『座頭市海を渡る』(1966)
を見てみました。
監督が池広一夫なので、
ちょっと心配だったんですが、
意外に(?)よかったです。
まず「海を渡る」というのは、
海外へ、ということではなく、
ここまでの舞台がみんな関東だったのに対し、
今作は四国が舞台になっているということです。
今まで、あまりに多くの人を斬り、多くの血を浴びてきた市がが、
その償いのために、お遍路に出かけるのです。
おもしろかったんですが、
やはり池広的な部分はそこここにあって、
例えば冒頭、市が切った相手の手首が禍々しく映し出されたり、
ワルモノが、今までのヤクザではなく馬賊(馬を乗り回す盗賊)で、
すごく西部劇チックであると同時に、
(もちろんここまでの作品にも、西部劇的な諸々はありましたが)
衣装の醸す雰囲気が妙に下品だったり、
唐突に「由美かおる」的な「サービス・シーン」があったり、
間延びさせないためなのでしょうが、
1つのバックストーリーを語るために、
3つの、時間帯の異なる場面をつないでみたり。
ただ、これはむしろ脚本の功績かもしれませんが、
ここまでの作品にはなかった要素が、
かなり強調されていました。
それは、村人たちのズルさです。
彼らは、自分たちを助けようとする座頭市を見殺しにし、
彼が悪者をやっつけてくれれば儲け物、
仮に殺されても実害はないし、
みたいな地点から、ことの成り行きを見守っています。
自分たちの村の存亡がかかっているのに!
今回は、池広のエンタメ精神が、
比較的うまく作用したと感じました。
でもまあやっぱり、
静けさは、ちゃんと描けていなくて、作り物っぽい。
この監督は、静けさが分かってないと思います。