2018年8月2日木曜日

Prendre le large

この頃、わりとおもしろい映画に当たることが多いですが、
今回見た

Prendre le large(2017)

は、とてもいい映画だと思いました。
落ち着いているのに、
停滞するところがまったくなく、
人物もリアルで、
描写も過不足ない感じ。
画面も美しく、かつ猥雑で、
背景のグローバリズムが、
フランケンシュタイン的にわたしたちを包んでしまっていることが、
じりじり迫ってきます。

https://www.youtube.com/watch?v=LsfAPoCk5AA

ヒロインのエディットゥは、
リヨン郊外で一人暮らし。
息子はパリで、男性の恋人と暮らしています。
そして、彼女が働いているテキスタイルの工場の閉鎖が決まったところから、
物語は動き始めます。
(夫もこの工場で働いていましたが、
おそらくは工場の環境の悪さのせいで、すでに亡くなっています。)
会社側が提示した選択肢は2つ。
辞めて、それなりの補償金を受け取る、
あるいは、
新工場に移って働き続ける、
ただしこの場合補償金はなし、です。
両方を拒否し、ストを続けるものたちもいます、が、
残りのものたちは前者を選びます。
というのも、新工場というのはモロッコのタンジール(タンジェ)であり、
給料もかの地の物価に合わせて下がるし、
住居なども用意されるわけではないからです。
でも……
エディット一人だけは、タンジェを選びます。
会社側の人間も友人も止めますが、
彼女の気持ちは変わりません。
働きたい、これが彼女の選択の理由です。

そしてタンジェ。
そこは、予想していたとはいえ、
やはり異郷でした。
アラブ語が飛び交い、
バッグをひったくられ、
人々の対応も理解できません。
ただ、彼女が住むことにしたアパートの女性主人、
そして彼女の息子とは、
やがて打ち解けてゆきます。
エディットにしても、
息子を持つ身ですから、
自分(たち)を重ねもしたのでしょう。
問題は、職場です。
今までとは違う仕事、
つまり、他の大勢と一緒に、ミシンの前に座り、
ひたすら縫物をすることを命じられます。
しかも、ミシンは古く、
ミシン自体に電流が走りさえするのです。
ただ、職場監督に押さえつけられている工員たちは、
文句を言うこともありません……

ここまでで、半分くらいでしょうか。
物語的には、このあとまだ大きな展開が2度あります。
その中心にあるのは、
エディットのアイデンティティーの問題ですが、
もちろん、息子との関係もそこに含まれます。

働くということの意味を問いつつ、
ワーキング・クラスの女性のアイデンティティーを扱い、
それを包囲するグローバリズムと、
地域間の経済格差を描く。
やっぱり、とてもよくできた映画でした。
(つづく)