2011年12月31日土曜日

Bonne année !


大晦日になりました。でも、
今年はいつもとちがいますね。だいぶちがいます。
来年は、いいことが多い年になるといいですね。

さて、
この大晦日にamazon から届いた本は、
『ルーヴル宮 ―パリを彩った800年の歴史』です。
大型本で、線描画満載で、品のいい絵本のような感じ。
もちろん内容はちゃんとしてます。
パリの歴史全体は、とてもわたしの手には負えませんが、
たとえばルーヴルのみに絞れば、比較的とっつきやすい、かな。

そして今年の最後に注文したのは、この本;

http://azamiagent.com/modules/myalbum/photo.php?lid=17

フォト句集、って、おもしろそう。
きっかけは、

悲しみはつながっているカーブする

の一句です。(川柳ですね。)いいですねえ。

そしてご紹介しようと思いつつ今日まで来てしまった本を2冊。
まずはご存知黒田龍之助さんの、
『ことばは変わる』(白水社)
この本には、「はじめての比較言語学」という副題がついているのですが、
実はこの本、黒田さんが大学で行った授業をもとにまとめたものです。
このブログを読んでくださっているみなさん(Merci !)は、
なんだかんだ言ってもベンキョー好きの方なんだと思っています。
この2000円の本、黒田先生の授業に毎週出続けたような充実感があります。
(黒田ファンの丸善のKさんは、もちろんもう読んだそうです。
楽しかった~! と言ってました。

もう1冊は、ランボー研究で知られる宇佐美斉先生の新刊、
『中原中也とランボー』(筑摩書房)
です。
タイトルから察せられる通り、これは広い意味では比較詩学の本です。
とはいえ、(わたしなんかが言うのは畏れ多いんですが、)
論旨の展開がとても明瞭なので、とても読みやすいのでした。

ちなみに中也のフランス語訳に興味があるようでしたら、

http://www.amazon.fr/Po%C3%A8mes-Chuya-Nakahara/dp/2877307867/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1325299907&sr=8-1

訳者のイヴ=マリ・アリュー先生は、
かつて京都大学で宇佐美先生の同僚だったはずです。

というわけで、ご紹介できてなんだかほっとしました。
ではみなさん、どうぞよいお年をお迎えください!!

2011年12月30日金曜日

génétiquement modifiée


昨日の夕方、ラジオ europe 1 のインタヴューに、アングンが登場しました。

http://www.europe1.fr/MediaCenter/Emissions/Nikos-Aliagas/Sons/Anggun-Je-me-sens-genetiquement-modifiee-882773/

1974年、インドネシア・ジャカルタ生まれ。
7歳でデビュー。やがてイギリスに渡り、その後フランスへ。
今フランスでは、とても人気のある歌手の一人です。

今年彼女が発表したアルバム、Echos の話が出てますが、
そのアルバムから、これなんかどうでしょう。
パリ、ですね。Je partirai ! 

http://www.youtube.com/watch?v=XYKMUYGT8ZY&feature=related

それにしても、色んなところを渡り歩くうち、
「遺伝子的に変わっちゃった気がするの!」という彼女。
「どこにいてもOK. 逆に、デラシネ(根無し草)と言われるのはちょっと……」
そして、「大使」的なことを含め色んな仕事をこなしていくには……

Il faut être un peu wonderwoman !

がんばってるんですねえ。

2011年12月29日木曜日

konichiwa, ça se dit bonjour...


いよいよ押し詰まってきましたが、
いかがお過ごしでしょうか?

ここにきて、クルマで1番聞いているアルバムの中の、
お気に入りのこの曲をご紹介させてください。
歌手はMokobé、歌は Taxiphone(公衆電話)です。

http://www.youtube.com/watch?feature=iv&annotation_id=annotation_662422&src_vid=O4I2OXMHBck&v=ctNQiE3fTHg

歌詞はこちら;

http://myrebirth.fr/artistes/mokobe/discographie/africa-for-ever/lyrics-taxiphone-feat-soprano/

アルバムはここ;

http://myrebirth.fr/artistes/mokobe/discographie/africa-for-ever/lyrics-taxiphone-feat-soprano/

わたしはCDのほうを買ったんですが、
歌詞カードなしだったので、ダウンロードで十分かも。

マリ出身のMokobéは、113のメンバーとして活動していたわけですが、
これで2枚目のソロ・アルバムを出したことになります。
ウルサメの曲が多いんですが、わたしは惹かれます。
おそらく、他のフランス語ラップにはあまり聞かない、
アフリカ的な響きのせいだろうと思っています。
コラが出てきたりね。

そしてこのTaxiphone は、なかなかの「混成世界」ぶりで、いい感じ。

Chacun sa petite cabine, assis ou debout
On tente de joindre le pays dès le premier coup
Ça parle dans toutes les langues
Un mélange de voix durs comme de la pierre, de voix douces comme de la mangue

電話って、やっぱりすごい発明ですね。

2011年12月27日火曜日

1630

こんなことをしつこく書いてどうかと思いますが、
先日触れた「シャルルⅤの城壁取り壊し」の件、
一応わかった気がします。

取り壊し自体は1625-30年。
そしてパレ・ロワイヤル(の庭)にあたる部分の取り壊しは、1630年。
どうしてこうはっきり言えるかと言えば、この絵があったからです;


1630年に描かれた、工事中のパレです。(当時はパレ・カルディナル)
目の前で、シャルルⅤの城壁が壊されているではありませんか!

この絵を見つけたのは、ここでです;

http://www.visite.culture.gouv.fr/fr/pano/place_jour-Cour%20d'honneur#/fr/pano/place_jour/media/6/t=Cour d'honneur

これで1つはすっきりしましたが、
まだモヤモヤが残っています。
それは、ランブイエ侯爵夫人の館と、
それをリシュリューが改築した後との違いです。
こんな細かいこと、たとえ分かっても「だから何?」ってなもんなんですけどね。

「東」が上


昨日ご紹介したメーリアンの地図、
「東」が上になっていましたが、
中世から地図は、どうもこの向きで書かれていたようです。
というのは……

世界の中心にエルサレムがあり、
楽園である「エデンの園」はその「上方」にあると。
そして楽園は「東(太陽が昇る方向)」にあると考えられていたので、
「東」=「上」ということになった、ようです。

わかる、と言えばわかるし、
解釈の表現やないかい! と言えば、それもそう、ですね。

参考wiki はこちらです;

http://ja.wikipedia.org/wiki/TO%E5%9B%B3

ちなみに昨日のマテウス・メーリアンはこちら;
(フランス語なら「マチュー」ですね。)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%86%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3

2011年12月26日月曜日

メーリアン


これはちょっと、ではなくだいぶ高いので、
実際に買うのはムリですが、
1615年、マテウス・メーリアン、とくれば、
やっぱりこんな値段になるのね~、ということで;

http://www.antique-prints.de/shop/catalog.php?cat=KAT32&lang=ENG&product=P010101

シャルルⅤの城壁に継ぎ足すように、
ルイⅩⅢの城壁が、画面左真ん中あたりから、
手前の下中央に向かって、ギザギザに(簡略化された中華模様のように)
延びています。
いわゆる「稜堡(りょうほ)」があるので、
こんなギザギザな城壁なんですね。
(右側に見える「左岸」の城壁はフィリップ・オーギュストのものです。
上が「東」なんですね。)

ちなみに、稜堡の世界的スペシャリスト、ヴォーバンは、
この後1633年に生まれます。

ワールド・ニュースから


ヨルダン川西岸のパレスチナ自治区、ベツレヘム。
クリスマスには、世界中から観光客が訪れるこの街では、
当然お土産屋さんも書き入れ時です。
ロザリオ、キリスト像、マリア像……

ただ今年は、パレスチナの職人たちが作ったものを押しのけ、
中国からの工場製品が売り上げを伸ばしているそうです。
価格が10分の1で、素人にはなかなか見分けがつかないとか。
で仕方なく、手作り製品は価格を下げざるをえず……
ま小売店の中にも、中国製商品を置かない店が出てきているようです。

中国が、ほとんどクリスマスと無縁なのを考えると、
なんともいえない感じのするニュースでした。

(でも考えてみれば、日本で売られている「神道関連グッズ」も、
実は中国製が多いのかもしれませんねえ。)

*「ベツレヘムの戸籍調査」

2011年12月24日土曜日

C'est quand ?


東京は、晴れて気持ちのいいイヴでした。

まったく時節柄ではない話題で恐縮ですが、
ここ数日気になっているのは……

パリのパレ・ロワイヤル、ご存知でしょうか?
あの敷地の南西の角には、コメディー・フランセーズもあるんですが、
その角と、はるか北東のサン・ドニ門とを繋ぐ直線の位置に、
かつてシャルルⅤの建てた城壁が走っていました。
地図を見ると、アブキール通りやクレリー通りが、
まさにその「直線」と重なっています。
(前者が城壁そのものの、後者は濠の位置に当たります。)

で気になること。
それは、パレ・ロワイヤルが今ある位置にあった城壁は、
正確にはいつ壊されたのか、ということです。

パレ・ロワイヤルは、もとはパレ・カルディナル(リシュリュー枢機卿の館)であり、
それはさらにさかのぼれば、ランブイエ侯爵夫人の館だったわけです。
ただビミョーなのは、パレ・カルディナルは、
今のパレ・ロワイヤルの一部に過ぎないということ。
まあルーブルもそうですが、何度も何度も増改築を重ねているので、
たとえ名前は同じでも、時代によってその姿はずいぶん違っています。

1624・リシュリュー(画像)、ランブイエ夫人の館(の一部?)を買う。
    リシュリュー館を建てる。
1633・城壁の跡地を購入。ルメルシエに「カルディナルの館」を発注する。
    (ランブイエ館を改築し、繋げる。)

    それは現在、ギャルリ・デ・プルー
    (=パレ・ロワイヤルの、クール・ドヌールの、東側の翼)しか残っていない。

ということなので、24年~33年のどこかの時点で、
城壁が壊されたのが分かるわけです。
(実際、手元にある本に出ている1622年のパリの絵にも、
城壁はちゃんと書かれています。)

そしてまた、上でご紹介したシャルルⅤの城壁の「直線」部分は、
その後、新たな城壁(=ルイⅩⅢの城壁)に包まれることになるのですが、
そちらの工事は2期に分かれていて;
1566-1585頃 / 1631-1641頃
なんです。
後の工事時期が、件の時期と重なっているので、
その31年以降という年代に引かれる気がします。が、
これはあくまで新城壁の建設年なので、
旧城壁撤去が同時行われるとも限らないわけです。
もう少し調べます!

そしてこんな調べ物の中で行き合った論文がこれ;

http://www.jstage.jst.go.jp/article/aija/75/650/927/_pdf

こんな研究、してみたかった!

2011年12月22日木曜日

〆授業



今日22日で、年内のわたしが担当している授業は終了。
やはりちょっとほっとしました。

一昨日はK君が、今日はH君が、
歳終わりのご挨拶に研究室まで来てくれました。
2人とも修士の1年で、この12月からシューカツが始まっています。
合同説明会の話、面接の話、
早くも内定が出た後輩(4年生)の話など、なかなかホットです。
希望の仕事につけることを祈っています!

そういえば今日は、ある1年生と話していたら、
実は2008年の「ナミ・パリ」を聞いてたんです、と言い出したので、驚きました。

「理系なのに?」
「その時は高1で、文系志望だったんです」

でその後、「理転」したそうです。

「文転」は聞きますが、「理転」はあまり聞きません。
数学の成績がよかったのかな? 
まあどちらも好きだったんでしょうね。

黒田龍之助さんは、言語を勉強している学生たちから、
高校生の時から読んでました!
とよく言われると言ってましたが、
わたしはめったにないことでした。

そうそう、大学の事務に、
仏検を受験している方がいらして、
その人とも今日ちょっと話しました。
2級の筆記が受かったそうです。(おめでとうございます!)
あとはオーラル、緊張しないで、間違ってもいいからはっきりと!
なんて話をしました。(Du courage !)

そして学内の郵便受けには、
とてもきれいなクリスマス・レターが入っていて、
これはラジオ・テレビと一緒に勉強してくださった方からでした。
ミキさん、ありがとうございました!
お手紙のおかげで、
急にクリスマス気分になってきました!

http://www.youtube.com/watch?v=tn7NvDFWoN4

明日からの連休は、寒いようですね。
風邪ひきさんも見かけます。どうぞ暖かくしてお過ごしください。

***********************

24日の午後、管啓次郎さん&古川日出男さんの、
待望のライブがあります。

http://www.saravah.jp/tokyo/schedule/log/20111224.php

準備万端のようです!

http://monpaysnatal.blogspot.com/2011/12/blog-post_21.html

2011年12月21日水曜日

Indochine


「ワールド映画」では、
先週今週の2週を使って、『インドシナ』を見ました。

http://www.youtube.com/watch?v=VlIQQwbzOls

舞台は1930年のフランス領インドシナ。サイゴン近く。
フランス人入植者で、大きなプランテーションを切りまわすエリアンーヌ(ドヌーヴ)、
彼女が、友人の王族の娘、カミーユを養女とするところから、
物語は始まります。

上に挙げた予告編からは、
これってお約束の<おフランス的三角関係>の話? という印象ですが、
そしてそういう一面はたしかにあるのですが、カミーユが共産主義者となり、
エリアーヌ的生き方と決定的に袂を分かつあたりに、
この映画の見所があるのだろうと思います。
ちなみにエンディングは、1954年のジュネーブ。
このとき結ばれた条約は……

この映画のことは、あまり興味がなかったのですが、
「フランス領インドシナ」を舞台にしている映画となると、
数が少なくて、とりあえず久々に見てみました。
で、(上からの物言いで恐縮ですが、)これなら学生と見られるかな、
と思ったわけです。
いつもながら、時代と空間をよく調べてくれるなら、という条件付きですが。

ただ正直に言うと、映画としてのデキは「?」だと感じます。
どの人物もやや深みが欠けるし、
あざとい演出もあるし、
ドヌーヴの演技やナレーションに既視感があるし、
ヴァンサン・ペレーズは演技の幅が広くないし、
エピソードが横に流れていく印象だし……

こういう映画を、それでも2時間以上見ていられるのは、
フランス帝国に反発するベトナム人たちに、
ある種のシンパシーを感じてしまうからなんでしょうか?

2011年12月18日日曜日

1月号(ラジオ&テレビ)


今日は18日、
「まいにちフランス語」1月号、
「テレビでフランス語」1月号、
ともに発売になりました。

ラジオのほうは、今月から後半。
第4週目には、大物、目的語代名詞が控えています。
これ、その後の(文法の)ネットワーク化の必需品です。
みっちりやっときましょう。

テレビのほうでは、「パリは燃えているか?」の10回目。
今回の目玉は、Kimsooja キムスージャ  のヴィデオ作品です。
作品そのものではなく、メイキングなのですが、これがあります;

http://www.youtube.com/watch?v=craHERk81mg

このヴィデオに関しては、MAC / VAL の学芸員の方に、
お世話になりました。
パリ旅行に関する記事でもご紹介した、ここです;

http://artscape.jp/focus/1203554_1635.html

旅行中だと、
なかなか、郊外の現代美術館まで足を伸ばす時間はとりにくいと思いますが、
行けば行ったでもちろんおもしろいです。

ではここで、1月号の写真+α を;


















ほとんど、今までに1度はご紹介した写真でしたね。
ぜひ、読んでみてください!

2011年12月17日土曜日

訂正!


前々回のこの場所で、
10月10日から1週間、中国は建国を祝って休みになる云々、
と書きましたが、すみません、間違ってました!

その時書いた留学生とのやりとりは事実なんですが、
ビミョーに誤解があったようです。
というのも……

「双十節(10月10日)は中華民国(=現台湾)のお祝いで、
中華人民共和国の建国記念日は10/1(1949)の国慶節です。
10月の連休は国慶節の休みです」

なるほど、10月の1週間と言っても、中国で大事なのは、
(辛亥革命が起こった)10日ではなく、
(新中国が誕生した)1日だったのですね。
お詫びして訂正いたします!

ところで、上の「 」のメールをくれたのは、
いつもいつも色々教えてもらっている、同僚の林先生です。
ほんとに、アジア関係の歩く辞書なので、
なんでも訊けて助かってます。
中国語には、思想に強い清水先生もいて、
信頼できる2人の先生にいつでも質問できるので、
それはほんとにラッキーです。
(まあ、ドイツ方面も、英米方面も、写真方面も、教えてもらえます。
チョーラッキー! なんです。)

さ、明日はテキストの発売日です!

「こころの時代」

今日の午後1時から2時まで、
Eテレでこんな番組があります。

*************************************

「こころの時代」シリーズ私にとっての「3・11」
いのち つながりの中で (医師 岡部 健 )

宮城県名取市で、在宅での緩和ケア医療をしてきた医師の岡部健さんという方が、
外科医から、延命措置に疑問を感じて在宅緩和ケア医療にとりくみ、
患者さんとの語り合いの経験を重ねていました。2010年に、ご自身の胃がんになり、
死を感じながら希望を見出してリハビリをしていた今年3月に、東日本大震災がおき、
津波で亡くなった看護師さんのいのちに向き合いながら、いま仮設住宅などを回って、
こころのケアにとりくんでおられます。日本人の宗教観、
死生観に至るまで考えて来た道筋、患者さんとの出会い、
これからのいのちのつながりについて語ってくださいました。

************************************

一緒に「テレビでフランス語」を作ったディレクターの一人が関わっている、
新作です。
(ちょっとお知らせが遅くてすみません!)

もうすぐ


今日は金曜日。
来週の金曜日は祝日なので、
金曜の授業は今日が最後でした。

扱ったのはクリスマスの話。
ビュッシュ・ド・ノエルとか、前のローマ法王、Jean-Paul Ⅱとか。
(ビュッシュ・ド・ノエルにキノコを飾るのは、
かつて「種を播かなくても生える」と考えられたキノコが、
生命の神秘を表しているから、だそうです。)

中に大連からの留学生がいて、訊いてみると、
中国ではクリスマスはほとんどまったくやらないとか。

「じゃあ、10月10日のほうがにぎやか?」
「そりゃあもう。1週間くらい休みになるし」

10月10日、覚えてらっしゃいますよね?

http://tomo-524.blogspot.com/2011/10/blog-post_10.html

もちろん、旧正月ほどではないのでしょうが。

わたしは母親がクリスチャンだったので、
クリスマス自体はわりと「マジ」で祝う家庭でした。
といっても、教会に行ったりまではしませんでしたが。

そしてこの母親が洗礼を受けたのが、
大連の西教会だったわけです。

「知ってる? 今はケンタになってるところ」
「ああ、知ってます! 赤い建物ね」

う~ん、学生とこんな会話することがあるとは……

そういえば先日、マレーシアからの留学生のことを書きましたが、
彼によると、マレーシアの学校では、
ほとんど中国のことは教えないんだそうです。
マレーシアはイギリスのほうを向いており、
共産主義には距離を置いているのですね。

さて、今年もあと15日!

2011年12月14日水曜日

エティエンヌ・マルセル


大学入試の時は、
たしか「世界史」で受験しような覚えがあるんですが、
それがもう信じられないほど、
あの時覚えたことは雲散霧消してしまいました。
忘れっちまった世界史は
たとえば狐の皮裘……


ところでパリでメトロに乗っていると、
シャトレやオペラやレピュブリックなど、
何度も乗り換える、いやでも覚えてしまう駅があり、
逆になかなか覚えることのない駅もあります。

中で、エティエンヌ・マルセル駅は、
ほぼパリの真ん中にあって、
4号線しか通っていないので乗り換えることはないけれど、
その名前の響きのよさゆえか、記憶に残る駅だと感じます。

エティエンヌ・マルセル。
彼は有名な毛織物商の家の出で、
14世紀の前半、パリ市長(商人頭)になった人です。
そして市長として、当時の摂政シャルルⅤと戦い、結局暗殺されました。
(というようなことを、覚えてなかったんですねえ、残念ながら……)
 
今読んでいるのは、
『エティエンヌ・マルセルのパリ革命』
という翻訳本です。
1988年の本で、古本ですが、読み応えがあります。
 
この人に興味を持ったのは、
やはり城壁がきっかけです。
世に「シャルルⅤの城壁」と呼ばれているものがあるのですが、
実はそれ、最初に建築を命じたのはエティエンヌ・マルセルその人でした。
イングランド軍からパリを守るのが目的だったようです。
(そもそもシャルルⅤが「摂政」であったのも、
国王がイングランドの捕囚になっていたからです。)
 
彼の騎馬像は、市庁舎の前、セーヌに向かって建っています。(上の画像)
おそらく、市庁舎をここに移したのが、彼だったからなんでしょう。
そして数年前、パリの街でよく見られたのがこの写真だったようです;


もちろん合成ですが、面白いですね。
もとはこうでした;


このエティエンヌ・マルセル、
wiki を見ても、日本語ヴァージョンとフランス語ヴァージョンの違いが甚だしいです。
フランスでは、少なくともパリでは、有名人なんでしょうねえ。

2011年12月13日火曜日

偏見を


たしか、自身もユダヤ人であるピーター・フランクルさんが、
「ユダヤ人差別が1番ないのは日本!」
とかつて書いてらした記憶があります。
ただしそれは、
「日本人がユダヤ人について何もしらないから」
というのが理由だった気がしますが。

今日は、英語&中国語の同僚と昼食を摂ったのですが、
そこで話題になったことの1つが、
「授業での扱いを慎重にやらないと、
偏見をなくすつもりが、かえって学生に偏見を植え付けかねない」
ということでした。

いい例が「ユダヤ人」。
何も知らない、だから何の偏見もない人に向かって、
いかにユダヤ人が差別されてきたかという歴史を話すことは、
やはりややリスクがある気がします。
学生の中に、差別の構造をインプットしかねないからです。
これでは、授業で取り上げたことが、かえってマイナスになりかねません。

また、映画などの場合は、
いくら「フィクションですからね」と言っておいても、
学生はやはり、どこかで現実と重ね合わせて見てしまいます。
(もちろん、まったく重ねないということは、ありえないでしょうが。)
さらにはドキュメンタリーの場合などは、
仮にそれが事実であるとしても、
それ以外にも事実があり得ることを知る必要があります。
文脈というか、問題系というか、その設定次第では、
事実の見え方が変わるということも当然あるし、
本当は、部分と全体の関係への視点も必要でしょう。

こう考えてくると、教員にとって、
どういうものを見せてどんな注釈を付けるかは、
かなりデリケートな問題だということが分かります。
でもねえ……

そうしたさまざまなリスクを取ってでも、
やはり見せたり話したりしたほうがいいと、わたしは思っています。
いつかどこかで、歪んだ情報に接するよりは、ということです。

ちなみに今日は、そろそろまとめに入った「東京詩」で、
いわゆる「司馬史観」に触れました。(テレビもやってるみたいだし。)
ドイツの場合とパラレルだという形で、日本での戦争責任の話をして、
そのあと、「司馬史観」が(庶民にとって)自らの免罪符にもなりえた、
という流れを作ってみたわけです。

授業ではもちろん、これを批判していくには? という風に続きます。
日露以前はほんとに侵略じゃなかったのかな、とか、
偉い人ばっか出てくるよね~、とか、
じゃあ庶民は何を感じて、何を求めてたんだろうね~、とか、
軍部は何も、武力でクーデタを起こしたわけじゃないしね~、とか……

でもこのやり方って、
もしかして「歪んだ情報」をまず与えたことになってしまうんでしょうか?
「批判」の大事さも、ついでに伝えたかったんですけどね。

……というわけで、反省の多い料理店、での昼食、でした!

*ユダヤ人街、ロジエ通りのパン屋さんで

2011年12月11日日曜日

カレー&ダンス


昨日は午後からお茶の水で会議があり、
その後用事を1つすませ、夜には新宿に出ました。

夜の新宿は久しぶり。
でも、意外なほど変わってない。
都会って、ちょっと来ないと変わってしまうこともあるけれど、
今回はそんな感じはなくて、
「着なれたジャケット」みたいでした。

ただ、ものすごい混みよう!
店もデパートも、これでもかという人の波です。
夕食のために行った店では、
1時間待ちと言われて諦めました。

で行ってみたのが、
ふだんはランチで愛用しているカレーのサムラート。
実はこの店、夜はちょっとお高い。
でもおなかが空いていたし、
どの店も混んでそうだったので、
安全パイにしたわけです。
そうしたら……

たまたま昨日は、なんと「ベリーダンス・ナイト」で、
なんとも形容しがたい盛り上がりで……

http://www.youtube.com/watch?v=VtEY_QgJSUo&feature=related
正直言って、映画などで見ているような迫力のダンスではないんですが、
発表会風でありながら、
いい意味で「場違い感」があり、それがおもしろかったです。
(念のために言いますけど、
いいパフォーマンスなんですよ。
決して悪い意味で「場違い」と言ってるんじゃありません。
よく言えば、異化作用というか、「デペイズマン」な感じ。)

スケジュールがありました。(下のほうには You Tube も。);

http://www.samrat.co.jp/party/belly.html

昨日は、特にダンス・チャージみたいなものは何もなくて、
メニューのままの料金でした。

ショー付きなら、楽しめるかも!?

2011年12月9日金曜日

高校訪問


今日は縁あって、勤め先の大学からクルマで10分、
カリタス女子中学&高校に行ってきました。
その学校では、フランス語を第1外国語に選択している生徒さん達がいるのですが、
彼女たちに向けて、お話しさせてもらう機会があったからです。

清潔ですっきりした校舎もさることながら、
それなりに混み入った話をしたにもかかわらず、
寝てる生徒さんがいない!
これは驚きでした。
しかも今日は、午前中に期末試験が終わったばかりで、
お疲れのはずなんですけどね。
しかも今日は(part Ⅱ)、もともと高校生向きのものだったのに、
中学生もかなり自由参加してくれたし。
とてもありがたいことでした。
(ただ中学生のみなさんにとっては、ちょっと説明が足りなかったかも。すみません!)

話したことに1つは、
たとえばパリでも、たとえば13区に行けばアジア街があるわけだけど、
わあこんなところに! で終わるんじゃなくて、
なぜここにこんなにアジアの人がいるのか、
そしてこの土地はどんな場所だったのか、
と考え調べてみることの大切さ、みたいなことでした。

高3生の中には、
すでにフランス文学科への進学が決まっている生徒さんもいました。
広くいえば、わたしにとって後輩たちです。
もちろんわたしの時代とは、
「フランス文学」のイメージもずいぶんちがうでしょうけど。
それにしても、いいなあ、若いって!

帰りがけ、校舎のどこかから、
コーラスの歌声が聞こえてきました。
ほとんど、物語の中にいるようでした!

カリタスの生徒さん達、そしてフランス語科の先生方、
ありがとうございました!

2011年12月7日水曜日

『混成世界のポルトラーノ 』発売


ついにアマゾンで注文解禁!
今年の締めくくりの新著です;

http://www.amazon.co.jp/%E6%B7%B7%E6%88%90%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%8E-%E7%AE%A1-%E5%95%93%E6%AC%A1%E9%83%8E/dp/4903500691/ref=sr_1_7?s=books&ie=UTF8&qid=1323236675&sr=1-7

テクストと写真で描く、現代世界を旅するための航海図。

目的地は、北京、南台湾、ボルネオ、大連、モントリオール、パリ、
ダッハウ、ネヴァダ、タスマニア、デリー、大東島、洛山、
ホノルル、ラハイナ、そしてヒロ。

文化と文化が出合う地を、旅人の視線で歩き、研究者として捉え直す。

紀行×批評の読書体験。あたらしい紀行文のかたち!

「いっておこう、きみがそこに行ってみないかぎりはたして
どんな可能性が世界にありうることかさえわからない
くっきりとした足跡とその崩壊をその場で体験すること
それが砂浜を歩くことの唯一の意味だった」       (管啓次郎 巻頭詩より)

……というわけです。
「紀行×批評」。まさにそんな感じです。
実際に行ってみることの、ほかでは代用のきかない重要さ。
ただそれだけでは、ほんとに見たことにならない場合もあります。
それを補うのが、通時的なパースペクティヴであり、
共時的な広がりでしょう。

今回は、5人が1つのテーマで集まったことで、
特に後者のおもしろさが感じられるものになったと思います。
また、これは結果ですが、文体の違いもはっきり出ています。

帯のコピーは、

「わたしたちが海の向こうで学んできたこと」

どうぞよろしくお願いします!

           ◆

そうそう、この装幀、なかなかいいですよね?
これはデザイナーの須山さんが作ってくれたものです。
彼のつぶやきによれば;

カバーに使用した架空の立体地図は、
学習用のものでPOSTALCOマイクさんのコレクション。
撮影は片村文人さんにお願いしました。
表紙は、以前メトロポリタン美術館で見た、
19世紀のマーシャル諸島でココナッツの繊維で作られた
航海洋地図がモチーフ。

http://twitter.com/yurisuyama

だそうです。

須山さんの作品はこちらで;
http://www.suyama-d.com/works/book/12.html

瑞々しいシャープさですね。好きです。

2011年12月6日火曜日

L'automne déjà !


今日の放送のエンディング、
レナさんが言っていたフランス語は、こうです;

L'automne déjà ! ―Mais pourquoi regretter un éternel soleil,
si nous sommes engagés à la découverte de la clarté divine,
―loin des gens qui meurent sur les saisons.

Rimbaud の Adieu です。和訳は;

もう秋! ー でもどうして永遠の太陽を惜しまなくてはならないのか、
ぼくらは神聖な光の発見を志す身であるのに、
― 季節とともに死んで行く人たちから遠く離れて。

2011年12月5日月曜日

『フラ語入門』(6 刷)


ちょうど2 年ほど前に刊行された、『フラ語入門』の改訂版。
レナさんやシルヴァンと、楽しく録音したのが印象に残っています。

さてこの改訂版、今度「6 刷」に入るという報告を受けました。
これはもう、とても可愛がって頂いていることになります。
使ってくださっているみなさま、ありがとうございます!
変わらず可愛がってやってくださいませ!

*バルベス駅前

2011年12月4日日曜日

マンガと城壁本


今のパリ、
21世紀の今のパリのことを知ろうとして、
映画を見たり、音楽を聞いたり、
(もちろん楽しみながら)するわけですが、
やっぱりどうしても、過去のパリを知らないと分からないこと、
本当には感じられないことも多いわけですね。

で、どこまでさかのぼるか。
人気があるのは、やっぱり19世紀でしょう。
特にオスマンが出てくるあたりは、
今のパリに直接影響しているので、
たしかにおもしろいとわたしも思います。

でその前が革命のパリ。
絶対王朝のパリ、
フランク王国のパリ、
ローマ人のパリ、
パリジイ人のパリ、
先住民のパリ、
とさかのぼれるわけですが……

唐突ですが、みなさん、
カエサルの『ガリア戦記』、お読みになったことがあるでしょうか?
残念ながらわたしはなくて、
読む気ではいるんですけど、
ちょっと急いで知りたかったので、
こうなったらまずマンガで!
というわけで、読んでみました、
『まんがで読破 ガリア戦記』(イースト・プレス)

これ、本体552円。
結論からいえば、十分モトはとります。
(もし『ガリア戦記』未読なら、
このマンガ版だけでも読まないよりはずっとイイ感じ。)
残念ながら、単純な変換ミスや、
地図と言葉が合っていないところなど、いくつか目立ちますが、
まあ初版なので許容範囲だと思います。
登場人物を、時々ネットで確認しながら進めば、
状況はよく分かります。
わたしはパリジイ人&パリとローマ人の関係が気になっていたので、
そういう方向で肉付けしながら読みました。
クセジュ文庫の『パリの歴史』の、
最初の30ページほども照らし合わせながら。

そうそう、このところずっと、パリの城壁のことは気にしてるんですが、
そして色々本を買ってみたんですが、
今のところの「城壁本」ナンバー1を発表いたしましょう!
その名もズバリ、

http://www.amazon.fr/Sur-traces-enceintes-Paris-Promenades/dp/2840963221/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1323006724&sr=8-1

しかもこの本、27€なんですよね。約3000円。
いい紙で、300ページ近くて、新しい写真がまさに満載。
安いです。
(送料がかかりますが。)

この本の特徴は、
城壁の位置を示す地図に、今の地図を使っていること。
これが多くの本は、当時の地図を使っているわけです。
こちらももちろん必要ですが、
これは意外にも、ネットでかなり見つかります。
これに対して、現在の地図を堂々と使ったものは少数なんです。
だから、ありがたいです。
(通りの名前自体も変わりますし。)

     ◆

さて、もう12月ですね。
なんとかあと3週(とちょっと)、乗り切りましょう!

*ベルヴィル公園のてっぺんから。

2011年12月3日土曜日

『天空の沈黙』


移動中には、
いわゆる洋楽、ないしワールド・ミュージックを聞くことがほとんどですが、
家で仕事をするときには、
やっぱりクラシックが多いです。
今日はこんな天気だったので、
古楽器を使ったモーツァルトをかけていました。

わたしの好みはいたってフツーで、
ヴァイオリニストならG.クレーメル、I.パールマン、
格は違うけれど、若手のH.ハーン、
ピアニストなら、M.ポリーニ、A.ブレンデル、V.アファナシエフ、
などが好きなミュージシャンです。

この中ではアファナシエフが、
やや「コアなファンを集める」タイプかもしれません。
わたしの印象では、指揮者のチェリビダッケにも似て、
独特のテンポ感覚の持ち主であるように思います。
でも、そのしっくり来ないところが、
それぞれの曲の新しい面を見せてくれることがあるので、
そのまま魅力に変わるわけです。
天才的、と言われるのも、うなずけます。
こんな「ノクターン」、他にありません;

http://www.youtube.com/watch?v=MWaiFCGT-kc&feature=related

彼の演奏には、「沈黙」が感じられますね。

最近、そのアファナシエフのエッセイの翻訳が出ました。その名も、
『天空の沈黙』(未知谷)
です。
このエッセイを読むと、
アファナシエフは相当な読み手であるのが伝わってきます。
なにしろその引用の多様さが尋常じゃありません。
レヴィナス、キルケゴール、ニーチェ、プルースト、サルトル、
キーツ、ショーペンハウエル、ハイデガー、クレー、
トルストイ、ナボコフ、ドストエフスキー、ショーレム、
もちろんわたしの知らない作家もたくさんいて……
ロシア出身でフランスに住んでいる彼は、
どうやらこれらのほとんどを、原語で読んでいるようなのです!
Mmm... ピアノの練習はいつするんでしょう……

もしみなさんの中に、アファナシエフ・ファンがいらしたら、
お勧めできると思います。

2011年12月2日金曜日

リュテス


「パリ」の起源はシテ島にあり、
という話、どこかで耳にしたことがあるでしょうか?
今手元にあるどのガイドブックを見ても、
もう少し詳しいどの本を見ても、
たしかに「起源はシテ島」と書かれています。

でも、ネット上であちこち見ているうち、wiki に意外な記述を見かけました。
「リュテス(当時のパリ)の中心はナンテールだったのかも」というのです。
ナンテールは、パリの北西、
ラ・デファンスを通り抜けてまっすぐ行ったところ。
メディの出身地で、いわゆる「郊外」です。

これが出ていた項目はここ;

http://fr.wikipedia.org/wiki/Lutece

そして ↑ の「注4」が、

http://www.nanterre.fr/NR/rdonlyres/C5BBAC82-4EF2-4C99-9090-C5E27E3C43FE/0/Expoarch%C3%A9ologiqueCdeQ.pdf

Lutèce はフランス語。
日本ではラテン語を使って、
「ルテティア(Lutetia)」とか「ルテシア」とか書かれることが多いですが、
最近では「リュテス」という表記も見るようになりました。
パリジイ人が住んでいた土地を、
武力を持って制圧しようとしたローマ人(カエサル)が、そう呼んだのですね。
シテ島にパリジイ人がいたのはたしかだとしても、
それがリュテスの周縁だったとしたら、
そしてもし本当にナンテールが中心だったのだとすれば、
ずいぶん「パリ」の印象も変わる気がします。
ローマ人が、中心をシテ島に「移した」ことになるし。

ただいずれにせよ、地中海文化圏の最果ての地だったパリが、
ヨーロッパの表舞台に躍り出てくるのは、
まだまだず~~~っと先なんですけどね。

2011年11月30日水曜日

Oxmo Puccino


フランスのサッカー代表チームは、
今年の初めからユニフォームが変わっています。
それは、FFF(フランスサッカー協会)が、
スポンサーをアディダスからナイキに変えたからでした。


そしてこれにともなってナイキが掲げたコピーが、

Vive le Football Libre (自由サッカー万歳)

もちろん、「フランス」が入っていたところに、「サッカー」を入れたわけです。

で、このとき一緒に作られたTVCMがこれ;

http://www.youtube.com/watch?v=LesVEnK36_0

なんでも、「シラノ・ド・ベルジュラック」の決闘シーンのパロディだとか。

そしてそして、このナレーションを担当しているのが、
マリ出身のフランス人ラッパー、Oxmo Puccino(オクスモ・プッチーノ)です。
ちなみにこのイタリア風の名前、本名(Abdoulaye Diarra)じゃありません。

どうも、このOxmo のことを、わたしは書いたことがないような気がします。
でも、けっこうおセンチで、影があって、好きなラッパーです。
印象的なのは、この曲でしょう;

http://www.youtube.com/watch?v=8NJggCGNeI8

いいでしょ?

        ◆

さっきのNIKE のCM を見ていた時、やっぱりNIKEのこのCM を見てみたら、
新しい! こんな視点で、よく撮影できましたね。
一流選手になれた気分❤

http://www.youtube.com/watch?v=lZA-57h64kE&feature=fvwrel

2011年11月29日火曜日

「モモ」


フランス人のあだ名の1つに「モモ」がありますが、
これって、モトは2種類あって、それは

①ユダヤ系の「モイーズ」(=「モーゼ」)
②イスラム系のモアメッド(=「モハメッド」)

です。
(他の名前が、個別にそうなることはありえるのでしょうが。)

今わたしが担当している学生の1人に、
マレーシア出身の「モハメッド」君がいます。
で先日、彼と話している時に訊いてみました、

「マレーシアでは、もしかしてモモって呼ばれたりするの?」

でも彼は、何のことを言ってるのか分からないという表情。
そして2時間後、彼はやってきて、

「やっと分かりました、ぼくがモハメッドだから訊いたんですね。
マレーシアでは、モモにはならないんです、
モハメッドっていう名前の人は、すごく多いので。
でももし短くするなら、アメッド、です」

この「アメッド」は、
わたしにはそう聞こえたんですが、ちょっと怪しいです。

「ファティマとか、アイシャなんていう名前の女性もいる?」
「いますよ。アラビア語の名前も使います。
<光>っていう意味の<ヌー>が付くと女性です」
「君はアラビア語もできるの?」
「読めますけど、意味は分かりません」
「読めるけど分からない??」
「そうです。コーランを声に出して読むから、読めるんです。
でも、意味は、翻訳されたものを見るから」

なるほどねえ。

でこうなったら、ワールド映画でマレーシアの作品も取り上げようと思ったのですが、
なんと日本版のDVDは1枚もリリースされていませんでした。
一昨年若くして亡くなったYasmin Ahmad (画像)のものなど、
ぜひ見てみたいと思うのですが。
(英語字幕のものは見つかるでしょう。
でも授業では、ちょっと厳しいかも。)

モハメッド君だけは、例外として、
英語のレポートを認めています。
英連邦に属するマレーシアでは、小学校から英語を教えているそうです。
(ずっとイギリスの植民地だったのですね。)

「この冬、海外文学はこれを読め!」


お知らせが遅くなってしまい、
ちょっと明日だけ(明後日には次の号が……)では厳しいかもしれませんが、
まだ図書館という手もあるし……

なんのことかというと、
今発売中の「週刊文春(12月1日号)」で、
同僚の波戸岡景太さんが、鴻巣友季子さんと、

「この冬、海外文学はこれを読め!」

という対談を繰り広げています。
副題は、
――ポスト「9.11」に移民文学、傑作ミステリーまで――
であり、おもしろそうな本がいくつも取り上げられています。

それにしても、お二人ともよく読んでいらして、感心します。
わたしも読まないと!

2011年11月27日日曜日

FETE


昨日は、仕事仲間である親友の、結婚式&披露宴でした。
日本人男性とフランス人女性のカップル。
結婚式&披露宴に出たのは5 年振り? くらいですが、
とても感じのいい、暖かい式&パーティーでした。

人前式、という形式も、
よく耳にはしていましたが、実際に出たのはこれが初めて。
さっぱりしていて、いいですね。
またパーティーも、ゲストは総勢65人ということで、
200人超のものとは違い、親密ないい雰囲気でした。
料理もおいしかったし。

わたしの左隣には、
数えてみたら15年振りくらいに会う T 先生。
彼女は、かつて理系の国立大学で非常勤講師仲間でした。
(というか、彼女が先輩なんですが。)
今彼女は女子大の史学科勤務。

「史学科の学生たちっていうのはね、
実は本好きの子が多いの。
だから教えがいがある」

ああ、素晴らしい!

そして右隣は、知り合いのフランス人男性。
何度か一緒に仕事をしてるんですが、
仕事以外の話はあまりしてなかったので、
初めて聞くこともたくさんありました。
その中で印象的だったのが、
彼の父上がアルジェリア生まれであること。

「そうなんです、ピエ・ノワールなんですよ」
「ああ、実はわたしの父親もマンシューリ生まれで、
和製ピエ・ノワールなんですよ」

ただ彼の父上は、
1950年代にフランスに戻った後、
2 度とアルジェリアには行かなかったそうですが。
だからその息子である彼自身は、もちろんフランス生まれ。
香水の町、南仏のグラースで生まれたそうです。

それにしても、2 人とも、メチャメチャ忙しそうでした。

「だからね」と彼。「せめて今夜くらい、楽しまないと!」

……というわけで、
久しぶりに華やかな夜でした。
お2 人の、末長い幸せを祈っています。

2011年11月25日金曜日

神は


わたしが高校生の頃、
宇宙の始まりは200億年前くらいだろう、と言われていたと思います。
それがいつの間にか、
137億年という、ミョーに細かい数字を見かけるようになりました。
(ちょっと前は、120億年前、という書き方をよく見た気がします。)
たかだか30数年の間に、宇宙の歴史は70億年以上短くなっちまいました!
(でもまだ、これからも変わるんでしょうけど。)

ヒトが言葉を持ったのは、1万年前と言われています。
(これは、わたしが大学生の頃もそういうことになってましたから、
こちらは変わっていません。)
ヒトが文明を持ったのも、ヒトに意識が芽生えたのも、
同じ頃だと言いますが、まあこれらはみな、
同じことなのかもしれません。

1万年前。
ネアンデルタール人とヒトが分かれたのが50万年前。
ネアンデルタール人とヒトが交雑した(とすればそれはおそらく)6~9万年前。
ネアンデルタール人が絶滅したのが3万年前。
(彼らはついに言葉を持ちませんでした。)
そして1万年前、ヒトは言葉を持ったわけですね。
今西暦2011年ですから、紀元前8000年、ということになります。
メチャメチャ最近です。
ヒトはそれまで、ず~っと、言葉なしで生きてきたんですね。

FOXP2 という遺伝子が、
ヒト(やチンパンジーや鳥やウサギなど)には備わっていて、
この遺伝子がないと、言葉が使えないのだそうです。
だから、
神とはFOXP2 だ、と言う人もいるようです。
なるほどね。

フランス語の授業をしていると、
そんな形で「言葉」と付き合っているのが、
とても不思議なことに感じられる瞬間があります。

(明日は、仲間の結婚式で祝辞です。言葉を使います!)

2011年11月24日木曜日

「ふらんす」12 月号

雑誌「ふらんす」12 月号に、
『パリを歩く』(港千尋)
の書評を書きました。

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%B5%E3%82%89%E3%82%93%E3%81%99-2011%E5%B9%B4-12%E6%9C%88%E5%8F%B7-%E9%9B%91%E8%AA%8C/dp/B005Y18OEY/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1322135426&sr=1-2

以前ここでも触れましたが、この本はとってもおもしろいです。
写真もステキだし、文章も上手だし、視点も興味深いし、
たくさん「種」も仕込まれていて、拡張性も抜群。
十二分に値段の価値があります。
いい本です。


著者の港さんは、言わずと知れた写真家ですが、
彼の写真をフィーチャーしたこの本も、
特に若い人には読んで欲しい1冊です;


管さんが22年前に書いた、まさに瑞々しいデビュー作、
『コロンブスの犬』(河出文庫)
です。
文庫版になって、とても入手しやすくなりました。
移動し続ける詩人の、1つの原点と言ってもいいのでしょう。
この文庫版のための解説も、熱がこもっています。

             ◆

ところで雑誌「ふらんす」の編集を担当しているアミさんもまた、
先日パリに行ってきたそうです。
編集後記を読むと、その絵に描いたような珍道中が笑えます!
鼻血で精密検査って……!?

2011年11月23日水曜日

『憎しみ』を10回見る


『憎しみ』は、フランス映画としてはかなり知られた作品だし、
ご覧になった方も多いでしょう。
「荒れる郊外」を予見する映画としても、評価が高いし。

そしてこの作品は、
「フランス映画ゼミ」でも「ワールド映画」ゼミでも取り上げているので、
わたしとしては、少なくとも10回以上は見ていると思います。
でも……

それでも、やっぱり毎回発見があるんです。
まったく気づいていなかった点にはっとしたり、
モヤモヤ気になっていた点が突如はっきりしたり。

(映画は、最低2 回見ろ、と言いますが、同感です。
ストーリーが分かって、そのあとじゃないと、
なかなか細部に注目するところまでいきません。
単純な例でいうなら、登場人物の部屋が映し出される場合など、
ほぼ間違いなく、壁に貼られたポスターなどに、
なんらかの「意味」が込められているようです。

それからもちろん言葉。
今はフランス語の映画についていうなら、
やっぱり1度では、聞き取れないところも多く、
字幕並みの理解になりがちです。
でも、字幕は結局「要点」であり、
細かいニュアンス切り捨てられています。
どうしても、複数回見て、セリフのデリケートな部分を感じる必要があります。)

『憎しみ』を昨日また見て、
今までで1番よく分かった気がしました。
オープニングのクレジットの背景のデモ、
その光景とその後の「物語」の接合の感じから始まって、
ユダヤ系、アラブ系、アフリカ系、
主人公たち3 人の心理も、はっきり分かった気がしました。
また何度か、ほとんど唐突に、
しかもストーリーには絡んでこない人物によって語られる突飛なエピソード(たち)も、
なにかとてもしっくりきました。

そして今回、わたしにとって1番新鮮だったのは、「名前」の扱いです。
これはただ見ていても気づくことですが、
主人公たちの「名前」の示し方は、とても凝っている、というか、
映画文法からはやや(わざと)逸脱したものです。
サイードは、自分の名前を警察車両に書きなぐり、それがアップになり、


ヴィンスは、自分の名前の指輪をはめ、それがアップになり、


ユベールは、ボクシングの試合を予告するポスターに写り、それがアップになります。

サイードが、パリに金を返してもらいに行く相手は、アステリックス。
彼の部屋を探してならしたインターホンに応えた女性は、ベアトリックス。
また3 人がもぐりこんだパーティーで、
彼らが白人のギャルソン呼ぶときは一斉に「シャルル」。
ヴィンスは決して「ヴァンサン」じゃありません。
そしてとりわけ印象深いのは、3 人がクルマを盗む途中に現れた酔っ払いのケースです。
なんやかやと言い合う中で、サイードは彼に尋ねます、名前は? と。
すると(ヴァンサン・ランドン扮する)酔っ払いは、大声で、
Je m'appelle ...
と怒鳴るのですが、結局彼は名乗らないのです。
つまり映画は彼に、名前を与えません……

第一感、この酔っ払いは監督の自画像、という気がしました。
彼はこの映画を作るけれど、そして彼らの「味方」ではあるけれど、
白人で、映画監督で……
映画の中で自分に名前を与えないことで、
自分の位置を示しているように感じました。酔っ払いだしね。
(……と書きましたが、これは思いっきり想像です。
きちんと調べたわけではありません。)

いかがでしょう、
みなさんがご覧になった時の印象と、違うでしょうか?

2011年11月21日月曜日

『思い出しておくれ、幸せだった日々を』



さっき帰ってきたのですが、
ずいぶん寒くなりましたねえ。
顔に当たる風が少し痛いです。

さて、
大学の授業もかなり進み、
このごろはテキスト以外の短い読み物なども入れているのですが、
こんなときの定番なのが、
まずはやっぱり『星の王子様』であり、
もう1つは『ことば』です。

『ことば』は、ジャック・プレヴェールの詩集のタイトルです。
2009年には、ジブリ所属のアニメ作家高畑勲が、
『ことばたち』という全訳を刊行しています。
読みやすい詩が多いプレヴェールですが、
中でも「朝食」は、おそらく日本中のフランス語教員が、
授業で使ったことのある作品でしょう。

Déjeuner du matin

Il a mis le café
Dans la tasse
Il a mis le lait
Dans la tasse de café
Il a mis le sucre
Dans le café au lait
Avec la petite cuiller
Il a tourné
Il a bu le café au lait
Et il a reposé la tasse
Sans me parler
Il a allumé
Une cigarette
Il a fait des ronds
Avec la fumée
Il a mis les cendres
Dans le cendrier
Sans me parler
Sans me regarder
Il s’est levé
Il a mis
Son chapeau sur sa tête
Il a mis
Son manteau de pluie
Parce qu’il pleuvait
Et il est parti
Sous la pluie
Sans une parole
Sans me regarder
Et moi j’ai pris
Ma tête dans ma main
Et j’ai pleuré.

たった1つだけのピリオドが印象的なこの詩を、
五感を総動員して読むことになります。
コーヒーの、煙草のにおい、
カップがソーサーを打つ甲高い音、
背景に降り続く雨の音、
ミルクを入れる動きと、交わらない視線……

そして最後から2 行目、
女性は顔を覆って泣くのです、片手で。両手ではなく。
煙の「輪」はいくつもあったのに、ma main は単数です。

そして最近、このプレヴェールの評伝が刊行されました。
『思い出しておくれ、幸せだった日々を』(柏倉康夫・左右社)
です。
570ページ超の大作で、その分値段も安くはないのですが、
プレヴェール・ファンは必携でしょう。
(地元の図書館でリクエストすれば、おそらく買ってくれるでしょう。
こういう本をリクエストして買ってもらっておくと、
いつの日か、未知の誰かに感謝されるでしょう。
わたしもそうして、未知の誰かにたびたび感謝してきています。)

プレヴェールは詩を書いただけでなく、
映画の脚本も多く手がけました。
その数、なんと55本だそうです。
「パリ燃え」でもちょっと触れた『夜の門』も、その内の1作で、
この評伝でも、そのあたりの事情がくわしく書かれていました。
酷評され、つらい思いをしたようですが、
逆に言えば、ああいう作品が「古い」と感じられる時代になった、
ということでもあるのでしょう。

評伝というのは、もちろん、その主人公を鏡にした、
時代の証言でもあるわけですね。

2011年11月20日日曜日

「パリ燃え」


「テレビでフランス語」12月号、発売になりました。
今回の「パリ燃え(第9 回)」は、ついに登場、「グット・ドール地区」です。
使った写真の1つは、上に挙げたものです。
アップにするなら:


レオン小公園は、こんなのもあります;





そしてすぐ近くの店先では;



グット・ドール、Goutte d'Or 、「金のしずく」、ですね。

2011年11月19日土曜日

Aïcha 3


『アイシャ・3 』、Aïcha 3, la grande débrouille
を見てみました。

この『アイシャ』シリーズの1と2については、
すでにご紹介済みですね;

1:http://tomo-524.blogspot.com/2010/10/blog-post_30.html

2:http://tomo-524.blogspot.com/2011/07/aicha-job-tout-prix.html

そして今回の『 3 』、予告編はこちらです;

http://www.youtube.com/watch?v=yQoLosHCtCQ

今回は、アイシャたちの住む18階の建物のエレヴェーターが動かない、
というのが、物語の縦糸になっています。
ここに、アイシャの勤める化粧品会社の販促や、
人権運動、アイシャの叔母・ビウーナの昔の恋人などが絡んできます。

見ていて楽しいし、笑える個所も多いのですが、
シリーズの中では、1番軽い感じのデキではないでしょうか。
1,2と見ていれば、
それぞれのキャラクターの背景が分かっているのでいいのですが、
それがないと更に軽く感じられてしまうかも。

この夏にパリに行ったとき、
アイシャの舞台であるボビニーにも行ってきたのですが、
やっぱり好きな映画の場合は、
その舞台である場所に行っておくと、
なんともいえず身近に感じられものですね。
団地の中のさびれたドラッグストアで、
もちろんマグレブ系の店主とだべったのですが、今回の『 3 』でも、
そのすぐ隣が<みんなのためのエレヴェーターの会>の会合場所でした。


そうそう、この『 3 』には、
『ロミュアルドとジュリエット』のジュリエット役、
Firmine Richard が登場し、大活躍していました。
彼女はグアドループ出身で、
たしか40歳頃、『ロミュアルド~』のキャスティング担当の人にスカウトされ、
(やや遅めの)シンデレラ・ガールとなった女優さんです。
オゾンの『8 人の女たち』にも出てましたね。
今回は、カリブ出身の女性の役で、
髪の色も白っぽくしています。

いつか、このシリーズについて、
ちゃんとしたものを書きたいんですけどねえ……(来年!)