2026年7月18日土曜日

“I’d rather be hated for who I am, than loved for who I am not.”

アマプラで、

『キャッチ・ア・キラー』(2023)

という映画を見始めました。
今、半分くらい見たところなんですが。

新年のボルチモアで、
大規模な銃撃事件が起こり、
市警と、FBI の特別捜査官が対応に当たります。


で、
この犯人像をプロファイルする過程で、
決まりきったシステムの動きを止めようとした、
というような見方が提示されて、
オヤ、と思ったんですが、
その先を見ると、ヒロインがある場面で、
カート・コバーンの名セリフを引用するのです。
たぶんそうだな、と感じたんですが、
何をか、というと、
この映画の脚本家は、
マーク・フィッシャーの『資本主義レアリズム』を意識している、
ということです。
この本の中では、カート・コバーン、ないしニルヴァーナは、
資本主義に取り込まれてしまう反資本主義の見本、
のように描かれていたからです。
フィッシャーは音楽にも造詣が深く、
こういう例を出せる人でした。

そしてそのセリフがこれ、

I’d rather be hated for who I am, than loved for who I am not.
(自分を偽って愛されるより、ありのままの自分で憎まれるほうがいい。)

そして映画はというと、
後半は、むしろ排除的な社会、格差、に焦点が移っていって、
最初に登場した「システム」は、
それに乗れなかった恨み、という形をとって表現されます。
これは、『資本主義リアリズム』で強調されていたことではないでしょう。
となると、
「物語」は一貫していても、
社会を見る目が、
前半と後半でややズレがあるようにも感じました。
主人公の上司の男性が、なかなか魅力的でした。