2018年8月3日金曜日

『活きる』

チャン・イーモウ監督の代表作の1つ、

『活きる』(1994)

を見てみました。
これは、20年前くらいに見たんですが、
ほとんど覚えていませんでした。

https://www.youtube.com/watch?v=ZB7HYhUpDz8&list=PLCsIhVFdTCa6WNOzwEZnquj_cSRO2_p83

3部に分かれた映画で、
それぞれ、40、50、60年代の中国が舞台です。
つまりざっくり言えば、

40:国共内戦
50:反右派闘争~大躍進
60:文革

という感じでしょう。
で、
たとえば真ん中の「50年代」の場合、
大躍進は58年からなので、
その後が出てくるところは、
58以降なんだろうとは思いますが、
はっきりした年号までは分からない場合も多いように思いました。
また場所もはっきりしないのですが、
どこかの小都市、という感じです。

主人公は、地主の息子として育ち、
博打にのめりこんだ挙句、
全財産を失い、
都市の貧民層として再スタートを余儀なくされます。
ただ、博打から足を洗ったことで、
家出していた妻は、
子供たちと一緒に戻ってくれます。
そして主人公は、影絵の一座を作り、
地方を巡りますが、
そこで国共内戦に巻き込まれ、
その後はずっと「中国」に翻弄されることになります。

ただ、「中国」とは、
時代によって実質毛沢東だったり、
そうではなかったりするわけですが、
1つの結論を言うなら、この映画が、
毛沢東時代を否定的に描いていることになるのは、
間違いないでしょう。
ほとんど調べていないので、
この映画が、この点でどう評価されてきたのか、
それは知らないんですが、
わたしはそう思いました。

またこの映画には原作があって、
それとの比較も多くなされてきたようです。
これは、原作を未読なので何とも言えませんが、
少なくとも、「死者」の数が違うようです。
なにしろ原作では、主人公以外、
妻、子供たち、娘婿、孫、親友、
みんな死んでしまうのですから。

映画でも、それぞれの時代に死ぬ人がいます。
彼らの死が象っているのは何か。
それは単純なものではないでしょうが、
その要素の1つに、
その時代の権力者への拒否があるのはまちがいないと感じました。
もちろん映画自体には、
ある種の<希望>が常にあり、
観客はそちらに目を奪われやすいわけですが。

後期の「ワールド映画ゼミ」では、
時間があれば、
これを見せたいです。