2016年9月29日木曜日

Alain Delon

アラン・ドロンの名は、
わたしが高校生の頃は、
まさに「スター」そのものの響きがありました。

でもここしばらくは、
極右だと批判されたり、
あまりいい評判は聞きません。

今回の彼のニュースは、
サルコジに見限られて、
ジュペに投票するつもり、
というもの。

https://fr.news.yahoo.com/alain-delon-d%C3%A9laiss%C3%A9-sarkozy-votera-jupp%C3%A9-075700873.html

2016年9月28日水曜日

「今日の宿題」

B & B によるこの企画、なかなか面白いです。
いろんな人が、順番に、
「宿題」を出してゆきます。

http://pinsagram.com/photo/BK4xv_xBDYJ

福岡の書店です。

Merci !

杉並区の、
『フラ語』シリーズの読者の方から、
応援のお葉書をいただきました。
Merci beaucoup !

今更言うまでもないのですが、
日本語と英語だけでアクセスする世界は、
もちろん「世界」ではありません。
もちろん、そこにフランス語が加わったところで、
「世界」に到達できるわけではありませんが、
それでも、
やはり、
日・英だけで見る世界とは、
違うものが見えると思います。
どうぞ、楽しんで&がんばってください!

*1級を目指すなら、
まずは基礎固めとして、
『フランス語初級卒業講座―文法が好きになる1200問』
のなかの、
1200問すべてをやりつくすというのはいかがでしょうか?
全部やれば、かなり力が付くことは保証します。
で、そうして基礎が固まったら、
そこからさらに高みを目指します!
(その頃には、映画でも、小説でも、
ニュースなどでも、
お気に入りの方法で勉強できるレベルに、
近づいているでしょう!)


2016年9月27日火曜日

「ペルソナ ―奇妙なほど人間的な」

今、ケ・ブランリ博物館で開催されている、

「ペルソナ -奇妙なほど人間的な」

は、おもしろそうです、
見られないけど(涙)。

せめで紹介の動画を。

https://www.youtube.com/watch?v=zguah18D8ds

「生命のないものは、どうすれば、
生き生きとしたものになるのか? 
人々はモノとの間で、どのようにして、普通ではない関係、
あるいは親しい関係を、築くのだろうか?」


2016年9月26日月曜日

Je peux pas fermer la porte.


あなたがずっとそこで寝転んでるから、
ドアが締められないんですけど。

アルキに対する謝罪

これは、かなり大きなニュースだと思います。

http://www.lemonde.fr/politique/article/2016/09/25/francois-hollande-reconnait-la-responsabilite-des-gouvernements-francais-dans-l-abandon-des-harkis_5003061_823448.html

選挙にらみ、ということがあるにせよ、
フランスの大統領が、アルキに正式に謝罪しているわけですから。
今後これが、正式な文書になるかどうかも、重要です。

*アルキ:アルジェリア独立戦争時に、
  フランス側に協力したアルジェリア人たち。
  戦後、アルジェリアに残ったものは多く虐殺され、
  フランスに渡ったものも、劣悪な環境に放置された。

  『アイシャ』など、
  多くの映画に登場していて、
  彼らとFLN(独立派)は、
  今も険悪です。
  両者の子どもが結婚するのは、
  とても考えられないと、
  以前メディ君も言ってました。

レイラ・ベクティが娘役をやった、
そのものずばりの映画もありました。

https://www.amazon.fr/Harkis-Sma%C3%AFn/dp/B00120S9F0/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1474851629&sr=8-1&keywords=harki

今彼女は人気女優ですが、
こうしたアイデンティティがあることも事実です。

2016年9月25日日曜日

Les Chevaliers blancs

ヴァンサン・ランドンとレダ・カテブが出ているというので、
これは見なくてはと思って見始めたのは、

Les Chevaliers blancs (2015)

です。

https://www.youtube.com/watch?v=N5nvxDEqX0Y

「白い騎士」ないし「白人の騎士」というタイトル、
そして、アフリカの戦災孤児を救い出しに行くという内容から、
白人中心主義のエンタメだったらいやだなあと思っていたのですが、
なんともいえず消化不良な感じの残る映画でした。

実はこれ、2007年にあった、
「ゾエの箱舟」事件に取材しています。

http://www.afpbb.com/articles/-/2343407?pid=2571150

つまり、フランスのNGO団体が、
ダルフール当たりの戦災孤児をフランスに連れ帰り、
養子を欲しがっている家庭に託そうとする話です。
ただ映画でも、孤児たちを連れてくる際は、
NGOが建てた孤児院で預かると嘘をつき、
ある朝、逃げるように旅立とうとします。

現実の事件では、
子どもたちは孤児ではなく、
ダルフールではなくチャド人でした。
どうも、うさんくさい事件で、
それを映画にするのもどうなのかとも思いますが。

消化不良感の残る作品でした。

『寝るまえ5分の外国語』

わたしの周りでは話題の、
そしてとても評判のいいこの本、
堀江さんの書評が出ました。

http://mainichi.jp/articles/20160925/ddm/015/070/025000c

ほんとに、堀江さんの言う通り、
語学書が書評の対象になることはほぼまったくありません。
ただ、黒田さんが連載していたコラムだけが例外なのでした。
だからそのコラムは、
語学書を書く人間にとっては、
とてもうれしい&励みになるものでした。
それがついに、本になったわけです。めでたい!
(ありがたいことに、
『フラ語デート会話』
『フラ語入門』
の2冊も、取り上げられています。)

語学書の書評を読ませるなんて、
よっぽど書き手でじゃなければできません。
黒田節、ここにありです!

『赤い手のグッピー』

<古典>第14弾は、
ずっと気になっていた1本、

『赤い手のグッピー』(1943)

https://www.youtube.com/watch?v=qoND_z6R4yU

です。
以前挙げたジャック・ベッケルの作品例をもう一度。


1943  赤い手のグッピー
終戦
1947  幸福の設計
1949  7月のランデヴー
1951  エドワールとカロリーヌ
1952  肉体の冠
1953  エストラバード街
1954  現金に手を出すな
1958  モンパルナスの灯

で、今回の映画は、比較的比喩があからさまで、
やはりこのジャック・ベッケル監督は、
こうしたことを考えたいたんだなと、
あらためて思わされました。

その「あからさまさ加減」は、
登場人物たちの名前(あだ名)にも感じられます。
彼らはみんな、グッピー一族です。
(表記としては、「グーピ」のほうがよかったと思いますが。)
これはgoupil(人を騙すキツネ~反権力)から、
語末の l を取ったもの。

アンペルール(皇帝):106歳:唯一、宝の隠し場所を知っている。

ラ・ロワ(法律):アンペルールの息子~始終、銃の手入れをしている。

ラ・ロワの子どもたち4人(ラ・ベル以外は50歳代)
ラ・ベル(美女~かつての「マリアンヌ」):19歳の時、赤い手との結婚を反対され自殺。
ティザンヌ(煎じ薬~病気):独身のガミガミ屋。殺される。
レ・スー(ケチ~拝金主義)
ディクトン(ことわざ~固定した古い知識)

カンカン(悪口~不満):レ・スーの後妻

ムッシュ/クラヴァット(ネクタイ~都会的消費生活):レ・スーと前妻の子。若い。

ミュゲ(すずらん~メーデーの花・労働者):ディクトンの娘。若い。

マン・ルージュ(赤い手~労働者):瀕死の皇帝から、宝の在りかを教えられる。

トンカン(ハノイ~植民地)

「宝」とは、「皇帝」の父が見つけ、
彼に託したもの。
(それは、フランス革命の理念なのでしょう。
映画内では、ゴールドのこと。)
そして「法律」は、19世紀を通じて、
革命精神(=共和制)を敗北に導きます。
(7月王政、第二帝政、パリ・コミューン……)
だから「皇帝」は、大事な「宝」を、
息子ではなく「赤い手」に託します。
「赤い手」もまた、かつて「法律」により、
「美女」(=フランス)との結婚を禁じられた過去があります。
(→労働者は、フランスを動かす主体になれない。ここ大事。)
で、現在のフランスは、
病気でケチで思考停止。
そして未来のフランス(「すずらん」)は、
だれの手によって運営されるかと言えば、
それは「ネクタイ」。
デパートのネクタイ売り場で働く青年です。
(植民地主義は、彼女を幸福にしない。)
人民が死に絶えたフランスで、
マリアンヌ(フランス)を支えるのは、
こうした小市民なのだ……

たしかに、そんな風に見えます。
なんと、一族の物語の中に、
革命以来のフランスの歴史が組み込まれています。
ジャック・ベッケル監督、おそるべし!

2016年9月23日金曜日

ふらんす10月号


10月号、明日発売です。

今回の「映画の向こうにパリが見える」は、
おそらく、あまり知られていない映画、

『セリ・ノワール』(1979)

を取り上げました。

https://www.youtube.com/watch?v=P7QbCk4IU38

この、クレテイユを舞台にしたフィルムについては、
以前、ここでも取り上げましたが、
とにかく、パトリック・ドヴェールの演技を見るだけでも、
見る価値があると思います。
監督のアラン・コルノーは、
実は何度か、このクレテイユを舞台として使っています。
原作小説(『死ぬほどいい女』)も、とてもいいです。(すさみ方が。)

2016年9月22日木曜日

『兵隊やくざ 脱獄』

授業が始まって2日、
久しぶりに声を出す(90分× 3)ので、
やや喉が疲れます。
でも、やっぱり大学の雰囲気はかなり好きです。

で、帰ってきて見たのは、

『兵隊やくざ 脱獄』(1966)

です。
これはシリーズ第4弾にあたり、
監督は3人目の森一生です。
これは、よかったです。
撮影、特に画角が、わたしは好きでした。
また、脚本も優れていると思いました。
遊女と二人の兵隊が会話する場面など、
3人の言葉のかみ合わなさ具合など、
感心しました。
ストーリーも引き締まっていて、無駄がないし。
第1作の次によかったです。

2016年9月19日月曜日

『パレードへようこそ』

直前の投稿で上げたリンクの中に、
見ようと思って見逃していたイギリス映画がありました。
で、見てみました。

『パレードへようこそ』(2014)

とってもおもしろかった!
まさに「笑いあり涙あり」で。

https://www.youtube.com/watch?v=qas9Qd5QwPM

舞台は1984年、
サッチャーが新自由主義的な
(つまり格差拡大に直結するような)
政策をごり押ししていた時代です。
彼女の意向で、
赤字の炭鉱は閉鎖、と決まりましたが、
実際当時のイギリスには、
数十万人の炭鉱夫がいて、
彼らの多くを一気に失業させる勢いでした。
(マーケットに任せる、というわけですね。)
http://www.newsweekjapan.jp/joyce/2013/04/post-65.php
で、
やはり当時官憲に虐げられたいたLGBTのあるグループが、
炭鉱夫を応援しようと立ち上がります。が、
ゲイの支援なんかいらない、
と彼らは言うのです。
でも、とある村の炭鉱夫組合だけが、
支援を受け入れるというのです……

イギリスでは、1967年まで、
同性愛行為は違法でした。
(驚きですが。)
また、映画の舞台である84年当時になっても、
20歳以下(未満じゃありません)のそれは違法でした。
(驚きですが。)

そういえばドナ・サマーって、
(少なくともある時期までは)
ゲイのアイコンでしたね。
彼女の名前も、ちらりと出てきます。
エルトン・ジョンのポスターも。

#女性映画が日本に来るとこうなる

これ、わかっていたことですが、
こうして並ぶと、ちょっとスゴイですね。

明日から始まる後期の授業、
「映画」関係のガイダンスでは、
これをみて唖然とすることにします。

http://matome.naver.jp/odai/2147384561028197701

『あたらしい野生の地』

http://rewilding.mejirofilms.com/comments

この映画を上映のためのクラウドファンディングに、
微力ながら参加しています。
「コメント」の部分を読んでいただければ、
きっと見たくなると思います。

https://motion-gallery.net/projects/rewilding

よろしければ!

2016年9月18日日曜日

『現金に手を出すな』

<古典>第13弾は、

『現金に手を出すな』(1954)

https://www.youtube.com/watch?v=1wGE4QVFsos

です。
これはジャック・ベッケル作品の中でも、
とりわけ有名なものですね。
(おもしろいのは、この作品、
『ゴジラ』第1作と同じ年の公開であること。)

有名作ですが、その理由の第一は、
ジャン・ギャバンがこのフィルムによって、
スターダムに帰ってきたことなのでしょう。
戦前、労働者を演じてスターになった彼は、
戦中、アメリカに避難し、
戦後、フランスに戻り、いくつかの作品に出ましたが、
それらはヒットに至らず、彼の人気も復活しませんでした。
が、
このフィルムにおける、「嘘つきマックス」の役は当たり、
その後のジャン・ギャバンの役柄に、
決定的な影響を与えたわけです。
(この映画は、フランス映画史全体にも、
大きな影響を与えたとされています。)

それにしても、
誠実で、頼れる労働者を演じていたスター役者が、
時を経て、というか、
観客が実質的な敗戦を経験した後で、
「嘘つき」なギャングを演じて復活するというのは……
観客が求めるものが変化した、
と言ってしまえばそれまでですが、
落差が大きいですね。
(やはり敗戦と、その後の世の中のあり方が……)

この映画のジャン・ギャバン、
めちゃめちゃ貫禄あるんですが、
彼は1904年生まれですから、
この時点で、なんとまだ50歳!
驚きです。
ジャンヌ・モロー、リノ・ヴァンチュラも出ています。

『幸福の設計』


<古典>12弾は、

『幸福の設計』(1947)

やはりジャック・ベッケル監督です。
原題は、主人公夫婦の名前から、
Antoine et Antoinette。

この映画の話に入る前に、

ベッケル監督の作品を少し整理するなら;

1943  赤い手のグッピー
終戦
1947  幸福の設計
1949  7月のランデヴー
1951  エドワールとカロリーヌ
1952  肉体の冠
1953  エストラバード街
1954  現金に手を出すな
1958  モンパルナスの灯

(これ以外にも 5 作品ありますが、
それはちょっと措いておいて。)
つまり『幸福の設計』は、
『7月のランデヴー』の直前の映画ということになります。

若夫婦がいます。
まじめ人のいい夫は製本工場(→文化)で、
活発な妻はデパート(大型スーパー?)で働いています。
メトロの La Fourche 駅近くの小さなアパルトでの「貧乏暮らし」ですが、
若くて愛し合っている二人は、楽しそうです。
ストーリーとしては、
この二人が宝くじに当たるのですが、
換金に行く途中、なんとくじをなくしてしまう、というものです。

まず大事なのは、主人公たちが労働者であること。
というのも、戦後2年、そういう映画は少なくなっているからです。
(この時代に人気があったのは、ジェラール・フィリップだったわけです。
騎士だの貴族だのが、彼の当たり役でした。)

妻アントワネットは魅力的で、
いろんな男たちが狙っています。
隣人のパラサイト青年、
そして、彼らのアパルトの、
通りを挟んで向かいにある食料品店の、
金だけはある、痩せたオヤジ。
アントワーヌは、こアントワネットアントワネットを守ります。
ただ、
二人に対する攻撃は、
こうしたものだけではありません。
最も強烈なのは、「消費財」です。
彼らは、洗面所のあるアパルトも、
スーツも、コートも、バイクも、欲しいのです。
戦後たった2年ですが、ここにはすでに
「消費」
が出現しているわけです。
強欲オヤジは、こうした現実の権化でもあるわけです。

この映画は、
しかしヒットしませんでした。
もう、労働者がブルジョワを倒す映画は、
時代が要求しなくなっていたのです。

そしてベッケルは、こうした結果を踏まえて、
『7月のランデブー』に向かうわけです。

『くちづけ』

増村保蔵のデビュー作は、
1957年のこれでした。

『くちづけ』

80分に満たない短めの映画で、
主演は、翌年の『巨人と玩具』同様、
川口浩と野添ひとみです。

大学生の欣一。
バイト代は月8000円ほど。
父親は今、3度目の選挙違反で、
小菅拘置所に収監中。
当初、10万円(今の200万程度)あれば、
と言われていたが、
後にまだ申請できないことが判明する。
母親は、3年前に離婚して出てゆき、
今は宝石商として、
豪華なマンション暮らし。

画家のヌード・モデルとして働く章子。
月給は6000円ほど。
章子の仕事先には、有名画家もいる。
その息子は、彼女を金で買おうとするが、
うまくいかない。
父親は公務員で、ただし公金を使い込み、
今は小菅拘置所に入り、病気で苦しんでいる。
使い込んだ10万円を返せば、不起訴になるのだが、
その金はない。
母親は結核で、清瀬の療養所に入院中。
入院費は、(父親の逮捕に伴い健康保険を抜けたので)
月に12000円ほどかかる。

この映画には、産業ブルジョワは登場しない。
中で経済的に豊かなのは、まずは画家。
彼は、章子から搾取していることに頓着はしない。
芸術の中に閉じている。
そして、宝石商として成功している欣一の母もいる。

つまり欣一は、
商売人として成功したプチ・ブルジョワである母と、
政治思想を生きることを最優先させている父を持っているのだ。
そして欣一自身は、どちらにも共感してはいないものの、
どちらかといえば母親の側と親和性があるように見える。
将来のプチ・ブルだ。

章子の状況は、ほとんど戯画的だ。
病気の親を抱えて身売りする娘、といった、
あまりに紋切り型の設定に近い。
横領を犯した父親については、
ほとんど描写がなく、
旧いステレオタイプが使われていると言わざるを得ないだろう。
母についても、むしろステレオタイプな造形に思える。

こうした中で、欣一と章子が接近する。
学生である欣一の周りには、
ダンス、バイク、ジャズ、ビーチ、
などがあり、
章子は、欣一と付き合う中で、
こうしたものに出会ってゆく。
章子の個性は、それらを貪欲にむさぼるようだ。
ヌード・モデル、つまり彼女には、
裸以外に売るものがない。
なにか技能があるようには見えない。

エンディングにおいて、
章子は、欣一の母親にリクルートされそうである。
経済的に追い込まれた娘は、
やがてプリ・ブルに成り上がるだろう。

増村はここで、
なにを提示したかったのだろう?
アメリカ化、政治の無効宣言、搾取的芸術……
でもそれは、新しい日本、ということなのだろう。
つい10時間ほど前に見た、
『7月のランデヴー』1949と、似ていなくもない。
これは当時、日本公開されていないのだが。
ただはっきり違うのは、
『くちづけ』の主人公たちは、
結局、プチ・ブルになるだろう、という点だ。
(アフリカに研究に向かう若者たちとは、
かなり隔たっている。)
『巨人と玩具』でも、一応の資本主義批判はあった。
しかしそれでも彼は、
将来の資本主義の勝利と、
「勝ち組」としてのプチ・ブルを遠望していたように思える。
もしそうだとしたら、
それは、大きな限界だということになるのだろう。

2016年9月17日土曜日

『7月のランデヴー』

<古典>第11弾は、

『7月のランデヴー』(1949)

ジャック・ベッケル監督です。

https://www.youtube.com/watch?v=4ORER0VyEZ4

(日本版DVDで見たのですが、長さが96分。
フランス版は95分。
ところが、ciné-ressources の表記では、112分。
なんと、15分ほども違います。
しかもわたしが本で読んだ内容が、
今回の映像にはなかったので、どこかに、112分版があるのだと思われます。
というわけで、
不完全なものしか見てないのですが……)

主な登場人物は ;
           フランソワ(兄)脚本家→テレーズ💛ロジェ(トランペット)

リュシアン(探検家)💛クリスティン(妹)

            ↑
           ルソー(演出家)       ピエロ(肉屋の息子)

探検家、と言われていますが、
今風に言うなら、
民族学者に近いかもしれません。
アフリカの奥地に行って、
そこに住む人たちの生活を映画にしようとしています。

ブルーの文字の人たちは、
みんな演劇関係。
美人のクリスティンは、
兄が脚本を書いた芝居に出られることになりますが、
演技がまずく、自己嫌悪にもなります。
彼女は、中年の俗物演出家ルソーに言い寄られますが、
何とかかわし、リュシアンと婚約します。が、
結局ルソーに奪われ、
それを知ったリュシアンは去ってゆきます。
ただテレーズのほうは、
フランソワのアタックをかわし、
ロジェとのラヴラヴは保たれます。

彼らのたまり場は、
ロジェが出演するライブハウス(?)で、
そこではジャズが演奏されます。
また、ピエロが乗り回すのは、
なんと軍の払い下げらしい水陸両用車で、
これもアメリカ製。
この、戦後4年という時代にあって、
フランスの若い世代の、
熱烈なアメリカ礼賛がよくわかります。
(彼らは、今生きていれば、90歳代です。)

リュシアンは大ブルジョワの出で、
その家は、コンコルド広場に面しています。
内装もチョー豪華。
ロジェの父親は、まじめな教員。
家はサン・ジャック通り沿いの、
現実にはパリ1がある場所です。
(ソルボンヌの図書館の斜め前。)
クリスティンに父親はなく、
テレーズの両親は美容室を営んでいます。
場所は、ノートルダムまで数百メートルの、
ガランド通りと、サン・ジュリアン・ル・ポーヴル通りがぶつかるところ。
そしてピエロの実家は(羽振りのいい)肉屋です。

リュシアンは、
父親が押し付けてくる、
資本主義的&功利主義的価値観、労働観、道徳観を拒否し、
民俗学の研究に向かいます。
この構図は、
リュシアンの仲間たちも大同小異で、
彼らは、現実主義の父親たちに反発します。
ロジェは、映画学校を卒業したのに、
それに関する仕事を探しもせず、
トランペット吹きのバイトに精を出しています。

この映画の1つの図式は、
父親たちと息子たちの対称です。
それは、ブルジョワ的価値観と、
もっと自由な精神の対立とも言えるし、
現実主義的権威と、
理想主義的甘ったれ、とも言えそうです。

トランペットを吹いているロジェも加えるなら、
ワカモノのうちリュシアン以外は全員、
芸能関係に進もうとしているわけです。
これは、上で触れたアメリカ化と繋がりがあるのだ、
という指摘もあります。
そうなのだと思います。

女性はテレーズとクリスティンがいます。
前者は、若く自由で、ただ一方では自立していない、
ロジェと結ばれます。
彼女は、ブルジョワの誘惑に負けなかったのです。
(ロジェが守った、とも言えるでしょう。)
ただ後者は、
結局ブルジョワの誘惑に負け、
リュシアンにフラレテしまいます。

この映画で問題になっていることの1つは、
モラルなんでしょう。
戦後4年目、
監督は、ドイツに降伏した「フランス」を作り直すためには、
ワカモノの力が必要だと感じていたはずです。
未熟で誠実な彼らと、
彼らそれぞれの階層を覆うさまざまなモラル。

エンディングで、
リュシアンたちはアフリカに旅立ちます。
それは、
旧い世界を離れていくという、
暗喩なのでしょうか。

『新・兵隊やくざ』

今日はまず、『サンバ』を見ました。
1年半ぶりです。

http://tomo-524.blogspot.jp/2015/01/blog-post_22.html

これをもう一度、
DVDでゆっくり見てみたのですが、
おもしろかったです。
この映画は、フランスでの評判は芳しくなかったのですが、
そしてそうした批判にも頷けるところもあるのですが、
わたしは好きでした。
燃え尽き症候群で、
不眠を訴えるアリスが、
もしも現代の「マリアンヌ」なのだとしたら……

で、そのあとは、シリーズ第3弾、

『新・兵隊やくざ』

を見たのですが、
Mmm、残念、
1,2,3の中では、
一番出来が悪いと感じました。
エピソード同士がうまく絡まないし、
カタルシスが中途半端だし、
終わりも、やや安易で、投げ出した感じ。

第4作は、違う監督なので、
もう一度期待しましょう。

2016年9月16日金曜日

Zohra

prénomと言えば、
ラシダ・ダティの話もありました。
彼女は、自分の娘に、
早くに亡くなった母親の名前を付けました。
それを、エリック・ゼムールが批判。
こうした「イスラームの名前」は、
「フランスの歴史」に適合していない、
というわけです。

http://www.bfmtv.com/politique/rachida-dati-repond-a-eric-zemmour-sur-le-prenom-de-sa-fille-qu-il-se-fasse-soigner-1036704.html

ラシダの返事は、
「うるせえ、バカ!」
てところかな。

血の川

これは……

http://www.chicagotribune.com/news/nationworld/ct-dhaka-eid-al-adha-20160914-story.html

こういう話、
聞いたことはありますが、
画像は初めて見ました。

Ali

この前、Prénom という映画のこと書きましたが、
あのVirginie Efira が、
娘につけた Ali という名前に関して、
批判にさらされています。
こんな(アラブ風の)名前じゃ、就職できないよ、と。

もちろん、そういう状況自体が最大の問題。
でも、ヴィルジニーは、説明しています。

https://fr.news.yahoo.com/virginie-efira-r%C3%A9pond-critiques-pr%C3%A9nom-082117319.html

その娘の父親と出会ったころ、
彼がヴィルジニーにある役をオファーして、
その映画の主人公の名前がAli だった、
というのですね。
ちなみにお父さんは、チュニジア系の、
Mabrouk el Mechri だそうです。

2016年9月15日木曜日

『モンパルナスの灯』

おととい見た『巨人と玩具』は、
1958年の作品だったわけですが、
今日は、<古典>第10弾として、
同じ1958年に作られた、

『モンパルナスの灯』(Montparnasse 19/ Les Amants de Montparnasse

を見てみました。

https://www.youtube.com/watch?v=JH1SCLUSeeQ

舞台は、WW1 が終わったころ。
モディリアーニの、死に至る晩年を描きます。
ジャック・ベッケル監督です。

これもまた、前回見たのは30年前くらい。
今回見てみて、覚えていたのは、
エンディングの20秒くらい。
そう、リノ・ヴァンチュラが……する場面です。
アヌク・エーメさえ、あまり印象に残っていませんでした。
また、
ジェラール・フィリップがモテモテなんですが、
そういう印象もなく。
これじゃ、見た内に入らないですね。

さて作品ですが、
これはジェラール・フィリップ後期の作品なんですが、
イマイチ当たらなかったようです。
観客たちが、彼に望んでいた役ではなかったのでしょう。
ただ彼にしてみれば、
ベッケルとともに、
新しい地平を目指したのでしょうが。

日本でさえ、『巨人と玩具』のような、
資本主義が突っ走っている時代。
そんな時に、ベッケルはこの映画を作ったわけです。
両者に共通するのは、商業主義なのでしょう。
『巨人』はまさに、宣伝広告が物語の中心にあったわけですが、
『モンパルナス』でも、終盤、
アメリカ人の、大金持ちの香水業者が、
モディの絵を広告に使おうと持ち掛けます。
これは、大金が転がり込むチャンス、
妻も内職から解放される、
と思いきや、
モディは、自分の絵が香水瓶に、
メトロに、看板に使われることに耐えられず、
この話をぶち壊します。
商業主義に身売りしない芸術、
ということなのでしょう。
(その是非は措くとして。)

ジェラール・フィリプは、
まぎれもないイケメンですが、
彼の出ている映画にはあまり興味がありませんでした。
なぜなら、彼の出演作のほとんどは、
文学趣味で、古臭くて、現代からは遠かったからです。
そしてこれは、
ピエール・マイヨーの見立てによれば……
戦後のフランス人は、
ドイツに占領され、アメリカに助けられた現実を見ることを拒み、
そこから出発する未来も拒み、
ただ過去だけ、
「フランス」が輝いていた、
革命からWW1くらいまでの時代に帰ることを望んでいた、
そしてジェラール・フィリップは、奇跡的に、
そうした過去の人物を演じながら、
あたかもそれが現代人であるかのように錯覚させることができたのだ、
ということになるのでしょう。
ただ『モンパルナス』は、
そうしたジェラール・フィリップの映画的ペルソナを、
ベッケルが壊そうとしたものだとも、
彼は言っています。
たしかにモディリアーニは、
今までにジェラールが演じてきた、
ロマン主義的な人物の系譜に置くことができる。
でも今回ジェラールは、
映画の初めから終わりまで、
死の影を漂わせ、
従来の華やかで美しいプリンスではなかったのです。
ベッケルは、
ジェラール・フィリップのペルソナを壊そうとした。
それと同時に、
アメリカ的商業主義に飲み込まれゆくフランスも提示した、
ということになるのでしょう。

ポンピドゥー・センター傑作展


そろそろ会期も終わりに近づいたこの展覧会、
やっと行ってきました。

http://www.pompi.jp/

時代順に作品が並び、
分かりやすい構成でした。
こういう風に置かれていると、
たとえば戦争の時代、
ダダ、あるいはシュルレアリスム宣言の年、
なども意識しながら見られるので、
そうしたことがらと画家の距離も、感じられるのでした。

実はこの展覧会、
わたしが担当する1年生のクラスの夏休みの宿題でもあります。
(好きな絵を3点挙げて、感想。)
ほとんどのレポートが、
まじめに絵と向き合って書かれていて、
この宿題を出してよかったと思いました。

彼らの中に選んだ人はいなかったけれど、
わたしは、アルプがもともと好きなので、
やはり彼の作品に魅かれました。
あと、ブーバの写真(画像)もよかったです。

2016年9月13日火曜日

『巨人と玩具』

『兵隊やくざ』の監督と言えば増村保造ですが、
彼の作品のうち、
学生から推薦のあった

巨人と玩具』(1958)

を見てみました。

この映画は、ちょうどわたしが生まれた年の公開なので、
ああ、こんな時代に生まれたのか、
というのが最初の感想です。
タクシー会社で月給6000円の若い女性は、
子だくさんの家庭に育ち、
今もその「バラック」で、
窮屈な暮らしをしています。
タクシー運転手たちは、
二言目には「景気が悪い」と愚痴ります。
(←ワーキング・クラスです。)
キャラメル会社大手に勤めるサラリーマンは、
なかなか伸びない売れ行きを前に、
資本主義は終わりだ、と言ってみたり、
また中には、
絵にかいたような金儲け主義者で、
自分の健康を犠牲にしても、
とにかく会社のため、自分のために働くものも。
(←プチ・ブルジョワですね。)
無能な社長や重役たちは、
部下を働かせることに熱心で。
(←ブルジョワです。)
そして社内の宣伝部は、
メディアこそが世の中を動かし、
何も考えない大衆は、
結局メディアの言いなりだと見切るものも。
――というわけでこの映画は、
当時の社会を(階層感をもって)描いている面もあります。
そして人物たちの葛藤が、
(浅い深いはともかく)
時代精神と切り離せないのは事実でしょう。

途中、傷痍軍人が出てきたり、
ちらっとですが、ラジオかなにかから、
フランス国歌をBGMに、
アルジェリアがどうとかいう声が聞こえてきたり。
また、アメリカ化の問題も出てくるし。
この辺、とても細かく作っているなあと感心させられました。
後楽園球場も、懐かしかったです。

2016年9月12日月曜日

Le Tout Nouveau Testament

今年の5月に日本でも公開され、
今もぽつぽつ公開が続いている映画、

Le Tout Nouveau Testament (『神様メール)

を(DVDですが)見てみました。

https://www.youtube.com/watch?v=HME_MFYoy68

このタイトル、もちろん、
「新約聖書」Le Nouveau Testament
Tout  を加えたものです。
なんと言っても、
Dieux existe. Il habite à Bruxelles.
(神は存在する。ブリュッセルに住んでいる。)
というキャッチコピーは、抜群ですね。
ストーリーとしては、
神である父親の悪意ある横暴ぶりに起こった娘エアが、
彼のPCを使い、
人間全員に、その人の寿命が尽きる日をメールし、
さらに、神の家を飛び出して下界に降り、
そこで新たに6人の使徒を見つけ出す、
というものです。

この映画、なかなか良かったです。
音楽の使い方もしゃれてるし。
映像もきれいだし。
たしかに心に残る場面がありました。

神様役のブノワ・ポールブールドは、
この映画でも主演していました。

http://tomo-524.blogspot.jp/2016/01/une-famille-louer.html

ドヌーブはもちろん、フランソワ・ダミアン今や大物ですね。

ただ、上で上げたキャッチコピーですが、
ここには、はっきり限界も現れています。
ブリュッセルに住んでいるのは、
白人ばかりじゃありません。
でも、アフリカ系もアラブ系も、
背景に映り込むことはあっても、
彼らがセリフを言うことはないし、
6人の使徒も全員ヨーロッパ系白人です。
神様一家も全員白人。
最初に創られた人間も白人。
そして神がしゃべるのはフランス語です。
ということは、
さっき「おもしろい」とは書きましたが、
これはこうしたことがクリアーできていない作品であり、
あくまでそうしたレベルにおいて「おもしろい」、
ということでしかないのですが。

『続・兵隊やくざ』

シリーズ1作目が面白かった&懐かしかったので、
2作目も見てみました。

冒頭に、前作のラストシーンが使われ、
まさに「続」そのものでした。
キャラクターも、
基本的な構図も変わりなし。
ただ、時代は少し動き、
背景には東京大空襲が。

前作同様、
実地で陸軍を知っている人たちによる、
遠慮のないリアルさが、
「戦争を知らない子供」には勉強になります。
「いあんぢょ」も、ある時刻を過ぎると、
将校だけしか上がれないとか。
野戦では、日本兵同士の(恨みによる)殺しもあったとか。
そうなんでしょうね。

2016年9月11日日曜日

吉野川とらくだ


今日は、年に一度の歌舞伎の日。
演目は、大化の改新を背景にした「吉野川」と、
落語でも有名な「らくだ」、
そして最後は元禄花見踊です。

「吉野川」は、吉右衛門と玉三郎。
そして切腹する息子が染五郎です。
そしてこの染五郎が、
「らくだ」の屑やとしてもまた舞台に現れ、
二つの役の落差には驚かされます。
幕間の30分に、
どんなスイッチの入れ替えをするのでしょう?

「らくだ」の落語版は、
YouTube にも
たくさん上がっています。
わたしはもちろん、三遊亭圓生の話が贔屓です。

華やかな非日常で、満喫しました。

2016年9月10日土曜日

Bon anniversaire, Manon !


なにしろノラ出身なので、
正確な日付はわかりません。
で、
とりあえず9月10日くらいのはずなので、
今日はManon の誕生日、
とさせていただきます!
1歳、おめでとう!
(王冠がすぐ落ちちゃうので、
慌てて撮らねばならず、
写りがイマイチですが。
そうそう、
3日ほど前から、
やっと新しいソファも使ってくれるようになりました。)

Les Valseuses

<古典>第9弾、とは言っても、
1974年だし、そんなに古くないです。
実は見たいと思いつつ見てなくて、
今日やっと見ました。

Les Valseuses 

https://www.youtube.com/watch?v=havUTbWb_wQ

(日本題は『バルスーズ』。
フランス語では、「女性バレリーナたち」と、
もう1つ隠語の意味もあります。
その場所を、一人が怪我するのです。
また、「肝っ玉」みたいな意味にもなるのでしょう。)

ジェラール・ドパルデュー、
パトリック・ドヴェールが共演し、
ジャンヌ・モローやイザベル・ユペールも出ています。
二人のワカモノの、
無軌道で、刹那的で、衝動的な道行を追う物語で、
まあ、「青春物」なんですが、
ドヴェールの雰囲気が可愛くて、
魅力ある映画になっていました。
(ただ結末が、ちょっと緩すぎるというか、
せめてなにか予感みたいなものが欲しかった気もします。)


2016年9月9日金曜日

アラビアン・フェスティヴァル

ちょと寄りたいですねえ。

http://arafes.jp/


Le Prénom

ヴァレリー・ベンギギが47歳という若さで亡くなってから、
ちょうど3年経ちます。
彼女がセザールで助演女優賞を取った

Le Prénom (2012)

を見てみました。
(彼女には、もっと活躍してほしかった……。)

https://www.youtube.com/watch?v=FX2ukwKgWlo

この映画は、
2012年の興行成績第3位で、
当時は「話題の映画」でした。
実はわたしも、
ずいぶん前にDVDを買ったのですが、不良品だったのか、
どうしても再生できませんでした。
でも、やっぱり見たいので、新たにアマゾンに注文し直したところ、
今度はちゃんと再生できるものが送られてきました。
(幸い、7.15€ と安い。)

もとが舞台なので、
会話が濃くて、
理解するのにてこずりましたが、
でも面白いので、
最後まで楽しく見られました。

主要な登場人物は5人。
まずは、バブーとヴァンサンの姉弟。
姉は中学校の先生、弟は不動産仲介業です。
そしてそれぞれの夫と妻が、ピエールとアンナ。
ピエールは大学教員で、ヴァンサンの親友。
アンナはファッション業界で働いでいて、今妊娠5か月。
最後の一人は、姉弟とは30年以上の仲である、クロード。
彼はラジオ・フランス・オーケストラの、
首席トロンボニストです。

約100分の映画の95%は、
バブーとピエールの家での、
会食の場面です。
(もともと舞台ですからね。)
フランスらしい、とも言えるかもしれません。
で、
会話が進む中で、
それぞれが胸の奥にしまっていたはずのもろもろが、
すごい勢いで噴出してくるのですが、
そのきっかけになるのが、
タイトルの「ファーストネーム」です。
生まれてくる子供のそれを訊かれたヴァンサンが答えたのは、
なんと、○○○○でした。
これって、世界史上でも屈指の悪名高き……

物語の中で明示的に示されはしませんが、
姉弟を演じるヴァレリー・ベンギギとパトリック・ブリュエルは、
ともに、有名なユダヤ人俳優で、
姉弟の母親であるフランソワーズは、
友人のローゼンタール一家と仲良しです。
(これって、『大いなる幻影』にも、
『ゲームの規則』にも登場した名前ですね!)
姉弟はユダヤ系だと思って、
ほぼ間違いないでしょう。

余計なことを1つ。
訪ねてきたヴァンサンが、
玄関のコードがわからないと電話してくる場面があります。
ピエールは、
じゃあヒントを、
と言って、まず、

Marignan

と言います。
これは「マリニャーノの戦い」なので、1515。フランソワ1世の時代ですね。

そして続いて、

Austerlitz

これは「アウステルリッツの戦い」なので、1805。
(ただヴァンサンはこれを、
メトロの駅名と勘違いするんですが。)

これって、日本でいえば、
1905的なんでしょうが、
それならイマイチですね。


2016年9月8日木曜日

La Résistance de l'air

レダ・カテブ主演のサスペンス、

La Résistance de l'air (『空気抵抗』)(2015)

を見てみました。

https://www.youtube.com/watch?v=RoVT_wlpkwg

夫婦と、その幼い娘。
妻の願いで、今家を新築中ですが、
このための借金は、
彼らの身の丈を大きく超えていました。
しかもそんなとき、
夫の父親が倒れ、面倒を見ることに。
父親は、知らないうちに実家を売り、
その金を酒と女に使い果たしています。
しかも彼は、sale regard で息子の妻を見つめ、
気持ち悪くなった妻は、
娘を連れて妹の家へ。
もう解決法が見つからない……、
と思っていたとき、
300m 射撃のチャンピオンである彼に、
同じクラブのメンバーがある仕事を回してきます。
それは、大金の入るスナイパーの仕事でした。
彼は、この申し出を断ることができず……

レダ・カテブも、
妻のリュディヴィーヌ・サニエも、
要介護の父親を演じるチェッキー・カリョ(!)も、
それぞれよかったです。
語り口も、説明的なところがほとんどなくて、
ハードボイルドで、緊迫感がありました。

タイトルの「空気抵抗」というのは、
表面的には、
銃弾が、標的に向かう間に得る抵抗のことです。

2016年9月7日水曜日

『悲恋』

<古典>第8弾は、

『悲恋』(1943)

です。
(原題はL'Éternel Retour 「永劫回帰」。
フランスがドイツに占領されていた、
いわゆる「占領下」に作られた映画です。
ジャン・コクトー&ジャン・マレーで、
元になっているのは「トリスタンとイゾルデ」。
つまり、ドイツ文学ですね。

https://www.youtube.com/watch?v=UFvMOjR5umQ

この映画は、
フランスが、
自分が占領下にあることを忘れるために、
そうした事実から逃避するために作られたものであり、
内容的にも「ドイツかぶれ」であり、
ジャン・マレーは、
「フランスのドイツ熱を体現した人物」
なのだという指摘もあります。
当時は、金髪であればあるほど、
アーリア人種の純粋性が保たれているという幻想が通用しており、
ジャン・マレーもヒロインも、
同じプラチナ・ブロンドに髪を染めていたようです。

ただし、美しきジャン・マレーは、
ジャン・ギャバンが『獣人』や『陽は昇る』で「死んだ」後、
あらたなフランスを代表する男優になります。
ただその期間は、
あまり長くは続かなかったのですが。

『ゲームの規則』補遺

備忘として。
主役の侯爵を演じるマルセル・ダリオについて。

・アラブ人役が多い俳優。
実生活ではユダヤ系。

・この侯爵の母親は、
ユダヤ系で、金融業を営むローゼンタール家の出であると語られる。
(字幕では、この固有名詞が略されている。)
つまり、
ユダヤ系俳優がユダヤ系貴族を演じていることになる。

・ダリオのルックスは、
従来フランス映画で貴族を演じてきた俳優たちとはやや違う。

Entrée des artistes (1938)では、
「典型的なユダヤ人」を演じていたが、
ドイツ占領の結果、
彼が登場していた場面はすべて、
非ユダヤ人俳優によって取り直しになった。
(これはwiki情報)

・なんと、Les Aventures de Rabbi Jacob の、
ラビ・ジャコブ役は、彼でした。
(気づかなかった!)

Quand Théo rencontre Clara

ディクテの練習に!

https://www.youtube.com/watch?v=dCA9PRVhEx4#t=17

Tout roule !

2016年9月6日火曜日

『ゲームの規則』

<古典>第7弾は、
名作の誉れ高い、あの

『ゲームの規則』(1939)

です。

https://www.youtube.com/watch?v=qxs4P6u1EiI

この映画、ふつうに見てると、
いつの話なのか分からなくなってきます。
もちろん、舞台は1939年で、
それは冒頭にはっきり示されているのです。
でも、物語の大半は、
広大な領地で猟を楽しむ貴族たちと、
彼らに仕えることに喜びを感じている(奴隷根性の)使用人たち、
によって織りなされるのです。
どうみても、革命前、にしか思えません。
そしてそこに、ルノワールの狙いがあったと考えるなら、
色々な点で整合性が見いだせるようです。
だから根本にあるのは、
<革命ってあったの? もしあったのなら、
どこに行っちまったの? まったく見えないけど>
ということなんでしょう。
それにしても、
学生時代に見たときは、
あまりになにも分かってなくて、
情けないやらみっともないやら、です。

ルノワールの作品、
今回続けて5本見ましたが、
彼の場合、こうして並べて見る必要があると思いました。
1本だけでは、とても日本人には(その意味が)分かりにくい。
日本人には、革命に記憶もなければ、
民主主義の実感もないからです。
(それともあるのでしょうか??)

レビュー合戦 2016 !

「レビュー合戦2016」が、開催されています。

http://www.hakusuisha.co.jp/news/n16171.html

「編集者らによる熱いレビューはリーフレットにまとめ、
店頭で無料配布します」

これは全国を巡るんですね!




『兵隊やくざ』

あるエッセイを読んでいたら出てきて、
「陸軍の内情は、
やっぱり軍隊経験のあるスタッフが作ったこれを見ればわかる」
的なことが書かれていたので、見てみました。

『兵隊やくざ』(1965)

このシリーズにしろ、『座頭市』にしろ、
むかしむかし、テレビの深夜放送よく見ました。
(たしか、8インチくらいの小さなテレビを買ってもらったので、
特に夏休みなどは、
「スパイ大作戦」やら「スパイのライセンス」やら、
よく見てました。
「トム・ジョーンズ&エンゲルベルト・フンパーディンク・ショー」とかも。)

陸軍は、まあ、とにかくよく殴る。
不条理で、暴力が序列を作る。
好きにはなれませんね。
軍の内情は、いろんな小説を通しても書かれていて、
基本的は同じです。
ただこの映画では、主人公が「痛快」なので、
その不条理さがどこか間接的に伝わってきますが。
一方映画としては、浪花節ですが、
緩むところもなく、おもしろかったです。

2016年9月5日月曜日

La Marseillaise

<古典>第6弾は、

La Marseillaise

これもルノワール。そしてルイ・ジューベ。

ちょっとこの時代のルノワールを整理しておくと


  • ジャン・ルノワールのトニ Toni (1935年)
  • ランジュ氏の犯罪 Le crime de Monsieur Lange (1936年)
  • どん底 Les Bas-fonds (1936)
  • ピクニック Partie de campagne (1936年)
  • 大いなる幻影 La Grande illusion (1937)
  • ラ・マルセイエーズ La Marseillaise (1938年)
  • 獣人 La Bête humaine (1938年)
  • ゲームの規則 La Règle du jeu (1939年)


  • wiki のコピペですが、こうなるわけですね。
    『トニ』については、『パリ移民映画』で触れました。
    『ランジュ氏の犯罪』は、労働者が(一応)勝利する話でした。

    で、『ラ・マルセイエーズ』です。

    http://www.dailymotion.com/video/xs5wwz_la-marseillaise-jean-renoir_shortfilms

    (日本版DVD、画質も音も、かなりひどかったです。
    それでも、Amazonで1071円なので、もちろん、
    出さないよりは出してくれてよかったのですが。)

    フランス革命。
    マルセイユの義勇軍500人が、
    パリへと上り、革命に参加する物語です。
    その中の一人ボーミエは、
    物語の終わり近く、
    戦闘中に亡くなるのですが、
    彼の死が「犬死 mourir pour rien」にならないようにと言う部下に対して、
    リーダーはこう言います。

    「いや、犬死になんかならない。
    たとえ(この後われわれが)プロシャ軍に負けたとしても、
    俺たちが世の中にもたらしたものは残るはずだ。
    かつて民衆(peuple)にとって自由とは、
    身分違いの女に恋するようなものだった。
    だが今や、突然、俺たちががんばったおかげで、
    恋人は民衆の腕の中。
    ……まだ妻ではないけれど、
    完全に自分たちのものにするには時間がかかるだろう。
    でも知り合えたんだ、
    たとえ引き離されてもまた巡り合える……」

    なるほど。
    その「身分違いの女」が、マリアンヌなんですね。

    上に挙げた一連の映画の中で、
    この『ラ・マルセイエーズ』の時間的舞台が一番古いわけですが、
    ピエール・マイヨーに言わせれば、
    それ以外の映画は、
    誰が、このマリアンヌを支えるのか、
    民衆~労働者なのか、
    ブルジョワなのか、
    それとも……、
    という問題を扱っていると言うわけですね。

    でも、この映画が、
    ジャン・ギャバン(労働者)の自殺で終わる映画と同じ年に作られているのには、
    今更ながら、考えさせられます。

    『獣人』

    <古典>第5弾は、

    『獣人』(1938)

    です。
    ルノワール&ジャン・ギャバン。
    原作はゾラですが、
    映画の時間的舞台は「現在」。
    空間的には、サン・ラザール駅とル・アーヴル駅が中心です。

    https://www.youtube.com/watch?v=HBLe_J0P7vI

    まず冒頭、
    機関車が疾走するシークエンスが5分ほど続くのですが、
    これがなかなか圧巻。
    しかも、終わってみれば、
    登場人物のほとんどは鉄道関係者であり、
    この機関車こそ、
    映画を貫く存在であることに気づきます。

    まずランチエ(ジャン・ギャバン)。彼は機関車の運転士です。
    そして彼とコンビを組む火夫ペクー。
    ル・アーヴル駅の助役、ルボー。
    その妻で、ランチエと関係を持つことになるセヴリーヌ。
    さらに、鉄道会社の社長で、
    セヴリーヌの養父であるグランモラン。
    (実際は養父ではなく愛人。
    しかも、セヴリーヌの母は、
    グランモラン家の家政婦で、
    セヴリーヌの父はグランモラン氏の可能性もある。)

    ルボーは、妻がグランモランの愛人だったことを知り、
    妻と共謀して彼を殺します。
    ランチエは、犯行のあった列車に乗り合わせており、
    二人が犯人であることに気づきますが、
    セヴリーヌに魅かれ、その事実を隠します。
    そして二人は良い仲になりますが……
    最終的には、ランチエはセヴリーヌを殺し、
    自らも機関車から飛び降り自殺して、映画は終わります。
    (翌年の『陽は昇る』もまた、ジャン・ギャバンの自殺で終わります。)

    ランチエは、多くの機器類を操っていて、
    つまり、専門技能があり、
    ワーキング・クラスの中ではかなり上位です。
    ルボーはプチ・ブルで、
    「資本の番犬」と言えば言えるでしょう。
    グランモランは完全にブルジョワ。
    となると、
    ブルジョワは、
    自分の「番犬」を務めるプチ・ブルに、
    セヴリーヌを「譲渡」したことになります。
    ただそのセヴリーヌを、労働者が殺す。
    (セヴリーヌは、「フランス」なのでしょうか。)
    そして労働者の死において、
    映画は終わるわけです。

    古典、侮れません!

    2016年9月4日日曜日

    『アスファルト』

    昨日から、日本公開になっています。

    http://www.asphalte-film.com/

    ちょっと面白そうですね。

    どういう事情なのかわからないのですが、
    この映画、2015年の作品なのに、
    未だにフランスでもDVD が出てなくて、
    わたしも見ることができていません。
    発売予告さえないので、
    もう、見に行くしかないですね。
    (出して~!)

    『陽は昇る』

    <古典>第4弾は、

    『陽は昇る』(1939)

    カルネ&プレヴェール、
    主役はジャン・ギャバンで、
    アルレッティも出ています。

    https://www.youtube.com/watch?v=TlLqSYt3EdM

    フランソワ(ジャン・ギャバン)は、
    施設で育った孤児で、
    有害な塵の舞い上がる工場で働いています。
    (当時のフランスの感覚でも、
    最も過酷なレベルの労働条件だったでしょう。)
    彼は、
    やはり孤児で、同じ名前のフランソワーズと恋に落ちます。
    が、彼女は、
    かなり年配のマジシャンと付き合っています。
    まあその後いろいろあって、
    結局フランソワは、この古狸のマジシャンを殺し、
    最後は警察に包囲され、
    自分も自殺するという、
    かなり暗いエンディングです。

    フランソワ=労働者が、
    孤独で悲惨な最期を迎えるというストーリーに、
    カルネ&プレヴェールは、
    どの程度社会性を持たせる気だったのでしょうか?

    2016年9月3日土曜日

    軍事研究助成 18倍


    http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201609/CK2016090102000117.html



    『ビガー・ザン・ライフ』

    これも学生推薦の

    『ビガー・ザン・ライフ』(56年)

    を見てみました。
    監督はニコラス・レイです。

    https://www.youtube.com/watch?v=5NvuvQ6pQIQ

    両親と小学生の息子。
    父親は小学校の教員で、
    母親は専業主婦。
    アメリカの郊外での平穏な暮らし。
    そんなとき、父親に難病が発症するけれど、
    奇跡の薬であっという間に克服。
    ただしこの薬、精神錯乱という副作用があり……

    この錯乱してゆく様子が、なかなか怖いですが、
    映画としては、
    主人公がかかる病気が問題なんでしょう。
    それはまあ、「 big な男」なり「主人」なり「父親」なりでなければならないという、
    強い抑圧の結果、と考えられるのでしょう。
    幸福そうな家庭を作るという、一種の地獄に、
    男たちは追い込まれていたのかもしれません。
    そして妻も、この「幻想」を支えるのにためらいはありません。
    彼女の誇りは「教員の妻であること」です。

    カルト・ムーヴィーに入るようですが、
    それが頷けるフィルムでした。



    On ne choisit pas sa famille

    『最高の花婿』で父親役(実質的に主役)を演じた、
    クリスチャン・クラヴィエ。
    彼が、監督・脚本・主演をこなした、

    On ne choisit pas sa famille

    を見てみました。

    https://www.youtube.com/watch?v=MnmRJ1M3h7Q

    彼の役どころは、
    家業を継いだ、自動車輸入販売業者、セザール。
    ただ資金繰りに困っています。
    彼のきれいな妹アレックスは、
    年上の彼女キムと同性カップルでラブラブ。
    この二人が、
    仕事上関係があったタイの孤児の少女を、
    自分たちの養女にしたいと計画します。
    でも、養子をとれるのは、夫婦だけ。
    で、
    セザールの会社を支援するのと交換で、
    彼に、キムと偽装夫婦を演じてもらい、
    タイまで行って、
    少女を養女してもらってくることになります。
    ただタイでは、厳しい医者(ジャン・レノ)が、
    養子条件のチェックをしていて……というお話。

    設定そのものが、
    白人優位という前提を含んでいるわけですが、
    まあ、ドタバタ・コメディーとしては、
    セリフなどにも、それらしい工夫はあると思いました。

    「イタリア風地震」

    シャルリ・エブドが、
    またも物議を醸しています。
    問題になっているのは、これ。
    ( ↓ 閲覧注意 ↓ )

    https://fr.news.yahoo.com/internautes-%C3%A9lus-italiens-sindignent-dessin-145617444.html

    (「トマトソースのペンネ」、「ペンネ・グラタン」、「ラザニア」)
    大半の人にとっては、
    不快なものでしょう。

    2016年9月2日金曜日

    son nouveau lit ( qui ne lui plaît pas )


    爪とぎ段ボール・ソファが、
    だいぶボロボロになってきたので、
    新しいのを買ったのですが、
    どうもこれがお気に召さないようで、
    そちらには乗りません。
    で、
    合わせてみたのですが、
    どうしても、ボロボロのほうが好きです!

    C'est compliqué

    Manu Payet と言えば、
    Tout ce qui brille や
    Nous York の印象が強く、
    また、
    レ・ユニオン出身であること、
    ジェラルディン・ナカシュと結婚していたことなどが
    思い出されますが、
    彼が主役を演じている映画があったので、
    見てみました。

    C'est compliqué

    https://www.youtube.com/watch?v=SQ6ZXHYozWI

    バンジャマンは30歳。
    フィアンセがいて、もうすぐ結婚。
    そんなとき、中・高時代に憧れていたアメリカ人ヴァネッサが、
    久々にパリに戻ってきます。
    で、彼の心は揺れる……という、
    まあ、どっちでもいいような話です。

    ここでマニュ・ペイエ は、
    ロマン・デュリスが得意とする、
    「大人になり切れないワカモノ」を演じています。
    見ていて、ちょっとイラっとするやつですね。
    (まあ、自分もそうである場合は、
    感情移入できるんでしょうか。)
    ただ最後には、
    それなりに自分の主張を打ち出すので、
    ロマンの徹底したコドモぶりほどではありませんが。

    2016年9月1日木曜日

    『どん底』

    <古典>パート3は、これ。

    『どん底』(1936)

    ルノワール&スパークのコンビで、
    先日の『大いなる幻影』(1937)の前の前の作品です。

    https://www.youtube.com/watch?v=6ab8ZUUaEP4

    この映画は、何度か見ていて、
    特に、ルイ・ジューベがカード賭博に負けたところは、
    わたしの父親も気に入っていて、
    よく話に出ました。

    舞台は、時間も場所も特定できません。
    ある最下層のスラム。
    経営しているのは、強欲な老人とその比較的若い妻。
    そして妻の妹も、メイドとして住み込んでいます。
    住民は、もうここよりほかに行くところもない男女。
    その中に、泥棒家業のペペル(ジャン・ギャバン)がいます。
    彼は家主の妻と良い仲ですが、
    本当はその妹に惚れています。
    そこに、一人の男爵が現れます。
    賭博に入れ込み、自分の財産も、公金も使い果たし、
    すべてを失ってここに来たのです。
    実は彼は、彼の家に泥棒に入ったペペルと意気投合したことがありました……

    男爵を演じるルイ・ジューヴェは、
    たしかに印象的ですが、
    問題は、このフィルムにおいて、
    「貴族」がどんな位置に置かれているかでしょう。
    もちろんそれは、「没落」するのですが、
    それでも、スラムの住民たちとは一味違います。
    (『大いなる幻影』にも、貴族の大尉がいました。)
    この男爵に、アナーキーなタナトス(の美学)を見るのは簡単ですが、
    それでは、不十分でしょう。

    ペペルはワーキング・クラスに入るのでしょうが、
    その中でも底辺にいると言えるでしょう。

    また、太って汗かきの小役人も登場しますが、
    彼はプチ・ブルと言えそうです。
    彼もまた、妹に言い寄るのです。

    そして強欲な家主は、一応、ブルジョワ側ということになるのでしょう。
    といっても、決して金持ちではないのですが。

    そして物語の最後、
    家主は死に、
    ペペルはあの妹を伴って旅立ちます。
    この旅は、希望と同じくらい不安もありますが。
    一応、労働者の勝利にも見えますが、
    それはまだきわめて不安定です。

    <古典>の復習は、
    いろいろ勉強になります。

    『霧の波止場』

    先日の『大いなる幻影』に続き、
    フランス映画の<古典>パート2です。
    この映画は、たしか高田の馬場駅近くの映画館で、
    友人と見ました。35年くらい前かな。

    『霧の波止場』(1938)

    つまり開戦前夜の作品だということになります。

    https://www.youtube.com/watch?v=z3faZQez6t0

    舞台は港町ル・アーブル。時代は「現在」。
    パリ生まれで、
    インドシナの植民地舞台に所属していたジャンは、
    戦地に嫌気がさして脱走兵となり、
    外国への高飛びを目論んで、
    この港町にやってきます。
    ただし彼は一文無しで、特に計画とてないのですが。
    そこで彼が出会ったのが、ネリーという若い女性。
    彼女は、キモイ養父と暮らすのが嫌で、
    好きでもない男と結婚しようとしていましたが、
    養父が、この男を(嫉妬から)殺してしまいます。
    (←これは後からわかるわけですが。)
    ジャンとネリーは、あっという間に恋に落ちます。
    でもジャンは、とにかく逃げねばならず、
    ベネズエラ行きの船に乗り込むものの、
    ネリーが忘れられず下船してきたところを、
    彼を恨んでいたチンピラに撃たれ、あえなく死んでしまいます……

    かつてヴィシー政権は、
    この映画がフランス人の戦意喪失を招いた元凶だと
    批判したそうです。
    フランスは1940年には、
    ドイツの支配下に入るわけですね。
    たしかにこのフィルムの主役は脱走兵であり、
    映画全体にあからさまな絶望感が漂い、
    これがヒットしたというのは、
    当時の人たちの精神状況が伺われるというものでしょう。
    このペシミスティックなイデオロギーは、
    ドイツ・ロマン主義的だ、と指摘されることもあります。
    つまり、この映画は、
    いわゆる「フランスのエスプリ」ではないというわけです。
    脇役ですが、自殺する若い画家などは、
    時代とか歴史とか政治とかではなく、
    個人の、内的な苦悩から死に至るのであり、
    彼は時代状況を主体的に生きているわけではありません。
    もちろん主役のジャンも、
    最後は破滅するわけです。

    スタッフ・キャストは、
    マルセル・カルネ、ジャック・プレヴェール、
    ジャン・ギャバン、ミッシェル・モルガン、
    ミッシェル・シモン、ピエール・ブラッスール
    と、おなじみの面々です。