2016年3月3日木曜日

公平性

今日の(ネットの)毎日新聞の一節に、
こうありました。

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 「反トランプ」色を強める米紙ウォール・ストリート・ジャーナルは社説で、
ルビオ氏への一本化を提案。
ワシントン・ポストもトランプ氏には大統領の資質がないと断じ、
共和党に対応を求める異例の展開になっている。

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このWSJを、たとえば毎日新聞、
WPを、たとえば朝日新聞、
と置き換えれば、
今の日本政府が言っている「公平な報道」が、
やはりピントがずれている感は否めません。

アメリカでは、メディアの数が十分多いとの理由から、
このように、
あるメディアが特定の政治家を推すことが認められています。
いろんなメディアがそれぞれの見方を示すわけだから、
それでいいですよね。

政治に中立はないと言います。
(相対的な中道はあるでしょうが。)
どんな意見も、すべてある偏差があるわけですから。
いろんな要素を吟味するのは当然として、
でも最終的には、偏差がないことは(原理的に)ありえません。

今すぐアメリカ方式にせよ、
とは言いませんが、
偏差を持つ政党という集団が、
公平性を判断するのは矛盾でしょう。
そこはやはり、
メディア自身の力が問われる部分で、
わたしたち受け手は、
彼らの誠実さを注視することになるのでしょう。

権力の中枢とお食事して、
それを自慢しているジャーナリストなんて、
太鼓持ち以外の何物でもありませんね。