昨日ワカモノたちと「格差」についておしゃべりした、
と書きました。
その時も少し話題にしたことですが……
「格差」という語は、
もうずいぶんフツーに使われるようになっています。
(以前はほとんど耳にしませんでしたが。)
で、
この語が注目しているのは、要は「差」なわけですね。
今厳然と存在するこの「差」について、
多くの学者やジャーナリストなどが、
その処方箋まで含めて語っているわけです。
ただ「差」があるということは、
少なくとも2 つ以上の「階層」があるということ、ですね。
そうじゃなければ、「差」は発生しないわけですから。
日本では、さまざまな歴史的経緯から、
均質さに執着する傾向があるようです。
そのためでしょうか、
「階層」が存在し、
それぞれの「階層」がどんな価値観で生きているのか、
何を成し遂げようと、あるいは何を避けようとしているのか、
そんなことを問題にするのは、
躊躇してきた気がします。
(例外的な論者はたしかにいますが。)
「格差」という言い方がまさにそうで、
「差」というほとんど抽象的な事象にフォーカスすることで、
その背後にいる人間、生きている人間の生活と意見が、
背景にぼやけている(ぼやけさせている)のではないでしょうか。
フランスは階層社会だ、と言っても、
それは許容されるのだけれど、
日本人には、おそらくなかなかピンとこない。
それは日本が、まだフランスのような階層社会にはなっておらず、
しかも「階層」そのものに注目することは、タブーめいているからです。
(Qu'en pensez-vous ?)