2021年2月27日土曜日

ここでボードレール

今、韓国ドラマは『ミセン』を見ています。
最初の数話、
進みが遅すぎて止める寸前でしたが、
そのギリギリのあたりから調子が出てきて、
その後はまあまあ順調に見ています。
性差別、学歴差別、パワハラ、などが大盛りの「サラリーマンもの」、
と言っていいと思いますが、
かつて囲碁に打ち込みモノにならなかった主人公の、
挫折と再起、そして「成長」が物語の縦糸になっています。


で、
さっき見ていた12(だったか13だったか)話の最後、
何の前触れも説明もなく、
(といっても、物語とのリンクはありますが)
主人公の内的独白という形で、
突如ボードレールの散文詩が現れた時は、びっくりしました。

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酔いたまえ

 つねに酔っていなければならない。すべてがそこにある。
これこそが唯一の問題なのだ。おまえの 両肩を砕き、地
へとおまえを前のめさせる〈時間〉の、恐るべき重荷を
感じないためには、休むこと なく酔わなければならない。
だが何によってか。酒に、詩に、あるいは美徳に、おま
えの思うままに。だが酔いたまえ。
 そうしてもしも時折、宮殿の階段の上で、濠の緑の草
の上で、おまえの部屋の陰鬱な孤独の中で、 酔いがすで
に減じあるいは醒め切り、目覚めるのならば、たずねた
まえ、風に、波に、星に、小鳥に、 大時計に、逃げる
すべてのものに、嘆くすべてのものに、回るすべての
ものに、歌うすべてのものに、 話すすべてのものに、
今、いずれの時かとたずねたまえ。そうすれば風は、
波は、星は、小鳥は、大 時計は、おまえにこう答え
るだろう。「いまや酔う時である! 〈時間〉に酷使
される奴隷にならない ためには、酔いたまえ。絶え
ることなく酔いたまえ! 酒に、詩に、あるいは美徳
に、おまえの思う ままに。」 
(阿部良雄訳)

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ドラマの中では、
純粋に情熱を傾けるのだ、
くらいの意味で使われていましたが、
おそらくこの詩は、
それほど朗らかなものでないでしょう。

韓国では、
詩集がよく売れるのだという話を聞いたことがありますが、
こういう形でボードレールが使われるほどなんでしょうか?
そうだとしたら、
すごいですねえ……

2021年2月25日木曜日

Manon sur le cabinet

コロナ籠りの御多分に漏れず、
部屋の中を少しはマシにするため、
キャビネットを置いてみたいと思いました。
が、
探してみるといいのは値段が高くて手が出ません。
で、
カップボードが壊れかかっていたので、
そうだ、どうせ捨てるなら、
ちょっとDIYにチャレンジしてから、と思い直し、
ガラス扉が付いた上段の、
天板だけを(けっこう苦労して)分離し、それを、
突起物を取って平らにした下段に載せてみました。
すると……


けっこううまくいったんじゃないでしょうか!

そして、新しいものを探検するのに余念のないManon登場。


222 の日に撮りました。

2021年2月23日火曜日

L’«Histoire des gros mots» sur Netflix

« Fuck », « shit », « bitch », « dick », « pussy » et « damn », 
chaque épisode s’attache à un mot, 
pour nous raconter son histoire. 
On apprendra ainsi que la résistance physique augmente de 5% quand on jure
 - c’est un scientifique qui nous l’assure - 
ou que l’acteur le plus grossier de tous les temps est Jonah Hill, 
talonné par Samuel L. Jackson.

これは、よく宿題に使う RFI のラジオ・ニュースの一節です。
これです。


で、つまり、
ネトフリのコレを紹介しているわけです。


いくつか見てみましたが、
なかなかおもしろいです。
ニコラス・ケイジ、もともと嫌いじゃないし。
(ただ、宿題には使えませんけど!)

2021年2月22日月曜日

Adolescentes

MFFFにも上がっていて、
Amazon Prime でも見られるドキュメンタリー、

Adolescentes (『私たちの青春時代』)2020

を見てみました。


わたしは、
周囲の映画フリークたちと違って、
ドキュメンタリーはあまりたくさんは見ていないので、
評価に自信はないのですが、
今回の作品、なかなかよかったです。
アナイスとエマという二人の少女が、
13歳から18歳まで成長してゆく様子が映し出されるのですが、
その間、パリでは2度のテロ事件があり、
大統領もオランドからマクロンへと変わってゆきます。
そうした中で、
普遍的な悩みと、
フランス的な悩みと、
その両者が巧みに組み合わされていて、引き込まれます。

13歳から18歳と言えば、
当然、高校進学が間に挟まっていて、
エマは普通科へ、
アナイスは職業科へ進みます。
そうした制度について、知識としては知っているわけですが、
実際にその制度の内部で生きるワカモノのナマな感情の襞は、
初めて見たように思いました。

この映画、このままアマプラで見られるなら、
来年度はぜひ、学生に見せたいと思います。

2021年2月21日日曜日

『ハーフ・オブ・イット:面白いのはこれから』

同僚の先生が、
「これ、あんまりいいんで、5回見た!」
と言うので、それなら、と思って見てみたのが、
ネトフリ・オリジナルの、

『ハーフ・オブ・イット:面白いのはこれから』

(でも今ちょっと検索したら、
かなりの話題作だったようです。
気づきませんでした!)


アメリカの田舎町。
主人公は、高校生の3人、
中国系で成績優秀なエリー・チュー、
アメフト部のポール、
ヒスパニック系でモテ系のアスター。
で、アスターに恋したポールが、
ラブ・レターの代筆をエリーに頼んで……
というお話。
まあ、「三角関係」の話だとも言えるし、
「シラノ・ド・ベルジュラック」を思い出すとも言えるし。

この映画は、かなりよかったです。
新鮮で、丁寧で、美しい。
物語の枠組みや、
引用されるもろもろの芸術はともかく、
なんというか、
映画の核が新しい。
たしかに、もう1回見たくなります。

J'adore Naomi !

大坂なおみ選手、やりましたね!
昨日は、夕方のいい時間帯だったので、
ゆっくり応援できました。

で、気づいたのは……


これはセレーナとの対戦中ですが、
よ~く見ると、
左足が地面から浮いているのがわかります。
そして、



打ち終わると、今度は右足が浮いています。
しかも、運動エネルギーは、
回旋に使われていて、
軸が前に出ているわけでもなく。
すごいなあ、と思います。

このところしばらく、
テニスには悩みがあって、
それは「振り切れない」ということでした。
これは、いろいろ理由はあって、
たとえば、インパクトを意識し過ぎると、
そこでラケットにブレーキがかかってしまうとか、
コントロールを意識するあまり、
振りが小さくなってしまうとか、
などが挙げられるでしょう。
とはいえ一番の理由は、
(これは周囲の人たちも口をそろえてそう言うんですが)
相手に迷惑をかけまいとして腕が縮こまる、
ということです。
まあね、そうなりますよね。

でも!
大坂選手(や、ほかの選手たち)のダイナミックなプレーを見ている内、
なんとなく、
こちらも吹っ切れた気がしてきました。
特に、わたしとしては、
アド・サイドの外目の返球に対して、
(右利きの選手が)回り込んでフォアで逆クロスに打ち込む姿に、
その思いが強くなります。
あんな風に、
ビュッと振ろう!
と思うわけです。

できるかどうかはともかく、
気持ち的には、楽になりました。

2021年2月18日木曜日

失言ではなく

「失言」とは、デジタル大辞泉によれば、

言うべきではないことを、うっかり言ってしまうこと。

となっています。
そう、「うっかり」なんですね。

このところの、
元首相、与党幹事長、与党の派閥の首領たちの、
(そして経済同友会代表幹事も)
あまりと言えばあまりの「わかってなさ」加減には驚きますが、
彼ら「大物」たちの発言は、
決して失言ではないのだと感じます。
そう、「うっかり」じゃない、
あれは本心、
彼ら「裸の王様」たちの思考そのものなんでしょう。
だから、「失言」を取り消すために出てきて、
さらに「失言」を重ねる……。
というわけでやっぱり、
あれは失言じゃなく、
彼ら「お山の大将」たちの頭の中そのものなのでしょう。
そして残念ながら、
そうした思考回路は、
多くの人たちの中に、今なお巣食っているのでしょう。

だからやっぱり、数値目標は必要。
さまざまな場面でのクオータ制、わたしは賛成です。

2021年2月17日水曜日

Coup du chapeau !

ムバッペやりました!
メッシの目の前で、coup du chapeau です!
Mmm、これでアウェーが、
いつかみたいなボロ負けじゃなければいいわけですね。


メッシとムバッペ、
世代交代と言ってしまえばそれまでですが、
もう、オーラが違っているような……。
(でも、グリーズマンのシュートは惜しかった!)

2021年2月15日月曜日

『フェリチタ!』

MFFF のラスト
(といっても未見の作品も残ってしまいましたが)
はコレを見ました。

『フェリチタ!』(2019)

この映画も、
主役の3人がいい感じで、
見ている間は楽しかったです。


ティモテとクロエ、
この「刹那的」という語がぴったりの夫婦は、
その分楽し気で、愉快でさえあります。
(もちろん、未熟でもあるわけですが。)
そして二人には、娘のトミーがいます。
彼女はイヤーパフを愛用していて、
両親の喧嘩など、
聞きたくないものを聞かないために、
そのパフを使うのです。
そしてこの3人の日々は、
ある種のロード・ムーヴィーとして描出されます。

大昔のことですが、
「俺たちの旅」というドラマがあり、
高校生だったわたしたちは、
まあ欠かさず見ていたものでした。
中村雅俊扮する大学生が、
これがまた絵にかいたような「刹那的」な人間であり、
彼を取り巻く「まともな」友人や先輩は、
彼にあきれながら、でも、
彼の生き方への憧れを捨てられないのです。
高校生にとっては、
この「幅」、ないし2つの生き方の往還のようなものが、
微妙にリアルに感じられていたわけです。

ただ、「刹那的」という語彙は、
親しかった(と言っていいのか)国語の先生からの借用です。
わたしたちが熱心に見ていたので、
彼もある時見てくれたようで、
その後、この「刹那的」という語彙を使って、
彼なりの解釈をしてくれたのでした。
なるほどね、と思いました。

……と、そんなことを思い出させる映画だったわけです、今回は。
なにか素晴らしく新しいものはありませんでしたが、
佳作にはなっていたんじゃないでしょうか。

2021年2月14日日曜日

Filles de joie


終わりが明日に迫ったMFFF、
慌てて見たのが、

Filles de joie(2020)


なんとなく思っていたのとは違っていましたが、
これはこれでおもしろかったです。
ただこのおもしろさは、
作品の示す新しさ、というよりも、
俳優たちの魅力に負うところが多かったように思います。
また、先に言ってしまうと、
この映画の舞台が(おそらくは)北フランスのRoubaix で、
となれば当然この映画、


との繋がりが生まれてきて、
なんとサラ・フォレスティエはこれら両方に出ていて、
これは意図的な選択だったんだろうと感じました。
確証はありませんが。

(Filles de joie の舞台が Roubaix だと判断したのは、
ドミニクという女性のスマホの待ち受け画面の上部に、
おそらくは現在地を示すだろう Roubaix という表示が、
チラ見できたからです。
あとはもちろん、ベルギー国境が近いし。)

主役は3人の女性たち。
まずアクセル(サラ・フォレスティエ)は、
離婚訴訟中で、幼い3人の子どもたちと、
彼女の母親との5人暮らし。
裕福とは言えないものの、
彼女は一人で、一家の団地暮らしを支えています。
ウザイのは口出ししてくる元夫だけです。
2人目のコンソ(アナベル・ラングロンヌ←注目!)は、
モデルのように長身の若いアフリカ系女性で、
アクセルの隣で一人暮らし。
ただ職安では、
BACもなくてキャリアもないなら、
どんな仕事でも受け入れないとね、お掃除でも、
と言われ、わたしには夢がある、
と言って席を蹴ります。
最後は最年長のドミニク(ノエミ・ルヴォヴスキ)は、
看護師として働きながら、
夫、息子、娘、の生活を支えています。
でも、反抗期の娘ゾエとも、
それ以外の二人とも、
うまく心的なつながりを保てていません。
そして……
この3人は、別の顔も持っているのです。
彼女らは、朝、クルマに乗って国境を越え、
仕事場に向かいます。
それは、なかなか立派な売春宿です。

それぞれに問題を抱えた女性3人が、
同じ職業的選択をし、
深い連帯が生まれてゆきます。
たとえ彼女らに降りかかる困難が既視感のあるものであるとしても、
3人の連帯は本物です。
その意味ではもちろん、
これは女性の友情の映画にちがいありません。
そしてそれが、
Roubaix という記号と結びついているわけです。

ギリでしたが、
見ておいてよかったです。

『ファミリー ~兄弟の歩む道』

2017年のドイツ映画、

『ファミリー ~兄弟の歩む道』

をネトフリで見てみました。
よかったです。


ベルリンの移民地区。
そこに、トルコ系の3兄弟が暮らしています。
長兄は5年の刑期を終えたばかりで、
次兄はダウン症で肥満気味、
末弟は借金まみれのギャンブラー、です。
映画の中では、麻薬がらみの犯罪や、銃撃などもあるのですが、
全体としては、ウォームな雰囲気が感じられます。
それは、白黒の画面のせいもあるでしょうし、
この3兄弟の部屋に転がり込んだ女性のせいもあるでしょうが、
やはりなんといっても、
無邪気な次兄と、
なんとしても彼を守ろうとする兄弟二人の愛情が、
映画の底流に流れているからなんでしょう。

この映画のレヴューを見てみたら、
スコセッシの『ミーン・ストリート』(1973)や、
カソヴィッツの『憎しみ』(1995)と比較しているものがありました。
前者は見てないのですが、
後者とは、たしかに比較できるかもしれません。
なんといっても白黒だし、
周縁化されている移民系の若者が主人公だし、
大都市が舞台だし。

そして!
わたしにとって新鮮だったのは、音楽です。
おなじみ Rachid Taha の大ヒット曲、Ya Rayah が流れるのです。
これです。


この曲は、
この映画の中でも重要な位置にありました。


考えてみれば、Rachid Taha はアラビア語で歌う人気歌手ですから、
フランス映画にもそれ以外の映画にも出てきて、当然なのですが、
「アラブ文化」という文脈で、
ベルリン郊外とパリ郊外が結びつき、
それはとても新鮮なものでした。

どんな作品があるかなあ、
とネトフリ内をぶらぶらしていて、
予備知識もなく「これいいかも」と見始めたのですが、
なかなかいい作品に当たりました。

2021年2月13日土曜日

『カミーユ』

MFFFの中で、一番気になっていた作品、

『カミーユ』

をやっと見ました。
よかったです。


実話に基づいています。

舞台は中央アフリカ、
時は内戦時の2013年前後。
若いヨーロッパ系フランス人であるカミーユ・ルパージュは、
子どもの頃からの夢を追って、
中央アフリカに向かいます。
当時彼の地では、キリスト教系の「反バラカ」と、
イスラム系の「セレカ」が対立し、
殺戮の応酬が続いていました。
その現実を取材し、
報道写真家としてデビューしようと考えたわけです。
紆余曲折合ったものの、
ちょうど、フランス軍の介入の時期と重なり、
フランスでのニュース需要が高まったため、
彼女の写真は有名雑誌に掲載されることに。
彼女の夢は(一応)叶いました。
が……
繰り返されるむごたらしい殺人を目の前にして、
彼女は自分の仕事の意味を疑い始めます。
いわゆる人気報道写真家は、
需要の波が引いた中央アフリカを離れ、
ウクライナなど、
取材要請のある土地に向かいますが、
彼女にはそれもできません。
中央アフリカが、どうしても気になるのです……

ある夜の場面が印象的でした。
それは、男たちと同行し、
戦闘に疲れて帰ってきたカミーユに対して、
女性たちは、たらいにお湯を汲んで、
体を洗ったら?
と言う場面です。
言葉は通じないのです。
でも、女性たちは微笑んで、
カミーユの髪も洗ってあげるのです。
カミーユも彼女らに気持ちを預けています。
これが、転機になります。

ラスト近く、
中央アフリカで彼女と行動を共にしていた人たちを指して、
彼女は言います、
mes frères humains
と。

2021年2月12日金曜日

『ローグ・シティ』

オリヴィエ・マルシャルが監督した、

『ローグ・シティ』(Bronx)

を、ネトフリで見てみました。


舞台はまたしてもマルセイユ。
コルシカ系の麻薬マフィア、
取り締まりに当たるBRI、
彼らと対立する麻薬捜査班、
そしてもちろん(?)悪徳刑事が入り乱れ、
裏切りと復讐が途切れない輪となって展開してゆきます。

この映画の欠点の1つは、
なんといっても、
話や人間関係が複雑すぎること。
しかも(これは仕方ないと思いますが)字幕では、
さらに言葉が切りつめられているため、
ときどき巻き戻さないと話が見えなくなりそうでした。
(劇場で見ていたら、おそらくこんがらがっていたでしょう。)

また、こうしたフィルム・ノワールは、
なにかふっきれたもの、
降りた人間だけがもつ気配、
諦念に似た何か、
を持つものであって欲しいのですが、
今回はそこまで行ってないように感じました。
ジャン・レノも出てるんですが、
今回はなんの魅力もないし。

1つだけ。
この映画でも、
ドラマ Marseille で何度も登場したフェリックス・ピアットの名前が出て、
ちょっと繋がった気もしました。
もちろんピアット(この映画の字幕では「ピア」)は、
有名な「犯罪地区」であるわけですが。
まあ、パリで言えば、
ボビニー、でしょうか?
(もちろん「イメージ」であって、
たとえば昼間のボビニーなんて、
静かでのんびりした町ですが。)

会長交代?

中島岳志さんの tweet から。

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森喜朗さんはパターナリストですが、
強固な右派イデオロギーの持ち主ではありません。
むしろ理念の希薄さゆえに、
調整役として力を発揮してきた人物です。
一方、川渕三郎さんは、
歴史修正主義的なイデオロギーの持ち主です。
組織員会のトップとしては
-50点の人から-100点の人に変わるという印象。


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Soupir...

2021年2月11日木曜日

Marseille 再考

先日シーズンⅠ&Ⅱを見終わったMarseille。
まあまあおもしろい、というところだったわけですが、
あとからちょっと考えてみたのは、
女性たちの描かれ方についてです。

このドラマの主役は、
ドパルドュー(ロベール)とブノワ・マジメル(リュカ)演じる父子です。
で、女性たちはといえば、
まずロベール側では、
チェリストである妻ラシェル、
そして地方新聞 La Provence で働く娘ジュリア、
そしてリュカ側では、
権謀術数に長けた県知事ヴァネッサ、
左翼の両親を持ち、けれども自身は右翼ファシストで、
リュカの子を宿しもするジャンヌ、
さらには、
ジュリアの友人バルバラ、
バルバラの同性の恋人、ルビもいます。

(以下ネタバレします。)

さて、
最後に挙げたルビはアフリカ系で、
ジーパンとスタジャン姿で、
不法移民たちを助けたり、
オランピック・マルセイユの応援団長をつとめたり、
実際にOMの経営にも加わったりもする、
高感度の高い女性です。
その彼女は、ファシストのテロに合い、
あっさり殺されてしまいます。
県知事のヴァネッサは、
男たちを政治的に翻弄した末、
最後は自分がみんなに裏切られます。
ジャンヌは、リュカが市長に就いた時、
副市長に指名され、
リュカが辞任した後は自身が市長のポストを得ますが、
リュカの間にできた子を中絶し、
それがスキャンダルとなって辞任に追い込まれます。
リュカにも、個人的な事柄を政治に利用したと責められ、
結局ジャンヌは孤立し姿を消します。
ジュリアは、何人かと関係を持ち、
権力者の娘として奔放に生きていますが、
最後は殺されかけ、
別のお金持ちの男性の庇護のもとに入ります。
ラシェルは病を得、
難民の子どもを助けたりもしますが、
夫ロベールからは距離を置かれ、家を出ます。
が、ロベールが半歩踏み出すと、
彼女は喜んで元の鞘に収まろうとします……

魅力的な女性たちは、殺され、あるいは苦しみを与えられ、
彼女らが救われるのは、
白馬の騎士が現れた時だけ、ということになります。
ドラマを見ている最中は、
ミソジニー的だとは感じませんでしたが、
こうして振り返ると、
そうした要素がないとは言えない気がしてきます。
ロベールとリュカが、
最終的には和解し、
社会的ポストも再獲得したのと比べると、
やはり……

制作者たちは気づいていないのでしょうが、
ここは明らかにツッコミどころだと思われるのでした。
で、
今ちょっと調べてみたら、
いわゆるプレス評も散々なもので、
厳しい調子でこき下ろしているものがいくつもありました。
日本の提灯批評とは、大違いですね。

2021年2月10日水曜日

Jean-Claude Carrière

ジャン=クロード・カリエールが亡くなりました。


わたしにとっては、一番馴染みの脚本家であり、
特にブニュエルとのコンビの作品は、大好きでした。
『欲望の曖昧な対象』について書いた論文は、
わたしにとっては、初めて映画を題材にしたものだったので、
とても印象に残っています。

変なことを言うようですが、
一度、お話ししてみたかった……
ご冥福をお祈りいたします。

2021年2月8日月曜日

お隣の教科書

白水社のHPに、
教科書の新刊を紹介するページがあります。
その、「フランス語」のところでは、
レナさんが中心になり、
わたしも少しお手伝いした

『ぜんぶ話して!』(改訂版)

と、今回3訂版となる

『ル・フランセ・クレール』

が、なかよく並んでいます。
(というか、並べていただきました、
merci beaucoup !)


で、
このコーナーの「ドイツ語」のところには、


トップに

『テーマで学ぶ初めてのドイツ語』

というテキストが挙がっているんですが、
実は、この本をお書きになった松澤先生は、
明治大学の同僚で、仲良しです。
研究室も、隣の隣の隣。
つい最近も大学で会って、
メメント・森
や、
タイガースのキャンプに参加している川相臨時コーチの話をしました。
(というのも、松澤さんがトラ党だから!)

ドイツ語は、
勉強してみたい気持ちはいつもあるんですが、
かじったことさえありません。
でもなあ、韓国語もやりたいし、
アラビア語も書きたいし……

Marseille ~saison 2


ジェラール・ドパルデューとブノワ・マジメルの 

Marseille

やっと saison 2 を見終わりました。
(ネトフリです。)
Mmm、どうでしょう、
1よりも2のほうがおもしろかった、かな?


saison 1 は、要はオイディプスの物語だった、
つまり「父殺し」がテーマだったと書きましたが、
この2は、打って変わって、
父子の和解が1つの主要モチーフになってゆきます。
ただ、
わたしが1よりおもしろいと感じたのは、
いわゆる「現代フランス的要素」が、
ふんだんに取り込まれていたからです。
つまり、
ファシスト党(ドラマ内では「フランス党」)の台頭、
それと対立する、
多民族・多文化、あるいは連帯への賛美、
暗躍する過激派、
LGBTの恋人たち、
難民認定の困難さと保護のあり方……
などなどです。
もちろん(と言っていいのか)、
これらすべてが深く掘り下げられているわけではありません。
というか、
わりとどのトピックの描き方も表面的で、
そういう意味では物足りないのも事実です。
そうだったのか、というところはあまりありません。

ちなみに、一番ドキドキしたのは、
あのスタッド・ヴェロドロームが、
しかも試合前の満員の時に、
テロの標的になったことです。
過激派は、爆弾を積んだドローンを、
スタジアムに向かって飛び立たせるのです……

2021年2月5日金曜日

Taisez-vous.

元首相の問題外のアウト発言、
さすがに注目を集めています。
こうしてこんな発言が叩かれることで、
全体の感度が上がっていくわけですから、
大いなる「功労者」ですね。

こういう発言て、
謝るとかなんとかじゃなく、
もうその人の考え方が出ちゃってるわけです。
特に彼の場合、
過去の発言もひどいもので、
ぜんぜん考えが更新されてないのがわかります。
(政権政党には、彼以外にも同類がいますね。)
こういう思考の人をトップに据えてしまう社会、
それを防げない社会そのものが問題だ、
という指摘もあります。
その通りだと思います。
変えていかないと。

フランスの名門校、
ENA の学長を務めたこともあるナタリー・ロワゾ―が、
元首相のアウト発言に対して、
こんなアンサー tweet をしています。

Si, si M. Mori, les femmes peuvent être concises.
Par exemple pour vous répondre, deux mots suffisent :
« Taisez-vous ».

いえいえ、女性たちも簡潔に話せますよ。
たとえばあなたに答えるためなら、2語で十分、つまり
「黙りなさい(Taisez-vous.)」


ナイス!

2021年2月3日水曜日

『クエシパン ~ 私たちの時代』

FFF からの1本、

『クエシパン ~私たちの時代』

を見てみました。
Kuessipan とは、インヌ民族の言葉で、
à toi とか、 à ton tour とかを意味しているそうです。 


舞台は、カナダ・ケベック州、
セント・ローレンス川沿いの先住民居住区である、
ウアシャとマリオットナム、
そして前者の隣町であるセッティル(Sept îles)。
ここと比べると、モントリオールはもちろん、
ケベックシティーでさえ都会に見えます。

ウアシャに生まれ育ったミクアンとシャニスは、
子どものころからの友だち、
というか、友だち以上、ソウル・シスターという感じ。
ただ、二人が17歳になり、
ミクアンに白人の恋人ができた時、
二人の関係がぎくしゃくし始めます。
しかもミクアンは、
学業を続けるためにケベックシティーに行く決心をし、
一方シャニスは、
暴力的な夫との間にすでに赤ちゃんが生まれているのです……

人生の途中で、
二人の女性の選んだ道はまったく別の方向を向いてしまいました。
こういうことって、あるでしょう……。
ミクアンは、
フェンスに囲まれた居住区から抜け出し、
自由になり、将来を開けたものにしたいと願っています。
これは、地方から都会を目指す心理と、
基本的には同じといえるでしょう。
また、学業を途中で投げ出し、
アラクレの男と暮らし始め、
居住区から出てゆく気などまったくなく、
インヌの女たちが生きてきたように生きることを選ぶシャニスは、
たとえばイギリスのワーキング・クラスが、
あえて肉体労働を選ぶ態度と通底するものがあると感じます。
ただもちろん、この映画の場合は、
そこにインヌ民族の「プライド」という問題が、
大きく関わってくるわけですが。

またこの映画は、
女性の友情を描いた作品でもあります。
これもまた当たり前ですが、
この視点から見た時、
映画はもっとも美しいのでしょう。

先住民居住区の生活と意見は、
なかなか知る機会がありません。
その意味では、とても貴重なフィルムだと言えると思います。

2021年2月2日火曜日

いろいろ……

コロナ関連のニュースは、
日本のものであれ海外のものであれ、
目にしない日はありません。
たとえばフランスなら連日「2万人」感染だし、
先進国はワクチン争奪戦において相変わらず自国中心主義だし、
パンデミック関連のニュースが、
世界の注目度N.1 なのは間違いないでしょう。
とはいえ、
やはりそれ以外のさまざまなニュースはあって、
たとえばアメリカでのプチ・クーデタに続き、
今度はミャンマーで、
はるかに本格的なものが実行されたり、
あのカルフールが買収されかかったり。
世界の動きは、(当然ですが)
止まってないんですね。

で急に小さい話ですが、
今ネトフリでは、
「マルセイユ」のシーズン2と、
「シグナル」を並行して見ています。
前者は、シーズン1と違うテイストで、
不法移民の子どもや、
過激派や、
ファシストや、
なんといってもオランピック・マルセイユが前面に登場し、
多彩な表情を見せ始めてました。
なかなかいいです。
「シグナル」のほうが、
日本でもリメイクされたヒット作で、
エンタメとしては十分合格だと思います。
ヴェテランの女性刑事と、
まだ若い男性プロファイラーという組み合わせが、
いわゆる「バディ」もの的で新鮮です。
やっぱり、
魅力的なキャラクターがいれば、
多少の無理な展開は、
多めに見るか、という気持ちになれますね。
おもしろいです。