2018年10月28日日曜日

In Jackson Heights

今公開中のドキュメンタリー映画、

『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』

を見てみました。
(フランス語字幕版。
アマゾン・フランスで買ったDVDです。)

http://child-film.com/jackson/#about

ジャクソンハイツというのは、
NYのクイーンズの西側、
つまりマンハッタン川の一地区で、
約13万人の人たちが住んでいる地区のことです。
映画の中では、
この地区内のさまざまなコミュニティー
(ムスリムの、ユダヤ人の、LGBTの……)
が映し出され、
その歴史や現状、
特に、再開発に絡む「危機」が描写されています。
見終わった後は、
質のいいフィールドワークに参加させてもらったような気分になります。

NY、そしてユダヤ人コミュニティーといえば、
たとえばこの映画が思い出されます。
この映画、好きです。

http://tomo-524.blogspot.com/2016/08/felix-et-meira.html

こちらはブルックリンでした。
そしてブルックリンならこれも。
あんまりおもしろくはないけど。

http://tomo-524.blogspot.com/2015/04/blog-post_23.html


ついでにもう1つ。

http://tomo-524.blogspot.com/2013/04/nous-york.html

この映画の場合も、
『ジャクソンハイツ』の場合も、
その土地そのものも重要ですが、
背後にある「移動」もまた、
重要な要素なのでしょう。

2018年10月27日土曜日

Bianco e nero


イタリア映画、

Bianco e nero (2008 『白と黒』)

を見る気になったのは、
ただ一点、
主演がアイサ・マイガだったからです。
しかもジャケ写は、まあまあいい感じ? だし。
で、がんばって探して、
英語字幕付きのDVDを見つけ、
やっと見ることができました。が……
いろんな点で、不満の残る映画でした。

https://www.youtube.com/watch?v=GKGy3AERaho

現代のローマ。
中心にいるのは2組の夫婦です。
まずは、カルロとエレナの白人カップル。
夫はPCなど電化製品の修理、
妻はNGOで、アフリカ支援に関わっています。
二人の間には、小さな女の子が一人います。
二組目は、ベルトランとナディーヌのセネガル系カップル。
ダカール出身の彼らは、
留学先のブリュッセルで知り合い、
今は子供二人とローマで暮らしています。
夫は、エレナと同じ組織にいて、
妻はセネガル大使館で働いています。
いわば、「白と白」、「黒と黒」のカップルですが、
白人の夫カルロと、
黒人の妻ナディーヌが、
恋に落ちます。
で……
それはそれぞれの配偶者の知るところとなり、
恋する二人は家から追い出されます。
(その間、なんと、
ベルトランとエレナも情事に落ちそうになります……)
そうして二人は、
互いの愛を確かめ、新たな人生に踏み出すかに見えるのですが、
周囲からの「白と黒」はうまくいくはずがない、
というプレッシャーもあり、
二人は、やっぱりどうしてもちがってる、と感じ、
それぞれ元の鞘に収まるのです。
ベルトランとエレナも、それを望んでいました。
で、こんなつまらないオチなのかと思っていたら、
ラストで、
たまたま公園で再会したカルロとナディーヌが、
やっぱり忘れられないと言って抱き合い、
それで終わるのです……

アフリカ支援のNGOで働く二人が、
パートナーの浮気を知った時、
その事実そのものよりむしろ、
相手が異人種だったことに強く反応するあたりは、
『招かれざる客』以来の、
イデオロギーというものの脆弱さの表現でもあるのでしょうが、
なんだか、今の時代とフィットしない気もします。
また、元の鞘に収まる辺りは、
なんともいえず気まずい感じ。
というのもそれが、
人種間の差異は乗り越えられない、
というメッセージになってしまっているからです。
そしてラストはと言えば、
もう、何がしたいのか分からない、という感じ……

というわけで、
いろいろイマイチな点はあるのですが、
その中でも一番ピンとこなかったのは、
そもそもナディーヌのような、
美しくて賢くて強い女性が、
カルロみたいな中途半端な男と恋に落ちることです。
この女性監督は、
こういうタイプが好きなのかもしれませんが、
まったく魅力がない。
となると、映画全体の説得力もないわけです。

アイサ・マイガはきれいでした。
彼女がイタリア語ができること、
初めて知りました。
(彼女が、夫や姉とフランス語で話す場面もありました。)

セネガルのネタが1つ増えたので、
それはまあよかったということにしましょう。

脱感作


2018年10月26日金曜日

『デッドプール』

このタイミングで見ないと、
もう見ることはないかも、と思って見てみたのが、

『デッドプール』

です。
そう、先に「2」を見てしまったので、
一応第1作も確認しておこう、と思ったわけです。

https://www.youtube.com/watch?v=f6K6OO8f5O4

やはり、こちらを見たほうが、
「2」の理解が深まるのは確かでした。
どうやって主人公がデッドプールになったのかとか、
なぜ今の外見になったのかとか、
金属男たちとの関係はどういうものなのかとか、
その辺がはっきりしたからです。

まあ、アメリカのエンタメ映画ですから、
そういう意味に限って言えば、
かなり「いい」と思いました。
メタなギャグもすでにありました。
PCがらみの発言は、
少ないですが、
これもありました。

でも、2作見てみて、
やはり、「コミック」なんだなあ、という印象です。
見終わった感じが、
コミックを読み終わった感じに近いというか。

X-Men 自体は、
たとえば60年代には、
反体制運動の比喩だったと言われますが、
(そう「本人」が言ってました、「2」の中で)
今回の2作を見て、
時代的な何か、の比喩だとは感じませんでした。
逆に「1」なら『美女と野獣』的な、
もっと普遍的なものに接続させたいのだろうと感じました。
まあ、それ自体、
やや手垢がついてもいますが。

25,000円

日本の平均株価が官製相場であり、
その意味でバブルであることは、
よく知られているのでしょう。
株自体がある種の「商品」である現在、
実体経済との間に乖離があっても、
それはそれ、という面もあるでしょう。

が、今回は、
やはりアメリカの実体経済の指標の悪化が、
連鎖的な株安を呼び込んでいるようです。

で、
今ほんのちょっと振り返るだけで、
過去の「プロ」たちの見立ての成否が、
興味深いことになっています。

たとえば東洋経済のこれは、

https://toyokeizai.net/articles/-/193288

2017年の年末までに、25,000円になると予想しています。
実際には、24,000円に届きませんでした。

で、その昨年末、
「プロ」たちはなんと言っていたのでしょう?
5月に25,000円、
年末は2万円台後半、
というのが彼らの見立てでした。

https://diamond.jp/articles/-/153364

5月については、未達成でした。

さて、
「今年の年末に25,000円へ」ということなら、
多くの「プロ」が予想していました。

まずは日経のこの記事。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO31949420Z10C18A6EN2000/

これも日経。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO31646910S8A610C1920M00/

これも。

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO36466230T11C18A0EA3000/

まあ、日経はあくまで業界紙ですから、
その業界が盛り上がる記事を掲載したいという気持ちは、
ある程度理解できます。
話し半分、というところでしょうか。

ふたたび東洋経済。

https://toyokeizai.net/articles/-/235659

そしてこれは、「遅くとも来春」までには27,000円(!)だと言っています。

http://blogos.com/article/311604/

(現実ではなく「話し」の)景気の良さなら、
こちらも負けていません。

https://www.mag2.com/p/money/341364/2

最低でも、年末に25,200円、ということですね。

年末まで、あと約2か月。
どんな結果になるんでしょうか?

2018年10月25日木曜日

『デッドプール2』

ちょっと気になっていたアメリカ映画、

『デッドプール2』

を見てみました。

https://www.youtube.com/watch?v=gFiNL_CryDc

アメリカのヒーローもの、X-Men は、
もう10本ほど作られています。
ただ、今調べたところでは、
その間ずっとチームのメンバーだったキャラはおらず、
常にメンバー交代を繰り返してきたようです。
で、このデッドプールも、
そうしたメンバーの一人で、
今回はだから、
彼を主人公にしたスピンオフ作品ということになるそうです。

デッドプールは、死ぬことができません。
それが彼の強みであり、弱み。
そんな彼が、やはり超能力を持った少年を助けたり、
未来から来た強敵と戦ったりと、
そのへんは「王道」です。
が、この映画が見たかったのは、
かなり「メタ」な部分があると聞いていたからです。
さらには、「政治的な正しさ」を揶揄しているとも。

この2点は、まさにそうでした。
分かりやすいところでは、
突撃直前、
主人公はカメラに向かって、
「音楽、スタート!」
と言ったりもします。
またPCについては、
たとえば「X-Men」という名前について、
これはあまりに男性中心主義的だから、
「X-Force」に代えよう、という提案を、
主人公自身がしたりします。
この感じ、
主張そのものはたしかにPC的で、
それを論理的に否定するのは難しいけれど、
それをたた過度に行うことで、
昨今の過剰なPCをからかっているようです。
(日本の平均的な感覚からすると、
二段階進んでいるのでしょう。)

娯楽作品だし、
ふざけているのだけれど、
でも、こんな作品が出てくるところは、
アメリカ映画の厚みなのだろうと感じました。

2018年10月21日日曜日

Par instinct

アレクサンドラ・ラミー主演の映画、

Par instinct (2017)

を見てみました。


現実的ではないと、
もちろん言えば言えるし、
詰め込み過ぎた感がないわけではないし、
バランスが崩れているという指摘も頷けますが、
それでもわたしは、
とてもチャレンジングで、
見てよかったと思いました。

リュスィーは40歳の弁護士で、
夫は弁護士という恵まれた境遇。
アルマ橋からすぐのアパルトに住んでいます。
そしてやっとのことで妊娠し、
ベイビーは順調です。
一方、あまりに対照的な女性、ビューティーは、
ナイジェリア出身の18歳。
彼女の父親は、ビューティーのいとこが働く売春&人身売買組織に、
彼女を売りました。
そしてアルジェリアはタンジェに連れてこられる途中、
怪しげなブローカーにレイプされ、
タンジェに着いた今は、大きなおなかを抱えています。
でも、子供への愛着などまったくありません。

ある日、
リュスィーは仕事でタンジェに出かけます。
(夫は彼女の体を考え止めたのですが。)
彼女は、案の定滞在中のホテルで出血し、
駆け込んだ病院で流産してしまいます。
そしてちょうどその時、
路上で破水し担ぎ込まれたビューティーが、
小さな赤ん坊を生み、
そしてこの二人の女性は、
同じ病室に入ることになるのです。

当初、まったく赤ちゃんを世話する気のないビューティーを見かね、
リュスィーは赤ちゃんを可愛がります。
そしてやがてビューティーは、
リュスィーが身につけていた指輪や時計と、
赤ちゃんを交換してくれと言い出すのです。
その時にはすでに、
リュスィーは赤ちゃんに情が移っていました……

ここまでで、
ストーリー全体の 1/4 くらい。
つまり、まだまだ紆余曲折があります。

この映画でのタンジェの街は、
ほんとに迷路のうよう。
ただ、お店の人などはもちろんアラブ系なのですが、
ヒロイン二人がヨーロッパ系とアフリカ系で、
そうした出会いの場所として選ばれている感じは強くします。

ナイジェリア人であるビューティーが、
出産した病院で国籍を訊かれ、
セネガル、と嘘をつく場面があります。
でも看護師がそれを見破り、
フランスに行き易くしたいんでしょうけどそれはダメ、
と言われてしまいます。
ちょっと印象的でした。

ただ、わたしがいま一つだと感じるのは、タイトル。
「本能で」というのは、
ちょっと古い気がします。
これって、中心的には、
いわゆる「母性愛」のことを言ってるんでしょうけど、
ちょっとピント外れのような……

ちなみに監督のナタリー・マルシャックは、
俳優として『ロシアン・ドールズ』などにも出ています。

今夜の

おかずは、
鯛のソース・アメリケンヌ。


おいしゅうございました。

2018年10月20日土曜日

出席に!

クレテイユの高校での「事件」です。
仲間と一緒に授業をさぼった生徒の一人が、
パソコンで仕事中だった担当教員のもとを訪れ、
なんと拳銃で脅しながら、
おれを出席にして!
と要求したようです。
ヴィデオがあります。

https://www.bfmtv.com/police-justice/creteil-un-lyceen-menace-sa-prof-avec-une-arme-pour-qu-elle-le-note-present-1548469.html#xtor=AL-68

銃が本物かどうか、
まだ発表されていないようです。
60歳の女性教員は即日告訴し、
この生徒はすでに警察に事情を訊かれているようです。

That's the way !

高級ディスコ復活、なんですね。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181020-00000008-kobenext-ent

わたしたちが通っていた新宿のディスコは、
まったく「高級」じゃなかったし、
この記事で言及されている
1980年代後半から90年代前半
でもなくて、
1970年代の中盤のことでした。
10年以上の差があります。
で、
往年のヒット曲として、

That's the way ( I like it )
https://www.youtube.com/watch?v=Ag9V5p9Rth0

が挙げられていますが、
この曲はわたしたちがリアル・タイムで踊った曲で、
発表は 1975年。

(この曲は、「オールド・マン」という名の踊りで踊るのです。
https://www.youtube.com/watch?v=TQ9kmr2PIxQ

つまり、「高級ディスコ」でかかっていた(らしい)80年代後半時点では、
わたしたちにとってはすでに「懐メロ」だったわけです。
もちろん、
あとからやってきたディスコ・ファンにも愛される、
それだけ魅力ある曲だということなのでしょう。

ちなみに、
映画『サタデーナイトフィーバー』は 1977年。
高校生だったわたしたちとしては、
やっと映画になったのね、
という感覚でした。

L'Âge d'homme... maintenant ou jamais !

アイサ・マイガが出ているという1点で見てみたのは、

L'Âge d'homme... maintenant ou jamais !(2007)

です。

https://www.youtube.com/watch?v=IuXgcH6UXsc

パリ13区、
のんきなサミュエルは、
写真家のティナと暮らしていますが、
いつかティナにふられそうな予感がしてもいます。
で、
そろそろ落ち着こうかと思い始めているサミュエルは、
24時間以内に、
ティナともう一歩先(→結婚)に進むか、
もう別れることにするか、
決めることにします。
でもサミュエル君は……
たまたま知り合ったきれいな女性にふらふらし、
昔馴染みの女のことは un petit sexe を楽しみ……
という話です。

まあ、しょーもないといえばしょーもない。
そしてこの手の優柔不断男を演じさせたら当代一、
ロマン・デュリスその人がサミュエル役です。
それにしても、
彼ほど映画的ペルソナがはっきりしている俳優って、
そんなにいない気がします。

アイサ・マイガはきれいでしたが、
深さが求められる役どころではありませんでした。

*監督の ラファエル・フェジト  は、
ルイ・マルの『さよなら子供たち』で、
ジャン・ボネを演じていた人です。

Une saison en France

サンドリーヌ・ボネールは、
いわゆる「フランス映画」への出演も多いですが、
一方で、

https://tomo-524.blogspot.com/2018/08/prendre-le-large.html

のような映画にも出ていて、
その出演作をもう一度たどってみるのも、
なにか発見があるのではと思っています。
で、
今回は、彼女が大きな役で出ている、

Une saison en France(2018 1月)

を見てみました。

https://www.youtube.com/watch?v=SQVUYZRIp2U

パリ郊外に住む、アフリカ系の親子3人。
かつて中央アフリカで高校の先生をしていた、
父親のアバス。
そして小学生の兄と妹です。
彼らは、中央アフリカでの内戦を避け、
旧宗主国フランスでやり直すため、
パリまでやってきました。
ただ子供たちの母親は、
その厳しい旅の途中で、殺されてしまいました。
アバスは今、
難民申請中の結果を待ちながら、
マルシェで働いています。
そして、同じマルシェで働くキャロル(S. ボネール)とは、
恋人関係です。
(キャロルもまた移民であり、
かつでパスポートの更新を拒まれかけた経験があります。)
けれど、申請は却下。
アバスには、OQTF が言い渡されます。

*OQTF :https://www.service-public.fr/particuliers/vosdroits/F18362
     「フランス領土退去命令」

難民収容所を追い出され、
その後に借りたごく小さなアパルトも家賃が払えず、
結局3人はキャロルのところに。
けれどもやがてそこにも警察が現れ、
キャロルまで警察に呼び出されてしまいます。
(OQTFの人を手助けすることは、犯罪なのです。)
アバスは、キャロルに迷惑がかかることを恐れ、
子供二人と出て行くのですが……

まず、中央アフリカ、が1つのポイントでしょう。
フランスの移民映画に、
中央アフリカ出身者が出てくることは稀です。
公用語はフランス語だし、
かつての植民地だったのに、です。
1つには、中央アフリカ内戦による難民は、
チャドなど周辺国に移動するケースが多く、
ヨーロッパまで来る人は少ない、ということもあるでしょう。
ただ、もっと根深いというか、
状況に根差した無関心というものもあると感じられます。

これはとても参考になる記事でした。
https://news.yahoo.co.jp/byline/mutsujishoji/20170710-00073097/

劇中にはもう一人、
アバスの友人である中央アフリカ出身者が登場します。
彼エティエンヌもまたかつての先生で、
二人は本の貸し借りをしているのです。
そしてエティエンヌは、
おそらくはヴィレット運河あたりの橋のたもとの空き地に、
自分でごく小さなバラックを建て、そこに住んでいます。
机には本が並んでいます。
けれどある日、彼が仕事から帰ってみると、
誰かのいたずらか、
彼の家は全焼していました。
しかも彼もまた難民申請を却下され、
行き場を失った彼は、難民センター内で、
焼身自殺を図るのです……

必死に生きようとする人たちの情熱と、
それをするための前提が失われたときの無力感が、
よく伝わってくる映画でした。

*OQTF といえば、『サンバ』です。
https://www.jiji.com/jc/v4?id=hssfranse-012-17030001

2018年10月16日火曜日

『無防備都市』

イタリアン・ネオリアリズモの代表作の1つ、
ロッセリーニの

『無防備都市』(1945)

を、大学院のゼミで見てみました。
タイトルは「無防備」ですが、
第2次世界大戦末期、
ローマ側のそうした宣言は実質上無視され、
ローマはドイツ軍の支配下にありました。
その時代の「恐怖」(ロッセリーニ)が描かれています。

https://www.youtube.com/watch?v=nmpAlVam8Uw

これを見たのは、
40年ぶり? くらいですが、
さすがの傑作だと感じました。
同じころに見た『自転車泥棒』も、
もう一度見たくなりました。

2018年10月14日日曜日

『ヴェニスの商人』

ヴェニスと言えば、
中世の封建時代においては、
代表的な自由都市であり、
自治的で、独立的な空間でした。
特に14、15世紀ごろには、
その最盛期を迎えたとされています。

シェークスピアの『ヴェニスの商人』は、
この自由都市を舞台として、1596年に発表されました。
16世紀末ですから、最盛期ほどではなく、
かといってナポレオンに征服されるのはまだ200年も先であり、
十分に自治都市として機能していた時代です。
自由都市なので、
各地で迫害されたユダヤ人もやってきたし、
キリスト教徒と言っても、
他の地域の信者とはまた一味違っていたという指摘もあります。

『ヴェニスの商人』を読んだのは30年以上前で、
ほぼまったく覚えていません。
で、今回は、
映画版を見てみました。
(繰り返し映画化されるシェークスピア作品ですが、
この『ヴェニスの商人』だけは、
ほとんど映画化されてきませんでした。)


物語の中心にあるのは、
クリスチャンの貿易商、アントーニオと、
ユダヤ人の金融業者、シャイロックとの対立です。
前者は今、全財産を貿易船に投じています。
上手くいけば大金を手にするだろうし、
船が難破したりすればすべてを失います。
一方後者は、ユダヤ人共同体の中で生き、
当然娘のジェシカもユダヤ人です。
けれどこのジェシカが、ある男と駆け落ちを企てていることを、
シャイロックは知りません。
そして前者は後者を、
「猿」だの「犬」だのと言って蔑んでいます。
利息を取るのは許せない、というわけです。
(自分たちは奴隷を使っているのですが。)
しかし……

ある時アントーニオは、
年下の友人バサーニオから、
資金援助を要請されます。
バサーニオには借金があり、
それを一気に片付けるため、
莫大なお金を相続したポーシャを射止めるため、
軍資金がいるのです。
しかしアントーニオには、手持ちのお金がありません。
彼は仕方なく、
ふだんは蔑んでいるシャイロックに借金を申し込みます。
シャイロックはあきれながら、
利息なしで貸してやろう、
その代わり期限に遅れたら、
おまえの肉を1ポンドもらう、と言い放ちます。
アントーニオは承諾します。

その後バサーニオの作戦は成功します。が、
期限内にお金を返却することはできず、
アントーニオは肉をはぎ取られることになります。
けれどその裁定の場に、ある博士が登場し、
一休さん風の裁定を下します。
肉は取っていい、が、血はダメだ、と。
もちろんそんなことはできませんから、
シャイロックは仕方なく、
(やっと用意できた)お金の受け取りで済まそうとしますが、
博士は、シャイロックが肉に固執したことを言い募り、
元金も返却する必要はない、と言い出すのです。
そしてついには、
アントーニオの命を脅かした罪で、
シャイロックの財産を没収するとまで。
(この博士とは、実は変装したポーシャでした。)

その後、アントーニオが「慈悲」を見せ、
シャイロックの財産没収は撤回されます。
でも、死後は、駆け落ちしたジェシカとその夫に、
財産が渡ることになります。
そしてその夫とは、
バサーニオの友人なのです……

『ヴェニスの商人』については、
おそらく膨大な先行研究があるのでしょうから、
ずぶの素人がなにかを書くのはかなりためらわれるのですが、
とにかく、いくつも疑問が残りました。

たとえば、バサーニオという人物。
高等遊民というのか、
消費的、快楽主義的で、
とくに何もしておらず、
金満世界をうまく泳いでいる男が、
大金を相続し、
男選びだけに専心している女と結びついたということ、
それは何を意味しているのか?
背景の家父長的な社会構造と、
どんな関係にあるのか?

また、変装したポーシャが裁定を下すというのは、
あまりに荒唐無稽で、
隠された意味があるのでしょうけれど、
それが何なのか、すぐにはわかりません。
今の目から見れば、
単なる大金持ちのお嬢さんの、
単なるデタラメです。
コメディということなのかもしれませんが、
これも現代の目から見れば、
ユダヤ人シャイロックが可哀そうすぎます。
まあ、民族差別的なわけだし。
(シャイロック自身もお金持ちだから、
経済的な格差による差別とは言えませんが。)
にもかかわらず、
ポーシャやアントーニオが麗しく、
清廉に描かれている。
これって皮肉?
それとも書き手が、
当時の時流に合わせた?

たしかに、
全財産を貿易に投じたアントーニオの不安は現代的だとか、
シャイロックの内面的多層性が現代的だとか、
バサーニオの消費的性向が現代的だとか、
一見かしずいているようで、
実際は主導している女性たちが現代的だとか、
は言えるでしょう。
でも、どうでしょう、
書き手の隠されたメッセージは、
わたしなどには読み取りにくいままです。

もっと勉強しないと。

2018年10月12日金曜日

『人生スイッチ』

アルモドヴァルが製作に加わっている映画、

『人生スイッチ』()

を見てみました。
まあ、Amazon Prime で無料だったので、
気軽に見てみたわけです。

https://www.youtube.com/watch?v=m5Zyf_J_ylE

舞台はアルゼンチン、ブエノスアイレス。
6つの物語から成る、
短編集のような映画なんですが、
どれもストーリーがおもしろくて、
感心しました。
監督と脚本を担当したダミアン・ジフロンは、
1975年生まれの若手です。
ブラックな面もあるのですが、
それは悪意というのとはちがって、
見ていてイヤになりませんでした。
(ただそれは、
やや甘い、という印象を与えないでもないのですが。)
俳優たちも全体に演技が正確で、
総じて、楽しめる作品だと思いました。

「タイキョの瞬間」

各方面から批判が噴出しているので今さらですが、
でもほんとにひどいです。
メディアの劣化、
というのは今では決まり文句になってしまいましたが、
これは単に質が落ちたという話ではなく、
マイナスに加担するという、
なんならフジテレビは消えてくれた方が人々のためになる、
という気持ちにさえさせるものですね。

https://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2018/181005-i380.html

特に副題の、
「出て行ってもらいます!」
というのは、サイテーだと感じます。
(まあ、他のチャンネルでも、
同じ精神で作られた番組を見た記憶はあります。
強権的で排外的な態度をとることに、
優越的で陰湿な喜びを感じる、
そういう心理を助長する態度、
ということです。)

2018年10月10日水曜日

『はじめてのおもてなし』続

もう、巷で言われていることなんでしょうが……

この映画は、
ナイジェリアからの移民の青年を、
ミュンヘンに住むブルジョワ家庭が受け入れる、
という話なわけですが、
この受け入れ家庭は、
医師のリヒャルトと、
もと校長先生であるアンゲリカの夫婦が中心です。
で、
リヒャルトと言えば、
そう、まずはリヒャルト・ワーグナーが思い出されます。
そして、彼が反ユダヤ的だったこと、
彼のオペラのでは、
ファルス中心主義的な人物が目立っていたことを考えれば、
この映画のリヒャルトは、
作曲家のリヒャルトをモデルにしたものだろうと考えられます。
ヒトラーも、ワグネリアンでした。

そしてアンゲリカですが、
彼女の思想のバックボーンにはキリスト教があり、
難民受け入れに熱心で、
まぎれもない「西洋の女」(←と自分で言うのです)であり、
名前が「天使」がらみだということを考えれば、
これは、
どうしてもアンゲラ・メルケルを考えないわけにはゆきません。
だとすると……
なんとこの夫婦は、
夫がリヒャルト・ワーグナー、
妻がアンゲラ・メルケルなのです!

ドイツで大ヒットしたというのは、
このあたりのこともあったのだろうと、
推察しています。

(そして実は、
映画のリヒャルトは性的に不能です。
これは……
彼のファルス中心主義は、
もう内部から崩壊しているということなのでしょう。
そう言えば、ウェルベックの小説では、
主人公の不能が、
ヨーロッパの衰退を象徴していました……)


2018年10月8日月曜日

『はじめてのおもてなし』

今日の大学院のゼミでは、ドイツ映画

『はじめてのおもてなし』(2016)

を見ました。
(この邦題、ちょっと「キモイ」です。
『ハートマン家へようこそ』ですね。
そもそも、「おもてなし」なんかじゃありません。)

https://www.youtube.com/watch?v=tmklOzR8LgI

ナイジェリア出身の難民ディアロが、
かなりのブルジョワであるハートマン一家に迎えられる、
というお話です。
が、
映画として、かなり大きな欠陥があると思いました。
要は、ディアロ君の描き方と、
ブルジョワ家庭のメンバーのそれとの間に、
大きな差があるのです。
かたやステレオタイプ、
かたや屈託ある内面を抱えた近代人。
というわけで、この映画は「問題あり」なんですが、
それはそれとして、
描かれていることがらの構造や意味などについて、
みっちり議論しました。
おかげで、終わったのは7時近かったのですが、
なかなか充実していて、楽しかったです。

2018年10月7日日曜日

Pattaya

フランク・ガスタンビッドと言えば、
俳優としての長編デビューはこれ、


そして監督としてのデビュー作は、


でした。
で、今日見たのは、
監督としての第2作目である

Pattaya (2016)

です。
これ、LES KAÏRA 同様の「郊外」のノリで、
辞書に出てない単語が満載の映画でした。
(ちなみに第3作目が Taxi 5)


ガスタンビッド自身が演じるフランキーは、
恋人(サブリナ・ウアザニ)にフラレタばかりで、
でも未練満載です。
彼のダチであるクリモもまた、
ぜんぜんカノジョができず、
ふたりは、もうこんな街出ていきたい!
と思っていました。
で、クリモのいとこのレザ(ラムジーが演じます)が、
タイのパタヤで「チョー楽しい」暮らしをしているのを知り、
どうしても行きたくなりますが、お金がない……
そこで目を付けたのが、
パタヤで行われる「小人タイ・ボクシング選手権」です。
ダチの小人であるカリムを選手に仕立て上げ、
主催者から招待してもらうことに成功します。
ただし、小人のカリムはまじめなムスリムで、
そんなことはまったく知らされていません。
「メッカに巡礼に行く」と聞かされています。
(3人ともアラブ系です。)
で、パタヤに着いたはいいのですが、
もちろん、本当の混乱はここから始まるのでした……

ノリはいいし、
それなりにスピード感もあるので、
まあ楽しんでみられるのですが、
単におバカなだけでもありませんでした。
小人のカリムは、
実はふたりの企みに気づいていたのですが、
彼らにいつか「敬意」というものを教えようと、
あえて企てに乗っていたのです。

この映画は、
「まじめ」な日本では公開の可能性はごぼゼロでしょう。
でも、これもフランスなのでしょう。

「全員野球」の「あの珍言」

新しい閣僚について、
今までの発言をまとめた記事がありました。
なかなか勉強になるので、
読めなくなる前に全文コピーして、
忘れないようにします。

ネタ元はここです。

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/「杉田水脈さんは国家の財産ですよ」ほか、“全員野球”安倍内閣の“あの珍言”をもう一度/ar-BBO0oVi?li=BBfTvMA&ocid=spartanntp#page=2

書き手は大山くまお氏です。

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「杉田水脈さんは国家の財産ですよ」ほか、
“全員野球”安倍内閣の“あの珍言”をもう一度


大山 くまお 2018/10/06 07:00 


 102日、安倍晋三首相が内閣改造と自民党役員人事を行った。初入閣が12人にも及ぶ第4次安倍改造内閣について、「実務型の人材を結集した」と語った安倍首相は「全員野球内閣」と命名したが、評判は上々とは言えないようだ。さっそく新閣僚からはさまざまな発言が飛び出している。過去の発言もあわせて振り返ってみたい。



柴山昌彦文科相


「(教育勅語について)アレンジした形で、今の道徳などに使える分野があり、普遍性を持っている部分がある」

 初入閣した柴山昌彦文科相は就任会見で、戦前の教育で使われた教育勅語について「今の道徳などに使える」「普遍性を持っている部分がある」などと語った。「同胞を大事にするなどの基本的な内容について現代的にアレンジして教えていこうという動きがあり、検討に値する」とも述べた。


 教育勅語とは明治天皇の名前で1890年に発布されたもので、戦前から戦中にかけて思想面で国家総動員体制を支えた。「君主」である天皇が「臣民」の国民を諭す形をとっており、国民主権、個人の尊重を掲げた現在の日本国憲法とは根本から相容れない。1948年に衆参両院で排除と失効が決議された。衆議院の決議では教育勅語が基本的人権を損ない、憲法に反するものだと明確に位置づけている。


 教育勅語には親孝行や友愛などの徳目も含まれるが、ならば親孝行や友愛について教えればいいことであり、教育勅語にこだわる理由は1ミリもない。近現代史研究者の辻田真佐憲氏は、教育勅語が成立した歴史と内容について論じつつ、「部分的に評価できるところがあるからといって、『教育勅語』全体をそのまま公的に復活させようなどという主張はまったくのナンセンス」と結論づけている(現代ビジネス 2017123日)。


 柴山氏は5日の記者会見で「現在に通用する内容もあるが、政府として教育勅語の活用を(学校現場などに)促す考えはない」と語ったが(産経ニュース 105日)、そんなの当たり前のことだ。





過去に教育勅語を“推した”政治家たち



下村博文 自民党・憲法改正推進本部長


「(教育勅語には)至極まっとうなことが書かれており、当時、英語などに翻訳されて他国が参考にした事例もある」


産経ニュース 201449


稲田朋美 自民党・筆頭副幹事長・総裁特別補佐


「教育勅語に流れている核の部分は取り戻すべきだと考えている」


日本経済新聞 電子版 201738


 近年、積極的に教育勅語について発言していたのは、下村博文氏と稲田朋美氏だ。


 下村氏は文科相だった201448日の参院文教科学委員会で「(教育勅語を)学校で教材として使う」ことは「差し支えない」と発言。同日の記者会見でも「至極まっとう」と語っていた。稲田氏は防衛相だった20173月、参院予算委員会で「勅語の精神は親孝行、友達を大切にする、夫婦仲良くする、高い倫理観で世界中から尊敬される道義国家を目指すことだ」と発言していた(毎日新聞web版 201738日)。松野博一氏も文科相時代に「教育勅語を授業に活用することは、適切な配慮の下であれば問題ないと思います」と発言している(文部科学省ウェブサイト 2017314日)。


 自民党の和田政宗参院議員は下村氏の発言を下敷きに「教育勅語の精神を教育現場で活用することについて、柴山文科大臣の発言を批判している人がいるが、従来答弁を踏襲したもので、何ら問題はない」と柴山氏を擁護した(ブログ 104日)。なるほど、柴山氏は「政府として活用を促すことはない」と答えていたけど、自民党としては「教育勅語の精神(?)を教育現場で活用すること」に「何ら問題はない」と考えているわけね。


 なお、下村氏と稲田氏は、今回の党役員人事で要職に復帰しているところが共通している。下村氏は、安倍首相にとって悲願である憲法改正について具体案を議論する憲法改正推進本部の本部長に就任。稲田氏は総裁特別補佐に就任した。


片山さつき 地方創生相


「国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的考え方です」


ツイッター 2012127


 唯一の女性閣僚として初入閣した片山さつき地方創生相のツイッターより。この発言には「国があなたに何をしてくれるか、ではなくて国を維持するには自分に何ができるか、を皆が考えるような前文にしました!」という続きがある。「前文」とは自民党の憲法改正草案の前文を指す。国家ありき、国民はその後という人権についての考え方なのだろう。


柴山昌彦 文科相


「(渋谷区に同性愛者が集まったら)問題があるというよりも……社会的な混乱が生じるでしょうね」


テレビ朝日『ビートたけしのTVタックル』201532


 これは当時、自民党のヘイトスピーチ対策プロジェクトチームで座長代理を務めていた柴山氏が渋谷区の同性パートナーシップ制度について議論する番組に出演したときの発言。このときは「同性婚を制度化したときに、少子化に拍車がかかる」とも発言し、エッセイストの阿川佐和子氏から「国のために役に立たない人間は認めないって話じゃないですか」と反論された。LGBTカップルのことを「生産性がない」と語った杉田水脈・自民党衆院議員とも通じる考え方だ。なお、柴山氏は2012年に「少し時間ができたので小川榮太郎氏の『約束の日 安倍晋三試論』を読み返す。闘志をかきたてられる一冊だ」ともツイートしている(108日)。


桜田義孝 五輪担当相


「(放射能汚染されたごみの焼却灰は)人の住めなくなった福島に置けばいいのではないか」


時事ドットコムニュース 105


 政府は東京五輪を「復興五輪」としているが、新たに五輪担当相になった桜田氏は文部科学副大臣だった2013年にこのような発言をしていた。桜田氏は5日の記者会見で過去の発言について「誤解されるような発言があったとすれば私の不徳の致すところだ」と陳謝したが、誰も誤解なんかしていない。


 なお、桜田氏は五輪担当相の就任会見の冒頭、「パラリンピック」と上手く言えずに4回言い直していた。臨時国会で審議予定のサイバーセキュリティ基本法改正案について答弁する予定だったが、首相官邸が桜田氏の答弁を不安視しており、別の閣僚への変更を検討しはじめたという(朝日新聞デジタル 104日)。



「黙れ、ばばあ!」が話題の平井卓也氏



平井卓也 科学技術・IT担当相


EM菌を使っている方がたくさんいるので幹事長を引き受けた。中身はよく知らない」


毎日新聞 103


 初入閣の平井卓也科学技術・IT担当相は、科学的裏付けのない有用微生物群(EM菌)の利用を目指す超党派の「有用微生物利活用推進議員連盟」の幹事長を務めている。EM菌は実態の定義も概念の意味も不明瞭な疑似科学で、何の効果もないと批判されている。記者会見でEM菌議連の幹事長を務めていることについて問われた平井氏は「中身はよく知らない」と釈明した。よりによってすさまじい人を科学技術相に選んでしまった。


平井卓也 科学技術・IT担当相


「黙れ、ばばあ!」


中日新聞プラス 2013629


 自民党ネットメディア局長時代の2013年には、「ニコニコ動画」上で生中継された党首討論で、社民党の福島瑞穂氏に対して「黙れ、ばばあ!」、日本維新の会の橋下徹氏の欠席が伝えられたときには「橋下、逃亡か?」などと書き込んでいたことが明らかになっている。安倍首相の発言の際は「あべぴょん、がんばれ」などと書き込んでいた。取材に対して「(国会の)やじみたいなものだ」と釈明している。これがIT担当相……。


桜田義孝 五輪担当相


「(従軍慰安婦は)職業としての売春婦だった。犠牲者だったかのような宣伝工作に惑わされ過ぎだ」


日本経済新聞 2016114


 桜田氏の発言をもう一つ。自民党の外交関係合同会議で、韓国との従軍慰安婦問題についてこう発言した。この前年12月末の日韓合意で政府は慰安婦問題に関し、旧日本軍の関与と責任を認めたばかりだった。


原田義昭 環境相


「南京大虐殺や慰安婦の存在自体を、我が国はいまや否定しようとしている時にもかかわらず、申請しようとするのは承服できない」


朝日新聞デジタル 2015102


 こちらはユネスコの世界記憶遺産登録をめぐる中国の動きへの対策を検討する自民党の国際情報検討委員会で、委員長だった原田氏の発言。原田氏はラジオ番組のインタビューでも「南京の虐殺というような評価にはまったく当たらない」などと発言していた(TBSラジオ『荻上チキ・Session-2220151019日)。


話題の“あの人”の擁護も……

原田義昭 環境相


「杉田さんは自民党だけではなく国家の財産ですよ」


『ジャパニズム』41210日発売)


 今年210日に発売された雑誌『ジャパニズム』で杉田水脈衆院議員と対談した原田氏は、「国家の財産」と絶賛した。原田氏はほかにも「僕なんか杉田さんが来るの夢みたいに待っていたんでね」「杉田さんの認識はきわめて一般的ですよ」などと語っている。


稲田朋美 自民党・筆頭副幹事長・総裁特別補佐


「ミサイル防衛で1発目のミサイルを撃ち落とし、2発目(が撃たれる)までに敵基地を反撃する能力を持っていない状況でいいのか」


朝日新聞デジタル 102


 これはつい先日の発言。北朝鮮問題のシンポジウムにゲストとして登場した稲田氏は、「北朝鮮は実は非核化の意思はないんじゃないか。経済制裁を緩めるべきではない」と圧力路線を主張。自衛隊による敵基地攻撃能力の保有を訴えた。日朝首脳会談の実現は稲田氏にとって眼中にないらしい。



安倍首相は「全員野球内閣」と言うが……

 第4次安倍晋三改造内閣について、プレジデントオンライン編集部は「“右寄りのお友達”で固めた安倍内閣」とストレートな見出しを打っている(104日)。共産党の小池晃書記局長は「全員野球内閣」というキャッチフレーズに引っかけて「首相と同じ毛色の政治家をそろえた右バッターばかりの『お仲間内閣』」と表現した(ツイッター 102日)。


 今回の内閣では、公明党所属の石井啓一国土交通相を除き、安倍首相と自民党所属閣僚の19人全員が「靖国」派改憲右翼団体と連携する「神道政治連盟国会議員懇談会」と「日本会議国会議員懇談会」の二つの議連のいずれかに加盟歴があることが明らかになっている(しんぶん赤旗 104日)。


 安倍首相は記者会見で「希望にあふれ、誇りある日本を創り上げ、世代に引き渡すため、内閣一丸となって、政策の実行に邁進する決意です」と語ったが(産経ニュース 102日)、いったいどのような国になってしまうのか注視していきたい。


(大山 くまお)

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2018年10月6日土曜日

『ボヘミアン・ラプソディ』

ああ、こんな映画が来るんですね。

http://www.foxmovies-jp.com/bohemianrhapsody/

私が高校生だった頃、
クイーンとディープ・パープルは、
日常的には一番聞く BIG 2 という感じでした。

(あわてて付け加えますが、
もちろん、人気者 KISS もいたし、
王者 ツェッペリンもいました。
また、ブラック・ミュージックも聞いていたので、
そちらでは、
なんといってもスティーヴィー・ワンダーを偏愛していました。
クール&ザ・ギャングもコモドアーズも、
スタイリスティックスも大好きでした。)

映画のタイトルでもある「ボヘミアン・ラプソディ」は、
通学時、駅から高校までの道すがら、
バンド仲間よく歌いました。
もちろん、スタジオを借りて練習する時も。
だから、思い入れのある曲ではあります。
また、歌詞の途中にでてくる仮定法過去完了を使った願望の文も、
英語勉強中の高校生にはしっくりきました。
「生まれてこなければよかった……」
という部分です。

で、
この映画の公式HPで、
盛り上げるためでしょう、
「楽曲総選挙」なるものが行われていました。

http://www.foxmovies-jp.com/bohemianrhapsody/campaign/

でも、
わたしにとって一番馴染みのある曲は、
エントリーされていません。
わたしなら、これです。

https://www.youtube.com/watch?v=1GMsnkzKlE4

このヴィデオ、1975年ですね。
このときのツアー、行きました。
武道館でした。
「ボヘミアン・ラプソディ」の途中で、
フレディーが音程を外して、
わたしたちはそれ以降、
必ずフレディーと同じように外して歌いました!
もちろん、彼が好きだったからで、
揶揄う気持ちはまったくありません。
そして、コンサートの最後の曲、
それがこのヴィデオです。
わたしたちのしけたバンドも、
文化祭などで演奏するときは、
ラストはこの曲にしていました。

今でもこの曲は、
フルコーラス歌えます!

2018年10月5日金曜日

<ユゴーはいかにして『レ・ミゼラブル』を書いたか>

上智の仏文科が主催する講演会です。

http://dept.sophia.ac.jp/human/flit/講演会のお知らせ%EF%BC%882018-10-17%EF%BC%89/

おもしろそうです。

7 jours pas plus

ブノワ・ポールヴールドは、
『神様メール』

http://tomo-524.blogspot.com/2016/09/le-tout-nouveau-testament.html

の印象が強いですが、それ以外にも、

http://tomo-524.blogspot.com/2016/01/une-famille-louer.html

も悪くなかったです。

そして今回見たのは、
彼が主演したコメディー、

7 jours pas plus (2017)『7日間だけだぞ』

なんですが、
今回も彼は、いわば得意のキャラ、
つまり、気難しくて実はさびしい老人、を、
きっちり演じていました。

https://www.youtube.com/watch?v=dRaNaz50oiE

<以下、ネタバレします>
フランス北部で、
日曜大工用品を扱う店を営む50代の男、ピエール。
口が悪くて気難しい、いやなおじさんです。が、
彼の内面にある感じやすさを見出しているジャンヌは、
なんども彼にアプローチします。
上手くいかないんですが。
そしてある日の散歩中、
ピエールはある「事件」に遭遇します。
彼の目の前で、肌の浅黒い青年がクルマから放り出されたのです。
青年は助けを求めているようなんですが、
彼が話す言葉は一言も分かりません。
彼はインド人で、ベンガル語を話していたのです。

ピエールは仕方なく、
青年アジットが持っていた住所までクルマで送りますが、
そこに探し人(青年の叔父さん)はいませんでした。
で今度は警察に行きますが、
ピエールは横柄な警官と喧嘩してしまい、
仕方なく一晩泊めることにします。
もちろんイヤイヤですが。
で、翌日はパリのインド大使館へ。
でもここもダメで、
その後は思いついたことをいろいろやってみますが、
全部不調でした。

そして映画のラスト近く、
なぜ、ピエールはこんな人間になってしまったのか、
なぜ、アジットはインドを離れることになったのか、
が明かされます。
実はピエールはイタリア系で、
母親は、1975年、テロに巻き込まれて亡くなっていました。
で、ロッジ P2 などのテロに嫌気がさし、
ピエールの父はフランスへの移住を考えます。
そして、19歳になったピエールは、
1986年、パリに到着するのですが、
まさに到着したその日に、
彼もまたレンヌ通りのテロに巻き込まれてしまうのです。
そしてそのニュースを見た父親は、
ショックのあまり亡くなってしまいます。
2つのテロによって、
ピエールは孤児になっていたのです。
そしてアジットは……
実は彼も、フィアンセをあり得ないような事故で失っていました。
その事故を伝える新聞記事は、
ピエールの「無意味なニュース・コレクション」の一部として、
切り抜かれ、スクラップされていました……

あくまでコメディーなので、
(正確に言えば、悲喜劇でしょうか)
言い当てようと思えば、
結末を言い当てるのは難しくありません。
また、わたしは見ていておもしろかったですが、
フランスのメディアにはあまり受けないだろうと感じました。
(実際、そうでした。)
この映画は、
そうしたプロの批評家の目を、
気にしていない印象を持ちました。
伏線の貼り方も、
偶然の起こり方も、
キャラの設定も、奥行きも、
批評受けはしないものがからです。
わたしも、
この映画で論文を書こうとは思いませんが、
これはこれでいいんじゃないかとも感じました。

*この映画は、
アルゼンチン映画 Un cuento chino のリメイクだそうです。
こちらも見てみたいです。

2018年10月4日木曜日

『スノーデン』

オリヴァー・ストーン監督の映画、

『スノーデン』(2017)

を見てみました。
言う間でもなく、
あのエドワード・スノーデンの物語です。

https://www.youtube.com/watch?v=1h55rk84lW4

監視社会、というものについて、
いろいろなところでいろいろに語られてきていますが、
わたしも、かなり遅ればせながら、
最近少し考えるようになりました。
学部でも院でも、
中国人の学生と出会う機会が多いことも、
影響していると思います。

この問題は、
さまざまな切り口があるのでしょうが、
この映画を見終わった後だと、
国家支配 vs. 個人の基本的自由
という構図が重要に見えます。
新しくて古い独裁、ファッショ、に陥らないことが、
最優先に考えられるべきだろうと感じました。

パリ詩集

以前ここでも触れた、パリ詩集。
締め切りが来て、送りました!
わたしの分担は 5篇ですが、
その内3篇はわりと長いので、
書いた、という感じはするのでした。

何かを書くときは、
ふつう、読んでくれる人のことを考えながら書くわけですが、
詩を書く時だけは、
(いいのか悪いのか)
あまりそういう意識が働きません。
ただ今回の詩集(というか冊子みたいなものではありますが)は、
ふだんあまり詩を読まない人たちにも届くように、
という趣旨で始まっているので、
そのへんのことを、いつもより意識しました。
そして、いわゆる「詩」から少し離れたものも、
トライしてみました。

小さな本の、
それも一部に参加しているだけですが、
完成がとても楽しみです。

2018年10月1日月曜日

RIP Charles Aznavour

https://fr.yahoo.com/news/mort-charles-aznavour-après-longue-belle-vie-bohème-120306385.html

アズナブールと出会ったのは、
中学生の頃、
兄が持っていたEPレコードを通してでした。
たしか、A面が「ラ・ボエーム」、
B面が「ラ・マンマ」だったと思います。
で、
「ラ・ボエーム」は、
なんとか歌えた時期もありました。
今は、あそこまで「文学的」なものには、
もうついてゆけないのですが。

ティーンエイジャーには知りようのない一つの時代のことを
これから君たちに話してあげよう……


このヴィデオは、何回も見たなあ……




『東京暗黒街』

今日は、
台風の余波で午前中が休講。
で、午後の大学院の授業だけだったんですが、
みんなで、これを見ました。

http://tomo-524.blogspot.com/2011/02/blog-post_02.html

院生に一人、
サミュエル・フラー好きがいて、
彼はこの映画がとても気に入ったようでした。
なのでつい、
彼にDVDをプレゼントしたのですが、
DVDにとっても、
ファンの元にいたほうが、
きっと嬉しいことでしょう!

この映画、1954年制作なので、
実はあの『ゴジラ』と同じ年です。
こちらはカラーで、画面もきれい。
フィルムやカメラなどにかけているお金が、
だいぶ違う気がします。
そして今見ると、
従順で「尽くす」タイプのヒロインと、
やや暴力的でもあり行動の人でもあるヒーローとの関係が、
対米従属から抜けきれない日本と、
「日米修好通商条約」の夢から醒めきれないアメリカのそれに似ていて、
自虐的な笑いに陥ってしまうのでした。

「ぼくたちは愛を……」

数日前に、
「望星」(10月号)
について、
清水哲男さんの詩が読みたいばかりに買ったと書きましたが、
中に、
高橋源一郎さんの、

「ぼくたちは愛を清岡卓行の詩から学んだ」

という文章が載っていました。
よく知っている人(というか父親ですが)のこと、
そしてその恋人(というか母親ですが)のことが、
とても親近感を込めて書かれており、
とても不思議な気持ちになりました。
父親も、喜んでいると思います。