2012年5月1日火曜日

『明日は遠すぎて』


日本の優秀な学者の書いた本には、
教えられるところが多いのはおもちろんです。
ただそれとは別に、
内側から響いてくる声というものもあり、
それはまた別の種類の何かをもたらしてくれます。

最近刊行された
『明日は遠すぎて』(チママンダ・ンゴジィ・アディーチェ・くぼたのぞみ訳)
は、ナイジェリアの内側からの声が響いていて、
引き込まれました。

http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_ss_i_0_3?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%96%BE%93%FA%82%CD%89%93%82%B7%82%AC%82%C4&sprefix=%96%BE%93%FA%82%CD%2Cstripbooks%2C254

アディーチェは、1977年、ナイジェリア・エヌグの生まれ。
19歳でアメリカに留学しています。


『明日は遠すぎて』は、彼女の3 冊目の邦訳です。
この本は短編集で、それぞれに工夫された、
しかも現実感覚に裏打ちされた設定で、
決して抽象に堕ちず、絡まり合う現実の綾を丁寧に、
指先で触れるように辿ってゆきます。

たとえば、結婚式に関して意見の対立するナイジェリアの母娘、
アメリカの大学町での、留学生と不法滞在者の交流、
ナイジェリアのOLが、ある金持ちの愛人になり、
その男を見つめ、見つめるうち自分をも見つめることになる経験、
あるいはアメリカで、
ナイジェリア出身の留学生が、ユダヤ人家庭でベビーシッターを務めたり。
翻訳もとても読みやすいです。
著者と訳者の波動がシンクロしているかのようです。

その訳者であるくぼたさんのブログに、こんな贈り物が!

http://esperanzasroom.blogspot.jp/2012/03/blog-post_29.html

ナイジェリアの内側からの声。
ラゴスの埃っぽさは、なんとも魅力的でした。