無事東京に戻ってきました。
東京、暑いです。
そしてなんといっても、蒸しますね、
もちろん知ってましたけど。
そしてこういう時思うのは、
日本語の世界に戻ってきた、という感じ。
たった2週間ですが、
しゃべるのも聞くのもフランス語だったわけですから、
それが両方いっぺんに日本語に切り替わると、
やっぱり違う言葉の世界に来たという感じはします。
ちがうOSになった感じ、
と言った友人もいました。
飛行機の時間が夜の20:30出発だったので、
最終日も、意外に見て回れました。
「印象」に残ったのが、プチ・パレで見た、
Soleil couchant sur la Seine à Lavacourt, effet d'hiver (1880)
(「ラヴァクールでのセーヌ河の日没、冬の効果」)
です。
これは、あの「印象、日の出」(1872)の8年後に描かれた作品で、
同じように低い位置にある太陽を題材としています。
ただし、一方は朝で、他方は夕暮れですが。
ちなみにモネは1840年生まれ。
40歳の時描いた日没には、
30代前半ほどの大胆さはないかわりに、
静かな深みが感じられると思いました。
そして帰りのタクシーの運転手さんは、
仏領ギアナ出身の、黒い肌の、とてもにこやかな男性でした。
(ギアナには、レバノン系で、白い肌の人たちもいます。)
彼は、14歳の時にフランスに来て29年、今43歳。
子どもは4人いるそうなんですが、
その家族や結婚についての彼の話を聞いていると、
とてもイスラム的に聞こえたので、
ところでイスラム教徒なの?
そうだよ。で言っとくけど、「よいイスラム教徒」だからね。
と冗談めかして答えます。
これはもちろん、「悪いイスラム教徒」を前提にした冗談です。
ただね、ぼくは pratiquant (実践する人)じゃないんだ。
じゃあ、croyant(信じる人)てこと?
そうそう。
奥さんも?
その通り。
でそのあとは政治の話になり、
彼は「システム」が継続していることを嘆きます。
公共事業を見てごらんよ、
フランス人が計画して、移民が作るのさ。
ああ、そういえば、この高速道路は俺たちが作ったんだ、
って言ってたアラブ系のおじいさんにあったことがあるよ。
それそれ。ほら、この stade de France 、
(と、たまたま横に見えてきたスタジアムに目をやり)
ここを造るときには、ぼくの友だちの不法移民が、
何人もここで働いてたよ、
奴隷貿易時代から、「システム」は」変わってないのさ。
友だちもあなたと同じ意見なの?
それはどうかな。よくわからないけど……
彼のフランス語はaccent がやや強く、
聞き取れない単語もわりにあったのですが、
何度か出て来るうちに、ああこれはこれのことだな、
とわかることもありました。
29年もいて、あえてaccent を直さないのはなぜなのか、
とは聞けませんでしたが、
もしかしたら、それは、
アイデンティティーに関わることなのかもしれません。
20H @ Léon