2018年8月31日金曜日

PCはなくとも

メインのPCが不調に陥り、
今は、ノートで打っています。
まあ、以前、一台のPCに頼っていた時は、
それがダウンするとかなり焦りましたが、
今は、そうでもないです。
パリにいた時は、ずっとノートだったわけだし。
ただ、デスクトップはwindowsで、
ノートはマックなので、
色々逆だったりはするんですが。

今、パリの詩を書いています。
4人で、小さな本を作る企画です。
本当に出るのか不安もあるんですが、
書くのは楽しいです。
詳しく決まったら、また紹介させてください。

2018年8月30日木曜日

Orpheline

Drancy Avenir
で、フランスにおけるユダヤ人迫害を描いた
Arnaud des Pallières 監督の一番新しい作品、

Orpheline  (2016)

を見てみました。

https://www.youtube.com/watch?v=j9SS6VYsPI8

これは、この映画についての前情報がないと分かりにくいかもですが、
それを知っていれば、
引き込まれるような内容でした。
で、その「前情報」とは、
この映画は一人の女性の前半生を描いているのだが、
それは、年代の違う4人の女優によって演じ分けられる、
ということです。
そしてその4人の中には、

アデル・エネル(27歳)
アデル・エグザルホプロス(20歳)

の二人が含まれ、
残る二人は、13歳と、6歳の子役です。
4人は、視覚的には、必ずしも似てませんが、
物語の文脈で見ていれば、同一人物と考えるのに、
不都合はありませんでした。

タイトルの『孤児』から想像できる通り、
ヒロインは、暴力的で破滅型の両親の元に生まれ、
早くから家出を繰り返し、
その後は肉体を使って世の中を渡り、
最後は犯罪にまで関わってしまいます。
(で、妊娠もします。それは希望です。)

ただ、映画の構成はなかなかおもしろくて、
形としては、「現在(アデル・エネル)」で始まり、
そこから順番に、若くなってゆきます。
つまり、見ていると、
ルーツを求めていくような感じ。
でも、ときどき「現在」が差しはさまれるので、
単純ではないんですが。

二人のアデルは、よかったです。
厳密な意味での「必然性」みたいなものは、
この構成では出ようがないので、
それは期待できませんが、
見ていておもしろかったです。
これなら、日本で公開しても、
そこそこいけると思うんですが……?

2018年8月29日水曜日

Papa Lumière

2015年制作の映画、

Papa Lumière

を見てみました。

https://www.youtube.com/watch?v=fP9OHMVE3H4

時は2011年4月、
コートジボワールは内戦状態にありました。
前年の暮の大統領選挙で、
新人候補が勝利したのですが、
それを不正だと主張する現職も勝利宣言し、
二人の大統領が並び立ってしまい、
それが、内戦に発展したのです。
そして、この混乱の真っただ中、
もう30年もコートジボワールの海岸でホテルを経営していたジャック
Niels Arestrup が演じます)が、
フランスに引き揚げてきます。
離れて暮らしていた娘、サフィ(14歳)と一緒に。
サフィは、ジャックが別れた妻と暮らしていたのでした。
(そしてその妻が高級娼婦であることを、
ジャックも、サフィも知っています。)

だからこの映画は、
いわば「引揚者もの」ということになります。
日本の戦後には、
多く扱われた題材なのでしょう。
ただフランスでは、
アルジェリア独立戦争後も、
こうした「引揚者もの」はほとんど作られませんでした。
フランス人たちは、それを見たくなかったのでしょう。
なので今回の映画も、
その点ではかなり少数派に属していると言えそうです。

主な舞台は、引揚者収容センターのあるニース。
で、映画自体は、とっても静か。
ほとんど何も起こらないと言ってもいいくらい。
アビジャンの情報は、
ときおりテレビニュースが映し出されたりしますが、
それもわずか。

でもわたしは、
なかなか佳作なんじゃないかと思いました。
見えない人を見えるようにしたわけだし、
ジャックとサフィも好感が持てます。

批判的なメディアの中には、
中盤以降、父と子の和解の物語にすり替わってしまった、
と指摘するものもありました。
そうも言えるでしょうが、
この混乱が、
そういう形をとったのだとも言えるでしょう。
父と娘は、もうアビジャンには戻らないわけですから。

1つおもしろかったエピソード。
劇中、サフィが初潮を経験します。
その時、おなじ収容センターにいた女性が、
サフィの頬を軽くたたくのです、パチンと。
何かと思ったら、
それはフランスの(一部の、のようです)習慣で、
あなたは女になり、
これから色々大変なことが始まるから、
その準備のための行為なのだ、というのです。
なんだか、切ないですね。
これは、映画が終わった後の、
サフィの運命を暗示しているのでしょう。

2018年8月27日月曜日

6本

そう言えば、往復の飛行機の中で、
6本の映画を見ました。
まあ、特に帰りは眠い時間帯なので、
エンタメによってしまいましたが。
一応、列挙します。

・The Big Call
中国映画。日本公開未定。
振り込め詐欺の一大グループと、
取締官たちの戦い。

https://www.youtube.com/watch?v=BI4hroNaTeA&pbjreload=10

カードを使った巨大詐欺グループの、
きっちり確立された分業体制というのが、
リアルでした。
エンタメですが。

・Old Beast
中国映画。
賭け事にはまった父親と、
そんな彼を疎ましく思う家族の葛藤、
なんですが、
この父親のダメぶりの雰囲気はけっこう好きでした。

https://www.youtube.com/watch?v=vAT3KdQaIN8

・Love without words
中国映画。
犬肉レストランを抜け出した子犬。
事故で寝たきりになり、
しかも母親を失って落ち込んでいた中年男が、
この犬と出会い、
もう一度生きようとするまでを描きます。
映画としては、弱点が多いと感じました。

・007 スペクター
このシリーズを見るのは、
何年振りでしょう?
要は、実写版のマンガなんですね。

https://www.youtube.com/watch?v=eAQBc3affUU&pbjreload=10

・トレイン・ミッション
リーアム・ニーソン。
NYの、保険会社の営業マンにして、元警官。
突然リストラされたある日、
見知らぬ女性が、
奇妙な依頼を持ち込んできます。
報酬は大金……

https://www.youtube.com/watch?v=ff2xdMY9YJE

プロたちが集まって作ったのは分かります。
で、意図的なんでしょうが、
ジャンルの混交があります。
ブルジョワ・ファミリー、
サスペンス、
クライム、
アクション、
密室もの、
暴走もの……
でも根本には、
アメリカ映画らしく、
「家族愛」が置かれています。

・ペンタゴン・ペーパーズ

https://www.youtube.com/watch?v=vOb8MKgB1qY&pbjreload=10

それに引き換え日本のメディアは……
と、たいていの人が言いたくなるような作品です。
と同時に、
いわゆるハイソな人たちの物語でもあります。
新聞社を相続するって、
どんだけ……

2018年8月26日日曜日

視線 2

もう1つの展示は、これ。

https://www.youtube.com/watch?v=GYM0inEAivE

ここには、
有名画家の絵は(ゴーギャン以外)含まれていませんが、
要は、遠い土地を描いた作品が集められています。


1930年頃の絵で、Charles Fouqueray の「サイゴンの港」。
仏領インドシナ、の時代ですね。



1910-20頃。André Surédaの「トレムセン(アルジェリアの村)の祭り」。



1949年、Roger Reboussin の「火の踊り」。



1931年、Alcide Liotard の「洗面中のマダガスカル女性」。
こうした絵は、現地のフランス人たちにウケタと説明されています。



1936年、Antoine de Lyée  de Belleau の「kât を食べる人」。
kât とは、強力な麻薬作用のある木だそうです。
よく見ると、左手にその枝を持っています。
場所は、ソマリア、エチオピアなど、東アフリカと推定されています。



1936年頃、Fernand Lantoine の Duco Sangharé, Peule。

http://www.leparisien.fr/culture-loisirs/exposition-c-etait-le-temps-des-colonies-11-02-2018-7552506.php


なんと言いましょうか……
というか、簡単なことですね、
要は、植民地主義であり、
植民地主義的な視線です。
上の記事によれば、
こうした「植民地絵画」の展覧会は、
これが初めてだとか。
それもまたびっくりですが、
まあ、そうかもしれません。
フランスに限らず、
スペインもデンマークもイギリスもドイツも、
自らの植民地主義について、
「反省」の言葉を述べたことはまだありません。
(村山談話は画期的でした。)

会場内で絵を見ている人たちからは、けれども、
反省的な雰囲気は感じませんでした。
こうした作品が、今でも、
エキゾチズムとして消費されてしまう可能性があるのは、
否定できないでしょうね。

視線

ケ・ブランリ博物館では、
3つの企画展が行われていました。
そのうち2つはなかなか充実していました。

1つはこれ。

https://www.youtube.com/watch?time_continue=2&v=RstU6GpNa9A

子供向けの雑誌などにおいて、
開拓者たち、あるいは彼らが見た世界が、
どのように描かれていたのか、
というものです。
たとえば、この20, 21, 54, 55の人たち。



説明によれば、彼らは「日本人」だそうです。
これは革命の頃の本のイラスト。

また、こんなものも。


まあ、ありがちですが、
「与える者」としてのヨーロッパ人が描かれています。


パリからきた少年の冒険、
なわけですが、
彼の背後に、亡霊のように、
得体のしれないもののように、描かれている人たちがいます。


以前『タンタン』が植民地主義的だと批判されたことがありましたが、
この展示の文脈に置けば、
批判が正当であることは明白です。

(つづく)

2018年8月25日土曜日

Hugo Lloris a été arrêté

あら、これはまずかったですね。

https://fr.yahoo.com/sports/news/hugo-lloris-ete-arrete-pour-conduite-en-etat-divresse-124547561.html

7時間留置されたとあります。
彼にとっては、
長い長い7時間だったでしょう。
一緒に飲んでいたのは、
Koscielny と Giroud。
事故らなかったのが救いですが、もったいなかったですね。

サイト内検索

自分でも、
あの映画どんな話だっけ?
というようなとき、
過去の記事を探すのですが、
それがなかなか見つからない!

で、ネット上で紹介されていた「サイト内検索」を、
試しに設置してみました。
ちゃんと使えるかな?

2018年8月24日金曜日

アルジェから

これはウーバーじゃなくて、
ある日のタクシーでのこと。
とても気のいい、
とてもおしゃべりの、
アルジェリア系のおじさんと出会いました。
52歳で、小さなお嬢さんが一人。
昔は、日本大使館の警備員をやったこともあるそうです。
彼はサッカーのことが詳しくて、
シンジ・オカザキのことや、
日本代表チームのことを語ってくれました。
ベルギーにはよく善戦したと。
また彼はフランスとアルジェリアの二重国籍で、
じゃあ、アルジェリアに帰ると、
おまえはフランス人だ、
みたいな感じにならない? と聞くと、
それは大丈夫、このルックスだから!
と、濃い髭と、大きく膨らんだお腹を指さしました。
彼の意見では、
ユダヤ人と中国系は、
自分たちで閉じこもりがち。
それに対して、アラブ系とアフリカ系は、
わりと仲良くやっててオープンだ、とのことでした。
たとえば中国系の人一人一人は、
話してみればオープンな人ももちろんいるわけですが、
彼らのネットワークはなかなか強く、
13区などに集住するので、
そういう印象はあるかもしれません。
そして彼の一家がアルジェの出だと聞いて、
アルジェを舞台にした映画に主演していた Biyouna のことを訊くと、

https://www.youtube.com/watch?v=9NGbNBcczHE

ああ、おれはあんまり好きじゃないよ。
あの声が……
そう? あの声が魅力的だって言われてるけど。
いや、あれはいい声なんかじゃないよ。
アルジェリア女性って、ああいうイメージなんだけど?
そうなのかい? じゃあ、そのイメージは変えたほうがいいね!
レイラ・ベクティなら?

https://www.youtube.com/watch?v=fFy6dJWKrlM

そっちほうがずっといい! 俺はこの前、
彼女を乗せたよ。
ほんとに!? どんな感じでした、彼女?
ふつうだよ。おとなしくて、静かだった。
会いたかったなあ……。
でもまあ、彼女と同じタクシーに乗れただけ、
よかったです!

そしてまた彼は、
日本のドラマ(?)のことを言うのですが、
わたしがわからないと言うと、
クルマを停めて、YouTube を開いて、
これを見せてくれました。

https://www.youtube.com/watch?v=rbg-InH7EGo&t=9s

https://www.youtube.com/watch?v=-l3EGGfxIz0

これは、「超電子バイオマン」と、
「宇宙刑事ギャバン」なんですね。
(今調べました。)
子供の頃よく見たよ、
と言いながら、
主題歌を一緒に歌う彼は、
ちょっとおちゃめなのでした!

ノルマンディーから

昨夜、無事帰国しました。
いきなり焼肉を食べるという、
ワカモノのようなことをしてしまいましたが、
その後まったく起きていられず、
そのまま10時間寝てしまいました。

********************************************

最終日にちょっと乗ったウーバーでは、
ノルマンディー出身、57歳のおじさんと話せました。
彼はなんと12人兄弟で、
1年半前までは serveur をしていたそうです。
兄弟には、肉屋も、パン屋もいるとか。
ノルマンディーでは、
やっぱりあの史上最大の作戦は、
みんなよく知っているのかと尋ねたところ、
かの地では毎年それに関する大きなイベントがある
(そうでした)
ので、それはどうしても意識する、とのことでした。
言われてみれば、当然そうなのでしょうね。
また彼は、
定年まであと3年で、
そんなのはあっと言う間で、
そうしたら、セネガルか、モロッコか、ドミニカか、
このどこかに行って暮らしたい、と言ってました。
海があるところがいいんだ、と。
じゃあ、コートジヴォワールは?
あそこは行ったことがないから。
セネガルやなんかは、みんな言ったことがあるんだ。
ともだちはタイにいて、
タイに1年いたことがある。
とにかく、フランスにはいないな。

同年代なので、
それだけでなんとなく共感が生まれました。
とても体の大きなおじさんでした。

2018年8月22日水曜日

最後の夜に

というわけで、
パリ滞在も今夜が最後の夜になりました。
で、
ヴァカンス休みが開けた大好きな店に行きました。

http://www.thainam.fr/

去年のパリに来た時、
最初の夜にたまたま入って、
その味にグッと来てしまったのでした。

トムヤンタイ
パパイヤのサラダ
グリーン・チキン・カレー

この3品はどれも、とても好きな味だと記憶していましたが、
その記憶に間違いはありませんでした。

そういえば今日は、
(第一希望と第二希望がともにヴァカンス休みで)
パッサージュ・ショワズールでランチをしたのですが、
その時は韓国料理(石焼きビビンバ)だったので、
今日はまったくアジアな食事でした。
(値段は高いのですが、ふつうにおいしかったです。)

明日の夜、飛行機に乗ります。
ではまた、アビアント!

チュニジアから(ピスタチオ)

今いるアパルトマンの近くに、
ピスタチオの専門店があります。

http://www.lapistacherie.fr/

通りかかるたびに、
きれいな店だなあと思っていたのですが、
ふと、マノンを預かってくれている人が、
ピスタチオ好きだったのを思い出し、
お土産を買いに入ってみました。

それにしてもたくさんの種類があります。
よく分からないので、
オススメを尋ねてみると、
「みんなおいしいけど(というのは決まり文句ですが)、
ぼくが好きなのは、
イラン産のこの有塩のと、無塩のですね。
でも、隣のメランジュは、
5種類入っているんですけど、
そのうちの1種はイランの有塩なので、
これも選ぶ楽しさがあっていいと思います」
で、それを試食させてもらって、
結局メランジュにしました。

包んでもらっている間、
細面でヒゲの濃い彼に、
「で、あなたもイラン出身?」
「いや、こんな顔だからよく言われるんですけど、
ぼくはチュニジア系なんです」
彼自身は、パリ 生まれのパリ 育ちだそうですが、
ご両親がチュニジア移民なんだと。
「でも、チュニジアにはピスタチオはないんですよ」
「じゃあピスタチオとは、パリで出会ったってこと?」
「まさにそうです! で、妻と出会ったのもね」
「奥さまもチュニジア系?」
「そうです!」
「チュニジアの女性はやさしいんでしょ?」
「みんなそう言うんですけどね! 
ただ、イタリア人男性にみんな持ってかれちゃうんですよ」
「そうなんですか!?」
「特に彼らには、チュニジアの女性はよく見えるらくて」

さてこのピスタチオのお土産、
気に入ってもらえるでしょうか?

2018年8月21日火曜日

左岸で

『デパートを発明した夫婦』が創業したデパートとして知られる、
左岸のボン・マルシェ。

https://www.24sevres.com/fr-fr/le-bon-marche

普段、ほとんどご縁がありませんが、
通りかかったついてで覗いてみました。
ちょうどランチ時間だったので、
イートイン的な物を物色していると、
Mmm、それもかなり高いです。
で、諦めかけた時、
大きなパン屋さんが、
店頭でジャンボン・ブールのサンドイッチを切り売りしているのを発見。
80センチはあろうかと言うバゲットに、
バターとハムを挟んだシンプルなもの。
でも、試食させてもらうと、これがうまい。
で、切ってもらって、
(10cm=3ユーロ、30cmなら8ユーロ。安いです。)
じっくり食べてみます。
やっぱりおいしい。
で、切り分けていた女性に聞いてみると、
バターには、シェフがパセリを練りこんでいるとのこと。
もちろん、バゲットそのもの、ハムそのものもおいしいわけですが。

2階にある快適そうなレストランは、
いかにもお金持ちそうなお客さんがいっぱい。
約150年前に出現した「欲望の装置」は、
今も健在です。

韓国から

夜10時過ぎのメトロ、
空いた席を譲ってくれようとした、
感じのいい男の子たち、
彼らは韓国からの旅行者でした。
英語で話したのですが、
二人は片言の日本語も知っていました。
「毎週、日本の企業の人と会うので、
少しだけ覚えたんです」
聞けば、電気関連の大企業のサラリーマンで、
「東京も何度か行きましたが、
オフィスからオフィスを回るばかりで、
全然東京のことがわかりません。」
ああ、もしかしてエリート・サラリーマン?
また二人は、それぞれ恋人がいるらしいのですが、
「今回は、男二人の自由な旅です!」
と笑います。
一方の子は、大学で中国語を勉強したそうで、
いつかは中国で仕事をする希望を持っていました。
でもじゃあ、フランス語は?
「韓国では、残念ながら、フランス語を勉強する機会はなかなかないんです」
まあ、日本でも多くはないかもしれませんが。

シャトレで降りた彼らとは、
やっぱり握手して別れました。
とても感じのいい、
そして優秀そうなワカモノたちでした。

シシリー島から

午後、あるキオスクで水を買おうとしてると、
前にいた若いカップルの男の子の方の白いTシャツには、
大きな文字で、

東京都

とだけ書いてありました。
ほほう、英語で注文している彼は、
その意味が分かってるんでしょうか?

わたしも水を買い終わって見ていると、
実は彼らは姉弟で、
隣のベンチに両親がいるのでした。
わたしは、家族と合流した男の子に、英語で、
「その胸の文字、どういう意味か知ってる?」
すると真っ先にお母さんが、
「知らない知らない! どんな意味なの?」
これは「東京都」で、
わたしが住んでるところなんです。
すると家族みんながびっくり!
ミラーのサングラスをかけたカッコいいお姉さんも、
ニコニコしています。
東京は、big city で、いいところなんでしょう?
という彼らは、
イタリアのシシリー島から、
おそらくは観光で来ているのでした。
お互い、良い旅を、と言って別れたのでした。

2018年8月20日月曜日

今回のベスト・デザート!


洋梨の赤ワイン・コンポートなんですが、
うま〜く味が入っていて、
よく冷やされていて、
うまし!!

日本の雑誌などでも紹介される、
バスティーユ近くの Chez Paul です。
この店、サーヴされるまでに時間がかかりますが、
マダムは典型的なビストロのおかみさんの雰囲気で、
値段はそこそこしますが、
料理の味もかなりいいと思いました。
色々おいしいものがあるパリ ですが、
やっぱり、クラシックなビストロも捨てがたいですね。

リールから ブエノスアイレスへ

そして呼び止められたのは、
50歳くらいの白人男性です。
パリに住んでる? ヴァカンス?
みたいな話から、
「ヴァカンスに行かないんですか?」
「実はぼくは、北フランスのリール出身なんだけど、
実家にいる母の具合が悪くてね。
しょっちゅう見舞いに行くし、ヴァカンスは無理なんだ」
ただし彼は来年、アルゼンチンのブエノスアイレスに転勤なんだそう。
「銀行勤めなんだけど、大量にあっちに行かされることになってね」
でそこからパリの話になって、
「ぼくは62歳で定年の予定なんだけど、
そうしたら、もうパリにはいないよ。
こんなに疲れて、うるさくて、ゴミゴミしてるとこなんか」
「でも、この界隈は好きなんですよね?」
「今はもう好きじゃない。パリを、フランスを、離れたいんだ。
だってフランスは、EUの中で1番税金が高いんだよ?
アルゼンチンなんか、
移民すれば、最初の10年は無税だっていうし!」

ここで彼はまた、マダムに呼ばれ、
わたしは二人と握手して別れました。
ブダペスト、
リール、
ブエノスアイレス、
トーキョー……

ブダペストから

マレ地区の、小さなアクセサリー店。
店の外に並べられた小物を見ていると、
妙齢の女性がにこやかに、
「ニイハオ!」
と声をかけてきました。
まあ、ありがちです。
で、いや、日本人なのでこんにちはです、
と答えると、
今度はいくつかの日本語が立て続けに出てきます。
これはもう、ずいぶん年季が入っている感じの言い方です。
でもまあそこから会話が始まり、
聞けば彼女(70歳くらいでしょうか?)は、
ハンガリーはブダペストの生まれで、
なんともう42年前にパリに来たのだとか。
「80年代は本当に日本人が多かったけど、
この頃は、中国人の方が多いわねえ。
まあ日本も、色々問題を抱えてるんでしょうよ」

とそこへ、常連客らしい男性が通りかかると、
マダムはなぜか慌てて彼を呼び止め、
「この人日本人なんだけど、フランス語喋るのよ!」

(続く)

2018年8月19日日曜日

パレ・ロワイヤル

午後7時過ぎ、
たまたま通りかかったパレ・ロワイヤルを覗きました。


パレ・ロワイヤルの金曜の午後(ちょっとスーラ風!?)


ぼくらには手が必要だ、
言葉で言い表せないことを語るために。

(アンヌ・エベール  1916-2000 ケベックの作家)


もうすぐ日の入りです。


「友愛」という写真です。

マレの


ユダヤ人街として知られるマレ地区は、
ゲイ・タウンとしても有名です。
隣のランビュトーあたりでも、
男性カップルを目にすることは多いです。
当然(?)、
すごくかっこいいカップルもいます。

横断歩道も、こんな感じ。

Barbès gourmand 〜コートジヴォワールの誘惑

昨日は、
ガイドさんをお願いして、
<バルベス・グルマン>というツアー(?)を
行ってもらいました。
これです。

https://levraiparis.com/fr/le-paris-gourmand/barbes-goumand/

バルベスについては、
歩きもしたし、調べもしましたが、
現地人の見方はどんなもんなのだろうと思ったわけです。
ガイドの Guillaume Le Roux は、
とても感じがよく、かつ熱心な人で、
とてもよかったです。
50代くらいでしょうか、
ブルターニュの家系で、
ただし自分はパリで生まれ育ったと言っていました。
アンヴェールの駅で待ち合わせしたのですが、
ここから数分のアパルトマンにもう12年住んでる、
とのことでした。
バルベスは、彼にとって庭みたいなものですね。
(もちろん、白人文化主義なら、
内側ばかり向くでしょうから、
どこに住んでも、バルベスは透明になってしまうでしょうが。)

コースは、
アンヴェールから、
メトロの南側をバルス方向へ歩き、
バルベス駅のところで北側に出て、
そこからグット・ドール、レオン小公園、
サン・ベルナール教会へと進むのですが、
なんとこれは、
『エキゾチック・パリ案内』でたどるコースとほとんど同じ。
気が合います!
(拙著のことは話しませんでしたが。)
また、彼が話してくれる内容も、
ほとんど『エキゾチック・パリ案内』がカヴァーしている事柄で、
なんというか、少し安心しました。

とは言え、もちろん新発見もいくつかあって、
例えば、この店。

http://koyakamarket.com/

ここは、コートジヴォワール系の人御用達の店で、
店主の男性(民族衣装を着て、道端で友達とおしゃべり中でした)
とも話しましたが、
なんだか鷹揚で、ギヨームに後から聞いたとこでは、
「彼はね、多分、お金持ち」
とのことでした。
この店では、乾燥したビサップの花を買いました。
これも『エキゾチック・パリ案内』に登場した、
ハイビスカスのジュースを作るためです。
(水出しなので、要は水に入れておくだけ!)
ちなみに、この店と同じ KOYATA がつくエピスリが近くにあったので、
「このKOYATAって?」
とギヨームに聞くと、実は彼も知らず、
早速聞きに言ってくれて、
「民族の名前なんだって」
とのこと。
なるほどね!
そう言えば、先日ここで紹介した映画、
La vie du Chateau  (←アクサンが出ません!)
でも、単にコートジヴォワール人ということではなく、
民族ごとにコミュニティーが形成されていました。
そういうことなんでしょうね。

ギヨームと別れた後は、
バルベス駅前のおしゃれなカフェ、
カフェ・バルベスで一服。
この地区唯一の「おしゃれな」店は、
今もまだ唯一のまま、
つまり、こういう「おしゃれな」店は、
他に増えていませんでした。
少し危惧されたジェントリフィケーションも起きていないようで、
ちょっとほっとしました。

2018年8月18日土曜日

2018年8月17日金曜日

珍客!

今朝、窓を開けてソファでPCを触っていると、
突然、
その開いた窓からお客さんが!


タオルで包んで外に放そうとしましたが、
なかなか飛び立たないのでした。

Aretha

                          

Aretha Franklin が亡くなりました。

https://fr.news.yahoo.com/la-chanteuse-aretha-franklin-la-reine-la-soul-141823920.html

彼女については、
きっとこれから多くのことが語られるのでしょう。
なので、ここでは少しだけずらして、
以前にも少し触れたことのある、この曲を。
わたしもとても好きな曲です。

https://www.youtube.com/watch?v=ERzNIzrEnLg

I got Aretha in the morning 
High on my headphones and walking to school 
I got the blues in springtime cuz I know that I'll never have the right shoes 

Momma she'd notice but she's always crying
I got no one to confide in, Aretha nobody but you
Momma she'd notice but she's always fighting
Something in her mind and it sounds like breaking glass

I tell Aretha in the morning 
High on my headphones and walking to school 
I got the blues in springtime cuz I know that I'll never have the right shoes

You got the words, baby you got the words (x2)

Aretha
Aretha, I don't want to go to school
Cause they just don't understand me and I think the place is cruel
Child singer, raise your voice
Stand up on your own, go out there and strike out


I tell Aretha in the morning
High on my headphones and walking to school
I got the blues in springtime cuz I know that I'll never have the right shoes
But I got the words

ママは、いつも泣いたり、喧嘩しているばかりで、
あたしの靴がきつくなってることに気づいてくれない。
だからあたしは、大きなヘッドフォンを付けて、
アレサを聴きながら学校に向かう。
でも、学校では、
誰もわたしのことなんかわかってくれない、
あそこは、残酷な場所。
だからわたしには、アレサしかいない。
ねえアレサ、あたしもう、学校に行きたくないの……
でも、
そのとき、アレサの声が聞こえてきます、
あなたには言葉があるじゃない

この歌は、ルーマーが歌手になるきっかけを歌ったものだと
読んだ記憶があります。
アレサは、生き続けるんですね。

2018年8月16日木曜日

Assomption de Marie


今日は8月15日。
フランス(だけではもちろんありませんが))では、
聖母の被昇天の日です。
今ではもう多くのお店が開いていますが、
例えば近所の薬局はみんな閉まっているし、
レ・アールの fnac も閉まっていました。
ノートル・ダムでの3時半からのミサは、
きっと大混雑だったでしょう。

夕方、Bachir という、
人気のアイスクリーム屋さんの行列に、
参加してみました。
アパルトマンからは徒歩3分。
レバノン発、1936創業、完全BIOという店です。

https://bachir.fr/fr

並んでみて気づいたのは、
アラブ系の女性の比率が高いこと。
わたしの後ろには、
おしゃれな感じの若い女性が二人いましたが、
ヘジャブなどはつけていないものの、明らかにアラブ系で、
実際アラビア語で話していました。
また数人前には、
きっちりヘジャブを付けた、
やはり若い女性が二人いて、
こちらは、ヨーロッパ系のおばさまたちと、
おそらくここで初めて会ったんだと思いますが、
盛り上がって話していました。

わたしは、「バラの花びら」というアイスに、
ピスタチオのトッピングという組み合わせで食べたのですが、
もちろんおいしいのはおいしいですが、
有名なベルティヨンの方が、
わたしは好みでした。

このところ、
毎日快適な天気が続いています。
特に朝、パンを買いに行く時、
ほとんど肌寒いほどの空気に全身を包まれると、
なんとも言えない気持ち良さがあります!

2018年8月15日水曜日

i-phone で


予想されたことではありますが、
PSG の正面は、
もうネイマールではありません。
C'est lui !


ボブール横の、ニキのオブジェがある噴水前のカフェ。
平和です。


イノサンの泉、の脇で。
レ・アールに向かって。

匿名の

こうした風景は、
もうずいぶん前から、
どこの都市でも見かけるようになったのでしょう。


これは Nation の駅の中なんですが、
もう、匿名の写真のように見えます。
そして、


こうした、都市の内部の夕景(と言っても8時過ぎですが)もまた、
ほとんど匿名に見えてきます。
ちょっと大げさに言えば、
近代において、
あるいは、自然に覆われる瞬間において、
都市はその匿名を露出させる、
ということなのでしょうか?

中国から

一人は、
あるキレイなお店の女性の店員さん。
顔立ちからでは、
日本系なのか中国系なのかまったく分からず。
また着ているものも制服なので、参考にならず。
話して見て初めて、中国系、
しかも院生で馴染んでいる上海出身の家系だと判明しました。

そして二人目は、
やはりウーバーの運転手さん。
両親の出身はWenzhou、つまり温州で、
彼自身はパリ郊外で生まれ育ったそうです。
かなり色々話したんですが、
アヘン戦争から始まって、
中国の政治や歴史の話をしていた時、
(それは、フランスの歴史の授業では教わらなかったので、
歴史好きのお兄さんに教わったそうなんですが)
その流れで鄧小平のことに触れたのですが、
驚いたのは彼がこの政治家を知らなかったこと。
それから、フランスと中国のイヤなところ、いいところ、
みたいな話をした後、わざと、
「であなたは、フランス人? 中国人?」
と、半分冗談、半分マジで訊いたところ、
彼は笑顔で、
Ni l'un ni l'autre(どっちでもない)
と答えました。
ああ、これって、Stromae の曲そのものです。

https://www.youtube.com/watch?v=5VKAHsvEt30

彼は言います、ミックスがいいんじゃないかと思うんですよ、と。
わたしもそうだと思います!
そして彼もまた、Stromaeのことを知っていました。

4歳の男の子のパパでもある彼は、
マンガのファンだとも言ってました。

2018年8月13日月曜日

モロッコから チュニジアから

今日はまたちょっと暑くなった
(と言っても、東京とは違いますが)
ので、2度、ウーバーを利用しました。
とても便利でした。

最初の運転手さんは、モロッコ系の若い男性。
お父さんの代にフランスに来て、
彼自身はフランス生まれです。
「日本から?
日本はいい国だろ?
だって、中国、ヴェトナム、カンボジアなんかからは、
あんなにたくさん移民が来てるのに、
日本人はみたことがない。
きっと、経済がうまく行ってるから、
移民する必要もないんだね?」
そう、それは間違っていないと思います。
でも、
「たしかに仕事自体はあるんだけど、
必ずしもみんないい給料ってわけじゃない。
経済は順調だって言われてるけど、
それは、そういう人たちにとって、ということで、
みんなが、よく支払われているわけじゃないよ」
彼は、まあそうなんだろうね、
という感じで、深く頷いていました。
「そういえばこの前、
タンジェが舞台の映画を見たな」
「タンジェは、本当に綺麗な街だろ?」
「そうね。で、あそこには<自由地区>があるじゃない?
あそこで働くのって、難しい?
給料は高い?」
「Mmm... そんなに難しくはないんじゃない?
給料も、まあまあっていうか」
なるほど。
フランスで働いてる彼からすれば、
そんな感じなのですね。

二人めは、チュニジア出身の、体格のいい男性。
立派なメルセデスに乗っていて、
車を褒めるととても嬉しそう。
「一日運転するからね。
快適な車じゃないとね」
「チュニジアの女性って、
とても優しいって聞いたことがあるけど、本当?」
「そうねえ、まあ、優しいけど、
気まぐれかな?」
もちろんこんな話は、本気ではありません。
どこの場所にも、
優しい人間も、そうじゃない人間もいるわけですから。
「ぜひチュニジアにも来てよ。
フランスからなら2時間だよ。
僕も、1年に3〜4回は帰ってるかな」

二人とも、感じのいいマグレバンでした。

2018年8月12日日曜日

その曲とは

今日、メトロに乗っていたときのこと。
「ショッピング・バッグ・レディ」風のおばあさんが、
時折、何か声をあげながら、
近くに座っていました。
小柄な、痩せたおばあさんなんですが、
まあ、電車内で声をあげるので、
周りはやや引き気味です。が、
その声を聞いていると、
おや? これって?
もう一度待って聞いてみると、
間違いありません。
彼女はこう言っていました。

Formidable ! Formidable !
Tu etais formidable...

これですね。

https://www.youtube.com/watch?v=S_xH7noaqTA

Mmm...

マダガスカルから

今日は昼にLeon で食べることができたので、
夜は、アパルトマンの隣の寿司屋を試してみることにしました。

https://cotesushi.com/

店内に入って、
並んだ「寿司」を見てみると、
これはまあ、寿司とは違う様子。
そしてそのパックには、

from Japan to Peru

を書かれています。
to Peru ?
to France なら分かりますが。

「いやこれは、料理の話だよ。
日本の料理がペルーに入って、その影響を受けた料理のことね」
「じゃあ、ペルー出身?」
「おれが? 全然、全然違うよ!
おれはね、マダガスカル出身だから」

そして厨房には、
アフリカ系のお兄さんが二人。
で、味はというと……
なんと、結構おいしい!
もちろん、ミント、パクチ、アヴォカド、
などが入っていて、
日本の寿司とは完全に別物ですが、
それなりにおいしいのでした。
見くびっていて、申し訳ありませんでした!

でもこれって、本当にペルーのものなんでしょうか??

カビールから


昼は待望のレオンに行って、
ランチを食べました。
初めて入るレ・アールの店です。
でも、当然ながら安定の味で、おいしかったです。

で、
感じのいい中年のホール係の人と話していて、
メニューの中のパエリア風のものに関して、
「そう、たしかにパエリアだと思っていいですよ。
南の方のものね」
「であなたも、南の出身ですか?」
「僕はね」と声を低めて「アルジェリア出身」
で、わたしは、試しに言ってみました。
「サラーム・アレイクム」
「……もちろん、その言葉の意味は分かりますよ。
でも、それは違うんです。僕はベルベル人だから」
「ああ、カビール?」
「そういうこと」
「じゃあ、ジダンですね!?」
「そう!」と目を輝かせ、そして一層声を低め、
「だから僕はね、アラブじゃないんだ。違うんだよ」
「そういえば、カビールの人の中には、
青い目の人がいるって聞いたことがあるんですけど、
それって本当ですか?」
「そう、いるね」
と、彼はウインクしたのでした。

彼にとって、
アルジェリア出身だけどアラブじゃない、ということは、
とても重要なことなんですね。
快活な彼と、握手して別れたのでした。

Pompidouの


2018年8月11日土曜日

danseurs

金曜の5時過ぎ、
レ・アールとイノサンの泉が斜めに接するあたりには、
多くの人たちが集まっていましたが、


彼らの中心にいたのは、
アフリカ系を中心としたティーンのダンサーたち。


何と言っても、彼らは楽しそう。
見られているんですが、
見物客からお金を集めるでもなく、
いいとこを見せようというんでもなく、
楽しそうに踊っています。
が、そこに……

彼らがラップで踊る姿を、
1時間以上見ていましたが、
なんというか、
彼らがそれを生きているラップと、
わたしがふだん聞いているラップとでは、
大きな隔たりがあるのか、よくわかりました。
彼らはラップを、身体的反応の中で生きていて、
その点が一番教えられました。

metro


i-phone で。

2018年8月10日金曜日

「アトリエ・デ・リュミエール」・クリムト展


昨日出会ったご夫婦との話にも出た、
「クリムト展」に行って見ました。
と言っても、絵が展示されているわけではありません。
これです。

https://bijutsutecho.com/magazine/news/exhibition/18222

これはパリでも評判らしく、
入るのに20分ほど並びました。
昨日のチームラボの場合もそうでしたが、
広いホール(?)全体で、
1つのインスタレーションという感じ。
ただ、こちらのアトリエ・デ・リュミエールの方は、
素材は、クリムトであり、シーレであり、
またベートーベンであったり、ショパン、ブルックナーであったりと、
言ってみれば、
それ自体優れた「芸術」でもあるものでした。
だから、それなりのレベルには当然なるのですが、
エンタメ性が強過ぎるというか、
俗っぽいというか、
素晴らしい、というとまでは感じませんでした。
「時間」を生かせていないので、
新しいフェーズに届いていない気がしました。
もちろん、これが東京で開催されれば、
間違いなく大きな話題にはなるでしょうけど。

(エゴン・シーレ(やフランシス・ベーコン)は、
大学生の頃、わたしとわたしの親友にとっての、
ある種のヒーローでした。
彼(ら)の自画像の歪みに、
自分(たち)を重ねていたのでしょう。
久しぶりにシーレと対面して、
ちょっと、グッと来てしまいましたが、
それはシーレの力であり、
デジタル化の力ではありません。)

その帰り道、
会場近くのピザ屋に寄りました。
Oxymore というその店は、
小綺麗で、なかなかおいしかったです。
(ピザと、デザート or コーヒーで15ユーロ。
ただ、デセール・グルマンは、
ピスタチオ・ケーキ、ミニ・クレーム・ブリュレ、
キウィのジュレ、そしてコーヒー(!)の組み合わせなので、
or なんかではありませんでした。)
元気のいい店のお兄さんは、
スペイン系なんだそうです、ピザ屋なんですけど!

そして夕食。
レバノン料理店で並んでいる時、
すぐ後ろにいた中国人夫婦とだべって待ちました。
彼らは、北京から、初めてパリに来たとかで、
ちょっとハイになってましたが、
感じのいいご夫婦でした。
その後店内には、
レバノンの人らしいお客さんが増えて来て、
サラーム・アレイクンが続き、
小さな店がもうアラビア語の空間になってしまい、
おもしろかったです!
店主らしきおじさんは、
ベイルートの南西の「  」から来たんだ、
と言っていたんですが、
なんと、それをもう忘れてしまいました(涙)。
初めて聞くアラビア語の都市名って、
かなり覚えづらいですね(と苦しい言い訳)。

昼も夜も、おいしかったです。
レバノンの方は、Farafel du Liban です。

2018年8月9日木曜日

日本から


今、ラ・ヴィレットでは、
チーム・ラボによる展示が行われています。

https://www.team-lab.com/news/lavillette2

これを見に行った時、
あるヨーロッパ系の老夫婦に日本語で声を掛けられました。
話してみると、
ご婦人の方は、
19年も日本でフランス語を教えていた方でした。
とても聴きやすい日本語で、
フランス語もきっと聴きやすいんだろうと、
先生としてふさわしかったんだろうと想像しました。
そして展示については、
「それほどでもないですね」
と言い、またパートナーの男性も、
こちらはフランス語で、
「がっかりだよ。期待してたんだけど」
とのこと。
で、わたしはと言うと、
ちょっと値段が高いこt高いことを別とすれば、
展示自体には、
新しい可能性が感じられました。
メディア・アートは、
大衆性を持ちやすく、
インタラクティヴでもあり得るし、
いつかは、専用のホールができるんじゃないかとさえ思いました。
今はまだ、「美しいもの」に寄っていて、
「芸術」と呼ぶにはためらいがありますが、
未来の可能性は否定できないと思います。

見終わって会場を出た時、
再び彼らと会いました。
「この辺はよく知らないし、
実はあまり好きな地区でもないの。
住んでいるモンマルトルに帰ります」
と言い残し、二人はメトロの駅に向かったのでした。

バングラデシュから

今日、ランチで入ったカレー屋さん、
<ボンベイ・カリー>。
お客さんが少なかったせいもあり、
お店の人二人と、結構喋ってしまいました。
彼らは二人とも、
バングラデシュの出身だそうです。

小柄な方のお兄さんは、
7年前にパリに来たそうで、
フランス語も上手です。
もう一人の大柄な方の男性は、
フランス語は勉強中とかで、
彼とは英語で話すことになりました。
というのも彼は、
25才の時にロンドンに渡り、
そこでイギリス人女性と結婚もし、
その後2年前にパリに来たと言います。
彼は日本のもろもろを絶賛し、
その度にわたしが I don't think so. を繰り返していると、
遂に最後に、例えば日本人の親切さについて、
「確かに 10%くらいはそうでもないかもしれないけど、
90%の人は本当に親切だよ」
と、やや後退したのが可愛かったです。
ただ話していくうち、
彼が実は日本の事情に通じていないことが、
だんだんわかって来ました。というのも、
「広島は、もう人が住めるの? 環境とかは?」
と訊いたりするからです。
感じはとてもいいんですけどね。
で、
話が移民問題に移り、
日本ではほとんど(正式には)受け入れていないことを話すと、
「それはいいね。
だってリアル日本人ばかりなんだろ?
正統的な人たちばかりってのは、いいよ」
と言うのです。
これが、たとえばヨーロッパ系白人の発言だったら、
割と議論になりそうなところですが、
彼自身は、バングラデシュからロンドン、そしてパリへ、
移動を繰り返して来た人なのです。
ちょっと複雑な気持ちになりました。

でも、それでも、
彼らと話せてよかったです。
一緒に撮った写真を、
これからメールするつもりです!

2018年8月8日水曜日

モロッコから

そういえば昨日、
スーパーのAuchanで買い物をして、
セルフ・レジに並ぼうとし時、
大きめのヘジャブを着け、
服自体もとても敬虔な感じの若い女性と、
同時に並ぼうとする感じになりました。
お先に、と行ったのですが、
いえ、どうぞ、急いでませんから、
と微笑まれて、ついお言葉に甘えました。
彼女は、小ぶりのスーツケースを買おうとしていて、
旅行ですか? と尋ねると、
モロッコに帰るんです、と言います。
「モロッコには、しょっちゅう帰るんですか?」
「いえ、実はわたしモロッコ人で、
パリに遊びにきて、買い物し過ぎて、荷物か入らなくなっちゃったので」
とスーツケースを見やります。
なるほど、そうなんですね。

とても感じのいい喋り方をする、
きちんとした女性でした。

イタリアから

ポンピドゥー近くの
(=アパルトマン近くの)
アイス屋さんの店先で、
かなり年配のおじいちゃんとおしゃべり。
ぼんやりと、
一人で日向ぼっこ(!)をしていた彼は、
イタリア系で、
もう随分前にフランスに来て、
トラック運転手として働いてきたそう。
ただ、
「親父と兄貴は石工だった」。
(『ある石工の回想』といういい本がありました。)
で、
彼はこうしてベンチに座って、
ちょっと孤独感を醸してもいたんですが、
「娘は結婚してドイツにいるんだ。
孫? いるよ。
長男のとこにもいるさ」
と満面の笑み。
これが、孤独じゃない事の証なら、
いいんですけど。

分厚い手と握手と別れました。
「明日は涼しくなるよ!」

2018年8月7日火曜日

カリブから


というわけで、無事到着したんですが、
暑い!
エアコンがない部屋に居て、
今、すぐ、エアコンが欲しいです!
それはともかく。

アパルトマンまでのタクシーの運転手さんは、
ゲーム大好きなマルチニック系の男の人。
黒いアウディのワゴンに乗って、
「このクルマを運転するのは楽しいよ」
と言います。
3人の子どもは、女、女、男、で、
8歳、6歳、3歳。
子ども達と、swich で遊ぶんだそう。
「マルチニックに親戚はいるけど、
お金もかかるし帰らないね。
帰ってこいと言われるほど連絡も取り合ってないし」
だそうです。

そしてアパルトの前で待ち合わせに現われたのは、
身長180cmはあるかという、
グアドループ出身の若い女性でした。
「グアドループといえば、ティエリ・アンリだよね」
「そうそう!」
「今はベルギーのコーチだけど」
「そうそう! でもいいの、わたしたちが優勝したんだから!」
「おめでとう!」
「ありがとう!」
という感じでした。

パリですね。

2018年8月5日日曜日

パリへ

東京は(というか日本中)暑い日が続いています。
知り合いも2人、熱中症にやられました。
(そのうちの一人は、駅から自宅まで、15分歩いただけ!
注意しましょう!)

明日からパリに行ってきます。
パリの天気予報を見ても、
たとえば火曜の予想最高気温は36度とあり、
「!」ですが、水曜以降は少し落ち着くようです。

今回は、先輩に勧められて、
羽田近くのビジネスホテルに前泊してみることにしました。
これだと、早起きはしなくてすみますが、
当然、今日の午後出発です。
暑いけど!

では、à bientôt !



2018年8月3日金曜日

『活きる』

チャン・イーモウ監督の代表作の1つ、

『活きる』(1994)

を見てみました。
これは、20年前くらいに見たんですが、
ほとんど覚えていませんでした。

https://www.youtube.com/watch?v=ZB7HYhUpDz8&list=PLCsIhVFdTCa6WNOzwEZnquj_cSRO2_p83

3部に分かれた映画で、
それぞれ、40、50、60年代の中国が舞台です。
つまりざっくり言えば、

40:国共内戦
50:反右派闘争~大躍進
60:文革

という感じでしょう。
で、
たとえば真ん中の「50年代」の場合、
大躍進は58年からなので、
その後が出てくるところは、
58以降なんだろうとは思いますが、
はっきりした年号までは分からない場合も多いように思いました。
また場所もはっきりしないのですが、
どこかの小都市、という感じです。

主人公は、地主の息子として育ち、
博打にのめりこんだ挙句、
全財産を失い、
都市の貧民層として再スタートを余儀なくされます。
ただ、博打から足を洗ったことで、
家出していた妻は、
子供たちと一緒に戻ってくれます。
そして主人公は、影絵の一座を作り、
地方を巡りますが、
そこで国共内戦に巻き込まれ、
その後はずっと「中国」に翻弄されることになります。

ただ、「中国」とは、
時代によって実質毛沢東だったり、
そうではなかったりするわけですが、
1つの結論を言うなら、この映画が、
毛沢東時代を否定的に描いていることになるのは、
間違いないでしょう。
ほとんど調べていないので、
この映画が、この点でどう評価されてきたのか、
それは知らないんですが、
わたしはそう思いました。

またこの映画には原作があって、
それとの比較も多くなされてきたようです。
これは、原作を未読なので何とも言えませんが、
少なくとも、「死者」の数が違うようです。
なにしろ原作では、主人公以外、
妻、子供たち、娘婿、孫、親友、
みんな死んでしまうのですから。

映画でも、それぞれの時代に死ぬ人がいます。
彼らの死が象っているのは何か。
それは単純なものではないでしょうが、
その要素の1つに、
その時代の権力者への拒否があるのはまちがいないと感じました。
もちろん映画自体には、
ある種の<希望>が常にあり、
観客はそちらに目を奪われやすいわけですが。

後期の「ワールド映画ゼミ」では、
時間があれば、
これを見せたいです。

2018年8月2日木曜日

Prendre le large 2

この Prendre le larege(「沖に出る」)は、
その多くがモロッコのタンジェ(タンジール)で展開しています。
で、
タンジェと言って思い出すのは、
まずはこの映画です。

http://tomo-524.blogspot.com/2018/02/sur-la-planche.html

ここでは、
「下層労働者」である少女二人が、
なんとか社会的に上昇したい、
そしてそれは、
あの「自由地域」のテキスタイル工場で働くことだ、
それこそが夢の実現なんだ、
と言っていました。
なんと、その工場とは、
まさにエディットが働いているような場所にちがいないのです。
一日中ミシンの前で、
しかも多くのミシンが壊れ、
非人間的に管理され、
指先がボロボロになっても文句も言えない、
監督に逆らえば明日から仕事を失う……
そんな場所なのです。

エディットが仲良くなる、
カリマという若い女性の仕事仲間がいます。
フランス語が話せる、感じのいい女性です。
彼女は、工場で余った布の端切れを、
からの水筒に隠して持ち帰っています。
彼女は監督のお気に入りであり、
その行為は見逃されています。
彼女はその端切れで、細々したものを作り、
売って生活の足しにしています。

「でも、7人の兄弟と母親を養うには、
今の3倍は売れないとだめ。
近いうちにそれができなければ、
わたしは娼婦になるしかない……」

明るく、まじめに働いているカリマが、
こんな重いものを背負っていたとは……。
そして、エディットと仲良くなったカリマは、
監督の反感を買い……

タンジェといえばもう1本、
これもありました。

http://tomo-524.blogspot.com/2015/04/rock-casbah.html

これもいい映画でしたが、
こちらはお金持ちの話でした。

このごろ、時々思い出されるのが、
この本のことです。

https://www.hakusuisha.co.jp/book/b205991.html

Where do we go ?

Prendre le large

この頃、わりとおもしろい映画に当たることが多いですが、
今回見た

Prendre le large(2017)

は、とてもいい映画だと思いました。
落ち着いているのに、
停滞するところがまったくなく、
人物もリアルで、
描写も過不足ない感じ。
画面も美しく、かつ猥雑で、
背景のグローバリズムが、
フランケンシュタイン的にわたしたちを包んでしまっていることが、
じりじり迫ってきます。

https://www.youtube.com/watch?v=LsfAPoCk5AA

ヒロインのエディットゥは、
リヨン郊外で一人暮らし。
息子はパリで、男性の恋人と暮らしています。
そして、彼女が働いているテキスタイルの工場の閉鎖が決まったところから、
物語は動き始めます。
(夫もこの工場で働いていましたが、
おそらくは工場の環境の悪さのせいで、すでに亡くなっています。)
会社側が提示した選択肢は2つ。
辞めて、それなりの補償金を受け取る、
あるいは、
新工場に移って働き続ける、
ただしこの場合補償金はなし、です。
両方を拒否し、ストを続けるものたちもいます、が、
残りのものたちは前者を選びます。
というのも、新工場というのはモロッコのタンジール(タンジェ)であり、
給料もかの地の物価に合わせて下がるし、
住居なども用意されるわけではないからです。
でも……
エディット一人だけは、タンジェを選びます。
会社側の人間も友人も止めますが、
彼女の気持ちは変わりません。
働きたい、これが彼女の選択の理由です。

そしてタンジェ。
そこは、予想していたとはいえ、
やはり異郷でした。
アラブ語が飛び交い、
バッグをひったくられ、
人々の対応も理解できません。
ただ、彼女が住むことにしたアパートの女性主人、
そして彼女の息子とは、
やがて打ち解けてゆきます。
エディットにしても、
息子を持つ身ですから、
自分(たち)を重ねもしたのでしょう。
問題は、職場です。
今までとは違う仕事、
つまり、他の大勢と一緒に、ミシンの前に座り、
ひたすら縫物をすることを命じられます。
しかも、ミシンは古く、
ミシン自体に電流が走りさえするのです。
ただ、職場監督に押さえつけられている工員たちは、
文句を言うこともありません……

ここまでで、半分くらいでしょうか。
物語的には、このあとまだ大きな展開が2度あります。
その中心にあるのは、
エディットのアイデンティティーの問題ですが、
もちろん、息子との関係もそこに含まれます。

働くということの意味を問いつつ、
ワーキング・クラスの女性のアイデンティティーを扱い、
それを包囲するグローバリズムと、
地域間の経済格差を描く。
やっぱり、とてもよくできた映画でした。
(つづく)