2013年1月21日月曜日

追記

昨日ワカモノたちと「格差」についておしゃべりした、
と書きました。
その時も少し話題にしたことですが……

「格差」という語は、
もうずいぶんフツーに使われるようになっています。
(以前はほとんど耳にしませんでしたが。)
で、
この語が注目しているのは、要は「差」なわけですね。
今厳然と存在するこの「差」について、
多くの学者やジャーナリストなどが、
その処方箋まで含めて語っているわけです。

ただ「差」があるということは、
少なくとも2 つ以上の「階層」があるということ、ですね。
そうじゃなければ、「差」は発生しないわけですから。

日本では、さまざまな歴史的経緯から、
均質さに執着する傾向があるようです。
そのためでしょうか、
「階層」が存在し、
それぞれの「階層」がどんな価値観で生きているのか、
何を成し遂げようと、あるいは何を避けようとしているのか、
そんなことを問題にするのは、
躊躇してきた気がします。
(例外的な論者はたしかにいますが。)

「格差」という言い方がまさにそうで、
「差」というほとんど抽象的な事象にフォーカスすることで、
その背後にいる人間、生きている人間の生活と意見が、
背景にぼやけている(ぼやけさせている)のではないでしょうか。

フランスは階層社会だ、と言っても、
それは許容されるのだけれど、
日本人には、おそらくなかなかピンとこない。
それは日本が、まだフランスのような階層社会にはなっておらず、
しかも「階層」そのものに注目することは、タブーめいているからです。
(Qu'en pensez-vous ?)