2020年12月31日木曜日

à la fin de l'année étouffante

AmazonPrime にあったので、
もしかして授業で使えるかも?
と思って見始めたのは、

『フレンチ・コネクション 史上最強の麻薬戦争』

です。
この映画、実は以前見たことがあります。


というわけで、
民族関係などに注目すれば、
授業に向くかと思ったんですが、
どうもそれは違うようでした。
ただ、やっぱり、おもしろい。
でも、なにがおもしろいのか、
ほんとのところは、よく分からないんですが。
人間が生きているという感じ、
なんでしょうか……?

というわけで、
今年も終わりです。
さっきのニュースで、
東京は 1300人だと言っていました。
大晦日に、1000人超え、です。
残念だという意味で、今年らしいですが。

来年の今頃は、
晴れ晴れと、新年を迎える気分でいられればいいのですが。

では、

Bonne santé à TOUS !!

2020年12月30日水曜日

『ロスト・ブレット』

ニコラ・デュヴォーシェルとアルバン・ルノワール、
見たばかりの映画に出ていた二人が共演する、

『ロスト・ブレット』

を見てみました。


ニコラは悪徳刑事、
アルバンは無実の罪を着せられた男、です。
(アルバンを可愛がる刑事役で、
お馴染みのラムジー・ベリアも出ています。)

アクションを中心にしたエンタメですが、
主役の二人はいい演技。
それぞれに個性が出ていて、よかったです。
かつてブニュエルは、どんな低予算の商業映画であろうと、
自分の取ったものの中に、
わたしらしくない作品は一本もない、
と言っていましたが、
ニコラやアルバンにとって、
この作品はそんな感じなんでしょうか。
賞を取るようなものでも、
有名監督のものでもないけれど、
やっぱり自分の出演作ではあるという。

アルバンとちょっと仲良くなる女性刑事を、
ステフィ・セルマという俳優が演じています。
彼女はカリブ系で、他の作品も見たいと思いました。

2020年12月29日火曜日

Une sirène à Paris

Une sirène à Paris

は、2019に発表された小説ですが、
今日は、その映画版を見てみました。
主演はニコラ・デュヴォーシェルです。


まあ、幻想的というか、大人向けのおとぎ話であり、
ちょっとジャン=ピエール・ジュネを思わせる画風です。
まあ、「人魚」ですから、
彼女の歌を聞くと恋に落ちて死ぬ、
というのが物語の肝を形作っています。

どうなんでしょう、
日本で公開されれば、
それなりに話題になるのでしょうけど、
まあ、どうということはない、かな?

『ザ・ゲーム ~赤裸々な宴』

フランス映画では、
時折、しかも定期的に、
室内の会話劇を見かける気がしますが、
この

『ザ・ゲーム ~赤裸々な宴』

も、まさにそれ。
Netflix で見てみました。
(ただこれは、イタリア映画『大人の事情』のリメイクで、
そちらもちょっと覗いてみたところ、
まあかなり「そのまま」のリメイクである印象でした。)


美容整形外科医と精神科医という、ブルジョワ・カップル。
彼らは、古くからの友人たちを自宅に招き、
恒例のディナーを楽しみます。
そしてメンバーが集まりいろいろ話すうち、
秘密がないならみんなのケータイをここに出して!
ということになり、
電話もSNSもみんなで共有する、ということになります。
で、
予想通り、さまざまな秘密が暴露され……
というお話。

この手の映画は、基本的にはあまり得意じゃありません。
ハードボイルドとは対極にある、
行動が乏しく、言葉が過剰な映画、ということです。
ただ今回この映画を見ることにしたのは、

ロシュディー・ゼム
ベレニス・ベジョ
ヴァンサン・エルバーズ

という、好きな俳優たちが出ていたからです。
そして結果から言うと、
いくつか「?」はあったし、
ゲスさがベタな感じもしましたが、
会話劇なので、
ああ、このフランス語表現はこんな状況でも使うのね、
というような発見もあったし、
まあ、おもしろく見られました。

2020年12月28日月曜日

『バッド・シード』

以前、Nous trois ou rien という映画のことを書きました。


残念ながらこの映画、
日本ではまだ簡単に見られるようにはなっていないのですが、
この作品を撮ったケイロンの、
次の作品は Netflix で見られます。

『バッド・シード』(Mauvaises Herbes)

です。


舞台はバニョレ。
30代のワエルは、そこでなかなか派手な養母(ドヌーヴ)と暮らしています。
ワエルは、子どもの頃、
(どうやらレバノン内戦において)
家族全員を失くし、孤児となりました。
彼はムスリムでしたが、やさしいシスターに保護され、
なんとか生きのびることができました。
ただ、パリで生きる今、
養母と二人で小さな詐欺を重ねて生活していて、
まともな仕事には就けていません。
そんなとき、養母が昔の友人と偶然再会します。
ワエルは、この旧友が仕切っている、
問題を抱えた中学生の教育施設で、
ヴォランティア指導員をすることになります。
そこにいたのは6人の中学生たち。
男子は、アラブ系のカリム、アフリカ系のリュド、
そしてインド系とロマ系です。
女子は、IQ140というナディアと、
ユダヤ人のシャーナです。
物語は、ワエルとこの子どもたちとの交流を中心に進んでゆきます。

Nous trois ou rien の時もそうだったのですが、
このケイロンという監督は、
泣き笑い、というか、
悲喜劇、というか、
コメディーの中に深刻な要素を埋め込み、
観客を独特な感覚に陥らせてきます。
戦争、虐殺、貧困、虐待、などが、
軽いおしゃべりの背後に流れているわけです。
この辺が、単なるコメディとは違うところでしょう。

ただ、フランスでのメディアの評価を見ると、
問題になっているのはむしろ作品のヒューマニズムです。
これを湛える評もあれば、
浅い、愚直、と切り捨てている評もあるのです。
たしかにどちらの言い分も分かります。
わたしとしては、評価する前に、
もう1作見てみたい、という感じです。

映画の冒頭、
実は『レ・ミゼラブル』でも引用されていた、
Hugo の言葉が示されます。
(オリジナル・タイトルは、ここから取られているんですが、
わたしは作品と合ってないと思います。)

Il n'y a ni mauvaises herbes, ni mauvais hommes.
Il n'y a que de mauvais cultivateurs.

この引用自体は、『レ・ミゼラブル』のほうがしっくりきます。
でも、こちらも、
十分見るに値する映画だとは思います。

(小さなことを一つ。
映画の始まりはバニョレの空撮で、
(ツイン・タワー、Les Mercuriales が見えています。)
ただ、それに続くショットがモールで、
バニョレのそれかと思いきや、
明らかにクレテイユの巨大モール、
クレテイユ・ソレイユなのです。
後で考えて、
つまりこれは、
舞台はバニョレだけど、
今はクレテイユに来ている、
ということなんだと分かりましたが、
ちょっと不親切。
2つの場所を知らなければ、同じ場所だと思うのが映画の約束で、
とはいえ、
ある程度パリに詳しくなければまず分からないからです。
ナディアはどうもクレテイユの子らしいので、
学校自体も、クレテイユにあるということなんでしょうけどね。)

あ、もう1つ思い出しました。
ここで悪徳警官役を演じているアルバン・ルノワールは、
この映画の主演でした。


この映画は、明治大学の「フランス映画の夕べ」で取り上げたので、
とても印象に残っています。

2020年12月26日土曜日

Roubaix, une lumière

アルノー・デプレシャン、
先日見た彼の『あの頃エッフェル塔の下で』は……だったのですが、
今日、彼の新作、

Roubaix, une lumière (2019)

を見てみました。
というのも、出演者の中に、

ロシュディー・ゼム
レア・セドゥ
サラ・フォレスティエ

の名前があったからです。
すごいメンバーです。

Roubaix は、北フランスの、
リールよりもさらに北、
ベルギーとの国境の街です。
映画の中のセリフを借りれば、
フランスの大都市の中でもっとも貧しい、
ということになります。
アルノー・デプレシャンはこの街の出身で、
他の作品でも、このRoubaizx が登場していました。

ロシュディー・ゼムは、この街の警視です。
アルジェリア系で、
彼以外の家族は故国に戻り、
彼だけがここに残っています。
いくつもの事件が起きます。
その一つ一つが、
現代の Roubaix の置かれた位置を物語っていて、
おもしろいです。
そこに絡む端役の人たちもなかなかいいです。
中でメインになるのが、老婆の殺害事件です。
そしてその容疑者となるのが、
すぐ近くに住む女性カップルであり、
それを、レアとサラが演じているわけです。

ただ、この女性二人は、
いわば「汚れ役」と言っていいでしょう。
あの華やかな役をこなしてきた二人が、
ここでは、陰にこもった、すさんだ生活を生きる女性を演じています。
もちろんそれでも、
ふたりにはある種の美しさがあるし、
監督はそれに気づいています。

この3人は、素晴らしいです。
特にゼムは、いつもながら。
なので映画自体も魅力的でした。
街のうらぶれた感じも、底冷えのように、
足元から這い上がってきます。

ただ、これはマズイんじゃ?
とはっきり感じる演出もありました。
それは、着任したばかりの刑事が、
モノローグの形で手紙を読む場面です。
とても不自然。
視点がぶれて、混乱します。
これはもうきっちりと、
ゼムの視点で行くべきだったと思います。
それがなければ、
かなりいい作品だったのに、と思います。

*とここまで書いて、
実は日本版DVDが出ていることを知りました。
『ダブル・サスペクツ』
です。


そしてアマゾンのレヴューは低いですが、
それはチガウでしょう。
わたしなら、★★★★☆ です。

2020年12月23日水曜日

2本

今日見た2本、

『パリ、混沌と未来』
『あの頃パリの空の下で』

は、両作とも、ピンと来ませんでした。
前者は、モンマルトルやレピュブリック広場など、
パリの風景に見どころはありましたが、まあそれだけ。
後者は、今風ヌーヴェル・ヴァーグという触れ込みなんですが、
予想通り、わたしとは合わないと感じました。

ブルデューは、
趣味(選好)とは嫌悪である、
と言ってますが、そうなんですよね……
(原文では、「趣味」は goût、「嫌悪」は dégoût です。)

2020年12月22日火曜日

『スクールライフ:パリの空の下で』

Zita Hanrot 主演の「パリ郊外」映画、

『スクールライフ:パリの空の下で』(2019)

を Netflix で見てみました。
オリジナル・タイトルは

La Vie Scolaire

です。(日本では劇場公開されませんでした。)


舞台は、パリ北郊の Le Franc-Moisin。
(これは Stade de France のすぐ東側です。)
この「教育困難地区」にある中学校(現実には le collège Federico Garcia Lorca)に、
新しい教育指導主任専門員(CPE;conseiller principal d'education)が着任します。
サミア・ジブラ。
アルジェリア系の父とカリブ系の母を持つ彼女は、
実は、カレシが収監されている刑務所の近くを希望し、
一人の知り合いもいないこの土地に配属されてきたのでした。
彼女の周りには、
癖の強いスタッフ仲間、
教員たち、
もちろん生徒たち、
生徒の親たち……
等がいて、
いわゆる「荒れた」学校空間を構成しています。
メイン、と呼べるほど強いストーリーはなく、
小さなエピソードが重なっていく感じは、
この手の映画の大先輩、
『パリ20区、ぼくたちのクラス』にも似ているかも。

生徒の一人に、ヤニスというアラブ系の少年がいます。
(ムバッペ似です。)
心優しい彼は、でも、もうしばらく前から、
努力するということを放棄しています。
サミアは何とか彼を励まし、
彼が好きだという映画関係の仕事に向かって進ませようとするのですが、
なかなかうまくいきません……

で、実はこの二人が、この映画の2つの極になっているようです。
二人は、もちろん違う世界にいるのですが、
そのそれぞれの世界での位置が似ています。
それをはっきり示しているのが、
ヤニスの父親もまた、
サミアのカレシと同じ刑務所にいるという事実です。
二人は、刑務所の入り口で偶然出会い、
一瞬見つめ合うのです。
途中、2つのパーティーを、
クロス・カッティングで繋ぐ箇所があるのですが、
そこでも、二人の相似性がはっきり提示されるようです。

またこの映画は、「口が悪い」。
辞書に出てない砕けた表現くらいはともかく、
悪口の言い方に品がありません。でも、
不思議なことに、映画全体はウォームなのです。
アラブ系のヤニスと、アフリカ系の親友の会話ときたら、
「へい、汚い黒人! Sale noir !」
「なんだい、このテロリスト!」
みたいな感じなんですが、
この間二人はずっとニコニコしていて、
とにかく、大親友なのです。
道徳的な PC とはまったく違う次元ですが、
個人的には、こういう世界にも親しみを感じます。

そうそう、大事なことを忘れてました。
この映画の監督・脚本には、
Grand Corps Malade が参加しているんです。
彼の監督作品としては、これがありました。


才能ある人ですね。

そして主演の Zita Hanrot もよかった。
(実際の彼女はジャマイカ系。)
『ガールフレンド・イン・パリ』はひどかったけれど、
こちらはよかったです。

2020年12月21日月曜日

『キューティーズ』


Netflix を散策していて、
おやこれも「パリ郊外」? ということで見てみたのが

『キューティーズ』(2020)

です。


原題は Mignonnes で、
「可愛いもの(物/者)たち」なんですが、
実際は、劇中に登場するガールズ・ダンス・グループの名前です。

舞台はパリの北、のようです。
(途中、ラ・ヴィレット公園が出てきます。
「郊外」と書きましたが、もしかしたら、
ギリ「パリ」なのかもしれません。)
ヒロインは11歳の少女、アミ。
セネガル系の移民で、
母親、小さい弟、そして赤ちゃんとの4人暮らしです。が、
ここに、
セネガルから父親が戻ってくるというのです、
第二婦人を引き連れて。
アミは、自分もそれがイヤだし、
母親も実は深く傷ついていることを知っています。

そんなある日、住んでいる団地の洗濯室で、
同じ学年のアンジェリカが、
Hip Hopに合わせて踊っているのを見かけます。
そして…… あっという間にダンスの虜になります。
家庭内の、古いしきたりと、
Hip な生き方は当然齟齬をきたし……
というお話。

アミを含め、少女たちは可愛らしい。
激しい喧嘩もするし、
言葉は汚いし、
スマホは盗むし…… なんですが、
やっぱり、健気なんです。
ガールズ・ブループは(一応)4人で、
セネガル系のアミ、
アラブ系のアンジェリカ、
アフリカ系のクンバ、
白人のジェス、です。
思い出すのはやっぱり、これです。


ちなみにこの『キューティーズ』は、少女たちの描き方が、
over sexualisation 
なのではないかと、
特にアメリカのライト側から批判が上がりました。
それに対して、監督も Netflix も反論しました。


大人の(「セクシーな」)女性のマネをすればするほど、
成功に近づける……
少女たちがそう信じ込まされる状況こそが問題だ、
というわけです。
つまり少女たち、少なくともアミは、
家父長的は伝統主義と、そうした資本主義の退廃との板挟みなのだ、
ということになります。

たしかに少女たちは、
その意味も知らないまま、
性的な行為を模倣した動きをダンスに取り入れてゆきます。
健気、と書きましたが、
その健気さそのものが、仇ともなっているわけですね。

そう考えてくるとこの映画、
単なる伝統主義と自由主義の板挟み、を描くことから、
大きく一歩、踏み出しているのかもしれません。
新しいです。

"house negro"

『バンリューの兄弟』の中では、
「雄弁コンクール concours d'éloquence」が開かれます。
テーマがあって、
君は肯定、きみは否定ね、
と振り分けられるので、
一種のディベートなのでしょう。
で、
映画内でのテーマは、

L'Etat set-il seul responsable dde la situationactuelle
des banlieues en France ?
(フランスの郊外の現状に責任があるのは、政府だけなのか?)

でした。
主人公は「否定」を振られ、
郊外人としての尊厳において、自らの「選択」の重要性を語ります、
肯定することは、同時に被害者意識の肯定に過ぎない、
白人層の罪悪感の軽減に過ぎない、
というわけです。
一方、「肯定」を振られた、
パリ5区育ちのブルジョワ白人、リザは、
そもそも「政府」とは誰かを問い、
そこには郊外人自身も含まれていることを指摘した上で、
「選択」と社会的流動性を称揚する主人公のことを、
マルコムXの言う house negro(naigre de maison)ではないのか、
Bounty(=外見は黒人で内面は白人)ではないのか、
と反論します。

この論理のぶつかり合いは、
アクティヴィストである監督たちの見せ場なのでしょう。
ただ……
これを「映画」で見せてくれれば、
もっとスリリングだったかもしれません。

2020年12月20日日曜日

『バンリューの兄弟』

「パリ郊外」繋がりで、

『バンリューの兄弟』

を見てみました。
これはNetflix でのタイトルで、
オリジナルは

Banlieusards

なので、『郊外の人々』となるでしょう。
実際、たしかに郊外で暮らす3兄弟がメイン・キャラクターではありますが、
彼らを取り巻く人々、
母親はもちろん、友だち、仲間、敵、も含めて、
「郊外人」を描いています。

舞台は、ヴァル=ド=マルヌの Bois-l'Abbé 地区。
そこにあるHLMで、マリ系の移民系の母と、
二人の息子が暮らしています。
実は長兄もいるのですが、
彼は麻薬がらみの犯罪を繰り返し、
家から追い出されています。
で、
次兄は大学生で優秀。
雄弁コンクールの決勝を控えています。
ただ、15歳の末弟は、
次兄より長兄の生き方をモデルとしているように見え、
それが母親を嘆かせています。
そしてこの末弟が「事件」を引き起こし、
その余波が、遠くまで及んでゆきます……

映画としての構造は、単純です。
麻薬取引や殺人もありますが、
それは「郊外」の日常であるかのように描かれています。
「郊外」の置かれた状況について、
わりと概念的な説明が複数試みられている点が、特徴でしょう。

ただそれもそのはずで、
この作品の監督は Leïla Syと Kery James で、
二人は HipHop 界の有名人で、アクティヴィストです。
(Kery James は長兄を演じています。)
途中、主人公である次兄が、
Kery の Lettre à la République というラップを、
力強く歌う場面があります。

A tous ces racistes, à la tolérance hypocrite,
Qui ont bâti leur nation sur le sang,
maintenant s'érigent en donneurs de leçons.
Pilleurs de richesses, tueurs d'africains,
colonisateurs, tortionnaires d'algériens.
Ce passé colonial c'est le vôtre.
C'est vous qui avez choisi de lier votre histoire à la nôtre.

共和国よ、この植民地主義的な過去こそ、おまえの過去だ。
おまえの過去を、オレたちの過去と結びつけることを選んだのは、おまえ自身だ。

確かにね。

それから小さなことですが、
長兄のダチも次兄も知っていたセリフは、
調べてみたら、
『スカーフェイス』からの引用でした。
ごく単純な論理ですが、
『スカーフェイス』がそれほどまで有名なことに、
あらためて気づきました。

Dans ce pays, il faut d’abord faire le fric, 
et quand tu as le pognon tu as le pouvoir, 
et quand tu as le pouvoir tu as toute les bonnes femmes.

2020年12月19日土曜日

『レ・ミゼラブル』

Hugo ではなく、Ladj Ly の

『レ・ミゼラブル』

Amazon Prime に登場したので、
また見てみました。

舞台は、パリ郊外のモンフェルメイユ、
つまりHugo の同名小説の舞台の地、
ということになっていますが、
Google Earth で近くを探したところ、
舞台となっている団地は、
クリシー=スー=ボワにありました。
そう、あの2005年の暴動のあった場所です。
(で、映画内でも、その暴動への言及があります。)
また、これは字幕には訳されていませんでしたが、
主人公のステファンの元妻は、
ボビニーに転勤になったと。
(ボビニーについては、
ここでもう何度も触れました。
そしてボビニーとクリシー=スー=ボワの間に、
『最強のふたり』のドリスの実家がある、
ボンディがあるわけです。
93、ですね。

やっぱり、緊迫感があっていい映画でした。
「点」が5つあって、
それはBAC(警察)、
「市長」と呼ばれる元締め、
「ハイエナ」と呼ばれる(BACと手を結んでいる)マフィアのボス、
サーカスを経営する「ロマ」、
イスラム急進派のリーダー、サラー、です。
そして真の主役である子どもたちは、
彼らすべてから抑圧される存在なわけです。
多くの映画において、
郊外の少年たちを抑圧するのは「社会」なのですが、
その「社会」の実態の描き方が、
この映画は独特なのです。
そしてもちろん、それが美質なのです。

映画のラストには、この引用;

Mes amis, retenez bien ceci,
il n'y a ni mauvaises herbes, ni mauvais hommes.
Il n'y a que de mauvais cultivateurs.

Victor Hugo, Les Misérables

こういう映画を見ると、
やっぱり、「パリ」が気になってきます。

2020年12月17日木曜日

オニカサゴ

このところ、なぜか眠くて、
40~50分も仕事するとすぐに「つかれた~」となってしまって、
休憩に入るとそれが1時間(!)も続いてしまい、
右眼は相変わらずで、
テニスはないので1日のペースもつかめないし、
その結果読むべきレポートはどんどん溜まるということで、
なんとなくイマイチな感じの進行だったんですが、
今日やっと、
このところの眠い感じから解放されて、
「ふつう」に仕事もでき、
なんとなくほっとしました。
このご時世だと、
ちょっと体調がワルイと、
もしかして!?
と考えてしまうのが人情なので、
まあ、軽い風邪だったのかな、
と思っています。

で、
ちょっと目を覚ますために午前中に外に出て、
ついでに、
ずいぶん久しぶりにちょっと離れた魚屋(角上)へ。
行ってみるとこれがけっこう混んでいて、
でもむべなるかな、
スーパーではお目にかからない魚が、
あれこれ並んでいるのでした。

今日はその中から、
刺身でもいけるというオニカサゴを買ってみました。
ちょっとお高かったんですが、
スーパーではまず出会わないし、
万が一あってももっとずっと高いだろうということで。

で……
さすがにおいしかったです。
キモも一緒に煮つけにしたんですが、
これば特においしい。
体調は戻ってきたし、
オニカサゴはおいしかったしで、
今日はいい日でした。

2020年12月12日土曜日

キム・ギドク

旅先で、しかもコロナで亡くなったというニュースには、
驚かされました。
わたしより2歳年下だし。

彼の映画、そんなにたくさんは見てなくて、
すぐに思い出せるのは、

『嘆きのピエタ』
『サマリア』
『殺されたミンジュ』
『受取人不明』……

などですが、わたしが一番いいと思ったのは、

『The Net  網に囚われた男』

です。
これは、とってもよかった。
また、取調官を演じたキム・ヨンミンの行っちゃった感じに、
この俳優すごい、と思ったのを覚えています。
(彼とはその後、
『愛の不時着』
『ベートーヴェン・ウイスル』
などでも出会っています。
好きな俳優です。)

もっと作って欲しかった監督です。
残念です。

2020年12月10日木曜日

Google 予想

東京はついに600人を越え、

「ピークアウトしたらしい」

という何人かのコメントは、

俄然怪しくなってきました。

で、Google 予想だと……

https://datastudio.google.com/reporting/8224d512-a76e-4d38-91c1-935ba119eb8f/page/ncZpB?s=nXbF2P6La2M

Mmm、正月早々4000人を突破すると……


やはり、Go To Hell だったわけですね。

そんなお金があれば、

医療施設、医療関係者に回すべきだと思うんですが。

(あの、小さすぎるマスクの時も、そう思いましたが。)


2020年12月9日水曜日

テニスが……

今年もあとわずかになり、
なんとか大過なく終われるかなあと思っていた矢先、
まあ「過」というわけではないんですが……

先日映画を見ていた真っ最中、
唐突に、右目にパラリと「飛蚊」感を覚え、
なにか光のようなものが走る感じもありました。
まあ、一過性? と思っていましたが、
どちらかいうと症状が進行気味なので、
一応眼科に行ってみたところ、
なんと、眼球の中に出血があると。
ただ、視力は落ちてないし、
網膜に穴などもない(←これかと思ってたんですが)ということで、
血を止める(←血管を強くする、らしい)薬を出され、
それを1月ほど飲むことに。
どうも、赤血球が、眼球の真ん中の、卵の白身状のところを浮遊し、
それが飛蚊になっていたようです。
赤血球が揮発(?)すれば、少しは改善されるけど、
そのカラみたいなものは少し残るかも、ということでした。

誰の文章だったか思い出せないのですが、
たしか、書き手がある女性作家としゃべっているとき、
その作家が突然、今、片方の目が急に真っ暗になった、
と言い出す場面がありました。
網膜剥離だったようなんですが、
この記憶がよみがえり、
ちょっと怖かったのと、
もしも手術になった場合、
年明けの採点や成績付けはどうしようと思っていたので、
とりあえずそれは回避でき、よかったです。
まあ、そこそこ鬱陶しくはあるんですけどね。
あとは、このまま状態が進行しないこと、
1か月後にはなんとかふつうの生活に戻れること、
が目標、というか希望です。

で、ショックだったのは、
テニス禁止令が出たこと、
振動がよくないのだそうです。
これはイタイです……
でも、ということは、
ヘビメタのコンサートはゼッタイだめですね、
ヘッド・バンギングしちゃうから。
(行く予定ありませんけど!)

2020年12月8日火曜日

「ボイス2」

Eテレの「ディスタンクシオン」、始まりましたね。
実は先にテキストを読み始めてたんですが、
すごく読みやすくて、どんどん読んじゃいました。
『ディスタンクシオン』は、
ガチで読むべきだと思いながら〇十年、
まあこれもガチではないものの、
いつ聞いても(読んでも)、
ブルデュー関連は(批判を含めて)おもしろいです。

で、
韓国ドラマの方は、
「ボイス2」
を見終わりました。
もう、ヒロイン(イ・ハナ)のファンになった感じなので、
(事件発生の瞬間、彼女がそれを告げるボタンを押し、
メンバーたちに事件の概要をテキパキとアナウンスする様子、
これがステキ)
物語の評価は措くとしましょう。
(ということは……)
ただ、たしかにツッコミどころはあるものの、
時に意識を失い短期記憶をなくす刑事が、
自分が真犯人ではないかと疑う一瞬は、
ほかのドラマでは見たことがない設定で、
なかなかだと思いました。
ちょっと猟奇的なところは、
韓国ドラマ(や映画)の、ちょっと苦手なところですが。

それ以外には、
院生のレポートに出てきたので、
『血と骨』
『ヴェノム』
『ハーレイ・クイーンの華麗なる覚醒』
などを見ましたが、
(もちろん分析はできるのでしょうが)
そんなに惹かれはしませんでした。

2020年12月3日木曜日

Eテレ売却、反対!

Eテレを売却すれば、

NHKの料金を半額にできる、だから売却!

という考えがあるようですが、それはチガウと思います。

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/e%E3%83%86%E3%83%AC%E3%81%AFnhk%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%95%E3%81%AE%E8%B1%A1%E5%BE%B4-%E5%A3%B2%E5%8D%B4%E8%AB%96%E3%81%AB%E4%BC%9A%E9%95%B7%E3%81%8C%E5%8F%8D%E8%AB%96/ar-BB1bAT1R?ocid=msedgntp

で、速攻会長が反対しています。

NHKのやり方の、すべてに賛成なわけではありませんが、

このことに関しては、

会長に賛成です。

YouTube で新刊!

白水社が、新しい教科書を紹介する、
こんな動画を作ってくれました。

(おもしろい、ってもんじゃないですが、
教科書の紹介ってこんな感じか~、
と思っていただければ。)

これが文法書。


これ、参考書と違って、
書いてあることは多くないです。が、
何を書いて何を書かないか、
どこまで説明してどこからは授業に委ねるか、
この辺の判断にどこまで意識的になれるかが、
教科書のデキの分かれ目の第一歩、
だと思っています。
だから、いい教科書を作るには、
やっぱりどうしても、
いろんなレベルの授業を多くこなしていることが、
必須の条件になるのかなと、わたしは思っています。

でこれが、レナさんが中心になって作った会話の教科書。


会話は、やはり「自然さ」が命。
なんですが、
やはりそこは文の構造に対する意識が芽生えることも超大事。
そこで例文を練るわけですが、
ズバリ、その例文のよしあしが、
会話のテキストのキモでしょう。
(もちろん、それ以外の要素もたくさんあります。
「キモ」といってもそれは50%くらい。
その他の要素が積みあがって、
よりよいテキストになるのでしょう。)

わたしは、得意なことってほんとに何もありません(涙)が、
唯一、
フランス語の教科書のよしあしについては、
まあまあ分かるほうなんじゃないかと思っています。(←ちっちゃ!!)

2020年12月2日水曜日

ブック・レポート/『21レッスンズ』

東京の好きなところの一つは、
冬晴れの日が多いこと。
かなり寒くても、
大陽が出てると気持ちが違います。
なので今日のような天気は、
あまり好みじゃありません。
それはともかく。

ここ数日で、
ブック・レポ-ト、約70本ほど読みました。
(それ以外に、映画分析のレポートもありましたが、
そっちは毎週のことなので、フツウです。)
このブック・レポート読みは、
正直なところ、かなり骨が折れます。
時間もエネルギーもかかるので、
ほんとはそういう課題を出さなければこちらは楽なんですが、
レポートを読み進めてゆくと、
ああ、やっぱり読んでもらったほうがよかったな、
といつも必ず思うので、
やめるわけにも行きません。
学生も、メンドクセーナー、と思いながらやるのでしょうが、
終わってみれば、
たしかに勉強になったかも、
と思ってくれてるはずです。
たった1冊の本ですが、
それを読むと読まないではチガウ本というものが、
たくさんあります。
もちろん、
わたしがまだ読んでいないそういう本も多いに違いありません。

最近学生に勧めることが多いのは、
ユヴァル・ノア・ハラリの『21レッスンズ』です。
この本、わたしが今年読んだベスト3に入ります。
かつて吉本さんは、

ぼくが真実を口にすると ほとんど全世界を凍らせるだろう(……)

と(詩の中で)書いていましたが、
それを思い出しました。
それを思い出すほど、
ああここまで言ってしまうのか、
と何度も思ったのでした。
しかも、たとえ部分部分は知っていたことでも、
文脈の作り方が新鮮で、
なるほどね~と思わされることしばしば。
もちろん、初めて知ることも多く、
最初から最後まで、ワクワクしながら読みました。
年内に、もう一度読むかも。

2020年12月1日火曜日

l'article 24 du projet de loi « sécurité globale »

フランスも、なかなか隅に置けません。
政府が導入しようとしている新法(の第24項)は、
個人が、機動隊や警察官などを撮影し、
それが誰か分かるような形で発表することを禁じる、
というものです。
もちろん、激しいデモが怒っています。


どこかで見かけたプラカードのセリフが、印象的でした;

« Je me sens plus protégé par mon portable que par la police »

警察なんかより、ケータイのほうが、わたしを守ってくれると感じる、
というわけですね。
もちろんここには、(アメリカでも頻発している事案と同様の)
警官らによる暴力があるわけです。

がんばって、こんな法案、潰して欲しいです。