2017年12月31日日曜日

大晦日

さて、大晦日です。
17年の最後は何にしよう、と思って、
昨日からの「東京」つながりで、

Tokyo fiancée

を見てみました。

https://www.youtube.com/watch?v=RgZDeDSeAvU ←全編版!

ヒロインの女優さんは、
とても可愛らしい。というか、
「愛くるしい」とでもいうか。
ただ、冷静に映画として見ると、
レディーメイドな審美基準と、
ブルジョワ的趣味に終始している印象でした。
これから、
もう1本見るかな……?

そして今日、白水社からいいお知らせが。
『フラ語動詞、こんなにわかっていいかしら?』
『ぜんぶ話して!』
『ル・フランセ・クレール』
の3冊の、重版のお知らせでした。
今年もまた、白水社にはお世話になりました。
ありがとうございました!

さて今年もあと4時間。
みなさま、どうぞよいお年をお迎えください!

2017年12月30日土曜日

Les délices de Tokyo

今日は、

Les délices de Tokyo

という映画を観たんですが、実はこれ、

『あん』

の、フランス語字幕版です。

https://www.youtube.com/watch?v=t4OhrkllRsM

とてもいい映画でした。
もちろん原作もいいですけど。


なんとなく、フランス語字幕をそのままにして見たので、
いくつか、
セリフと字幕の関係で、
おもしろいなあ、と感じることがありました。
たとえば、「あん」が煮あがって、

こんな仕上がりになるんですね。
Ils donc prennent cet aspect.

こなれた訳ですねえ。
それから、やはり「あん」について、

蜜になじんでもらわないと。
Ils doivent se familialiser avec le sucre.

なるほど。
そして、おいしいどら焼きを食べた後に、

こんなの初めてです。
Je n'en ai jamais mangé d'aussi bons.

そして逆に、
やっぱりこれはフランス語にならないよねえ、
と思わせるのは、

世間て怖いよ。
La rumeur est effrayante.

これは「世間」ではないですが、
そもそもフランス語に、そんな概念がないのですね。

2017年12月28日木曜日

10枚

われらが総合芸術系では、
この暮れに来て、
急遽冊子を作りましょうという話になり、
5人の教員は全員、
原稿を用意することになりました。
(ほかに、卒業生などで、
すでに各方面で活躍している人たちなどにも、
お願いする予定です。)
わたしの担当は、10枚(4000字)。
で、せっかちなので、
一昨日から書き始め、
思いのまま書いていたら、
今日までに5000字ほどになっていて、
ああ、ちょっと長過ぎた……

テーマは「セネガル」で、
いくつかの映画から「セネガル」的要素を抜き出し、
その比較をする、という感じです。
いわゆる商業雑誌ではなく、
純粋な論文集でもなく、
こうして自由に書けるというのは久しぶりで、
年末に張り切って、ちょっと楽しかったです!
(でも、1000字削るのは、大変そう。
ほんとは、できれば削りたくないんだけど……)


2017年12月25日月曜日

Django

昨日に続いて今日も、
レダ・カテブの主演作を見てみました。

Django (2017)

これは、実在したロマ人ギタリスト、
ラインハルト・ジャンゴの物語です。
(日本では、『永遠のジャンゴ』というタイトルで、
現在公開中です。)

https://www.youtube.com/watch?v=EqkkBtApPIw

舞台は1943年、ナチ占領下のパリ。
ロマ人であるジャンゴに対しても、
ナチの監視が次第に厳しくなり、
ついには、ドイツに来て演奏しろと言いだします。
ただ、これに応じれば、
戻ってこられる保証はない……

ジャンゴの音楽を中心に、
占領下のフランス、および
ナチの非道さを描いている、のですが、
どうも歴史認識が単純過ぎるというか、
もしかしたらこういうウケ狙いもあるの? 
とも思いますが、
構図があまりに図式的だと感じました。
まずナチが、もう徹底的に非人間的に描かれていて、
あまりに類型的。
一方フランス人たちは、
(予告編でも出てきますが、)
ナチの映像をチマチマ改変して揶揄い、
それで留飲を下げているだけ。
たしかにレジスタンスの人たちも登場しますが、
これも浅い。
で、
映画の中で1番印象的だった人物は、
セシル・ド・フランス演じるルイーズだったのですが、
彼女は完全にフィクショナルな人物だそうで、
なんだかなあ……という感じ。

映画としては、イマイチでした。

*セシル・ド・フランスといえば、
これですね。

http://tomo-524.blogspot.jp/2015/04/blog-post_26.html

2017年12月24日日曜日

Les Derniers Parisiens

レダ・カテブ、スリマヌ・ダジ、
そしてメラニー・ロランも出ているとなれば、
それだけでも見ないという選択はないのに、
ましてやその映画のタイトルが、

Les Derniers Parisiens (2016)(『最後のパリジャン』)

とくれば、これはもう、見るだけです。
(この映画は、東京国際映画祭において、
『パリ、ピガール広場』というタイトルで公開されました。
わたしはDVDで見ました。)


舞台は、邦題にもある通り、モンマルトルのピガール広場。
この、ジェントリフィケーション進行中の街に、
刑務所帰りのナスが戻ってきます。
彼は、兄アレズキに、いわば身元引受人になってもらい、
彼が経営するバーで働き始めます。が、
ナスはそんな仕事には満足できません。
そもそもこのバーの開店資金を、
自分もかなり負担したわけだし。
で、このバーを使って、
大きなパーティーの開催を決行し、
それはうまくいくのですが、
兄のほうは、弟のこうした活動を、
快く思ってはいません……

このあたりまで、
映画は意外に淡々と進みます。
(パーティーなど、音楽を多用するシークエンスは、
いい感じに時間がたっぷりとってあります。
2人組の監督は、ともにラッパーです。)
でも後半、やや「家族の秘密」的物語が表面化してから、
単なる街のチンピラ映画から、
もう少しリアルな物語へと様相が一変します。
そしてナスは、ワル仲間に嵌められてしまい……

モンマルトル、ピガール広場と言えば、
最近取り上げたこの映画が思い出されます。

http://tomo-524.blogspot.jp/2017/09/blog-post_77.html

今回の映画にも、
『並木道』のときに何度も登場した噴水が、
繰り返し映し出されます。

で、「最後のパリジャン」というタイトルですが、
まず今回の映画の主人公は、
アラブ系の兄弟であり、
彼らの友人のほとんどは移民系です。
ということは、彼らこそ「最後のパリジャン」ということになります。
(「最後の」というのは、「最新の」ということでもあるのでしょう。)
また、人物たちのうごめく世界が、
いかにも旧来のギャング的なものであり、
そういう意味では、やっぱり、
(失われつつある世界の)「最後の」人たち、でもあるのでしょう。
もちろんわたしとしては、
前者の「意味」を重く見たいと感じます。

*街のジェントリフィケーションを背景にしているギャング映画、
という点では、
メニルモンタンを扱った、
『友よ、裏切りの街に眠れ』
と比較することもできそうです。

*両監督が所属しているラップ・グループLa Rumeurには、
18区を舞台にしたものが多く含まれるようです。

https://thebackpackerz.com/les-derniers-parisiens-premier-film-hame-ekoue-la-rumeur/

2017年12月23日土曜日

Chopin


ショパンというのは、
若い頃聞くと、
美しいのはわかるのですが、どこかで、
なにナヨナヨして!
と感じてしまったりもしました。
だから、もちろんそれなりに聞きましたが、
そして好きな曲もありますが、
やっぱり「甘い」印象は持っていました。

でも……

これは誰かが書いていたのですが、
歳を取ると、ショパンが良くなる……
そう、たしかにその通りで、
あの甘さも、気にならなくなってくるのでした。

で、先日、
YouTube をうろついていたときに、
ルビンシュタインによる、
ピアノ協奏曲1番が目に飛び込んできました。
で、ちょっと聞いてみると……
おお、これはなんと、昔よく聞いた盤です!
懐かしい!
で、
この(オケが単なる伴奏になっていると批判されることもある)協奏曲、
他のピアニストで聞いてみたのですが、
これ、気に入ってしまいました。

https://www.youtube.com/watch?v=2bFo65szAP0&t=456s

Olga Schepsというピアニストのことは、
実はあまり知らなくて、
調べてみると、
ブレンデルに指導を受けているとか。
たしかに、テクニックはすごいのに、
(ブレンデル風に?)コントロールが効いていて、
リストなんかを弾く方向には行かない印象があります。

この1週間、毎日聞いてしまいました!

『最愛の子ども』が

20日の東京新聞の夕刊で、
佐々木敦氏と小澤英実氏が、
「今年の10冊」を選んでいるのですが、
その両者の第1位が、
『最愛の子ども』
でした。
この小説は、たしかに傑作だと思ったのでした。

http://tomo-524.blogspot.jp/2017/03/blog-post_63.html

そしてこのお二人が第2位に選んでいるのは、
またも両者とも、
『ホサナ』
です。
この大部の本は、
春休みに読むことにします。
楽しみです!


2017年12月22日金曜日

仕事納め

今日22日、
今年は日付の巡り合わせ的に、
ちょっと早めの仕事納めとなりました。
で、今日はゼミ×2で、
ルイス・ブニュエルを2本、

『小間使いの日記』
を見ました。
実は昔、
この2本と『欲望のあいまいな対象』を合わせて、
「あいまいな女たち」という論文(?)を書いたことがあります。
院生にそれを読んでもらって、
一緒に確認したのでした。
わたしも久しぶりに見ましたが、
楽しかったです。

それからいくつか書類提出などの業務をこなし、
今年は仕事納めとなりました。
毎年のことながら、
たくさんの方々のお世話になり、
なんとか無事に今年も授業を終えられ、
感謝感謝です。

帰り道……。


2017年12月21日木曜日

うぐいす!

今日の午後です。


うぐいす、いるんですね。

by iPhone

朝。

夕方の交差点。


工事中。


双子の……

2017年12月20日水曜日

この漫才、きてます!

https://www.youtube.com/watch?v=TSuTqdwqKyU&t=2s

巷で話題のこの漫才、
これはいい! 
もっと!

2017年12月17日日曜日

Hausse des inégalités

各国で広がる格差。
その実態を、あのピケティーらの研究者がまとめ、
発表しました。

https://m6info.yahoo.com/hausse-des-inegalites-dans-le-monde-le-rapport-qui-inquiete-140446134.html

日本語では「格差」ということになるのでしょうが、
フランス語では

inégalités (「不平等」)

しかもここでは複数の s が付き、
具体的な「不平等」を指しているのでしょう。

このニュース、
日本でも報道すればいいのにと思います。

2017年12月16日土曜日

箱庭とノラ

家人が作った箱庭です。







初挑戦にしては、上出来?

おまけは、上野にいたノラネコちゃん。


Trop mignon !

2017年12月15日金曜日

ペーパーレスへ

今日の金曜日は、
今年最後の「会議 DAY」でした。
いつも通り、10:30から4つの会議。
いつも通り、長かった!

ところでこれらの会議、
最近急激にペーパーレス化が進んでいて、
ついに今日は、
ほんとにペラッと1枚だけの会議もありました。
先月までは、あんなに分厚い紙束だったのに!
でもやってみればできるわけで、
もっと早くやればよかったのにと、
今は思っています。

今年の授業も、あと1週間。
なんとか風邪休講もせず、乗り切れそうです!

2017年12月13日水曜日

リバティー・アカデミー、秋期終了!

もう、かれこれ数年続いているリバティー・アカデミー講座。
開始当初は、
生田でも始めたいのでお願いできませんか?
という担当者の呼びかけに協力する形で始まったので、
こんなに長く続くとは思っていませんでしたが、
良き生徒さんたちと巡り合い、
なんとかここまで続けてこられています。

先日の授業では、
ちょっと教科書を離れ、
ボードレールの詩(「美」「旅への誘い」)をみんなで読んだのですが、
ふつう、この手の韻文の詩は、
敬遠されることが多いのです。
(たとえボードレールでも!)
でも、その時も、
生徒さんたちの反応はとても生き生きしたもので、
このとき改めて、
この講座の生徒さんたちの吸収力の強さに驚きました。

まあわたしは、ふつうのことしか言っていないのですが、
生徒さんたちの吸収力に支えられて、
今日まで到達できたという感じです。
(と言ってもまだ終わったわけではなく、
来年度も開講の予定です。)
生徒さんたちの、
勉強への「愛」を見習って、
わたしもちゃんと勉強しないと!
と思うのでした。

生徒のみなさん、お疲れ様でした!

Nous nous verrons au printemps !

2017年12月11日月曜日

50 villes à visiter au moins une fois dans sa vie

一生に一度は訪れるべき都市、50! 

みたいな記事は時々見かけます。
これもその1つなんですが、
つい、ぜんぶ見ちゃいます。

www.yonder.fr/les-tops/destinations/50-villes-a-visiter-au-moins-une-fois-dans-sa-vie/athenes-grece

これはもう、
掛け値なしで、
ぜんぶ行ってみたいです。
(まあ、ムリでしょうけれど……)

で、注目の第1位は、なんと……!

2017年12月9日土曜日

『わたしは、幸福(フェリシテ)』

12月16日(土)に、
待望の映画が公開されます。
これです。

『わたしは、幸福(フェリシテ)』

https://www.youtube.com/watch?v=yQNfyUYlgSM

とても魅力的な映画でした。

舞台は、コンゴのキンシャサ。
歌手でシングルマザーのフェリシテは、
息子が事故に合ったという連絡を受けます。
急いで行ってみると、
ああ、けっこうな怪我です。
しかも、手術が必要なんですが、
前金で支払わないと手術はできないと。
彼女は、キンシャサ中を横切って、金策をします。
それは空間の移動ですが、
同時に、時間の移動でもあります。
一方、壊れた冷蔵庫の修理に現れた巨体の男は、
フェリシテに(静かに)言い寄ります。
でも彼女は、今はそれどころではなく……

ドキュメンタリー風のカメラも、
音楽も、
俳優も、
乾いたキンシャサの街の風景も、
わたしには「アフリカ的」と感じられるセリフも、
みんないいです。
映画内のすべての要素を理解できるわけではないのですが、
それさえもむしろ魅力的な謎といった感じ。
アラン・ゴミ(ス)監督らしい、
なんというか、にぎやかな静けさといったものが、
映画全体に漲っています。

そして、この映画を推薦したいもう1つの理由は、
出演者が全員アフリカ系であること。
それ自体はもちろん、
アフリカ映画では珍しいことではありませんが、
日本で公開される作品に限って言えば、
やっぱりかなり珍しいのだと思います。
「アフリカ映画」を日本で見る、数少ない機会でしょう。

監督のアラン・ゴミ(ス)の作品としては、
以前、これについて書きました。


アイサ・マイガ目当てで見たら、
映画自体のデキが良くて驚いた、
ということを思い出しました。
(残念ながら、これ以外の作品は、
DVDが入手できませんでした。)

また Félicité ですが、
一見 féliciter の過去分詞(「祝福されているもの/人」)
に見えるのですが、
ここではヒロインのことなのに女性形にはなっていない、
つまり名詞だと考えられるので、そうすると、
(ロワイヤルによれば)
「至福、浄福 /(主にpl.で)(文)幸福、喜び」。
(ちなみにリトレでも、「混じりけのない幸福」が第一義です。)

ここで思い出されるのが、
『ロミュアルドとジュリエット』(1989)です。
この映画に出てくる黒人の子どもたちは、

Félicité
Aimé
Désiré

というのでした。
こう並ぶと、過去分詞感がありますね。
祝福される人、
愛される人、
望まれる人……

もしあなたが映画ファンなら、
とにかく、
この『わたしは、幸福(フェリシテ)』は、
見ておいたほうがいいと思います!

*こんな記事もありました。

www.sankei.com/world/news/171209/wor1712090001-n1.html

中間発表

今日は、修士論文の中間報告の日。
院生たちは緊張の面持ちで、
でも、思ったより堂々と発表してくれて、
よかったです。
とはいえ、相手は院生ですから、
こちらも、つい本気になって、
やや厳しいことも言いましたが、
期待の裏返しだと思って欲しいところです。
今日中間報告された論文が、
来年の今頃、
どんな風に仕上がっているのか、
楽しみにしたいと思います!

2017年12月7日木曜日

『トランスアメリカ』

先日の Bread and roses に続いて、
ロスを舞台とした映画をもう1本見てみました。

『トランスアメリカ』(2005)

です。
ただこの映画の場合、
「ロスを舞台」というのは不正確で、
ロードムーヴィーの始まりと終わりがロスだ、
と言うべきでしょう。

https://www.youtube.com/watch?v=tK9LsGXTw9I

これは、設定を聞いただけで、
ちゃんと作れば面白くなるのは間違いなし、と思いました。

ロスで一人暮らしをしているブリーは、
1週間後に性転換手術を控えています。
ついに、生まれてこのかた願い続けてきた、
女性になれる日です。
でも、そんな盛り上がっていたブリーのもとに、
NYの警察から一本の電話があります。
あなたの息子さんを預かっているんですが……?
ああ、なんと。
それはまだブリーがスタンリーだった頃、
1度だけ付き合った夜にできた子だったようなのです。
しかも、その子の母親は亡くなっていて……。
ブリーは当初スルーしようとしますが、
彼(女)の手術にハンコを押すべきセラピストが、
その子に会ってこないならハンコは押せない、というのです。
仕方なく、ブリーはNYへ。
でも、もう身も心も99%女性になっているブリーには、
自分が父親だとはどうしても言えず、
そして二人は、やがて、ロスを目指すことになるのです……

もちろん、肝にあるのはLGBTの問題です。
でも、そればかりでなく、
先住民のことや、ユダヤ人のこと、
つまり「アメリカ」のさまざまな顔が見え隠れします。
(トランスアメリカ、とは、だから、
トランスジェンダーのアメリカ、と、
アメリカ横断、の、
二重の意味を背負っているのでしょう。)

アメリカ映画ですが、消費的でなく、
いい映画だと思いました。
(でもだから、アカデミー賞は候補どまりだった!?)

2017年12月4日月曜日

『ブレッド&ローズ』

1984年の、イギリスでの炭鉱デモを題材に、
労働者の問題とLGBTの問題を扱った映画、

『パレードへようこそ』

のことは、以前書きました。

http://tomo-524.blogspot.jp/2016/09/blog-post_99.html

先週初めて、「ワールド映画ゼミ」でこの映画を見て、
もう一度この映画ことを調べる気になりました。

まずは歌。
この映画の中で歌われる、
感動的と言っていい歌が、

Bread and roses

です。
わたしたちに必要なのは、パンだけじゃない、
バラもまた必要なんだ……

https://www.youtube.com/watch?v=qNQs6gSOkeU

As we come marching, marching in the beauty of the day,
A million darkened kitchens, a thousand mill lofts gray,
Are touched with all the radiance that a sudden sun discloses,
For the people hear us singing: “Bread and roses ! Bread and roses !”

私たちは行進する 行進する 美しい昼間の街を
100万の煤けた台所が 数千の屋根裏の灰色の製粉部屋が
きらきらと輝き始める 突然の日の光に照らされて
人々が聞くのは私たちの歌 「パンと薔薇を! パンと薔薇を!」
(ブレイディみかこ訳)

この歌は、もとはと言えば、
1912年の、マサチューセッツでのデモの時歌われたものだそうです。
ほとんどが女子工員だった織物工場で、
そのデモは起こり、勝利しました。
その歌が、
1984年のイギリスでも歌われたわけです。

で、今日見たのは、ケン・ローチ監督の、
その名もずばり、

ブレッド&ローズ』(Bread and Roses) 2000年

です。
DVDがやっと手に入り、
見ることができました。

https://www.youtube.com/watch?v=5JdI9sCUP2s

舞台はロサンジェルス。
メキシコからの不法移民たちが、
清掃員として多く働く、とある巨大ビル。
そこでは、ひどい搾取が長年行われていたのですが、
それに対して、移民たちが立ち上がる物語です。
ただ、
そこはケン、ローチ、
単純でベタな、階級闘争のお話で終わりはしません。
移民たちそれぞれの「物語」の中には、
内臓を鷲掴みにされるようなものもあるのです……

いい映画でした。

2017年12月3日日曜日

Text and the City

昨日はシンポジウム、

「火山のめぐみ」

が開催され、
各スピーカーが入念に準備した発表が行われ、
<ここでしか聞けない>感じの話が満載で、
刺激的な一夜になりました。

また、シンポジウム後の懇親会では、
カリフォルニア大学アーヴァイン校の先生とお話しする機会があったのですが、
まずは、それぞれ太平洋に面した某大国と某小国の、
大統領と首相の態度についてから始まり、
あれこれ話している中で、
なんとその先生が、
わたしにとっては「運命の本」とも言うべき一冊、

『都市空間のなかの文学』(前田愛)

の、英訳版の編者であることを知りました。
これは驚きでした!
(そもそもわたしは、英訳が出ていることすら知らず……)

帰ってから、
さっそくAmazon USA で調べてみると、
ありました、これです。

https://www.amazon.com/Text-City-Japanese-Modernity-Asia-Pacific/dp/0822333465/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1512309882&sr=8-1&keywords=ai+maeda

とてもサンパな先生で、
ほんとに、お目にかかれてよかった、
と思ったのでした。

2017年12月1日金曜日

Radicalisation

昨日の投稿を書いていて、
思い出した記述があります。
それは、

Radicalisation(『世界はなぜ過激化するのか?』)

という本の一節です。

「市民であることを、
その社会へ経済的、社会的に統合されることと同義だと定義するならば、
過激化とは、
真の市民権を欠いた世界で生きる一部の人間たちが不満をぶつけ、
演じる場の一つということができよう。
そして過激化の最も明白な表現、
それがテロということになる」

そして現在、
「真の市民権を欠いた世界」
が、際立った形で前景化してきたことの背景には、
グローバル資本主義があると言えるのでしょう。