2016年9月15日木曜日

『モンパルナスの灯』

おととい見た『巨人と玩具』は、
1958年の作品だったわけですが、
今日は、<古典>第10弾として、
同じ1958年に作られた、

『モンパルナスの灯』(Montparnasse 19/ Les Amants de Montparnasse

を見てみました。

https://www.youtube.com/watch?v=JH1SCLUSeeQ

舞台は、WW1 が終わったころ。
モディリアーニの、死に至る晩年を描きます。
ジャック・ベッケル監督です。

これもまた、前回見たのは30年前くらい。
今回見てみて、覚えていたのは、
エンディングの20秒くらい。
そう、リノ・ヴァンチュラが……する場面です。
アヌク・エーメさえ、あまり印象に残っていませんでした。
また、
ジェラール・フィリップがモテモテなんですが、
そういう印象もなく。
これじゃ、見た内に入らないですね。

さて作品ですが、
これはジェラール・フィリップ後期の作品なんですが、
イマイチ当たらなかったようです。
観客たちが、彼に望んでいた役ではなかったのでしょう。
ただ彼にしてみれば、
ベッケルとともに、
新しい地平を目指したのでしょうが。

日本でさえ、『巨人と玩具』のような、
資本主義が突っ走っている時代。
そんな時に、ベッケルはこの映画を作ったわけです。
両者に共通するのは、商業主義なのでしょう。
『巨人』はまさに、宣伝広告が物語の中心にあったわけですが、
『モンパルナス』でも、終盤、
アメリカ人の、大金持ちの香水業者が、
モディの絵を広告に使おうと持ち掛けます。
これは、大金が転がり込むチャンス、
妻も内職から解放される、
と思いきや、
モディは、自分の絵が香水瓶に、
メトロに、看板に使われることに耐えられず、
この話をぶち壊します。
商業主義に身売りしない芸術、
ということなのでしょう。
(その是非は措くとして。)

ジェラール・フィリプは、
まぎれもないイケメンですが、
彼の出ている映画にはあまり興味がありませんでした。
なぜなら、彼の出演作のほとんどは、
文学趣味で、古臭くて、現代からは遠かったからです。
そしてこれは、
ピエール・マイヨーの見立てによれば……
戦後のフランス人は、
ドイツに占領され、アメリカに助けられた現実を見ることを拒み、
そこから出発する未来も拒み、
ただ過去だけ、
「フランス」が輝いていた、
革命からWW1くらいまでの時代に帰ることを望んでいた、
そしてジェラール・フィリップは、奇跡的に、
そうした過去の人物を演じながら、
あたかもそれが現代人であるかのように錯覚させることができたのだ、
ということになるのでしょう。
ただ『モンパルナス』は、
そうしたジェラール・フィリップの映画的ペルソナを、
ベッケルが壊そうとしたものだとも、
彼は言っています。
たしかにモディリアーニは、
今までにジェラールが演じてきた、
ロマン主義的な人物の系譜に置くことができる。
でも今回ジェラールは、
映画の初めから終わりまで、
死の影を漂わせ、
従来の華やかで美しいプリンスではなかったのです。
ベッケルは、
ジェラール・フィリップのペルソナを壊そうとした。
それと同時に、
アメリカ的商業主義に飲み込まれゆくフランスも提示した、
ということになるのでしょう。