2018年7月6日金曜日

倉石信乃詩集・『使い』

総合文化教室の尊敬する同僚である倉石さんは、
なんと言っても日本を代表する写真評論家であるのですが、
実は倉石さんには、主演映画もあります。

http://www.hikarie8.com/court/2018/05/post-246.shtml

おお、カッコイイですね!

で、そんなマルチな倉石さんが、
ついに!
待望の詩集を発表されました。
『使い』です。

https://www.amazon.co.jp/使い-倉石-信乃/dp/4783736030/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1530802765&sr=1-1&keywords=%E5%80%89%E7%9F%B3%E4%BF%A1%E4%B9%83

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たとえば朝が早く訪れるとき
郵便受けが小さく鳴って そこまで歩くとき
鳴ったのか 気配でわかったのか
空耳だった 音がして 家の入口まで歩くとき
空耳はない 空耳は空耳
いちばん最後の距離
ぜんぶの終わりの家の残り
もうない 残りはない
それでもまだ 距離を測ってばかり  (「ホームシックネス」より)

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雑駁な感想しか書けないのですが……

わたしたちは、言ってみれば、
さまざまなアンビヴァレンスに囲まれて生きています。
そのことを、ほとんどいつも見落としながら。
ここで詩人は、
そうしたものどもに目を見開くだけでなく、
アンビヴァレンスをそのまま飲み込み、
さらには、
いくつものアンビヴァレンスが生成、
あるいは増殖する「時間」を滑り続けるように見えます。
そこで感情は、
輪郭のない影のように、
立ち上がっては溶け、
散ってはまた収斂してゆくようです……