2018年1月29日月曜日

『夏が終わる前に』

MFFFの4本目名は、

『夏が終わる前に』

です。

https://www.myfrenchfilmfestival.com/ja/movie?movie=44001

パリでの5 年間の学業を終えたアラーシュ。
フランスの生活にはついになじめず、
イランに帰国することを決めていた。
友人二人は、彼の気持ちが変わることを期待しつつ、
フランスをあちこち巡る旅を計画。
アラーシュは彼らとともに、
フランス生活最後の記念旅行に出発する」

https://www.youtube.com/watch?v=bWSqGEGlVQY

登場するのは、
3人のイラン人男性です。
(会話もほとんど、おそらくペルシャ語。)
アラーシュは、いわゆるコミュ力がなくて、
かなりの太っちょ。
(その理由が、実は兵役と関係していたことが、
後から分かります。)
いい男のホサインは既婚者で33歳。
留学していると偽って、
イランの銀行からお金を借りています。
彼はまだ兵役を済ませていません。
3人目はアシュカン。
彼は独身で、兵役は終えています。
この3人が、南仏目指してクルマで出発。
その意味では、
たしかにロードムーヴィーなんですが、
この旅の目的は、
どこかの場所にたどり着くことではなく、
アラーシュを翻意させることにあります。
なんなら、誰かに一目ぼれでもしてくれたら、
フランスに残る理由が生まれるというものです。

途中、ナンパ風のことをしてみたり、
実際少しは仲良くなったりもしますが、
まあ、とくにこれといった事件も起こりません。
でも、見ていてイヤじゃありません。
やっぱり、舞台はフランスですが、
そこでイランからの視線と、
イランへの視線が行き来していて、
おもしろいです。

先日見た Cherchez la femme も、
イランからの政治亡命者が出ていましたから、
なぜかイランが続きました。
(勉強になりました。)

2018年1月27日土曜日

ナイス!

グッゲンハイム、ナイスですね。

http://www.afpbb.com/articles/-/3160043?cx_position=3

2018年1月26日金曜日

Sabali

『アヴァ』のところで触れた Sabali。
この歌詞は、バンバラ語とフランス語が混じっていて、
バンバラ語部分の意味が分からなかったのですが、
今少し探してみたら、
訳しているサイトがありました。
(合っているのかどうか、確かめられないのですが、一応……)

http://lyricstranslate.com/fr/sabali-patience.html#ixzz55I3sjJXl

Patience

Nous sommes venus pour nous amuser en musique
Le monde est un endroit fait pour s’amuser
Nous nous plaisons à ça
Nous nous plaisons à ça
Ecoutez !
 
La patience, la patience mérite tout
La patience, la patience est bonne
 
Si tu aimes quelqu’un, la patience mérite tout
Si tu aimes un homme, la patience mérite tout
Si tu aimes une femme, la patience mérite tout
La patience, la patience est bonne.
 
Cherie, je m'adresse à toi
Avec toi cherie, la vie est belle
La, la, la, la, la, la
Avec toi cherie
Wo ouh, wo
La, la, la, la, la, la
Ça, c'est pour la vie
Wo ouh! Wo!
La, la, la, la, la, la
Avec toi cherie.
La, la, la, la, la, la
Ça c'est pour la vie.
Cherie, je te fais un gros bisou
Cherie, je te fais un gros bisou
Je te fais un gros bisou
Je t'embrasse fort
Je t'embrasse fort.
Ah! Bye, bye!
この Sabali は、(少なくとも)2度、カヴァーされています。

Nas & Damian Marley
https://www.youtube.com/watch?v=c9VQye6P8k0

Maroon5
https://www.youtube.com/watch?v=m7nCb3kRtC4

この後者のほうは、テンポを速くし、
歌詞を通俗的にした感じ、でしょうか。
I'm here to wipe your eyes...)
たしかに、派手にはなっていますけど。

この Sabali に、ラップを乗せたくなる気持ちはよく分かります。
いい曲だし。
でもこの曲は、
Amadou & Mariam らしい「単調さ」が魅力なのであり、
その空隙を意味で埋めるのは、
違うようにも思います。
もちろん、こうやって、
Amadou & Mariam が広く聞かれるのは、
嬉しいことなんですけどね。

堀江敏幸・評 『数と夕方 管啓次郎詩集』

毎日新聞に載った書評です。

管さんの新詩集、

『数と夕方 管啓次郎詩集』

は、堀江さんも言う通り、
だれも読んだことのない、真新しい叙事詩」
であると、たしかに感じました。
管さんの詩集は、これで5冊目ですが、
新たな1歩を踏み出した感があります。
いったい、どこまで行くのでしょう……

以下、毎日新聞からのコピペです。
(https://mainichi.jp/articles/20180121/ddm/015/070/002000c)

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堀江敏幸・評 『数と夕方 管啓次郎詩集』

数では表現できない記憶の情景


 単行本としては異例の判型である。文庫本変型という説明は可能だけれど、最も近いのは、旅に半生を費やした作家ブルース・チャトウィンが愛用していた、モレスキンの手帖(てちょう)だろう。世界を旅して言語空間に斜線を引き、日本語はもちろん、英語、フランス語、スペイン語で言葉を発してきた詩人管(すが)啓次郎にとって、手帖サイズのこの本は、思考と身体の反応を直接的に表現する理想のかたちである。 
 ここに綴(つづ)られているのは、内面の日記でも旅の記録でもない。だれも読んだことのない、真新しい叙事詩である。二十一世紀の、とりわけ東日本大震災以後の日常から遊離せず、太古からつづく自然を敬いながらもそれを崇拝しない距離を保って、詩人は私たちを柔らかな輪廻(りんね)転生のなかに投げ入れる。突き放すのではなく、背中を押すのだ。誰の? 自身の背中を。死んだ父と息子の背中を。そして、これからやってくるだろうすべての人々の背中を。 
 表題作「数と夕方」では、語り手の「ぼく」が、自宅近くのお寺の墓地に入っていく五歳の息子のあとを追い、父となった自分と息子の関係を、七十八歳で亡くなった父と自分のそれに重ね合わせる。心情を溶かし込んだ私語りの体裁を鮮やかに裏切って、三世代の記憶が、人だけでなく別の生き物に、あるいは水の流れに結ばれる。子どもと大人のちがいはあれ、目指すところはおなじだ。川舟に乗って岸辺には戻らず、幻のような「第三の土手」(「流域論」)を探しつづける語り手は、まどろみから出て、「ぼくの部屋を起点とする風に」(「Red River Valley」)乗り、さまざまな主語に身を転じる。空を飛ぶ鳥に、海を行く魚に、どこにもいない案山子(かかし)に、聡明な烏(からす)に、宮澤賢治の詩行に入り込んで、世界に降り積もる物質になる。流れ、移動する言葉を、読者はめまいとともに追いかけるのだ。 
 「遠くまで行ってもかまわないよ、球体のトポロジーは/全方位的に迷路を拒絶しているからね」(「からす連作」) 
 迷路のない球体だからこそ、行き着く先がわからない不安をもたらすこともありうる。だから、急ぐな、と詩人は繰り返し、「世界の全般的スローダウン」(「淡海へ」)の必要性を訴える。移動の持続と徐行の矛盾を解決するためには、死を含んだ生ではなく、生を含んだ死をまっすぐに見つめなければならない。津波のあとの南相馬を歩いた詩人はうたう。 
 「フジツボよ、ぼくの骨と都会のコンクリートと/きみをむすぶ物質的な線がある/われわれすべてを線でつらぬきつつ/移住と輪廻をくりかえす物質がある」(「フジツボのように」) 
 とはいえ、これを悟りのように捉えてはならないだろう。詩人はただ、固い石灰質の言葉を拾い集めてもう一度水に溶かすという、気の遠くなるような「物質的な線」をたどっていく自分の背中を見きわめたいと言っているのだ。なにが待ち受けようと「これからは本当に大切なことだけを語りたい」。腹はもう決まっている。 
 「狼(おおかみ)の遠吠(とおぼ)えのような真実のひとことと引き換えに/さびしい夜のような沈黙を抱え込んでもいい」(「ワリス・ノカンへの手紙」) 
 私たちも彼の決意に従おう。この小さな旅券を持って、数では表現できない記憶の情景のなかにある第三の土手を目指そう。それが根拠のない自信と効率への信仰によって成り立ついまの世に抗するだけでなく、生きた言葉の風を浴びる唯一の方法だから。
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日本の文学シーンの「今」に触れている、
そんな気持ちになります。

『アヴァ』


今日は、2時間50分(!)という会議を含め、
業務もろもろをこなした日でした。
まあ、そんなことはともかく。

MFFFの3本目を、昨日から今日にかけて見てみました。

『アヴァ』

です。

https://www.youtube.com/watch?v=6jv1Ab6bx1I

「海辺でヴァカンスを過ごす13 歳の少女アヴァ。
視力の低下が思いのほか早く進行していること、
失明する日も近いことを、医師から宣告されている。
母親は、人生でいちばん美しい夏を過ごそうと、
まるで何事もなかったかのように振る舞う。
アヴァは自分なりのやり方で運命に向き合う。
そして、逃走中の若い男が飼っていた、
大きな黒い犬を連れ去る…。」

これ、とてもよかったです。
若い女性監督の、
長編第1作ということですが、
瑞々しく、鮮烈、と言っていいと思います。
映像もいい感じ。
撮影は、Montalivet です。

https://www.youtube.com/watch?v=3T3DLRPm4og


ヒロイン・アヴァを演じる ノエ・アビタ は、
役どころは13歳なんですが、
現実には、撮影当時、18歳だったようです。
(見終わるまで知らなかったので、
完全に13歳のつもりで見ていました。)
なんと言っても、この少女、
「意地悪なのでカレシができず」(←本人曰く)、
「冷たい」(←母親曰く)この少女が、
魅力的でした。

1つのストーリー・ラインは、
この少女の眼が、どんどん見えなくなってゆくその過程、
そしてそれに対する彼女の態度です。
そしてもう1つが、
彼女と、ロマの少年(18歳) Juan の、
「恋」とは言えないある関係の深まり、です。
(さらにサブ・ラインとしては、
母親との関係も重要でしょう。)

Juan は、少しだけかつてのアラン・ドロンを彷彿とさせる俳優で、
女性を巡る三角関係に起因する喧嘩から、
ロマのキャンプを追い出された身です。
この追い出された Juan と、
進んで家庭を離れたアヴァが、
頼りない逃避行を試みるわけです。
そりゃまあ、おもしろくなりますね。

民族的に言うと、
アヴァの母親はヨーロッパ系に見えますが、
アヴァ自身は、非ヨーロッパ系の血が入っているように感じます。
(映画に、父親は登場しません。)
そしてアヴァの母親のカレシ・テテは、アフリカ系。
Juan と、彼を取り巻く人間たちは、ロマの人たちです。

そして……

逃避行の真っ最中、
ある時アヴァが、陽光の降りそそぐ、
でも人気のない道端で、
大きな石に登って踊る場面があるんですが、
これが切ない。
また、踊るアヴァを見ている Juan の表情もとてもいい。


そして、この場面で流れるのが、
おお、Amadou & Mariam の、これなんです。

https://www.youtube.com/watch?v=NRtQmqqfdoc

アヴァは、歌詞に合わせてこう言います。

Cherie, je m'adresse à toi.      ねえ、あなたに言ってるの
Avec toi, cherie la vie est belle.    あなたといれば、人生って素晴らしい

でも Juan は、この歌を最後まで歌わせてはくれないのです……

こんな風に、少女が踊る場面て、
実はけっこうありますが、
これは印象に残るものの1つになりました。

(ちなみに、1番印象に残っているのは、
このときの「ダイヤモンド」です。

http://tomo-524.blogspot.jp/2015/06/bande-de-filles.html )

次回作が楽しみな監督です。

2018年1月24日水曜日

『クラッシュ・テスト』

MFFFの2本目は、

『クラッシュ・テスト』

です。

https://www.youtube.com/watch?v=bMFlatfKf1M

https://www.myfrenchfilmfestival.com/ja/movie?movie=40911

若き女性労働者アグラエの生きがいはたった一つ、
自動車の衝撃耐性実験工場での勤務だ。
ある日、工場が海外移転されることを知ったアグラエは、
なんとしても仕事を続けるために、
移転先のインドへ転勤を希望する。
はるか遠くインドに向けて、
同僚二人とともに車に乗り込んだアグラエ。
女たちの波乱万丈なロードムービーが始まる。」

そう、たしかにこれはロードムーヴィーなんですが、
その最大の特徴は、
その旅の目的が、
「クソ仕事(le job de merde)を続けること」にある点です。
インドに行っても、
給料はすごく下がるし、
うまくやっていけるかどうかもわからない。
でも、この「クソ仕事」が、
彼女はどうじても必要なのです。

冒頭では、
グローバリズム系企業の身勝手さがコミカルに描かれますが、
いったん「旅」に出ると、映画の様相は変わり、
さらに、終わりに近づくにつれて、
ヒロインの顔つきも変わってゆきます。
もちろんこの「旅」は、
現実的でない部分も含まれますが、
見ているときは、そんなことは感じませんでした。
ヒロインのひたむきさが、
そうした印象を越えていたのだと思います。

旅芸人、兵士、医師……
みんな魅力的で、
好きな作品でした。

『ジャングルの掟』

MFFFで最初に見たのは、

『ジャングルの掟』

これはDVDも買い、
見る気満々だった映画です。

https://www.youtube.com/watch?v=rgx6MQsVyV4

https://www.myfrenchfilmfestival.com/ja/movie?movie=41010

ヒロインを演じる Vimala Pons は、
好きな俳優の一人です。
今回も、なかなか痛快で、
彼女はよかったと思います。
ただ、主演のヴァンサン・マケーニュは、
わたしが見ている範囲では、
頼りないダメ男を演じることが多いのですが、
こちらはあまり……です。
で、今回も、まさにそれ。
ドタバタ系のコメディで、
仏領ギアナのジャングルを舞台としているのですが、
そして「フランス」的な開発のやり方を批判してはいるのですが、
全体として、あまりピンときませんでした。

2018年1月23日火曜日

表参道

今日はなかなか「スキ」のない1日でした。

まず12時前に表参道に到着し、
そこから画廊MUSEE F を目指します。
今ここで、
われらが総合芸術系の院生の一人が作った映画が、
上映されているのです。
で、見てみたら……
おお、意外に(と言ったら失礼ですが)おもしろい!
ある若いカップルが、
月島らしきアパートに住んでいます。
そこに、男の子の兄が、数年ぶりに、
突然現れ、行くとこがないからいさせてくれ、と。
で、おいおい分かるのですが、
実はこの兄、少年院(か刑務所)から出てきたところなのです。
しかも彼は、またここでも、
似たようなことを繰り返し、
それを見た弟は……
というお話。
1時間にしては、横に展開する物語部分の駆動感がやや弱く、
心象風景に頼りがちな気もしましたが、
最初の作品としては、ちゃんとできていると思いました。

でその後は、
新人監督とランチをして、
まあ上に書いたような感想を伝え、
その後、
あの『パリのすてきなおじさん』の著者、
金井真紀さんと打ち合わせをしました。
予想通り、「話す」ということがとても上手な方で、
あの本が生まれたのもむべなるかなと思いました。
(下北沢でのイヴェントは、3月10日の3時、になりそうです。)

で!
実は昨日、金井さんがNHKラジオに出演されていました。
1週間だけ、ここで聞けます!(10時台)



でそのあと家に帰り、
例のマイフレンチフィルムフェスティバルで、
2本の映画を見たのですが、それは
(以下明日に続く)

今日の東京は、天気予報通り、雪でした。

先日作った箱庭は、
順調に成長し、昨日はこんな感じでした。


ニワトリさんが、花に埋もれています。
で、今日は、
小さなかまくらを4つ。

2018年1月21日日曜日

Cherchez la femme

イラン系フランス人である若い女性監督、
Sou Abadi の、
初めてのフィクション映画である

Cherchez la femme (2017) (『その女性を探せ(犯罪の影に女あり)』)

を見てみました。

https://www.youtube.com/watch?v=_WmpSTj-rjE

わたしとしては、
パリに住むイラン系フランス人が主人公、
というだけで興味深く、
なかなか面白かったです。
ただ、「コメディ」として作られているのですが、
そういう funny な面白さは、それほどでもない、かも?

恋愛中のカップル、レイラとアルマンは、
パリの名門シアンス・ポの、修士の2年目。

アルマンは、本名はArmandjun。
彼の両親は、イラン革命(1979)のとき、
フランスに政治亡命したインテリカップルです。
(当時、インテリや共産主義者が、多く殺されました。
2人は亡命したことで難を逃れましたが、
一方では、イランの現状に対して、
罪悪感をも抱いています。
自分たちが行動しなかったから、
イランはこんな風になってしまった……と。)
母親のほうは、筋金入りのフェミニストなんですが、
なぜか、親戚の女性と息子を結婚させることにこだわるという、
はっきりした矛盾を体現しています。
そしてそのせいで(?)、
アルマンは母親にレイラを紹介できないでいます。

さて、レイラとアルマンの2人は、
これから、国連がNYで行う研修に参加する予定で、
張り切っているのですが、
そんなとき、
レイラの兄が10か月ぶりに帰国します。
実はこの兄、妹たちには秘密で、
イエメンの過激派組織で訓練を受けていたのです。
(この辺が、コメディにしてはドキッとさせ過ぎ?)
まったく様子が変わってしまった彼は、
資本主義的な価値を否定し、
やがては妹レイラを、部屋に軟禁します。
スマホは、シムカードを抜かれ、
しかも兄はそれを飲み込んでしまうのです。
で、
物語が本格化するのはここからなんですが、
レイラに会いたい一心のアルマンは、
ヴォランティア活動しているセンターで、
アフガン出身の難民からの提案を採用し、
なんと、チャドルで目以外は隠し、
女性として、レイラの家を訪ねることにしたのです。
そして、この訪問を重ねるために、
アルマンはコーランを猛勉強し、
兄の質問にも、
美しく答えてゆきます。すると……
なんとこの兄が、アルマン扮する女性、シエラザードに、
恋してしまうのです……

この映画の背景にあるのは、
もちろん「過激化」の問題です。
ただ、この映画が目指しているのは、
その解明や告発ではなく、
それを抜け出た新たな地平の提示なのでしょう。

でも人物として一番複雑なのは、
アルマンの母親なのでしょう。
政治亡命者で、インテリで、
フェミニストで、伝統主義者で、
学歴と、フランス社会での成功に価値を置き、
79年当時の熱狂は遠い……。
彼女を主人公にした作品も、
ぜひ見てい見たいと思いました。
(つまり、監督の母の世代を描くということですね。)

2018年1月20日土曜日

開幕!

マイ・フレンチ・フィルム・フェスティバル、2018年、
ついに開幕しました。

https://www.myfrenchfilmfestival.com/ja/

ドキュメンタリーの『スワッガー』、
(DVD買ったのにまだ見てなかった)『ジャングルの掟』、
パキスタン系ベルギー人がヒロインの『婚礼』など、
おもしろそうな作品が並んでいます。

楽しみましょう!

「制裁が効き始めている結果」

https://www.jiji.com/jc/article?k=2018011800331&g=use

北朝鮮に対する「制裁」についての、
外務大臣のコメント。

「食糧不足のため、
冬にもかかわらず燃料が不十分な船で出漁を命じられた」結果、
「(昨年)100隻以上の漁船が日本に漂着し、
乗組員の3分の2が死亡した」のは、
「制裁が効き始めている結果」である、と。

じゃあもっと「死亡」すれば、
もっと効果が上がっていることになるわけですね?

これが、「お・も・て・な・し」の国?
(「ひ・と・で・……」?)

2018年1月19日金曜日

市電

今日は院生と一緒に、
ランチを挟んで、
2本の映画を一緒に見ました。
1本は、ブニュエルの、

『幻影は市電に乗って旅する』(1953)

もう1本は、

『ゾンビ革命』

両方とも、以前ここで紹介したことのある映画です。

前者は、廃車になることが決定した市電、133号を、
夜中、酒に酔ったその運転手と車掌が、
勝手に街中を走らせる、というお話。
そしてそこに、まあいろんな人が乗り込んできて、
いろんなことが起こる、というわけです。
そしてこの「いろんな人」の中には、
労働者も、資本家も、信心深い老女も、
孤児も、公爵も、警官もいます。(屠殺された牛も。)
さらには、背景にある経済的格差の中で、
トウモロコシを密輸するマフィアも登場し、
さながら社会の縮図となっています。
ただ、こうした「現実」が、
夜中に街を走る市電という、
全体として1つの「夢」のような場で生起し、
それがほんとに現実なのかそうじゃないのかわからなくも感じられる、
ということになります。
この、超現実に盛られた現実、という構造は、
とてもブニュエル的だと感じました。

2018年1月18日木曜日

いつも

ふだん、「金言」的なものは、
あまり好きではないんですが、
今日、あるエッセイでたまたま読んだ言葉は、
今の時代、
重要なことだと思ったのでした。

「だれも悪をもって悪に報いないように心がけ、
お互いに、
またみんなに対して、
いつも善を追い求めなさい」
(新約聖書テサロニケ人への第一の手紙、第五章十六節)

そしてこの後、こう続くのだそうです。

「いつも喜んでいなさい」

これができれば、いいですね。

2018年1月17日水曜日

「人は豚に生まれるのではない、豚になるのである」

先日、アディーチェの書いた

『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』

という本を読みました。
で、
ここしばらく、アメリカを中心に、
MeToo運動が広がっていて、
それはどうしてもやらねばならないこと、
日本でも早くやればいいことだとわたしも思っていますが、
ご存知の通り、
かのカトリーヌ・ドヌーヴら100人のフランス人女性たちが、
それに反対する、まさに反動的な声明を、
ル・モンド紙上で発表しました。
これが、4日ほど前のこと。

でも、
このドヌーヴたちの反動に対し、
すぐに否定する意見が、
フランスでも現れています。

↓ これが、今日本語で読めるベストな記事でしょう。

http://pepecastor.blogspot.jp/2018/01/blog-post_13.html

の原文は、ここで読めます。

www.liberation.fr/france/2018/01/12/un-porc-tu-nais_1622145


とてもいい文章ですね。

2018年1月16日火曜日

意識と更新

今日、わたしが担当している授業は、
試験を含めてすべて終了しました。
(パチパチパチ!)
あとは試験の採点などがありますが、
これも来週には終わるでしょう。

今年の授業で印象に残ったのは、
まず、大学院の授業で、
久しぶりに「東京詩」を取り上げたこと。
7人のクラスで、その内5人が建築系、
2人が総合芸術系だったのですが、
やはり、ちがう専攻の院生がいると、
見方も感じ方も違うので、
刺激があっていいと思いました。

またこの「東京詩」では、
今までは、
20世紀、つまり明治時代の後半に入り、
詩の対象が拡大してゆく過程で、
都市(ここでは東京)もまた、
そうした対象になってゆく、
みたいな言い方をすることが多かったんですが、
今回は、(まあ大して違わないんですが)
都市というものはすでにあって、
でもそのことと、
人がそれを「都市」だと意識することの間にはちょっと差があって、
この「意識」の始まりの一つの現われが、
詩の中に呼び出された「東京」(の断片)なのではないか、
みたいな言い方をしてみました。
これはたとえば、
A子さんはずっと近くにいて、
「わたしは」そのことに特別な意識はなかったのだけれど、
ある事件をきっかけに、突然、
彼女が女性であることを意識し始めた、
みたいなことなんでしょう。
もしろんA子さんは、
初めからずっと女性だったわけです。

そしてもう1つ。
これはとても単純なんですが、
「ワールド映画ゼミ」で、
『わたしは、ダニエル・ブレイク』や『パレードへようこそ』を通して、
イギリスを取り上げたことです。
これはわたしには新鮮でした。
今までは、
ロンドンのエレファント・キャッスルなど、
ごく一部の地域に触れるだけでしたから。
授業時間が限られているので、
新たな要素を次々に増やすことはできないんですが、
やっぱり更新は必要ですね。

2018年1月14日日曜日

『パリのすてきなおじさん』

この前の秋に出たこの本、

『パリのすてきなおじさん』

いい本だと思って、
学生のブック・レポートに出したりもしてたんですが、
今アマゾンを見たら、すごく売れてます!!
やっぱりね!

https://www.amazon.co.jp/パリのすてきなおじさん-金井-真紀/dp/4760149112/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1515931873&sr=1-1&keywords=%E3%83%91%E3%83%AA%E3%80%80%E3%81%8A%E3%81%98%E3%81%95%E3%82%93

まだもろもろ未定なんですが、
この本の著者の金井真紀さんと、
小さなイヴェントをするかもしれません。
それについては、
決まり次第またご報告しますが、とにかく、
この本はおもしろい&ためになるので、
お勧めします!


2018年1月11日木曜日

「おれはすべてを見たよ」


アラン・ドロンと言えば、
悪魔的なまでの美しさがもてはやされたのも今は昔、
最近では、「右翼のオジーチャン」という印象が強いです。

その彼が、Paris Match のインタヴューで、
こう言っているようです。

"La vie ne m'apporte plus grand-chose.
J'ai tout connu, tout vu.
Mais surtout, je hais cette époque, je la vomis"

おれの人生には、もはや大したことは起きない。
おれはすべてを経験したし、すべてを見たよ。
でもとにかく、おれは今の時代が大嫌いさ。
吐き気がするよ。

https://fr.yahoo.com/news/alain-delon-vomit-époque-quittera-090700820.html

また別のところでは、
自分がいかにハンサムだったかについて、
これはむしろ淡々と、
周りの人々の様子を語っています。
美貌こそが、すべてを自分にもたらしたのだと。

http://www.parismatch.com/People/Alain-Delon-La-beaute-elle-etait-la-1436126#utm_term=Autofeed&utm_campaign=Echobox&utm_medium=Social&xtor=CS2-14&utm_source=Twitter&link_time=1515603594

まあたしかに、
若い頃のアラン・ドロンのハンサムさ加減は、
ちょっと現実離れしたいましたね。
このインタヴュー、
全部読んでみたいです。

2018年1月10日水曜日

フランス人は「陰謀論」がお好き

Fake news という表現が、
すっかり定着してしまった今日この頃。
もちろんほんとは、
とりわけ政治の世界では、
こんなもの問題外なのですが。

(そういえば、もう1か月ほど前ですが、
あの大統領が、
「おれは、『今年の顔』にどうだというTIME紙の打診を断った」
と言いましたが、
TIMEの編集部は、
そんな打診など、いまだかつてしたことはない、
とコメントしました。

http://www.bbc.com/japanese/42133684

彼のナルシシズムは、病的ですね。)

で、これは、フランスでのちょっと変わったアンケート。

https://www.rollingstone.fr/theories-complotistes-les-francais-de-plus-en-plus-credules/

フランス人の79%が、
少なくとも1つの「陰謀論」を信じ、
25%が、5つ以上の「陰謀論」を信じているという結果です。
また、若ければ若いほど信じる傾向があり、
また、前回の投票で、
メランションかルペン(つまり両極)に入れた層が、
信じやすい傾向だと。
そしてこの背景には、メディア不信があるという指摘もあります。

「陰謀論」というのは、つまり、思考停止でもあるわけです。
もうそれ以上考えなくてもいいわけですから。
結論を先延ばしにして、
わからないことをたくさん引き連れて歩くのは、
たしかに骨の折れることですが、
まあ、それをする以外にないのでしょう。

2018年1月8日月曜日

最初のラスト

さて明日から、
また授業が始まります。
とはいえ明日は「補講のみ」の日で、
通常の授業はないのですが、
わたしはまさにその「補講」 × 2なので、
明日からばっちり授業です。
しかも、大学院の「東京詩」を2コマ。
これは楽しいですが、
予習の時間もかかります。

たとえば、池袋を扱った詩に、
「想い出はサンシャイン60で」(山本博道)があります。
この詩の中には、
サンシャイン60から俯瞰されたもろもろ、
筑波山から伊豆半島から、
雑司ヶ谷公園、六つ又交差点、水道橋……
などが登場します。
で、以前は、これを地図ないし写真で確認していたわけですが、
今や、グーグルアースがあるので、
なんとも心強いです。
明日の授業では、この池袋と、
佃島が重要ポイントです。
佃島は、もちろん、あれです。

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佃渡しで            吉本隆明



佃渡しで娘がいつた
〈水がきれいね 夏に行つた海岸のように〉
そんなことはない みてみな
繋がれた河蒸気のとものところに
芥がたまつて揺れてるのがみえるだろう
ずつと昔からそうだつた
〈これからは娘に聴えぬ胸のなかでいう〉

水は 𪐷(くろ)くてあまり流れない 氷雨の空の下で

おおきな下水道のようにくねつているのは老齢期の河のしるしだ
この河の入りくんだ掘割のあいだに
ひとつの街がありそこで住んでいた
蟹はまだ生きていてそれをとりに行つた
そして沼泥に足をふみこんで泳いだ

佃渡しで娘がいつた
〈あの鳥はなに?〉
〈かもめだよ〉
〈ちがうあの黒い方の鳥よ〉
あれは鳶だろう
むかしもそれはいた
流れてくる鼠の死骸や魚の綿腹(わた)を
ついばむためにかもめの仲間で舞つていた
〈これからさきは娘にきこえぬ胸のなかでいう〉
水に囲まれた生活というのは
いつでもちよつとした砦のような感じで
夢のなかで掘割はいつもあらわれる
橋という橋は何のためにあつたか?
少年が欄干に手をかけ身をのりだして
悲しみがあれば流すためにあつた

あれが住吉神社だ
佃祭りをやるところだ
あれが小学校 ちいさいだろう〉
これからさきは娘に云えぬ
昔の街はちいさくみえる
掌のひらの感情と頭脳と生命の線のあいだの窪みにはいつて
しまうように
すべての距離がちいさくみえる
すべての思想とおなじように
あの昔遠かつた距離がちぢまつてみえる
わたしが生きてきた道を
娘の手をとり いま氷雨にぬれながら
いつさんに通りすぎる

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そんなことはない みてみな……

いいですね。

2018年1月6日土曜日

『ラスト・アサシン』

メラニー・ロランとチェッキー・カリョの組み合わせで、
DVDのジャケ写にエッフェル塔が写っいてるので、
それほどつまらなくはないんじゃないかと思って、
見てみたのが、

『ラスト・アサシン』(2011)

https://www.youtube.com/watch?v=mDnq089ePLw

原題は、Requiem pour une tueuse で、
「女殺し屋のためのレクイエム」です。

その「女殺し屋」はメラニー・ロラン、
彼女に仕事を与えるエージェントがチェッキー・カリョ、
というわけで、
やや『ニキータ』を思わせます。

なんというか、「ふつう」のエンターテイメントで、
特に「フランス映画」風のところもなく、
言ってしまえば、
見ても見なくてもどっちでもいいような映画でした。
メラニ・ロランはもきれいなので、
彼女を見せる映画だと考えれば、
まあそういうことなんでしょう。

2018年1月4日木曜日

Bamako

アイサ・マイガ繋がりでもう1本、

Bamako(2006)

を見てみました。

https://www.youtube.com/watch?v=K1tjoAOfeD0 ←全編版

これもまた、「ふつう」ではない映画でした。
主人公は、一応、メレという女性。
彼女はバーで歌う歌手です。
夫と、幼い子供がいますが、
夫とはうまくいっていません。
……とここまで書くと、「ふつう」の映画に見えるんですが、
実はちがいます。
この一家が、他の家族たちと一緒に暮らしている家、
その広い中庭は、なんと「法廷」になっています。
(比喩でも夢でもありません。)
で今日も、そこで裁判が行われているのですが、
訴えられているのは、
「世界銀行」と「IMF(国際通貨基金)」なんです。
なんだか、すごいです。
で、訴えの内容は、わたしには、共鳴できるものでした。
つまり、訴えられている2団体は、
金融グローバリストであり、
ネオリベであり、
ハゲタカであり、
新植民地主義者である、
そして彼らは、アフリカの富を奪い、
それをアフリカに還元するどころか、
奴隷状態的な労働条件を押し付け、
見殺しにする、と……。

映画では、ドキュメンタリー風に撮られたこの法廷闘争の場面が、
時間の大半を占めます。
明らかに、主題はこちらなのです。

この映画は、公開時、
フランスでの評価は高かったようです。
この作品は、法廷モノ、のつもりで見れば、
映画史上最大の「敵」を相手にしている、
とも言えるのでしょう。

Quand la ville mord

アイサ・マイガ主演の、

Quand la ville mord

を見てみました。

https://www.youtube.com/watch?v=3_mJPPxKEoI

原作は、Suite Noire という叢書(セリ・ノワールの弟という位置)
の内の一冊で、
映画のほうは、
この叢書から何冊かがテレビ映画化されたときの内の1本です。

コートジヴォワール人で、
マリのバマコから到着した若い女性二人、
サラといとこのジーナ。
サラは、バルベスで仕事をしながら、
画家になる夢を持っています。が、
2人が連れていかれたのは、
モントルイユの酒場。
そこで、パスポートを取り上げられ、
娼婦にさせられてしまいます。
そして3か月後、
すっかりヤク漬けになったジーナは、
親玉のオマールに殴り殺され、
それを知ったサラは、なんと復讐を誓い、
実際、オマールを殺してしまいます。
で、組織に追われる身となったサラは、
今度はほんとにバルベスに行き、
叔父を頼りますが、
パスポートなしでできるのはやはり娼婦だけ。
ただ、絵を通じて知り合った友達もできますが、
なかなかその世界には入ってゆけません。
そうこうするうち追手が現れ、
ただしまた今度も、半ば幸運から、
追っ手を殺してしまいます。
そしてさらに、自らアジトに乗り込み、
ワルたちをやっつけます……

この物語は、いわば新移民を食い物にする旧移民、
という構図です。
問題は、人種の対立ではなく、
同じアフリカ系の、新旧の間の搾取です。
こういう問題も、当然あるわけですね。

アイサ・マイガはきれいで、たくましく、
よかったです。
映画もまあ、おもしろいのですが、
1時間という短さなので、
説明不足も感じました。
印象的だったのは、
ヒロインがバスキアに憧れていたこと。
「彼はアフリカ人じゃない。
お母さんはプエルトリコ、
お父さんはハイチ出身でしょ?」
と友達に言われても、
そんなの関係ない、同じなの、
と答えます。
バスキアって、アフリカ系の画家志望のワカモノからは、
そんな風に見えることもあるんですね。

原作を読んでみようと思いました。

2018年1月3日水曜日

Ma caméra et moi

今年2本目は、
ジネディーヌ・スアレム主演の、

Ma caméra et moi (『わたしのカメラとわたし』)(2002)

を見てみました。


これはちょっと変わった映画でした。

主人公マックスは、生まれた時から、
撮影することに憑りつかれています。
とにかく、女の子も、神も、すべてを撮りたい。
周りからは、医者に行け、と言われながら、
でも大人になると、
撮影代行業を始め、
これで撮り続けても不自然じゃなくなります。
そんな時出会ったのが、盲目の女性、リュシー。
撮られていることに気づかない彼女は、
最高の被写体でした。
やがて、二人は恋に落ち、
さらに撮影は親密なものになりますが、
ある日、マックスは、彼女の変化に気づきます。
リュシーに、やはり盲目のカレシができたのです。
マックスは、二人のデートを撮影します。
ストーカーになって、部屋に忍び込み、
2人を撮影し続けるのです……

撮影するということ、
そして、撮影されるということについての映画、
を期待してみたんですが、
ストーリーは、やや情緒的でした。
それでも少しおもしろかったのは、
映像作家の究極の夢(?)であろう、
すべてを記録する、という行為に、
果敢に挑んでいる点。
そして、「食べる」という行為を、
撮影することのアナロジーにしているらしい点です。
まあたしかに、すべてを撮る(記録する)ことは、
食べることに似ているかもしれません。

主役がスアレムだという一点で見たのですが、
こういう映画もあるのね、という感じでした。
ちなみに、リュシー役を演じたジュリー・ガイエは、
以前、オランド大統領の愛人であることが発覚した女優さんです。

1970年

こういうのを挙げるのも、
ちょっとためらいますが、
まあ、懐かしさ優先ということで。

https://imagelink.kyodonews.jp/web-Sales/web/04_result_panel.html?command=search&viewtype=1&keyword=%E8%8A%A5%E5%B7%9D%E8%B3%9E%E5%8F%97%E8%B3%9E

下から3段目の、右端。
父親の受賞会見の時だったと思います。
新橋の、第一ホテルだったような。

2018年1月2日火曜日

『エリックを探して』

2018年最初の1本は、
ケン・ローチ監督の

『エリックを探して』

です。

https://www.youtube.com/watch?v=BTQSLn0c_7k

ワークング・クラスの中年ダメ男エリックが、
仲間の助けを借りて、
ふたたび人生に戻ってくる、という物語。
スリリングだし、
ハートウォーミングでもありますが、
根本的には、
solidarity の物語なのだろうと思います。
さまざまな仕掛けや、
大人の恋の行方や、
チンピラの動静など、
目を奪われる要素の多いのですが、
それでもやっぱり。

個性的で、おもしろい映画と思いますが、
あえて言うなら、
ちょっとおもしろ過ぎるかも?

(それにしても、
カントナのカリスマぶりには、
驚かされます。
奥様は、あのラシダ・ブラクニなんですよねえ。
不思議……)

2018年1月1日月曜日

Bonne année !

さあ始まりました、2018年です。
今日は午後にちょっとだけ外に出ましたが、
まあ混んでいること!
正月の雰囲気は味わえました。

そして今日の朝日新聞の「折々のことば」は、

『万葉集』は、何と「雑」の分類から出発する。(中西進)
でした。
そして、これに対する鷲田先生の解説によると、
この「雑」というのは、古代中国では、そもそも
五色の彩りが一つになる」とか、
「第一のもの」とかを意味するそうです。
決して、「その他もろもろ」みたいなことではないんですね。

出発点から「雑」であるというのは、
いいですね。