2026年4月7日火曜日

Je n'avais pas besoin de cette hypothèse-là.

今日、チャッピーとおしゃべりをしていて、
印刷術と「科学の世紀」の関係が話題になり、
その中で、ラプラスの

その仮説は必要ありませんでした。

が出てきて、そう言えばフランス語は、
と思って確認してみると、

Je n'avais pas besoin de cette hypothèse-là.

とありました。
これは、ラプラスの大著『天体力学』について、
「神が出てこないけど?」と質問したナポレオンへの答えだと言われています。
ラプラスにとって、
「神」は「仮説」であり、
これは17世紀のケプラーたち、
つまり神の栄光を証明しようとした「科学者」たちとは、
完全に一線を画しているということになるわけですね。
この例文、せっかく理工学部にいるんだから、
もっと早く授業で使えばよかった!

(ただしラプラスは、政治的には無節操で、
ナポレオンにもルイ18世にも使えるという、
アクロバットを見せもしましたが。)

2026年4月5日日曜日

Ça parle trop.

そしてマクロンは、

Ça parle trop.

とも言っています。

Ca parle trop, et ça va trop dans tous les sens. 
On a tous besoin de stabilité, de calme, de retour à la paix, 
ce n'est pas un spectacle !

喋り過ぎだ、ですが、
この ça は、「状況」というより、
みんな分かってるあの人、をぼかしている感じでしょう。
映画などで、たくさんの人物がたくさん喋っている場面などについても、
使うことがありますね。
もう全体に喋り過ぎだよ、っていう感じで。

"Il faut être sérieux"

ヨーロッパの国々と、
トランプ大統領の齟齬が目立ってきました。

マクロン大統領も先日、ソウルで、

Il faut être sérieux, 
et quand on veut être sérieux 
on ne dit pas chaque jour le contraire de ce qu'on a dit la veille.

真面目にならないと。
そして真面目でありたいのなら、
前夜に言ったことと反対の事柄を、
毎日喋ったりしないものだ。

と発言し、これは明らかにトランプ大統領に向けた発言ですね。

他にも、
ブリジット夫人との関係をアメリカ大統領に揶揄されて、

Ca ne mérite pas de réponse.

答えるに値しない。

と一蹴しています。

イタリアもスペインも、
イランに向かう戦闘機が、自国の領空を飛ぶのを拒否しています。
本当は、もっと積極的に、
アメリカとイスラエルを止めに入るべきだとは思いますが、
そこに加担する気はまったくなさそうです。
(もちろん、ただ見てるだけ、という批判は十分可能だと思います。
東洋の島国は、自国内の基地を自由に使わせてるし。

2026年4月4日土曜日

『わたしというパズル』

ヴァネッサ・カービー主演の、

『わたしというパズル』(2021)

を見てみました。


赤ちゃんを待ち望んでいた夫婦。
けれども自宅出産をした際、
赤ちゃんは生まれた直後に直後に亡くなってしまうという、
どうやっても明るく楽しき映画にはならない題材ですが、
映画としては、よく作られていると感じたし、
ヴァネッサ・カービーはやはりいい女優なんだと感じました。
見る価値のある映画だと思います。
特に冒頭の長回しは、ショットとしてなかなか圧巻。

ちょっと気になるのは邦題。
これ、原題は Pieces of a woman なので、
「ある女性の幾つものかけら(部分)」くらいが直訳だと思います。
で、まず「パズル」はいただけない。
この語の連想的意味は、謎解き、組み合わせて完成、
という感じだと思うんですが、
この映画は、そうしたこととは全然関係ありません。
「(わたしという)パズル」と訳すと、その前に定冠詞があるような印象ですが、
ここでは、不定冠詞複数が省略されているのでしょう。
つまり、組み合わせて完成する=1つの全体になる、ということではないと。
1人の女性がいて、
彼女という人間を形作る、幾つものかけら、
という感じ。
じゃあどうすれば? と言われると難しいですが、
「パズル」じゃないことは確かだと思います。

『ミッション・インポッシブル ファイナル・レコニング』

『MI デッド・レコニング』を復習したついでに、
そういえばまだ見てなかった
『ファイナル・レコニング』
の方も見てみたんですが、
なんと、これはひどい、と感じました。
同じ監督・脚本で、ここまで変わるかな、と思うくらい。

このシリーズに期待しているのは、
何か深遠なものではありません。
それらしいセリフは不要だし、
陰々滅々とした雰囲気も、
ダラダラした説明も不要。
ところが今回は、それらが満載……
色々もったいなかった!

2026年4月2日木曜日

ガイダンス、2027

総合芸術系のガイダンス&プチ・歓迎会、
先ほど終了しました。
いつもの通り、留学生もいて、なかなか賑やか。
院生たちなので、
学部生のように舞い上がってはいませんが、
初々しいのは変わりません。
(いや、学部生が舞い上がるのは当然で、それでいいんだと思っています。
新しい世界に来たんですからね。)

歓迎会では、全員、何か話すノルマがあったので、
わたしはとりあえずウィーンの話を。
限られた時間なので、ヤクルトの話などはできませんでしたが、
音楽家たち、
モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、、ドボルジャーク、マーラー、
たちの家を訪ねて回った話をし、
それから、
旅を重ねて、音楽を多様なものにしていったモーツァルトと、
ウィーンにこだわり、
いわばウィーンを散歩するかのようなピアノ・ソナタを作ったシューベルトの違い、
そして「散歩者」としての19世紀性、などについて話しました。
新入院生に伝わったかどうか、それはよく分かりません!

2027年度、始まりました!

『それでも夜は訪れる』

2025年制作で、ヴァネッサ・カービー主演の映画、

『それでも夜は訪れる』

を見てみました。(ネトフリ)
素晴らしいショットがいくつもあり、
映画らしい、いい映画でした。
ちょっと、胸が苦しい感じになる場面もありましたが。


リネット(ヴァネッサ・カービー)は、
障害のある兄と、働き者には見えない母親と、3人暮らし。
そしてその生活を支えています。
昼間はパン屋で、夕方からはバーで、さらに……。
ただ、3人が暮らす家は売りに出ていて、
リネットはそれを買うための頭金をなんとか揃え、
契約に向かうのですが、
サインが必要な母親は現れず、契約はできず。
しかも、頭金の支払いの期限は明朝までと言い渡されるのですが、
なんと、母親はその頭金を……

というわけで、
物語は、明朝までにリネットが頭金25,000ドルをかき集めるための、
あれこれの危険な「冒険」が描かれるわけですが、
その過程で、彼女の過去も少しずつ明らかに。
この辺り、脚本が上手いと思いました。

今更わたしが言うまでもなく、
ヴァネッサ・カービーは演技派として通っていると思いますが、
たしかにいいです。表情と身のこなしと声が一体となって、
キャラに乗り移ってる感じ。
プロですねえ。

ヴァネッサ・カービーと言えば、
『ミッション・インポッシブル デッド・レコニング』で、
ホワイト・ウィドウを演じていました。
実はちょっと復習でまた見てみたんですが、
以前見た時には気づかなかった細かい表情筋の動きが分かり、
なるほどなと思いました。
他の作品も見てみることにします。

そうそう、言い忘れましたが、
この映画、少し、あの『憎しみ』に似てる気がしました。
やや表面的ですが、
まず、一夜の出来事を描いていること、
その一夜の使命は、お金を作ることだということ、
そして、何度となく、時刻が表示されながら物語が進むこと、
が同じだからです。
状況もキャスティングの組み合わせもまったく違いますが、
わたしは少し思い出してしまいました。

さらに、
『ハウス・オブ・カード』


では、パリッとしたスーツを着こなす優秀な議員スタッフを
演じていたマイケル・ケリーが、
いかがわしいダメ男として登場します。
彼も好きな俳優です。