2011年10月10日月曜日

双十節


100年前の今日、10月10日に起こったことといえば、
そうです、辛亥革命ですね。
10 が2 つなので、「双十節」とも呼ばれるそうです。
中国より、むしろ台湾でのほうがにぎやかに祝われるとも読みました。

パリ13区の中華街のことを調べていると、
当然中国の近代史が問題になります。
フランスや「列強」との関係がはっきり浮かび上がってくるのは、
やっぱりアヘン戦争(1840~42)以降ということになるのでしょう。
明治維新が1868ですから、それより少し前ですね。

中国と「列強 Grandes puissances」の関係、といっても、
それはつまり、「列強」による植民地化のことです。
中国はそれに抵抗(もちろんね)し、
その動きと内紛が絡み合って、
結果として、
中国近代史はとてもとても複雑な絵を描き出しているように思えます。
国共合作の時期があるかと思えば、
国民党が抗日運動を禁じている時期があったり。

知らないことが多くて、
何を読んでも新鮮なんですが、
たとえば、義和団事件(1900)の賠償金を得た「列強」が、
そのお金で中国に教育機関を作ったという話は、興味を引かれました。
アメリカが清華大学を作り、その学生たちをアメリカに留学させたり。

一見中国に貢献しているように見えながら、
これは「文化侵略」だ、という見方も当然あります。
フランスは、つい10年ほど前まで徴兵制があったわけですが、
その頃、徴兵逃れでフランス語教員になり、
日本に赴任してくるフランス人たちがいました。
兵役1年の代わりに、外国でフランス語を2年教える、
という選択肢があったと聞きます。
フランスが「言語覇権主義」だという場合、
このへんのやり方を指しているのでしょう。

先日ご紹介した『島の水、島の火 Agend'Ars 2』には、
こんな一節があります;

けれども忘れられた島の響きに
私の創造を託すことができないのだ
どれほどの倒錯かと笑われようとも
私はボードレールの言葉で書くしかない  (ⅬⅥ)

この「私」とは、1928年にマルチニックで生まれ、
18歳の時奨学生としてパリに向かった詩人です。

翻って、この極東でフランス語を勉強する場合、
でも「相手」の意図とは別のところで、
この言葉に近づいていくことはできるでしょう。(もちろんね)
フランス語(に限りませんが)は、「フランス」だけの言葉じゃないことが、
もう分かっているからです。

*画像は、パリの Jardin d'acclimatation の園内です。