2020年3月25日水曜日

『息もできない』

2009年に公開され、
数々の映画賞を攫っていった、

『息もできない』(2009)

を見てみました。
約10年前ですが、
古い感じはまったくしません。

https://www.youtube.com/watch?v=UwVmV6-N2mU

主人公サンフンは、
高利貸しの暴力的な取り立て屋で、
絵にかいたような「チンピラ」。
ただ彼は、DVの父親を持ち、
その父の暴力が原因で、
母も妹も失くしています。
その父は、15年の刑期を終えて、
出所したばかりです。
そして、女子高校生ヨニがいます。
彼女の父親もまたDV男で、
母親はすでに亡くなり、
同じく高校生の弟と3人暮らしです。
ただ、父親は病んでおり、
終日テレビの前に座り、
自分の妻が亡くなったことを信じようとせず、
他の男と遊びまわっていると固く信じています。
また、ヴェトナム戦争帰りである彼は、
そのときもらった金の入った通帳に執着してやみません。
この二人、
サンフンとヨニが出会い、
そこに、ある心の繋がりが生まれ、
それがとりわけサンフンの再生の契機になるのではないかと、
観客は思うのですが……

印象に残ったシークエンスは、
サンフンが取り立てに行ったある家庭でのこと。
その家では、父親が母親を殴っている最中でした。
幼い二人のこどもは泣いていて……。
サンフンは、もちろんフラッシュバックがあり、
その父親、金を返せない父親を激しく殴打します。
そして、言うのです、

「韓国の父親は最低だ。
このザマなのに、
家族の前ではキム・イルソン気取りだ
おまえはキム・イルソンなのか!」

このセリフは、
サンフンやヨニの父親のような具体的な父親ばかりではなく、
韓国の家父長制度そのものを射抜いているのでしょう。
(むろん、韓国に限ったことではありません。)

サンフンの「兄貴」役を、
『傷だらけのふたり』
『哀しき獣』
『インサイダーズ』
などに出ていた、
チョン・マンシクが演じています。
落ち着いた演技で、映画が締まります。

<以下ネタバレ>

1つ、やや解釈に迷うシークエンスがありました。
それは、
ヨニの母親がまだ生きていたころ、
母親が切り盛りするらしい簡素な屋台が、
暴力団風の男たちに破壊されるシークエンスです。
母親は駆け寄り、
彼らを制止しようとし、
その勢いで包丁を振り回したところ、
それが一人の男の二の腕を傷つけるます。
母親はすぐに殴り倒され、
ヨニは、その一部始終を見ている、という流れです。
実は、この時きり付けられたのは、
サンフンなのです。
ここで顔ははっきり見えない(見せない)のですが、
集団のなかにサンフンの「兄貴」がおり、
また、これとは別のシークエンスで、
サンフンが着替えるとき、
彼の左の二の腕には、
たしかに切られた傷跡が残っているのです。
で、気になるのは、
ヨニはいつ、
それがサンフンだったと知ったのか、という点です。
結論としては、
ラストシーンで、ということなのだと思います。
というのも、そのラストでは、
偶然にもサンフンの下で働いていた彼女の弟が、
あることをきっかけにサンフンを殴り殺してしまった後、
暴力的取り立て屋になり、
仲間たちと駅前の屋台を破壊しているのですが、
その弟の姿をみとめたヨニには、
弟が、サンフンにも見えてくるのです。
2つの、父から息子へという暴力の連鎖が、
ここではっきり重なるわけです。
そして、屋台を壊す弟の姿の向こうに、
ヨニはサンフンを幻視し、
あの時のことに思い至るわけです。
このシークエンスでは、
過酷な連環が描写されているのですが、
それは、この幻視、そして気づきをこそ通して、
より強化されてゆくのでしょう。