2015年8月3日月曜日

書評、ありがたし!

尊敬する川本三郎さんが、
『パリ移民映画』の書評を寄せてくださいました。

http://mainichi.jp/shimen/news/20150802ddm015070032000c.html

都市と映画、都市と文学、という分野では、
間違いなく日本の代表的先駆者の一人である川本さんに書いていただいて、
ほんとに、じ〜んとしています。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20150802ddm015070032000c.html
毎日新聞のニュースサイトから引用します。

◇多民族の共生、共存の芽に着目
 近年、フランス映画は劇的に変わった。
 どう変わったのか。アフリカ系、アラブ系、ユダヤ系、中国系などさまざまな出自を持つ主人公が登場するようになったこと。それまでの単一の「フランス人」という概念が大きく揺らいでいる。
 いうまでもなくこの変化は、移民の急増というフランス社会の現状を反映している。フランス映画に詳しい著者は冒頭でいう。「二十一世紀に制作されたフランス映画において、移民系の出自を持つ人物が一人も登場しない作品というのは、むしろ少数だろう」
 フランス映画と言えば、ジャン・ルノワールやジュリアン・デュヴィヴィエ、あるいはフランソワ・トリュフォーの映画を思い浮かべてしまう旧世代としては、いきなりガツンと頭を殴られる思いがする。
 「フランス人」と同様、「フランス映画」の概念も変わってきている。そう言えば日本でもヒットしたフランス映画「最強のふたり」(11年)は、パリ郊外に住むアフリカ系の黒人が、パリ中心部に住む障害を持つ金持のヨーロッパ系白人を助けてゆく物語だった。
 アフリカ系黒人という、従来ならアウトサイダーだった人間が、現在では映画の主人公になる。こうした新しいフランス映画を著者は「パリ移民映画」と呼ぶ。それとなく気づいていた変化が、名称を与えられることによって一気に新しい展開を見せてくる。
 一九九五年の映画、マチュー・カソヴィッツ監督の「憎しみ」が契機になったという。パリ郊外の貧しい地域に住むユダヤ系、アラブ系、アフリカ系の若者たちの鬱屈した日常を描いたこの映画は、これまでのパリとは違う、「もうひとつのパリ」が新たに現出していることを鮮やかに見せつけた。
 二○○五年には、パリ郊外で、彼ら貧しい若者たちによる暴動が起こり、フランス社会を揺がしたが、「憎しみ」は、その暴動を先取りしたともいう。
 実に多くの映画が参照される。こんなにも「パリ移民映画」は作られていたのかと驚く。シモーヌ・シニョレがユダヤ人の元娼婦(しょうふ)を演じた「これからの人生」(77年)をはじめ、先だって死去したオマー・シャリフがトルコ移民の老人を演じた「イブラヒムおじさんとコーランの花たち」(03年)、これは日本未公開だが、アルジェリア移民の家族を取り上げた「アイシャ」(09年)などなど。
 作品の背後にあるホロコーストやアルジェリア戦争、あるいはアヘン戦争まで視野に入れ、単なる映像論に終わらない、奥行きの深い映画論になっている。戦時下、アラブ系の対独レジスタンス組織があり、それがユダヤ人を助けた話など実に興味深い。
 多民族が混在する社会ではどうしても、憎悪、暴力、差別があらわになるが、著者は「パリ移民映画」に描かれる共生、共存の芽に着目しようとしている。
 「郊外映画」という新しい用語も使われる。東京の郊外は中産階級の住む住宅地だが、パリの郊外は移民の住む場所。貧困、暴力、失業、麻薬が集中する。「パリ移民映画」と「郊外映画」は重なり合う。
 著者は、映画を語る時、必ず舞台となった町、場所を詳述する。従って本書は映画論と同時に豊かな都市論になっている。この点は大いに共感する。
 「アイシャ」の舞台、ボビニーの町の近くにはかつてフランス最大のユダヤ人収容所があったというさりげない指摘にどきりとする。

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これで、
小倉孝誠さん、
澤田直さん、
宮島喬さん、
川本三郎さん、
に書評していただいたことになります。

ほんとうに、望外の喜びです。