2020年12月31日木曜日

à la fin de l'année étouffante

AmazonPrime にあったので、
もしかして授業で使えるかも?
と思って見始めたのは、

『フレンチ・コネクション 史上最強の麻薬戦争』

です。
この映画、実は以前見たことがあります。


というわけで、
民族関係などに注目すれば、
授業に向くかと思ったんですが、
どうもそれは違うようでした。
ただ、やっぱり、おもしろい。
でも、なにがおもしろいのか、
ほんとのところは、よく分からないんですが。
人間が生きているという感じ、
なんでしょうか……?

というわけで、
今年も終わりです。
さっきのニュースで、
東京は 1300人だと言っていました。
大晦日に、1000人超え、です。
残念だという意味で、今年らしいですが。

来年の今頃は、
晴れ晴れと、新年を迎える気分でいられればいいのですが。

では、

Bonne santé à TOUS !!

2020年12月30日水曜日

『ロスト・ブレット』

ニコラ・デュヴォーシェルとアルバン・ルノワール、
見たばかりの映画に出ていた二人が共演する、

『ロスト・ブレット』

を見てみました。


ニコラは悪徳刑事、
アルバンは無実の罪を着せられた男、です。
(アルバンを可愛がる刑事役で、
お馴染みのラムジー・ベリアも出ています。)

アクションを中心にしたエンタメですが、
主役の二人はいい演技。
それぞれに個性が出ていて、よかったです。
かつてブニュエルは、どんな低予算の商業映画であろうと、
自分の取ったものの中に、
わたしらしくない作品は一本もない、
と言っていましたが、
ニコラやアルバンにとって、
この作品はそんな感じなんでしょうか。
賞を取るようなものでも、
有名監督のものでもないけれど、
やっぱり自分の出演作ではあるという。

アルバンとちょっと仲良くなる女性刑事を、
ステフィ・セルマという俳優が演じています。
彼女はカリブ系で、他の作品も見たいと思いました。

2020年12月29日火曜日

Une sirène à Paris

Une sirène à Paris

は、2019に発表された小説ですが、
今日は、その映画版を見てみました。
主演はニコラ・デュヴォーシェルです。


まあ、幻想的というか、大人向けのおとぎ話であり、
ちょっとジャン=ピエール・ジュネを思わせる画風です。
まあ、「人魚」ですから、
彼女の歌を聞くと恋に落ちて死ぬ、
というのが物語の肝を形作っています。

どうなんでしょう、
日本で公開されれば、
それなりに話題になるのでしょうけど、
まあ、どうということはない、かな?

『ザ・ゲーム ~赤裸々な宴』

フランス映画では、
時折、しかも定期的に、
室内の会話劇を見かける気がしますが、
この

『ザ・ゲーム ~赤裸々な宴』

も、まさにそれ。
Netflix で見てみました。
(ただこれは、イタリア映画『大人の事情』のリメイクで、
そちらもちょっと覗いてみたところ、
まあかなり「そのまま」のリメイクである印象でした。)


美容整形外科医と精神科医という、ブルジョワ・カップル。
彼らは、古くからの友人たちを自宅に招き、
恒例のディナーを楽しみます。
そしてメンバーが集まりいろいろ話すうち、
秘密がないならみんなのケータイをここに出して!
ということになり、
電話もSNSもみんなで共有する、ということになります。
で、
予想通り、さまざまな秘密が暴露され……
というお話。

この手の映画は、基本的にはあまり得意じゃありません。
ハードボイルドとは対極にある、
行動が乏しく、言葉が過剰な映画、ということです。
ただ今回この映画を見ることにしたのは、

ロシュディー・ゼム
ベレニス・ベジョ
ヴァンサン・エルバーズ

という、好きな俳優たちが出ていたからです。
そして結果から言うと、
いくつか「?」はあったし、
ゲスさがベタな感じもしましたが、
会話劇なので、
ああ、このフランス語表現はこんな状況でも使うのね、
というような発見もあったし、
まあ、おもしろく見られました。

2020年12月28日月曜日

『バッド・シード』

以前、Nous trois ou rien という映画のことを書きました。


残念ながらこの映画、
日本ではまだ簡単に見られるようにはなっていないのですが、
この作品を撮ったケイロンの、
次の作品は Netflix で見られます。

『バッド・シード』(Mauvaises Herbes)

です。


舞台はバニョレ。
30代のワエルは、そこでなかなか派手な養母(ドヌーヴ)と暮らしています。
ワエルは、子どもの頃、
(どうやらレバノン内戦において)
家族全員を失くし、孤児となりました。
彼はムスリムでしたが、やさしいシスターに保護され、
なんとか生きのびることができました。
ただ、パリで生きる今、
養母と二人で小さな詐欺を重ねて生活していて、
まともな仕事には就けていません。
そんなとき、養母が昔の友人と偶然再会します。
ワエルは、この旧友が仕切っている、
問題を抱えた中学生の教育施設で、
ヴォランティア指導員をすることになります。
そこにいたのは6人の中学生たち。
男子は、アラブ系のカリム、アフリカ系のリュド、
そしてインド系とロマ系です。
女子は、IQ140というナディアと、
ユダヤ人のシャーナです。
物語は、ワエルとこの子どもたちとの交流を中心に進んでゆきます。

Nous trois ou rien の時もそうだったのですが、
このケイロンという監督は、
泣き笑い、というか、
悲喜劇、というか、
コメディーの中に深刻な要素を埋め込み、
観客を独特な感覚に陥らせてきます。
戦争、虐殺、貧困、虐待、などが、
軽いおしゃべりの背後に流れているわけです。
この辺が、単なるコメディとは違うところでしょう。

ただ、フランスでのメディアの評価を見ると、
問題になっているのはむしろ作品のヒューマニズムです。
これを湛える評もあれば、
浅い、愚直、と切り捨てている評もあるのです。
たしかにどちらの言い分も分かります。
わたしとしては、評価する前に、
もう1作見てみたい、という感じです。

映画の冒頭、
実は『レ・ミゼラブル』でも引用されていた、
Hugo の言葉が示されます。
(オリジナル・タイトルは、ここから取られているんですが、
わたしは作品と合ってないと思います。)

Il n'y a ni mauvaises herbes, ni mauvais hommes.
Il n'y a que de mauvais cultivateurs.

この引用自体は、『レ・ミゼラブル』のほうがしっくりきます。
でも、こちらも、
十分見るに値する映画だとは思います。

(小さなことを一つ。
映画の始まりはバニョレの空撮で、
(ツイン・タワー、Les Mercuriales が見えています。)
ただ、それに続くショットがモールで、
バニョレのそれかと思いきや、
明らかにクレテイユの巨大モール、
クレテイユ・ソレイユなのです。
後で考えて、
つまりこれは、
舞台はバニョレだけど、
今はクレテイユに来ている、
ということなんだと分かりましたが、
ちょっと不親切。
2つの場所を知らなければ、同じ場所だと思うのが映画の約束で、
とはいえ、
ある程度パリに詳しくなければまず分からないからです。
ナディアはどうもクレテイユの子らしいので、
学校自体も、クレテイユにあるということなんでしょうけどね。)

あ、もう1つ思い出しました。
ここで悪徳警官役を演じているアルバン・ルノワールは、
この映画の主演でした。


この映画は、明治大学の「フランス映画の夕べ」で取り上げたので、
とても印象に残っています。

2020年12月26日土曜日

Roubaix, une lumière

アルノー・デプレシャン、
先日見た彼の『あの頃エッフェル塔の下で』は……だったのですが、
今日、彼の新作、

Roubaix, une lumière (2019)

を見てみました。
というのも、出演者の中に、

ロシュディー・ゼム
レア・セドゥ
サラ・フォレスティエ

の名前があったからです。
すごいメンバーです。

Roubaix は、北フランスの、
リールよりもさらに北、
ベルギーとの国境の街です。
映画の中のセリフを借りれば、
フランスの大都市の中でもっとも貧しい、
ということになります。
アルノー・デプレシャンはこの街の出身で、
他の作品でも、このRoubaizx が登場していました。

ロシュディー・ゼムは、この街の警視です。
アルジェリア系で、
彼以外の家族は故国に戻り、
彼だけがここに残っています。
いくつもの事件が起きます。
その一つ一つが、
現代の Roubaix の置かれた位置を物語っていて、
おもしろいです。
そこに絡む端役の人たちもなかなかいいです。
中でメインになるのが、老婆の殺害事件です。
そしてその容疑者となるのが、
すぐ近くに住む女性カップルであり、
それを、レアとサラが演じているわけです。

ただ、この女性二人は、
いわば「汚れ役」と言っていいでしょう。
あの華やかな役をこなしてきた二人が、
ここでは、陰にこもった、すさんだ生活を生きる女性を演じています。
もちろんそれでも、
ふたりにはある種の美しさがあるし、
監督はそれに気づいています。

この3人は、素晴らしいです。
特にゼムは、いつもながら。
なので映画自体も魅力的でした。
街のうらぶれた感じも、底冷えのように、
足元から這い上がってきます。

ただ、これはマズイんじゃ?
とはっきり感じる演出もありました。
それは、着任したばかりの刑事が、
モノローグの形で手紙を読む場面です。
とても不自然。
視点がぶれて、混乱します。
これはもうきっちりと、
ゼムの視点で行くべきだったと思います。
それがなければ、
かなりいい作品だったのに、と思います。

*とここまで書いて、
実は日本版DVDが出ていることを知りました。
『ダブル・サスペクツ』
です。


そしてアマゾンのレヴューは低いですが、
それはチガウでしょう。
わたしなら、★★★★☆ です。

2020年12月23日水曜日

2本

今日見た2本、

『パリ、混沌と未来』
『あの頃パリの空の下で』

は、両作とも、ピンと来ませんでした。
前者は、モンマルトルやレピュブリック広場など、
パリの風景に見どころはありましたが、まあそれだけ。
後者は、今風ヌーヴェル・ヴァーグという触れ込みなんですが、
予想通り、わたしとは合わないと感じました。

ブルデューは、
趣味(選好)とは嫌悪である、
と言ってますが、そうなんですよね……
(原文では、「趣味」は goût、「嫌悪」は dégoût です。)

2020年12月22日火曜日

『スクールライフ:パリの空の下で』

Zita Hanrot 主演の「パリ郊外」映画、

『スクールライフ:パリの空の下で』(2019)

を Netflix で見てみました。
オリジナル・タイトルは

La Vie Scolaire

です。(日本では劇場公開されませんでした。)


舞台は、パリ北郊の Le Franc-Moisin。
(これは Stade de France のすぐ東側です。)
この「教育困難地区」にある中学校(現実には le collège Federico Garcia Lorca)に、
新しい教育指導主任専門員(CPE;conseiller principal d'education)が着任します。
サミア・ジブラ。
アルジェリア系の父とカリブ系の母を持つ彼女は、
実は、カレシが収監されている刑務所の近くを希望し、
一人の知り合いもいないこの土地に配属されてきたのでした。
彼女の周りには、
癖の強いスタッフ仲間、
教員たち、
もちろん生徒たち、
生徒の親たち……
等がいて、
いわゆる「荒れた」学校空間を構成しています。
メイン、と呼べるほど強いストーリーはなく、
小さなエピソードが重なっていく感じは、
この手の映画の大先輩、
『パリ20区、ぼくたちのクラス』にも似ているかも。

生徒の一人に、ヤニスというアラブ系の少年がいます。
(ムバッペ似です。)
心優しい彼は、でも、もうしばらく前から、
努力するということを放棄しています。
サミアは何とか彼を励まし、
彼が好きだという映画関係の仕事に向かって進ませようとするのですが、
なかなかうまくいきません……

で、実はこの二人が、この映画の2つの極になっているようです。
二人は、もちろん違う世界にいるのですが、
そのそれぞれの世界での位置が似ています。
それをはっきり示しているのが、
ヤニスの父親もまた、
サミアのカレシと同じ刑務所にいるという事実です。
二人は、刑務所の入り口で偶然出会い、
一瞬見つめ合うのです。
途中、2つのパーティーを、
クロス・カッティングで繋ぐ箇所があるのですが、
そこでも、二人の相似性がはっきり提示されるようです。

またこの映画は、「口が悪い」。
辞書に出てない砕けた表現くらいはともかく、
悪口の言い方に品がありません。でも、
不思議なことに、映画全体はウォームなのです。
アラブ系のヤニスと、アフリカ系の親友の会話ときたら、
「へい、汚い黒人! Sale noir !」
「なんだい、このテロリスト!」
みたいな感じなんですが、
この間二人はずっとニコニコしていて、
とにかく、大親友なのです。
道徳的な PC とはまったく違う次元ですが、
個人的には、こういう世界にも親しみを感じます。

そうそう、大事なことを忘れてました。
この映画の監督・脚本には、
Grand Corps Malade が参加しているんです。
彼の監督作品としては、これがありました。


才能ある人ですね。

そして主演の Zita Hanrot もよかった。
(実際の彼女はジャマイカ系。)
『ガールフレンド・イン・パリ』はひどかったけれど、
こちらはよかったです。

2020年12月21日月曜日

『キューティーズ』


Netflix を散策していて、
おやこれも「パリ郊外」? ということで見てみたのが

『キューティーズ』(2020)

です。


原題は Mignonnes で、
「可愛いもの(物/者)たち」なんですが、
実際は、劇中に登場するガールズ・ダンス・グループの名前です。

舞台はパリの北、のようです。
(途中、ラ・ヴィレット公園が出てきます。
「郊外」と書きましたが、もしかしたら、
ギリ「パリ」なのかもしれません。)
ヒロインは11歳の少女、アミ。
セネガル系の移民で、
母親、小さい弟、そして赤ちゃんとの4人暮らしです。が、
ここに、
セネガルから父親が戻ってくるというのです、
第二婦人を引き連れて。
アミは、自分もそれがイヤだし、
母親も実は深く傷ついていることを知っています。

そんなある日、住んでいる団地の洗濯室で、
同じ学年のアンジェリカが、
Hip Hopに合わせて踊っているのを見かけます。
そして…… あっという間にダンスの虜になります。
家庭内の、古いしきたりと、
Hip な生き方は当然齟齬をきたし……
というお話。

アミを含め、少女たちは可愛らしい。
激しい喧嘩もするし、
言葉は汚いし、
スマホは盗むし…… なんですが、
やっぱり、健気なんです。
ガールズ・ブループは(一応)4人で、
セネガル系のアミ、
アラブ系のアンジェリカ、
アフリカ系のクンバ、
白人のジェス、です。
思い出すのはやっぱり、これです。


ちなみにこの『キューティーズ』は、少女たちの描き方が、
over sexualisation 
なのではないかと、
特にアメリカのライト側から批判が上がりました。
それに対して、監督も Netflix も反論しました。


大人の(「セクシーな」)女性のマネをすればするほど、
成功に近づける……
少女たちがそう信じ込まされる状況こそが問題だ、
というわけです。
つまり少女たち、少なくともアミは、
家父長的は伝統主義と、そうした資本主義の退廃との板挟みなのだ、
ということになります。

たしかに少女たちは、
その意味も知らないまま、
性的な行為を模倣した動きをダンスに取り入れてゆきます。
健気、と書きましたが、
その健気さそのものが、仇ともなっているわけですね。

そう考えてくるとこの映画、
単なる伝統主義と自由主義の板挟み、を描くことから、
大きく一歩、踏み出しているのかもしれません。
新しいです。

"house negro"

『バンリューの兄弟』の中では、
「雄弁コンクール concours d'éloquence」が開かれます。
テーマがあって、
君は肯定、きみは否定ね、
と振り分けられるので、
一種のディベートなのでしょう。
で、
映画内でのテーマは、

L'Etat set-il seul responsable dde la situationactuelle
des banlieues en France ?
(フランスの郊外の現状に責任があるのは、政府だけなのか?)

でした。
主人公は「否定」を振られ、
郊外人としての尊厳において、自らの「選択」の重要性を語ります、
肯定することは、同時に被害者意識の肯定に過ぎない、
白人層の罪悪感の軽減に過ぎない、
というわけです。
一方、「肯定」を振られた、
パリ5区育ちのブルジョワ白人、リザは、
そもそも「政府」とは誰かを問い、
そこには郊外人自身も含まれていることを指摘した上で、
「選択」と社会的流動性を称揚する主人公のことを、
マルコムXの言う house negro(naigre de maison)ではないのか、
Bounty(=外見は黒人で内面は白人)ではないのか、
と反論します。

この論理のぶつかり合いは、
アクティヴィストである監督たちの見せ場なのでしょう。
ただ……
これを「映画」で見せてくれれば、
もっとスリリングだったかもしれません。

2020年12月20日日曜日

『バンリューの兄弟』

「パリ郊外」繋がりで、

『バンリューの兄弟』

を見てみました。
これはNetflix でのタイトルで、
オリジナルは

Banlieusards

なので、『郊外の人々』となるでしょう。
実際、たしかに郊外で暮らす3兄弟がメイン・キャラクターではありますが、
彼らを取り巻く人々、
母親はもちろん、友だち、仲間、敵、も含めて、
「郊外人」を描いています。

舞台は、ヴァル=ド=マルヌの Bois-l'Abbé 地区。
そこにあるHLMで、マリ系の移民系の母と、
二人の息子が暮らしています。
実は長兄もいるのですが、
彼は麻薬がらみの犯罪を繰り返し、
家から追い出されています。
で、
次兄は大学生で優秀。
雄弁コンクールの決勝を控えています。
ただ、15歳の末弟は、
次兄より長兄の生き方をモデルとしているように見え、
それが母親を嘆かせています。
そしてこの末弟が「事件」を引き起こし、
その余波が、遠くまで及んでゆきます……

映画としての構造は、単純です。
麻薬取引や殺人もありますが、
それは「郊外」の日常であるかのように描かれています。
「郊外」の置かれた状況について、
わりと概念的な説明が複数試みられている点が、特徴でしょう。

ただそれもそのはずで、
この作品の監督は Leïla Syと Kery James で、
二人は HipHop 界の有名人で、アクティヴィストです。
(Kery James は長兄を演じています。)
途中、主人公である次兄が、
Kery の Lettre à la République というラップを、
力強く歌う場面があります。

A tous ces racistes, à la tolérance hypocrite,
Qui ont bâti leur nation sur le sang,
maintenant s'érigent en donneurs de leçons.
Pilleurs de richesses, tueurs d'africains,
colonisateurs, tortionnaires d'algériens.
Ce passé colonial c'est le vôtre.
C'est vous qui avez choisi de lier votre histoire à la nôtre.

共和国よ、この植民地主義的な過去こそ、おまえの過去だ。
おまえの過去を、オレたちの過去と結びつけることを選んだのは、おまえ自身だ。

確かにね。

それから小さなことですが、
長兄のダチも次兄も知っていたセリフは、
調べてみたら、
『スカーフェイス』からの引用でした。
ごく単純な論理ですが、
『スカーフェイス』がそれほどまで有名なことに、
あらためて気づきました。

Dans ce pays, il faut d’abord faire le fric, 
et quand tu as le pognon tu as le pouvoir, 
et quand tu as le pouvoir tu as toute les bonnes femmes.

2020年12月19日土曜日

『レ・ミゼラブル』

Hugo ではなく、Ladj Ly の

『レ・ミゼラブル』

Amazon Prime に登場したので、
また見てみました。

舞台は、パリ郊外のモンフェルメイユ、
つまりHugo の同名小説の舞台の地、
ということになっていますが、
Google Earth で近くを探したところ、
舞台となっている団地は、
クリシー=スー=ボワにありました。
そう、あの2005年の暴動のあった場所です。
(で、映画内でも、その暴動への言及があります。)
また、これは字幕には訳されていませんでしたが、
主人公のステファンの元妻は、
ボビニーに転勤になったと。
(ボビニーについては、
ここでもう何度も触れました。
そしてボビニーとクリシー=スー=ボワの間に、
『最強のふたり』のドリスの実家がある、
ボンディがあるわけです。
93、ですね。

やっぱり、緊迫感があっていい映画でした。
「点」が5つあって、
それはBAC(警察)、
「市長」と呼ばれる元締め、
「ハイエナ」と呼ばれる(BACと手を結んでいる)マフィアのボス、
サーカスを経営する「ロマ」、
イスラム急進派のリーダー、サラー、です。
そして真の主役である子どもたちは、
彼らすべてから抑圧される存在なわけです。
多くの映画において、
郊外の少年たちを抑圧するのは「社会」なのですが、
その「社会」の実態の描き方が、
この映画は独特なのです。
そしてもちろん、それが美質なのです。

映画のラストには、この引用;

Mes amis, retenez bien ceci,
il n'y a ni mauvaises herbes, ni mauvais hommes.
Il n'y a que de mauvais cultivateurs.

Victor Hugo, Les Misérables

こういう映画を見ると、
やっぱり、「パリ」が気になってきます。

2020年12月17日木曜日

オニカサゴ

このところ、なぜか眠くて、
40~50分も仕事するとすぐに「つかれた~」となってしまって、
休憩に入るとそれが1時間(!)も続いてしまい、
右眼は相変わらずで、
テニスはないので1日のペースもつかめないし、
その結果読むべきレポートはどんどん溜まるということで、
なんとなくイマイチな感じの進行だったんですが、
今日やっと、
このところの眠い感じから解放されて、
「ふつう」に仕事もでき、
なんとなくほっとしました。
このご時世だと、
ちょっと体調がワルイと、
もしかして!?
と考えてしまうのが人情なので、
まあ、軽い風邪だったのかな、
と思っています。

で、
ちょっと目を覚ますために午前中に外に出て、
ついでに、
ずいぶん久しぶりにちょっと離れた魚屋(角上)へ。
行ってみるとこれがけっこう混んでいて、
でもむべなるかな、
スーパーではお目にかからない魚が、
あれこれ並んでいるのでした。

今日はその中から、
刺身でもいけるというオニカサゴを買ってみました。
ちょっとお高かったんですが、
スーパーではまず出会わないし、
万が一あってももっとずっと高いだろうということで。

で……
さすがにおいしかったです。
キモも一緒に煮つけにしたんですが、
これば特においしい。
体調は戻ってきたし、
オニカサゴはおいしかったしで、
今日はいい日でした。

2020年12月12日土曜日

キム・ギドク

旅先で、しかもコロナで亡くなったというニュースには、
驚かされました。
わたしより2歳年下だし。

彼の映画、そんなにたくさんは見てなくて、
すぐに思い出せるのは、

『嘆きのピエタ』
『サマリア』
『殺されたミンジュ』
『受取人不明』……

などですが、わたしが一番いいと思ったのは、

『The Net  網に囚われた男』

です。
これは、とってもよかった。
また、取調官を演じたキム・ヨンミンの行っちゃった感じに、
この俳優すごい、と思ったのを覚えています。
(彼とはその後、
『愛の不時着』
『ベートーヴェン・ウイスル』
などでも出会っています。
好きな俳優です。)

もっと作って欲しかった監督です。
残念です。

2020年12月10日木曜日

Google 予想

東京はついに600人を越え、

「ピークアウトしたらしい」

という何人かのコメントは、

俄然怪しくなってきました。

で、Google 予想だと……

https://datastudio.google.com/reporting/8224d512-a76e-4d38-91c1-935ba119eb8f/page/ncZpB?s=nXbF2P6La2M

Mmm、正月早々4000人を突破すると……


やはり、Go To Hell だったわけですね。

そんなお金があれば、

医療施設、医療関係者に回すべきだと思うんですが。

(あの、小さすぎるマスクの時も、そう思いましたが。)


2020年12月9日水曜日

テニスが……

今年もあとわずかになり、
なんとか大過なく終われるかなあと思っていた矢先、
まあ「過」というわけではないんですが……

先日映画を見ていた真っ最中、
唐突に、右目にパラリと「飛蚊」感を覚え、
なにか光のようなものが走る感じもありました。
まあ、一過性? と思っていましたが、
どちらかいうと症状が進行気味なので、
一応眼科に行ってみたところ、
なんと、眼球の中に出血があると。
ただ、視力は落ちてないし、
網膜に穴などもない(←これかと思ってたんですが)ということで、
血を止める(←血管を強くする、らしい)薬を出され、
それを1月ほど飲むことに。
どうも、赤血球が、眼球の真ん中の、卵の白身状のところを浮遊し、
それが飛蚊になっていたようです。
赤血球が揮発(?)すれば、少しは改善されるけど、
そのカラみたいなものは少し残るかも、ということでした。

誰の文章だったか思い出せないのですが、
たしか、書き手がある女性作家としゃべっているとき、
その作家が突然、今、片方の目が急に真っ暗になった、
と言い出す場面がありました。
網膜剥離だったようなんですが、
この記憶がよみがえり、
ちょっと怖かったのと、
もしも手術になった場合、
年明けの採点や成績付けはどうしようと思っていたので、
とりあえずそれは回避でき、よかったです。
まあ、そこそこ鬱陶しくはあるんですけどね。
あとは、このまま状態が進行しないこと、
1か月後にはなんとかふつうの生活に戻れること、
が目標、というか希望です。

で、ショックだったのは、
テニス禁止令が出たこと、
振動がよくないのだそうです。
これはイタイです……
でも、ということは、
ヘビメタのコンサートはゼッタイだめですね、
ヘッド・バンギングしちゃうから。
(行く予定ありませんけど!)

2020年12月8日火曜日

「ボイス2」

Eテレの「ディスタンクシオン」、始まりましたね。
実は先にテキストを読み始めてたんですが、
すごく読みやすくて、どんどん読んじゃいました。
『ディスタンクシオン』は、
ガチで読むべきだと思いながら〇十年、
まあこれもガチではないものの、
いつ聞いても(読んでも)、
ブルデュー関連は(批判を含めて)おもしろいです。

で、
韓国ドラマの方は、
「ボイス2」
を見終わりました。
もう、ヒロイン(イ・ハナ)のファンになった感じなので、
(事件発生の瞬間、彼女がそれを告げるボタンを押し、
メンバーたちに事件の概要をテキパキとアナウンスする様子、
これがステキ)
物語の評価は措くとしましょう。
(ということは……)
ただ、たしかにツッコミどころはあるものの、
時に意識を失い短期記憶をなくす刑事が、
自分が真犯人ではないかと疑う一瞬は、
ほかのドラマでは見たことがない設定で、
なかなかだと思いました。
ちょっと猟奇的なところは、
韓国ドラマ(や映画)の、ちょっと苦手なところですが。

それ以外には、
院生のレポートに出てきたので、
『血と骨』
『ヴェノム』
『ハーレイ・クイーンの華麗なる覚醒』
などを見ましたが、
(もちろん分析はできるのでしょうが)
そんなに惹かれはしませんでした。

2020年12月3日木曜日

Eテレ売却、反対!

Eテレを売却すれば、

NHKの料金を半額にできる、だから売却!

という考えがあるようですが、それはチガウと思います。

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/e%E3%83%86%E3%83%AC%E3%81%AFnhk%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%95%E3%81%AE%E8%B1%A1%E5%BE%B4-%E5%A3%B2%E5%8D%B4%E8%AB%96%E3%81%AB%E4%BC%9A%E9%95%B7%E3%81%8C%E5%8F%8D%E8%AB%96/ar-BB1bAT1R?ocid=msedgntp

で、速攻会長が反対しています。

NHKのやり方の、すべてに賛成なわけではありませんが、

このことに関しては、

会長に賛成です。

YouTube で新刊!

白水社が、新しい教科書を紹介する、
こんな動画を作ってくれました。

(おもしろい、ってもんじゃないですが、
教科書の紹介ってこんな感じか~、
と思っていただければ。)

これが文法書。


これ、参考書と違って、
書いてあることは多くないです。が、
何を書いて何を書かないか、
どこまで説明してどこからは授業に委ねるか、
この辺の判断にどこまで意識的になれるかが、
教科書のデキの分かれ目の第一歩、
だと思っています。
だから、いい教科書を作るには、
やっぱりどうしても、
いろんなレベルの授業を多くこなしていることが、
必須の条件になるのかなと、わたしは思っています。

でこれが、レナさんが中心になって作った会話の教科書。


会話は、やはり「自然さ」が命。
なんですが、
やはりそこは文の構造に対する意識が芽生えることも超大事。
そこで例文を練るわけですが、
ズバリ、その例文のよしあしが、
会話のテキストのキモでしょう。
(もちろん、それ以外の要素もたくさんあります。
「キモ」といってもそれは50%くらい。
その他の要素が積みあがって、
よりよいテキストになるのでしょう。)

わたしは、得意なことってほんとに何もありません(涙)が、
唯一、
フランス語の教科書のよしあしについては、
まあまあ分かるほうなんじゃないかと思っています。(←ちっちゃ!!)

2020年12月2日水曜日

ブック・レポート/『21レッスンズ』

東京の好きなところの一つは、
冬晴れの日が多いこと。
かなり寒くても、
大陽が出てると気持ちが違います。
なので今日のような天気は、
あまり好みじゃありません。
それはともかく。

ここ数日で、
ブック・レポ-ト、約70本ほど読みました。
(それ以外に、映画分析のレポートもありましたが、
そっちは毎週のことなので、フツウです。)
このブック・レポート読みは、
正直なところ、かなり骨が折れます。
時間もエネルギーもかかるので、
ほんとはそういう課題を出さなければこちらは楽なんですが、
レポートを読み進めてゆくと、
ああ、やっぱり読んでもらったほうがよかったな、
といつも必ず思うので、
やめるわけにも行きません。
学生も、メンドクセーナー、と思いながらやるのでしょうが、
終わってみれば、
たしかに勉強になったかも、
と思ってくれてるはずです。
たった1冊の本ですが、
それを読むと読まないではチガウ本というものが、
たくさんあります。
もちろん、
わたしがまだ読んでいないそういう本も多いに違いありません。

最近学生に勧めることが多いのは、
ユヴァル・ノア・ハラリの『21レッスンズ』です。
この本、わたしが今年読んだベスト3に入ります。
かつて吉本さんは、

ぼくが真実を口にすると ほとんど全世界を凍らせるだろう(……)

と(詩の中で)書いていましたが、
それを思い出しました。
それを思い出すほど、
ああここまで言ってしまうのか、
と何度も思ったのでした。
しかも、たとえ部分部分は知っていたことでも、
文脈の作り方が新鮮で、
なるほどね~と思わされることしばしば。
もちろん、初めて知ることも多く、
最初から最後まで、ワクワクしながら読みました。
年内に、もう一度読むかも。

2020年12月1日火曜日

l'article 24 du projet de loi « sécurité globale »

フランスも、なかなか隅に置けません。
政府が導入しようとしている新法(の第24項)は、
個人が、機動隊や警察官などを撮影し、
それが誰か分かるような形で発表することを禁じる、
というものです。
もちろん、激しいデモが怒っています。


どこかで見かけたプラカードのセリフが、印象的でした;

« Je me sens plus protégé par mon portable que par la police »

警察なんかより、ケータイのほうが、わたしを守ってくれると感じる、
というわけですね。
もちろんここには、(アメリカでも頻発している事案と同様の)
警官らによる暴力があるわけです。

がんばって、こんな法案、潰して欲しいです。

2020年11月30日月曜日

『 M Train 』


パティ・スミスと言えば、
70年代にロックに親しんだ人間にとっては、
これはもうカリスマの一人で、
今も時々飲む親友が、
当時、彼女のTシャツをよく着ていたのを思い出します。

そのパティ・スミスが、
『ジャスト・キッズ』で全米図書大賞をとったのは、
今調べてみたら2012年のことで、
(わたしは恥ずかしながらこれはまだ読んでいないんですが)
その3年後の2015年に出版されたのが、
今回翻訳が刊行された

『 M Train 』(パティ・スミス/管啓次郎訳)

です。

読み始めて、まだほんの50頁くらいなんですが、
驚きました。
わたしなんかが言うのはナンなんですが、
すご~くうまい。
読んだ部分は紀行風のエッセイと、
クリスマスのNYなどを描いた文章なんですが、
読み進めると、あっという間に、
彼女の息遣いと自分のそれがシンクロし始め、
彼女を取り巻く風の温度や湿度が肌を上ってくるようなんです。
本を閉じた後も、
束の間、NYにいたような心地がします。

原文と見比べたわけではないので、
はっきりしたことは言えませんが、
まあこれはかなり高い確率で、
訳者である管さんのスゴサでもあるのでしょう。
なんというか、ここにパティがいる、
ここでパティが話している、とした思えないのです。
もう、憑依してる?
さすがです。

本は時空の旅だということを、
あらためて思い出させてくれる本です。
続きが楽しみです。

2020年11月27日金曜日

『ボイス』の終わりの長い一日

時々、「長い」と感じる一日がありますが、
今日はそんな日でした。

午前中に80分テニスをしに行き、
仲良しのカトーさんとバックハンドボレーについて素人談義をし、
ちょっとコーチに褒められ嬉しくなり、
終わると、
ダッシュで帰宅しダッシュでシャワーを浴びダッシュで昼ごはん
(「カラメン」と家庭内で呼びならわしている「辛い麺」。
これは同僚の中国語の林先生に教わったもので、
もう何回作ったか分からないほど)
をすすり上げ、
あわててZoom会議へ。
そのまま会議が1時間ちょっと続き、
終わると今度はその内容を、
「総合文化教室」と「総合芸術系」に伝達。
すぐに返信があり、なんどかメールのやり取り。
で、
やっと一段落したので、
心を落ち着けて『ボイス』の最終回へ。
あ、そうですよね、そうですね……
としみじみした後は、
すぐにパワポ作りを開始。
実はこれ、1か月ほど前にも起きたことですが、
授業で使おうと予定していた映画が、
なんと、AmazonPrimeで配信終了していて、
別の映画に差し替えたため、
急遽新しいパワポが必要になったのでした。
で、終了していたのが『国際市場で逢いましょう』だったので、
差し替えも韓国映画から、
『タクシー運転手 ~約束は海を越えて』
を選びました。
幸い(?)解説しやすい映画だったので、
まあよかったかな。
見たのは二度目ですが、
やっぱり、授業で使うつもりで見ると気合が違うので、
新しい発見もありました。
で、このパワポを作り続け、
(晩ご飯のポーク・ジンジャーを挟んで)
やっとできたので今度は、
今日から始まったアマゾンのセールで、
予想通り値下がりしていたアレとコレを買い、
ついでに「将棋ウォーズ」で1局さし、
二段相手に辛勝し、
それが今です。
あとは風呂であの本を復習し、
元気があれば別の映画かドラマでも……

2020年11月23日月曜日

3連休、の『ボイス』

この3連休、
見事に一歩も外へ出ませんでした。
それはまず、
今日月曜は「休日授業日」で、
通常通りオンラインのコンテンツを用意しなければならなかったこと、
(そして当然レポートをよまなければならなかったこと、)
そしてやっぱり感染が拡大していること、
が理由です。
特に今日は3日目で、ちょっとスタバくらい、とも思いましたが、
休日はどうせ混んでて席もないだろうし、
と考えてる間にどんどん暗くなってくるしで、
諦めました。
明日の午前中のテニスが待ち遠しいです。


で、
韓国ドラマは、『ボイス』を見始めています。
ボイス・プロファイラーで、
特殊な聴力のある女性捜査官と、
街の事情に精通した刑事が、
さまざまな事件と葛藤する物語なのですが、
実はこの2人、
それぞれ父親と妻を殺人事件で失くしています。
そしてその真犯人は、どうやら同一人物のようなのです……

こういう、「声」を分析する物語って、わりと好きです。
(『善き人のためのソナタ』とか。)
そして実際なかなかおもしろいのですが、
ちょっと(韓国映画にありがちな)猟奇的な部分があり、
そこがちょっと……なんですが、
ヒロインはまさに「凛」としていて、ステキです。
これも韓国ものでよく見かける通り、
ホモソーシャルな世界のミソジニーは強烈ですが、
彼女は強いです。
で、
応援したくなるわけですね。

2020年11月20日金曜日

『エミリー、パリへ行く』

ネトフリのドラマ、

『エミリー、パリへ行く』(10話)

を見てみました。


シカゴ出身のエミリーが、
パリのマーケティング会社に派遣され、
フランス語も話せないまま、
イケメンのシェフと仲良くなったり、
実家が超大金持ちの中国人女性や、
実家がワイナリーのパリジェンヌと友達になったり、
シャンペンを飲んだりパンオショコラを食べたり、
既婚者からランジェリーを送られたり、
行きずりの男とベッドインしたりするお話です。

え、なんだそれ?
と思ったでしょうか。
これは、もともとアメリカ国内向けに作られた、
アメリカ人(だけではないでしょうが)の頭の中だけにある、
空想のパリ、伝説の、理想化されたパリが舞台です。
ここには、テロも、デモも、工事も、散乱したごみもありません。
またアラブ系は、一人も登場しません。
つまり、現実のパリではないわけです。

もうあまりに戯画的で、
溢れんばかりの安易さなので、
なんというか、本気で見たりはできません。
ああ、こんなステレオタイプ、まだ描かれてるのね~、
という、渇いた笑い? というのでしょうか?

フランスでの批判も、
半笑いな感じです。


真ん中辺の、Tilo fr という人のtwitter は、

「結局のところ、アンヌ・イダルゴ(パリ市長)は正しかった。
彼女は約束を守ったわけだ;
2020年には清潔なパリになる。
ただ残念なのは、それがドラマの中だってこと。
画像は、パソコンで修正されたのかな?」

それから批評集。評価は低めです。


それからこの日本語の記事は、
分かりやすいです。


シーズン2が作られるようです。
でも配信されれば、
また半笑いで見ちゃうかも。

上の記事の中で言及されている The Eddy については、こちらを;


2020年11月17日火曜日

『バガボンド』

ネトフリ韓国ドラマ、

『バガボンド』

を見てみました。


これ、ネット上での人気は「まあまあ」程度の印象ですが、
わたしは、とってもおもしろかったです。
冒頭、「映画みたい」と思いましたが、
なんとそのテンションが、
最後まで続いたのです。
これは驚きました。
深い、とか、穿ってる、とかいうわけではないんですが、
これほど、
観客を引っ張ってゆく力のあるドラマも珍しいと感じました。
見終わった今、少し「ロス」です。

ドラマが始まって間もなく、
ある「取り返しのつかないこと」が起こります。
この敗北感、ないし負債感が、
通奏低音のように響き続けることになります。
物語は、いわば入子型構造をしていて、
これ、と思ったらそれより大きいこれ、またそれより大きい……
と展開し、これもうまいなあ、とうなってしまいます。

世評の高い『愛の不時着』も、
そして『梨泰院クラス』も、
たしかにおもしろかったですが、
どうでしょう、
わたしは『バガボンド』のほうが上である気もしています。

2020年11月14日土曜日

教科書、2冊

というわけで、
実物が手元に届き、
白水社のHPには書影も出ました。


以前ここで、「シャンパンゴールド」の……
という話を書きましたが、これが完成形です。
ちょっと大げさですが、
わたしは、今までに見たどのフランス語の教科書よりも美しい、
と感じています。
これはもうデザイナーに感謝するしかありません。
ちなみにフォントも、
彼がこの教科書のために作ってくれたものです。

そしてこちらは、レナさんがブレーンで、
わたしはアシスタントです。


前者が文法、
後者は、ネイティヴの先生たちにも使ってもらえるように工夫した、
会話の教科書です。

編集のミドリさんには、
いつものようにとってもお世話になりました。
彼女がいなければ、
とうていできていません。
ありがとうございました!

2020年11月13日金曜日

リアル会議

今日は、今年度に入って初めて、
リアル会議がありました。
午後1時に始まり、4(+α)の会議が続き、
終わったのは6時15分。
長かったです。

長かったですが、
でも、久しぶりに同僚たちの顔が見られて、
来年度のもろもろについてマジな話し合いができて、
じわり、嬉しかったです。
ただ一方では、
おそらくもう今年はこんな機会はないでしょうから、
それに気づくとちょっとさびしい気も。

唐突ですが、
わたしが小学校の頃のヒット曲、「恋」に、
こんな一節がありました。

逢っているときは なんともないが
さよならすると 涙がこぼれちゃう

逢うたびに うれしくて
逢えば 又せつなくて
逢えなけりゃ 悲しくて
逢わずにいられない


子ども心に、
このパッセージは沁みました。
(「恋」ではなく、
その頃ちょうど、
母親が入院してたからなんですけどね……。)

もちろん今日の感じは、
これとは違いますが、
思い出すということは、
少しはかすってるんでしょうかねえ?

2020年11月12日木曜日

Mahler Sym. 5

数日前夕食中に、
なにか音楽でもと思ってYouTube
(テレビで見られるようになってます)
を見回っていると、
ふと、マーラーの5番が目に入りました。
ああ、久しぶり、と思って、
試しに聞き始めたのですが……


結局、食事が終わっても聞き続け、
とうとう最後まで聞いてしまいました。
アバド、素晴らしい。
感動しました。

マーラーの5番と言えば、
交響曲の中では大好きなものの1つで、
テンシュテット、
ショルティ、
バーンスタイン、
インバル、
ラトル、
などを中心に聞いてきて、
特にテンシュテットがお気に入りだったんですが、
Mmm、アバド、なぜかちゃんと聞いていなくて、
あんまり良くてびっくりしました。
(まあ、今のわたしに合っているのかもしれませんが。)

テンシュテットには、
ただ、少し残念な記憶があって、
彼の来日公演の時、
すっごく楽しみにしてチケット買って、
夕方、体調万全でサントリーホールまで行ったのに、
なんと、病気で交替。
彼のライブを聞くことはできませんでした……

それからインバル。
彼のCDは、実は、シリアル番号の入った高音質版で、
当時でも4000円以上したのを、
がんばって買って、
これは今でも時々聞いています。
たしかに音はいいと感じます。

それにしてもアバド。
CDでも聞いてみることにします。

2020年11月10日火曜日

日本学術会議会員任命拒否に関して(声明文)

わたしが所属している、

明治大学大学院理工学研究科 建築・都市学専攻 総合芸術系 

では、先の学術会議会員の任命拒否問題について、
声明を発表しました。


同じ建築・都市学専攻の先生方や、
わたしが「学部」において所属している

理工学部 総合文化教室

の有志の先生方も、賛同人として参加してくださっています。

2020年11月9日月曜日

選挙と宿題

とにかく、バイデン候補が勝ってよかったです。
個人的に注目したいのは、
イスラエルやイランとの関係。
オバマの時のような体制に戻すと言われていますが、
どうなるでしょう?

そして副大統領には、彼女ですね。
演説の全文がありました。


そして、
これは選挙結果が出る前のインタヴュー記事ですが、
フランス語のクラスで宿題にしたのがこれです。

Je crois que Joe Biden gagne, à moins que des batailles judiciaires n’en décident autrement. Pour l’instant en tout cas, je suis optimiste. Mais à vrai dire je me sens comme si on avait évité de justesse un désastre mais qu’il n’y a rien à fêter pour autant. Pour moi, Biden n’est pas le candidat idéal. Il n’est juste pas l’horrible président que nous avons eu. Et à vrai dire je m’interroge : comment est-il possible d’avoir vécu avec un tel président pendant quatre années et d’avoir des résultats encore si serrés ?

例の、RFIの Journal en français facile を、

一部改変したものです。

最後の一文がおもしろかったので、このパッセージを選びました。

2020年11月4日水曜日

ポスト・トゥルース

大阪は、どこかうさんくさい話を蹴散らしました。
よかったと思います。

で、アメリカでも投票が始まりました。
これが先進国? と思わせられたのは、
起こりうる暴動に備えて、
店舗を板などで保護している映像です。
明らかにお金も、手間もかかっています。
それでも、店舗が破壊されたり、
商品が略奪されたりするよりはマシ、
ということなんでしょう。
銃の販売が伸びているというニュースもありましたね。
(アメリカは、建国神話の中に、
銃で自分を守る物語が組み込まれているので、
銃を買うことの持つ意味は、
日本での印象とはずいぶん違うでしょうけれど。)

ポスト・トゥルース、という言い方が目立つようになったのは、
ちょうど前回トランプが勝った頃だったように思います。
たしかに、ポスト・トゥルースと言って真っ先に思い浮かぶのは、
あのイカシタ髪型の大統領でしょう。

でもところで、「トゥルース」は大事なんでしょうか?
それはもちろん、そうでしょう。
自由主義ていうのは、真実を土台にしている(ことになってる)わけですから。
ただ、ユヴァル・ノア・ハラリによれば、
そもそも人類は、「ポスト・トゥルースの種」だということになります。
どういうことか?
いい例は宗教です。
聖書でも、クルアーンでも、アヴェスタでも、
そこに書かれているのはフィクションであり、
「ポスト・トゥルース」以外ではありません。
いや宗教は同じじゃないでしょう? という気もしますが、
10億人が1000年信じれば宗教で、
100万人が1年だけ信じると「ポスト・トゥルース」なのか、
という問題があります。
ただハラリは、
この「ポスト・トゥルース」を作り出し、
それを集団で信じるように持っている力こそが、
人類をドライブさせているのだ、というのです。
人間は、「物語」で、「フィクション」で動くのだと。
たしかに戦争も虐殺もするけど、
橋や病院や学校を作ったりもするわけです、
フィクションを信じた人間は……。

まあそれはともかく、
あのイカシタ髪型は、
もう見たくありません。

2020年11月2日月曜日

免許更新

のタイミングになり、
手続き可能な警察署の「混雑状況」を確認すると、
あらら、
いつも行っていた警察署は、
終日「大変混んでいます」。
どうやら、コロナのせいで、
時間当たりの受付数を制限しているよう。
それじゃあ混むわけです。

で、
いつもとはちがう、
距離的にはさほど変わらない警察署なら、
午後3時以降は「空いています」だったので、
行ったことのない場所だったけれど、
ふと思い立って、
今日行ってきました。
すると、
ラッキー!
空いてます。
どの窓口も、一人くらいしか並んでいません。

ちょっとおもしろかったのは、
わたしの次に窓口に並んでいた男性、
まあ40歳くらい? の男性が、
簡単な視力検査の途中、
「もっと大きな声で。聞こえないから」
と、やや雑な感じで言われた後、急に、
「左」
と声を張り上げ、
その場にいた人たち全員がふり向くという、
なんだか時間が止まったような瞬間があったことです。
その後も彼の声は、
右だの上だの、狭い室内に響き渡ったのでしたが、
その後、はいじゃあこれ持って座ってて、の言葉には、
一転聞こえるか聞こえないかの声で、
「はい」
と答えるのでした。

外に出ると、
なにかありますね。
コロナ飽きた!

2020年10月31日土曜日

♫ オ~ モッテサンドー 

「東京詩」の授業準備に、
久しぶりに J-POP チェックしていたところ、
もう5年前の曲ですが、
こんなのを見つけました。


タイトルだけ見て、
「表参道」の注目した歌って珍しいかな、
(そういえば「ペニーレインでバーボンを」なんてものあったけど。
で、ペニーレインを見に表参道行ったけど、高校生の頃!)
と思って YouTube で聞いてみると……

「おさいふゆるめちゃうよ n'importe quoi 」

というのがちょっとウケました。
(まあ、「欲しいものなんでも」というより、
「なにバカなこと言ってんの」
というニュアンスになってしまう気もしますけど、
それは措いといて。)

『よくおごってくれる綺麗なお姉さん』

ネトフリの韓流ドラマ、

『よくおごってくれる綺麗なお姉さん』

を見終わりました。
これは……
まあ、40点くらい? でしょうか。
出だしの数話はそんなに悪くなかったのですが、
回を追うごとに質が低下した印象です。
この内容なら、半分以下の時間に編集できるでしょう。
人物たちの「行動」が少なく、
やたら対面して説明するので、
「ドラマ」チックじゃないし。



仲良しの女性二人、ジナとギョンソン。
ジナの家庭は中の上、
一方ギョンソンの母親は早く亡くなり、
父親は他の女性と去り、
ギョンソンは弟のジュニを苦労して育ちました。
で、ジナが、ジュニと恋に落ちるのですが、
ジナの母親は猛反対し……
というお話。
またジナは、コーヒー・ショップをチェーン展開する会社で働いていて、
ギョンソンはその一店舗の店長。
ただこの会社、ひどいセクハラが蔓延していて、
ジナはそれとも戦わなければなりません。

以下ネタバレします。***************

ポイントを握る人物は、ジナの母親ででしょう。
彼女は、ギョンソンやジュニを、
「実の子よりかわいがった」と言いつつ、
その正体は上からの同情で、
ジュニがジナと恋愛関係にあることを知った途端、
態度を一変させます。
こんな、両親もいない、家柄の悪い、
一流どころか大学も出ていない男なんか、
というわけです。
そして娘には、あなたのため、と言いながら、
自分の価値観を押し付けることをやめず、
女の幸せは結婚に、しかも家柄のいい男性との結婚にある、
と信じて疑いません。
(彼女が怒鳴り始めると、いつも音を消していました。チョーうるさい。)

でも……
この毒親のおかげで、
ジナとジュニの恋は破綻します。
ジナは負けるのです。
さらに彼女は、セクハラ訴訟でも故なきバッシングを受け、
勝訴したものの、実質負けたように見えます。
二連敗です。
で……
ジナの母親は「女性」ですが、彼女が象っているのは、
実は、男性中心主義、であるように見えます。
自立しようとする女性の足を引っ張り、
男性中心的な構造への挑戦を諦めさせようとするわけです。
ミソジニー、と言っていいでしょう。
競争に勝ち残った男性を見つけてゲットすること、
それこそが女のすべきことだ……
だとすると、
ジナの二連敗は、
ともに男性中心主義的社会を愛艇にした結果だということになります。
実際ジナは、強く「処罰」されます。
倉庫係に左遷され、
愛する男性はアメリカに行ってしまい、
その原因は自分だと思い込まされてしまうのです。

ジナとジュニは、
こうしたことに気づいていません。
気づいて、無視したり、かわしたりはできないのです。
見てるこちらは、2人を応援しているのですが、
彼らもまた煮え切らず……

というわけで、
いろいろイラっとするドラマでした!

「反フランス」デモ、拡大

コロナ第二波に苦しんでいるフランスですが、
今中東を中心に、
「反フランス」の動きが強まっているようです。
エジプトやクウェートなどでは、不買運動も。
で、このニュース。


この、「表現の自由」や「ライシテ」のあり方と、
イスラム過激派によるテロの関係は、
シャルリー・エブド事件の時に深く考察されました。
たとえば、雑誌ふらんすが特別編集した
『シャルリ・エブド事件を考える』
は、とても濃い内容で、
ある授業ではテキストとして使ったりもしました。
あれから5年経ちますが、
根本的な問題は変わっていません。


2020年10月28日水曜日

1コマが大事

あんまり「大変だ~」って言いたくないんですけど、
先週末から今週初めは、
オンライン授業の準備、けっこう大変でした。
それもこれも、

映画『判決、ふたつの希望』

の解説が、かなり込み入っていたせいです。
調べることも、確認すべきことも多くあり、
まずはそれらを片っ端から片付けていき、
学生の常識からみて必要そうなことをピックアップし、
わかりやすそうな順番に並べ、
順にパワポにしていくわけです。
結局でき上ったものは3本。

1)状況説明(48分)
2)分析準備(40分)
3)分析例   (48分)

となり、
1コマの時間(100分)を越えてしまいました。
まあ、学生は「長すぎ!」と思うでしょうが、
今回ばかりは許してもらいましょう。

最後の「分析例」は、
とりあえず3通りしてしておきました。

①主人公二人の対立は、レバノン内戦の再現である
 ただしその背景には、この内戦の記憶が、
 「恩赦法」などによって封印されてしまった、
 ということがあります。
 その点を指摘するのが大事、としました。

②主人公ふたりは、ともに「難民」だ
 一方は「ダムール虐殺」の、
 他方はもう、放浪のパレスチナ難民です。
 この両者が難民となってゆく過程の対比が、
 映画の構造にもなっている、と考えてみるわけです。

③「男」と「女」の対立
 主人公二人、そしてかれらを取り巻く「男」たちは、
 みな一様に「マッチョ」です。
 (戦争を引き起こしてきたのは、いつだって「マチズモ」なのです。)
 彼らに対比されているのが、
 主人公たちの妻たち、女性弁護士、などです。
 この対立軸で見るのは、「映画を見る」練習になると思います。

というわけで今回は、
この「ワールド映画」の1コマを充実させるため、
週末丸ごと使い切りました!

2020年10月24日土曜日

『ル・フランセ・クレール』(三訂版)、表紙



『ル・フランセ・クレール』の、
新しい表紙です。
Mmm、いいです。
緑、青、と来ての、これです。
今の気分にもあっているし、
これが一番好きかも。

「たそがれの銀座」

『判決、ふたつの希望』、
まずはスタートラインに立つためのパワポを作り、
それで動画を作ってみました。
48分。
まあ、映画を見ながら調べ、
パワポを作るまでに5時間以上はかかってますから、
このくらいの時間にはなってしまうでしょう。
アラファト議長はともかく、
バシール・ジュマイエルも、
サミール・ジャアジャアも、
学生が出会う可能性はかなり低いので、
ここでの出会いが、
一期一会になる可能性もあるかもしれません。
それもいいです。
でこれから、
いよいよ「分析」のパワポ作りに入りますが、
まあ、この映画は、
むしろ「準備」のほうが大事なのかもしれません。

ただその前に、
「文学と都市」の動画を作らなくては。
昨日の金曜日は、
午後、会議が3つあったせいで時間をとられたので、
予定より進んでいません。
こちらのアップが先なので、
まずはこちらからです。

で今週は、金子光晴から始まり、
「東京行進曲」へと進みます。
イメージを膨らますため、
YouTube で「東京行進曲」を聞き、
(東京大衆歌謡楽団、なるグループが歌っている動画があり、
ちょっと気に入りました。
懐メロに特化しているわけですが、
なんとなく清々しく、
様式美、という風情です。)
でその流れで、「東京ラプソディー」や、
ついでに「たそがれの銀座」も聞いてみたり。

ところでわたしの記憶の中では、
「たそがれの銀座」の一節に、

   プラタナスの木陰に ネオンが灯る
   銀座を見なきゃ 眠れない

という箇所があったはずなんですが、
これが記憶違いそのものでした。
ほんとうは、

   プラタナスの葉がげに ネオンがこぼれ
   思い出がかえる 並木通り

   ぼくの好きなあの娘は 毎日一度
   銀座を見なきゃ 眠れない

なのでした。
ぼ~っとした小学生は、
自分が思い入れられる箇所だけを、
つなぎ合わせていたわけです。
(それでもまだ、記憶の歌詞のほうが親しいです。
「思い出がかえる」も「並木通り」も字余りだし!)

それにしても、
動画アップが、月、火、水、なので、
どうしても、土、日、はずっとデスクの前にいます!

2020年10月23日金曜日

『判決、ふたつの希望』

「ワールド映画ゼミ」では、
もろもろの説明の後、
まずは『オマールの壁』を見ました。
これは前期と同じ。
でも、前期の2本目として見た
『おじいちゃんの里帰り』
が、なんとAmazon Prime で見られなくなっていました。
で、新たに選んだのが

『判決、ふたつの希望』

です。
この映画については、
以前、ここでも触れたのですが、
今回もう一度(というか、かなり細かく2度)見て、
おもしろいしいい映画だと思うんですが、
ちょっと難しかったかも、
と思っています。
いや、ストーリーは難しくないんです。
ただ、たとえば電線だらけの入り組んだ路地が出てくるんですが、
これはつまり、パレスチナ難民のキャンプなんです。
(西ベイルートにあるマール・エリアス・キャンプです。)
あるいは、白黒画面で演説している男、
彼はバシール・ジュマイエル、
つまりレバノン軍団の創始者です。
さらには、ファッスーフ通りの名前が出ますが、
これはグーグル・マップでは見つかりません。
東ベイルートの、
つまりキリスト教徒地区であるアーシュラフィーク地区にある通りです。
こうしたことは、
大学1年生だと、
そもそも見つけ出すのが難しいかも、ということです。

この記事を読んでいくと、


監督の実家が、
サブラやシャティーラから1キロのところだと書いてありました。


パレスチナ難民は、
もちろんイスラエル国内にいて、
彼らが『オマールの壁』の主人公なわけですが、
実は、イスラエル国外にも、
ほぼ同じ数の難民がいると言います。
今回は、レバノンにいるパレスチナ難民の物語です。
2つの映画を並べることで、
この問題の広がりを感じてもらえると思っています。

2020年10月17日土曜日

デスクトップ

デスクトップの画像は、
スタジアムやテニスコート、
あるいはピアニストやヴァイオリニストなどを使うことが多いですが、
図書館も、わりと使います。
で、
さっきアポリネールのことを調べていて出てきたのが、
このマザラン図書館。


この wiki のページの途中に、
図書館内部の写真があります。
今、試しにそれを壁紙にしてみたところ、
なかなか落ち着いていていい感じ。
しばらくこれを使うことにします。

2020年10月13日火曜日

やっぱり

「大阪都構想」って、

まあうさんくさいことこの上ないと感じてましたが、

やっぱりね……

https://www.facebook.com/photo?fbid=3486437638088882&set=a.153821271350552

ほぼ責了

大学で使われるフランス語の教科書は、
一般的に言って、
11月の終わり頃、
全国の教員たちに見本版が提供されます。
で、それをするためには、
11月の初旬から中旬には、
本が完成していなければならず、
ということは、
10月中旬、
つまりちょうど今頃までには、
3~4回の校正を終え、
責了にする、
つまり印刷&製本に回す必要があります。
この秋は、新刊ではありませんが、
2冊の教科書の改訂を進めていて、
ここ数日は、最後の追い込みで忙しかったです。
たとえば昨日は、夜9時過ぎに来た校正内容のまとめを、
午前3時頃までかかって確認し、
今朝10時の打ち合わせでその結果を伝える、という感じ。
でも!
これでもうほとんど責了となり、
急に解放されました。
もちろんその間もオンライン授業はあり、
2冊の教科書と授業、
3つのタスクの間を行ったり来たり、だったわけですが、
それも終わりです。
編集の仕事は、
いつもこんな感じかと思うと、
アタマが下がります。
今回もすご~~~く助けてもらいました。

約1か月後、新装版との出会いが楽しみです!

2020年10月10日土曜日

オイストラフ/ハイフェッツ

オンライン授業の「雑談」に、
エッフェル塔~トロカデロ広場~パッシー墓地、
ときて、その墓地に眠るDebussy の話になり、
じゃあついでに 
Claire de lune 
の一節でも YouTube で聞かせようかと思って探していると、
ピアノではなくヴァイオリンではありますが、
オイストラフの動画あることに気づき見てみると……


いいですねえ。
わたしは小学生の頃、
親に連れられてオイストラフを見たんですが、
その時の印象は、
(と言っても、子どもなのでなにも分かっちゃいないんですが)
弓を削るように引く激しいヴァイオリニスト、
という感じでした。
でもこの動画は、
フィルム自体は古いのに、
音は柔らかくて、まさに「夢見るよう」で、
なかなかステキ。

で、近くにハイフェッツも発見。


中高生の頃は、
自分の部屋に置いてあったバッハはハイフェッツのレコードだけだったので、
それを繰り返し聞いていました。
で、バッハ=ハイフェッツでした。


ああ、こういう音ですね。
なつかしい!

2020年10月9日金曜日

神楽坂

今週の『東京詩』は、

「物理学校裏」(北原白秋)
「狂者の詩」(高村光太郎)
「九段坂」(与謝野晶子)

これらに加えて、
斎藤茂吉と吉井勇の短歌を取り上げます。
場所的には、

神楽坂
お茶の水
九段
柳橋

などです。
暁星やアンスティテュ、
クレープのル・ブルターニュ、
柳橋の小松屋などにも触れる予定です。

なかでもメインは神楽坂。
わたしも特によく知っているわけではないんですが、
知り合いのデザイナーがアトリエを
(友たちと共同で)借りていたり、
仲良しだった編集者と何度となく行ったそば屋などがあります。

そのそば屋とは、蕎楽亭。
この店は以前、市ヶ谷の近くにあって、
その頃から行ってました。
で、神楽坂に移転したわけですが、
とても印象深いのは、
ある年の暮れに行った時のこと。
編集者と飲んでいると、
きれいな着物を着た女性たちが4,5人入ってきたのですが、
彼女らはどうやら、
近所の芸者さんたちで、
年末の御挨拶に来たようでした。
その時、店内がパ~~ッと明るくなったのは、
言うまでもないですね。
料亭などには縁のない衆生にとっては、
その時の光景が、「神楽坂」のイメージの基底になっています。

で、
この蕎楽亭のあるのは、
「見番横丁」の近くです。
でまた、芸者小道もあり、
それをうねうね辿っていくと、
白秋が明治の終わりに住んでいた家があった場所に出ます。
ここには旧居跡、という掲示があるんですが、
その場所はまさに、物理学校(=理科大)裏、なのです。

白秋の詩の「官能性」も、
それなりに面白いと思うのですが、
わたしとしては、
この詩が着目した土地の(文化的)多層性のほうに、
気が行ってしまうのでした。

2020年10月6日火曜日

本を焼くなら

ネットをつらつら見ていたら、
今回の学術会議関連のコメントの中に、

Dort wo man Bücher verbrennt, verbrennt man auch am Ende Menschen.

というハイネの言葉を引用してるものに出会いました。

あなたが本を焼くなら、ついには人も焼くことになる。

くらいの意味のようです。
その通りですね。

2020年10月5日月曜日

『東京詩』

オンライン授業が再開しましたが、
後期は、大学院(総合芸術系)で、
「都市と文学」
という授業を担当しています。
これは、実質的には、
「東京」と「近代詩」の関係を見ていくもので、
テキストには、2009年に刊行した、

『東京詩』

を使っています。
ただ院生たちも、
そんなに詩に親しんできたというわけでもないでしょうから、
まずは、
この本に出ている詩をよく味わってもらうことを大事にしています。
で、具体的には、
毎回4~5篇の詩を朗読し、
それを音声ファイルで提出してもらうことにしました。
はじめての試みですが、
いいんじゃないかと思っています。
もちろん授業では、
タイプの違う詩を作ってもらったり、
発表してもらったり、
ヴァリエーションを広げていく予定です。

それにしても、
『東京詩』は、
よく売れたとはとても言えないんですが、
わたしにとっては思い入れのある本です。
掲載されている詩、一篇一篇パワポを作っていくのは、
かなり時間もエネルギーもかかるんですが、
根本的には、
院生と詩を読んでいくのは、
やはりおもしろいです。

2020年10月2日金曜日

学術会議

が推した候補者のうち6人を、

新政権は任命しませんでした。

これは学術への、

そして民主主義への挑戦だとも言えるでしょう。

6人のうちの一人、宇野重規先生は、

講演を聞きに行ったこともあります。

彼はこう語っています。

https://www.asahi.com/articles/ASNB25QS2NB2UTIL02B.html?fbclid=IwAR0Mfly5QvrFHX7zat402k1mJK4uA_jhgA0yXuTQH9dp6gXZ-JLm8zK8yfc

格が違います。


そういえば数日前、

トランプ氏とバイデン氏の討論中継をテレビで見ました。

といっても、約15分ほどだけ。

というのも、

現大統領の態度のあまりのひどさに、

うんざりしてしまったからです。

相手の話を聞かない、遮る、

根拠のないことをまくし立てる、

自己宣伝しながら、二言目には、

「おまえにはできなかっただろう」と、

意味のない下品な罵倒を繰り返す……

なんと、こんな人がアメリカの大統領!

もう何度も味わってきた思いが、

またしても大波としてやってきました。

そして……

この点に関して、

岸の彼此に差はないということなのでしょう、

残念ながら。

2020年9月30日水曜日

『フランス語っぽい日々』

「ふらんす」でもお馴染み、
そして「まいにちフランス語」でも、
幸運にもイラストを描いていただくことのできた、
じゃんぽ~る西さん。
彼と、パートナーであるカリンさんの共著、

『フランス語っぽい日々』

が、明日発売になります。


(ご恵贈いただきました。感謝!)

もちろん、「ふらんす」を手にした時は、
まず最初に読むのがココでした。
今回は、これを続けて楽しめるので、楽しいです!
で、
あまりに楽しいので、急遽、
「フランス語」のクラスで課している「ブック・レポート」のリストに
加えることにしました。
マンガもエッセイも、
もちろんおもしろいんですが、それだけじゃありません。
なんというか、肌で感じる「フランス」とでも言えばいいんでしょうか。
しかも学生にとってじゃんぽ~るさんは、
「フランス語学習者」という仲間でもあるし!
(そういう意味では、わたしも仲間です!)

よろしければ!

2020年9月29日火曜日

秋学期開始

というわけで、月曜から秋学期が始まっています。

オンライン授業です。

ただまあこちらも少しは慣れてきたし、

気分的に開き直っても来たので、

いわゆる「雑談」が増えてきました。

最初の話題は「自由主義」。

でだべったあとは、

まだ自由主義の物語は有効か?

もしこれが終わったら、

どんな新しいモデルが出てくると思うか?

と、

ほとんど無茶振りのようなリアクションペーパーを

課してしまいました。

でも、これが意外(なんというと怒られちゃいますが)に

ちゃんとしていて、嬉しい誤算。

まあ、もしかしたら、

初めて考えてみましたの学生も多かったかもですが、

若い時にこういうことを少し考えてみるのもいいと思います。

もちろん、正解はないわけだし。


とりあえず、秋学期もがんばります!

2020年9月26日土曜日

「フランスで『世界』と出会う~La France:carrefour du monde」

というわけで、

去年の10から始まり、

そのまま再放送に突入したため2周したこの番組も、

ついに最終回の放送が終わりました。

お付き合い頂いた方は、ありがとうございました!

twitter などを見ると、

(まあ、とても多くの、とは決して言えませんが)

好意的なコメントもあって、

ほっとしています。

これは宣伝というわけじゃないんですが、

この番組に興味を持たれた方なら、

『エキゾチック・パリ案内』

もきっと楽しんでいただけるだろうと思います。

よろしければ。

(フランスの、「おフランス」じゃない映画に、

多少とも専門的な興味がおありなら、

『パリ移民映画』も。

こっちはマジなやつなので、文体も固いですが。)


そして今日もまた、Zoom会議でした。

同僚たちの顔が見られて、

どこか安心する反面、

やっぱりリアルじゃない、全身じゃないっていうのは、

もどかしさがあります。

ふだんなら、廊下で話して進むようなことがらも、

今は会議でキチンと扱わなきゃだし。

廊下コミュニケーションて、必要だったんですね!

2020年9月24日木曜日

Juliette

最近、ネトフリで、
『マイルス・デイビス、クールの誕生』
を見たばかりでした。


トランぺッターと歌手は、
短い間でしたが、
深く繋がったようです。

そしてここ10数年ほどで一番印象深かったのは、
彼女、ジュリエット・グレコが、
アブ・ダル・マリックを共演した、この曲。


Pour moi, être artiste, ça veut quelque chose.
Etre artiste, ça veut dire... être Juliette Gréco.

アーティストであるってことは、ぼくにとって何かを意味してる。
アーティストであること、それが意味してるのは…… ジュリエット・グレコであること。

好きな曲です。

ラクロス

フランスでは、
24時間で13.000人の新たな感染者、
となりました。
まずい展開ですね……

で今日は午前中から Zoom 会議。
いや、「会議」ではないかな。
訂正したゲラを持ち寄って、
突き合わせすり合わせ、
1つの形にしていく作業です。
今日のリーダーはレナさんなので、
彼女の訂正を中心に相談は展開してゆきます。

少しみんなで(といっても3人ですが)考えたのが、
「ラクロス」。
これ、そこら辺の仏和辞典には出てないようです。
(そもそもフランスでは、
ほとんどラクロスをやってないようです。
あれって、アングロ・サクソン的なスポーツなんですね。)
いやもちろん、crosse 「杖」は出ています。
lacrosse という単語は出てないんです。
じゃあ、「ラクロスをします」はなんていうのか?
「ラクロス」は crosse (f.) なので、
 
Je fais de la crosse.

です。これはいい、と。
でも、辞書にはなくても、
lacrosse という言い方もないわけじゃありません。
ただしこちらは、男性名詞。
la が付いてるのに、です。
(lacrosse が、外来語、だからでしょう。
外来語は基本男性名詞に分類されます。)
ですからこちらを使うと、

Je fais du lacrosse.

となるんですが、テキストにはどちらを載せるか、
両方載せるか、を決めるのに、ちょっと時間がかかりました。
で結論は……

そして夕方、やっと予約の取れた動物病院へ。


背中にハゲができちゃいました。
まあ、初めてじゃないんですが。
でも今日は、いい子にしてました!


2020年9月22日火曜日

1日1万人

フランス(だけでなく、ヨーロッパ全体)では、
再び感染者が増えています。
それにしても、日本の人口の約半分で、
1日1万人は多いです。
とても放置できるレベルではありません。
なんだか、4連休は人出も多かったようです。
近所の人と今日話していたら、
昨日白馬から帰ってくるのに、
クルマで7時間かかったと嘆いていました。
渋滞と事故、だそうです。

EPRUS という組織がありました。
Établissement de préparation et de réponse aux urgences sanitaires 
ただこの組織は、
2007年に作られ、
当初は予算も多くついて、マスクの備蓄量も7億枚あったのに、
予算が1/10 に減らされた2014年にはゼロ枚となり、
(←中国などに発注すればいいや、というネオリベ的発想)
ついに2016年、組織は解散となりました。
まあ、日本がベッド数を減らしていったのと、
同じ事でしょう。
医療崩壊の準備は、ばっちり整っていたわけですね。
で、マスクは効かないと言っていたフランス政府……

フランスの政府も、かなり無能に見えます。
我らが政府と比べると…… 
引き分け!?

2020年9月21日月曜日

秋学期開始

 昨日、21日から、

秋学期が始まりました。

(今大学は、曜日ごとの授業数を揃えるため、

休日授業がふつうになっています。)

でさっそく、PowerPo&Zoom です。

初回はまあガイダンス的ですが、

それだけだとさびしいので、

ユヴァル・ノア・ハラリのベスト・セラー、

『21 Lessons』の興味深かった箇所を、

雑談として話しました。

この本、やっぱりすごいと思います。

たとえば冒頭の自由主義についてでも、

1つ1つは知っていることのはずなのに、

ハラリの説明を読んでいると、

なんだか初めての話のように聞こえる。

それは、彼の文脈の作り方が巧み&強いからだろうと感じました。

もう1つのベスト・セラーである『サピエンス全史』は読んでないんですが、

こちらも読みたくなりました。


とりあえず、

やっとエンジンがかかってきたので、

また秋学期もがんばるぞ。(オー!)

2020年9月17日木曜日

「電通へ100億円超」

まあ、多くの人が、
そんなことだろうとは思ってたわけですが。


数百億規模の企画(オリンピックとかワールドカップとか)の場合、
いったん(資金的に)引き受けて、
それを分割して下請けに出して、
回収して利ザヤを稼ぐっているのは、
最初の資金が出せないとできないわけで、
となると、
そんな会社、電通以外にはいないと……。

2020年9月16日水曜日

「スアとイソ」論争

『梨泰院クラス』の、
物語上の主人公、パク・セロイ君を巡る、
二人の女性。
わたしは、イソに肩入れしていたんですが、
今日、別の用事で連絡をとったある先生は、
完全にスア派でした。
ここで、二人の見方が激突!
そのメールのやり取りの一部を、
ご紹介いたします。
もちろん、完全にネタバレですので、ご注意を。

**********************************

(スア派で、パク・セロイ君はマッチョなんかじゃない、という先生に対して)
パク・セロイは、わたしも基本的には好感が持てます。誠実だしね。 
最初の4話くらいは、あまりに単純なキャラ設定だと思っていましたが、
実は投資もしていた、というあたりから、彼が多層的に見えてきました。
もちろん、彼の「苦い夜」には同情を禁じ得ないし。
でも、彼をドライブしているのは復讐なんですよね。
その達成のためには、弱さは見せない、苦い夜も見せない、わけですよね?
それからラストあたりでも、警察に通報する前に自ら乗り込んで、
1対1で対決って、完全に任侠もの。
しかも、ヤクザ上がりの部下は、単独で行動した時は警察に通報したのに、
その後セロイと行動するときには、任侠の論理を取り戻しているわけなので、
やっぱりセロイ=任侠の論理、に見えてしまいます。
弱さは見せない、復讐、任侠…… マッチョじゃない!?

それから第5話って、あの、イソがスアのほっぺを挟んじゃうやつですよね?
そうですか、あそこはわたしは、ナイス! と思って見てました。
わたしからしたら、そもそもスアが長家の奨学金を受け取るのも違和感あるし、
就職するなんて考えられない。
なんでわざわざ、セロイの父親を殺した組織に就職?
でまた、それを許容するセロイ君もイマイチ理解しづらい。
で、スアはセロイ君に、好きにならないで、と言いながら、
なにかと絡んでくる。だから振り回されてるのはむしろセロイ君のほうで、
スアは自分の利益に忠実な「悪女」的なんじゃ?
もちろんセロイ君のほうでも、復讐の後じゃないと幸せになれない、と言って、
スアを待たせはしたんだけど、スアも、いつでも、長家を辞めて、
セロイ側に加わることだってできたはずだと感じちゃいます。
それよりも、いい車といいマンションの入手を優先させたわけだから、
大学を捨てたイソとは生き方が違う。 
イソと違って、スアはセロイ君のために、何もしなかった気もするし。
(むしろチャン・デヒをサポートすることで、結果として邪魔してたわけです。
内部告発者になるのは、ほぼほぼ長家が落ち目になって、勝負がついてから、だし。)
最後も、別のスポンサーを見つけて店を出し、存分におしゃれして、
新たなイケメンにときめきながら、
イソに対してはセロイをよろしくって、余計なお世話! と感じました。
だからわたしとしては、やっぱり、セロイ君の腕の傷が話題になる、
あのイソとのラヴシーンが、一番グッときたわけです。

*************************************

(これに対して)

清岡先生がそんなにスアを憎く思っていたなんて…… かわいそうなスア!

スアは、セロイみたいに超人的な信念の力を持っていない、
とても人間的なキャラクターだと思いました。
親に捨てられて育って、誰にも精神的には頼らず(セロイのお父さんは特別ですが)、
荷物もセロイに持たせず一人で走り切って合格する、そういう女性なんですよ。
もっと評価してあげてください。
自分を一番大事にして、とにかく必死に生きるからこそ、
セロイに手を差し伸べる余裕がないから何も与えられない。
セロイの魅力はまさにそれを許容するところです!
泥臭い生き方をしていて、まぶしいセロイと自分を比べたら自分の価値は低い。
そんな自分を好きでいてくれるというセロイの気持ちを信じきれず、
何度もためしてしまう。
結局、何をしても気持ちが揺るがないと言っていたはずのセロイは離れていって、
自分は置いていかれる。
それでは彼女の人生があんまり可哀想だから、
イケメンシェフが与えられるけれどこれは気休めに過ぎず、
彼女はきっと影のある感じでまた一人で歩き始めるのです……。

一方イソはソシオパスとは言え家庭環境は割と良かったようなので
「私たちは人の温もりを知らない」というほど可哀想ではなくて、
自己肯定感の強い女の子なので、余裕があるからセロイに与えられる。
健気な自己犠牲は、最後報われたから良かったものの、
だんだん「おしん」感が出てきます。
エンディングに近づくにつれ、セロイの人物像は崩壊しますが、
イソも全然ソシオパスじゃなくなっていくので、
最後のドラマはやめて欲しかったです。

自分の足で自分の道を必死に歩く同士か、
代表を必死に支える女かということで、
どっちも不器用で必死なのはわかるのですが、
私は前者に共感するということですかね。
自分の人生を取ると愛を失い、
愛を貫いて自分の人生を失いかけるという対比がなければドラマになりませんが、
本音はどちらも追わせてあげたい……。

***************************************************

わたしとまったく違う見方なので、
とっても刺激があって、おもしろかったです!
とっても楽しいですね、こういう「論争」は。
(ただやっぱり、ふだんスアが見せる「上から」な態度には、
釈然としないものが残るのですが……。)