2016年2月25日木曜日

武士道

武士道、というものが、
明治時代、
つまりリアルな武士がいなくなった時代に、
「創られた伝統」として登場ものであることは、
よく知られていると思います。
でもなぜそんなことをしたのか?
それは、たとえば、
ヨーロッパ流の「文明の精神」を、
武士道という名のもとに紹介したかったのだ、
という解釈もあります。
いずれにしても、武士道というのは、
最近作られたフィクションだということになります。

でも、明治以降の日本で、
武士道って、広く受け入れられました。
サムライ・ジャパン、なんてネーミングもあります。
(ただこの場合は、
そんなに深い意味は込められていないでしょうけど。)
でも、何かが広く広まるときっていうのは、
たいてい、理由があるものです。
たいてい、それが広まることが、
誰かにとって都合がいい場合です。

小田島隆さんが tweet で、
こんな風に言ってます。

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武士道とかも基本は気取った奴隷根性だからね。
 
(そして武士が嫌いな理由として)
 
①お家大事、お役目第一の奴隷根性
②上意下達の硬直思考
③平時に刀の形式主義
④身内大事の狭量さ
⑤暴力賛美の世界観
⑥血統と身分から外に出られない低能さ
⑦世襲官僚であること
⑧経済的寄生階級であること
 
⑨武士道とかいう自己愛的腐れマッチョ思想の信奉者であること
 
(そして)
 
おそらく、この数年のうちに、
「武士道」が何らかの形で
「道徳」の教科書に採用される運びになると思う。
理由は、統治者や会社経営者にとって都合の良い
奴隷ロボット人格を育成する上で
武士道ほど完成されたメソッドは無いから。
 
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そうならないといいんですが。