2024年8月25日日曜日

納涼祭

地元のコミュニティが開催する納涼祭に、
住んでいるマンションとして「射的」の店を出すことになり、
今年は順番で理事の一人となっているわたしも、
一日がかりで手伝いました。

コロナで数年間途絶えていて、
今回は、久々の復活です。
(やってもいいけど手伝えませんから、
みたいな団体もいたんですが、
コミュニティの会長たちの強い意向で開催が決まりました。)

射的は人気があるので、
絶えず子供たちや家族連れがやってきて、
忙しかったです。
わたしは銃の使い方を説明する係なんですが、
小さな子供の場合、そもそもレバーを引き上げる力がないので、
それも手伝ってあげます。

小さい子たちはみんな可愛いですが、
特に女の子たちは、
浴衣を着ておしゃれして、嬉しそうです。
アフリカ系の元気な女の子(小3)のファティマとも、
仲良くなりました。
(4回も5回もやりにくるので!)

そういえば、
ファティマのお母さんなのか、
アフリカの民族衣装の女性も来ているし、
和太鼓チーム20人の中には、
白人の男女が交じっているし、
わたしたちの射的のとなりは、
中東系の夫婦がやっているケバブのキッチン・カーだし、
わがマンションの理事の一人は中国(しかも大連出身!)の方だし、
東京郊外の納涼祭も、
一昔前とは雰囲気が変わっていて、
いいなあ、と思いました。

汗だくで、すご~く疲れましたが、
やっぱり子供たちは可愛かったです!

『座頭市鉄火旅』

シリーズ第15作、

『座頭市鉄火旅』(1967)

を見てみました。
監督は、シリーズ3作目の安田公義です。

物語の骨格は、まあいつも通り、なんですが、
ひと味違うのは、
一人の鍛冶屋(東野栄二郎)が登場すること。
彼は、かつて刀鍛冶でしたが、
一流になった途端、
「お定まりの酒と博打」で破門となり、
その後は妻と赤子を連れて放浪。
そしてやっと、今いる土地の庄太郎親分のおかげで、
なんとか生活を持ち直し、
それ以降20年、鋤や鍬を作って生計を立てていました。
が、
心の奥底には、刀鍛治としてのアイデンティティが眠っており、
ある日、座頭市の技を見た時に、
そのアイデンティティがはっきりと目を覚ましたのでした。

この鍛冶屋が、座頭市を仕込み杖を触り、
もう寿命が来ている、と告げることが、
物語の大きな転換点になっています。

というわけで、
わたしは気に入りました。

2024年8月23日金曜日

『座頭市海を渡る』

シリーズ第14作、

『座頭市海を渡る』(1966)

を見てみました。
監督が池広一夫なので、
ちょっと心配だったんですが、
意外に(?)よかったです。

まず「海を渡る」というのは、
海外へ、ということではなく、
ここまでの舞台がみんな関東だったのに対し、
今作は四国が舞台になっているということです。
今まで、あまりに多くの人を斬り、多くの血を浴びてきた市がが、
その償いのために、お遍路に出かけるのです。

おもしろかったんですが、
やはり池広的な部分はそこここにあって、
例えば冒頭、市が切った相手の手首が禍々しく映し出されたり、
ワルモノが、今までのヤクザではなく馬賊(馬を乗り回す盗賊)で、
すごく西部劇チックであると同時に、
(もちろんここまでの作品にも、西部劇的な諸々はありましたが)
衣装の醸す雰囲気が妙に下品だったり、
唐突に「由美かおる」的な「サービス・シーン」があったり、
間延びさせないためなのでしょうが、
1つのバックストーリーを語るために、
3つの、時間帯の異なる場面をつないでみたり。

ただ、これはむしろ脚本の功績かもしれませんが、
ここまでの作品にはなかった要素が、
かなり強調されていました。
それは、村人たちのズルさです。
彼らは、自分たちを助けようとする座頭市を見殺しにし、
彼が悪者をやっつけてくれれば儲け物、
仮に殺されても実害はないし、
みたいな地点から、ことの成り行きを見守っています。
自分たちの村の存亡がかかっているのに!

今回は、池広のエンタメ精神が、
比較的うまく作用したと感じました。
でもまあやっぱり、
静けさは、ちゃんと描けていなくて、作り物っぽい。
この監督は、静けさが分かってないと思います。


2024年8月21日水曜日

Alain Delon

アラン・ドロンがなくなりましたね。
晩年は極右になって、
わたしも彼の活動を追いかけることはしませんでしたが、
ある時期スターだったことは、事実です。

今思い出してみて、
一番印象に残っているのは、
『太陽がいっぱい』のすぐ後に公開された、

『若者のすべて』(1960)

かな。
若きヴィスコンティの作品で、
映画そものものよかった。
確か大学生の頃、試写を劇場でみたんですが、
すぐ近くに、田中小実昌がいたのを覚えています。

そしてこれは有名なエピソードですが、
死刑宣告を受けたこともある「本物のワル」であるジョゼ・ジョヴァンニ
(彼は小説家や映画監督としても有名)
が、アラン・ドロンについて、
「あいつの目は、本物の悪党の目だ」
と言っていたことです。

大昔、パリの大きな通りの横断歩道を渡っていた時のこと、
先頭に、すごく大きくて真っ黒のシトロエンが止まっていました。
歩道を渡りながらふと車の内部を見ると、
助手席にアラン・ドロン!
あ! と思って2.3歩戻ると信号が変わり、
彼はニヤッと笑って風のように走り去りました。

また別の昔、
アラン・ドロンが来日した際、
大学院の女性先輩が通訳として付き添うことになりました。
サインもらってきて!
いいよ!
となったんですが、
ごめん、まったく言える雰囲気じゃなかった、
という結末。
彼女曰く、
ずっとピリピリしてたと。
何か仕事のことがあるのかもしれませんが。

高校生の頃は、
ベルモンドよりアラン・ドロンが好きで、
『暗黒街の二人』
『個人生活』
『ブーメランのように』
などは、劇場で来た記憶があります。
『個人生活』は、
むしろシドニー・ロームの方が印象に残りましたが。
そうそう、あれは中学の時、友達と
『さらば友よ』
を見に行ったのを思い出しました。
新宿ミラノ座でした。
ただ、今確認したら1968年となっているので、
リヴァイヴァル上映だったんでしょうか。
当時はそういうのも多かったです。

『冒険者たち』(←原作ジョゼ・ジョヴァンニ)は、
昔見てまあまあだと思ったんですが、
その20年後くらいに見直したら、
ぜんぜん退屈で、
自分の感想の変化に驚いたことがあります。

逆に『サムライ』は、
のちに見直した時も、割といいと思いました。
メルヴィルだしね。
クルマを盗むシーンで、
鍵たばから順に1つずつ試していくシーン、
印象的です。

ああ、なんだか、
そんなつもりなかったのに、
いろいろ書いてしまいました。
結局、たくさん見てるんですね。
やっぱり、スターはスターですね。
(極右は嫌ですけど。)

ICHI

ちょっと気分転換に、
主人公を女性に変えたリメイク作品、

ICHI(2008)

を見てみたんですが、
これ……
申し訳ないですが、ひどい。
半分見るのがやっとで、そこでやめました。
400円払ったんですけど!

まず、時間の管理が緩すぎる。
どの役者にも魅力がない。
セリフは説明的。
殺陣になってない。
衣装がバカっぽい……

直前に見た『座頭市の歌が聞こえる』に比べると、
その駄作さ加減が際立つようでした。

『座頭市の歌が聞こえる』

シリーズ第12作、『座頭市地獄旅』はすでにみたので、
今回は第13作、

『座頭市の歌が聞こえる』(1966、5月)

を見てみました。
監督の田中徳三は、シリーズ3作目です。

ヤクザなんかいなくて平和、と言われていた町に、
理不尽で横暴な親分たちが入りこみ、
人々を苦しめています。
この町に、
死に際の男性から預かったお金を届けにきた座頭市。
騒動に巻き込まれてゆきます。

よかったです。
第1作以来の登場となる天知茂も、
彼の元妻で、今は「女郎」となった小川真由美も、よかった。
画面の燻したような質感も、
シルエットを生かした演出も、
見ていて安心でした。
田中徳三、いいです。

2024年8月19日月曜日

『座頭市逆手斬り』

シリーズ第11作、

『座頭市逆手斬り』(1965、9月)

を見てみました。
監督は、第2作目、
『続・座頭市物語』の森一生です。
で、期待したんですが……

これは、デキが悪かったです。
まず、物語そのものがギクシャクしていて、
だいぶ見づらい。
また、座頭市の行動のモチヴェーションが低く、
映画に緊張感がありません。
いい役でキャスティングされた藤山寛美も、
変化をつけようとしたのは分かりますが逆効果。
(以前、中田ダイマル・ラケットが滑っていたように。)
さらに、演出も単調で、
意味なく引きのカットを見せ続けたり、
唐突に大音量の音楽が始まったりと、
何というか、ボロボロでした。

有名監督にも、駄作はあるという……

『座頭市二段斬り』

シリーズ10作目、

『座頭市二段斬り』(1965、4月)

を見てみました。
監督は井上昭。
坪内ミキ子が、シリーズ3度目の登場です。

座頭市が、自分のあんまの師匠を5年ぶりに尋ねると、
なんと師匠は殺され、
かつては小さかった娘が、
ヤクザの牢屋に閉じ込められ、
遊女にさせられそうになっていました。
そこに、
頼りない壺振りとその幼い娘(小林幸子)が絡みながら、
座頭市は、
郡代と組んだヤクザと戦います。

よかったです。
11歳という小林幸子の存在がよく効いていて、
おもしろく見られました。
ただ、
ストーリー説明上の必要からか、
ヤクザたちが「女郎」たちを手荒く扱う場面が何度かあり、
それがやや激しすぎた気もしますが。
ただそこには、
社会的な制度に対する怒りみたいなものも、
確かに感じられました。

やっぱり、子役が、
でしゃばりすぎない程度に上手く使われると、
風通しが良くなりますね。

2024年8月18日日曜日

『地面師』

ネトフリの日本のドラマ、

『地面師』

を見てみました。
7話完結なので、見やすい長さです。

結論から言うなら、70点、かな。
ギリギリB、という印象です。
一応最後まで引っ張られてみてしまうのですが、
映像的な魅力はあまりなくて、
人物は自分の内面を説明し、
あまりに都合のいい偶然が何度も起きます。
地面師グループ内には、キャラが被る人物がいて、
一方女性刑事の対応はとても不自然。
ただそれでも見てしまうのは、
サスペンスだけは作れているからなのでしょう。

一箇所だけ、ストーリーに関係なく「おお!」と思ったのは、
勤務先の大学が近い向ヶ丘遊園の駅前が一瞬登場し、
しかも、明治のスクール・バスまで写り込んでいた場面です。
(第3話の16分あたり。)
たま〜〜に、
夜飲み会があってクルマでクルマで行けないようなとき、
そのバスを使います。
そこが一番盛り上がりました!(それじゃダメじゃん!)

2024年8月16日金曜日

『座頭市関所破り』

第9作です。

『座頭市関所破り』(1964、12月)

監督は安田公義。
つまり、ここまででは一番デキが「?」だった、
第5作『喧嘩旅』の監督なので、
心配しながら見始めました。

でもそれは杞憂で、
ふつうにおもしろく見られました。
冒頭、中田ダイマル・ラケットが、
あれはなんなんでしょう、
縁日なので踊りなどを見せてお金を稼ぐらしい人たちを演じていて、
そこは「試み」だったんでしょうが、
完全に浮いていましたが、
それ以外は、
座頭市の父親? と思わせる老人も、
兄思いの妹も、
丁寧に描かれていて、よかったと思います。
特に老人の敗残感は、好感が持てました。

第5作がイマイチだったのは、
監督というより、脚本だったのかなと思いましたが、
それを担当した犬塚稔は、
第1作なども書いていて……

第5作だけ謎ですが、
まあ、同じ監督でも、
でき、不出来はありますからね。




Martina Navratilova maman à 67 ans !

67歳でママに!?
往年の名選手にして、
レスビアンであることを公言している、
マルチナ・ナブラチロワ。


67かあ!

2024年8月15日木曜日

8月15日

わたしが予備校に通っていた頃、
飛び抜けて人気のある英語の先生がいました。
たまたまわたしのクラスは、
彼の授業がもともと組み込まれてい単ですが、
その授業だけは、
大量のモグリ
(と言っても同じ予備校の生徒なので、特に問題ないんですが)
が発生したものです。

彼はの授業は確かにたくみで、
イディオムの整理の仕方もうまかったと記憶しています。
また雑談も、エンタメとしてのおもしろさはありました。
その時代なので、今ならアウトの下ネタも結構ありましたが。

彼の話の中で、
1つ、とてもよく覚えているものがあります。
田舎育ちの彼が、
戦争中のある日、田んぼの間の小道を歩いていた時のこと、
遠くから爆音が聞こえ、
それがみるみる近づいてきたのです。
彼は走って逃げましたが、
まるでドラマみたいに、道の真ん中で転んでしまいました。
爆音は近づき、もうだめだ、と思ったそうです。
そして振り返ると、
B29が、自分目掛けて降下してきます。
彼は身動きできず、
じっとB29を見つめました。
「目が合ったんだよ、パイロットと」
そしてB29は、高度を上げると、凄まじい轟音と共に、
彼の上を飛び去って行ったのです……

田舎の少年1人を撃ち殺しても、
戦争の帰趨に影響はないでしょう。
ただそんなことより、パイロットは人間だった。
そのパイロットのおかげで、
わたしたちはその先生の授業を受けられたわけです。

それにしても、
もっと、もっと早く降伏していれば、
何十万という命が救われたのに、
と思わずにいられません。
もちろん、そもそも開戦しなければよかったのですが、
せめて、インパール作戦の前に。

『座頭市血笑旅』

今日は第8作、

『座頭市血笑旅』

を見てみました。
監督は、第1作『座頭市物語』、
そして『地獄旅』や『血煙り街道』の、三隅研次です。
考えてみればこれら3作は、みな傑作です。

今回の作品は、
座頭市と間違われて殺された母親が残した赤ん坊を、
父親のところに届ける、という物語です。
もちろん座頭市には、彼の命を狙うものたちが襲い掛かります。
ただそれと並行して、
座頭市の、今までほとんど見せたことのなかった、
赤ん坊への愛情が描かれてゆきます。
赤ん坊との交流の中で、
「こんなに幸せだったことはなかった」
とさえ、彼は言うのです。
ちょっとした「セイブ・ザ・キャット」どころではないのです。

映画は、よくできていました。
わたしには、やはり、池広監督より、
三隅研次の方が遥かにいいと感じられます。
座頭市もまだやめませんが、
三隅研次の作品も見てゆきたいと思います。
今まで、この辺の日本映画はあまり見ていないので、
勉強になります。
今年の夏休みのテーマはこれかな!?
(まあ、フラ語本の仕事も毎日やってますけど!)

イスラエル国民は

授業では、
「国家」と「国民」を分けて考えるようにと言いますが、
では、今回の新生児たちへの爆撃した国家について、
イスラエル国民たちはどう考えているのか?
反戦運動などはないのか?
という気になります。
もちろん、まったくないということもないのでしょうが、
今日のフランスのニュースによれば、
去年の10/17以来、
イスラエル・メディアでは、
パレスチナの人々の映像はほぼまったく流されていないらしいのです。
ガザの街々の破壊、
死体、傷ついた人々、
そして今回のような虐殺も。

権威主義国家は、メディアを牛耳ることで、
自分たちに都合のいい方向に国民を押し出します。
ここでもまた、その常道が繰り返されているわけです。

外国からの圧力が、どうしても必要なのに、
アメリカ政府も、ドイツも政府も……

『眠狂四郎 女妖剣』

KADOKAWAチャンネル(2週間のお試し中)にあった、
池広一夫の作品、

『眠狂四郎 女妖剣』(1964、10月)

を見てみました。
主演は市川雷蔵。
久保菜穂子にとっては、昨日見た『座頭市あばれ凧』(わずか3ヶ月前)の、
次回作ということになります。
今回はキリシタンの「聖女」なので、
役柄はずいぶん違いますが。

結論から言うなら、
B級、という感じでした。
「無頼の徒」というアイデンティティを生きる狂四郎には、
これといった屈折が感じられません。
池広監督得意の血飛沫は何度かありますが、
別にどうということはありません。
そして今作は、いわゆる「エロ」場面が満載です。
まあ64年ですから、映像的にはなんてことはないですが。

というわけで、やはり「エンタメ」を撮る監督なんだなと感じました。

「生後4日の双子が空爆で死亡」

こんなこと、起きていいはずがない。



『座頭市あばれ凧』

今日は第7作、

『座頭市あばれ凧』(1964年7月)

を見てみました。
前作から4ヶ月です。

監督は、前作同様、池広一夫です。
(ただ撮影監督は代わっています。)

始まってすぐ気づくのは、
出演者たちの名前のフォントが、
以前のような、荒々しい筆書きに戻っていることです。
(前作のみ、活字体でした。)
どういう経緯かはまったくわかりませんが、
戻そう、という意見があったのでしょう。
そして全体的なトーンも、
前作より落ち着いたものとなり、よくなっていました。
(障子に血飛沫がパッと広がる、みたいな、
派手な演出はやっぱりありますが。)
物語の運びのテンポの良さは前作通り。

終わらせ方は、
1〜6作とは違って、
街を去ってゆく座頭市、みたいなものではありませんでした。
これは、90分以内に終わらせようってこともあるのかもですが、
こういう終わりもあってもいいかもとは感じました。

座頭市シリーズは、
同じキャラの物語なのに、
監督が違うとずいぶん違った映画になります。
監督、そして撮影監督の仕事がどんなものなのか、
正確に言葉にするのは難しいですが、
感覚的にはかなりわかる気がします。

2024年8月13日火曜日

『座頭市千両首』

座頭市シリーズ第6作、

『座頭市千両首』(1964・3月)

を見てみました。
前作の公開からたった3ヶ月半、
東京オリンピックの年の作品です。
監督は、池広一夫です。

全体としては、十分おもしろかったです。
物語も緩みがないし、
見せ場はあるし、
いい感じの映像もそこここにあるし。

ただ、
音楽がややうるさい時があったこと、
前衛舞台風のオープニングがやや場違いなこと、
斬り合いの最中、編集で入れたクロース・アップが安っぽくて、
(テレビ・ドラマ的安っぽさで)
かえって興醒めになること、
などが弱点かと感じました。
まあ、派手にしようとしてるのは分かりますが、
座頭市的静けさを、もっと大事にしていたら、
これはかなりいい作品になっていただろうと思います。
社会主義的とも言えるような価値観もあり、
そこは共感できたところです。

2024年8月12日月曜日

『座頭市喧嘩旅』

座頭市シリーズ第5作、

『座頭市喧嘩旅』(1963)

を見てみました。
監督は安田公義です。

この作品は、
ちょっと笑っちゃうような場面や、
もちろん派手でスピード感のある場面などもあるんですが、
少し重い気がしました。
その最大の理由は、
出てくる2人の女性たちが、
一方はルックスのいい、けれども浅知恵の小悪党で、
もう一方は、自分では何もできず、他人に頼ることしかできないお嬢さん、
という描かれ方をしているからです。
63年で、しかもヤクザ映画ですから、
家父長主義に貫かれているのはまあ、そういうものだとして、
ただそれにしても、
女性たちの描かれ方に、やや悪意さえ感じました。
ミソジニーと言っても良さそうです。
そう、愛が足りない、という感じでした。
第1〜5作の中では、一番デキが悪い気がしました。

ワカモノと

今日もまたカフェに行って、
カバンを席に置いて、
飲み物を買って席に戻って座ろうとすると、
ふと、
隣のテーブルに置かれている新書が目に入りました。
なんと、
まさに今わたしが読んでいるのと、同じ本を読んでる!
その席の人は今いないのですが、
テーブルの上の持ち物から、
学生の気配。
どうかな?

戻ってきたのは、
やはり学生風の男子(と言われるカテゴリーに見える人)でした。
そして彼が帰る時、
同じ本を読んでるんだよ、
という感じで話が始まり、
15分くらいでしょうか、
おしゃべりしました。
大学3年で、専攻は哲学。
大学院を視野に入れているとか。

話を聞いていると、
わたしが大学3年だった時より、
はるかにしっかりしています。
頼もしいです!

まだまだ先は長いですが、
いい研究者になってくれることを祈っています!
陰ながら応援しています!

『座頭市 兇状旅』

というわけで、「座頭市」第4作、

『座頭市 兇状旅』(1963)

見てみました。
監督は、『新・座頭市物語』の田中徳三です。

今回の座頭市は、
アクションシーンで、
かなり大勢の敵に囲まれます。
その大群を切り裂くように彼は進み、
目指す浪人の前まで進み出て……と展開します。
なかなかの見せ場です。

そして実は、
シリーズの第1作で登場し、
座頭市に向かって嫁にしてくれと頼んだ女性が、
第2作に続き、3度登場します。
(なのでもしもシリーズを見る場合は、
とりあえず1〜4までは、順番通りに見るといいと思います。)
この「おたね」という女性(万里昌代)は、なかなかいいです。
江戸時代にあって、どうしようもなく状況に振り回されるので、
「いい」というのは語弊があるかもしれませんが、
魅力的な人物です。

で、この映画もおもしろかったんですが、
1つ不満点は、
座頭市と対決することになる浪人のキャラに、
陰影が乏しかったこと。
単純で、可愛げのない悪役です。
彼にもっと屈折があれば、さらに良くなったと思います。


2024年8月9日金曜日

「決めセリフ」集 春に!

「ふらんす」で連載している「決めセリフ」シリーズですが、
春には、あれを5倍くらいに膨らませて、
本にする企画があります。
で、夏休みに入り、
連載以外の部分を書き進め始めました。
まあ、こちらの量の方がはるかに多いので、
夏休みにどこまで進められるか、
という感じですが、
楽しくやっています。

「決めセリフ」集でありながら、
どうしても(?)読み物風になっちゃうんですが、
ご期待いただければ嬉しいです!

なぜか「座頭市」

なぜか、昼ごはんの後などに、
つい「座頭市」を見てしまいます。
もう一回整理すると、

『座頭市物語』        (1962)第1作 三隅 研次監督
『続・座頭市物語』     (1962)第2作    森 一生監督
『新・座頭市物語』     (1963)第3作  田中 徳三監督

『座頭市 地獄旅』     (1965)第12作 三隅 研次監督
『座頭市 血煙り街道』(1967)第17作 三隅 研次監督

ここまで見ました。
三隅 研次監督作品の撮影は、
すべて牧浦地志です。

この中では、1と17が特に良かったですが、
3もなかなかよかった。12も良かった、って、
ほとんど良かったことになります!

アマプラとDVDで見てるんですが、
もう少し続けましょう。

ちなみに、以前全作品をみた「兵隊やくざ」シリーズが始まったのは、
1965年です。


勝新、大忙しですね。

2024年8月7日水曜日

ワルツ副大統領候補

ハリス候補が、
誰を副大統領候補に選ぶのか、
とても注目されていましたが、
ワルツ氏が選ばれました。
ミネソタ州知事だそうですが、
わたしは、候補者のリストに名前が上がるまで、知らない人でした。
で、この演説です;


さすがアメリカの知事。
とてもいい演説で、なんというか、嬉しくなりました!




2024年8月6日火曜日

8月6日

26分過ぎあたり、衝撃的です。

『ひろしま』(1953)

2024年7月31日水曜日

「イスラエルに「厳罰」を与える」

このタイミングで、
ハマスの最強指導者が、イラン領内で殺害されました。


別のニュースによると、ハメネイ師は、

「シオニスト体制(イスラエル)は我々の家で客人を殉教させ、
自ら厳しい処罰への下地を整えた」

と語ったとされています。

イランが攻撃してくる可能性が高いことは、
何もモサドに聞かなくても分かります。
分かった上で、(おそらく)イスラエルはやったと。
となるとその意図は?

イランに攻撃させて、
自分たちの正当性を主張する?
ガザを占領する理由を作る?
解決しないのをハマス側のせいにする?

なんにせよ、嘆かわしい限りです。

トルコ大統領、イスラエルの戦争に介入示唆

もともとイスラエルに批判的だったエルドアンですが、
ここまで言うとは。


パレスチナ問題、
拡大する一方です……

ハリスに期待できるんでしょうか……?

2024年7月28日日曜日

マジュダルシャムス村

今見かけたこのニュース、

イスラエル占領のゴラン高原に攻撃で11人死亡 



ヒズボラに爆撃された(とイスラエルが主張する)のは、
ゴラン高原にあるマジュダルシャムス村。
ここは、あの『シリアの花嫁』の舞台になった村です。


もう10回以上は見た映画なので、
知らない場所である気がしなくて、特に切ない気持ちがします。
ただ、
確認しておかなければならないのは、
この村を含むゴラン高原は、
1967年以来、イスラエルによって「占領」されている土地だ、ということです。
イスラエルは、
あたかも自分の領土が攻撃されたかのように話していますが。

『シリアの花嫁』は、RakutenTV で配信中のようです。
(登録料なし。レンタル料だけ。)

追記:

マジュダルシャムスの地元当局は28日、
死亡した子ども12人はいずれもイスラエルの市民権を持っていなかったと指摘した。」

つまり、全員アラブ系の子供たちですね。
彼らをヒズボラが攻撃するんでしょうか?
ヒズボラはイスラエルの誤爆だとしています。
真相はまだわかりません。
ただ、イスラエルはヒズボラの拠点への空爆を開始しました。


2024年7月26日金曜日

The Obama call Kamala

オバマ夫妻から、カマラ・ハリス副大統領への電話。


いい雰囲気になってきたと思います!
あとは、ガザへの態度ですが……。

クーリエ・ジャパンによれば、
ネタニヤフとの会談後、
彼女は……

ハリスは会見で、ハマスを糾弾し、
イスラエルには自衛権があると認めつつも、
ガザの惨状は看過できないとし、こう述べた。 「その苦しみに対してわれわれが無感覚になることはできず、
私は黙っていません」

早く早く、イスラエルを止めて。

 『座頭市物語』『座頭市 地獄旅』

先日見た「座頭市シリーズ」17作、
『座頭市 血煙り街道』(1967)が素晴らしかったので、
シリーズの中でも、
同じ三隅研次監督&牧浦地志撮影、の2作品を見てみました。

『座頭市物語』(1962)第1作
『座頭市 地獄旅』(1965)第12作

中学生の頃以来なので、何年振り……?
でも、
特に『地獄旅』の方の、
成田三樹夫扮する浪人と座頭市の「目隠し将棋」のシーンは、
記憶の中の映像とほぼ同じでした。
(ただし、白黒だったような気がしていました。
というか、白黒の小さなテレビで見たのかも。
自分用の、ほんとに小さなテレビ、持ってたんですね。)
この映画では、ショットの奥行きが、
度々強調されていました。
また、女性が好意を示した時、
「俺は泥なんだ。俺に近づくと泥を浴びる……」
と言う座頭市は、
幸福を禁じられた存在として、際立つものがありました。

『座頭市物語』は62年ということで白黒で、
なんというか、レンブラントみたいな陰影でした。
ここでも(というかこちらが先ですが)、
やはり女性が好意を示しますが、
市はそれを跳ねつけます。
もちろん、相手を思ってのことです。

そして!
この両作に登場する女性はともに「おたね」です。
そこには、遠い響き合いが(はっきり)あります。

ただ、ここまで見た3作の中では、
『血煙り街道』が一番良かったかな。
もっと見たいです。



Bose QuietComfort Ultra Earbuds

新しいイヤフォンを買ってみました。
今までは、
SONY の、真鍮の、BA方式のものを使っていて、
それはそれで気に入ってたんですが、
周囲にノイズがけっこうある場合、
それがかなり邪魔になるのが難点でした。

で、
初めて、
ノイズ・キャンセリングのイヤフォンを買ってみようと思い、
どうせならいいものをということで、
「世界最高レベル」のノイキャン、
を謳っている、

Bose QuietComfort Ultra Earbuds

を買ってみました。
(高いです。3万円越え!)

このイヤフォンのノイキャン、
想像以上でした。
ノイキャンが始まった瞬間、
す~っと、周囲の音のレベルが下がります。
自宅の部屋の引き戸を開けたとき、
まったく音がしなかったので、びっくりしました。

もちろんゼロにはなりません。
カフェなんかだと、
しゃべってるな、とは分かるんですが、
何を言っているのかは全然聞き取れないくらい、音は小さいです。
特に低い音をキャンセルするのが得意だということですが、
たしかにそうでした。
逆に言うと、
たとえば、隣の席の人が、
スプーンで、ざらざらのお皿を擦る音なんかは、
すごくはっきり聞こえます。
そういうタイプの音もあるわけです。
でも概して、
3段階くらい、音が下がる印象です。

値段は高いなあとは思いますが、
この技術はすごい、とも思いました。
そういう意味では、高くないとも言えそうです。

2024年7月22日月曜日

前期授業終了

ふ~という感じで、
(まあ暑いからっていうのも大きいですが)
前期の授業が終了しました。
この後も、いくつか大学の業務はありますが、
一応一区切りです。
(で、採点が終わればもう一区切りですが、これはまだ先。
というのも、レポートの締め切りを遅めに設定したので、
提出されるのがその分先になるからです。)

ある授業で、
こちらが説明していても、
顔を上げる学生がすごく少ないクラスがあったんですが、
(といって寝てる学生もほとんどいないんですが)
いざ試験をしてみたら、
わりといい成績で、うれしい驚きでした。
聞いてはいたのね、と今さら思いました。
そういうのが、時代のスタイルなんでしょうか?
それとも、もっと黒板にいろいろ書くといいのかな?

でも成績がよかったから、
よしとしましょう!

2024年7月18日木曜日

『座頭市 血煙り街道』

ちょっと趣向を変えて、

『座頭市 血煙り街道』(1967)

を見てみました。

座頭市シリーズの中でも、
(おそらく)名作に数えられる、
三隅研次監督作品です。
ラストの、近衛十四郎との勝負が見せ場、なんですが、
今回見直してみて、
あまりのデキの良さに驚きました。
美しいショット満載で、
うまい緩急もあり、
一切だれることなく、
87分終わります。
素晴らしい。

座頭市シリーズは、
小学校高学年から中学生にかけて、
テレビの深夜放送でよくやっていて、
よく見ていました。
特に長い休みの期間などは、
毎晩のように見ていた記憶があります。

その頃見たもので一番記憶に残っているのは、
『座頭市 地獄旅』
です。
中学生のとき将棋部だったわたしは、
街道を歩きながら座頭市たちが行なう「目隠し将棋」に痺れました。
で、
友人と(授業中に!)やったものですが、
最後に近づくと、
なかなかうまくいかなかったです。
もちろん、二人の棋譜の認識に違いが出てしまうのです。

この『座頭市 地獄旅』も、
三隅研次監督です。
これ、見たいです。
アマプラにないので、買いましょう!

2024年7月17日水曜日

コロナ

わたしの回りでは、
急に増えています。
男性の同僚、
彼とは別の同僚のパートナー、
院生、
学生何人も……

注意いたしましょう!
(今日発症した院生と、
昨日、結構長く廊下で立ち話したのが、
やや不安……)

『キャロル』

レズビアン映画として知られる

『キャロル』

を、大学院ゼミの、前期最終回に見ました。

この映画は、
わたしも院生たちも見たことがあったのですが、
『クィア・シネマ』(菅野優香)
という本で取り上げられていて、
それを読むと、
ええ、そうだったったの!?
という点がいくつもあったので、
見直したというわけです。

本に書いてあった点、
たとえば「ブッチ/フェム」が一瞬登場するとか、
原作小説にはないアイゼンハワー大統領の名前が聞こえるとか、
その通りでした。
(ぜんぜん気づいてませんでした!)
そしてその2点の「意味」が、
本の中で説明されているんですが、
なるほどなあと、勉強になりました。

ただ、
「物語世界の人物とは関係のない視点から撮られたショット」によって、
「現在からの視線」が表現されていると書かれているのですが、
それがどこを指しているのか、よく分かりませんでした。
そういうショットは、一般的にあるものだし、
『キャロル』の中に、
そういう一般的なものとは明らかに違う、
と感じられるショットは見つけられず、
それがちょっと残念でした。
(もちろん、とても勉強になる本であるのは間違いありません。)

同じ章にで、
ヒッチコックの『見知らぬ乗客』も取り上げられています。
もちろん見たことはありますが、
これもまた、もう一度見る必要がありそうです。

そして『キャロル』ですが、
とても好きな映画でしたが、
今回見ても、やっぱり好きでした。

2024年7月13日土曜日

「ドラァグ」

今、たまたま見かけたサイトにあった文章。
備忘のためにコピペします。
「呼びかけ」について検索していて、出てきたものです。

*********************

ルイ・アルチュセールが定式化したイデオロギーの「よびかけ」という考え方です。
アルチュセールは、
警察官が歩いている人に「おい、お前」と呼びかけるという例を使います。
自分のことかなと思ってふりかえることで、
その人は警察官の持つ法の権威に従う主体として位置付けられます。
このふりかえりは強制されたわけではありませんが、
自発的に従属化されるというわけでもありません。
その間のあいまいな行為です。

   ◼︎

『ジェンダー・トラブル』で説明されたのは、
男性が女性としてドラァグを演じるとき、
女性性が模倣であることが強調されるということです。
この効果は、もともと女性が女性を模倣して演じているにすぎないことを、
明示的な「模倣」によって暴くという意味で、
男女の力関係の批判を超えて、
ジェンダーの構造全体を批判をしているわけです。
これに付け加えて、ここではバトラーは、
ドラァグは、異性愛のメランコリー、つまり同性愛をありえないものとして排除し、
排除され哀悼できないという形式で保持し、
異性愛の規範をより強固にしてきた構造を暴いていると言うのです。
つまり、排除されているために絶対に表に出せないものを表現するという意味で、
その政治性はかなり危険でラディカルなものとなっているのです。
ジェンダーはもともとパフォーマンスにすぎないのですが、
同時にパフォーマンス不可能なものとして排除されたものを、
あえてパフォーマンスしてみせるという二重の批判があることになります。


内容そのものが複雑ですが、
分かりやすく書かれていると思いました。
(「ドラァグ」、好きです!)


2024年7月7日日曜日

『さらば愛しきアウトロー』

アマプラにあった、

『さらば愛しきアウトロー』(2018)

を見てみました。
このデヴィッド・ロウリーという監督は、
今までスルーしていたのですが、
完全に間違いでした。
とてもいい映画で、
2回続けて見てしまいました。
そしてもちろん2回目の方が、
より味わい深く感じられました。


原題は、The old man and the gun 『老人と銃』で、
まあ明らかに、『老人と海』を連想させるタイトルです。
(邦題、どうにかならなかったんでしょうか……)

ロバート・レッドフォードの引退作で、
彼が、74歳の銀行強盗を演じます。
ただしこの強盗、紳士的で「ハッピー」に見えるます。
そしてタイトルからの予想に反して、
彼は1度も銃を撃ったことがないのです。

見ていて、
ものごとが連鎖していくのですが、
その連鎖の受け渡しの感じが、とても魅力的。
そして楽しそう。
2度目に見たときには、
そこここのカメラ・アングルに意味があったことにも、
何度も気づかされました。

この監督の、
他の作品も見ることにします。

2024年7月5日金曜日

『アルゴ』

そう言えば見てなかった

『アルゴ』(2012)

が、たまたまBSで始まったので、
そのまま見つづけてみました。
ベン・アフレックが製作・監督・主演をこなしています。
オスカーも取っているので、きわめて有名な作品と言えるんでしょう。


1979のイラン革命。
その流れで起きたイランのアメリカ大使館襲撃事件、
をもとにしたストーリーです。
ほとんどの職員は捕虜になりましたが、
6人だけは逃げだし、
カナダ大使の私邸に匿われました。
その6人を、
イラン側が特定して探し出す前に救出する、という作戦です。

映画としては、「おもしろい」です。
サスペンスがずっと続き、
こちらも緊張しますが、
まあ、そういうものですよね。

ただ、イランの人々の描き方が、
どうなんだろうという気がします。
揃いも揃って、
暴力的で、強圧的で、頭も悪い、単細胞、
という印象です。
そこには、ほとんどなんのグラデーションもありません。
(申し訳程度のものならあります。)

そもそも、1953年のイラン=クーデタは、
CIAが石油資本と組んだものだとされています。
その後アメリカは、パフレヴィー2世と組んで、
甘い汁をたくさん吸ったはずなんですが、
その辺のことは一切触れられていませんでした。

『水の中のつぼみ』 8年振り

大学院ゼミで、

『水の中のつぼみ』

を見ました。
わたしにとっては8年振り。


当時よりは、
セクシャリティーについての言説がずいぶん多く出回っていると感じる中、
やっぱり、その「クィア」さは、
今回の方がより触知できた気がします。
とはいえこれは、思春期の少女たちの話なので、
「わかる」というところまでいってないかもしれませんが、
それでも、映画としてはおもしろかったです。
まあ、アデル・エネル、好きだし!

期日前投票

猛暑の中、
都知事選の期日前投票済ましてきました。
(森林を伐採させ、その開発事業者から献金を受けるような人には、
入れませんでした。)

都知事選の本番は7日ですが、
フランス総選挙の決選投票も7日。
そしてイギリスはもう、目の前!
秋にはアメリカ大統領選挙も。
もちろん他にもあるはずですが。

やっぱり、アメリカの大統領選挙がある年は、
毎回エポック・メイキングになりがちですね。
個人的には、NYT の社説同様、
民主党はバイデンじゃない候補者を立てた方がいい気がしますが、
まあ、オバマもまだ、バイデン押しだって言うし。
民主党については、結局オバマの意見が気になります。
オカシオ=コルテス、出てこないかなあ。

2024年7月2日火曜日

「マクロン大統領“賭け”に負けた?」

強の授業では、当然、

フランスの選挙の話をしました。

1つのクラスは、『戦争より愛のカンケイ』を見る予定だったので、

まさに「ちょうどいい」感じ。

と言うのもこの映画には、

2002年の大統領選挙の場面があり、

そこでは、決戦投票に進んだジャンマリ=ルペン氏も、

ちらっとですが登場するからです。

マリーヌ率いる国民連合の、以前の姿、ですね。


通勤時は、このニュースを聞きました。

https://www.youtube.com/watch?v=DpE_FLhAcFY&t=222s

おもしろかったです。

27年の大統領選挙、興味あります。

フランスがフランスでなくなってしまわないことを、

わたしは願っています。


2024年6月29日土曜日

『インサイド・ヘッド』

院生の1人が好きだというので、

ふだんはほとんど見ない、アニメを見てみました。

『インサイド・ヘッド』(2015)

ピクサーの作品で、

感情を5種類に分け、それぞれを擬人化し、

ある少女の内面を描いています。

まあ……

わたしはアニメは苦手なので……


「イマジナリー・フレンド」が登場するんですが、

最近公開された『ブルー』の場合とは、

随分扱いが違うようです。

 

「おなまえ かいて」

ガザで戦争が始まってなもない頃、
こんなニュースがありました。


「現代詩手帖 5月号」の、

<特集・パレスチナ詩>から、詩を1つ引用します。

******************************:


おなまえ かいて    ゼイナ・アッザーム


あしに おなまえかいて、ママ

くろいゆせいの マーカーペンで

ぬれても にじまず

ねつでも とけない

インクでね


あしに おなまえかいて、ママ

ふといせんで はっきりね

ママおとくいの はなもじにして

そしたら ねるまえ

ママのじをみて おちつけるでしょ


あしに おなまえかいて、ママ

きょうだいたちの あしにもね

そしたらみんな いっしょでしょ

そしたらみんな あたしたち

ママのこだって わかってもらえる


あしに おなまえかいて、ママ

ママのあしにも

ママのとパパの おなまえかいて

そしたらみんな あたしたち

かぞくだって おもいだしてもらえる


あしに おなまえかいて、ママ

すうじはせったい かかないで

うまれたひや じゅうしょなんて いい

あたしはばんごうになりたくない

あたし かずじゃない おなまえあるの


あしに おなまえかいて、ママ

ばくだんが うちに おちてきて

たてものがくずれて からだじゅう ほねがくだけても

あたしたちのこと あしがひょうげんしてくれる

にげばなんて どこにもなかったって 

2024年6月20日木曜日

「認めない」

何人かの先生たちとだべっていた時、
ある英語の先生(50歳くらい?)が、

「父は僕の仕事を、仕事として認めないんですよ。
本読んで、何かしゃべって、なんて」

と言いました。
ちょっと驚いたんですが、
その時は授業開始時間になってしまったので、
翌週、ちなみに父上のご職業は?
と訊いてみました。
大企業のエライ人で、
大学教員なんて虚業だ、と言っているのかな、
と想像して、それを確認したかったわけです。

「いや、農家です」

手で、土をいじって、
作物を収穫し、それを売って金銭を得る、
それが仕事なんだと。

そうでししたか。

『ロルナの祈り』

順番が逆になりましたが、
先週のゼミでは、やはりダルデンヌ兄弟の、

『ロルナの祈り』(2008)

を見ました。
以前、言及しています。


もともと好きな映画を、
こうして久しぶりに見てみて、
やっぱり良かったと思えるのは、
なんというか、安心しますね。
(久しぶりに見て、
ぜんぜん面白くない! と感じることも結構ありますから。)






『午後8時の訪問者』

昨日の大学院ゼミでは、

『午後8時の訪問者』(2016)

を見ました。
わたしにとっては、7年ぶり、みたいです。
(アマプラにあります。)


で……

前回見た時より、ずっといいと感じました。
わたしが「90点!」と言ったら、
院生たちは驚いていました。
彼らは、そこまでいいとは感じなかったようです。

出だしの、診療の場面。
患者の体内の音が、聴診器を通じて聞こえてくるかのよう。
その後も、音楽は一切流れず、
その分観客は、微細な音に耳を澄ますことになります。

主演のアデル・エネルは、とてもよかった。
生硬な感じと、柔らかな感じが同居して、存在感もありました。
シャワーから出てきて野菜を炒めてるシーンなんかも、
わたしは惹かれました。
(おそらくこういうところは、感想が分かれるでしょうけど。)

ダルデンヌ兄弟は、やっぱり好きです。

2024年6月14日金曜日

『流麻溝十五号』

7月26日公開の、

『流麻溝十五号』

の試写を見る機会がありました。


HP はこれ;


1953年の台湾。
蒋介石に率いられた台湾政府は、
自分たちにとって不都合な人たちを、
政治犯として収容所に送り、
そこで「再教育」を図っていました。
映画は、その過酷な実態を、実話をもとに描いています。
台湾の「黒歴史」を、台湾の監督が告発しているわけです。
それも、21世紀になってやっと可能になったわけなんでしょう。

でもやっぱり、聞くのと、こうして見せられるのとでは、
まったく感触が違いました。
特に、言葉。
よく分からない点もあるんですが、
台湾語、北京語、広東語、そして日本語、などが使われています。
(日本語話者は、日本の植民地だった時代から、
台湾にいた人たちです。)
また国民党の兵士たちも、
もとはといえば中国の中国のさまざまな地域の出身なので、
それぞれの出身地の言葉を使っているようです。
(これは中国からの留学生に聞いたのですが、
「標準語」を使っているのは、
出身地云々ではなく、高い教育を受けた人たち、
ということだそうです。)
字幕付けは、ものすごく大変な作業だったに違いありません。

台湾に興味がある方はもちろん、
現代史に興味がある方も、必見だと思います。

2024年6月7日金曜日

「鋳掛松」

先週から今週にかけての通勤では、神田伯山の

「畦倉重四郎」(全19話)

を聞きました。
凄惨な場面もあるのですが、
とてもおもしろかったです。
(第19話だけは、2ヴァージョンあり。)


これが無料っていうのは、
なんだか、申し訳ないです。

で、その流れで、これを聞きました;

「鋳掛松」



鋳掛屋の松五郎、の話です。
鋳掛屋というのは、鍋などを修繕する仕事。
人に感謝されるが、低収入です。
時代は江戸の天保年間です。

前半はコメディタッチだったんですが、
後半、鋳掛屋になった松五郎が、両国橋に来たときのこと。
隅田川には、芸者たちを乗せ、
高級な酒と料理に舌鼓を打つ、船遊びの客たちがいます。
一方橋の上では、炎天下の中、
赤ちゃんを背負い、幼い子の手を引いて、
枝豆を売っている女性がいます。
しかもこの幼い子は裸足なのですが、
それは草履を買うお金がないからなのです。

鋳掛屋松五郎は、自分も貧乏ですが、
草履のお金を母親に与えます。
で、そのままいい話で終わるのかと思いきや、
彼は突然、なぜ世の中には金持ちと貧者がいるのか、
という疑問と直面するのです。
ちょっとびっくりしました。

で、簡単に調べてみると、
この講談の作者は、
日本で最初に『共産党宣言』を翻訳した1人で、
社会主義者の堺利彦だと知り、二度びっくり。
「改造」に発表されたもので、
全体を通せば2時間はかかるらしいです。
(白山の講談は約30分。)

いろんな出会いがありますねえ。

2024年6月1日土曜日

『ケープタウン』

南アフリカとフランスが共同制作した映画、

『ケープタウン』(2013)


を見てみました。
ずっと「リスト」に入れてたんですが、
原題が Zulu(ズールー族)であることに気づき、
これは、と思ったわけです。
オーランド・ブルームも出ています。
(12禁です。)

緊迫感のある映画で、
薄っぺらいヒューマニズムじゃない点も好感が持てました。
二人組の刑事、
上司アリは、ズールー族の男性で、
白人の部下ブライアンは、アパルトヘイト時代に裁判官を務めていた父を持っています。
ただ彼は、この父親の所を嫌悪し、そのまま決裂しています。

アリは、アパルトヘイト時代、苦しめられた側ですが、
復讐よりも「許す」ことを優先しています。
ブライアンは、そうしたことより、個人生活が大変。
飲んだくれで、妻に逃げられ、息子には拒否され、お金はありません。

ただこの映画の厳しさは、
善良で寛大だと思っていたアリが、変わってゆくこと。
そしてその怒りの対象は、アパルトヘイトの過去と結びついています。
過去の亡霊が蘇るのです。

少し、理解しづらいところもあったんですが、
トータルとしてはおもしろかったです。
この映画、授業で使いたいですが、
わたしが、きっちり説明できる自信がありません。
南アの映画は、とにかく言語が入り乱れていて、そこが特に難しいです。




『狼たちの午後』

大学院ゼミでは、久しぶりに

『狼たちの午後』(1975)

を見て、院生が、それについて書かれた論文を読解する、
ということをしました。
『目に見えるものの署名』という本に収められている、
現代の大衆文化にみられる階級とアレゴリー──政治映画としての『狼たちの午後』」
です。
有名なマルクス主義批評で、
鋭い部分は確かに鋭いんですが、
書かれたのが1970年代で、
それは新自由主義が登場する前の時代なので、
たとえば、コングロマリットについてのイメージ(というか位置付け)も、
今とは違っています。
でも、いい試みでした。

その発表した院生が、
ラストシーンについて言ったコメントが、
私が昔見て感じたことと同じだったので、
なぜか嬉しい気がしました!

この映画については、
こんなことを書いたこともありました。