写真美術館で公開中の、
これに行ってきました。
https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2795.html
私小説、
という言葉は、
もちろん死語ではないですが、
以前に比べると、
目にする機会が 1/10 くらいになった気がします。
わたしは基本的には、
私小説は嫌いではなかった、
というかわりと好きでした。
葛西善蔵の『子をつれて』なんて、
当時(というのは30年くらい前ですが)とてもグッときました。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000984/files/47059_30421.html
私小説の背景には、
社会や、階層や、時代があって、
それらが、
出そうとしていないのに行間からにじみ出てくるとき、
前景で語られる物語もまた、
いわば立体的に立ち現れるのでしょう。
まあ、当たり前ですけど。
荒木の写真は、
ご本人もおっしゃっているように、
「私小説」に見えます。
ただし荒木の場合は、
カメラの後ろにいる彼の存在そのものが、
写真の背景とは別なレベルで、
もう一つの背景を形作ってもいるようでした。
違うフロアで行われている、
「コミュニケーションと孤独」
もおもしろかったです。
「らしさ(stereotype)」とコミュニケーションの関係というもの、
わたしには新鮮な視点でした。