2人の監督に対するインタヴューが載っていました。
ーなぜシャトー・ドー?
セドリック・イド
アフリカ系のぼくとモディにとっては、
ここはずっと馴染みの街だったし、神話の街だからね。
もちろん、ぼくたちにとってだけ、というわけじゃないけど。
シャトー・ドー駅周辺のいくつかの通りでは、
さまざまなジャンルの音楽、ダンス、
そして流行のファッションなんかが生まれてきた。
ここで生まれた文化は、とてつもなく影響力があるんだけど、
それはアフリカで生まれ、
ディアスポラによって拡散されたものなんだ。
モディ・バリー
ここは間違いなく、パリの中心部にありながら、
真に庶民的と言える最後の街さ。
もちろんこの街には、暗い面もある。
でも今回はコメディーを選んだわけで、
だからぼくたちは、悲惨主義(misérablisme)に陥ることなく、
この街の陽のあたる面を描いたんだ。
ここに暮らす人たちのヴァイタリティーが、
ぼくたちをそういう方向に仕向けたんだね。
僕たちが描きたかったのは、
このパリの片隅の街が持つ創造性、
そして溢れるほどのエネルギーだったんだ。
またこれ以外にも、
冒頭でかかるジョゼフィン・バケールの Paris...Paris が、
Djibril Diop 監督の Touki Bouki への暗示であること、
そこではセネガルの若者がパリを夢見ていたこと、
シャトー・ドーにいる人たちの大半が不法移民で、
かれらが着飾ったりいい時計をしたりするのは、
それによって、かつて「夢見られたパリ」を表現していること、
映像的には、70年代の深作欣二監督
(てつまり、『仁義なき戦い』シリーズですね)
の影響を受けていること、
などが語られていました。