2018年10月14日日曜日

『ヴェニスの商人』

ヴェニスと言えば、
中世の封建時代においては、
代表的な自由都市であり、
自治的で、独立的な空間でした。
特に14、15世紀ごろには、
その最盛期を迎えたとされています。

シェークスピアの『ヴェニスの商人』は、
この自由都市を舞台として、1596年に発表されました。
16世紀末ですから、最盛期ほどではなく、
かといってナポレオンに征服されるのはまだ200年も先であり、
十分に自治都市として機能していた時代です。
自由都市なので、
各地で迫害されたユダヤ人もやってきたし、
キリスト教徒と言っても、
他の地域の信者とはまた一味違っていたという指摘もあります。

『ヴェニスの商人』を読んだのは30年以上前で、
ほぼまったく覚えていません。
で、今回は、
映画版を見てみました。
(繰り返し映画化されるシェークスピア作品ですが、
この『ヴェニスの商人』だけは、
ほとんど映画化されてきませんでした。)


物語の中心にあるのは、
クリスチャンの貿易商、アントーニオと、
ユダヤ人の金融業者、シャイロックとの対立です。
前者は今、全財産を貿易船に投じています。
上手くいけば大金を手にするだろうし、
船が難破したりすればすべてを失います。
一方後者は、ユダヤ人共同体の中で生き、
当然娘のジェシカもユダヤ人です。
けれどこのジェシカが、ある男と駆け落ちを企てていることを、
シャイロックは知りません。
そして前者は後者を、
「猿」だの「犬」だのと言って蔑んでいます。
利息を取るのは許せない、というわけです。
(自分たちは奴隷を使っているのですが。)
しかし……

ある時アントーニオは、
年下の友人バサーニオから、
資金援助を要請されます。
バサーニオには借金があり、
それを一気に片付けるため、
莫大なお金を相続したポーシャを射止めるため、
軍資金がいるのです。
しかしアントーニオには、手持ちのお金がありません。
彼は仕方なく、
ふだんは蔑んでいるシャイロックに借金を申し込みます。
シャイロックはあきれながら、
利息なしで貸してやろう、
その代わり期限に遅れたら、
おまえの肉を1ポンドもらう、と言い放ちます。
アントーニオは承諾します。

その後バサーニオの作戦は成功します。が、
期限内にお金を返却することはできず、
アントーニオは肉をはぎ取られることになります。
けれどその裁定の場に、ある博士が登場し、
一休さん風の裁定を下します。
肉は取っていい、が、血はダメだ、と。
もちろんそんなことはできませんから、
シャイロックは仕方なく、
(やっと用意できた)お金の受け取りで済まそうとしますが、
博士は、シャイロックが肉に固執したことを言い募り、
元金も返却する必要はない、と言い出すのです。
そしてついには、
アントーニオの命を脅かした罪で、
シャイロックの財産を没収するとまで。
(この博士とは、実は変装したポーシャでした。)

その後、アントーニオが「慈悲」を見せ、
シャイロックの財産没収は撤回されます。
でも、死後は、駆け落ちしたジェシカとその夫に、
財産が渡ることになります。
そしてその夫とは、
バサーニオの友人なのです……

『ヴェニスの商人』については、
おそらく膨大な先行研究があるのでしょうから、
ずぶの素人がなにかを書くのはかなりためらわれるのですが、
とにかく、いくつも疑問が残りました。

たとえば、バサーニオという人物。
高等遊民というのか、
消費的、快楽主義的で、
とくに何もしておらず、
金満世界をうまく泳いでいる男が、
大金を相続し、
男選びだけに専心している女と結びついたということ、
それは何を意味しているのか?
背景の家父長的な社会構造と、
どんな関係にあるのか?

また、変装したポーシャが裁定を下すというのは、
あまりに荒唐無稽で、
隠された意味があるのでしょうけれど、
それが何なのか、すぐにはわかりません。
今の目から見れば、
単なる大金持ちのお嬢さんの、
単なるデタラメです。
コメディということなのかもしれませんが、
これも現代の目から見れば、
ユダヤ人シャイロックが可哀そうすぎます。
まあ、民族差別的なわけだし。
(シャイロック自身もお金持ちだから、
経済的な格差による差別とは言えませんが。)
にもかかわらず、
ポーシャやアントーニオが麗しく、
清廉に描かれている。
これって皮肉?
それとも書き手が、
当時の時流に合わせた?

たしかに、
全財産を貿易に投じたアントーニオの不安は現代的だとか、
シャイロックの内面的多層性が現代的だとか、
バサーニオの消費的性向が現代的だとか、
一見かしずいているようで、
実際は主導している女性たちが現代的だとか、
は言えるでしょう。
でも、どうでしょう、
書き手の隠されたメッセージは、
わたしなどには読み取りにくいままです。

もっと勉強しないと。