイキイキと使えばいいのに、
とも思いました。
そして、この物語では「プライド」が問題になるのですが、
あんまり「プライド」に興味がないわたしとしては、
感情移入しづらかったです。
ただし、モニカ・ベルッチは、ゴージャスできれいでした。
『マルセイユの決着』
を見てみました。
共演は、モニカ・ベルッチです。
https://www.youtube.com/watch?v=N7V8-1uLasc
メルヴィルの『ギャング』のリメイクということですが、
まず個人的な感想を言うなら、
ダニエル・オートゥイユは、
フィルム・ノワールが合ってないと思います。
やさぐれたところがないし、
暴力的でも、また抑制的でもないし。
そして決定的なのは、影がないこと。
いい役者だとは思いますが、
ギャングはピンときません。
この映画でいい感じだったのは、
器の小さい、小物のワルを演じたジルベール・メルキでした。
ギラギラしながら、無理して背伸びする男を、
じんわり演じていました。
(『イブラヒム』のモモの父親役のユダヤ人俳優です。)
あとは、マルセイユの路地の感じなんかを、
もっとイキイキと使えばいいのに、
とも思いました。
そして、この物語では「プライド」が問題になるのですが、
あんまり「プライド」に興味がないわたしとしては、
感情移入しづらかったです。
ただし、モニカ・ベルッチは、ゴージャスできれいでした。
2015年6月28日日曜日
Superstar
カド・メラッドとセシル・ドゥ・フランスが共演している、
Superstar (2012)
という映画を見てみました。
(日本版DVDは未発売のようですが、
WOWOWで放送されたことがあったようです。
その時のタイトルは、『ある朝突然、スーパースター』。)
https://www.youtube.com/watch?v=y31zciTAQkE
マルタン(←フランスで一番多い名前)は、
ごく平凡な、有名になることなどなんの興味もない、
独身の(まあ一応、さえない、と言っていいでしょう)中年男です。
でも、職場であるリサイクル会社では、
そこで働く障害がある人たちに慕われる存在ではあります。
そんな彼が、ある朝、有名になったのです。
メトロに乗れば、話しかけられ、サインをせがまれ、
道を歩けば、写真を求められるのです。
でも、その理由が、まったくないのです。
テレビが、ラジオが、押し寄せてきます。
ネットには、彼の画像が、映像が、あるいは子供時代の写真まで、
次々にアップされ、
今や彼は「セレブ」なのです。
でも、理由はわからない。
マルタンは、それを知るためにだけ、
テレビ出演を受けますが、それは思いもしない方向にそれ……
<以下ネタバレあり>
マルタンはこの後、
突然、「彼ら」から嫌われ始めます。
でもなぜ?
有名になった理由も、嫌われた理由も、
結局、最後まで示されないのです。
この映画のポイントは、そこにはないのです。
というか、むしろそこにないからこそ、
ネットやメディアを通した「彼ら」の視線の恐怖が、
得体のしれないものとして迫ってくるのです。
コメディだろうとおもって見始めたのですが、
これはサスペンスでした。
とてもよくできた映画だと思います。
それぞれの場面がしっかり作られ、
登場人物も、いい意味でいやらしく、えぐるように描かれています。
(セシルの造形だけは、ちょっとゆるいかも。
彼女は、テレビ局で働き、
上司と寝ることで上昇してきた人だったのに、
マルタンと会って、
そのつまらなさに気づくのです。)
まさに現代的で、
野心的な映画でした。
Superstar (2012)
という映画を見てみました。
(日本版DVDは未発売のようですが、
WOWOWで放送されたことがあったようです。
その時のタイトルは、『ある朝突然、スーパースター』。)
https://www.youtube.com/watch?v=y31zciTAQkE
マルタン(←フランスで一番多い名前)は、
ごく平凡な、有名になることなどなんの興味もない、
独身の(まあ一応、さえない、と言っていいでしょう)中年男です。
でも、職場であるリサイクル会社では、
そこで働く障害がある人たちに慕われる存在ではあります。
そんな彼が、ある朝、有名になったのです。
メトロに乗れば、話しかけられ、サインをせがまれ、
道を歩けば、写真を求められるのです。
でも、その理由が、まったくないのです。
テレビが、ラジオが、押し寄せてきます。
ネットには、彼の画像が、映像が、あるいは子供時代の写真まで、
次々にアップされ、
今や彼は「セレブ」なのです。
でも、理由はわからない。
マルタンは、それを知るためにだけ、
テレビ出演を受けますが、それは思いもしない方向にそれ……
<以下ネタバレあり>
マルタンはこの後、
突然、「彼ら」から嫌われ始めます。
でもなぜ?
有名になった理由も、嫌われた理由も、
結局、最後まで示されないのです。
この映画のポイントは、そこにはないのです。
というか、むしろそこにないからこそ、
ネットやメディアを通した「彼ら」の視線の恐怖が、
得体のしれないものとして迫ってくるのです。
コメディだろうとおもって見始めたのですが、
これはサスペンスでした。
とてもよくできた映画だと思います。
それぞれの場面がしっかり作られ、
登場人物も、いい意味でいやらしく、えぐるように描かれています。
(セシルの造形だけは、ちょっとゆるいかも。
彼女は、テレビ局で働き、
上司と寝ることで上昇してきた人だったのに、
マルタンと会って、
そのつまらなさに気づくのです。)
まさに現代的で、
野心的な映画でした。
2015年6月27日土曜日
2015年6月26日金曜日
ゴシップ!
リアーナとベンゼマ、
想像もしなかったカップルの報道があってから、
はや3週間。
続報が出ました。
https://fr.news.yahoo.com/video/rihanna-et-karim-benzema-bient%C3%B4t-104943723.html?vp=1
それぞれに見て、聞いてきた二人。
とても不思議な気がします。
想像もしなかったカップルの報道があってから、
はや3週間。
続報が出ました。
https://fr.news.yahoo.com/video/rihanna-et-karim-benzema-bient%C3%B4t-104943723.html?vp=1
それぞれに見て、聞いてきた二人。
とても不思議な気がします。
2015年6月25日木曜日
『友よ、裏切りの街に眠れ』
先日、
Un p'tit gars de Ménilmontant
を見て、ここにも書きましたが、
見た後になって、日本版、
『友よ、裏切りの街に眠れ』
があることに気づきました。
そして、見てみました。
(それにしても、このパターンのタイトルには閉口します。
もう、どれがどれだか全然わからなくなります。
せめてどこかに、「メニルモンタン」を入れてくれないと、
他との差異がわかりづらいです。)
もうストーリーは知っているし、
日本語字幕だしするので、
ゆったり見ることができました。
そしてあらためて気づいたのは、
主人公ジョーと、かつての恋人マリアンヌ、
二人の子供ユーゴ、
マリアンヌの今のパートナー、フィリップなど、
ヨーロッパ系白人の登場人物が限られており、
彼らを取り囲むように、
アラブ系とアフリカ系の若者たちが分厚く配されているということです。
ジョーがいない15年の間に、
メニルモンタンは変わってしまった。
どう変わったのか?
それは、移民系の若者たちが我が物顔にのし歩き、
麻薬を売りさばく街になった、ということです。
映画内で、ワルたちは3層に分けて描かれます。
まず、ベルカスが中心となる、19, 20歳くらいのグループ。
その下には、ナシムをリーダとする16,7歳のグループ。
そしてさらに下には、13, 4歳のグループがいます。
どのグループも、アラブ系とアフリカ系がほとんどです。
特にナシムは、妹のサミアや母親も描かれ、
彼の暴力と生きづらさが両方伝わってきます。
また、ジョーのかつての相棒マルクフもアラブ系で、
ジョーが対立するグループはロマです。
(こう見てくると、アジア系がいませんが。)
メニルモンタンに生きるワルたちの、
アラブ系とアフリカ系の台頭、
そして低年齢化。
こうした事実を前に、ジョーは言います。
「おれは、もうオレのではない家族、
もうオレのではない街にしがみついてるのさ。
でも、ほかの土地で始めるのはきついよ」
彼には、メニルモンタンしかありません。
マルクフのカフェは、Google マップで探したところ、
108 rue de Ménilmontant の、
Chez Luna でした。
ちょっと、行ってみたいですね。
Un p'tit gars de Ménilmontant
を見て、ここにも書きましたが、
見た後になって、日本版、
『友よ、裏切りの街に眠れ』
があることに気づきました。
そして、見てみました。
(それにしても、このパターンのタイトルには閉口します。
もう、どれがどれだか全然わからなくなります。
せめてどこかに、「メニルモンタン」を入れてくれないと、
他との差異がわかりづらいです。)
もうストーリーは知っているし、
日本語字幕だしするので、
ゆったり見ることができました。
そしてあらためて気づいたのは、
主人公ジョーと、かつての恋人マリアンヌ、
二人の子供ユーゴ、
マリアンヌの今のパートナー、フィリップなど、
ヨーロッパ系白人の登場人物が限られており、
彼らを取り囲むように、
アラブ系とアフリカ系の若者たちが分厚く配されているということです。
ジョーがいない15年の間に、
メニルモンタンは変わってしまった。
どう変わったのか?
それは、移民系の若者たちが我が物顔にのし歩き、
麻薬を売りさばく街になった、ということです。
映画内で、ワルたちは3層に分けて描かれます。
まず、ベルカスが中心となる、19, 20歳くらいのグループ。
その下には、ナシムをリーダとする16,7歳のグループ。
そしてさらに下には、13, 4歳のグループがいます。
どのグループも、アラブ系とアフリカ系がほとんどです。
特にナシムは、妹のサミアや母親も描かれ、
彼の暴力と生きづらさが両方伝わってきます。
また、ジョーのかつての相棒マルクフもアラブ系で、
ジョーが対立するグループはロマです。
(こう見てくると、アジア系がいませんが。)
メニルモンタンに生きるワルたちの、
アラブ系とアフリカ系の台頭、
そして低年齢化。
こうした事実を前に、ジョーは言います。
「おれは、もうオレのではない家族、
もうオレのではない街にしがみついてるのさ。
でも、ほかの土地で始めるのはきついよ」
彼には、メニルモンタンしかありません。
マルクフのカフェは、Google マップで探したところ、
108 rue de Ménilmontant の、
Chez Luna でした。
ちょっと、行ってみたいですね。
『欲望のあいまいな対象』
もう何度見たかわからないこの映画、
今回は、特に「場所」に注目してみてみました。
もちろん、
ヒロインの家のあるラ・デファンスの重要性などについては、
これまでにも少し書いたりしてきましたが、
今度はもっと広く、ということで。
https://www.youtube.com/watch?v=2AZt3qy_-nw
するとやはり、
発見はあるものですね。
この映画、ほんとにいくつものレベルで語れる作品です。
今回は、特に「場所」に注目してみてみました。
もちろん、
ヒロインの家のあるラ・デファンスの重要性などについては、
これまでにも少し書いたりしてきましたが、
今度はもっと広く、ということで。
https://www.youtube.com/watch?v=2AZt3qy_-nw
するとやはり、
発見はあるものですね。
この映画、ほんとにいくつものレベルで語れる作品です。
「フランスの壮大な『偽善』」
24日の朝日新聞に、
あのピケティ先生による、
「フランスの壮大な『偽善』」
という文章が掲載されていました。
これは、
おそらくフランス人なら誰でも知っている事実、
イスラム系の名前を持っていたり、
イスラム色の濃い地域の住所だったりすると、
就職の面接に呼んでもらえる率が急激に下がる、
ということを確認した上で、
そこには、「ライシテ」の偽善があると指摘しています。
みんな知っていることでも、
ピケティ先生のような人が言うのは、
影響力があっていいことだと思います。
具体的な施策はこれからですが。
(まあ、少なくともあの暴動の2005以来、
施策は求められ続けているわけですが。)
あのピケティ先生による、
「フランスの壮大な『偽善』」
という文章が掲載されていました。
これは、
おそらくフランス人なら誰でも知っている事実、
イスラム系の名前を持っていたり、
イスラム色の濃い地域の住所だったりすると、
就職の面接に呼んでもらえる率が急激に下がる、
ということを確認した上で、
そこには、「ライシテ」の偽善があると指摘しています。
みんな知っていることでも、
ピケティ先生のような人が言うのは、
影響力があっていいことだと思います。
具体的な施策はこれからですが。
(まあ、少なくともあの暴動の2005以来、
施策は求められ続けているわけですが。)
2015年6月23日火曜日
2015年6月22日月曜日
Merci, 東京新聞
昨日の東京新聞の書評欄、
「新刊」コーナーの2冊の内の1冊として、
『パリ移民映画』
を取り上げていただきました。
ありがとうございました!
書評もこれで3つ目です。
ほんとに、かたじけない!
ちなみに、東京新聞も宅配してもらっているのですが、
安いのに内容充実です。
でも考えてみると、
名物コラム「大波小波」は、
もう何十年も読んでることになるわけですね。
まったく時の経つのは……
「新刊」コーナーの2冊の内の1冊として、
『パリ移民映画』
を取り上げていただきました。
ありがとうございました!
書評もこれで3つ目です。
ほんとに、かたじけない!
ちなみに、東京新聞も宅配してもらっているのですが、
安いのに内容充実です。
でも考えてみると、
名物コラム「大波小波」は、
もう何十年も読んでることになるわけですね。
まったく時の経つのは……
2015年6月21日日曜日
『夜、アルベルティーヌ』
フランス映画祭でかかるこの映画、
レイラ・ベクティとレダ・カテブ!
今一番気になる二人と言っても過言ではありません。
(どんどん出演作が増えて、
まあ、考えることはみんな同じなんですね。)
ただ!
始まりが21:15というのは……。
http://unifrance.jp/festival/2015/films/film06
まだフランス版のDVD も出てないし。
すごく見たいけど……。
レイラ・ベクティとレダ・カテブ!
今一番気になる二人と言っても過言ではありません。
(どんどん出演作が増えて、
まあ、考えることはみんな同じなんですね。)
ただ!
始まりが21:15というのは……。
http://unifrance.jp/festival/2015/films/film06
まだフランス版のDVD も出てないし。
すごく見たいけど……。
『愛しきは、女 ラ・バランス』
今日見たのは、
1982年のフィルム・ノワールで、
『愛しきは、女 ラ・バランス』
です。
(原題は La Balance 「密告屋」です。)
https://www.youtube.com/watch?v=HAi11eRjqtA
実はこの映画、
かつてVHSで見たことがあります。
今調べてみると、
日本版VHS は1987に発売されていますから、
その頃でしょう。
ビデオ・レンタル屋さんで借り、
大して面白くないな、と思ったのを覚えています。
そして今日、25年以上ぶりに見たわけですが、
まったく違う印象を受けました。
なかなかいい映画だと感じました。
まず目を引くのは、有名俳優が多く出演していること。
クロード・ベリ
ナタリー・バイ
フィリップ・レオタール
モーリス・ドネ
チェッキー・カリョ
豪華です。
パルージは、ベルヴィルを含む13分署の刑事。
ある日、彼と通じていたワルの組織内の密告屋が殺されます。
パルージは、その組織の親玉であるマシナを捕えるため、
新たな密告者が必要になりますが、
その候補に挙がったのが、
マシナに恨みを抱いているポン引き、デデでした。
パルージは、デデとその情婦であるニコルに、
激しい圧力をかけ、密告屋に仕立て上げます。
そして、マシナ逮捕を目指すのですが……
「裏切り」というのは、
フィルム・ノワールが好むテーマの一つですが、
この映画は、いわばそれを真正面から扱っていると言えるのでしょう。
わたしが面白かったのは、
やはり、ベルヴィルをはじめとする、
さまざまな場所(土地性)の描写でした。
かつてベルヴィルの街角に立っていたニコルが、
今はマドレーヌ界隈で仕事をしているものの、
やがて、ベルヴィルに舞い戻ったり。
そういえば、彼女がマドレーヌで客を引く場面、
あるヨーロッパ系の男に声をかけるのですが、
彼は値段を聞くと、ピガールのほうが安いよ、
と言って立ち去ります。
そして次にクルマで通りかかった黒人男性は、
彼女を見ると「乗れよ」というのですが、
彼女は「今忙しいの」と言って断ります。
そして男性が行ってしまうと、
すかさず背後から刑事が言うのです、
Même les putes sont racistes !(娼婦まで人種差別主義者なのかい!)
Bon, papiers !(身分証明書!)
Vos papiers, s'il vous plaît. (身分証明書をお願いします、でしょ?)
On n'est pas à Barbès, ici. (ここはバルベスじゃないのよ。)
この最後のニコルのセリフ、
英語字幕では、アラブ人地域にいるわけじゃない、
となっていますが、ビミョーにずれているでしょう。
(仕方ないと思いますが。)
そしてニコルですが、彼女は娼婦で、
ヨーロッパ系白人で、黒人の客はとらない、
そして、白人的なマドレーヌ界隈では許されないが、
バルベスでなら、ぞんざいな口のきき方も許される、
と思っていることになります。
ほんとに raciste だってことになりそうですね。
(最初は彼女の友達に見えた娼婦仲間のサブリナが、
あとでニコルを裏切るのは、
これと関係があるのでしょうか。
サブリナは黒人です。)
もうひとつ。
カスタという名前で、
デスクの後ろにコルシカの旗を飾っている刑事がいるのですが、
(つまり彼はまちがいなく、コルシカ出身という設定なわけです。
ちなみに、「ベルギー人」というあだ名の刑事もいます。)
彼がアラブ系のワルをいたぶりすぎ、
それを上司に咎められる場面があります。
上梓は言うのです、もうアルジェリア戦争は終わったんだぞ、と。
するとカスタは答えるのです、
たしかにアルジェリアは失ったかもしれないが、
ベルヴィルはまだ失っちゃいませんぜ、と。
ただしこの映画では、
クロード・ベリがほんとうはアラブ系である点は、
完全にスルーされています。
80年代においては、
アラブ系のやり手刑事というのは、
まだ早すぎたのでしょう。
1982年のフィルム・ノワールで、
『愛しきは、女 ラ・バランス』
です。
(原題は La Balance 「密告屋」です。)
https://www.youtube.com/watch?v=HAi11eRjqtA
実はこの映画、
かつてVHSで見たことがあります。
今調べてみると、
日本版VHS は1987に発売されていますから、
その頃でしょう。
ビデオ・レンタル屋さんで借り、
大して面白くないな、と思ったのを覚えています。
そして今日、25年以上ぶりに見たわけですが、
まったく違う印象を受けました。
なかなかいい映画だと感じました。
まず目を引くのは、有名俳優が多く出演していること。
クロード・ベリ
ナタリー・バイ
フィリップ・レオタール
モーリス・ドネ
チェッキー・カリョ
豪華です。
パルージは、ベルヴィルを含む13分署の刑事。
ある日、彼と通じていたワルの組織内の密告屋が殺されます。
パルージは、その組織の親玉であるマシナを捕えるため、
新たな密告者が必要になりますが、
その候補に挙がったのが、
マシナに恨みを抱いているポン引き、デデでした。
パルージは、デデとその情婦であるニコルに、
激しい圧力をかけ、密告屋に仕立て上げます。
そして、マシナ逮捕を目指すのですが……
「裏切り」というのは、
フィルム・ノワールが好むテーマの一つですが、
この映画は、いわばそれを真正面から扱っていると言えるのでしょう。
わたしが面白かったのは、
やはり、ベルヴィルをはじめとする、
さまざまな場所(土地性)の描写でした。
かつてベルヴィルの街角に立っていたニコルが、
今はマドレーヌ界隈で仕事をしているものの、
やがて、ベルヴィルに舞い戻ったり。
そういえば、彼女がマドレーヌで客を引く場面、
あるヨーロッパ系の男に声をかけるのですが、
彼は値段を聞くと、ピガールのほうが安いよ、
と言って立ち去ります。
そして次にクルマで通りかかった黒人男性は、
彼女を見ると「乗れよ」というのですが、
彼女は「今忙しいの」と言って断ります。
そして男性が行ってしまうと、
すかさず背後から刑事が言うのです、
Même les putes sont racistes !(娼婦まで人種差別主義者なのかい!)
Bon, papiers !(身分証明書!)
Vos papiers, s'il vous plaît. (身分証明書をお願いします、でしょ?)
On n'est pas à Barbès, ici. (ここはバルベスじゃないのよ。)
この最後のニコルのセリフ、
英語字幕では、アラブ人地域にいるわけじゃない、
となっていますが、ビミョーにずれているでしょう。
(仕方ないと思いますが。)
そしてニコルですが、彼女は娼婦で、
ヨーロッパ系白人で、黒人の客はとらない、
そして、白人的なマドレーヌ界隈では許されないが、
バルベスでなら、ぞんざいな口のきき方も許される、
と思っていることになります。
ほんとに raciste だってことになりそうですね。
(最初は彼女の友達に見えた娼婦仲間のサブリナが、
あとでニコルを裏切るのは、
これと関係があるのでしょうか。
サブリナは黒人です。)
もうひとつ。
カスタという名前で、
デスクの後ろにコルシカの旗を飾っている刑事がいるのですが、
(つまり彼はまちがいなく、コルシカ出身という設定なわけです。
ちなみに、「ベルギー人」というあだ名の刑事もいます。)
彼がアラブ系のワルをいたぶりすぎ、
それを上司に咎められる場面があります。
上梓は言うのです、もうアルジェリア戦争は終わったんだぞ、と。
するとカスタは答えるのです、
たしかにアルジェリアは失ったかもしれないが、
ベルヴィルはまだ失っちゃいませんぜ、と。
ただしこの映画では、
クロード・ベリがほんとうはアラブ系である点は、
完全にスルーされています。
80年代においては、
アラブ系のやり手刑事というのは、
まだ早すぎたのでしょう。
2015年6月19日金曜日
Baudelaire
ボードレール本人が手を入れたゲラ。
http://culturebox.francetvinfo.fr/livres/poesie-theatre/baudelaire-dans-les-coulisses-des-fleurs-du-mal-avec-le-poete-221895
ほんとに書いてたんですねえ……
Lévy et Goliath
先日、ジェラール・ウーリ監督のこの作品を見ましたが、
http://tomo-524.blogspot.jp/2015/04/les-aventures-de-rabbi-jacob.html
今日は、同じウーリ監督の1987年の作品、
Lévy et Goliath (『レヴィとゴリアテ』)
を見てみました。
http://www.dailymotion.com/video/x98czj_levy-et-goliath-bande-annonce-fr_shortfilms
この作品もまた、
明らかにドタバタの要素があるんですが、
なかなか味わい深く、
これはいい映画だと思いました。
主人公は、アルベールとレヴィの兄弟。
アルベールは、ユダヤ的なものを嫌い、
実家のアンヴェールを早々に離れ、
今ではパリで結婚し、子供もあり、
17区(rue Courcelles とbd. Bethiers の角。
Le Celtique は今も健在のようです)でカフェを経営しています。
一方レヴィは、かなり固めのユダヤ教徒で、
最近結婚したばかり。
物語は、ダイヤモンド業者で働くレヴィーが、
パリ郊外のルヴァロワ(17区に接している)のルノーの工場に、
ダイヤの粉を届けるところから動き始めます。
パリに向かう車中、
警察から追われていた麻薬の運び屋が、
とっさにその麻薬を、
レヴィのバッグに隠すのですが、
これが、ダイヤの粉末とうり二つ。
ここから取り違い事件が起き、
麻薬を取り返すべく密売人たちがレヴィを追い、
レヴィはどうしようもなくなって、
音信不通だったアルベールに助けを求め……
という感じで広がってゆきます。
文化的なレベルで言えば、
この兄弟のユダヤ的なるものへの向き合い方の違いが、
ひとつの通奏低音をなしています。
そしてそこに、一人のカビール系の女性が絡むのですが、
彼女とレヴィの関係が、また興味深いものでした。
敬虔なレヴィは、基本、女性の目を見ることはありません。
(それどころか、帽子で顔を隠してしまうこともあり、
それで麻薬を入れられたりもしたわけです。)
が、彼女にそのことを指摘されたのち、
「女性の眼って、きれいなんだね」
なんて言ったりします。
でも、そこまで。
彼女は、「アラブ女」として見下されるのはゼッタイいやで、
だからこそ成功を求め、
またセックスなんて、したいとことでしたい時にすればいい、
と言い放ちます。
でもレヴィは、一瞬でも彼女に対して欲望を抱いたことに、
あとで罪悪感を感じてしまうのです。
たしかに観客としても、ここで関係がうまれると、
新婦さんのことはいいのか、と、
どうしても思いますから、
こうした淡さがいいのかもしれません。
(カミュの『不貞』が思い出されます。)
もう1つ面白かったシークエンスは、
レヴィがワルをはめるカフェでの場面。
アラブ系もアフリカ系もたくさんいるカフェで、
レヴィはワルに向かい、唐突に、
「なに、<きたないユダ公>だって!?」
と声をあげます。
もちろん、ワルはそんなことは言っていないのです。
振り向く客たち。そしてレヴィは
「<きたないアラブ>とはなんだ!」
「<くさい黒人>だと!」
と続け、結局ワルは、
お客さんたちに袋叩きになる、というわけです。
(<くさい黒人>と言った後、
レヴィは、となりにいた黒人男性に向かって、
でもあなたはラヴェンダーの匂いしかしませんよね、
と言います。たとえ嘘の悪口でも、
こういうフォローはあったほうが好感が持てます。)
これの変奏がもう一度あるのですが、
そこでは、ゲイたちが主役になります。
そして思うのですが、
こうした民族にかかわるパターン化した悪口は、
21世紀の今も、そのまま残っているようです。
それはもちろん残念なことですが、
ただ、むしろ無内容な定番すぎて、
ネタに近い感じもあります。
たとえば、この歌では、
https://www.youtube.com/watch?v=uX5Ww3youaM
ユダヤ人はお金しか興味がないなんて言っちゃだめだ、
だって彼らは、
VISAカードもMASTERカードも好きなんだから!
なんていう歌詞もあります。
定番の侮辱自体を、からかっているのですね。
ナイス!
http://tomo-524.blogspot.jp/2015/04/les-aventures-de-rabbi-jacob.html
今日は、同じウーリ監督の1987年の作品、
Lévy et Goliath (『レヴィとゴリアテ』)
を見てみました。
http://www.dailymotion.com/video/x98czj_levy-et-goliath-bande-annonce-fr_shortfilms
この作品もまた、
明らかにドタバタの要素があるんですが、
なかなか味わい深く、
これはいい映画だと思いました。
主人公は、アルベールとレヴィの兄弟。
アルベールは、ユダヤ的なものを嫌い、
実家のアンヴェールを早々に離れ、
今ではパリで結婚し、子供もあり、
17区(rue Courcelles とbd. Bethiers の角。
Le Celtique は今も健在のようです)でカフェを経営しています。
一方レヴィは、かなり固めのユダヤ教徒で、
最近結婚したばかり。
物語は、ダイヤモンド業者で働くレヴィーが、
パリ郊外のルヴァロワ(17区に接している)のルノーの工場に、
ダイヤの粉を届けるところから動き始めます。
パリに向かう車中、
警察から追われていた麻薬の運び屋が、
とっさにその麻薬を、
レヴィのバッグに隠すのですが、
これが、ダイヤの粉末とうり二つ。
ここから取り違い事件が起き、
麻薬を取り返すべく密売人たちがレヴィを追い、
レヴィはどうしようもなくなって、
音信不通だったアルベールに助けを求め……
という感じで広がってゆきます。
文化的なレベルで言えば、
この兄弟のユダヤ的なるものへの向き合い方の違いが、
ひとつの通奏低音をなしています。
そしてそこに、一人のカビール系の女性が絡むのですが、
彼女とレヴィの関係が、また興味深いものでした。
敬虔なレヴィは、基本、女性の目を見ることはありません。
(それどころか、帽子で顔を隠してしまうこともあり、
それで麻薬を入れられたりもしたわけです。)
が、彼女にそのことを指摘されたのち、
「女性の眼って、きれいなんだね」
なんて言ったりします。
でも、そこまで。
彼女は、「アラブ女」として見下されるのはゼッタイいやで、
だからこそ成功を求め、
またセックスなんて、したいとことでしたい時にすればいい、
と言い放ちます。
でもレヴィは、一瞬でも彼女に対して欲望を抱いたことに、
あとで罪悪感を感じてしまうのです。
たしかに観客としても、ここで関係がうまれると、
新婦さんのことはいいのか、と、
どうしても思いますから、
こうした淡さがいいのかもしれません。
(カミュの『不貞』が思い出されます。)
もう1つ面白かったシークエンスは、
レヴィがワルをはめるカフェでの場面。
アラブ系もアフリカ系もたくさんいるカフェで、
レヴィはワルに向かい、唐突に、
「なに、<きたないユダ公>だって!?」
と声をあげます。
もちろん、ワルはそんなことは言っていないのです。
振り向く客たち。そしてレヴィは
「<きたないアラブ>とはなんだ!」
「<くさい黒人>だと!」
と続け、結局ワルは、
お客さんたちに袋叩きになる、というわけです。
(<くさい黒人>と言った後、
レヴィは、となりにいた黒人男性に向かって、
でもあなたはラヴェンダーの匂いしかしませんよね、
と言います。たとえ嘘の悪口でも、
こういうフォローはあったほうが好感が持てます。)
これの変奏がもう一度あるのですが、
そこでは、ゲイたちが主役になります。
そして思うのですが、
こうした民族にかかわるパターン化した悪口は、
21世紀の今も、そのまま残っているようです。
それはもちろん残念なことですが、
ただ、むしろ無内容な定番すぎて、
ネタに近い感じもあります。
たとえば、この歌では、
https://www.youtube.com/watch?v=uX5Ww3youaM
ユダヤ人はお金しか興味がないなんて言っちゃだめだ、
だって彼らは、
VISAカードもMASTERカードも好きなんだから!
なんていう歌詞もあります。
定番の侮辱自体を、からかっているのですね。
ナイス!
2015年6月18日木曜日
『水の中のつぼみ』
先週見た Bande des filles がとてもよかったので、
その監督であるセリーヌ・シアマのデビュー作、
『水の中のつぼみ』
を見てみました。
https://www.youtube.com/watch?v=j37fkVcetTc
オリジナル・タイトルは、
Naissance des pieuvres
というものですが、
直訳すると『大蛸の誕生』で、
これ、なんだかちょっとわからない感じ。
(pieuvre には、比喩的に「執念深い人」の意味もありますが、
それでもピンときません。)
監督自身の説明によれば、
「大蛸というのは、
人が恋をする時、その人の中で成長する怪物であり、
わたしたちの内部で墨を吐く海の生き物です。
これがまさに、
この映画の中の3人の少女の中で起こっていることなのです。
『大蛸の誕生』とは、だから、
思春期の少女たちの中での、
恋心の誕生のことです。」
なるほどね。
3人の少女は、みな15歳。
でも肉体的な成長の度合いは、
随分差があります。
痩せた子供のようなマリ、
太っていることにコンプレックスを感じているアンヌ、
「セクシー」と言ってもいいようなフロリアンヌ。
マリは、たいていアンヌとつるんでいるのですが、
ある時から、フロリアンヌが気になって仕方ありません。
一方アンヌとフロリアンヌは、
ある男の子を巡って三角関係になります。
彼は、フロリアンヌに関係を結ぶことを拒否されると、
衝動のまま、アンヌとベッドに入ります。
その時アンヌが、
「わたしのこと、ちょっとは好きなのかな」
と言うのが、切ないです。
わたしたちオッサンにとって、
この映画は、いい意味で「わかりにくい」です。
シアマ監督は女性パートナーと暮らしているようなのですが、
だからといって、
この映画が単なるレスビエンヌ映画になっているわけではありません。
プール、水、というものをうまく小道具として使いながら、
(いい加減な言い方ですみませんが)
ある種の普遍に触れているのでしょう。
(ただ男の子たちの描き方は、
わざと(?)表面的にしているようにも見えます。)
舞台はセルジー・ポントワーズで、
一度だけ、ラ・デファンスが遠望できるシーンがありました。
その監督であるセリーヌ・シアマのデビュー作、
『水の中のつぼみ』
を見てみました。
https://www.youtube.com/watch?v=j37fkVcetTc
オリジナル・タイトルは、
Naissance des pieuvres
というものですが、
直訳すると『大蛸の誕生』で、
これ、なんだかちょっとわからない感じ。
(pieuvre には、比喩的に「執念深い人」の意味もありますが、
それでもピンときません。)
監督自身の説明によれば、
「大蛸というのは、
人が恋をする時、その人の中で成長する怪物であり、
わたしたちの内部で墨を吐く海の生き物です。
これがまさに、
この映画の中の3人の少女の中で起こっていることなのです。
『大蛸の誕生』とは、だから、
思春期の少女たちの中での、
恋心の誕生のことです。」
なるほどね。
3人の少女は、みな15歳。
でも肉体的な成長の度合いは、
随分差があります。
痩せた子供のようなマリ、
太っていることにコンプレックスを感じているアンヌ、
「セクシー」と言ってもいいようなフロリアンヌ。
マリは、たいていアンヌとつるんでいるのですが、
ある時から、フロリアンヌが気になって仕方ありません。
一方アンヌとフロリアンヌは、
ある男の子を巡って三角関係になります。
彼は、フロリアンヌに関係を結ぶことを拒否されると、
衝動のまま、アンヌとベッドに入ります。
その時アンヌが、
「わたしのこと、ちょっとは好きなのかな」
と言うのが、切ないです。
わたしたちオッサンにとって、
この映画は、いい意味で「わかりにくい」です。
シアマ監督は女性パートナーと暮らしているようなのですが、
だからといって、
この映画が単なるレスビエンヌ映画になっているわけではありません。
プール、水、というものをうまく小道具として使いながら、
(いい加減な言い方ですみませんが)
ある種の普遍に触れているのでしょう。
(ただ男の子たちの描き方は、
わざと(?)表面的にしているようにも見えます。)
舞台はセルジー・ポントワーズで、
一度だけ、ラ・デファンスが遠望できるシーンがありました。
Shilpa Gupta
もう4年近く前になりますが、
シルパ・グプタのことを書きました。
http://tomo-524.blogspot.jp/2011/09/mac-val-shilpa.html
昨日の朝日新聞によると、
ベネチア・ビエンナーレに、
またも興味深い作品を出品しているようです。(画像)
http://www.asahi.com/articles/ASH6H3VQ8H6HUCLV00F.html
この記事、新聞では写真がなかったので、
ここで見られてよかったです。
これも彼女の作品です。
My East is Your West
なにかわからないけれど、
惹かれます。
2015年6月17日水曜日
Un p'tit gars de Ménilmontant
むしろ監督としての印象が強いオリヴィエ・マルシャルが主演し、
実生活のパートナーであるカトリーヌ・マルシャルも、
彼の昔の愛人として登場する作品、
Un p'tit gars de Ménilmontant (2013)
を見てみました。
https://www.youtube.com/watch?v=EI1bmR4A4mA
https://www.youtube.com/watch?v=qC3E-turTI0(全編版)
舞台のほとんどはメニルモンタン界隈です。
16年の刑期を終えて出所したジョー。
古巣のメニルモンタンに戻った彼は、
街の様子も、かつての仲間も、
大きく様変わりしているのを目の当たりにします。
かつての愛人は、
まじめそうな教員と暮らし、
二人の間には息子もいます。
(実は、ジョーの息子です。)
相棒だったマクルフも、
今では小さなカフェの店主に収まり、
彼の奥さんは、ジョーの帰還を歓迎しません。
しかもあろうことかマクルフは、
地元の、まだ十代のチンピラたちの言いなりです。
そしてジョーが、
かつて逮捕される前に隠しておいた金を、
ユーロに換金しようとするあたりから、物語は動き始めます……。
この作品は、一見ふつうのフィルム・ノワールに見えて、
実はなかなかの野心作です。
というのも、上で「チンピラ」と呼んだ若者たちは、
いわゆる郊外映画に登場する「ワル」たちであり、
アラブ系やアフリカ系が中心である彼らの行動が、
ジョーにはいわば「新興やくざ」のように見えているからです。
出所してきたギャングが、
娑婆の変貌に戸惑うというのは、
ほぼ決まったスタイルとも言えますが、
その変貌の核にいるのが彼らである点が、
わたしには野心的だと感じられたわけです。
*追記
日本版がありました。
『友よ、裏切りの街に眠れ』
です。
******************
もう一本、
Petits Frères (1999)
という映画も見てみました。
https://www.youtube.com/watch?v=xlx1ABtH1tA
ベルヴィル(駅はGoncours)に住む少女が、
義父と大喧嘩をして、
飼い犬のキムと一緒に家出します。
行く先は、オーベルヴィリエ(駅はFort d'Aubervilliers)。
けれどもそこに、頼りたい友達はもうおらず、
結局彼女は、地元の「ワル」たちと仲良くなる、
というお話しでした。
ドキュメンタリー風で、
今見るとちょっと古めかしい作りでした。
実生活のパートナーであるカトリーヌ・マルシャルも、
彼の昔の愛人として登場する作品、
Un p'tit gars de Ménilmontant (2013)
を見てみました。
https://www.youtube.com/watch?v=EI1bmR4A4mA
https://www.youtube.com/watch?v=qC3E-turTI0(全編版)
舞台のほとんどはメニルモンタン界隈です。
16年の刑期を終えて出所したジョー。
古巣のメニルモンタンに戻った彼は、
街の様子も、かつての仲間も、
大きく様変わりしているのを目の当たりにします。
かつての愛人は、
まじめそうな教員と暮らし、
二人の間には息子もいます。
(実は、ジョーの息子です。)
相棒だったマクルフも、
今では小さなカフェの店主に収まり、
彼の奥さんは、ジョーの帰還を歓迎しません。
しかもあろうことかマクルフは、
地元の、まだ十代のチンピラたちの言いなりです。
そしてジョーが、
かつて逮捕される前に隠しておいた金を、
ユーロに換金しようとするあたりから、物語は動き始めます……。
この作品は、一見ふつうのフィルム・ノワールに見えて、
実はなかなかの野心作です。
というのも、上で「チンピラ」と呼んだ若者たちは、
いわゆる郊外映画に登場する「ワル」たちであり、
アラブ系やアフリカ系が中心である彼らの行動が、
ジョーにはいわば「新興やくざ」のように見えているからです。
出所してきたギャングが、
娑婆の変貌に戸惑うというのは、
ほぼ決まったスタイルとも言えますが、
その変貌の核にいるのが彼らである点が、
わたしには野心的だと感じられたわけです。
*追記
日本版がありました。
『友よ、裏切りの街に眠れ』
です。
******************
もう一本、
Petits Frères (1999)
という映画も見てみました。
https://www.youtube.com/watch?v=xlx1ABtH1tA
ベルヴィル(駅はGoncours)に住む少女が、
義父と大喧嘩をして、
飼い犬のキムと一緒に家出します。
行く先は、オーベルヴィリエ(駅はFort d'Aubervilliers)。
けれどもそこに、頼りたい友達はもうおらず、
結局彼女は、地元の「ワル」たちと仲良くなる、
というお話しでした。
ドキュメンタリー風で、
今見るとちょっと古めかしい作りでした。
2015年6月16日火曜日
La vie domestique
秋は、「食欲の秋」などといって、
おいしいものが多い季節ですが、
今のこの季節もまた、
おいしいものが多いように思います。
このところ、鰯を三回食べましたが、三回ともおいしかったです。
(スーパーじゃなく、魚屋さんですが。)
トウモロコシも、枝豆も出てきたし。
つい最近食べた「釜揚げ小エビ」は、
シラスほどのサイズで、
かき揚げは抜群でした。
ただひとつ残念なのは、
フロリダ産のグレープフルーツが、
いよいよ見かけなくなってきたこと。
もうずいぶん前から、
あのスーパーから、このお店から、
順に姿を消し、
残っている店を探してしがみついていたのですが、
ついに、その店のものも味が落ちてきて……
愛するフロリダ産グレープフルーツと、
しばしお別れしなければなりそうです。
で今日は、
La vie domesitique
という映画を見てみました。
パリの、かなり郊外を舞台に、
4人の子育て中の奥様達を描いた、
私小説風の重さのある映画でした。
それなりにいい作品だと思うのですが、
言ってしまえば、
以前アメリカ映画でもよく見かけた
「中産階級の憂鬱」的な印象もあり、
思い入れはできませんでした。
https://www.youtube.com/watch?v=hsahWRLZvgs
おいしいものが多い季節ですが、
今のこの季節もまた、
おいしいものが多いように思います。
このところ、鰯を三回食べましたが、三回ともおいしかったです。
(スーパーじゃなく、魚屋さんですが。)
トウモロコシも、枝豆も出てきたし。
つい最近食べた「釜揚げ小エビ」は、
シラスほどのサイズで、
かき揚げは抜群でした。
ただひとつ残念なのは、
フロリダ産のグレープフルーツが、
いよいよ見かけなくなってきたこと。
もうずいぶん前から、
あのスーパーから、このお店から、
順に姿を消し、
残っている店を探してしがみついていたのですが、
ついに、その店のものも味が落ちてきて……
愛するフロリダ産グレープフルーツと、
しばしお別れしなければなりそうです。
で今日は、
La vie domesitique
という映画を見てみました。
パリの、かなり郊外を舞台に、
4人の子育て中の奥様達を描いた、
私小説風の重さのある映画でした。
それなりにいい作品だと思うのですが、
言ってしまえば、
以前アメリカ映画でもよく見かけた
「中産階級の憂鬱」的な印象もあり、
思い入れはできませんでした。
https://www.youtube.com/watch?v=hsahWRLZvgs
2015年6月15日月曜日
憲法学者
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150615-00000117-jij-pol
そして retweet 。
https://twitter.com/kenichiromogi/status/607008919446093824
「反知性主義」という言葉を、
最近しばしば耳にしますが、
これは、「知性がない」ということではなく、
「知性を軽視する」態度のことを指して使われているようです。
そして retweet 。
https://twitter.com/kenichiromogi/status/607008919446093824
「反知性主義」という言葉を、
最近しばしば耳にしますが、
これは、「知性がない」ということではなく、
「知性を軽視する」態度のことを指して使われているようです。
2015年6月14日日曜日
ビウーナ
前回「3人の女性」について簡単にまとめましたが、
彼女らそれぞれが出ている3本の映画、
そのすべてに出演している女優が一人だけいます。
ビウーナです。
『アイシャ』ではアイシャの叔母、
『シェバ・ルイーザ』ではジェミラの母、
『恋は――』ではアメルの祖母。
彼女は、アラブ系の年配女性役としては、
とっても人気があります。
だから、ひっぱりだこなんですね。
(日本では、名前を聞くことはほとんどないんですが。)
主演映画もあります。
http://tomo-524.blogspot.jp/2012/09/delice-paloma.html
そして彼女は、歌手でもあります。
https://www.youtube.com/watch?v=oAJNCrow8AY
いい感じ!
彼女らそれぞれが出ている3本の映画、
そのすべてに出演している女優が一人だけいます。
ビウーナです。
『アイシャ』ではアイシャの叔母、
『シェバ・ルイーザ』ではジェミラの母、
『恋は――』ではアメルの祖母。
彼女は、アラブ系の年配女性役としては、
とっても人気があります。
だから、ひっぱりだこなんですね。
(日本では、名前を聞くことはほとんどないんですが。)
主演映画もあります。
http://tomo-524.blogspot.jp/2012/09/delice-paloma.html
そして彼女は、歌手でもあります。
https://www.youtube.com/watch?v=oAJNCrow8AY
いい感じ!
3人の女性
昨日見た
Amour sur place ou emporter (「恋は店内で、お持ち帰りで?」)
のヒロイン、アメル。
思えば、彼女と似た、
アラブ系のヒロインたちがいたのが思い出されます。
列挙すると
アイシャ(『アイシャ』)
ジェミラ(『シェバ・ルイーザ』)
アメル(『恋は――』)
です。それぞれ
アイシャ
年齢:25歳
仕事:自動車修理工場の事務
恋人:ヨーロッパ白人(有能なサラリーマン)
住所:ボビニー
家族:両親と4人兄弟
ジェミラ
年齢:29歳
仕事:パリの保険会社(高層ビルのオフィス)
恋人:ヨーロッパ系白人(上司)
住所:ル・プレ=サン=ジェルヴェ
家族:両親と2人兄弟
アメル
年齢:29歳
仕事:スタバの店長
恋人:マリ系黒人(91の住人。芸人を目指してバイト中)
住所:パリ10区
家族:両親と自分
これで近いと言えるのか、そうでもないのか、
難しいところですが、
ただなんといっても彼女らの共通点は、
アラブ系であることと、
それゆえに、
家庭内の旧い価値観と、
フランス的・近代的な価値観との間にいて、
その2つを生きようとしていることでしょう。
特にアメルの場合、
男性経験は「24人」と(冗談で?)豪語しながらも、
いざ父親の前になると、
いきなりアラブ的価値観に迎合したりもします。
(もちろん、そうせざるを得ないと感じる、ということですが。)
そして、考えたい感じがするのは、
この3人が、
2つの価値観の間でどうふるまったか、
ということです。
そもそもこの試みは、
うまくいくはずがないのです。無理なんですから。
そのへんを、
それぞれの映画はどう描いたか、
そう言い換えても同じことになるのでしょう。
これは、ちゃんと書こうとすると、
何か月かかかりそうです。
Amour sur place ou emporter (「恋は店内で、お持ち帰りで?」)
のヒロイン、アメル。
思えば、彼女と似た、
アラブ系のヒロインたちがいたのが思い出されます。
列挙すると
アイシャ(『アイシャ』)
ジェミラ(『シェバ・ルイーザ』)
アメル(『恋は――』)
です。それぞれ
アイシャ
年齢:25歳
仕事:自動車修理工場の事務
恋人:ヨーロッパ白人(有能なサラリーマン)
住所:ボビニー
家族:両親と4人兄弟
ジェミラ
年齢:29歳
仕事:パリの保険会社(高層ビルのオフィス)
恋人:ヨーロッパ系白人(上司)
住所:ル・プレ=サン=ジェルヴェ
家族:両親と2人兄弟
アメル
年齢:29歳
仕事:スタバの店長
恋人:マリ系黒人(91の住人。芸人を目指してバイト中)
住所:パリ10区
家族:両親と自分
これで近いと言えるのか、そうでもないのか、
難しいところですが、
ただなんといっても彼女らの共通点は、
アラブ系であることと、
それゆえに、
家庭内の旧い価値観と、
フランス的・近代的な価値観との間にいて、
その2つを生きようとしていることでしょう。
特にアメルの場合、
男性経験は「24人」と(冗談で?)豪語しながらも、
いざ父親の前になると、
いきなりアラブ的価値観に迎合したりもします。
(もちろん、そうせざるを得ないと感じる、ということですが。)
そして、考えたい感じがするのは、
この3人が、
2つの価値観の間でどうふるまったか、
ということです。
そもそもこの試みは、
うまくいくはずがないのです。無理なんですから。
そのへんを、
それぞれの映画はどう描いたか、
そう言い換えても同じことになるのでしょう。
これは、ちゃんと書こうとすると、
何か月かかかりそうです。
2015年6月13日土曜日
Amour sur place ou à emporter
このDVD のジャケット、
背景にはエッフェル塔、
その手前には、このカップル。
まあ、これだけで、
だいたいどんな物語か想像がつこうというものですね。
https://www.youtube.com/watch?v=QjOf1MLWWRc 予告
https://www.youtube.com/watch?v=3cBdSbgJiPE 全篇版・画質×
アルジェリア系のアメルは29歳。
ベルシーのスタバの店長で、
10区で一人暮らしを謳歌しています。
彼女の親は、バリバリ旧タイプと言うほどではないにしても、
娘の結婚相手としては、
基本アルジェリア系、
まあどうしてもというならヨーロッパ系、
でもアフリカ系だけはやめて、
という感じ。
アメル自身は、女友達と、
互いの性生活についてもあけすけに、
笑い交じりに話すし、
まあ言ってしまえば、なかなか「お盛ん」です。
スタバの、しかも新しく開発されたベルシーの
(メトロの、クール・サン=テミリオン駅からすぐ)
店で働いているところなどは、
とりわけ「今の女性」な感じです。
マリ系のヌーンも同年代ですが、
ユモリスト(フランス風ピン芸人)を目指していて、
とりあえずバイトで入った先が、
アメル店長のスタバでした。
父親は3人の奥さんがいますが、
彼自身は、とりわけモテルわけでもありません。
(もてないわけでもありません。)
彼のところでも、
結婚相手はアフリカ系、
だってフランス生まれでフランス国籍を持ってるんだから、
あえて白人と結婚する理由はないだろう?
なんて言われてしまいます。
で、そんな二人の恋物語です。
この映画、じつは芝居の映画化なので、
セリフの量が多く、
またそのセリフがかなりひねってあります。
(You Tube には、芝居がまるまる上がっています。)
つまり、
なにか映画にすべき強いモチーフがあったわけではないようです。
わたしが面白いと思ったのは、
もちろん第一には、
アラブ系の女性とブラック・アフリカ系の男性の恋だということ。
この民族的組み合わせは、
フランス映画ではとても珍しいです。
(これがそうでした。
http://tomo-524.blogspot.jp/2013/09/les-keufs.html )
そして二点目は、
あれほど奔放に話し行動するアメルなのに、
いざアフリカ系の男性との付き合いを父親が反対すると、
あっさり結婚する気はないと答えてしまいます。
もちろん本気じゃなかったんでしょう。
でも、それをたまたまヌーンが聞いてしまい、
それが理由でヌーンが去っていったとき、
アメル追っていかないんですね。
つまり、本気じゃなかったはずなのに、
かといって、まったく嘘でもなかったようなのです。
どんなに表面的には今風でも、
やっぱり、アラブ的な親との問題は、
彼女も抱えているわけです。
(『シェバ・ルイーザ』のヒロイン、ジェミラも、
やっぱり29歳でした。
違うけれど、同じなんですね。)
そして結末ですが、
まあ、あまり大きな意味を与えないほうがいいようです。
この点でも、
やはり芝居の翻案なんですね。
おもしろかったけれど、
芝居な感じが強かったです。
主演のアメルは、監督でもあります。
*全篇版の42分23秒のところで、アメルがこう言います。
Téma !
これって、mater 「俗:(盗み)見る」のverlan です。
ここは命令形ですから、
「見てて!」
くらいでしょうか。
これ、日本の辞書にはまだ出てないと思います。
2015年6月12日金曜日
書評感謝!
今日発売の、
伝統の書評新聞「週刊読書人(6月12日号)」に、
『パリ移民映画』の書評が掲載されています。
評者は、社会学の碩学、宮島喬先生。
書評の冒頭は、
*********************
「パリ移民映画」。そうしたジャンルが成り立つほど多くの映画が撮られてきたことを
改めて思う。
*********************
長年移民研究をされてきた宮島先生の言葉だけに、
わたしはもうこの一文だけで、
胸が詰まりそうになりました。
読んでいただけただけでも嬉しいのに、
綿密な書評まで寄せて頂き、
宮島先生には(そして「読書人」にも)
心から感謝しています。
ありがとうございました。
伝統の書評新聞「週刊読書人(6月12日号)」に、
『パリ移民映画』の書評が掲載されています。
評者は、社会学の碩学、宮島喬先生。
書評の冒頭は、
*********************
「パリ移民映画」。そうしたジャンルが成り立つほど多くの映画が撮られてきたことを
改めて思う。
*********************
長年移民研究をされてきた宮島先生の言葉だけに、
わたしはもうこの一文だけで、
胸が詰まりそうになりました。
読んでいただけただけでも嬉しいのに、
綿密な書評まで寄せて頂き、
宮島先生には(そして「読書人」にも)
心から感謝しています。
ありがとうございました。
La Ligne Droite
ラシダ・ブラクニ繋がり、第4弾、
La Ligne Droite (『直線』)2011
を見てみました。
この「直線」とは、
陸上の400m走の、最後の直線のこと。
そう、この映画は、いわば「陸上もの」です。
https://www.youtube.com/watch?v=soNY4Yw_NY8
数か月前の事故で視力を失ったヤニックは、
友だちとも恋人とも別れ、
ただ、陸上だけが、生きることそのものになっています。
が、
実はその陸上にも、
本当に本気にはなれず、
コーチから見放される寸前です。
そんなときヤニックは、
練習後のスタジアムで、
レイラと知り合います。
視覚障害者のレースでは、
ガイドと一緒に走るわけですが、
やがてレイラは、
ガイドとして、
彼と練習を開始します。
ヤニックは「生」へと目覚め、
生き生きと走り始めます。が……
実はレイラは、
ある事故――それは「事件」とされてしまいました――のために、
6年間の懲役を終えたばかり。
しかも彼女の中では、
ずっと会っていない幼い息子が気になっています。
この二人の運命は……
といういうお話です。
陸上もの、と書きましたが、
この映画の第一印象は、
二人の走る姿が美しいこと。
実はラシダは、
陸上の元フランス代表だったという書き込みもありました。
(←未確認なので、話半分で。)
そしてヤニックを演じるシリル・デクールは、
『パリ・ジュテーム』の「セーヌ河岸」で、
フランソワを演じた彼です。
(この短編、少なくとも50回は見たと思います。)
彼は、「セーヌ河岸」でも走ってましたが、
まだ本気じゃなかったんですね!
(このLa Ligne Droite のために、
びっちり2か月、
優秀なコーチのもとで陸上の練習をしたそうですが。)
地味だし、
ちょっと予定調和的でもあるけれど、
結末はオープンな感じで、
いい映画だと思いました。
レジス・ヴァルニエ監督と言えば、
『インドシナ』が思い出されますが、
これはずいぶんテイストの違う作品でした。
La Ligne Droite (『直線』)2011
を見てみました。
この「直線」とは、
陸上の400m走の、最後の直線のこと。
そう、この映画は、いわば「陸上もの」です。
https://www.youtube.com/watch?v=soNY4Yw_NY8
数か月前の事故で視力を失ったヤニックは、
友だちとも恋人とも別れ、
ただ、陸上だけが、生きることそのものになっています。
が、
実はその陸上にも、
本当に本気にはなれず、
コーチから見放される寸前です。
そんなときヤニックは、
練習後のスタジアムで、
レイラと知り合います。
視覚障害者のレースでは、
ガイドと一緒に走るわけですが、
やがてレイラは、
ガイドとして、
彼と練習を開始します。
ヤニックは「生」へと目覚め、
生き生きと走り始めます。が……
実はレイラは、
ある事故――それは「事件」とされてしまいました――のために、
6年間の懲役を終えたばかり。
しかも彼女の中では、
ずっと会っていない幼い息子が気になっています。
この二人の運命は……
といういうお話です。
陸上もの、と書きましたが、
この映画の第一印象は、
二人の走る姿が美しいこと。
実はラシダは、
陸上の元フランス代表だったという書き込みもありました。
(←未確認なので、話半分で。)
そしてヤニックを演じるシリル・デクールは、
『パリ・ジュテーム』の「セーヌ河岸」で、
フランソワを演じた彼です。
(この短編、少なくとも50回は見たと思います。)
彼は、「セーヌ河岸」でも走ってましたが、
まだ本気じゃなかったんですね!
(このLa Ligne Droite のために、
びっちり2か月、
優秀なコーチのもとで陸上の練習をしたそうですが。)
地味だし、
ちょっと予定調和的でもあるけれど、
結末はオープンな感じで、
いい映画だと思いました。
レジス・ヴァルニエ監督と言えば、
『インドシナ』が思い出されますが、
これはずいぶんテイストの違う作品でした。
2015年6月11日木曜日
『国家の密謀』
ラシダ・ブラクニ繋がり第3弾は、
『国家の密謀』
です。
https://www.youtube.com/watch?v=wnkRtJLOWlE
ピガールで起きた殺人事件と、
コンゴ上空で起きた飛行機爆破事件。
この一見かけ離れた2つの事件が、
「国家の密謀」に関わって通じていた、というお話し。
フィルム・ノワール風なところもあり、
ハリウッド的な大ぼら風でもあり。
説明的なシークエンスが連続するところが出てくる程度には、
こみいった話でした。
さてラシダはと言うと、
彼女はアラブ系警察官。
ピガール地区に着任し、
移民系の警官がいてくれると助かるんだよ、
と言われたときは、
でも移民は警官が嫌いですからね、
その名前がサイードでもデュランでも、
と答えます。
骨があります。
また別の場面で、
彼女が歩道にクルマをとめて、
黒幕の女性に事情を聴こうとすると、
あなた、ここはbanlieue じゃないのよ、そんなとこ停めて、
と嫌味を言われたり。
印象に残ったのは、彼女の髪型。
ポニーテールにして、
きゅっと引っ張って入るんですが、
結び目より先は、
カールしてるんですね。
『シェバ・ルイーザ』のときは、
オフィスでは、この部分もストレートでした。
そしてステージで歌うときは、
ぜんぶカール。
まあ、今回は、
ジーパンにボマージャケットですから、
ぜんぶストレートは合わないかもしれませんが。
アラブ女性の、いわばグラデーションのようなものを、
演じ分けているんでしょうね。
『国家の密謀』
です。
https://www.youtube.com/watch?v=wnkRtJLOWlE
ピガールで起きた殺人事件と、
コンゴ上空で起きた飛行機爆破事件。
この一見かけ離れた2つの事件が、
「国家の密謀」に関わって通じていた、というお話し。
フィルム・ノワール風なところもあり、
ハリウッド的な大ぼら風でもあり。
説明的なシークエンスが連続するところが出てくる程度には、
こみいった話でした。
さてラシダはと言うと、
彼女はアラブ系警察官。
ピガール地区に着任し、
移民系の警官がいてくれると助かるんだよ、
と言われたときは、
でも移民は警官が嫌いですからね、
その名前がサイードでもデュランでも、
と答えます。
骨があります。
また別の場面で、
彼女が歩道にクルマをとめて、
黒幕の女性に事情を聴こうとすると、
あなた、ここはbanlieue じゃないのよ、そんなとこ停めて、
と嫌味を言われたり。
印象に残ったのは、彼女の髪型。
ポニーテールにして、
きゅっと引っ張って入るんですが、
結び目より先は、
カールしてるんですね。
『シェバ・ルイーザ』のときは、
オフィスでは、この部分もストレートでした。
そしてステージで歌うときは、
ぜんぶカール。
まあ、今回は、
ジーパンにボマージャケットですから、
ぜんぶストレートは合わないかもしれませんが。
アラブ女性の、いわばグラデーションのようなものを、
演じ分けているんでしょうね。
2015年6月9日火曜日
「白水社創立百周年記念冊子」
この冊子、
わたしも参加させてもらったのですが、
無料配布中です。
http://www.hakusuisha.co.jp/news/2015/04/15/1030.html
これ、ぜんぶ読みましたが、
おもしろかったです!
わたしも参加させてもらったのですが、
無料配布中です。
http://www.hakusuisha.co.jp/news/2015/04/15/1030.html
これ、ぜんぶ読みましたが、
おもしろかったです!
2015年6月6日土曜日
Bande de filles
この予告編を見て、
https://www.youtube.com/watch?v=1f7EGBPIxtE
ちょっと期待していました。
で、見てみたら、
はるかに期待以上でした!
これは素晴らしい作品だと思います。
この映画、16歳のヒロイン、マリアムも、
彼女の家族はもちろん、
カレシも、3人の女友達も、
みんなアフリカ系です。
メンバーの一人、というのではなく、
これだけがっつりアフリカ系の人たちが中心的な位置を占めるパリ映画って、
少ないんじゃないでしょうか?
舞台はパリ郊外。
教員から、上級の学校への進学を断念させられたマリアムは、
家での、家政婦代わりのもろもろ、
暴力的で権威主義的な兄、などにもうんざりしていたところ、
たまたま3人のアフリカ系娘たちの仲間に入れてもらい、
そこで、なんとか息をつけるようになります。
彼女らは、パリへ、ディズニーランドへと行き、
そうして過ごした時間は、
マリアムにとって「完璧」なものでした。が、
そうした「完璧」な時間は、まったく長続きしません。
お金も、頼る人も、学歴もなく、
マリアムは堕ちてゆきます……
こうしてストーリーを書くと、
暗い話のように見えますが、
そして本質的にはそうに違いないのですが、
この映画は、随所に、
美しい時間が埋め込まれています。
ちょっとしたしぐさに、
切ないとしか言えないような思いが込められていて、
見ているほうもグッときます。
その中の一つに、
ホテルで、
4人の少女たちが、
駄菓子とコーク・ハイをやりながら、
リアーナの「ダイヤモンド」に合わせて歌い踊る場面があります。
https://www.youtube.com/watch?v=lWA2pjMjpBs
歓びにあふれていて、
すご~くいいなあと思ったら、
そのシーン、
すでに評判のシーンのようでした。
予告編にもありますが、
彼女らがラ・デファンスに繰り出すシーンがあります。
あるいは、シャトレに遊びに行ったり。
舞台のパリ郊外がどこなのか、
はっきりしないように作られているのですが、
この2か所が出てくるところを見ると、
ナンテールあたりなんでしょうか?
歓びにあふれていて、
すご~くいいなあと思ったら、
そのシーン、
すでに評判のシーンのようでした。
予告編にもありますが、
彼女らがラ・デファンスに繰り出すシーンがあります。
あるいは、シャトレに遊びに行ったり。
舞台のパリ郊外がどこなのか、
はっきりしないように作られているのですが、
この2か所が出てくるところを見ると、
ナンテールあたりなんでしょうか?
関口涼子インタヴュー
フランス在住で、
つい日本人が陥ってしまう「穴」を教えてくれる作家、
関口涼子さんへのインタヴュー。
おもしろいです。
http://www.newsdigest.fr/newsfr/features/7173-ryoko-sekiguchi.html
つい日本人が陥ってしまう「穴」を教えてくれる作家、
関口涼子さんへのインタヴュー。
おもしろいです。
http://www.newsdigest.fr/newsfr/features/7173-ryoko-sekiguchi.html
『スケート・オア・ダイ』
ラシダ・ブラクニ繋がり第二弾として、
『スケート・オア・ダイ』
を見てみました。
https://www.youtube.com/watch?v=1Cksu49Qino
殺人現場を目撃してしまったスケート・ボーダーの二人。
この白人とアフリカ系のコンビは、
それを映した映像を警察に持ち込みますが、
そこに戻ってきたのが、なんと犯人。
つまり犯人は、刑事でした。
そこから、犯人=刑事による、執拗な追跡が始まり、
二人はボードでパリ中を逃げまくる、というお話。
予想通りのB級で、
パリの描き方も、
特に新しいとは感じませんでした。
ラシダは優秀な警官役。
ワルがヨーロッパ系白人で、彼女がアラブ系。
そこまではひとつの新しい形だともいえますが、
アフリカ系に人たちの描き方が、
やや雑だったように思いました。
ワルの白人に、知力も体力も劣る黒人部下、
そしてジャンキーのたまり場には、
うつろな目を泳がせている多くの黒人たち。
主人公の一人はたしかに黒人なんですが、
彼は、「個性」を持つほどには描き切れていません。
やっぱり、ちょっと雑でしょうね。
『スケート・オア・ダイ』
を見てみました。
https://www.youtube.com/watch?v=1Cksu49Qino
殺人現場を目撃してしまったスケート・ボーダーの二人。
この白人とアフリカ系のコンビは、
それを映した映像を警察に持ち込みますが、
そこに戻ってきたのが、なんと犯人。
つまり犯人は、刑事でした。
そこから、犯人=刑事による、執拗な追跡が始まり、
二人はボードでパリ中を逃げまくる、というお話。
予想通りのB級で、
パリの描き方も、
特に新しいとは感じませんでした。
ラシダは優秀な警官役。
ワルがヨーロッパ系白人で、彼女がアラブ系。
そこまではひとつの新しい形だともいえますが、
アフリカ系に人たちの描き方が、
やや雑だったように思いました。
ワルの白人に、知力も体力も劣る黒人部下、
そしてジャンキーのたまり場には、
うつろな目を泳がせている多くの黒人たち。
主人公の一人はたしかに黒人なんですが、
彼は、「個性」を持つほどには描き切れていません。
やっぱり、ちょっと雑でしょうね。
33回転
完全にはまってしまったCheba Louisa。
まるまる2日間かけて、
ほぼすべての会話を、日本語にしてみました。
シークエンスごとにタイミングも書き入れたので、
まあ、台本みたいになっています。
ちょっと大変でしたが、
これを作っておくと、
今後いろいろ便利です。
一か所、ちょっとおもしろいところがあって、
セリフはこうです。
Dis donc, comment ca se fait qu'une fille comme toi a autant de 33 tours ?
このセリフが出てくるのは、
https://www.youtube.com/watch?v=KCv5ssHLbT8
の、31分20秒当たり。
赤いジャケットの女性が言います。
直訳すると、
あなたみたいな女(の子)が、33回転を持ってるって、どういうこと?
くらいでしょうが、問題は、「33回転」ですね。
これは、昔のレコードの、あの回転数。
だから、
あなたって現代的な女性なのに、なぜそんな時代遅れなところがあるわけ?
という感じでしょうか。
黒いジャケットの女性が、
現代を生きるキャリア・ウーマンなのに、
因習的な母親の考えを受け入れてしまうことを言っているようです。
まるまる2日間かけて、
ほぼすべての会話を、日本語にしてみました。
シークエンスごとにタイミングも書き入れたので、
まあ、台本みたいになっています。
ちょっと大変でしたが、
これを作っておくと、
今後いろいろ便利です。
一か所、ちょっとおもしろいところがあって、
セリフはこうです。
Dis donc, comment ca se fait qu'une fille comme toi a autant de 33 tours ?
このセリフが出てくるのは、
https://www.youtube.com/watch?v=KCv5ssHLbT8
の、31分20秒当たり。
赤いジャケットの女性が言います。
直訳すると、
あなたみたいな女(の子)が、33回転を持ってるって、どういうこと?
くらいでしょうが、問題は、「33回転」ですね。
これは、昔のレコードの、あの回転数。
だから、
あなたって現代的な女性なのに、なぜそんな時代遅れなところがあるわけ?
という感じでしょうか。
黒いジャケットの女性が、
現代を生きるキャリア・ウーマンなのに、
因習的な母親の考えを受け入れてしまうことを言っているようです。
2015年6月5日金曜日
Aubervilliers
オーベルヴィリエ、
こんなことになってるんですね。
http://www.afpbb.com/articles/-/3050435?pid=15931671
Arts et Métiers の近くにも、
「温州通り」というあだ名の通りがあります。
こんなことになってるんですね。
http://www.afpbb.com/articles/-/3050435?pid=15931671
Arts et Métiers の近くにも、
「温州通り」というあだ名の通りがあります。
2015年6月3日水曜日
<彼らの時代のすべての少年、少女たち>
今、飯田橋のアンスティテュ・フランセでは、
<彼らの時代のすべての少年、少女たち>
と銘打った映画祭が行われています。
http://www.institutfrancais.jp/tokyo/events-manager/cinema1505170630/
この中の、6月13日に上映される『輝くすべてのもの』は、
わたしにとっての大好きな映画です。
(以前は、『きらきらしてる』と題されていました。)
これです。
http://tomo-524.blogspot.jp/2011/02/blog-post_21.html
よろしければ!
<彼らの時代のすべての少年、少女たち>
と銘打った映画祭が行われています。
http://www.institutfrancais.jp/tokyo/events-manager/cinema1505170630/
この中の、6月13日に上映される『輝くすべてのもの』は、
わたしにとっての大好きな映画です。
(以前は、『きらきらしてる』と題されていました。)
これです。
http://tomo-524.blogspot.jp/2011/02/blog-post_21.html
よろしければ!
『チャップリンからの贈り物』
7月18日から公開されるこの映画、
http://chaplin.gaga.ne.jp/#
わたしはまだ見ていませんが、
ちょっとおもしろそう。
原題は La Rançon de la gloire です。
ロシュディー・ゼムとグザヴィエ・ボーヴォワのコンビは、
これで3回目。
前2回は、
http://tomo-524.blogspot.jp/2015/03/noublie-pas-que-tu-vas-mourir.html(1995)
http://tomo-524.blogspot.jp/2013/09/le-petit-lieutenant.html(2005)
なんだか、ほぼ10年に1回ペースなんですね。
2005年の作品はよかったけれど、
今度はどうもコメディー・タッチのよう。
期待したいところです。
http://chaplin.gaga.ne.jp/#
わたしはまだ見ていませんが、
ちょっとおもしろそう。
原題は La Rançon de la gloire です。
ロシュディー・ゼムとグザヴィエ・ボーヴォワのコンビは、
これで3回目。
前2回は、
http://tomo-524.blogspot.jp/2015/03/noublie-pas-que-tu-vas-mourir.html(1995)
http://tomo-524.blogspot.jp/2013/09/le-petit-lieutenant.html(2005)
なんだか、ほぼ10年に1回ペースなんですね。
2005年の作品はよかったけれど、
今度はどうもコメディー・タッチのよう。
期待したいところです。
『ウエポンズ』
ラシダ・ブラクニ繋がりで、
彼女が出演している映画、
『ウエポンズ』(2008) Secret défense
を見てみました。
こんなタイトルですが、フランス映画です。
https://www.youtube.com/watch?v=A_CMBJset_4 ①
https://www.youtube.com/watch?v=VRxwKghb5N4 ②
主な舞台は、フランスの対外治安総局(DGSE)。
スカウトされ、諜報員となった若きディアーヌは、
使命を帯びてベイルートへ。(→①)
一方、元アブニダルにいたテロリストに率いられた組織は、
フランスのやさぐれた若者ピエールをリクルート。
彼を訓練したのち、
ホームグロウン・テロリストとして、
パリへ送り込もうという計画。(→②)
そしてディアーヌが与えられた使命とは、
もちろん、このテロ攻撃を防ぐこと。
さて……
というわけですが、
実はDGSE の教官(ジェラール・ランヴァン)など、
ほかに登場人物も多く、
わりと複雑な作りです。
誰がどこまで真実を話しているのか、
最初はわからないし。
中で印象に残ったのは、
(もちろんそうなるように作られているのですが)
フランス人であり、DGSE の局員であり、
ムスリムである若者です。
彼は、同僚が殺されたとき、
彼女を売ったのではないかと疑われ、拷問を受けます。
が、やがて「シロ」だと判明。
彼はそれでも、「フランス」のために協力し、
イスラム過激派に対しては、
「おまえたちはイスラムの恥だ」
と言い切ります。
(ただテロリストは、そんなセリフは聞き飽きた、と応じ、
フランスでのこうした議論の日常性を示しもします。)
彼の存在は、
映画がPC 的なバランスを失わないために、不可欠でしょう。
で、問題のラシダですが、
彼女はその殺される同僚なのです。
彼女は見てわかるアラブ系ですから、
彼女の存在もまた、PC 的にも大きな意味があります。
登場時間は短いのですが、
さすがに印象に残る演技でした。
この映画、少しこれと似ています。
http://tomo-524.blogspot.jp/2014/11/blog-post_86.html
でも、『ウエポンズ』のほうが、
より現代的に感じられました。
ちなみに、ジェラール・ランヴァンは、
この映画の主役でもありました。
http://tomo-524.blogspot.jp/2013/06/les-lyonnais.html
彼女が出演している映画、
『ウエポンズ』(2008) Secret défense
を見てみました。
こんなタイトルですが、フランス映画です。
https://www.youtube.com/watch?v=A_CMBJset_4 ①
https://www.youtube.com/watch?v=VRxwKghb5N4 ②
主な舞台は、フランスの対外治安総局(DGSE)。
スカウトされ、諜報員となった若きディアーヌは、
使命を帯びてベイルートへ。(→①)
一方、元アブニダルにいたテロリストに率いられた組織は、
フランスのやさぐれた若者ピエールをリクルート。
彼を訓練したのち、
ホームグロウン・テロリストとして、
パリへ送り込もうという計画。(→②)
そしてディアーヌが与えられた使命とは、
もちろん、このテロ攻撃を防ぐこと。
さて……
というわけですが、
実はDGSE の教官(ジェラール・ランヴァン)など、
ほかに登場人物も多く、
わりと複雑な作りです。
誰がどこまで真実を話しているのか、
最初はわからないし。
中で印象に残ったのは、
(もちろんそうなるように作られているのですが)
フランス人であり、DGSE の局員であり、
ムスリムである若者です。
彼は、同僚が殺されたとき、
彼女を売ったのではないかと疑われ、拷問を受けます。
が、やがて「シロ」だと判明。
彼はそれでも、「フランス」のために協力し、
イスラム過激派に対しては、
「おまえたちはイスラムの恥だ」
と言い切ります。
(ただテロリストは、そんなセリフは聞き飽きた、と応じ、
フランスでのこうした議論の日常性を示しもします。)
彼の存在は、
映画がPC 的なバランスを失わないために、不可欠でしょう。
で、問題のラシダですが、
彼女はその殺される同僚なのです。
彼女は見てわかるアラブ系ですから、
彼女の存在もまた、PC 的にも大きな意味があります。
登場時間は短いのですが、
さすがに印象に残る演技でした。
この映画、少しこれと似ています。
http://tomo-524.blogspot.jp/2014/11/blog-post_86.html
でも、『ウエポンズ』のほうが、
より現代的に感じられました。
ちなみに、ジェラール・ランヴァンは、
この映画の主役でもありました。
http://tomo-524.blogspot.jp/2013/06/les-lyonnais.html
2015年6月2日火曜日
Cité-jardin du Pré-Saint-Gervais
Cheba Louisa の舞台は、Place Sévrine を中心とするシテ。
そこには、ジェミラやエマだけでなく、
ジェミラの婚約者一家や、
彼の友人たちも暮らしている。
この友人たちの中には、
アジア系(おなじみのSteve Tranが演じる)や、
アフリカ系もいる。
ここで、このシテの雰囲気を伝えているのだろう。
アラブが中心だが、彼らだけしかいないわけではない。
このシテ、Cité-jardin du Pré-Saint-Gervais の来歴は、
http://www.atlas-patrimoine93.fr/pg-html/bases_doc/inventaire/fiche.php?idfic=061inv002
Qualification de la datation : campagne(s) de construction
Date de construction : 1927-1931 ; 1932-1933 ; 1947-1952
Auteur(s) : Dumail Félix (architecte)
Description : La cité-jardin du Pré-Saint-Gervais / Pantin / Les Lilas, conçue par Félix Dumail est une réalisation marquante de l’Office public d’HBM de la Seine, tirant parti d’une topographie accidentée et édifiée avant et après la Seconde guerre mondiale.
Acquis en 1924, le terrain d’environ 120.000 m² s’étend essentiellement sur le Pré-Saint-Gervais et Pantin, très partiellement sur le territoire des Lilas. Sa topographie est irrégulière, très pentue par endroit et divise naturellement la cité-jardin en parties distinctes qui correspondent à peu près aux trois tranches de travaux : de 1927 à 1931, puis de 1932 à 1934, enfin de 1947 à 1952.
Débutés en 1927, les plans évoluent jusqu’à l’ouverture du chantier l’année suivante, et 1008 logements collectifs et les 243 pavillons sont alors prévus. Félix Dumail s’efforce de tirer le meilleur parti des contraintes du terrain tout en minimisant les coûteuses fondations. Ainsi, il répartit les pavillons au centre de la composition.
La première tranche de travaux (1928-1931) se réalise au Pré-Saint-Gervais, partie sud de la cité-jardin, avec les pavillons crépis et les logements collectifs en brique entourant le stade.
La seconde phase commence en 1932 à Pantin, rue des Pommiers, où l’habitat collectif domine.
Inachevée, c’est après-guerre, de 1947 à 1952, que Félix Dumail complète à Pantin la cité avec 228 logements autour de l’actuelle avenue Thalie, et partiellement sur la commune des Lilas avec 54 logements. Il y privilégie, pour des raisons économiques, des immeubles collectifs plutôt que les pavillons initialement prévus. Située plus haut sur le coteau et communément appelée Cité des Auteurs, cette dernière tranche se distingue sensiblement de l’ensemble en raison des choix architecturaux caractéristiques de l’après-guerre.
Tout en conservant une unité remarquable, cette cité-jardin permet de découvrir plusieurs partis pris urbains et stylistiques qui lui confèrent son très grand intérêt.
Au Pré-Saint-Gervais, avenue Edouard-Vaillant, l’architecte dessine une forme courbe pour le long bâtiment qui enserre le stade et accentue ce choix en cernant les pavillons d’immeubles, tout en ménageant des passages sous voûtes. Il différencie ainsi les espaces, dissocie les circulations en jouant du dénivelé pour les venelles, les voies secondaires et les avenues, tout en utilisant la voirie existante. Enfin, il dispose place et square au cœur de la composition et donne une tonalité très urbaine à cette cité bien insérée dans le tissu existant et bien desservie avec, dès 1935 l’arrivée du métro, Porte des Lilas-Châtelet.
La qualité architecturale de l’ensemble réside également dans l’usage des matériaux et le soin apporté aux détails ornementaux, notamment pour les immeubles en brique (portes d’entrée, balcons, loggias). Rue des Pommiers, Dumail opte pour la monumentalité en implantant six ensembles de collectifs, perpendiculaires à la colline. En contrepoint, l’architecte choisit la sobriété pour les pavillons en bande et introduit des accents modernistes pour les pavillons d’angle, qui abritent 3 logements dont des ateliers d’artistes et ferment la composition.
Enfin, pour la dernière tranche édifiée de 1947 à 1952, Félix Dumail implante avec soin ces immeubles collectifs et recourt à des plaques de béton gravillonnées, dites mignonnettes. Souvent minoré, cet ensemble offre pourtant de réelles qualités paysagères ainsi qu’une belle vue sur la plaine de France.
Étonnamment, la cité-jardin n'a été protégée au titre des sites en 1986 que sur le territoire du Pré-Saint-Gervais. Propriété de l’Office public d’habitat de la Seine-Saint-Denis, elle a été partiellement réhabilitée en 1998 et compte aujourd’hui 1.200 logements collectifs et 56 pavillons individuels.
2015年6月1日月曜日
Le Près-Saint-Gervais
備忘録として:
Cheba Louisa の舞台となった、
ル・プレ=サン=ジェルヴェ。
ラシダ・ブラクニは、この撮影場所について、
こう語っています。
"Le Pré-Saint-Gervais ressemble à un petit village. Pendant les trois semaines de tournage là-bas, les gens nous ont accueillis – et supportés – avec bienveillance. Les immeubles en brique rouge sont assez improbables : on a parfois l'impression d'être en Angleterre alors que l'on est aux portes de Paris. L'ambiance était familiale, il y avait une belle interaction, parce que beaucoup de gens ont participé au film. Les rencontres se sont produites spontanément : la cantine était installée sur la place principale, on circulait à pied et on parlait naturellement aux riverains"
(http://www.allocine.fr/film/fichefilm-204250/secrets-tournage/)
また、監督はこう語ります。
このインタヴューの中で、
アルジェリア風のキャバレーの雰囲気が、
ガンゲットのそれに似ている、という指摘が、
とても興味深いです。
まさにこの土地は、「ゾーヌ」なわけですね。
ここでも監督は、同じ内容を話しています。
http://www.abusdecine.com/interview/cheba-louisa
そしてもっと詳しく言うと、
登場人物たちの主な活動の場は、
Place Séverine の周辺でした。
特徴ある赤レンガのアパルトマンは、
ストリート・ヴューでちょっと探しただけで、
簡単に見つかりました。
またここは、先日取り上げた
Camille redouble
の舞台でもありました。
今調べてみると、ここは
La vie ailleurs
という映画の舞台でもあるようなんですが、
残念ながら、
この映画のDVD は見つかりません。
ただ、予告編がdailymotion にあり、
そのナレーションによると、この土地は、
「マグレブ人、ポルトガル人、スペイン人、
幻滅に打ちひしがれたあらゆる外国人が、
あらゆる根無し草たちが、
この土地に閉じ込められている、
時間が止まってしまったかのようなこの町、
行き先のない旅に出ているかのように。
本当の生は、だから、どこか別の場所にある」
とはいえ、全員がここから出られるわけではない。
そのへんを、この映画は示しているとされています。
この映画、気になります。
Cheba Louisa の舞台となった、
ル・プレ=サン=ジェルヴェ。
ラシダ・ブラクニは、この撮影場所について、
こう語っています。
"Le Pré-Saint-Gervais ressemble à un petit village. Pendant les trois semaines de tournage là-bas, les gens nous ont accueillis – et supportés – avec bienveillance. Les immeubles en brique rouge sont assez improbables : on a parfois l'impression d'être en Angleterre alors que l'on est aux portes de Paris. L'ambiance était familiale, il y avait une belle interaction, parce que beaucoup de gens ont participé au film. Les rencontres se sont produites spontanément : la cantine était installée sur la place principale, on circulait à pied et on parlait naturellement aux riverains"
(http://www.allocine.fr/film/fichefilm-204250/secrets-tournage/)
また、監督はこう語ります。
Le Pré-Saint-Gervais est le décor enchanté dont je rêvais. Il fallait trouver ce genre de banlieue et c'est Anne Derré, la productrice, qui en a eu l'idée. Nous avons intégré au maximum les habitants au tournage : tous les figurants, notamment les enfants, vivent là- bas. Toute l'infrastructure de production était installée au Pré-Saint-Gervais. Je voulais faire vivre le quartier, trouver une fluidité et une reconnaissance dans la cité.
Il y a une scène représentative de cet esprit collectif : celle de la fête musulmane du Mouloud où l'on célèbre la naissance du Prophète. Elle se passe en février... Nous tournions en été. Normalement, les gens mettent des bougies à leurs fenêtres, ce qui impliquait un tournage de nuit... Impossible avec nos enfants acteurs. Mais, je ne voulais pas me passer d'une si belle scène, alors nous l'avons adaptée de jour et avec des drapeaux et tous les habitants ont joué le jeu. C’est le Mouloud de Cheba Louisa (rires).
http://www.commeaucinema.com/notes-de-prod/cheba-louisa-comedie,248118)Il y a une scène représentative de cet esprit collectif : celle de la fête musulmane du Mouloud où l'on célèbre la naissance du Prophète. Elle se passe en février... Nous tournions en été. Normalement, les gens mettent des bougies à leurs fenêtres, ce qui impliquait un tournage de nuit... Impossible avec nos enfants acteurs. Mais, je ne voulais pas me passer d'une si belle scène, alors nous l'avons adaptée de jour et avec des drapeaux et tous les habitants ont joué le jeu. C’est le Mouloud de Cheba Louisa (rires).
このインタヴューの中で、
アルジェリア風のキャバレーの雰囲気が、
ガンゲットのそれに似ている、という指摘が、
とても興味深いです。
まさにこの土地は、「ゾーヌ」なわけですね。
ここでも監督は、同じ内容を話しています。
http://www.abusdecine.com/interview/cheba-louisa
そしてもっと詳しく言うと、
登場人物たちの主な活動の場は、
Place Séverine の周辺でした。
特徴ある赤レンガのアパルトマンは、
ストリート・ヴューでちょっと探しただけで、
簡単に見つかりました。
またここは、先日取り上げた
Camille redouble
の舞台でもありました。
今調べてみると、ここは
La vie ailleurs
という映画の舞台でもあるようなんですが、
残念ながら、
この映画のDVD は見つかりません。
ただ、予告編がdailymotion にあり、
そのナレーションによると、この土地は、
「マグレブ人、ポルトガル人、スペイン人、
幻滅に打ちひしがれたあらゆる外国人が、
あらゆる根無し草たちが、
この土地に閉じ込められている、
時間が止まってしまったかのようなこの町、
行き先のない旅に出ているかのように。
本当の生は、だから、どこか別の場所にある」
とはいえ、全員がここから出られるわけではない。
そのへんを、この映画は示しているとされています。
この映画、気になります。
書評 !!!
小倉孝誠先生が、
北海道新聞の書評欄で、
『パリ移民映画』を取り上げてくださいました。
Merci mille fois !
http://dd.hokkaido-np.co.jp/cont/books/2-0026620.html?page=2015-05-31
保存用として、
コピペもしておくことにします。
******************************************
他者への理解 読み解く
今年1月パリで起こった、新聞社を襲撃したテロ事件の記憶は、まだ生々しい。犯人がフランスで生まれ育った、アラブ系やアフリカ系の人間だったので、フランス社会の軋轢(あつれき)を露呈する事件として報道された。しかし困難はあっても、移民の大多数は他のフランス人と同じように、平穏な生活を送っている。そうした彼らの姿は1970年代以降、数多くの映画に描かれてきた。著者はそれを「パリ移民映画」と名づける。
パリ移民映画が誕生するためには、パリという独特の都市空間と、移民社会の成立が必要だった。パリはかつて城壁に囲まれ、それを取り払った跡に環状高速道路を造った。この道路はパリ市内と郊外を隔てる地理的な境界線であると同時に、パリの内と外を区別する文化的、社会的な溝にもなってきた。
映画『憎しみ』は、パリ西北郊外に住む移民家庭の若者たちの過酷な現実を描く。『オーギュスタン、恋々風塵』は、パリ13区の中華街を舞台に、中国から移住してきた女性と売れない役者の交流を語り、『アイシャ』では、ボビニーに暮らすアラブ系の女が、郊外から脱出し、パリに住むことを夢見る。
著者は、これらの作品に浮上する重要なテーマをいくつか指摘している。まず共生のテーマ。いわゆる生粋のフランス人と移民の恋愛をつうじて、異なる価値観をもつ者たちが共に生きることを学ぶ。次に郊外。それは閉塞(へいそく)感をもたらすと同時に、移民たちの夢と、解放への希望を掻(か)き立てる空間になる。そして第三に女性の自立。移民の女性たちは、さまざまな束縛にあらがいながら、自らの成長と自立を模索する。
こうして見ると、パリ移民映画は、普遍的なテーマとつながる側面が多いのに気づく。著者は丹念にフィールドワークをしているので、映画に撮られたパリの街並みの臨場感がよく伝わってくる。本書で紹介されている映画の多くはDVDで観(み)ることができる。映画をとおして他者に出会い、理解することへと読者を誘う好著である。
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北海道新聞の書評欄で、
『パリ移民映画』を取り上げてくださいました。
Merci mille fois !
http://dd.hokkaido-np.co.jp/cont/books/2-0026620.html?page=2015-05-31
保存用として、
コピペもしておくことにします。
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パリ移民映画
評 小倉孝誠 慶応大教授
他者への理解 読み解く
今年1月パリで起こった、新聞社を襲撃したテロ事件の記憶は、まだ生々しい。犯人がフランスで生まれ育った、アラブ系やアフリカ系の人間だったので、フランス社会の軋轢(あつれき)を露呈する事件として報道された。しかし困難はあっても、移民の大多数は他のフランス人と同じように、平穏な生活を送っている。そうした彼らの姿は1970年代以降、数多くの映画に描かれてきた。著者はそれを「パリ移民映画」と名づける。
パリ移民映画が誕生するためには、パリという独特の都市空間と、移民社会の成立が必要だった。パリはかつて城壁に囲まれ、それを取り払った跡に環状高速道路を造った。この道路はパリ市内と郊外を隔てる地理的な境界線であると同時に、パリの内と外を区別する文化的、社会的な溝にもなってきた。
映画『憎しみ』は、パリ西北郊外に住む移民家庭の若者たちの過酷な現実を描く。『オーギュスタン、恋々風塵』は、パリ13区の中華街を舞台に、中国から移住してきた女性と売れない役者の交流を語り、『アイシャ』では、ボビニーに暮らすアラブ系の女が、郊外から脱出し、パリに住むことを夢見る。
著者は、これらの作品に浮上する重要なテーマをいくつか指摘している。まず共生のテーマ。いわゆる生粋のフランス人と移民の恋愛をつうじて、異なる価値観をもつ者たちが共に生きることを学ぶ。次に郊外。それは閉塞(へいそく)感をもたらすと同時に、移民たちの夢と、解放への希望を掻(か)き立てる空間になる。そして第三に女性の自立。移民の女性たちは、さまざまな束縛にあらがいながら、自らの成長と自立を模索する。
こうして見ると、パリ移民映画は、普遍的なテーマとつながる側面が多いのに気づく。著者は丹念にフィールドワークをしているので、映画に撮られたパリの街並みの臨場感がよく伝わってくる。本書で紹介されている映画の多くはDVDで観(み)ることができる。映画をとおして他者に出会い、理解することへと読者を誘う好著である。
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Cheba Louisa
『女はみんな生きている』は、
なかなかおもしろい映画でした。
(アラブ女性の描き方に問題がある、
という指摘もあるのですが。)
そしてまさにその「アラブ女性」役を演じていたのが、
ラシダ・ブラクニです。
『女は―』では、娼婦の役でした。
けれど、今回見た
Cheba Louisa
では、
保険会社に勤めるキャリア・ウーマンです。
もちろん、見てわかるアラブ系ですから、
「よく同化した」人という役どころです。
https://www.youtube.com/watch?v=KCv5ssHLbT8&fr=yfp-t-402-s(全編版)
https://www.youtube.com/watch?v=hbSqbxLnmuY(予告編)
この映画、よくできています。
舞台は、パリ郊外、ル・プレ=サン=ジェルヴェにある、
アラブ系住民が多い「シテ」です。
(ただこの映画のシテは、
まったく危ない感じがしません。)
ヒロインのジェミラは、アルジェリア系フランス人。
30歳で独身。いわゆる「いい仕事」を得ています。
彼女には、同じ会社で働く恋人フレッドがいますが、
実は、地元にフィアンセもいます。
ただしこちらは、親同士が決めた結婚で、
彼女は相手の男に対して、
「いい友達」以上の気持ちは持っていません。
そしてこの結婚をごり押しする母親ゾラ(ビウーナ)は、
典型的な「アラブの母親」ですが、
実はゾラにはつらい記憶があります。
有名歌手で、自由に生きた母親ルイーザに、
自分は愛されていなかった、という思いです。
だからこそゾラは、「自由に生きる」ことへの拒絶感が強いのです。
さて物語は、そんなジェミラが、
なんとか一人暮らしを許してもらったところから始まります。
新しいアパルトマンでなら、恋人とずっと一緒にいられそうです。
そして彼女がそこで出会うのが、
お向かいに住む白人のシングル・マザー、エマです。
大好きだったギタリストの夫
(写真ではアラブ系に見えます)
が事故で死んでから、
彼女はスーパーのレジ係をして、
二人の小学生を育てています。
彼女の誇りが、補助金の申請をすることを許しません。
最初は合わなかったジェミラとエマは、
いくつかの事件を通して、お互いを励まし合う関係になってゆきます……。
この映画で、一番よかったシークエンス。
それはジェミラが、
祖母であるルイーザの古いフィルムを見るところです。
(全編版では、20分あたりから。)
彼女がやがて、スクリーンに近づくと、
彼女の肉体に、ルイーザが宿るのです。
それは、自由を希求する魂であると同時に、
アルジェリアの魂でもあります。
ジェミラは、この、
一見相反するようにも見える要求を、
二つながら追うことになるのです。
<以下ネタバレ>
ジェミラとフレッドの関係について言えば、
まず2人は、別々の世界に住んでいました。
そして前者は、後者の世界に惹かれていましたが、
その逆は、それほど積極的ではありませんでした。
(とはいえフレッドは、表面だけなら改宗してもいいし、
割礼を受けてもいい、とまで言ってくれます。)
ただ最終的には、ジェミラは自分のルーツに大きな価値を見出し、
フレッドは、そういう彼女についてゆけなくなり、
彼女のもとを去ってしまいます。
ということは……
この映画の、一見美しいエンディングは、
イスラーム世界の文化に背を向けた「フランス」と、
自らの内に閉じこもる「アラブ」にも見えなくはありません。
ただそんな状況でも、少なくともエマは、
ジェミラの傍らにいて、彼女と通じ合っています。
(けれどもエマは、ジェミラ以外のアラブ人たちからは「娼婦」扱いされ、
白人社会からは、「落伍者」扱いされています。
決して「フランス」の擬人化ではないでしょう。)
見たばかりで考えがまとまりませんが、
とにかく、いい意味で問題作だと思います。
Cheba はアラビア語で、「若い娘」だそうです。
なかなかおもしろい映画でした。
(アラブ女性の描き方に問題がある、
という指摘もあるのですが。)
そしてまさにその「アラブ女性」役を演じていたのが、
ラシダ・ブラクニです。
『女は―』では、娼婦の役でした。
けれど、今回見た
Cheba Louisa
では、
保険会社に勤めるキャリア・ウーマンです。
もちろん、見てわかるアラブ系ですから、
「よく同化した」人という役どころです。
https://www.youtube.com/watch?v=KCv5ssHLbT8&fr=yfp-t-402-s(全編版)
https://www.youtube.com/watch?v=hbSqbxLnmuY(予告編)
この映画、よくできています。
舞台は、パリ郊外、ル・プレ=サン=ジェルヴェにある、
アラブ系住民が多い「シテ」です。
(ただこの映画のシテは、
まったく危ない感じがしません。)
ヒロインのジェミラは、アルジェリア系フランス人。
30歳で独身。いわゆる「いい仕事」を得ています。
彼女には、同じ会社で働く恋人フレッドがいますが、
実は、地元にフィアンセもいます。
ただしこちらは、親同士が決めた結婚で、
彼女は相手の男に対して、
「いい友達」以上の気持ちは持っていません。
そしてこの結婚をごり押しする母親ゾラ(ビウーナ)は、
典型的な「アラブの母親」ですが、
実はゾラにはつらい記憶があります。
有名歌手で、自由に生きた母親ルイーザに、
自分は愛されていなかった、という思いです。
だからこそゾラは、「自由に生きる」ことへの拒絶感が強いのです。
さて物語は、そんなジェミラが、
なんとか一人暮らしを許してもらったところから始まります。
新しいアパルトマンでなら、恋人とずっと一緒にいられそうです。
そして彼女がそこで出会うのが、
お向かいに住む白人のシングル・マザー、エマです。
大好きだったギタリストの夫
(写真ではアラブ系に見えます)
が事故で死んでから、
彼女はスーパーのレジ係をして、
二人の小学生を育てています。
彼女の誇りが、補助金の申請をすることを許しません。
最初は合わなかったジェミラとエマは、
いくつかの事件を通して、お互いを励まし合う関係になってゆきます……。
この映画で、一番よかったシークエンス。
それはジェミラが、
祖母であるルイーザの古いフィルムを見るところです。
(全編版では、20分あたりから。)
彼女がやがて、スクリーンに近づくと、
彼女の肉体に、ルイーザが宿るのです。
それは、自由を希求する魂であると同時に、
アルジェリアの魂でもあります。
ジェミラは、この、
一見相反するようにも見える要求を、
二つながら追うことになるのです。
<以下ネタバレ>
ジェミラとフレッドの関係について言えば、
まず2人は、別々の世界に住んでいました。
そして前者は、後者の世界に惹かれていましたが、
その逆は、それほど積極的ではありませんでした。
(とはいえフレッドは、表面だけなら改宗してもいいし、
割礼を受けてもいい、とまで言ってくれます。)
ただ最終的には、ジェミラは自分のルーツに大きな価値を見出し、
フレッドは、そういう彼女についてゆけなくなり、
彼女のもとを去ってしまいます。
ということは……
この映画の、一見美しいエンディングは、
イスラーム世界の文化に背を向けた「フランス」と、
自らの内に閉じこもる「アラブ」にも見えなくはありません。
ただそんな状況でも、少なくともエマは、
ジェミラの傍らにいて、彼女と通じ合っています。
(けれどもエマは、ジェミラ以外のアラブ人たちからは「娼婦」扱いされ、
白人社会からは、「落伍者」扱いされています。
決して「フランス」の擬人化ではないでしょう。)
見たばかりで考えがまとまりませんが、
とにかく、いい意味で問題作だと思います。
Cheba はアラビア語で、「若い娘」だそうです。
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