2011年12月24日土曜日

C'est quand ?


東京は、晴れて気持ちのいいイヴでした。

まったく時節柄ではない話題で恐縮ですが、
ここ数日気になっているのは……

パリのパレ・ロワイヤル、ご存知でしょうか?
あの敷地の南西の角には、コメディー・フランセーズもあるんですが、
その角と、はるか北東のサン・ドニ門とを繋ぐ直線の位置に、
かつてシャルルⅤの建てた城壁が走っていました。
地図を見ると、アブキール通りやクレリー通りが、
まさにその「直線」と重なっています。
(前者が城壁そのものの、後者は濠の位置に当たります。)

で気になること。
それは、パレ・ロワイヤルが今ある位置にあった城壁は、
正確にはいつ壊されたのか、ということです。

パレ・ロワイヤルは、もとはパレ・カルディナル(リシュリュー枢機卿の館)であり、
それはさらにさかのぼれば、ランブイエ侯爵夫人の館だったわけです。
ただビミョーなのは、パレ・カルディナルは、
今のパレ・ロワイヤルの一部に過ぎないということ。
まあルーブルもそうですが、何度も何度も増改築を重ねているので、
たとえ名前は同じでも、時代によってその姿はずいぶん違っています。

1624・リシュリュー(画像)、ランブイエ夫人の館(の一部?)を買う。
    リシュリュー館を建てる。
1633・城壁の跡地を購入。ルメルシエに「カルディナルの館」を発注する。
    (ランブイエ館を改築し、繋げる。)

    それは現在、ギャルリ・デ・プルー
    (=パレ・ロワイヤルの、クール・ドヌールの、東側の翼)しか残っていない。

ということなので、24年~33年のどこかの時点で、
城壁が壊されたのが分かるわけです。
(実際、手元にある本に出ている1622年のパリの絵にも、
城壁はちゃんと書かれています。)

そしてまた、上でご紹介したシャルルⅤの城壁の「直線」部分は、
その後、新たな城壁(=ルイⅩⅢの城壁)に包まれることになるのですが、
そちらの工事は2期に分かれていて;
1566-1585頃 / 1631-1641頃
なんです。
後の工事時期が、件の時期と重なっているので、
その31年以降という年代に引かれる気がします。が、
これはあくまで新城壁の建設年なので、
旧城壁撤去が同時行われるとも限らないわけです。
もう少し調べます!

そしてこんな調べ物の中で行き合った論文がこれ;

http://www.jstage.jst.go.jp/article/aija/75/650/927/_pdf

こんな研究、してみたかった!