「足跡がつづいていた、という文の主語は何だろう
足跡はそれ自体決して主語になれない
それは動かない、そうではありませんか」
確かに。それは動かない。
だから「
その答えはたとえば「きつね」」
なのだし、そこにある人間、
歩き続ける人間の姿を嗅ぎつけることもできるでしょう。
「見えない道」を、
「猟犬のように進む」のは、誰か。
彼/彼女が歩くと、
「音楽が鳴り出す」。
そして
「たちまち風が起こり暗い雲が湧き
竜巻が起こりときおり稲妻がきらめく」。
それにしてもなぜ、歩くのか?
歩くことそれ自体に祈りとしての価値があるのだ(……)
管啓次郎の第3詩集、『Agend'Ars 3 海に降る雨』。
この小さな本には、嵐が渦巻いています。
http://www.amazon.co.jp/%E6%B5%B7%E3%81%AB%E9%99%8D%E3%82%8B%E9%9B%A8-AgendArs3-%E7%AE%A1-%E5%95%93%E6%AC%A1%E9%83%8E/dp/4903500810/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1349067092&sr=1-1
この詩集を読むことは、
めくるめく、という表現が誇張ではないような、
一つの「経験」です。
この詩集を机に載せ、いつか、
体調のいい朝が巡ってきたとき、
深呼吸したら、本を手に取り、
向かい合ってみる、
それは1つの「経験」にちがいないのです。
横たわったまま次の航海を
おれはきわめて冷静に想像し計画する
おれがいま死んでいるこの島ではない島で
またいつか新しく死ぬために