2012年1月31日火曜日

イベント詳細

2 月19日、無料です!(事前予約が必要です。)

http://keitahatooka.blogspot.com/2012/01/219.html

お待ちしています!

熱です

な~んかすご~く寒いな~~
と思っていたのが昨日。
案の定今日は、38度です。
(でもまあ、インフルではなさそうなのが、せめてもの救い。)

みなさん、お気をつけて!

2012年1月29日日曜日

バルベス映画・Fatou la malienne


YouTube でたまたま見つけたTV 映画、
Fatou la malienne 「マリ人、ファトゥー」、
1~10 まで10分ずつに分かれているのですが、
ここ数日、コマ切れの時間を利用して、見てみました。
面白かったです。
(番号がなく、全体を通して見られるものあったのですが、
そちらは画質が悪いようです。)

パリ生まれのマリ系女性、ファトゥーは18歳。
バカロレアを終えた今、彼女に興味があるのは勉強ではなく、ヘアー・アート。
今も美容室で働いていますが、夢は有名デザイナーのヘアーを担当すること。
でも、
家族が考えているのは別のこと。
なんと、カネ回りのいい従兄と結婚させようとしているのです。

ファトゥーははっきり断ります。断り続けます。が、
ある日彼女は親戚の女性たちに拉致され、
無理やり“結婚”させられます。
(その意味は、従兄と一緒に部屋に監禁されること。)
彼女はレイプされます。が、
女友達(白人)に助け出されます。
それを知ったファトゥーの弟は怒りだし……

このストーリーに対し、
パリのマリ系社会からは非難が噴出したそうで、つまり、
マリ社会はこんなんじゃない!
しかも主演女優はセネガル人だし!
バカにすんじゃないの!
というわけです。
監督は、事実に基づいて、と言っていますが、
どうなんでしょう。
トータルでは、もちろんフィクションなわけですが。
(その後続編も作られたのですが、
それは見つかりませんでした。DVDも未発売。)

で、それはさておき、
わたしが興味を引かれたのは、やっぱり場所。
以下、ちょっと具体例を挙げますが、
あんまり面白くないと思います。(それじゃだめじゃん!)

まずはYouTube ね。

http://www.youtube.com/watch?v=OqZy-EIv-0Y

冒頭、この高架を走るメトロは、2号線ですね。
で、32秒あたり、線路を跨いだあたりに、
黄色い看板が見えますが、これはこれでしょう;


La Chapelle駅と、Barbès 駅のちょうど真ん中あたりです。

で、1 分10秒のあたりでサクレ・クールが見えていますが、
これはさっきの地点から少しバルベスに寄った、
シャルトル通りを通して見た姿でしょう;


さらに、2 分あたりのシークエンスは、
(先月、今月と「パリは~?」に登場した)
シャトー・ルージュ駅前ですね。
Fatou 一家が住んでいるアパルトマンも、
このすぐ近く、68, rue Doudeauville だと思います。(これは「1」には出てきません。)
親戚の叔母さんが住んでいるのは、 rue Myrha だと言ってました。
これは、以前「パリは~?」に登場した、レオン小公園のすぐ近くです。

そしてファトゥーが働く美容室は、2 分40秒あたりですが、
これは(3 月号に登場する)シャトー・ドー(Château d'eau)に違いありません。
ここでしょう;


このあたりは、美容室のメッカです。

でも、こんな場所を見つけてきて、何が面白いんだろうと自分でも思いますが、
なぜか面白いんですね~。

2012年1月28日土曜日

Y'en a marre !


セネガルの選挙、
ユッス・ンドゥールが立候補したと、前に書きました。
「キャンペーン活動中のスター」です;

http://www.youtube.com/watch?v=DczT-Cut8E0

壁に書いてあるのは、「Y'en a marre !」(もうたくさん!)
そしてユッス自身も、貧困家庭に育ったんですね。
今は彼の叔母さんのものになっているユッスの生家、
これも印象的です。(7分30秒あたり)
親戚が集まってるんですね。
きっと全員がムスリムなんでしょう。(もちろんユッスもそう。)

そして、フランス語がウォロフ語に変わりつつあるという記事。

http://www.voanews.com/english/news/africa/Senegal-Turns-Away-from-French-in-Boost-to-Democracy-138006358.html

こういう話には必ず付いて回るのが、
じゃあウォロフ語スピーカーじゃない人は? という問題です。
(アフリカでもハイチでも、
好きでフランス語を使っているわけではないのでしょう。
消去法で残ったので、という感じ?
宗主国が、植民地が豊かにならないように、
教育が高くならないようにするというのは、まあ定番スタイルですね。
今なら、パレスチナに対するイスラエルも。)

最初で最後の


それにしても、今年の東京は寒いです。
(なんて言うと、北国の方に笑われそうですが。)
空気の“エッジが立ってる”感じ。それも鋭く。

さて、
まだ詳細は未定なのですが、
来る2月19日、原宿方面にて、
『混成世界のポルトラーノ』刊行記念トーク・イベントが開催される予定です。
この本に関わった5人が登場し、
あ~いう出会いがおもしろいとか、こ~見てみたら驚いた、
みたいなことを話すことになりそうです。
5人が揃うのは、おそらく最初で最後でしょうから、
もしご興味がおありだったら、どうぞ明けておいてください。
時間は15時~くらいになりそうです。

またご報告いたします!

2012年1月27日金曜日

『肉体の冠』


『パリ歴史事典』には、「ゾーンzone(場末)」という項目があり、
これ「軍用地zone militaire」のことだ、と書かれています。
でその「軍用地」とはなにかというと……

昨日登場したティエールは、
首相を努めていた1840年代、パリを囲む城壁を造らせたことがありました。
いわゆる「ティエールの城壁」です。
「ゾーン」とは、この城壁そのものの外側に広がる、建物禁止地帯のことです。
幅200mで、パリをぐるりと1周していました。

この「ゾーン」は、ちょっと特別な空間で、
本来は建築禁止だったにもかかわらず、
屑屋やチンピラ、娼婦などが住みついたそうです。
基本「貧民たち」なのだと、書かれています。

そしてそのゾーンの雰囲気を伝えるものとして、
映画『肉体の冠』が挙がっており、久しぶりに見てみました。

http://www.dailymotion.com/video/x2engo_casque-d-or-la-guinguette_shortfilms

この酒場が、いわゆる「ガンゲット」と呼ばれるタイプのものなんですね。
かつては、城壁の外側に造られ、税金がかかる前の安い酒を提供していました。
ちなみにこれはゴッホ;


以前(もう30年前)見た時は、「フランス映画」として見たわけで、
その背景にある地誌的なことには目が向いていませんでした。
(ただドラマとして見ても、うまく作られているとは思いますが。)

で、見て、その後ネット検索してみたところ、舞台はベルヴィルで、
その(セット以外の)撮影は、44, rue des Cascades で行われた、とありました。
しかもその家は、主人公のモデルとなった実在の娼婦が、
本当に住んでいた家なのだとか。驚きました。
これがその写真;


しかもこの家の庭が、消えかかってる!?

http://www.dailymotion.com/video/xfcvy1_paris-20eme-le-jardin-de-casque-d-or-menace_news

でも待てよ。
ベルヴィルだとすると、そこは「ゾーン」ではなく、
いわゆる「小郊外」、つまり、
ティエールの城壁と徴税請負人の城壁に挟まれた地域、ということになりますけど?

ところで『肉体の冠』(1952)とは、今から見るとやや異様な感じさえする邦題です。
(『肉体の門』(1947)などからの影響なんでしょう。)
原題はCasque d'Or、「黄金の髪」。これは主人公である娼婦の名前です。

それにしても、同じ映画を見てるのに、
視点の違いでまったく印象が変わるものですねえ。

2012年1月25日水曜日

「フランス内乱」


今日読んだ文章の始まりはこうでした。

「1870年9月4日、パリの労働者たちは共和制を宣言した。
それはほぼ即座にフランス全土で、1つの異議の声もなく歓呼の声で迎えられた」

そして結びはというと、

「労働者のパリ、ならびにパリのコミューンは、
新たな社会の光輝ある先駆者として永遠に讃えられるであろう。
その殉教者たちは、労働者階級の偉大な胸の内に大切に祭られている。
それを滅ぼした者たちについて言えば、
歴史はすでに彼らを永遠のさらし台に釘付けにしているのであり、
彼らの司祭のいかなる祈祷といえども、
彼らをそこから救い出す助けにはならないであろう。」

そしてこの文章が書かれた日付がその後にあり、

「1871年5月30日」

となっています。
つまり、パリ・コミューンが「血の1週間」で殲滅された2日後、
ということですね。

さあ、この文章を書いたのは誰でしょう?(画像がヒントです。)

彼は1818年生まれで、1883年に亡くなっているのですが、
なんと(今日発見したのですが)、
これは生没年とも、ツルゲーネフと同じなのです!
まあ、だからどうってこともありませんが、
不思議な気がしました。

(初めて『初恋』を読んだのは、
忘れもしない小学校6年の時でした。
よくわからなかった!)

で答え、それはあのカール・マルクスです。
有名な文章なので、ご存知の方もいらしたでしょう。
恥ずかしながら、わたしは今日初めて読みました。

ナポレオン3世がプロイセンの捕虜になった時、
パリの民衆は議会を取り囲み、
帝政の廃止、共和制の開始を宣言します。
だからこれは、その日付にちなんで、
「9月4日革命」と呼ばれることもあるんですが、
日本では「蜂起」と呼ばれてしまうようです。

これは、たしかに「革命」でしょう。
でもなぜ、あまりそういうものとして扱われないかというと、
(わたしが想像するには)
その後にできた臨時国防政府のメンバーが、
帝政時代のメンツとほとんど変わらなかったから、ではないでしょうか?

でそのあたりに関連して、マルクスは、
ティエールやトロシュを名指しで非難しています。
たとえばティエールは、「ボナパルト派」でも「王党派」でもなく、
かといって「革命派」ではもちろんなく、
一応「立憲君主派」なわけです。
でも実際には、革命派を激しく攻撃したわけで、
マルクスから見れば、許し難かったのですね。
「さらし台に釘付け」ですからね。

つまり、当然ですが、
「9月4日革命」を起こした人たちと、
パリ・コミューンに関わった人は、(基本)同じだ、と言えるのでしょう。
そしてマルクスから見れば、
ティエールたちが「9.4」の果実を盗み取り、
コミューン時にはさらにエスカレートした、という感じでしょうか。

「フランス内乱」、遅ればせながら、おもしろかったです。

2012年1月23日月曜日

『クスクスの謎』


「テレビでフランス語」2 月号の「パリは~」には、
「ラ・ショップ・ドゥ・シャトー・ルージュ」というお店が(ちらりと)出てくるのですが、
なんとなんと、
同じ店が登場している本が出ていました。
(というか、本のほうが5日早いのですが。)
その本は、これです;

http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%81%AE%E8%AC%8E%E2%80%95%E4%BA%BA%E3%81%A8%E4%BA%BA%E3%82%92%E3%81%A4%E3%81%AA%E3%81%92%E3%82%8B%E7%B2%92%E3%83%91%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%81%AE%E9%AD%85%E5%8A%9B-%E5%B9%B3%E5%87%A1%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E3%81%AB%E3%82%80%E3%82%89-%E3%81%98%E3%82%85%E3%82%93%E3%81%93/dp/4582856233/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1327322787&sr=8-1

著者である「にむらじゅんこ」さんの本は、
今までにも何冊か読んで、色んなことを教わりましたが、
今回のこの本も、「へ~」とか「ほ~」が多く出ました。

わたしが初めてクスクスを食べたのは、もう30年前のこと。
それが残念ながら不幸な出会いで、
そのあとしばらくクスクスから遠ざかっていたのですが、
10年ほど前でしょうか、久しぶりに食べてみると、
オヤ? こんなにおいしかった!?
わたしが成長したのか、あの時のアレが外れだったのか、
はっきりオイシイと感じられたのでした。
それ以降は考えを改め、チャンスがあれば喜んで食べています。
(家でも作ります。)

にむらさんの場合は、初めの出会いから幸福な関係を結び、
その後も一貫して「クスクス愛」を育んでこられたご様子。
羨ましいです。
もしもみなさんの中に、クスクス未体験の方がいらっしゃったら、
大丈夫、この本に日本のお勧め店が紹介されています。
この本を読んでから食べに出かけたら、
それ自体がもう、1つの旅だと言えるでしょう。
食べ物の本ですが、食べ物だけの本ではないです。

2012年1月22日日曜日

新井豊美さん


先週の「東京詩」ゼミで読んだ詩の中には、
新井豊美さんの作品もありました。
その新井さんが、お亡くなりになりました。

http://www.asahi.com/obituaries/update/0122/TKY201201210611.html

詩作は言うまでもなく、『女性詩史再考』など、
とても鋭敏な詩論も読ませていただきました。
また個人的には、2009年の「年末の読書アンケート」で、
『東京詩』を挙げてくださったのが、とても嬉しい驚きでした。
ご冥福をお祈りいたします。

日曜美術館


今朝の日曜美術館、面白かったです!

http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2012/0122/index.html

来週の日曜(29日)の夜 8 時から、再放送です。
パリが好き or 写真が好き、なら、きっと面白いです。
(両方好きなら? 訊かないで!)

(ちなみにわたしは録画予約しました。)

2012年1月20日金曜日

2 月号、発売中


今日の東京は、寒かった~!
1日みぞれ混じりの雨で、傘を持つ手がかじかみました。
でも……

夕方のニュースで見た旭川、そのダイヤモンド・ダスト。
あそこから見たら、東京なんてずいぶん「ぬるい」んでしょう。
大学院時代、とても優秀な後輩がいて、
たしか彼女の出身は旭川だったはず。
冬でも、そんなに厚着はしてなかった気がします。

そして今日で、めでたくわたしにとっての後期授業日程が終了しました。
これからは、採点、成績提出、入試、と続きます。
ふだんに比べると、やや緊張する時期です。

そして!

「テレビでフランス語」、「まいにちフランス語」、
各2 月号のテキストが発売になりました。
前者の「パリは燃えているか?」では、セネガル料理を食べています。
これ、ほんとにおいしくて、しかも安かったです。
詳しくは本誌で!

では、関連の写真、以前挙げたものも含めて、
まとめておきますね。












ああ、また行きたい!

2012年1月19日木曜日

センター試験大混乱


今年のセンター試験は、それにしても大混乱でした。
(大学関係者の端くれとして、
受験生のみなさんには、申し訳なく思っています。すみませんでした。)

結論から言えば、大学入試センターにも、
実際に試験をする大学側にも、
両方に落ち度があったというべきでしょう。

まず、改革そのものにムリがあったと思います。
たとえば社会は、
世界史や地理の学力を向上させるための変更と聞いていますが、
そしてその意見そのものには賛成しますが、
あの試験形式はムリですねえ。

その結果、配り忘れという、間の抜けたミスも起こったわけですが、
第1科目と第2科目の間の10分、これも問題だったと思います。
「休み時間ではない」ということですが、
トイレ希望者が集中した会場があり、
そこでは、実質、カンニングの監視は行われなかったといいます。
たとえば、第1科目で得意の化学を受けた受験生A君が、
第2科目で不得意な化学を受験するB君に、
トイレで答えを伝授しておくことが可能なわけです。
しかもマークシート! です。
(もちろん、今回このタイミングでトイレに立った全員が、
こんなことをしていると言うつもりはありませんけど。)

こんなこと、試験のやり方を聞いた瞬間に、誰でも思いつくでしょう。
(だから逆に言うと、ほとんどの受験生は、知っていてしなかったわけですね。)
友だちとトイレで落ちあうためには、
彼(女)が近くの教室で受験している必要がありますが、
それも十分ありえることでしょう。

センター側は、謝罪会見でも、
マニュアルは完璧だった、という趣旨の主張をしていました。
どうでしょう、時間配分や何やら、
まだまだ改善の余地はあるようにわたしは思いますが、
100歩譲って完璧だとしても、
マニュアルさえ完璧ならうまくいくと考えてること自体が、「?」ですね。
人間の仕事って、そんなもんじゃないでしょう。

それから入試センターは、
ミスした大学からの、指示を仰ぐ緊急問い合わせに対しても、
なかなか返事しなかったと言います。
シミュレーション不足、ということなんでしょう。なんとね。

そして大学側。
これはね、おそらく各大学に、危機感を持っていた人はいたと思うんです。
ただ、説明会を欠席したり、マニュアルをちゃんと読まなかったりと、
一部の担当者の、高をくくった態度が、今回の混乱を招きました。
彼らの準備が十分だったら、
たとえ入試センターのヘンテコな実施計画に沿ってでも、
これほどの混乱は来さなかっただろうと思うわけです。
無責任と言われても仕方ないでしょう。

そういえば東北大学は、リスニング用の機械を届け忘れましね。
こんなことが、ありえるんでしょうか?
受験生は2 時間待たされたといいますが、
ただでさえ終わるのは5時頃のはずですから、
2時間待ちは辛いです。しかも翌日も試験だし。
(ただこの件について、
気仙沼高校側の事前対応は報道されていませんが……)

というわけで、可哀そうだったのは受験生です。
ほんとに申し訳ないです。
今週末再試験を受ける受験生には、
ぜひもう1度がんばって欲しいです。

来年度は、制度も実施方法もシンプルにして、
こんな混乱が決して起こらないことを祈っています。

2012年1月18日水曜日

from Hassamu


先週大学に届けられた年賀状の中に、
札幌の発寒からのものがありました。
テレビを見て下さって、
「息子もボンジュール好き」とのこと。
ありがとうございました!

発寒(はっさむ)という地名、今wiki を見ると、
「この地には桜鳥(むく鳥)の大群が飛来し、群生していたことから、
桜鳥を意味するアイヌ語の「ハチャム」からとられたものとするのが通説である」
とあります。
北海道の地名は、アイヌ語からのものが多いですよね。

今後ともよろしくお願いします!

レオンハルト


好きな、というか、敬愛する、という感じだったチェンバロ奏者、
グスタフ・レオンハルトが亡くなったというニュースが、今日の朝刊に。
そこで朝刊の続きは、彼のCD を聞きながら読みました。

バッハの演奏が多いようですが、
わたしにとっては、フローベルガーの存在を教えてくれた人でもあります。

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%BC-%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%AD%E5%90%8D%E6%9B%B2%E9%9B%86-%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%88-%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95/dp/B0014W8T42/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1326888994&sr=8-1

↑ は、残念ながら品切れ中なんですね。
でも試聴だけでも、よろしければ。

チェンバロの音のことを、
「にぎやかな孤独」
と書いたのは、北村太郎でした。
チェンバロを、これほど掴んだ言葉は、以降見ていません。

2012年1月16日月曜日

ジャスミン革命、1年


チュニジアでのジャスミン革命から1年経ち、
色んなところで「あれから1年」みたいな特集が組まれています。
結論として(今さらながら)思うことは、「革命後」の難しさです。

授業で「フランスの歴史」みたいな話題になるときには、
とにかく、フランス革命のbefore と after で分けて考えましょう、
みたいなことを言います。
明治大学理工学部の場合、受験科目に世界史がないので、
彼らの世界史の知識は総じて薄めです。
(世界史受験してない学生は、ほとんどみんなそうだと思います。)
で、とりあえずそんな風に言ってから、before と after それぞれのことを、
もう少し話すこともあります。
ただ after の「もう少し」のところは、
話していても、届いていない感じがすることがよくあります。
まあ、説明も下手なんでしょうけど。

フランス史を2分する「フランス革命」、という言い方は、
間違ってないとは思います。ただこの革命、
最後にその果実をもぎ取ったのは、皇帝ナポレオンだと言うこともできます。
皇帝? 革命後に?
めちゃめちゃ違和感があります。
そんなものを呼び込むために、バスティーユを襲ったわけでもないでしょうに。
でも現実はそうでした。

その後、戦争に勝てなくなったナポレオンは捨てられて、
再び革命が起きます。7 月革命(1830)です。
でも今回の革命が行きつくのは、なんと王政です。
これは驚きです。
この事情は、革命の主導者が立憲君主制を支持していたから、
と言えば聞こえはいいですが、
私利を図った政治家たちが、ルイ・フィリップを担ぎあげた、
とも言えるわけでしょう。

けれどやっぱり王政は長続きしませんでした。
今度は2 月革命(1848)です。
けれども、この革命後に行われた選挙では、
革命で活躍した労働者たちが支持する政党は、惨敗。
怒った彼らは6 月蜂起を起こします。が、これも鎮圧。
結局数年後には、なんとまたもや皇帝の登場と相成るわけです。
革命3 回やって、その後に皇帝です。
これはわたしじゃなくても、なんのこっちゃ!? と言いたくなるところです。

つまり、「革命後」が難しいんですね。

革命から1年経ったチュニジアでは、
観光客が減り、景気が(さらに)減速し、
失業者は80万~100万に達すると言われています。
そして初めての選挙で勝ったのは、経済の実務が得意な集団でした。
(ギリシャやイタリアも、そういう選択ですね。)

ただチュニジアのこの第1党、実はイスラム政党でもあります。
メディアによっては、このあたりを「反動」ととらえているものもあります。が、
この点については、1年前にここで書いたとおり、
この革命の「イスラム革命」という側面を考える必要があると思っています。
つまり、宗教改革です。
堕したイスラムを、本来のイスラムに戻そう、という気持ち。
これは、民主化革命という側面と、矛盾しないと思っています。

フランスでは、2人目の皇帝が捕虜になった後、
パリ・コミューンが起こります。
これはマルクスが、『共産党宣言』の中で、
とても高く評価したものです。
プロレタリア革命ここにあり、というわけです。

でもこのパリ・コミューン、持ったのは3 ヶ月ほどでした。
ティエールが、自分が作らせた城壁に阻まれながらも、
ヴェルサイユからパリに進攻し、
結局コミューンのメンバーを皆殺しにしてしまいました。

そういえば……

68年の学生運動に関わったある先輩の先生が、
学生たちが新宿を占拠したあの夜、
「R で始まる単語が頭の中で光っていた」
とおっしゃっていました。
「ま、翌朝になったら消えてたけどね!」

2012年1月15日日曜日

小さな出会い


今日は早朝から、終日大学の業務でした。

帰りは焼き鳥屋に寄ったんですが、
クルマだったのでノン・アルコール・ビールです。
でもどうして、ノン・アルコールなのに、
ちょっと酔った感じがするんでしょう!?
ま、その持続時間はごく短いんですけどね。

そういえば今日、建築が専門の院生(博士課程1年)と知り合いになりました。
彼は、戦後の副都心の開発史をテーマにしているそうです。
おもしろそうですね。
そんなに役に立たないけれど、ぜひ『東京詩』も読んで欲しいところです。
彼が上京してきた00年代の東京が、
どんな変貌の果ての姿なのかについて、
「こんなアプローチもあるのね~」と思ってくれればいいんですけど。
岐阜出身の彼とは、まだ話せることがたくさんありそうでした。

業務の中にも、小さな出会いがありました。

2012年1月14日土曜日

春よ

寒い毎日が続いていますが、
みなさん、お元気でしょうか?
こちらは、体調は問題ないのですが、
この時期は特に大学の業務が多く、
なんとなく落ち着かない感じです。
まあ、3 月になれば落ち着くでしょう!(←だいぶ先)

それにしてもユーロ、
大晦日に100円を切った時には、
幾分かは予想していたところもありましたが、
たった2 週間で97円台に入るとは……

2012年1月12日木曜日

シューカツ


火曜日に授業が始まり、今日は水、木曜日で、まだ3日目。
でも授業はもちろん、(長い)会議も、試験もあり、
「通常」モード全開です。

で今日は、3 年生のI 君が研究室に来て、
明日の授業はシューカツの面接があるので休ませてください、とのこと。
聞けば、志望はなんと出版社。
理工学部、電気電子生命学科所属でも、
当然そういう希望もあるわけですね。

ただみ~~~んな知っているように、
大手出版社に入れるのはミラクルに近いです。
というか、中規模の出版社でも、か~な~り狭き門。
比較的最近、某中堅出版社の中途採用募集にも、
数百人の応募があったと聞きました。
もちろん募集人数は「1」です。

結局I 君と、彼の志望動機なども聞いた上で、
プチ作戦会議です。
出版社はワカモノに何を求めているのか、
文学部の学生との差別化は、どう図ればいいのか、
「企画」って、そもそも何をすることなのか……

付け焼刃だし、あまり役に立ったとも思えませんが、
きっと今日の帰り、彼は大型書店に寄って、
今までとは少し違う感じで棚を眺めてくれただろうと思います。
本は、たくさんの人の力の総和で生み出されるわけですが、
その中で、編集者の役割、営業担当の、宣伝担当の人の役割、
つまり出版社の役割について、
もう1度深く考えてくれたらと思ったのでした。

I 君の健闘を祈ります!

2012年1月11日水曜日

zingaro


今夜9 時から、
「ジンガロ × たけし」という、面白そうな顔合わせがありますね;

http://www.nhk.or.jp/bs/t_art/

「サーカス」という分野(?)があって、
たとえばモントリオールのシルクなんかは当然その系列に入るわけですが、
このジンガロもまた、
「サーカス」の歴史の中に置いてみたら、
きっと発見があるのでしょうねえ。
(それを調べようとと思いつつ、はや数年が過ぎました……)

2012年1月9日月曜日

2 冊



というわけで、明日からは授業が再開します。
今年は 7~9 日が連休だったので、
まあ気分は今日まで「お正月」、だった気もします。

もちろん大学以外の仕事はもう始まっていて、
昨日はゲラを(宅急便で)送ったし、今日は原稿を1つ(メールで)送りました。
でもまあ、仕事があるのはありがたいことです。

本当は、見るべきDVD もたくさんあって、
この冬休みに少し山を減らせるかと思っていたんですが、
まったく減りませんでした!
言い訳するようですが(誰に!?)、何度もここで書いている通り、
パリの城壁にハマってしまったからです。

それに関して何冊か取り上げましたが、
また2 冊ご紹介しちゃいましょう。
『パリ歴史地図』です。

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%91%E3%83%AA%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%9C%B0%E5%9B%B3-%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3-%E3%83%AD%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%AB-%E3%83%94%E3%83%83%E3%83%88/dp/4487791588/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1326113923&sr=8-1

ちょっと高いんですが……。
(そもそも定価が12000円です。)
この大型本は、実は翻訳もので、フランス語なら、

http://www.amazon.fr/Paris-Histoire-ville-Jean-Robert-Pitte/dp/2010171217/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1326114047&sr=8-2

というわけで、ほぼ半額です。
(ということは、送料を入れてもずっと安いことになります。)

翻訳本の例にもれず、この本の場合もまた、
日本ではあまりお目にかからない切り口がいくつもあります。
たとえば、
「パリ初の街路設備」
「18世紀パリの食料事情」
「テュルゴーの地図」
などです。
やや翻訳が固い個所もありますが、歴史がお好きなら、
拾い読みも楽しいに違いありません。

そういえば去年、『パリ歴史事典』の普及版も出ましたね。

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%91%E3%83%AA%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E4%BA%8B%E5%85%B8%EF%BC%88%E6%99%AE%E5%8F%8A%E7%89%88%EF%BC%89-%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89-%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%83%AD/dp/4560081573/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1326115357&sr=1-1

旧版(わたしはこっちなんですが)は9500円しましたから、
今回は約半額です。
この本もまた、拾い読みという贅沢な楽しみが堪能できます。

パリに興味がおありなら、この2 冊は、
いずれ必ず役に立つでしょう。
お年玉に!?

2012年1月7日土曜日

マンガだからこそ


今日、amazon をうろうろしていて、
1つ思い出したことがあります。

以前ある大学に非常勤講師として勤めていた時、
フランス近代史を専門にしている先生と仲良くなりました。
そして当時その先生は、「第二次世界大戦」についての本を作っていたのですが、
その本、実はマンガだったんです。
ほら、ありますよね、オベンキョー的な内容のマンガって。
あれです。

「でもねえ、これが大変なんだ。
たとえば<○○の戦い>の場面なんかでも、当然<絵>がいるよね。
論文だったら、兵が何人とか、将軍がどうした、なんて書くわけだけど、
<絵>にするとなると、どんな軍服で、どんなヘルメットで、
使われた戦車や銃の型は何で……
なんてことが分からないとダメなんだよ。
また世の中には、そういうことに詳しい人がいてねえ」

でいい加減なことを描いて、
「その戦いのとき、ヘルメットの形はこう変わっていたはず」
なんて突っ込まれるといけないので、
こまか~く調べることになるんだそうです。

これを聞いてから、ベンキョー・マンガに対する敬意が上がったものです。
その先生のマンガ本、さっき見たらすごく増えていて、
きっと評判がいいんですね。

2012年1月5日木曜日


というわけで、一昨日ご紹介した『パリの聖月曜日』、
30年振りにじっくり読んでみたのですが、
Mmm、あの時はいったい何を読んでいたのか、という気がしてきます。
一昨日は、「おもしろいなあ」なんて中途半端に書いてしまいましたが、
それどころではありませんでした。
なんというか、著者の熱が、ひしひし伝わってきます。

一方には、パリを支配し管理しようとする人たち、がいて、
また一方には、貧しい労働者がいる。
前者の後者に対する「まなざし」、
後者の、たとえば「聖月曜日」に仕事をせずに飲んだくれていることの意味。
1832年のコレラ大流行の際の両者がとった態度には、
「日常的に累積されてきた都市パリの病理」や、
人々のそれまでの日常生活がさらけ出されることになる、とか、
増税してまで引かれたウルク大運河は、
結局社会的不公正を拡大させることになる、とか。

具体的な例、ユーモラスな、悲惨な、冷酷な、おぞましい例が、
たくさん出てきます。
そしてもちろんそれらは、ある流れの中に位置づけられ、
精彩を放つのです。
時に文体は硬く、抽象度の高いこともありますが、
この熱は換え難いものがあります。

文体のもう1つの特徴は、話が螺旋的に進んでいくところでしょうか。
(この点では、吉本さんの文体を思い出させます。)
そのつもりで読むと、螺旋に乗って深く切れ込むのがよく分かります。

今日はちょっと本屋さんに行って、
同じ著者・喜安朗氏の岩波新書、
『パリ ――都市統治の時代』
を買ってきました。
これから読みます!

(同じ著者が訳した『ある出稼石工の回想』、
これもおもしろかったです。19世紀にご興味があれば、ぜひ。)

2012年1月4日水曜日

セネガル


今年はフランスの大統領選挙も控えていますが、
一昨日、あのユッス・ンドゥールが、
故郷セネガルの大統領選に出馬宣言。
ちょっと驚きました。

が、考えてみると、驚くことではないのかも。
彼は政治的な発言をしていたし、
いくつものメディアを所有しているし。
(その後のほうの点に注目して、
ベルルスコーニと比較している記事もありました。)

http://fr.video.search.yahoo.com/search/video?p=youssou+ndour+video&fr=yfp-t-703-s&fr2=piv-web

このニュースを見ると、判断するのは時期尚早な気もしますね。

ハイチのワイクリフの場合は、結局出馬できず、
でも彼が応援した候補を勝たせることができました。
(その結果が、どんどん見えているとは言えませんが。)

セネガルでの投票は2月末。
ンドゥールの発言に注目していきましょう。

2012年1月3日火曜日

『パリの聖月曜日』


正月2 日目、
今日は楽しくオベンキョーの日でした。

しばらく前から「積読」してあって、
その時が来たら読もうと思っていた本を、
ついに今日読み始めました。それは、
『パリの聖月曜日』・喜安朗
です。

http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/6001910/top.html

この本は、わたしが院生の頃に出て、
とても評判になりました。
(アマゾンで見ると、今は岩波現代文庫に入っているのですね。)
ただわたしの場合は、おもしろいなあ、とは思ったものの、
この本の持つ「方法意識」のあり方にまでは思いが及ばない、
まあダメ院生でしたが。

なんだか去年から、ここでも城壁城壁と言ってきて、
自分のベンキョーとしては、駆け足ですが、
ローマ時代からやっと革命あたりまできて、
今回やっと19世紀を扱った『聖月曜日』の再読(と言っても30年振りですが)
に入ろうとしているわけです。

パリ史は、それを専門にしている研究者がたくさんいて、
その列に加わろうなどという気はさらさらないのですが、
やはり現代のパリについて書くときには、
ある程度歴史も知ってないとまずいよね、と思ったわけです。
それともう1つ、ペリフェリックの意味を考えるとき、
城壁の歴史は欠かせない、とも感じました。
まあそれはともかく。

この『聖月曜日』、もしパリの19世紀に興味があるなら、
必読書だろうと思います。

*ヴァンドーム近くのビストロで。

2012年1月2日月曜日

新年



あけましておめでとうございます!
今年もどうぞよろしくお願いします。

元旦の東京は、いい天気でした。
で、この好天に誘われて、がらがらの都心をクルマで走りました。
そう言えば去年も、やっぱり元旦は都心を走っていました。
やっぱりいい天気で。
明治通り、環七、20号。
この空いている東京の感じが、わたしにとっての正月になりつつあります。

みなさんも、
どうぞいいお正月休みをお過ごしください!