2025年4月29日火曜日

i HOSTAGE

残念ながらわたしはまだ行ったことがないアムステルダム。
その、ライツェ広場に面したアップルストアで、
2022年に起きた人質立てこもり事件に基づいた映画、

i HOSTAGE

を見てみました。(ネトフリ)

まず、場所はここ。


そして映画は、
何というか、もちろん事件は起こるんですが、
いわばかなり単調です。
途中から、つい『狼たちの午後』を思い出しながら見てたんですが、
映画の出来としては、もう比較になりません。
ただそれでも、
交渉役の女性など、それなりに魅力はあるし、
最後まで見はしましたが。

最初と最後に、
あの Feelin' good のカヴァーが流れます。


マイケル・ブーブレは、カナダ人ですね。 

Lucifer 再び

シーズン6×10話という長いドラマ、Lucifer。
これ、以前1周したんですが、


なぜか、2周目を見ていて、
すでにシーズン4まで見終わりました。
そして、なぜか、前回よりおもしろく感じます。
前回は、事件の謎解きにも意外さの期待があったんですが、
今回は、それはほぼまったく期待してなくて、
あくまで、メインのストーリーの「反映」としてある、
というつもりで見ているので、
当然、よりメイン・ストーリーの持つ、
さまざまなレベルでの「意味」に目が行くからでしょう。

このドラマ、舞台はロスで、
さらに言うなら、ロス市警と、クラブ「ラックス」(と事件現場)です。
この、これ以上ないほど現実的な舞台で、
(元天使の)悪魔が、人間たちと交流します。
もうこの時点で、「作り物」、
つまり、そう言ってよければ、メタな物語なのです。
でも、その悪魔が直面するのは、
父と子の問題であり、
自己決定の可能性であり、
愛のあり方という、
いわばきわめて「人間」的な事柄です。
しかもこの悪魔は、セラピーにも通っているのです!

ただ、悪魔であるLuciferは、
「男性」のファンタスムを生きているとも言えます。
ロマン主義以来、数々登場したあのキャラクター、
「女あそびはすごいけど、実は心に傷を抱えていて、
その傷を癒してくれるのは、彼にとって特別な女性」
というやつです。
Lucifer は、ピッタリこれに当てはまってしまいます。
ただ、だから男性主義的な、反フェミニズム的な、
male gaze 満載のドラマかと言えば、
そうでもありません。
なぜなら、Lucifeにとって特別な女性、クロエ・デッカー刑事の内面もまた、
ある程度以上丁寧に描かれているからです。
クロエの同僚の女性エラも、地獄から来た魔物の女性メイズも、
Luciferの母親の魂が入ってしまう女性シャーロットも、
単なる男性の視線の対象で終わらず、
それぞれの悩みを抱え、
それぞれの人生を歩んでいるからです。

今日見始めたシーズン5の第1話の最後で、
「ハッピー・トゥゲザー」が流れました。
いい声の女性ヴォーカルのカヴァーでした。
で、懐かしくなって、
その後Youtube でオリジナルやカヴァーを聞いていたら、
おお、Lucifer で流れていたヴァージョンがありました。
クィア・ポップのスター、King Princesse でした。


このシーン、ちょっと感動しました。

2025年4月26日土曜日

「新入生の日」

どなたでも自由に参加いただけます!
(もちろん無料です)

高山先生は、総合文化教室が今年お迎えした、
スーパー・ルーキーです。
わたしたちも、この講演を楽しみにしています。

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総合芸術系「新入」特別講演会

講師=髙山花子先(理工学部総合文化教室専任助教)

タイトル=「ほとんど話すように(quasi parlando)」?――ブランショ「レシ」から「歌」へ

2025年5月17(土)14時〜15時30分 
明治大学中野キャンパス 304教室

内容=話すことと歌うこと境界はどようなもだろうか?「物語」と訳されること多いフランス語「レシ(récit)」には、朗誦や暗誦含意があり、もともとは声によって語られたもをひろく指し示す言葉だった。20世紀フランス作家・批評家であるモーリス・ブランショ(1907-2003)が「叙事詩」や「歌」にも拡張するかたちで、こ「レシ」をとらえなした過程を紹介しつつ、もういちど、今「歌」とはいかなるもか、音楽と文学が交差する地点で考えてみたい。


講師略歴=1987年北海道まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得満期退学。博士(学術)。2025年4月より明治大学理工学部総合文化教室専任助教。専門はフランス思想、音響をめぐる思想史。モーリス・ラヴェル歌曲について卒業論文を執筆したあと、修士課程以降、ブランショ研究に転じる。著書に『モーリス・ブランショ――レシ思想』(水声社、2021年)、『鳥歌、テクスト森』(春秋社、2022年)、訳書にジャック・ランシエール『詩畝』(法政大学出版局、2024年)がある。最近関心としては、「物語」概念にかんする研究一環として、水俣病について『苦海浄土』を書いた作家・石牟礼道子テクスト分析に取り組んでいる。また、ブランショ読者でもあった本人ダンサー・室伏鴻(1947-2015)書き残した記や創作ノート読解を、2021年よりつづけている。

2025年4月23日水曜日

「共和党メイキャップ」

アメリカ関連のニュースを見ていると、
確かに、レヴィット報道官は目立ちますね。
白人女性、ブロンド、まだ27歳。
夫は32歳年上で、子供は一人、だそうです。


そしてこの記事の中で出てくる「共和党メイキャップ」。
私は初めて聞きました。
記事がありました。


“Many Republican women haven’t updated their makeup trends since the 80s”

更新されてないわけですね。


2週終了

授業、始まって2週間経ちました。
どの授業も、たとえわずかでも、
ブラッシュアップを目指し、更新しています。
授業で使うパワポを改良するわけですが、
まあ、少しは良くなっているかなと思います。
ただ注意する必要があるのは、
やはりつい、内容過多になってしまうこと。
特に映画関連の授業では、
今年は「ショット」の話に時間を使い始めたので、
その傾向があります。
で、慌てて少しスローダウンしたり。

体力的には、
若い頃のようにはいきませんが、
授業について言えば、
毎年、自己ベストを更新しています!
(まあ、仕事ですから当然なんですけど。)

2025年4月18日金曜日

2025年4月16日水曜日

『マイレージ・マイライフ』再び

今年の映画関連の授業では、

「映画はショットでできている」

ということを強調してみています。
授業数が限られているので、
なかなかそういう方向までいけなかったんですが、
今回は、そっちにも時間を割いてみることにしたわけです。

で、
大学院でも同じで、
それで、この実験を思い出して


今日、今年のメンバーとやってみました。

今年のメンバーは、
シネフィルと言えるほどには映画慣れしていないので、
答えたベスト・ショットはバラバラでしたが、
やっぱり面白い実験でした。

2025年4月14日月曜日

『ふらんす』は創刊100周年

わたしがすご~~~くお世話になっていて、

いつも的確なアドヴァイスをくれて、

一緒に参考書や教科書を作ってきた、

いわば旅の仲間、鈴木編集長へのインタヴューが公開されました!


https://book.asahi.com/jinbun/article/15703207


ここで登場している

『ふらんす特別編集 シャルリ・エブド事件を考える』

ここにも書かせていただいて、

これはマジで光栄でした!

2025年4月12日土曜日

前夜祭

9日の夜は、
総合芸術系主催の「歌と踊りの前夜祭」でした。
いくつかの言語による歌、
さまざまな土地を巡る朗読、
そこにヴァイオリンやバンドネオンの演奏や踊りが絡んで……
という、まさに総合芸術系らしい催しでした。
(変な言い方ですが、完全に「有料」レベルでした。)

この会に行く前、
中野でおやつをやべにスタバに行ったら、
これが見事に満席。
で、仕方なく、サンロードの奥にあるエクセルシオールに行きました。
で、一階の奥でアップルパイを食べていると、
隣に中年のカップルがやってきて、フランス語で話しています。
これはもうお話しするしかない。
少し落ち着いたタイミングで話しかけて、
しばらく話しました。
マルセイユから来た二人は、
予想通り、近くにある「オタクの聖地」まんだらけに行った帰りで、
子供の頃見たアニメのグッズなんかがとても懐かしかったと。
わたしはマルセイユでオランピック・マルセイユのTシャツを買った話をしたり。
ただ、あまり「南」っぽい発音じゃなかったのでそう言うと、
実は長くリヨンにいたんだと。

スタバが満席だったおかげで、
思わぬ展開が待っていました。

2025年4月9日水曜日

『ゼロデイ』

ネトフリの、
デ・ニーロが元大統領を演じるサスペンス、

『ゼロデイ』

を見てみました。
ミニ・シリーズなので、ほぼ一気に。


わたしは知りませんでしたが、
「ゼロデイ脆弱性」という用語があるようで、これは、

ゼロデイ脆弱性とは、
アプリケーションやオペレーティングシステム内に存在する未発見の欠陥です。
ソフトウェアメーカーがその存在を認識していないため、
防御策やパッチが存在していないセキュリティギャップであり、
有効な対策をとるために使える時間が「ゼロデイ (0日)」しかない
ことに由来します。」

なのだそうです。
そしてその脆弱性を狙った攻撃が「ゼロデイ攻撃」で、
このドラマの発端も、このゼロデイ攻撃です。
そしてそれに対処するための委員会が立ち上げられ、
その委員長として、
国民の人気も高いマレン元大統領が選ばれるわけです。
(押し付けられたという面もあります。
議員になっている娘も、就任に大反対します。)

物語の縦糸は、
もちろん、このサイバー攻撃の犯人探しです。
しかも犯人は、サイドの攻撃を予告しているので、
急がねばなりません。
そして横糸はたくさんあります。
現職大統領の思惑、
彼女のライバルの企み、
マレンの娘と、彼の若き右腕の関係、
マレンと妻の関係……

6話しかないんですが、
このドラマ、後半に行くに従ってよくなります。
伏線も貼られているんですが、
比較的分かりやすい謎として描かれているので、
混乱しません。

なんとなく見始めただけだったんですが、
わたしは引き込まれました。が、
どうも、批評家や視聴者の評判はイマイチだとか。
見ると、
プロットがありえないとか、
思想的立場が左寄りだとか、
ジェロントクラシー(長老支配)だとか、
いう指摘がありました。
デ・ニーロは80歳を過ぎていますから、
「長老」なのは間違いないでしょうが……

意外な瞬間に意外なことが起きる演出は、
とても巧みだと感じました。

2025年4月7日月曜日

さくら

今日の午後、
本屋&いつものカフェに散歩に行ったんですが、
その途中、
きれいに咲いていました。









なぜ、さくらは撮りたくなるんでしょう?




ウクライナ、葬列

ウクライナ政府の発表によれば、
兵士の死者数は8万人、負傷者40万人。
先日、フランスのニュースを見ていたら、
あるウクライナ兵士の葬列を取材していました。
田舎の、小さな町です。
空は曇って雨模様。
そして町の通りを葬列が通ってゆくと、
道の両側にいた人たちが全員、
大人も子供も、
道に片膝をついて、頭を下げるのです。
「私たちが勉強していられるのは、彼らのおかげです。」
と、高校生の女の子は言います。
棺の後ろには、娘さんが歩いています。

こんな葬列が、毎日のように、
ウクライナの町々で、繰り返されているそうです。

2025年4月3日木曜日

『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ』

テイラー・シェリダン特集、
今回は、先日見た『ボーダーライン』の続編、

『ボーダーライン:ソルジャーズデイ』(2018)

を見てみました。
テイラー・シェリダンは脚本を担当しています。


『ボーダーライン』で主人公(の一人)だったギリックが、
物語の中心にいます。
メキシコのカルテルに対する新たな作戦が始まるのですが、
今回、よりはっきりと示される前提事実は、
今やカルテルは、麻薬よりも、
むしろヴィザを持たない移民を、
アメリカに密入国させる仕事に中心をシフトしている、ということです。
一人1000ドル。
麻薬より簡単で、
客はどんどん来る。
途中で死んでも文句も出ない、
というわけです。
悪い奴らです。

ただこの作品は、
全体としては、わたしが思うシェリダンらしさは弱かった気がします。
ギリックの抱える悲しみの描写が少なかったこと、
彼の傍で変化する人物がいなかったこと、
風景描写が少なかったこと、
などが理由です。
特に、ギリックの行為や倫理を相対化する人物がいなかったことで、
物語の立体感が弱かったのだ残念です。
やはり「物語」には、変化する人物が必要なのでしょうか。

ただ、ギリックを演じたベニチオ・デル・トロは、
なかなかいいです。
古いタイプのフィルム・ノワールが似合うタイプですが、
わたしは好きになりました。
(ウェス・アンダーソンの『フレンチ・ディスパッチ』では、
異様な画家の役でした。
また、これには、カメオ出演していました;


古くは『ユージュアル・サスペクツ』にも出てました。)

2025年4月1日火曜日

ル・ペン氏に被選挙権5年停止

https://www.bbc.com/japanese/articles/cn0w3zz5491o

ずっと前から話題になっていて、
まあさすがに無理だよね、って感じだったんですが、
現実になったわけですね。

『ボーダーライン』

テイラー・シェリダンのミニ特集をしています。
で、数年前に見た記憶のある

『ボーダーライン』(2015)

を見直してみました。
(最初見た時は、なぜかこのブログに書き忘れたようです。)


物語は、少し込み入っています。
(そう見えるようになる理由はあるのですが。)

舞台は、メキシコ国境に近いアメリカ。
フェニックス、ツーソン、エル・パソ、
そしてメキシコの、エル・パソと向かい合うメキシコのシウダードファレス
(「映画内では「フアレス」と呼ばれています)、
ツーソンの南の国境地帯ノガレスです。
主な登場人物は、FBI の捜査官ケイト、
彼女の同僚のレジー、
国防総省のマットは二人より年長で、
マットの相棒ギリックは、ケイトの父親くらいの年齢で、
謎の人物です。
(実は、メキシコ人で、元検察官だと、後で分かります。)

メイトとレジーは、
マットとギリックが主導する作戦に抜擢されるのですが、
その作戦が実はどんなもので、
何かが進行しているのか、
ケイトたちには伏せられたままなので、
観客も宙釣りにされてしまいます。
作戦の正体は、なかなか分かりません。

ただ、おもしろいんです。
シェリダンは脚本を担当してるんですが、
彼らしい、と言っていいと思うんですが、
背景にある自然が、
物語とは別に、何かとても巨大なものとして映し出されます。
そのイメージは審美的でさえありますが、
それだけではないのです。
そして……
映画の90%は、ケイトの視点で描かれていると言えると思うのですが、
ラスト近く、
明らかにギリックの視点になる時間があります。
主人公は、実は彼だったのか? と思えてきます。
そしてそう考えると、この映画は、
『ウインド・リバー』や
『モンタナの目撃者』と、
やはり同じ構造を持っているように見えてきます。
つまり、荒れた土地を背景に、
その土地ゆえに取り返しのつかない喪失を抱えた人間が描かれているのです。
ケイトは、
『ウインド・リバー』
における、若きFBI 捜査官とよく似ています。
真面目で熱心でタフ、
でも、土地がもたらす悲惨というものが、
まだ理解できていない……

この映画でも、アクションシーンの緊張感は圧倒的で、
風景描写んも含め、
どこまでシェリダンの意図なのかははっきりしませんが、
この3作、明らかに同じ匂いがするのでした。
ワイオミングの雪原のハンター、
ミネソタの森の山林警備隊員、
メキシコ国境地帯の乾いた荒地のもと検察官、
これらが、同じ構造なんですね。
以前見た時は、ケイトの物語として見ていたんですが、
不十分でした。