2021年9月30日木曜日

OQTF

OQTF とは、

obligation de quitter le territoire français

のこと。
要は、「フランス領土退去命令」のことですね。
これは「強制送還」とは違って、
いったん収容所から「釈放」されるので、
そのあとは自分で、すぐ、フランスから出てってね、
ということになります。

これは、この映画で出てきてました。


そしてもちろん『サンバ』でも。


OQTF を受けたからといって、
はいそうですかと帰る人は少ない、というのは常識です。
たとえば、

Dans le cas de l'Algérie par exemple, 
pendant les six premiers mois de 2021, 
la justice française a ordonné près de 8 000 OQTF, 
mais seulement 22 personnes sont effectivement retournées dans leur pays. 

アルジェリアの場合、今年の上半期、
8000近くの OQTF  を出したのに、
実際に帰国したのは22人、というわけです。

昨日のニュースでは、
この帰る人の少なさ故に発生した「問題」が報道されていました。
アルジェリア、チュニジア、モロッコ、に対して、
ヴィザの発給件数を減らすというのです。


気になるニュースです。

2021年9月29日水曜日

『ギャングランド』

ネトフリの新作ドラマ、

『ギャングランド』(2021)

一気に見てしまいました。


原題は

 Braqueures=braquer「(銃口などを)向ける、武器で襲う」ものたち

です。
舞台はブリュッセルと、アンヴェールの港。
アンヴェール(仏)=アルトウェルペン(蘭)=アントワープ(英) です。
エンタメとしては十分おもしろかったです。

物語を構成するブロックは3つあって、
それらが絡まるようにして展開します。
ブロック1は、ブリュッセルのワカモノたち。
その中には、アフリカ系とコーカソイド系のレスビアンのカップル、
リアナとシャイネーズもいて、
彼女らは、ある種の美人局で小遣い稼ぎをしています。
ブロック2は、4人組の強盗団。
彼らは一仕事片付けたところです。
で、彼らのリーダー(サミ・ブアジラ)は、
シャイネーズの叔父に当たります。
ブロック3は複雑です。
麻薬取引に関わる大きな組織なのですが、
中では、血の問題も絡んで、
さまざまな駆け引きも進んでいます。
そしてある日、
レスビアンの二人がいつもの仕事をし、
客のバッグを盗んできてみると、
なんと、中から大量の麻薬が。
この客は、ブロック3の組織と連帯関係にあるグループの一員で……
というのが物語の発端。
ワカモノたちは、
この麻薬を自分たちで金に換えようとして、
組織に追われることになるわけです。

おもしろいのは、
すべてのブロックにアラブ色が入っていること。
ブロック2のリーダーもそうですが、
なんといってもブロック3は、
基本全員アラブ系です。
(おそらくモロッコ系。)
そしてブロック1については、アフリカ系の子が多く、
シャイネーズはアラブ系ですが、
見た目はコーカソイド系だと言えるでしょう。
また、上にも書きましたが、
アフリカ系とアラブ系の若いレスビアン・カップルが、
物語の発端を作ったのも、
単純ですが新鮮でした。

ブロック3の中心人物を演じたナビア・アッカリは印象的でした。
調べると、これらにも出てるようです。



ちょっと、記憶にないんですが!

また、シャイネーズ役のソフィア・ルサーフルは、
『奇跡の教室』や『レ・ミゼラブル』にも出ていたようですが、
こちらもすぐには思い出せません。

また、脚本に加わっているHAMID HLIOUAは、
The Eddy の脚本にも参加していたんですね。

『わたしのバイソン』


わたしの弟が、
絵本の翻訳を出しました。

『わたしのバイソン』






実はわたしも、まだ実物は見てません。
楽しみです!

2021年9月27日月曜日

『太陽がいっぱい』

今日のゼミではもう1本、

『太陽がいっぱい』(1960)

も見ました。
これ、『勝手にしやがれ』と同じ 1960年の作品です。
ジェラール・フィリップが亡くなり、
後の2大スターが注目作を発表するという、
完全にエポック・メイキングな年ですね。

で、
この映画を見るのは30年ぶりでしたが、
サスペンスの作り方が上手くて、
まったく飽きませんでした。
なにより、セットではないイタリアの海や空、そして街並みが、
自然光の中でキラキラして、
まさに新しい時代を感じさせました。
しかも、カラーです!

この作品を語るとき、
淀川長治氏を忘れることはできません。
彼は、この映画の批評によって、
注目を浴びたのだと言われています。
で、言われてみればたしかに、
同性愛に関わる表現だと思える箇所も複数あるのでした。


昔見た映画は、
あの時は何を見てたんだろう? なにも分かってなかった!
という気になります。
まあ、
少しはこちらがマシになったんだと、考えることにしましょうか!

『勝手にしやがれ』と『霧の波止場』

大学院ゼミの2回目、
まずは、前回見た『勝手にしやがれ』との比較のために、

『霧の波止場』(1938)

を見ました。
WWⅡ突入直前、
インドシナ帰りの脱走兵をジャン・ギャバンが演じます。
お相手は、若きミッシェル・モルガン。


比較のために、
と書きましたが、
そもそもこれは、サドゥールの評言で、
その意図を確認しよう、と思ったわけです。

2作は、単純に言ってそれほど似てません。
ストーリー的には、
殺人犯が逃亡し、けれども最後は撃たれて死ぬ、
という点はたしかに同じですが、
その理由が、
『勝手にしやがれ』では、好きな女性が密告したからであり、
『霧の波止場』では、恥をかかせた恋敵に復讐されるから。
これは似てません。
ただ、学生が、2作の共通点は「停滞感だ」と言いだし、
そう言われてみればたしかにそうなのでした。
1938の停滞と、1960の停滞。
前者は分かりやすく、
後者はやや複雑ですが。

言うまでもなく、
ヌーヴェル・ヴァーグの先兵として知られる『勝手にしやがれ』ですが、
こうして、
1930年代の作品との繋がりを探ることも、
ゼミ的には意味のあることだと思っています。

2021年9月25日土曜日

「情報商材学部」「転売経済学部」の設置認可を(!?)

「稼げる大学」を目指して、なんと、
こんな学部が新設申請!
記事によると、

情報商材学部:
外国為替証拠金取引(FX)や仮想通貨に関する専門用語を駆使しながら、
「楽して儲けたい」投資初心者を引きつける情報商材の制作技術を養う。
経済理論は教えず、
「1週間で億万長者」
「先着100人限定」
など、人間の欲望につけ入るノウハウの習得に特化しているのが特徴。

転売経済学部:
薄商品を
定価以上のプレミア価格でネットオークションに出品して利益を得る技術を養う。
カリキュラムは、
商品を大量確保するために人を雇う方法、
自演による価格つり上げ、
オークションサイトの警告やアカウント停止を避ける方法など、
実践的な技術が中心。

さすが「稼げる大学」!
これなら、えら~い人の口利きで、
国の土地を格安で買わせてもらえるかもですね。
あそこみたいに。

ちなみに記事はこちら:


で、これ何新聞?

明治大学「総合芸術系」とは?

わたしが所属する大学院、

総合芸術系

の紹介ヴィデオをアップしました。



これは短いヴァージョンですが、
遠からず、各教員の紹介ヴィデオもアップされる予定です。

教員同士の打ち合わせはなかったので、
わたしも昨日初めて見て、あらためて、
同僚たちの言葉を噛みしめています。

もちろん、こちらも随時更新中です。



『本は読めないものだから心配するな』・2

この本の中に、
宮本常一について書かれた章があります。
彼は父親から、
いくつかの旅についてのアドヴァイスを受けているのですが、
その中の一つに、
こんなのがあります。

新しい土地にいったら、必ず高いところに上がってみよ。
そして山の上で目をひいたものがあったら、
そこへは必ずいってみることだ。

この言葉を管さんから聞いたのは、
2009年5月、
大連旅行中のことでした。


どこにいこうか?
と相談していたとき、
山の天辺にあるTV塔を指さし、
あそこに行こう、
と管さんは言い、
そして、塔の展望室で、
「モスクワまで5000km」
なんて表示を見ているとき、
管さんは言ったのでした、

宮本常一がさあ……

知識は、こんな風に、生きられているわけですね。

そしてこの旅行の半年後、
『本は読めないものだから心配するな』
が刊行されたのでした。

『寝ても覚めても』

院生の一人が、
現役の日本人監督の中ではすごく好き、
という濱口竜介監督。
ネトフリに1作あったので見てみました。

『寝ても覚めても』(2018)

最初の5~6分、
これは苦手なやつじゃないかと不安になりましたが、
10分過ぎから乗れるようになり、
あとはラストまで、尻上がりに引き込まれました。
大きなストーリーも、
小さなエピソードも、
ともに丁寧に作られているし、
これは! 
というシーンも、
ショットもあり、
要は、映画として、質が高いと感じました。
脇役の登場のさせ方も上手で、
決して出過ぎてはいないのに、
その人となりがグッと伝わってきます。
そして猫は、可愛いらしい象徴。

(ただし、個人的には、
主人公のようなタイプではないので、
思い入れ、という感じはありませんでした。)

あれだけたくさん映画を見ている院生がいいと言っているわけなので、
やっぱり信用してよかったです。
院生からの情報、なかなかいいです!
(もっと教えて!)

2021年9月23日木曜日

『本は読めないものだから心配するな』

もともと記憶力がいい方ではありませんが、
ここ数年、ほんとに我ながら「?」のことが多くなっています。
映画も、タイトルを聞いても「見たことないなあ」と思い、
実際見始めて、あれ、なんかこれ……となり、
しばらく見てやっと、これ見たことあるじゃん!
となることがあります。
でも、
これはまあそれほど多くないし、いいんです。
問題は、本。
読んでいるときはおもしろいんです。
へえ~、なるほどね~、
そういう角度もあるのか~、すごいな~、
と思って読み進めて、読み終わってしばらくすると、
あれ、あのおもしろかった本、どんな内容だっけ?
となることが、これはめちゃめちゃあるんです!
もうこんなことじゃ、読まなくても一緒……?(涙)
という展開にさえなりかねないんですが、
(まあ、なりはしませんが)
もしもこんな経験が少しでもあるなら、
この本があなたを、やさしく大きな手で、
エンカレッジしてくれます。


この管さんの本、12年前に出版されたんですが、
今回、文庫となって再デビューを果たしました。
パチパチパチ!
(装丁もステキですね。)

「ただひとつ、確実にいえることがある。
すべての書店は、互いにつながっているということだ。
店の大きさ、場所、並べられた本の分野や価格、
それらの本が書かれた言語、
新刊か古書価の違いすら、問う必要はない。
ひとつの本屋の棚をずっと、
近視の蟹のようにきょろきょろと視線をさまよわせながら横歩きしていくうちに、
いつのまにかきみは別の本屋にまぎれこみ、
でも誰も気にもとめない。」

そしてそれは、

「各地の新刊書店、古書店、学校図書館、
地域の図書館、個人個人の蔵書などと突発的に無限につながりつつ……」

Mmm...
こんな目眩がする本、めったにないですね。

2021年9月22日水曜日

正夢!



朝起きて、
今日のエンゼルスの試合は何時からかな?
と思った瞬間、
夢の中で、大谷がホームランを打ったのを思い出しました。

で!!!

正夢でしたねえ。
MVP !

2021年9月21日火曜日

中秋


月、ですね……。平安時代も今も、同じ月。

もちろん、もっとずっと前も。






2021年9月19日日曜日

『バック・ノール』

またもネトフリ散歩中に見つけた、
というか本当は、
画面を開いたら最初に出てきたんですが、
フランス映画を見てみました。

『バック・ノール』(2020)

オリジナル・タイトルは、そのまま Bac Nord。
Bac とは、

brigades anti-criminalité

のことで、
トータルでは「犯罪対策部隊・北部地区担当」となるのでしょう。
ジル・ルルーシュ、
フランソワ・シヴィル、
アデル・エグザルホプロス、
などが出演しています。
アデルの警官役は初めて見ました。


この映画、冒頭で、
実話に基づいたフィクションだ、
という(よくある)断りが入るのですが、
それプラス、
この映画の意図は裁判に影響を与えることではない、
とまで入っています。
実は、この映画が公開される予定だったタイミングが、
判決の数ヶ月前だったようです。
(実際は、コロナで延期。)

舞台はマルセイユ。
3人チームだった捜査班は、あるとき、
大きなヤマを任せられます。
ただしそれを解決するには、
「情報源」からの情報がどうしても必要です。
3人のうちの1人、アントワーヌ(F・シヴィル)は、
彼の情報源であるアラブ系の少女から、
重要情報を流してくれる約束を取り付けます。
そしてその交換条件は、
麻薬5キロ。
そして、作戦は上手くいったかに見えたのですが……

前半は、警察と麻薬組織の、
きわめてリアルな攻防。
ドキュメンタリーのようでさえあり、
これを思い出しました。


そして後半は、打って変わって、
警察の、内部調査官と、
疑われた刑事たちの対立を描きます。
アントワーヌは、
「情報源」の名を明かすことを強要されるのですが……
もっとも印象的なセリフは、
 est mon chien ?
かな?
(でそれは、どんな文脈かというと……)

映画が2つに分かれてはいますが、
それはたしかに繋がってもいます。
俳優たちは生き生きしていて、
やっぱり、見ないという手はなかったですね。

2021年9月18日土曜日

ドウダンツツジ


ドウダンツツジは好きで、
わりとよく買います。
いいのに当たれば1ヶ月以上持つので、
そう考えると、
そんなに高くないし。
でも今日買ったものは、
今までで一番大きいかも。
大きいのにしてください、って頼んだら、
ものすごくみっちり選んでくれました。
ドウダンツツジ1本で、
部屋の空気が変るようです。

『新宿パンチ』

ネトフリ散歩中に気になったこのタイトル、

『新宿パンチ』(2018)

サクッと見てみました。
おもしろかったです。


主人公である方正くん(とその父親)の髪は、
パンチ・パーマを当てたわけでもないのに、
どこから見てもそう見えてしまいます。
で、それが、
彼(ら)の、対他的イメージを決定づけてしまう、というわけです。
もちろんこれは、
個人が、生まれながらに背負ってしまった、
逃れようのないナニモノカの象徴なのでしょう。
その意味では、人はみな「パンチ」なわけです。

で、
その「パンチ」を背負ったまま、
彼は田舎から、新宿にやってきます。
そして彼が歌舞伎町に到着したとき流れるのは、
この曲です。


これは、この映画が、
「上京者」の物語であることをはっきりと示しています。
(実は、ヒロインも「上京者」です。)
歌舞伎町という、東京の臍の1つを舞台として、
上京者を描く。
これは珍しいことではありません。

方正くんとそのカノジョは魅力的だし、
テンポも軽快で、
強烈な「悪」が登場するわけでもないので、
最後まで気持ちよく見られます。
それははっきり美点だし、
そういう作品をあえて作ったのだと思えます。

ただ、
(制作者たちは百も承知でしょうが)
その分、「甘い」人間たちが多いし、
ラストで語られるメッセージもまた「甘い」印象です。
でも、たしかに、
この映画に「厳しさ」はいらない、
という考え方も理解できます。
そういう作品はたくさんあると言えばあるし。

それにしても、
「洒落男」が流れるということは、
これも授業のネタになります。
ラッキー!

授業へ

というわけで、来週月曜から、
後期の授業が始まります。
(月曜は、休日授業日。)
とはいえ、最初はオンラインなので、
学生たちとは会えないわけですが。
(ゼミを除いて、ですね。)

で、月曜は「文学と都市」で、
東京を描いてきた詩をたどる授業なんですが、
予習のためにいろいろ検索していたら、
こんなコメントを発見しました。


藤村、山本文弥から宇多田に連なる流れの先に、
崎山蒼志というアーティストを置こうとする試みです。
言及されているのは、この曲。



        (MVの映像から)

授業でも使えそうです。

2021年9月17日金曜日

『ワンダーウーマン 1984』

これはほんとに偶然なんですが、
2日ほど前から、

『ワンダーウーマン 1984』

をネトフリで見ていて、
今さっき、見終わりました。
(この手のエンタメの場合、
食後の30~40分くらいだけしか見ないので、
見終わるまでに2~3日かかることもあります。)


で、
それのなにが偶然なのかというと、
昨日見に行った『シャン・チー』の脚本家の一人、 David Callaham は、
この『ワンダーウーマン1984』の脚本にも参加していたんです。
通りで、構図が似ています。

ただ……
『ワンダーウーマン 1984』のほうは、
一言で言って、イマイチでした。
ゆるいところが多いし、
ストーリーにも無理があるし、
さまざまな要素を詰め込みすぎて、
ピントがぼけているし。
ワンダーウーマン自身は、それなりにカッコイイんですが……。
わたしは一般に、
こういう強いヒロインものには点が甘いと思うのですが、
それでも、イマイチと感じました、残念ながら。

そして、だんだん始業開始日が近づいてきました。が!
なんと、最初の3週間はオンラインです。
ただ、大学院のゼミだけは、
月曜から全開で行く予定です。
ベルモンドを追悼します!

2021年9月16日木曜日

『シャン・チー』

話題の映画、『シャン・チー』、見てきました。
院生(たち)が見終わっていて、
一人は早くも時評をアップして


いて、しかもかなり褒めているので、
これは見とかないと、話に乗り遅れる!
というわけです。


で……
すご~~くおもしろかったです。
でも、ネタバレなしでコメントを書くことはできないので、
以下、完全なるネタバレです。
なんなら、
ごらんになってから読んでいただいた方がいいかもです。



*******以下、ネタバレ********

一番唸ったのは、「母親の村」です。
あれは、父親や主人公たちが住む世界に対する、
パラレル・ワールドですね。
ただそれは、いわば理想がされた(≒実在しない)パラレル・ワールド。
で、
その世界は「女性原理」というものに貫かれていて、
通常の「男性原理」社会のカウンターになっている。
ただ、理想化された世界といっても、
すべてが理想的に進んでいるというわけではなく、
そこには「男性原理」的な要素が降りかかってくることもある。
洞窟に閉じ込められていた魔物は、まさに、「男性原理」の、
もっと正確に言うなら、男性原理の核を成す「所有に対する欲望」
(≒帝国主義、植民地主義、家父長主義……)
の形象化に見えました。
だからこそ、魔物は父親に呼びかけ、彼を駆動させるのでしょう。
理想化された世界でさえ、そうした「欲望」を退ける過程では犠牲者が出るくらい、
そのくらい魔物は強烈だと。

そして、『シン・エヴァ』でも、
『西鶴一代女』でも、
「家族」とは「家父長制/封建制」そのものであり、
一般には、そこからの離脱が「近代」への歩みとみられるわけですが、
『シャン・チー』が優秀なのは、そんなことではなく、
そのカウンターとなるパラレル・ワールドを設定したことで、
「近代」とは違う方向へのパラダイム転換の可能性を視覚化したことなのでしょう。
もちろん、シャン・チー自身は、2つの世界に身を置き、
両者をつなぐ役割です。
彼は、2つの世界を往還できる主人公です。
ただし妹については、
事実上「男性原理」世界の住民でした。
そこで、男性原理に則って成功していたのであり、
「村」への希求は薄かった。
その意味では、彼女は映画の「意味」を背負っていなかったように思います。
一方、母と叔母は、二人で一人なのでしょう。

叔母が主人公に武術を教える場面で、
叔母が甥の拳を、
そっと開かせるところがあるのですが、
これは、男性原理から女性原理への、
パラダイム・シフトの瞬間なのでしょう。

もちろん、こういう説明を試みると、
「男性」と「女性」で話を進める危うさはあります。が、
これはそういう映画だと思いました。
脚本の David Callaham は、
『ワンダーウーマン1984』の脚本にも参加していますね。
かなり似た構造にも思えます。
(こちらについては、明日書きます。)

2021年9月15日水曜日

『麻雀放浪記 2020』

またもや、白石和彌監督の作品です。

『麻雀放浪記 2020』(2019)

有名な同名小説を、
いわゆるタイム・スリップものとして脚色したのがこの映画です。


結論から言うと、
エンタメとしては十分おもしろかったです。

雀士であるテツは、1945年11月5日、
麻雀中に雷に打たれ、
2020の浅草にワープします。
メイン・ストーリーは、
彼が1945に戻れるのか、
また、2020において、
彼の麻雀はどんな形になるのか、
ということ。
で、サブ・ストーリーが、
テツと、
2020で彼を助ける地下アイドル・ドテ子との恋愛です。
(彼女のネーミングは、
原作から来ているわけですが、
今の時代、ちょっと使うのがイヤです。)

彼女は、単純なようでいて、
考えてみるとなかなか複雑です。
まあ雑に言えば、自尊心が希薄で、
求められれば誰とでも寝てしまうのです。
(「嫌われたくないから」という理由で。)
これはもう、
現代の女子学生たちに勧められるような生き方ではまったくないのですが、
かといって、彼女自身は、
嫌いになることはできないキャラです。
(それは、自己犠牲が徹底しているからであり、
無限の受容を象っているからでもあるんですが、
ただ、
そういうキャラを「嫌いになることはできない」
と書いてしまうと、それもまた、
男性的ファンタスムをなぞっていることにもなるでしょう。
なので、さっきはそう書きましたが、
一応、撤回しておきます!)

また、彼女の中には、
「強者」への憧れがあるように描かれています。
それは、厳しくいえば隷従の希求とも言えるでしょう。
(厳しすぎますが。)
「強者」は「動物」として出現し、
それがやがて……

そして、メイン・ストーリーに戻ると、
これは、『凪待ち』でも描かれた、
ギャンブル依存が根底にあります。
ギャンブルのスリルを通してしか、
生きている実感を感じられない、というわけです。
たしかにギャンブルには、
強烈に高揚させるところがあるし、
中毒性もあるのでしょう。
今回のテツは、1945から来ました。
つまりギャンブラーは、
過去にも、現在にもいるということですね。

2021年9月14日火曜日

『西鶴一代女』

溝口の「傑作」と言われる

『西鶴一代女』(1952)

むかしBSだったかで見た記憶があるんですが、
アマプラ散歩中に見かけて、
(まあ、ほとんど覚えていないこともあって)
見てみることにしました。
1950『羅生門』、
1953『東京物語』、
1954『ゴジラ』、
の間に挟まれていることになります。


2時間近い長尺。
舞台は江戸時代の奈良。
そこで暮らす一人の女性が、
変転しながらも「転落」していくさま描いています。
時間の構成はよくあるタイプで、
まず冒頭に「現在」を置き、
そこから長い回想に入り、
最後はまた「現在」に戻って、
少しだけ変化があって終わる、という流れです。
もちろん中心は、長い回想にあります。

中級武士の家に育ったお春、
「低い身分」の男性との逢瀬が「犯罪」とされ、
男性は死罪、
お春の一家は洛中を追放されます。
その後お春は、松平家の殿様の「妾」となり、
男児を出産したりもしますが、
結局は追い出され、
父親が作っていた莫大な借金のために遊女になり、
いったんはやさしい男と所帯を持つことができたものの、
夫が物取りに殺され、
それ以降は、転げ落ちるように、
最底辺の娼婦にまで成り果てます。
権威主義と、家父長制と、男性中心主義に翻弄され、
受動的な生き方以外選ぶことが許されなかった環境で、
お春はもがき、墜ちてゆきました。

というわけで、物語はつらいものですが、
やはり、映画としては、見応えがある。
白黒で長尺ですが、
まったく苦にならない。
さすが「傑作」と言われるだけのことはあると思いました。

こういう映画なので、
「PC的にアウト」の箇所などいくらでもありますが、
そうしたものも、
なんというか、
突き放して撮られており、
家父長制などを擁護している印象はありませんでした。
(とはいえ、
こういう制度を告発するのではなく、
女性の悲運という物語にしてしまうこと自体、
現代においては評価しづらい、
という意見もありえるのでしょう。)

1952年に見た観客たちは、
自分たちの時代と、
どの程度重ねてみていたのでしょうか?
訊いてみたいですね。

2021年9月13日月曜日

Into the night <2>

というわけで、シーズン2も見終わりました。が、
Mmm... この<2>はイマイチだったかな。
これはもう、完全にセットで作られていて、
(まあ、それを言うなら、
<2>も終わってないので、
間違いなく<3>があるのでしょうが)
それはそれでもちろんいいのですが、
<1>では、行動のドラマだったものが、
<2>では、むしろ心理や駆け引きのドラマとなってしまい、
なんというか、停滞感が強かったです。
そして、それを補おうとするかのように、
人間たちは感情を高ぶらせるのですが、
新たに登場した兵士たちに人間としての魅力がほとんどなく、
あまりいいところがありませんでした。

(ローラン・カペリュートは、
その家族が「エジプト系」だったことが判明します。
第3次中東戦争の話も、ちらっと出てきます。)

<1>はすごくよかっただけに、残念!

2021年9月12日日曜日

Into the night

ベルギーのドラマ?
フランス語? 
ああ、フランス語なんだ。
へえ、どんな感じ?
……と思ってちょっと見始めたら止まらなくて、
それに1話が短めなので、
もうシーズン1を見終わりました!
これです。

Into the night (2020)


SFです。
太陽に異変が生じ、
その光にさらされると、人間は死んでしまう!
それに気づいた NATO 所属のイタリア人軍人が、
ベルギーの飛行場に乗り込むと、
警備員の機関銃を奪って旅客機をハイジャック。
何でもいいから西へ行け!
そう、飛行機で飛び続け、太陽を避けようというのです……

なかなかすごい始まりです。
ハイジャックされた飛行機は飛び立つのですが、
もちろん燃料の問題もあるし、
食料だって足りなくなるし、
どこかで降りなくてはなりません。
で、着陸し、いろいろ補充して、
また飛び立つのです。
でも、どこへ?
Into the night.
というわけです。

物語が切迫していて、
その緊張感に引っ張られて見始めたわけですが、
もう1つの理由は、
飛行機のパイロットを演じていたのが、
ローラン・カペリュートだったことです。
『黒いスーツを着た男』で、
目撃者のカレシである大学教員を演じていた俳優です。
他の映画でも彼を見かけた記憶はありますが、
こんなに大きな役は、わたしは初めて見ます。

そして話が進む中で分かっていくこと、
それは、飛行機の乗客が、
イタリア人軍人に加え、
元ベルギー軍の女性兵士、
トルコ人、
モロッコ系の清掃員、
ポーランド系の整備工、
ロシア人親子、
父親がイタリア人のベルギー人インスタグラマー、
アフリカ系移民の看護師、などなど、
多彩な面々に構成されていることです。
これはやっぱり、
邦画では出会いにくいおもしろさですね。

とにかく、
すごく引き込まれます!

LISA

ソロ・デビューでこのパフォーマンス。
仕上がりのレベルが、ヤバイ。

2021年9月10日金曜日

Soprano / Billy Eilish

Soprano の新譜が発売になりました。

Chasseur d'Etoiles

です。


タイトル・ナンバーはこれ。


注文してみることにします。

それはそうと、最近クルマで聞いているのは、
Billy Eilish の新譜です。

彼女が、今までの自分の曲の中で1番好き、
と言っていたこの曲も収められています。
(蛇は、自分を拘束しようとするもの、なのでしょう。)


自分を更新し続ける彼女は、まぶしいです。



『シン・エヴァンゲリオン劇場版』

というわけで、やっと第4部まで見ました。
評判通り(?)、未消化な部分がいくつも残っていますが、
観客を最後まで引っ張っていく力があることは確かだと感じました。

おそらく言われ尽くしていることなんでしょうが、
『序』『破』あたりは、
「父親の愛」に関わる葛藤がモチーフに見えました。
『Q』では、
肉体と精神に分離した2人の母親(初号機/綾波)と息子の物語にも見え始め、
『シン』になると、
明らさまなエディプス・コンプレックスのテーマ、に見えました。
ただまあ、それぞれの文脈では、
はっきりした着地点が示されておらず、
またモチーフ/テーマ同士の関係も、
曖昧なまま終わった憾みはあると感じますが。

また、これも言われ尽くしているのでしょうが、
やはり、綾波レイが、「感情」を学んでいく過程が、
「現代的」に見えました。
観客もまた、それらを(綾波とともに)順に学び直すわけなのでしょう。
そして、綾波は美形なので、
(性的なプレゼンテーションもあるわけだし、)
彼女が生きる過程を愛おしく思う人たちがいても、
不思議はありません。

「その後の世界」という意味では、
『ナウーシカ』を思い出しますが、
この点については、院生の評が触れています。


自分からは見ないだろう作品だったので、
なかなか勉強になりました。

ねんね


昼間はあちこちに引っ込んでるんですが、
夜になって、
こちらがソファにいると、
なついてきます。
手枕をしてあげると、すすんで頭を乗っけてきます。
かわいいです。

2021年9月9日木曜日

『Q』

『エヴァンゲリオン』、今日は『Q』を見てみました。


最初、前2作との繋がりが分からず、
かなり戸惑いましたが、
なんと、これは前作から14年も経っているという設定でした。
にもかかわらず、主人公は成長していない!
分かりにくいわけです。

昨日、これは「父親の愛」を巡る物語のようだ、
と書きましたが、
いきなり違う要素が出てきてしまいました。
主人公の少年シンジが乗るエヴァンゲリオン初号機は、
どうやら、彼の母親の魂(?)が埋め込まれており、
また、彼を「守る」と宣言していたいたいけな少女は、
やはり彼の母親の遺伝子を使って作られたようなのです。
つまりシンジは、
精神と肉体に分化した二人の母親とともにいたことになります。
本人は、深い孤独を囲っているようでしたが、
実際は、ということですね。
(ただ、本人はそんな事情を知らないわけなので、
やはり孤独ではあったでしょう。)

こうしたことが何を意味するのか、
それはよく分かりません。
そもそも、映画を見ているだけでは、
分からない要素が多すぎる気がします。
それ以外のところから情報を得てくるのを、
前提としているかのようです。

そして実は、今年発表された第4部、
『シン・エヴァンゲリオン劇場版』も、
冒頭だけ見ました。
なんと、パリでした!

『エヴァンゲリオン』

わたしの研究室の院生が、

『シン・エヴァンゲリオン劇場版』

の時評を発表しているので、
わたしも見ておこうと思ったのですが、
いや待てよ、
どうせ見るなら初めから、と思って、
見始めています。
知らなかったのですが、映画版『エヴァ』は4部作で、
序 / 破 / Q  
そして今回の作品、となっているのですね。



で、
まずは『序』と『破』を見てみました。
アニメはあまり得意じゃないんですが、
この2作については、
すんなり最後まで見ることができました。
というか、おもしろかったです。
ただ、予想していたよりも、はるかに情緒的。
なにしろ主人公の少年にとっての最大の関心事は、
父親の愛、であり、
それは、少年を世話する若い上司も同様なのです。
侵略者 vs. エヴァンゲリオン
だけでは、単なる子供向けになってしまう、ということなんでしょうか?
このテーマには乗れませんでした。

一方、
「国」が全面に出てきていない点は、
好感が持てました。
さらに、「人類」を守ることについてさえ、
その抽象度にコミットできないとためらう感じも。

この後も見てみます。

『凪待ち』

白石監督作品、6本目は

『凪待ち』(2019)

です。


なかなか重い、そして見ているのが辛い映画でした。
いい映画、と言っていいかなと思うのですが、
ストーリーの展開のさせ方が、
なんというか、オセロのようで、
表が裏に、裏が表に、
ということが、さまざまな「糸」において繰り返されます。
その感じが、
やや、作家の「手」が見える感じではあります。
徹底的に、と考えたのでしょうが、
それがかえって、
「手」の存在を際立たせる結果になったというか。

背景に置かれているのは、東日本大震災です。
肉親が流され、
美しい海が失われ、
引っ越した先で「ばい菌」扱いされ、
いまだ除染は終わらず、
そこには反社会勢力が関わっている……
このあたりは、背景としてうまく機能していると感じました。
かりにこの「背景」が主人公だとすれば、
物語上の主人公であるギャンブル依存症の男は、
その案内人のようでもあります。

ものすごく勝手なことを言うなら、
もう少し「要素」を減らして、
なんというか、
「美しい風」みたいなものを時折吹かせてくれると、
もっと豊かで、
日常性に接近する作品になったかなと思います。
ほんとに勝手な感想ですが。

2021年9月7日火曜日

Jean-Paul Belmondo est mort

ああ、ベルモンドが……
でも、88歳なんですね。
残念ですが……


実は、後期の大学院のゼミは、
前期の流れを引き継いで、
ドロンとベルモンドから始める予定でした。
そう、ジャン・ギャバンからジャン・マレー、
そしてジェラール・フィリップと来て、
その次ですね。
ゼミの予定に変更はありませんが、
まさか追悼ゼミになるとは。

ベルモンドで印象に残っているのは、
(まあ、『勝手にしやがれ』を別格とすれば)
やっぱりこれかな。


これ、邦題は、

『恐怖に襲われた街』

です。
アマプラに(有料ですが)あります。
ゼミで見る予定です!

2021年9月5日日曜日

『サニー/32』 『止められるか、俺たちを』

白石監督の作品、

『サニー/32』(2018) 
『止められるか、俺たちを』(2018)

を見てみようとしたんですが、
前者は、途中で挫折してしまいました。
これは、ある中学の女性教師が、
子ども時代に殺人を犯した別人と勘違いされ、
この犯人を崇める狂信的集団に誘拐・監禁される、
というお話です。
途中までなのでいい加減ですが、
おそらくは、こうした物語から、
「現代の病理」とか、「闇」とかいうものを
析出させようという試みなのでしょうけれど、
物語そのものにまったく乗れませんでした。

後者は、
故・若松孝二監督、および彼の独立プロに集まってきた人たちの、
いわば青春群像劇で、
時代は、1969年から72年までです。
三島由紀夫が自殺したり、
パレスチナ問題が登場したり、
時事的なネタも入っています。
(ちょっと不思議なのは、
わたしから見れば1回り以上年下の若い監督から、
この時代の話を聞くことです。)


こちらは、最後まで、
それなりに興味を持って見ることができました。
ただ、なにしろ今から半世紀も前のことなので、
登場人物たちが話す内容の、
問題設定そのものが、遠いものに感じられます。
なので、
問題を一緒に考えるというよりは、
そういう問いを大事にしていたのね、という感じでした。
また、たとえば、
若松監督と足立正生が、パレスチナ問題に関わっていく件など、
(まあ、事実とはちがうのかもしれませんが)
かなり情緒的に見えます。
パレスチナ問題の歴史的経緯も、
ヨルダンとの関係も、一切説明はありません。
また、若松監督が終始言い続ける、
「ぶっこわす」といういわばアナーキーな宣明もまた、
(どれほど深いとしても)
情緒的なものに感じられます。
もちろん、それが悪いというわけではありませんが。

映画も見ず、本も読まず、
(本人によれば)誰の影響も受けず、
映画を撮り続けた監督……
というイメージが提示されるわけですが、
正直言って、ピンときません。
映画を見、本を読み、
可能な限り多様な影響を受けた監督の、
そのネットワークの編み目からにじみ出してくるような映画、
わたしはそちらのほうに惹かれます。
もちろん、観念的なものを求めているわけではまったくありません。
映画なんですから。

というわけで、
これで白石作品を、4本+途中まで1本、
見たことになります。
ネトフリで、生活が変りましたね。

「ヒトラー選挙戦略」に推薦文

過去のことですが、忘れてません。



ダメですね。
(「ナチのやり方を見習ったら?」と同じくらいダメ。)

Battle Cry of Freedom/There is Power in a Union

昨日見た『ソルジャー・ブルー』のエンディングでは、
この曲が流れます。

Battle Cry of Freedom

日本で「自由の喊声」と呼ばれるこの曲は、
南北戦争中の1862年に作られ、
北軍の愛国歌として有名になったようです。
そして1864年には、
大統領選挙に立ったリンカーンが、
選挙運動中に使ったということです。(←以上、英語版wiki)
それほど人気があったわけですね。

で……

なぜこの曲のことを調べようと思ったかと言えば、
これと同じメロディーが、
『パレードへようこそ』のエンディングでも流れるからなんです。
なぜ、(残虐な)北軍が意気揚々と歌うこの曲が、
ゲイ・パレードでも歌われるのか?
変ですよねえ。

『パレードへ』のほうで使われているのは、これです。

There is Power in a Union
(←かっこいいですね。)

同じメロディー、です。
でも実はそれは当たり前なんです。
というのは……

この、労働者の団結を高く掲げる歌は、
1913年、Joe Hill によって作詞されました。
ただしメロディーは、Lewis Jones が1899年に作曲した、
この曲のそれを使い回していました。

There is Power in the Blood

そして時代は下り1986年、
Billy Bragg が、
そのサード・アルバムにThere is Power in a Unionを収録することになったとき、
歌詞を少し変え、
メロディーは別の曲のものを使うことにしました。
そして選ばれたのが、
Battle Cry of Freedomだったのです。

あまりに違う状況に、
同じメロディーが流れるのは、
こういういきさつがあったからなんですね。

「本気の共闘」

もう、どうして枝野氏はこれができないの?


古い支持母体に執着してないで、
今人々が何を望んでいるのかを想像して欲しい。
で、わかって欲しい。

このままじゃ、
same old 茶番劇を見てるだけ。

 

Mr. 次の質問

次の総裁候補に、
<Mr. 次の質問>とでも呼ぶべき人がいます。


記「協議に影響与える懸念もあると思いますが?」 河「次の質問どうぞ」 記「なぜ質問に次の質問どうぞと言うんですか」 河「次の質問どうぞ」

ああ、これ授業でやったら、
間違いなく、
学生が事務に苦情を言いに行く事例ですね。


2021年9月4日土曜日

『ソルジャー・ブルー』

ちょっと気分を変えて、
1970年制作のアメリカ映画、

『ソルジャー・ブルー』

を(アマプラで)見てみました。
この映画は、それまでの西部劇のパターン、
つまり<インディアン=悪者>という浅薄な定型を壊し、
インディアン(ネイティブ・アメリカン)の側からの視点を提示した、
新しい西部劇の嚆矢として知られています。
わたしは不勉強で、今回初めて見ました。


( ↑ アマプラの画質は、もっとずっときれいです。)

舞台は1864年のコロラド。
つまり南北戦争のただ中なんですが、
物語の構図は、北軍とネイティブ・アメリカンの敵対関係にあります。
(いや、正確には「敵対」という単純なことではないんですが。)
そしてその両者の立場の「広報官」的一にいるのが、
青い制服、
つまり北軍の兵士(ソルジャー・ブルー)であるホーナスと、
ニューヨークに生まれ育ちながら、
この2年ほどはシャイアンとともに暮らしていた白人女性、クレスタです。
ホーナスの部隊がシャイアンに襲われたとき、
この二人だけが生き残り、
そこから、隊の砦を目指す道中が始まります……

この映画を、
ホーナスとクレスタの恋愛映画と見ることは可能でしょう。
北軍の「正義」を信じていたホーナスは、
北軍の残虐ぶりと、
ネイティブ・アメリカンたちの実際を伝えるクレスタの言葉に、
少しずつ、変ってゆきます。
それが彼らの恋愛の形です。

ただ、やはりそれは二次的要素なんでしょう。
この映画の価値は、ラスト30分の、
北軍によるネイティブ・アメリカンたちの虐殺の提示にあります。
この映画は、「サンドクリークの虐殺」を題材にしています。


「アメリカ人」は、
そもそもネイティブ・アメリカンたちの土地を強奪したわけですが、
それでは飽き足らず、
白旗を揚げ、
友好の印にもらった星条旗まで掲げていたネイティブ・アメリカンたちに向かい、
大砲を撃ち込み、
銃撃を仕掛け、
さらには、陵辱の限りを尽くしたのです。

ここに描かれている北軍の姿は、
ヴェトナム戦争以降、
アフガンへの侵攻まで、
さまざまな場面での米軍の姿と二重写しになります。
50年以上前、1970年にこんな映画が作られていたなんて。
もっとずっと早く見ておくべきでした。

『日本で一番悪い奴ら』

白石和彌監督の、『凶悪』に続く作品、

『日本で一番悪い奴ら』(2016)

を(ネトフリで)見てみました。


この映画は、
20年前、北海道警察で実際にあった「稲葉事件」、
に基づいたフィクションとのことで、
タイトルによって指さされているのは、
映画には現れない道警の上層部、ということなのでしょう。

本人によれば、「柔道と喧嘩しか能がない」諸星は、
その柔道を買われ、道警に就職することができました。
その後、ピエール瀧演じる先輩の忠告に従い、
「点数」を稼ぐことに専心します。
(たとえば、殺人犯を逮捕すれば18点です。)
そののめり込み方は尋常ではなく、
しかし、これが当初は功を奏し、
諸星はあっという間にすすき野の「顔」になってゆきます。
暴力団内に多くの「S(スパイ)」を抱え、
彼らの情報により次々と「ホシ」を挙げてゆくのです。
道警の方も、そんな彼を利用し、
違法捜査を押しつけることで、
自分たちの実績を上げることに夢中になります。
ただ、この諸星と道警の「蜜月」も、
長くは続きませんでした。
諸星が信用していたSが、彼を裏切り……

悲しいのは、
道警から与えられた数々の賞状を、
諸星が部屋に飾っていることです。
彼は、自分が、
大きな権力構造の中のコマであることに気づくどころか、
「エース」というアイデンティティーに有頂天になり、
いわば「自発的隷従」を強化していくのです。

映画は、ラストに「メッセージ」を置くことで、
ある種の倫理性を担保しようとし、
それはある程度納得いくものではあるのですが、
映画としての醍醐味は、
諸星がのめり込んでゆくそのドライブ感であり、
ちょうどその裏面に当たる、
諸星の哀れさなのでしょう。

飽きる部分は一切なく、
最後まで一気に連れて行かれました。
もっと見てみます。

2021年9月2日木曜日

『凶悪』

昨日に続いて、
白石和彌監督の作品、

『凶悪』(2013)

を見てみました。
彼がブレイクを果たした作品という位置づけのようです。


これはベストセラーになったノンフィクションの脚色です。
須藤という死刑囚がいて、
彼が獄中から、「先生」の犯罪を告発します。
自分が死刑なのに、
その自分を操っていた「先生」が、
シャバでのうのうと暮らすのは許しがたい、
というわけです。
とりわけ須藤は裏切られることを嫌う人間であり、
彼にとっては、
もっとも重大な局面で裏切り続けていたのが「先生」なのです。
で、彼の告発に答えるのが、若い編集者、藤井。
彼の中には、いつか、
須藤のそれをもしのぐ執念が巣くっていき……

いい作品でした。
新人の2作目だと思うと、恐るべし、というほど。
ただ、『孤狼の血』と比べると、
映画の豊かさというか、
複雑な要素の渾然一体感という点では、
一歩譲るかも知れません。
また、わたしの印象では、
記者・藤井の人間性が、今ひとつはっきりしない。
彼の無表情も、もちろん意図的にそう演出しているわけですが、
ちょっと単調。
妻との関係も納得いかないし、
そもそも妻が、この夫を好きでい続けられる理由がわからない。
妻を、藤井の行動に対するアンチとして設定しているのはわかりますが、
彼女の扱いがやや表面的だと感じました。

……と書きましたが、
いい映画であるのは間違いないと思います。

2021年9月1日水曜日

『孤狼の血』

『孤狼の血 level 2』が公開され話題になっているので、
とりあえずネトフリで、「1」にあたる

『孤狼の血』(2018)

を見てみました。


これは……
暴力シーンがそれなりにあるので、
それが苦手な人には勧められませんが、
映画としては、抜群におもしろかったです。
舞台は1988年の広島。
抗争する2つの暴力団。
その「戦争」を止めようとするベテラン刑事と、
彼とコンビを組んだ新人刑事。
こんな感じの、「ベテラン刑事と新人刑事」ものは、
もう数えられないくらい作られていますが、
今回は、その二人の落差がことのほかひどく、
観客であるこちらまでくらくらするほどです。
そして暴力団抗争。
雰囲気は、誰が見ても『仁義なき戦い』で、
血の飛び散り方の生々しさはその直系だと感じられます。

暴力団ものなのか、
刑事物なのか、
そのバランスの取り方がすごくうまくて、
もう、両者が渾然一体となり、
ほとんど新しいジャンルであるかのようです。

この監督の作品、
もっと見てみることにします。
(ほかにも見るべきものがたまってるんですが……)