2018年1月30日火曜日

『ウィリー ナンバー1』

MFFF 6本目は、

『ウィリー ナンバー1』

です。

これは、

ウィリー、50 歳。
双子の弟ミシェルの死をきっかけに、
初めて実家を出て、近くの村で生活を始める。
コドゥベックに行く。アパートを借りる。
友だちだって作る。こんな生活クソくらえだ!』
適応障害のあるウィリーが、
知らない世界で自分の居場所を見つけようと奮闘する、
オフビートなブラック・コメディ」

https://www.myfrenchfilmfestival.com/ja/movie?movie=42023

https://www.youtube.com/watch?v=8IgOg9alMN8

とありますが、
「ブラックコメディー」というのは……?
まず、そんなにブラックじゃないし、
コメディーかと言われると、ちょっと考えてしまいます。
まあ、主人公のウィリーが、
「オフ・ビート」なのは間違いありませんが。

**********以下、若干のネタバレあり***************

物語りの後半、
Caudebac に暮らし始めたウィリーは、
スーパーのカルフールで清掃係の仕事を得て、
そこで、
同じ職場で働くゲイのウィリーと知り合います。
そう、二人は同じ「ウィリー」なのです。
この二人のウィリーの間の距離の変化は、
なかなかデリケートで、
慎重に描かれています。
そしてやがて、
2人には大きな共通点があることが判明します。
それは、それぞれ、
愛する人を失ったことがあること、
その傷が癒えてはいないこと、です。
しかも2つの死は、両方とも、
その原因がはっきりしない、というか、
残されたものにとって、納得し難いものなのです。

「バカげた居眠り運転」の結果命を落とした恋人を想って、
ゲイのウィリーは言います。

On cherche toujours des explications.
Mais il n'y a pas d'explications.
Faut juste regarder la vérité en face. 
Et la vérité, c'est de la merde.
Il est mort.

あたしたちはいつだって説明を探してる。
でも、説明なんてないの。
真実を、正面から見なきゃならないってだけのこと。
ただその真実ってのが、クソなのよ。
あの人は死んじゃったんだから。

これは、なかなか印象的なセリフです。

またゲイのウィリーは、ある晩、
50歳のウィリーが部屋に来た時、
この歌のあてぶりを踊って見せます。

https://www.youtube.com/watch?v=-F_9fgtEKYg

Donnez moi une suite au Ritz, je n'en veux pas! 
Des bijoux de chez Chanel, je n'en veux pas! 
Donnez moi une limousine, j'en ferais quoi?

Offrez moi du personnel, j'en ferais quoi? 
Un manoir à Neuchâtel, ce n'est pas pour moi. 
Offrez moi la Tour Eiffel, j'en ferais quoi?

Je veux d'l'amour, d'la joie, de la bonne humeur, 
C'n'est pas votre argent qui f'ra mon bonheur, 
Moi j'veux crever la main sur le cœur.

要は、
リッツ・ホテルもシャネルもイムジンも、
エッフェル塔だっていらない、
愛と喜びのなかで機嫌よく暮らしたいだけ、
ということでしょう。
彼がこの歌を歌うのは、とても似合っています。

この映画の監督として、
4人の名前が挙がっているのですが、
彼らはみな(リュック・ベッソンが作った)
映画学校の卒業生だそうです。

B&B 「おじさんの向こうに、世界が見える」

金井真紀さんとの楽しみなイベント、
B&B での告知が始まりました。

bookandbeer.com/event/20180310_paris-ojisan/

大ヒット中の『パリのすてきなおじさん』、
著者の金井さんの話をじかに聞けるいい機会です。
土曜の午後という、
いい時間帯でやらせてもらえることになりました。
お待ちしています!

2018年1月29日月曜日

『婚礼』

MFFF 5本目は、

『婚礼』

です。

18 歳のザヒラはパキスタン系ベルギー人。
家族とも仲が良く、親密で良好な関係を築いていたが、
ある日その状況が一変する。
パキスタンの風習に従って結婚をしろというのだ。
両親の期待に応えたい気持ちと、
身についた西洋的慣習、
自由を希求する心との間で揺れ動くザヒラ。
よき理解者である兄アミールに助けを求めるも…」

https://www.youtube.com/watch?v=Zi4qkAimAF4

(いまさらですが、
MFFF では、もちろん日本語字幕も選べます。
フランス語も選べます。
一時停止して切り替えれば、
両者を比較することもできます。)

https://www.myfrenchfilmfestival.com/ja/movie?movie=41017

この映画のテーマは、

**********以下、ネタバレあり**********

中絶、処女膜再生、などもありますが、
やはり1番大きいのは、
いわゆる「名誉殺人」でしょう。

www.huffingtonpost.jp/2016/10/07/honour-killing_n_12384118.html

映画は、
全体としてニュートラルで、
西欧側とパキスタン側の齟齬も、
そのまま提示しています。
そしてヒロインは、
その両者に引き裂かれるわけです。
で、
そのあたりを、とても丁寧に描いてはいますが、
それだけなら、
もう多くの映画で描かれたことがあります。
ただ、この「名誉殺人」が正面から扱われている映画は、
初めて見ました。

そしてこの映画は、
なんと言ってもヒロインの Lina El Arabi がいいです。
強くて、やさしくて。
彼女は、この映画でも主演していました。

http://tomo-524.blogspot.jp/2016/05/ne-mabandonne-pas.html

現実にはモロッコ系フランス人のようですが、
とにかく、
とても存在感のある俳優です。
フォローしていきたいと思います。

『夏が終わる前に』

MFFFの4本目名は、

『夏が終わる前に』

です。

https://www.myfrenchfilmfestival.com/ja/movie?movie=44001

パリでの5 年間の学業を終えたアラーシュ。
フランスの生活にはついになじめず、
イランに帰国することを決めていた。
友人二人は、彼の気持ちが変わることを期待しつつ、
フランスをあちこち巡る旅を計画。
アラーシュは彼らとともに、
フランス生活最後の記念旅行に出発する」

https://www.youtube.com/watch?v=bWSqGEGlVQY

登場するのは、
3人のイラン人男性です。
(会話もほとんど、おそらくペルシャ語。)
アラーシュは、いわゆるコミュ力がなくて、
かなりの太っちょ。
(その理由が、実は兵役と関係していたことが、
後から分かります。)
いい男のホサインは既婚者で33歳。
留学していると偽って、
イランの銀行からお金を借りています。
彼はまだ兵役を済ませていません。
3人目はアシュカン。
彼は独身で、兵役は終えています。
この3人が、南仏目指してクルマで出発。
その意味では、
たしかにロードムーヴィーなんですが、
この旅の目的は、
どこかの場所にたどり着くことではなく、
アラーシュを翻意させることにあります。
なんなら、誰かに一目ぼれでもしてくれたら、
フランスに残る理由が生まれるというものです。

途中、ナンパ風のことをしてみたり、
実際少しは仲良くなったりもしますが、
まあ、とくにこれといった事件も起こりません。
でも、見ていてイヤじゃありません。
やっぱり、舞台はフランスですが、
そこでイランからの視線と、
イランへの視線が行き来していて、
おもしろいです。

先日見た Cherchez la femme も、
イランからの政治亡命者が出ていましたから、
なぜかイランが続きました。
(勉強になりました。)

2018年1月27日土曜日

ナイス!

グッゲンハイム、ナイスですね。

http://www.afpbb.com/articles/-/3160043?cx_position=3

2018年1月26日金曜日

Sabali

『アヴァ』のところで触れた Sabali。
この歌詞は、バンバラ語とフランス語が混じっていて、
バンバラ語部分の意味が分からなかったのですが、
今少し探してみたら、
訳しているサイトがありました。
(合っているのかどうか、確かめられないのですが、一応……)

http://lyricstranslate.com/fr/sabali-patience.html#ixzz55I3sjJXl

Patience

Nous sommes venus pour nous amuser en musique
Le monde est un endroit fait pour s’amuser
Nous nous plaisons à ça
Nous nous plaisons à ça
Ecoutez !
 
La patience, la patience mérite tout
La patience, la patience est bonne
 
Si tu aimes quelqu’un, la patience mérite tout
Si tu aimes un homme, la patience mérite tout
Si tu aimes une femme, la patience mérite tout
La patience, la patience est bonne.
 
Cherie, je m'adresse à toi
Avec toi cherie, la vie est belle
La, la, la, la, la, la
Avec toi cherie
Wo ouh, wo
La, la, la, la, la, la
Ça, c'est pour la vie
Wo ouh! Wo!
La, la, la, la, la, la
Avec toi cherie.
La, la, la, la, la, la
Ça c'est pour la vie.
Cherie, je te fais un gros bisou
Cherie, je te fais un gros bisou
Je te fais un gros bisou
Je t'embrasse fort
Je t'embrasse fort.
Ah! Bye, bye!
この Sabali は、(少なくとも)2度、カヴァーされています。

Nas & Damian Marley
https://www.youtube.com/watch?v=c9VQye6P8k0

Maroon5
https://www.youtube.com/watch?v=m7nCb3kRtC4

この後者のほうは、テンポを速くし、
歌詞を通俗的にした感じ、でしょうか。
I'm here to wipe your eyes...)
たしかに、派手にはなっていますけど。

この Sabali に、ラップを乗せたくなる気持ちはよく分かります。
いい曲だし。
でもこの曲は、
Amadou & Mariam らしい「単調さ」が魅力なのであり、
その空隙を意味で埋めるのは、
違うようにも思います。
もちろん、こうやって、
Amadou & Mariam が広く聞かれるのは、
嬉しいことなんですけどね。

堀江敏幸・評 『数と夕方 管啓次郎詩集』

毎日新聞に載った書評です。

管さんの新詩集、

『数と夕方 管啓次郎詩集』

は、堀江さんも言う通り、
だれも読んだことのない、真新しい叙事詩」
であると、たしかに感じました。
管さんの詩集は、これで5冊目ですが、
新たな1歩を踏み出した感があります。
いったい、どこまで行くのでしょう……

以下、毎日新聞からのコピペです。
(https://mainichi.jp/articles/20180121/ddm/015/070/002000c)

************************************************

堀江敏幸・評 『数と夕方 管啓次郎詩集』

数では表現できない記憶の情景


 単行本としては異例の判型である。文庫本変型という説明は可能だけれど、最も近いのは、旅に半生を費やした作家ブルース・チャトウィンが愛用していた、モレスキンの手帖(てちょう)だろう。世界を旅して言語空間に斜線を引き、日本語はもちろん、英語、フランス語、スペイン語で言葉を発してきた詩人管(すが)啓次郎にとって、手帖サイズのこの本は、思考と身体の反応を直接的に表現する理想のかたちである。 
 ここに綴(つづ)られているのは、内面の日記でも旅の記録でもない。だれも読んだことのない、真新しい叙事詩である。二十一世紀の、とりわけ東日本大震災以後の日常から遊離せず、太古からつづく自然を敬いながらもそれを崇拝しない距離を保って、詩人は私たちを柔らかな輪廻(りんね)転生のなかに投げ入れる。突き放すのではなく、背中を押すのだ。誰の? 自身の背中を。死んだ父と息子の背中を。そして、これからやってくるだろうすべての人々の背中を。 
 表題作「数と夕方」では、語り手の「ぼく」が、自宅近くのお寺の墓地に入っていく五歳の息子のあとを追い、父となった自分と息子の関係を、七十八歳で亡くなった父と自分のそれに重ね合わせる。心情を溶かし込んだ私語りの体裁を鮮やかに裏切って、三世代の記憶が、人だけでなく別の生き物に、あるいは水の流れに結ばれる。子どもと大人のちがいはあれ、目指すところはおなじだ。川舟に乗って岸辺には戻らず、幻のような「第三の土手」(「流域論」)を探しつづける語り手は、まどろみから出て、「ぼくの部屋を起点とする風に」(「Red River Valley」)乗り、さまざまな主語に身を転じる。空を飛ぶ鳥に、海を行く魚に、どこにもいない案山子(かかし)に、聡明な烏(からす)に、宮澤賢治の詩行に入り込んで、世界に降り積もる物質になる。流れ、移動する言葉を、読者はめまいとともに追いかけるのだ。 
 「遠くまで行ってもかまわないよ、球体のトポロジーは/全方位的に迷路を拒絶しているからね」(「からす連作」) 
 迷路のない球体だからこそ、行き着く先がわからない不安をもたらすこともありうる。だから、急ぐな、と詩人は繰り返し、「世界の全般的スローダウン」(「淡海へ」)の必要性を訴える。移動の持続と徐行の矛盾を解決するためには、死を含んだ生ではなく、生を含んだ死をまっすぐに見つめなければならない。津波のあとの南相馬を歩いた詩人はうたう。 
 「フジツボよ、ぼくの骨と都会のコンクリートと/きみをむすぶ物質的な線がある/われわれすべてを線でつらぬきつつ/移住と輪廻をくりかえす物質がある」(「フジツボのように」) 
 とはいえ、これを悟りのように捉えてはならないだろう。詩人はただ、固い石灰質の言葉を拾い集めてもう一度水に溶かすという、気の遠くなるような「物質的な線」をたどっていく自分の背中を見きわめたいと言っているのだ。なにが待ち受けようと「これからは本当に大切なことだけを語りたい」。腹はもう決まっている。 
 「狼(おおかみ)の遠吠(とおぼ)えのような真実のひとことと引き換えに/さびしい夜のような沈黙を抱え込んでもいい」(「ワリス・ノカンへの手紙」) 
 私たちも彼の決意に従おう。この小さな旅券を持って、数では表現できない記憶の情景のなかにある第三の土手を目指そう。それが根拠のない自信と効率への信仰によって成り立ついまの世に抗するだけでなく、生きた言葉の風を浴びる唯一の方法だから。
********************************************************

日本の文学シーンの「今」に触れている、
そんな気持ちになります。

『アヴァ』


今日は、2時間50分(!)という会議を含め、
業務もろもろをこなした日でした。
まあ、そんなことはともかく。

MFFFの3本目を、昨日から今日にかけて見てみました。

『アヴァ』

です。

https://www.youtube.com/watch?v=6jv1Ab6bx1I

「海辺でヴァカンスを過ごす13 歳の少女アヴァ。
視力の低下が思いのほか早く進行していること、
失明する日も近いことを、医師から宣告されている。
母親は、人生でいちばん美しい夏を過ごそうと、
まるで何事もなかったかのように振る舞う。
アヴァは自分なりのやり方で運命に向き合う。
そして、逃走中の若い男が飼っていた、
大きな黒い犬を連れ去る…。」

これ、とてもよかったです。
若い女性監督の、
長編第1作ということですが、
瑞々しく、鮮烈、と言っていいと思います。
映像もいい感じ。
撮影は、Montalivet です。

https://www.youtube.com/watch?v=3T3DLRPm4og


ヒロイン・アヴァを演じる ノエ・アビタ は、
役どころは13歳なんですが、
現実には、撮影当時、18歳だったようです。
(見終わるまで知らなかったので、
完全に13歳のつもりで見ていました。)
なんと言っても、この少女、
「意地悪なのでカレシができず」(←本人曰く)、
「冷たい」(←母親曰く)この少女が、
魅力的でした。

1つのストーリー・ラインは、
この少女の眼が、どんどん見えなくなってゆくその過程、
そしてそれに対する彼女の態度です。
そしてもう1つが、
彼女と、ロマの少年(18歳) Juan の、
「恋」とは言えないある関係の深まり、です。
(さらにサブ・ラインとしては、
母親との関係も重要でしょう。)

Juan は、少しだけかつてのアラン・ドロンを彷彿とさせる俳優で、
女性を巡る三角関係に起因する喧嘩から、
ロマのキャンプを追い出された身です。
この追い出された Juan と、
進んで家庭を離れたアヴァが、
頼りない逃避行を試みるわけです。
そりゃまあ、おもしろくなりますね。

民族的に言うと、
アヴァの母親はヨーロッパ系に見えますが、
アヴァ自身は、非ヨーロッパ系の血が入っているように感じます。
(映画に、父親は登場しません。)
そしてアヴァの母親のカレシ・テテは、アフリカ系。
Juan と、彼を取り巻く人間たちは、ロマの人たちです。

そして……

逃避行の真っ最中、
ある時アヴァが、陽光の降りそそぐ、
でも人気のない道端で、
大きな石に登って踊る場面があるんですが、
これが切ない。
また、踊るアヴァを見ている Juan の表情もとてもいい。


そして、この場面で流れるのが、
おお、Amadou & Mariam の、これなんです。

https://www.youtube.com/watch?v=NRtQmqqfdoc

アヴァは、歌詞に合わせてこう言います。

Cherie, je m'adresse à toi.      ねえ、あなたに言ってるの
Avec toi, cherie la vie est belle.    あなたといれば、人生って素晴らしい

でも Juan は、この歌を最後まで歌わせてはくれないのです……

こんな風に、少女が踊る場面て、
実はけっこうありますが、
これは印象に残るものの1つになりました。

(ちなみに、1番印象に残っているのは、
このときの「ダイヤモンド」です。

http://tomo-524.blogspot.jp/2015/06/bande-de-filles.html )

次回作が楽しみな監督です。

2018年1月24日水曜日

『クラッシュ・テスト』

MFFFの2本目は、

『クラッシュ・テスト』

です。

https://www.youtube.com/watch?v=bMFlatfKf1M

https://www.myfrenchfilmfestival.com/ja/movie?movie=40911

若き女性労働者アグラエの生きがいはたった一つ、
自動車の衝撃耐性実験工場での勤務だ。
ある日、工場が海外移転されることを知ったアグラエは、
なんとしても仕事を続けるために、
移転先のインドへ転勤を希望する。
はるか遠くインドに向けて、
同僚二人とともに車に乗り込んだアグラエ。
女たちの波乱万丈なロードムービーが始まる。」

そう、たしかにこれはロードムーヴィーなんですが、
その最大の特徴は、
その旅の目的が、
「クソ仕事(le job de merde)を続けること」にある点です。
インドに行っても、
給料はすごく下がるし、
うまくやっていけるかどうかもわからない。
でも、この「クソ仕事」が、
彼女はどうじても必要なのです。

冒頭では、
グローバリズム系企業の身勝手さがコミカルに描かれますが、
いったん「旅」に出ると、映画の様相は変わり、
さらに、終わりに近づくにつれて、
ヒロインの顔つきも変わってゆきます。
もちろんこの「旅」は、
現実的でない部分も含まれますが、
見ているときは、そんなことは感じませんでした。
ヒロインのひたむきさが、
そうした印象を越えていたのだと思います。

旅芸人、兵士、医師……
みんな魅力的で、
好きな作品でした。

『ジャングルの掟』

MFFFで最初に見たのは、

『ジャングルの掟』

これはDVDも買い、
見る気満々だった映画です。

https://www.youtube.com/watch?v=rgx6MQsVyV4

https://www.myfrenchfilmfestival.com/ja/movie?movie=41010

ヒロインを演じる Vimala Pons は、
好きな俳優の一人です。
今回も、なかなか痛快で、
彼女はよかったと思います。
ただ、主演のヴァンサン・マケーニュは、
わたしが見ている範囲では、
頼りないダメ男を演じることが多いのですが、
こちらはあまり……です。
で、今回も、まさにそれ。
ドタバタ系のコメディで、
仏領ギアナのジャングルを舞台としているのですが、
そして「フランス」的な開発のやり方を批判してはいるのですが、
全体として、あまりピンときませんでした。

2018年1月23日火曜日

表参道

今日はなかなか「スキ」のない1日でした。

まず12時前に表参道に到着し、
そこから画廊MUSEE F を目指します。
今ここで、
われらが総合芸術系の院生の一人が作った映画が、
上映されているのです。
で、見てみたら……
おお、意外に(と言ったら失礼ですが)おもしろい!
ある若いカップルが、
月島らしきアパートに住んでいます。
そこに、男の子の兄が、数年ぶりに、
突然現れ、行くとこがないからいさせてくれ、と。
で、おいおい分かるのですが、
実はこの兄、少年院(か刑務所)から出てきたところなのです。
しかも彼は、またここでも、
似たようなことを繰り返し、
それを見た弟は……
というお話。
1時間にしては、横に展開する物語部分の駆動感がやや弱く、
心象風景に頼りがちな気もしましたが、
最初の作品としては、ちゃんとできていると思いました。

でその後は、
新人監督とランチをして、
まあ上に書いたような感想を伝え、
その後、
あの『パリのすてきなおじさん』の著者、
金井真紀さんと打ち合わせをしました。
予想通り、「話す」ということがとても上手な方で、
あの本が生まれたのもむべなるかなと思いました。
(下北沢でのイヴェントは、3月10日の3時、になりそうです。)

で!
実は昨日、金井さんがNHKラジオに出演されていました。
1週間だけ、ここで聞けます!(10時台)



でそのあと家に帰り、
例のマイフレンチフィルムフェスティバルで、
2本の映画を見たのですが、それは
(以下明日に続く)

今日の東京は、天気予報通り、雪でした。

先日作った箱庭は、
順調に成長し、昨日はこんな感じでした。


ニワトリさんが、花に埋もれています。
で、今日は、
小さなかまくらを4つ。

2018年1月21日日曜日

Cherchez la femme

イラン系フランス人である若い女性監督、
Sou Abadi の、
初めてのフィクション映画である

Cherchez la femme (2017) (『その女性を探せ(犯罪の影に女あり)』)

を見てみました。

https://www.youtube.com/watch?v=_WmpSTj-rjE

わたしとしては、
パリに住むイラン系フランス人が主人公、
というだけで興味深く、
なかなか面白かったです。
ただ、「コメディ」として作られているのですが、
そういう funny な面白さは、それほどでもない、かも?

恋愛中のカップル、レイラとアルマンは、
パリの名門シアンス・ポの、修士の2年目。

アルマンは、本名はArmandjun。
彼の両親は、イラン革命(1979)のとき、
フランスに政治亡命したインテリカップルです。
(当時、インテリや共産主義者が、多く殺されました。
2人は亡命したことで難を逃れましたが、
一方では、イランの現状に対して、
罪悪感をも抱いています。
自分たちが行動しなかったから、
イランはこんな風になってしまった……と。)
母親のほうは、筋金入りのフェミニストなんですが、
なぜか、親戚の女性と息子を結婚させることにこだわるという、
はっきりした矛盾を体現しています。
そしてそのせいで(?)、
アルマンは母親にレイラを紹介できないでいます。

さて、レイラとアルマンの2人は、
これから、国連がNYで行う研修に参加する予定で、
張り切っているのですが、
そんなとき、
レイラの兄が10か月ぶりに帰国します。
実はこの兄、妹たちには秘密で、
イエメンの過激派組織で訓練を受けていたのです。
(この辺が、コメディにしてはドキッとさせ過ぎ?)
まったく様子が変わってしまった彼は、
資本主義的な価値を否定し、
やがては妹レイラを、部屋に軟禁します。
スマホは、シムカードを抜かれ、
しかも兄はそれを飲み込んでしまうのです。
で、
物語が本格化するのはここからなんですが、
レイラに会いたい一心のアルマンは、
ヴォランティア活動しているセンターで、
アフガン出身の難民からの提案を採用し、
なんと、チャドルで目以外は隠し、
女性として、レイラの家を訪ねることにしたのです。
そして、この訪問を重ねるために、
アルマンはコーランを猛勉強し、
兄の質問にも、
美しく答えてゆきます。すると……
なんとこの兄が、アルマン扮する女性、シエラザードに、
恋してしまうのです……

この映画の背景にあるのは、
もちろん「過激化」の問題です。
ただ、この映画が目指しているのは、
その解明や告発ではなく、
それを抜け出た新たな地平の提示なのでしょう。

でも人物として一番複雑なのは、
アルマンの母親なのでしょう。
政治亡命者で、インテリで、
フェミニストで、伝統主義者で、
学歴と、フランス社会での成功に価値を置き、
79年当時の熱狂は遠い……。
彼女を主人公にした作品も、
ぜひ見てい見たいと思いました。
(つまり、監督の母の世代を描くということですね。)

2018年1月20日土曜日

開幕!

マイ・フレンチ・フィルム・フェスティバル、2018年、
ついに開幕しました。

https://www.myfrenchfilmfestival.com/ja/

ドキュメンタリーの『スワッガー』、
(DVD買ったのにまだ見てなかった)『ジャングルの掟』、
パキスタン系ベルギー人がヒロインの『婚礼』など、
おもしろそうな作品が並んでいます。

楽しみましょう!

「制裁が効き始めている結果」

https://www.jiji.com/jc/article?k=2018011800331&g=use

北朝鮮に対する「制裁」についての、
外務大臣のコメント。

「食糧不足のため、
冬にもかかわらず燃料が不十分な船で出漁を命じられた」結果、
「(昨年)100隻以上の漁船が日本に漂着し、
乗組員の3分の2が死亡した」のは、
「制裁が効き始めている結果」である、と。

じゃあもっと「死亡」すれば、
もっと効果が上がっていることになるわけですね?

これが、「お・も・て・な・し」の国?
(「ひ・と・で・……」?)

2018年1月19日金曜日

市電

今日は院生と一緒に、
ランチを挟んで、
2本の映画を一緒に見ました。
1本は、ブニュエルの、

『幻影は市電に乗って旅する』(1953)

もう1本は、

『ゾンビ革命』

両方とも、以前ここで紹介したことのある映画です。

前者は、廃車になることが決定した市電、133号を、
夜中、酒に酔ったその運転手と車掌が、
勝手に街中を走らせる、というお話。
そしてそこに、まあいろんな人が乗り込んできて、
いろんなことが起こる、というわけです。
そしてこの「いろんな人」の中には、
労働者も、資本家も、信心深い老女も、
孤児も、公爵も、警官もいます。(屠殺された牛も。)
さらには、背景にある経済的格差の中で、
トウモロコシを密輸するマフィアも登場し、
さながら社会の縮図となっています。
ただ、こうした「現実」が、
夜中に街を走る市電という、
全体として1つの「夢」のような場で生起し、
それがほんとに現実なのかそうじゃないのかわからなくも感じられる、
ということになります。
この、超現実に盛られた現実、という構造は、
とてもブニュエル的だと感じました。

2018年1月18日木曜日

いつも

ふだん、「金言」的なものは、
あまり好きではないんですが、
今日、あるエッセイでたまたま読んだ言葉は、
今の時代、
重要なことだと思ったのでした。

「だれも悪をもって悪に報いないように心がけ、
お互いに、
またみんなに対して、
いつも善を追い求めなさい」
(新約聖書テサロニケ人への第一の手紙、第五章十六節)

そしてこの後、こう続くのだそうです。

「いつも喜んでいなさい」

これができれば、いいですね。

2018年1月17日水曜日

「人は豚に生まれるのではない、豚になるのである」

先日、アディーチェの書いた

『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』

という本を読みました。
で、
ここしばらく、アメリカを中心に、
MeToo運動が広がっていて、
それはどうしてもやらねばならないこと、
日本でも早くやればいいことだとわたしも思っていますが、
ご存知の通り、
かのカトリーヌ・ドヌーヴら100人のフランス人女性たちが、
それに反対する、まさに反動的な声明を、
ル・モンド紙上で発表しました。
これが、4日ほど前のこと。

でも、
このドヌーヴたちの反動に対し、
すぐに否定する意見が、
フランスでも現れています。

↓ これが、今日本語で読めるベストな記事でしょう。

http://pepecastor.blogspot.jp/2018/01/blog-post_13.html

の原文は、ここで読めます。

www.liberation.fr/france/2018/01/12/un-porc-tu-nais_1622145


とてもいい文章ですね。

2018年1月16日火曜日

意識と更新

今日、わたしが担当している授業は、
試験を含めてすべて終了しました。
(パチパチパチ!)
あとは試験の採点などがありますが、
これも来週には終わるでしょう。

今年の授業で印象に残ったのは、
まず、大学院の授業で、
久しぶりに「東京詩」を取り上げたこと。
7人のクラスで、その内5人が建築系、
2人が総合芸術系だったのですが、
やはり、ちがう専攻の院生がいると、
見方も感じ方も違うので、
刺激があっていいと思いました。

またこの「東京詩」では、
今までは、
20世紀、つまり明治時代の後半に入り、
詩の対象が拡大してゆく過程で、
都市(ここでは東京)もまた、
そうした対象になってゆく、
みたいな言い方をすることが多かったんですが、
今回は、(まあ大して違わないんですが)
都市というものはすでにあって、
でもそのことと、
人がそれを「都市」だと意識することの間にはちょっと差があって、
この「意識」の始まりの一つの現われが、
詩の中に呼び出された「東京」(の断片)なのではないか、
みたいな言い方をしてみました。
これはたとえば、
A子さんはずっと近くにいて、
「わたしは」そのことに特別な意識はなかったのだけれど、
ある事件をきっかけに、突然、
彼女が女性であることを意識し始めた、
みたいなことなんでしょう。
もしろんA子さんは、
初めからずっと女性だったわけです。

そしてもう1つ。
これはとても単純なんですが、
「ワールド映画ゼミ」で、
『わたしは、ダニエル・ブレイク』や『パレードへようこそ』を通して、
イギリスを取り上げたことです。
これはわたしには新鮮でした。
今までは、
ロンドンのエレファント・キャッスルなど、
ごく一部の地域に触れるだけでしたから。
授業時間が限られているので、
新たな要素を次々に増やすことはできないんですが、
やっぱり更新は必要ですね。