2009年7月29日水曜日

こんな歌姫


で、そのハイチ宗教関連グッズ店では、若い女性が一人で店番してたんですが、聞けば、彼女が自分でハイチに買い付けに行くんだそうです。

「すごく細かい細工の、旗みたいなものを見たことがあるんですけど」
「ああ、あれね。あれはとってもきれいね。でも、あんまり高いものはここでは売れないから、買い付けては来ないんだけど」
「こいうものって、ここでもやっぱり宗教儀式に使うわけですか?」
「そうだけど、目に美しい、ってのが一番。だからまあ、飾り物って考えてくれていいの」

はあ、じゃあ髑髏(どくろ)もブラック・マリアも、飾りなんですねえ……。というわけでわたしも、ブラック・マリアの描かれた絵が張ってある、赤いキラキラの瓶を買ってみたのでした。

そしてそこから数軒先には、ハイチの絵やCDを売る店が。もしかして、アマゾンで見ると4000円以上付けている、Muzion のデビュー・アルバムがあるかも、と思ってはいると、おお、ありました、10ドルで! しめしめ。

この店で売っている絵は、(素人のわたしからすれば)なかなかいい感じに見えます。値段も高くないし。でも、ちょっと持って帰れないし…… で代わりに、またここでも小さな飾り物をゲット。

ムッシュにお金を支払う時、ついでにメリッサ・ラヴォー(原宿で聞いた歌手です。)のことを訊いてみると、ああ名前は知ってるよ、という返事。ですかさず原宿でのコンサートのことを話すととても驚いて、じゃあ***(←聞き取れない)・ミッシェルも聞くか? と言うので、ミッシェル? というと、さっとカウンターから飛び出します。

ほらこれ。見ると、壁に並んだCDの中に、ありました、Emeline Michel のCDが2枚。これいいんですか? とってもいいんだよ。そうか…… じゃあ、1枚買います。こっちの、ベスト盤がいいかな。ほんとに? よし、じゃあこっちの最新版は、俺からの petit cadeau だ。もってけ、ドロボー!(とは言ってないです。)

というわけで、太っ腹なムッシュに、1枚プレゼントしてもらったのでした。

そして、調べてみました。ああ、こんなに You Tube に挙がってる人なんですねえ。(もしかして有名人!?)たとえば最新アルバムから、これはどうでしょう。


そしてアンプラグドも。(歌は1分あたりから。)


Oh, アイティ!(=ハイチ)

2009年7月28日火曜日

モンレアル/モントリオール・10


というわけで、何枚も挙げた割には、フツーの写真ばかりで恐縮です! でも、この前の大連の時に比べると、「既視感」というのとはちょっと違いますが、それでもどこか「既」という感じが強いのでした。教会も、カフェのテラスも、石畳の道も。もちろんよく見れば、モンレアルはモンレアルでしかないのですが、フランス的なもの自体、アメリカ的なもの自体は、初めて見るわけではないので……

それでもモンレアルが新鮮なのは、やはり2つ(以上)の文化が混在しているからなのでしょう。ここに挙げたハイチ宗教物店(?)なんて、これは日本では見たことありません。モンレアルには、こんな店が営業していけるだけの人たちがいる、ってことですね。

統計によると、コート・ド・ネージュという地区だけで、約80のエスニック・グループが住んでいるそうです。80ですよ!

モンレアル/モントリオール・9


なるべくフツーのスーパーに行きたいんですが、とマダムに訊くと、教えられたのがここ。わたしの行きつけのスーパーよりは、少し高い感じ。お菓子なども、種類は少なめです。お惣菜コーナーには、なんと寿司(に似た何か)もありました。果物は種類豊富でした。

モンレアル/モントリオール・8


メトロです。車輪はゴム製なんですが、車内の騒音はひどい。でも、i-pod 聞いてる人、多いんですよねえ。聞こえるんでしょうか?

モンレアル/モントリオール・7


ちょっと郊外にある Jean-Talon という市場。カナダ$5.00=約480円。ここでは茹でたてのトウモロコシも売っていて、これが$1。小さめだけど、すごく甘かったです。で、2本いただきました!

モンレアル/モントリオール・6


Chapters という英語系の本屋の2階に、おなじみスタバがありました。で、大連に続き、ここでも「ご当地マグ」ゲット。(ただしデザインは、両方とも「……」です。)

モンレアル/モントリオール・5


女子たち。(左端の女の子が道路に飛び出したので、ママンに怒られています。でも最後はキス♥)

2009年7月27日月曜日

モンレアル/モントリオール・4


毎日朝ごはんを食べていたフード・コート。地下1階ですが、天井は部分的にガラス張りなので、明るいです。

モンレアル/モントリオール・3


とっても若いお母さん。(ハイチ・フェスティヴァルの野外コンサート会場で。)

モンレアル/モントリオール・2


サン・ポール小路という、古い通りで。

モンレアル/モントリオール・1



ノートルダム寺院。(は右端です。)

Hi ! Bonjour !



おひさしぶり! というわけで、無事戻ってまいりました。帰りは、「モントリーオル→トロント」も、「トロント→東京」も en retard と表示され、どうなることかと思いましたが、結局1時間半程度の遅れですみました。やっぱり、東京は蒸しますね。

モンレアル/モントリオールはいい街で、わたしは好きになりました。特ににぎやかな地区は2つあって、それはダウンタウンと旧市街なんですが、その両方を合わせても、そうですねえ、多分新宿よりは小さいかも。(でもまあ、新宿は手足を伸ばすと、かなり大きいですけど。)

で、たとえばダウンタウンの街角で信号待ちをしていると、右耳にはフランス語、左耳には英語が聞こえるということがよくおこります。それ以外の、スペイン語(多分)やイタリア語(多分)なども、聞こえることがあります。

そういう事情、読んで知ってはいたんですが、やっぱり最初はくらくらします。お店に入ると、店員さんは、

Hi ! Bonjour !

と、どちらでもいいように声をかけてきます。これはたいていどこでも。しかも Hi ! と Bonjour ! の「間」はまったくないので、まるで1単語みたい。面白いですね。

というわけなのですが、話は明日に続きます。とりあえず、ア・ドゥマン!(画像は、モン・ロワイアルから望むモンレアル/モントリオール全景。奥はサン・ローラン/セント・ローレンス河。)

2009年7月19日日曜日

アビアント!


夕方ちょっと外に出たとき、一応確認してみたところ…… いました、今日は9羽のカモさんが!

そして家に帰ってみると、おお、大きな虹です。ちょっとベランダから撮影してみました。(画像)

見ていると、どんどん色が鮮やかになってゆき、でもやがて薄まってゆき、なんだか人生のよう!(←チンプ!)

さて、明日の夕方の飛行機で出発し、来週の月曜日の夜に帰ってくる予定なので、みなさんとは1週間のお別れです。(ホテルは、かつてジョンとヨーコがベッドインを行ったところだそうです。)暑いですが、どうぞお元気でお過ごしください。なにか、面白い土産話があるといいのですが。

では、アビアント!

2009年7月18日土曜日

飲み過ぎか?



毎日読んでいる、詩人・清水哲男さんの「増俳」。今日の「巻頭の一言」は、これでした;

衆議院を解散するより先に自民党を解散しては如何。もはや烏合の衆也。(哲

ウケました! まさにね、そんな感じ。しかもこういうセリフは、清水さんのような人生の先輩に言って欲しい、と思うのはわたしだけではないでしょう。

政権交代、が、ついに実現しそうな今日この頃、色んなところで色んな意見を読みますが、印象に残ったのもがいくつかありました。

そのうちの一つは、イギリス人ジャーナリストが書いていたことで、ワタシは民主党のシンパでは全然ないが、それでも政権交代には大賛成、なぜなら、それが民主主義のあり方だから、というものでした。彼の頭の中では、イギリスの政権交代が前提となっているのでしょうが、たとえそうであっても、いかんせん日本は一つの党の政権担当期間が長すぎる感があります。

彼はもう一つ、これも自国の政権交代を間近で見た人らしく、ああそうだよね、と思わせられる言葉を書いていました。それは、政権交代の準備ができている政党など存在しない、ということです。野党で頑張ることと、それはまったく異質の事柄で、政権については初めて、みんな急いで学習するのだ、だから、準備不足だなどというのは、言う意味のないことなのだ、というわけです。

なるほどね。これは別の日本人も、言い方は違えど同じ内容を語っていました。明治維新のときだって、実は日本はひどいドタバタで、いわゆる「明治の偉人」的な立派な立ち振る舞いからは程遠かったのだと。これもね、フツーに考えれば当たり前のことでしょう。

そしてさらには、これは多くの人が指摘しているように、「システム」そのものが限界なんだ、だから、今の政権党がどんなに改革を重ねても、それは無駄な抵抗。つまり、泥船を別の泥でふさいでいるようなもので、これはとにかく船を換えなきゃ、というわけです。中には、これがほんとの「戦後」の終りだ、なんて、(今までに何十回も聞いたようなことを)叫ぶ人もいるようです。でも、もし政権交代が実現すれば、それはたしかに大きなことにちがいないでしょう。

でも……

今「(戦後)システム」の寿命が尽きかけているとして、それでも政権交代によって、その前提である「国家」は生き延びられるのだとしましょう。そして思うのは、いつの日か、「国家」の寿命が尽きるとき、その前提である「わたしたち」は、いったいどうやって生き延びられるのか、ということです。

第二次大戦後のフランス思想は、結局「アナキスムの系譜」だとする見方もあるようです。

(なんだか、つい息巻いちゃいました、屋台で飲んだくれるオジサンみたいに! 梅酒飲み過ぎたか!?)

2009年7月17日金曜日

S


暑いですねえ。とはいえ、いわゆる「梅雨明け10日」のイメージほどでもない気もしますけど。

実は昨日で、前期のわたしの担当授業は終了しました。で今日は、試験の採点をしに大学に行っていたのですが、同僚の仲間たちもほとんど顔を見せていました。共通の学内業務に関してなど、他愛のないおしゃべりをするわけですが、話の端々にわたしの知らない考え方のヒントがあり、面白いです。まあいつも思うことですが、わたしにとっては、恵まれた職場です。

さて、モントリオールへの出発(月曜日)が近づいてきました。荷物を宅急便で空港に送るつもりなので、そして1日余裕をみておきたいので、明日の夕方までに荷造りをしなければなりません。もちろん、まだ何一つ手をつけてません!

モントリオールに行く、と言うと、多くの人から「遠いんだよね~」と言われます。そう、たしかに遠い。しかも直行便がないので、乗り換えが必要です。

エア・カナダで行く場合は、バンクーバー経由と、トロント経由があるのですが、周囲に聞いたところでは、トロント乗り換えのほうが楽だ、ということだったので、それに従いました。トロントからなら、1時間ほどです。(東京~トロントは、13時間ほど。)

ただ、これがエア・カナダ以外の会社だと、合衆国のどこかの都市で乗り継ぐこともあり、それだと遠回りなので時間もかかるし、あまりいいことはないようです。
                                                さて、成績の方ですが、東京詩ゼミも、フランス映画ゼミも、めでたく全員合格です。もちろん(?)、全員「S」ってわけじゃないですが、特に映画のほうは、比較的いい成績が並びました。東京詩のほうは…… 去年に比べると、全体にもう少し集中力が欲しかった気がします。(と先生風。)
                                               後期のことは、まだあまり考えてませんが、少し力点をずらしていこうとは思っています。ただ映画ゼミの、1回600字の映画評、というのは、なかなかよかったみたい。というのは、みんなだんだんうまくなるから! なんとなく600字の感覚が掴めてくるんでしょうか? 映画も、ただ見るだけじゃなく、なんでもいいからちょっと書いてみると、自分に対する発見もありそうです。
                                              さ、明日は荷造りです!

2009年7月16日木曜日

彼らはどこからきたのか


というわけで今日は、朝から晩までゲラとニラメッコという、やたらシンキクサイ一日でした。梅雨も明けたっていうのにねえ。

でも夕方、ほんの30分ほどですが、散歩に出ました。

近くに、川幅5メートルほどの川があります、といっても決して清流ではなく、背の高い水草に覆われ水面が見えないところさえあるのですが。

で、この川には、カモが住みついています。もちろん野生のカモです。借りている駐車場がその川に面しているので、ほぼ毎日、カモたちと顔を合わせます。そして今日も、2羽のカモが静かに浮かんでいました。

これは初めてのことなのですが、わたしは持っていたパンの切れ端を、彼らに投げてみました。すると2羽は、見たこともないような俊敏さでパンに泳ぎ着き、あっという間に食べてしまいました。

不思議なのはそれからです。30秒もしないうちに、上流のほうから新たなカモが現れ、水に浮かんだパンの欠片を探し始めたのです。そして……

それから3分後には、なんと合計で8羽ものカモが集合していました! 知りませんでした、こんなにたくさんいるなんて……

それにしても、匂いなんでしょうか? それとも、わたしには聞き取れない周波数の信号で、仲間を呼び寄せたんでしょうか? ただそれにしては、完全に奪い合っている風情でしたが。

小さな発見、というわけでした。

2009年7月14日火曜日

前期ゼミ終了、乙!


今日は2つのゼミの最終日、なんとか、無事終えることができました。

東京詩のほうでは、cune という初耳のバンド(ただし、HITOMI の samurai drive は、彼らの曲のカバーだそうです。)やら、ボン・ジョビのTOKYO ROAD やらも登場し、賑やかでした。

また映画のほうは、わたしとしては伝えたいことは伝えられました。学生たちは、半期で9本のフランス映画を見、そのすべてに600字のコメントを付け、2回のディスカッションでは他の人の意見を聞き、自分の見方を述べてもらいました。少なくとも、やらないよりはよかったでしょう。両ゼミとも、学生の皆さんはお疲れ様でした!

(でも本当は、半期じゃなくて1年やりたいところです。そしたら、ブックレポートも課して、「書く」練習ももっとみっちりできるでしょう。ま、実際はムリな状況なんですけど。)

                  ❦

ここ数日、グレープフルーツがおいしくないので、朝はオレンジを食べています。これが、おいしい! 今オレンジはおいしいです。

                  ❦

で、重なるときは重なるもので、今机には、けっこうな量のゲラが積み上がっています。ひとつは先日も触れた改訂版の第2校。そしてもう一つが、秋に始まる「まいにちフランス語」(再放送)のゲラです。これは「再」だから、もうゲラ直しはいらないのかと思いきや、あるんですねえ、一応。まあこちらは、NHK出版のアキ子さんが優秀なので、彼女に頼ることにします!

2009年7月13日月曜日

良寛


唐突ですが、「近代」っていつから始まったんでしょう? 明治から? 電車が走り始めてから? 参政権が平等なものになってから? 

それはもちろん、なにをもって「近代」とするかによるわけですね。で、たとえばそれが電車とともに始まったというなら、電車は何を可能にし、そうして可能になったものは「近代」にどんな性格を与えているのか、まで言わないと、あまり意味がないかもしれません。

ただそれは逆に言えば、色んな意味付けを与えられた、色んな「近代」があり得るということでもあるようです。

さあ、なぜ急にこんな話なんでしょう? 昨日キリスト教の話が出たので、これはまたまた、先日 i-pod で聞いた吉本の講演を思い出してしまったわけです。で、ノートに整理する代わり、ここでちょっと整理しちゃおうというコンタンです!

今回の主人公は良寛(1758-1831)です。明治まであとちょっと、という時代ですね。

良寛については、たくさん本も出ています。だから詳しいことは措くとして(あるいは wiki に譲るとして)、ひとつポイントは、彼が若い頃、数年間禅の修行をして、結局挫折してしまったという事実です。

仏教は、一つには<宇宙>と自己との合一を目指す、と言ってもいいのでしょう。その境地に至れば、この世の辛さやら悲しみやらとは無縁になれる、と。そしてそれを、禅という肉体の修練を通して目指していく、ということなのでしょう。


とはいえ、その境地は、言ってしまえば「無機質との合一」以外ではない、ということになってしまいます。まあね、生きていれば、もう、ね。

で、その道を辿ろうとして挫折した良寛は、いわば文学に向かいます。(一般的には、自然や、無邪気な子供たちのほうへ近づいた、ということになるのでしょうか。)そして晩年、良寛は一つの詩を書き、そこで、今自分は夜の床に居て、下の世話さえできないでいる、早く夜が明けて、世話をしてくれる彼女が来てくれないか…… と書きます。

ここにあるのは、「苦」です。「苦」が、詩の対象となっている、と言えそうです。でもこれは…… 禅が理想とした境地とは、まるで正反対の地点です。つまり、こうしたことを書くこと自体、良寛にとっては、挫折の生き直しでさえあるかもしれないわけです。ここには、肉体の「苦」と二重になった、精神の「苦」もあるのでしょう。

しかし、しかしです。

「苦」を対象とする詩は、江戸期に書かれていたのでしょうか? これはむしろ、明治以降、新体詩以降の詩のあり方ではないでしょうか? そんな風に考えることができ、もし本当にそうだとするなら、この良寛の晩年には、一つの「近代」を見てとることができそうです。彼自身にとっては二重の「苦」であった詩を、それでも良寛は書かずにいられなかった。彼の「目」が、それを見ていた。つまりこの「目」には、「近代」の萌芽が潜んでいるのではないか?

……とまあ、こんなお話なんです。(ただし、正確にこのままではありません。わたしが、自分に分かりやすいように変えてしまったところもあります。)

ほんとに、吉本さんには感心しちゃいます。こんな面白い話を、いくつもしちゃうんですから……

2009年7月12日日曜日

ラブ・コメ?


東京は今日梅雨の晴れ間、ではありましたけど、今年は、そんなに雨雨雨って感じでもないですね? 蒸し暑いのはいつものことですが。

さて、先週2度話題にした Odette Toulemonde「地上5センチの恋心」、学生の「映画評」が提出されて、あることに気づきました。

評価の多少のバラつきはありますが、彼らは一致して、この<ラブ・コメ>は〇〇である、という態度でレポートを書いています。ミュージカル的要素(ベーカーのことですね)を云々する場合も、それが<ラブ・コメ>にとってどういう効果を生んでいるか、という視点です。それはもちろんフツーの反応だと思いますが。

ただ、たった1人、Tさんだけは、他の誰も触れなかった要素に注目しています。それは…… 

実はこの映画には、キリスト(!)が登場しています。1回の登場時間は数秒ですが、都合5回ほど、なんでもない場面にも、重要な場面にも、登場しているのです。彼は、一応、オデットが住む(高級ではない)アパルトマンの管理人で、長髪の、若い男性です。

Tさんは、このキリストはオデットの幻想であるという前提で、そこに「救い」の比喩を見ているのです。たった1度しか見ていないのに、そこにキリストがいることをはっきり意識し、その意味を探ろうとしているところは、素晴らしいです。彼女はもちろん理工学部の学生ですが、文学部の学生でも、これくらい鋭敏な学生は少数だと思います。ま、それはともかく。
                                               キリスト関連で1番印象的なのは、イエスが近所の(?)子供たちの足を洗っている場面です。新訳の中では、最後の晩餐の後、(本来は食事前にするようなことですが)イエスは12人の弟子たちの足を洗うと言い出します。ペテロは言います、いやそんなことさせられません、と。というのも、当時それは基本的に奴隷の仕事だったからです。
                                               しかしイエスは言うのです、足を洗うことによってのみ、わたしはあなたと繋がるのだ、と。それはどうやら、過去だけでなく、未来における(ペテロを含む)人類の行いの罪を、ここで洗い流しているのだ、ということになるようです。
                                               ペテロも、やがでそのことに気づきますが、それは、3度イエスを否認し、イエスが十字架に架けられ、そして復活したあとのことでした……

そしてもう1つ、先週紹介したジョセフィン・ベーカーのこともあります。正確にご紹介しましょう。なぜベーカーが好きなのか、と訊かれたオデットは、こう答えます。

Je suis noire à l'intérieur. (内面において、わたしは黒人である。)

これに対する返答は特にないのですが、このセリフを言うオデットはアップで撮影され、印象に残る表情を作っています。となると……

この「地上~」は、単なる<ラブ・コメ>とは言えなくなります。キリストとベーカーという2つの(しかもタイプの違う)イコンが、作品全体を貫いているからです。

明後日の火曜日、最後のゼミで、この話をする予定です。さて、梅雨明けまでもう一息、なんとか乗り切りましょう!
                                             ※画像:「神よ、彼らを許したまえ、なぜなら彼らは、本当にアホすぎなんです……」

2009年7月11日土曜日

ジャズ・フェスティヴァル


1ヶ月くらい前、原宿でメリッサ・ラヴォーのコンサートを聞きました。その時のサイン会で、わたしがモントリオール(彼女の出身地)に行く予定があることを話すと、わたしも7月の2日と3日にモンレアル(=モントリオール)でコンサートをするんだけど? と言っていたのですが……


それは、モントリオール・ジャズ・フェスティヴァルの、数あるコンサートの一つでした。そして、帰モンしたパコから、彼が行ったコンサートのライブ映像が見られるサイトが伝わってきました。




こんな雰囲気のコンサートが、2週間も続くなんて、夢のようですね。今年はスティーヴィーも参加しているし。うらやましいです!

2009年7月10日金曜日

暑気払い


今日は、わたしたち総合文化教室の「暑気払い」がありました。

場所は、タイユバンとマキシム・ド・パリで迷ったのですが、結局会議室(!)に落ち着き、わたしを含む3人で、近くのスーパーに買い出しに。(飲み物類は、もう1人の先生が買っておいてくださいました。)

まずは寿司、それから漬物色々、揚げキムチ餃子、生春巻き、切れてるカマンベール、アスパラのお浸し、ポテトサラダ、ミニトマト、etc。これで、飲みもの込みで1人1800円。さすが会議室、安上がりです!

思想論を担当なさっているT先生は、総文では最年長なのですが、彼がその後8年に及ぶドイツ生活を始めたのは、1964年だったそうです。これって、東京オリンピックの年ですね。

その当時は、もちろん(と言っていいですよね?)1ドル=360円で、パスポートは鹿の皮でできていたそうです。しかも、当時の首相の直筆の署名もあって。その頃は、フツーに「外遊」なんて言ってたそうです。

「それにしても、ドイツは戦争について跪いて謝って、その態度が周囲の国々の理解を得たけれど、日本は謝ったかと思うと、また別の大臣あたりがアレはなかったみたいなことを言いだし、また謝ってまた否定、みたいな繰り返し。ドイツに一貫性があるのは、EUの他の国の目が絶えず光っているからではあるんだけれど。ただドイツは、「EUの1国」になったことで、日本への単独の影響力はずいぶん落としたよね」

う~ん、なるほどね。そういうバランスの変化はあるでしょうね。

……というわけで、09年暑気払い@会議室、無事終了いたしました!

2009年7月9日木曜日

Josephine Baker


で、その「地上5センチの恋心」です。これはある種のラヴ・コメで、主人公は夫に先立たれた主婦、オデット。彼女はデパートの化粧品売り場勤務で、美容師の息子(19歳)がいます。息子はおおっぴらにカミングアウトしている可愛いゲイで、とても母親と仲良し。この二人の仲の良さは、なんだかとてもいい感じ。それからオデットには娘も一人いるのですが、こちらは歩く不機嫌。しかもややキモイ彼氏がいて…… こういう枠を背景にして、事件は起こります。

事件、それはオデットの恋なのですが、相手は彼女が熱愛している小説家本人。彼は奥さんと色々あって、オデットに接近することになります。

このオデットの反応が、平均的なフランスの女性の反応かといえば、それはよく分かりません。ちょっと古めかしいような気もします。ただ、そこは階級社会フランス。映画の中でも、「売り子や美容師にしか受けない小説」みたいな言い方がフツーにされているのですが、そのあたりのことも意識して見る必要があるのかもしれません。

で、映画の中のアクセントに使われているのが、意外にもジョセフィン・ベーカー(画像)の歌です。その歌に合わせて踊るオデットの様子は、たしかにジョセフィンを意識しています。
ジョセフィン・ベーカー? とにかくこれを!


つくづくYou Tube さまさまです。( wiki は各自!)ついでに、映画の中でも聞こえてきた「ハイチ」という歌。これは歌詞つきでどうぞ。


オデット一家の踊り、1番の見せ場は;


息子のルディがバナナを腰に付けていますけど、これも、まさにベーカーのスタイル(も1度上の画像をご覧ください!)ですね。
                                               ところで、この「地上~」の監督・脚本は、実は先日(6月14日)ここでも取り上げた、「イブラヒムおじさんとコーランの花たち」の脚本家でもある、エリック=エマニュエル・シュミットです。「イブラヒム」のほうでは、ユダヤやイスラムがテーマの一つになっていました。ということは…… 平均的(?)白人家庭でこんなにも愛されているのが、初の黒人スターとも言われるジョセフィン・ベーカーであることが、意味のない思い付きだったとも思えません。
                                               小さなラブ・コメに奥行きを与えるのは、こんな演出なのでしょうか?

2009年7月7日火曜日

長きもの


一週間ほど前のことだが、総文の研究室が並ぶA館5階の突き当りにある資料室である論文を読んでいると、ルナールの「蛇」ほどは長くないにしても、昨今のブログ風の文体と比べれば異様に長いといってもいい文と出会った。

資料室というのは、実質「談話室」、なんなら「井戸端」と古風にいってみてもいいような場所であり、その時もわたしの周りには数人の同僚教員が陣取っていたので、わたしは試しに、やたらに「、」が多い割には、その登場のタイミングが少なくともわたしの読む時の呼吸とは相容れない「山鳥の尾」のような文を読んで聞かせた。どうですかわたしはいくらなんでも長いように思うんですけど、と言い添えて。

う~ん、と言う同僚たちの中でただ一人、中国語の達人(というか、なんと日本人に間違えられるという)林先生が、そんなに長い文が似合うのは金井美恵子以外にいないのではないか、と冗談半分に言った時、わたしは一瞬とまどったが、金井の文章のリズムが体のどこかでよみがえった瞬間、なるほどこの「尾」はぎごちない金井風だと言えるのだと思った。

わたしは金井のいい読者ではないが、たとえば雑誌に彼女の名があれば、それはやはりデザートのようにとっておき、その雑誌の締めくくりに読んだりする程度には好きなのである。ただ、金井の文章について誰かとしゃべった記憶がないので、意外なところで林さんの口から出たその名に、たじろいだというのとはちがうが、たしかに一瞬思考停止のような感覚に襲われたのだった。

長い文と言えば、これはやはりプルーストのことが思い出され、するとどうしても、学生時代に読まされたあの入り子が渦巻くような文章が、あの時の教室の雰囲気と一緒によみがえり、ついでに、今は日本を代表する通訳になったF さんと、パリで 1度だけご一緒させて頂いたレストランの名前が「失われた時」だったなどという、愚にもつかないことも思い出されてくる。

となると話はあの大河小説(というのとは少しちがうが)のほうに行くかと思えば、わたしがここで書きたいのは、今日のフランス映画ゼミで見た「地上5センチの恋心」という映画についてなのである。

なぜここに繋がるかと言えば、それはこの映画の原題が Odette Toulemonde という女性主人公の名前そのものであり、オデットは「失われた時」の欠くべからざる人物であるからなのだが、そんなことより、むしろこの邦題のほうが問題なのではないか、と思われる方も多いだろう。結果として、この邦題は悪くない、と一応は言えるとわたしは思うのだが、映画を見てみれば誰でも気づく通り、実際は「5センチ」でも50センチでもなく、それは明らかに5メートル以上なのであった……

というわけで、本日は「金井」風で失礼いたしました!

2009年7月6日月曜日

変わらない?


このところ、どうも「政治の季節」ですね。静岡では民主系の候補が勝ったりして。

数日前の朝日新聞のアンケート結果を見ると、とりあえず政権交代を望む声が、自民継続の希望を、明らかに上回っていました。ただちょっと目を引いたのは、政権交代によって日本はよくなると思うか、という質問に対して、過半数の人が、変わらんとは思うけどな、と答えていたことです。

こういう態度は、日本ではず~っとあるものです。というか、こういう気持ちが欠片もない、という人のほうが珍しいのでしょう。政権交代すれば、バラ色の未来が待っている、とは、民主支持の人でさえ、必ずしも信じてはいないようです。

これって、どこからくるんでしょう?

もちろん色んな説明があるのでしょうが、まず思い出されるのは、毎度おなじみ、吉本隆明の見方です。

「アジア的」(というのは、空間だけでなく、時間を含んだ概念。原始時代と古代の間。)段階にある支配の特徴は、すべてを上から統制するのではなく、すでにある共同体の構造(や宗教など)を破壊することなく、その上に支配する側の共同体を載せる、ということだといいます。たしかに、思い当たる気がしますね。

で、仮にそうだとして、一庶民の立場からそれを眺めた場合、彼はどんな気分を味わうでしょうか? え? 上が変わったの? でもオレの生活は変わらないけど? と思うんじゃないでしょうか。

さらに言えば、たとえば日本の文人たちの多くは、いわゆる「花鳥風月」を相手にし、そうしたのもとの合一とか、そこから生まれる感興とかを問題にしてきたわけですが、これは裏を返せば、自分が現にそこで生きている「制度」を問題視し、それについてあ~でもないこ~でもないと考えることの中から、なんというか、社会についての見方を導き出し、その上に立って詩文をものしていく、という態度とは無縁だ、ということになります。これもまた、「アジア的」社会という地点から、ある程度説明できそうです。(そしてこの先には、隠遁生活、があります。)

……とまあ、受け売りを並べてみました。で、「わたし」は、アジア的?

2009年7月4日土曜日

サイボーグ


みなさん、お元気でしょうか? こちらは、土曜日ではありますが、会議(×2)のため大学に行ってきました。

何日か前、『東京詩』の刊行を危ぶんでいましたが、どうやら、9月24日発行、という目標が再設定されました。実現に向かって、がんばります!

今、NHKではウインブルドンの女子単決勝戦を放送中です。ウィリアムズ姉妹、恐るべき選手ですね。かつてわたしがテニスをよく見た頃、女子のスピードはこんなに凄まじいものではありませんでした。華麗、という形容がまだ有効だった時代です。

かつての女子選手で1番印象に残っているのは、なんといってもシュテフィ・グラフです。(きっと多くの方がそうでしょう。)当時は「サイボーグ」なんて言われてましたが、あのダイナミックな動きから、サイボーグのような正確さで打てるのが、見ててうっとりしました。

サイボーグと言えば、イワン・レンドル(画像)も忘れられません。彼のバックのパッシング・ショットを見るのが好きでした。

そういえば、当時読んだテニス本に、本当はフォアハンドよりバックのほうが自然な動きなんだ、という件を見つけたとき、ミョーに納得した覚えがあります。ひねりが戻る力を利用して打つのだ、と。

ほんとにつまらないことでキョーシュクですが、わたしはバックで打つ方がむしろ好きです。(バッティング・センターでも、半分くらいは左打席で打ちます、右利きなんですが。)

(それにしても、なぜ右利きのほうが多いんでしょう? 右手に槍を持ち、左手で楯を持っていた人が(結果的に心臓を守ったので)多く助かり、彼らの遺伝子が残ったのだ、というのは、本当なんでしょうか?)

今年の男子決勝、やっぱりフェデラーがいっちゃうんでしょうか?

2009年7月3日金曜日

試験近づく


授業のあと、質問に来る学生が増えてきました。なぜ? そうです、試験が近づいてきたんですね。

大学で教え始めた頃、わたしは出席を取っていませんでした。授業なんか来なくてもいい、試験さえできればOK、と思っていたからです。とはいえ、だからといって休む学生はそんなにいなくて、やっぱり出席率と成績には、強い相関関係がありました。ほとんど来なくてAを取る学生は、3クラスに1人くらい。とても低い確率ですね。

それから、大学の様子も、学生の気質も変わり、もう10年以上出席は取っています。ただ、「出席点」みたいなものは採用していないので、たとえ皆勤でも、単位を取れない場合もあります。そりゃあそうですね。

明治大学の学生は、なかなか優秀なので、たとえ6月くらいに中だるみしていても、最後で追い込んでくる学生がけっこういます。フランス語の授業に関しては、まあ、それでもいいと言えるでしょう。しっかり追い込んで欲しいものです。(←おお、先生みたい!)

※ちなみに画像は、決してわたしのクラスではありません!

2009年7月1日水曜日

新宿から


というわけで今日は、新宿でゲラを手渡ししてきました。いやあ、やっぱり手渡しが基本ですね。こちらの刊行は、10月を予定しています。新著ではなく改訂版ですが、だいぶ改訂してるので、わりと新鮮な感じです。

で、ふと気が付くと、今日はバーゲンの初日です。不況のせいか、随分早まってますねえ。ま、ちょっと覗いてみましょう。

で、まずは通りがかりのアクアガール。ここはレディースなので、外から眺めるのみ。とても賑わっていて、ほんとに『蟹工船』ブームだったの!? という感じ。でも、いいことなんでしょう。しかし今更ながら、この「アクアガール」という店名は、なかなかおしゃれ。イメージも響きもいい感じ。

そしてその下はトゥモローランド。メンズのフロアは、ぼちぼちの客入り。決してごったがえしてはいません。この店は、品よくおしゃれだとは思いますが、最近は、ややマンネリ&キザ気味、かな?

こうなったらついでに伊勢丹へ。まずはギャルソンに行ってみましょうか。すると、おお、nothing but ギャルソン! 相変わらず値段は高いけど、他ではお目にかかれないデザインです。見るだけでも楽しいですね。大げさに言えば、これはカジュアル・ファッションの最先端なのですね。(ハイ・ファッションは…… 雑誌でしか見たことがありません!)

いつもは少し遅れてバーゲンを始めるポール・スミスも、背に腹は代えられないのか、今日から(限定的にですが)参戦していました。そういえば、最近ポール・スミスの名前を見たのは……

雑誌「文藝」の夏号で、谷川俊太郎と穂村弘(敬称略)が対談していたのですが、その中で穂村が紹介していたエピソードに、「何着ていいか分からなかったら、とりあえずポール・スミスかアニエス・bを買っとけ!」と、ある女性に言われたというのがありました。ちょっと面白いですね?(ただ、両方とも安くないので、実行は難しいでしょうが。)穂村自身は、季節ごとにポールをまとめ買いしているそうです。

ついでだから書いちゃいますと、「文藝」のこの号、どうもよく売れているらしく、近くの本屋ではまだ並べてあります。わたしもまた、この号はお買い得だと思いました。というのは、さっき挙げた対談もあるし、穂村についての色々な記事もあるし、しかも、面白い小説が一つ載ってました。それは……

中村文則の「掏摸(すり)」です。まあ、スリの話なんですが…… 引き込まれました。(この結末こそが始まりだ、という見方もあるでしょうが。)わたしは面白かったです。

1000円、元取ると思います!