2023年2月28日火曜日

『フランス語をはじめたい!』、立ち読み版!

立ち読み版、
なんてあるんですね~。
しかもけっこう読めます!


発売まで、
あとちょっと!

2023年2月26日日曜日

『宮本武蔵 二刀流開眼』

内田吐夢の宮本武蔵シリーズ、
今回は第3作、

『宮本武蔵 二刀流開眼』(1963)

を見たのですが、
これは…… タイクツでした。
残念。

まず、内田吐夢監督の良さである「絵」の魅力が、
今回はあまり感じられない。
予算の都合なのか、
あまりデキのよくなセットでの撮影で、
第1作のような抜けてゆく感じがほとんどありませんでした。
また、物語も平板。
しかも、あり得ない偶然の出会いが立て続けに起こるし、
レイプはあっても、
それ自体が問題になることはありません。
さらには、主人公である武蔵の自己中心的なところがすごく顕在化して、
好きになれない。
彼には、自分を慕うこどもや女性たちへの想像力が欠如しており、
自分の「剣の道」こそがなにより重要だと考えているわけです。

少しだけおもしろいのは、
佐々木小次郎(高倉健)のキャラ。
突出して「おしゃれ」で、
他の人物のように「男性」的ではありませんでした。

第3作まで見てきましたが、
この辺でザセツしようかと思います。

5月28日

去年も担当させて頂いた、
上智大学での特別授業、
今年も担当することになりました。
日付は、

5月28日

です。
詳しくはまたご報告します!

4月4日(月)

新刊の書店イベントを、

4月4日(火曜) 19h~20h30

に行なうことになりました。
主催は、丸善丸の内本店
(オアゾの中にあるお店ですね)
なんですが、
実際はオンラインのみです。
詳しくは、またご報告します。

2023年2月25日土曜日

『お引っ越し』

大学院ゼミ、院生セレクション、
今回は、

『お引っ越し』(1993)

を見ました。
相米慎二監督です。

離婚しようとしている夫婦、
それをうまく受け入れられない少女、
の物語です。
大人二人の葛藤と、
少女のもがきが、
それぞれに描写されながら、
別々ではなくうまく接合していて、
その結果、
感情の明暗に起伏がつき、
それがリズムというか、動きというか、
映画をドライブしている印象でした。

この映画を見たのは、
日本映画が、
いわゆる集団的な夢想のようなものを描いていた時代から、
もっとパーソナルなものを描くようになっていた流れを踏まえ、
その「転換」を感じてみよう、
ということでした。

わたしの場合は、
社会を描きたければ個人を、
個人を描きたければ社会を、
という基本的スタンスでずっときたので、
単に「集団」から「個人」へというほど単純ではないと思いますが、
でも、そうした流れがあるのも事実でしょう。
よくできた作品は、
そうした二元論は越えてゆくでしょうけど。

でもフィルモグラフィーを見ると、
相米監督って、
「少女」ものが多いんですね。
まあ、「少女」は大きな可能性を秘めてますからね!

2023年2月24日金曜日

せり鍋



昨日は銀座のコリドー街で、
人生で初めて、
せり鍋というものを食べました。
根っこがおいしい、
とは聞いていましたが、
なるほどその通りでした。
わたしの印象では、
空心菜に似てる、かな。

ついでに、トマトのおでんも。



こちらは、
以前、駿河台のおでん屋さんで食べたトマトの方が、
味が通っていた気がします。

休日の銀座。
カフェは、
Henri Charpentier も Mariage Frères も、
もちろん Qu'il fait bon(120分待ち!) も大混雑。
仕方ないので、
Dalloyau でパンを買って帰りました。
(やっぱりおいしい。)

2023年2月22日水曜日

『まほろ駅前多田便利軒』/『まほろ駅前狂騒曲』

大森立嗣監督による2本の映画、

『まほろ駅前多田便利軒』(2011)
『まほろ駅前狂騒曲』(2014)

を見てみました。
原作は三浦しをんです。



多田と行天(ぎょうてん)。
30代に見える二人は、もと中学の同級生。
離婚後、仕事を辞めて便利屋をしている多田のところに、
いかにも風来坊的な行天が転がり込み、
そこから物語が始まります。
しけた(←これは否定しているのではなく)バディものと言っていいのでしょう。

この映画のおかしみは、
まさにこの二人の関係から生まれています。
とはいえいくつか縦軸となるテーマもあり、
その第一は、親子とはなにか、なのでしょう。
そしてこのテーマの描かれ方は、
まあ、ふつう。
そもそもこの二人がもろもろから逃げている「こども」なので、
このテーマが深くなりようはないのでしょう。
1作目、2作目を通して、
徐々に二人の過去が語られるんですが、
それを踏まえても、
この二人の現状は、「こども」的。
もちろん、ある程度は「成長物語」になってますが、
そこに力点を置いているわけでもない感じがします。

見ているぶんには、
それなりにおもしろいんです。
でもやっぱり、どこまでいってもエンタメではあります。
どちらかというと、
「ドラマチック」な第2作の方がおもしろいと感じました。
ちょっと、『傷だらけの天使』を思い出しました。

『宮本武蔵 般若坂の決斗』

というわけで「宮本武蔵」第2弾、

『宮本武蔵 般若坂の決斗』(1962)

を見てみました。

第1作の最後で、
真っ暗な独房のようなところに幽閉された武蔵。
そしてそこで3年間過ごす間、読書に励み、
「強さ」についての新しい境地に達します。
むやみに命を奪うことが強さなのではないと。
で、
ついにそこから解放され、
今度は武者修行の旅に出ます。
彼にとってのアイデンティティーは、剣術そのもの。
それを磨く旅です。
ただ可哀想なのは、
この3年、武蔵を待ち続けていたお通。
武蔵は、自分が「必ず迎えに行くから」と言っていたにも関わらず、
いともあっさり、連れて行けない、と彼女を拒否。
「ゆるしてたもれ」
という一言だけで、彼女を置き去りにします。
(いかがなものでしょう?)

第1作同様、
やはり、アクションは少なめだと感じます。
むしろ、人間たちの心理が細かく描写されていきます。
高潔な人間も、下司も。

ただ、第1作との大きな違いもありました。
第2作にも、
第1作の沢庵和尚の位置に来る人物、
つまり、映画の倫理を象る人物が登場します。
ところが!
この映画の場合、
最後の最後、
武蔵がこの倫理を拒否したところで終わるのです。
これは意外でした。

また、下世話なことで引っかかるのは、
武蔵に付き従う子どものことです。
武蔵はこの少年に、
京都への手紙を頼み、
自分は奈良で待っているからそこで落ち合おう、
と言うのです。
そんなこと、できるはずないですね。
子どもは、何を食べるんでしょう?
奈良までの道のり、
どこに泊まるんでしょう?
ちょっとムリすぎるような。
(原作にあるのかどうかは知りません。)

また、武蔵や彼の友人が、
達筆の手紙を書くのですが、
これもどうなんでしょう?
第1話の時の、
あの荒れた感じのワカモノたちが、
こんな字を書くとは、にわかに信じられません。
(江戸時代の識字率の高さ、とは、
どうもナショナル・アイデンティティー高揚のために、
1970年代に創作された「物語」だという指摘もあるようだし。)

とはいえ、第3作も見るつもりです!

2023年2月21日火曜日

『宮本武蔵』

先日、神田伯山の「寛永 宮本武蔵伝」17話を聞きました。
で、今度は、
内田吐夢の「宮本武蔵シリーズ」全5話を見てみようかと思います。


というわけで、第1作、

『宮本武蔵』(1961)

を見てみました。

冒頭から、
かなり絵画的なショットが続けざまに現れ、
内田ワールドに誘われます。
主人公が武蔵なので、
当然、アクション・シーンもあるのですが、
全体としては静的な雰囲気です。

宮本村の武蔵(たけぞう)は、
親友の又八を誘って、
関ヶ原の戦いに参加します。
勝てば、立身出世も夢じゃない、というわけです。
けれども彼らは、西軍に、
つまり負ける側についてしまったために、
なんとか戦を生き延びたものの、
追われる身となってしまいます。
そんな中、
又八が大けがを負っていたときに、
二人はある女性(野武士の頭領の未亡人)に助けられ、
又八は、故郷で許嫁(お通)が待っているにもかかわらず、
この未亡人と暮らすことを選択します。
(女性が特に積極的ではあったのですが。)
武蔵は、追っ手を逃れながら、
このことを又八の母に知らせようと村に戻りますが、
そこにも多くの追っ手がやってきます。
ここで登場するのが、
村の住職、沢庵(三國連太郎)です。
彼は、自分が武蔵を捕らえるから、
その身柄は自分に一任せよと武士に迫ります……

この沢庵和尚が、
映画内の背骨とも言うべき倫理を背負っています。
武蔵は、ラスト、ある城に幽閉されるのですが、
それは、沢庵がとった、
武蔵に成長を促すための策でした。
本当の強さとは何か?
「血」とは何か?
というわけです。
わたしとしては、
特に「血」に意味を見いだそう
(王様の子どもは王様の血筋、とかね)
という気はないので、
この辺はアレですが。

総じて、物語よりも、
絵に目が行く映画でした。
決してつまらなくはないですが、
予想に反して、
波瀾万丈というタイプではありませんでした。

2023年2月20日月曜日

『トラブル・ウィズ・ユー』

歳のせいと言うべきか、
すでに見た映画をアマプラで見てしまいました、有料で!
しかも、あまりおもしろくないヤツです。
それは、

『トラブル・ウィズ・ユー』

です。
これって、これです;


まあ、当時と同じ感想です。
ただ付け加えるなら、
出演陣はかなり豪華なんです。
主演のアデル・エネル、
その夫はヴァンサン・エルバズ。
冤罪で刑務所送りになったピオ・マルマイ。
アデル・エネルの同僚のダミアン・ボナール。(『レ・ミゼラブル』)
そして、オドレ・トトゥまで。
これだけの俳優を使って、このレベルって。
もったいないです。

で今ちょっと見たら、
ヴァンサン・エルバズは、
日本語にwiki は作られていませんでした。
わたしはとっても好きなんですけど!
たぶん、50本くらいは出演してるはず。
たとえば、





←ネトフリで見られます。

2023年2月18日土曜日

『グッバイ・クルエル・ワールド』

『セトウツミ』の大森立嗣監督の、
去年9月に公開された新作、

『グッバイ・クルエル・ワールド』

を見てみました。(アマプラ)


なかなかおもしろい。
わたしの好きなタイプの映画です。
物語的にも、
そして何より音楽から、
ブラックスプロイテーション映画を強く意識しているのが分かります。
もちろんそれは、表面上は、
タランティーノ的、と言ってもいいかもしれませんが、
劇中何度も流れるボビー・ウーマックは、
ブラックスプロイテーション映画の代表作の1つ、
『110番交差点』の主題歌を作っているわけですから。

西島秀俊は、
もちろんいい俳優だと思いますが、
今回は、特筆するというほどではないかも。
むしろ、彼の元舎弟役を演じた奥野瑛太の迫力はすさまじかったです。
お金に執着する風俗嬢、玉城ティナもよかった。
(ちょっと、ハーレークインみたい。
日本のマーゴット・ロビーになれるかも!)
中途半端にやさぐれた刑事役の、大森南朋も。
『楽園』にも出ていた片岡礼子も。

2023年2月17日金曜日

『楽園』

これも大学院ゼミ。
見たのは

『楽園』(2019)

です。監督は瀬々敬久(ぜぜ・たかひさ)。
原作は吉田修一です。


田舎の村で起こった、少女の失踪事件。
その犯人を巡る物語ですが、
登場人物は多めです。

ミステリーとして、
観客を引っ張ってゆく力はあると思います。
ただ、
『セトウツミ』が菅田将暉の魅力に多くを負っていたのとは逆に、
この映画では、容疑者の一人である綾野剛が、
わたしには魅力的に見えませんでした。
(根岸季衣も出てました。彼女は好き。)
また映画としては、
やや焦点が絞り切れてない印象。
人物たちが、それぞれに「問題」を抱えていて、
それをある程度描写するので、
その結果、散漫になってしまった気もします。
さらに言えば、セリフの中に、
意味が分かりにくいものもありましたし、
会話が噛み合っていない時も(わざとなんでしょうか?)も、
ありました。
これ、ラストに近い方に多くて、
着地のために整合性を追ってしまったのかなと。

火に関わる場面は、
(ベタにも思えますが、それでもやはり)
美しかったです。

『セトウツミ』

院生セレクションによる大学院ゼミで、
大森立嗣監督の

『セトウツミ』(2016)

を見ました。


原作は同名のマンガなんですが、
これを選んできた院生は、
映画は好きだけど原作は……とのことでした。
(今ちょっと確認したら、
マンガと小説、
設定は同じでも、
物語はかなり違うので驚きました。
マンガのキャッチコピーは、

「この川で暇をつぶすだけのそんな青春があってもええんちゃうか」

だそうですが、
これはむしろ、映画の方がピッタリくるようです。

で、このコピー、
それはその通りなのでしょう。
そしてその中で、
金持ちの家に育った成績優秀なウツミと、
なかなか厳しい環境に育った、もとサッカー部のセトが、
放課後の川辺(といっても、都会の、です)で、
1時間半ほどをだべって過ごす様子が描かれます。
そしてその過程で、
いわば intouchables な二人の間に、
なにか感応し合うものが生まれてくるわけです。

深刻なものはすべて、
ずらされ、あるいは笑われ、
つまり悲劇にはなってゆきません。
また二人の高校生の会話は、
ほぼ完全に大阪漫才のようで、
それはおもしろくもあり、
脚本家の手が露骨に見えるようでもあります。
(そもそも、高校生にしては大人過ぎる。)

ひとり、美少女も登場します。
セトは彼女が好きなんですが、
彼女はウツミが好き。
で、ウツミは……
このへん、ホモソーシャルな物語になるのを、
避けている感じもあります。
(ただこの少女の、二人にとっての「価値」が、
どこかマザコンの匂いもしますが。)

全体としては、
物語は「ない」のにスピーディーであり、
あっという間に見終わりました。
もちろん、
菅田将暉の存在は、とっても大きいです。
(彼が出てれば、ほぼおもしろい!)

B&B・「朔太郎と歩く」詩と歌の夕べ

というわけで、
一昨日のB&Bでのイベント、
無事終了しました。

新井高子×清岡×小島敬太×管啓次郎×田野倉康一×坪井秀人 「「朔太郎と歩く」詩と歌の夕べ」 『朔太郎と歩く』(明治大学総合芸術系)刊行記念

今回は、
自分も(少しだけですが)参加していていうのもナンですが、
かなりデキのいいイベントだったと思っています。

まず第一部では、
小島ケイタニーラブさんと、
今回の企画のファシリテイターとも言うべき管さんのセッションです。
小島さんが、
朔太郎の詩4篇に曲をつけ、演奏してくれたんですが、
これが素晴らしい。
朔太郎が、21世紀に立ち現れたかのような気持ちにさせられます。
そのなかの1曲が、これです。
まずは詩を読んでから、どうぞ。


竹の節はほそくなりゆき
竹の根はほそくなりゆき
竹の纖毛は地下にのびゆき
錐のごとくなりゆき
絹絲のごとくかすれゆき
けぶりのやうに消えさりゆき。

ああ髮の毛もみだれみだれし
暗い土壤に罪びとは
懺悔の巣をぞかけそめし。



いいですよね!
この曲を含めて、4曲の演奏が聴けます。
そして、あの「猫」ですが……


猫  

まつくろけの猫が二疋、
なやましいよるの家根のうへで、
ぴんとたてた尻尾のさきから、
糸のやうなみかづきがかすんでゐる。
『おわあ、こんばんは』
『おわあ、こんばんは』
『おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ』
『おわああ、ここの家の主人は病気です』


これについては、管さんが曲をつけ、
小島さんがコーラスで参加。
これもとてもおもしろい試みです。
管さん自身の、
また小島さん自身の作品の朗読もあります。

このライブに続いては、
倉石信乃さんが、
朔太郎の言葉だけで作った詩と、
総合芸術系の博士課程にいる篠田くんが撮ったヴィデオが組み合わされた、
メディアミックス作品の紹介。

そしてそのあとは、ミニ・シンポ。
朔太郎の専門家3人が、
時間が長くはないので専門的になりすぎない形で、
でも、考えるヒントのたくさん詰まった丁々発止を見せてくれます。
これ、わたしは客席の後ろで立って聞いていたんですが、
ずっと聞き耳を立てていました。
(3人とも、お話も人柄も魅力的!)

で、最後にオマケみたいに、
わたしも詩を朗読しました。
ただここでのポイントは、
早稲田の坪井先生による、フルートの演奏です。
冒頭は、
わたしの希望を聞いてくださって、
武満の Air です。

……というわけで、充実の内容だったと思います。
で、
今日から、見逃し配信が始まったそうです。


よろしければ!

2023年2月13日月曜日

『黒騎士』

『ロビンフッドの冒険』をアマプラ見終わったら、
そのままオススメされたのがこれ、

『黒騎士』(1952)

でした。
ロバート・テイラー、
エリザベス・テイラー、
ジョーン・フォンテインという豪華キャスト。
アカデミー賞作品賞を取った映画です。
ウォルター・スコットが1820年に発表した小説、
『アイヴァンホー』
の映画化です。
(映画も、原題は『アイヴァンホー』です。)


なぜこの映画がオススメされたのかといえば、
それは、この映画と『ロビンフッドの冒険』は、
時代も場所も共通しているからです。
リチャード獅子王が十字軍に行っているのも同じ、
弟のジョンが兄の王位を狙っているのも同じです。
(ジョンは、利己的で思慮のない人間として描かれていて、
まあ実際、ダメな王としても有名ですが、
彼はその後、王にはなったわけです。
困ったものですね、こんなトップじゃ。
まあ、21世紀にも、似たようなトップは確かにいるようですが。)
主人公は、ノルマン人ながらジョン王と対立し、
リチャード獅子王に心酔するアイヴァンホーですが、
彼の協力者として、
ロビンフッドも登場します。
(ちなみに、またフランス語は使われていません。)

備忘のためにちょっと書くと、
背景にあるのは、
フランスから来たノルマン人と、
もともといたサクソン人の対立です。
ただし、リチャード獅子王に限っては、
良き王として、
両側から支持されています。
一方ジョンは、側近のノルマン騎士たちとつるんでいますが、
サクソン人を迫害しており、
彼らからは疎まれています。
弓の名手ロビンフッドは、サクソン人たちのリーダーで、
アイヴァンホーは、(さっきも書きましたが)
ノルマン人騎士ですが、ジョンではなくリチャード獅子王側です。

ただ『黒騎士』には、
『ロビンフッドの冒険』にはなかった要素も入っています。
それは、リズ・テイラー演じるユダヤ人女性レベッカです。
彼女と父親は、ユダヤ人としてスペインを追われ、
ここまで来ています。
質素な生活ですが、
実は父親は金融家のようで、
ユダヤ人ネットワークを使って大金を用意することもできます。
(捕虜になったリチャード獅子王の身代金です。)
またオーストリアの商人にも、金を貸しています。
そしてレベッカはアイヴァンホーを愛しますが、
彼に恋人がいるのを知り、
また宗教的戒律から、
彼への思いを断ち切ります。
(本人は、気の迷いだった、みたいなことを言ってますが、
たぶんちがう。)
この、ディアスポラの民の政治的立場、
ノルマンにもサクソンにもつかない、
自分たちに「国」はない、という立場の表明は、
この映画に深みを与えています。
(グローバル・ヒストリー的な印象です。)

この映画、
昨日までは見る予定などまったくなかったのに、
見てみたらそれなりにおもしろかったです!

『ロビンフッドの冒険』

つい先日見た『隠し砦の三悪人』は、
いわゆる「スワッシュバックラー」映画に含まれると考えられます。

「スワッシュバックラー」というのは映画のジャンルの1つで、
とても切り詰めて言えば、
要は「チャンバラ」だと言えそうです。
この論文では、
まずその定義が試みられています。


そして論文のタイトルから明らかなように、
このジャンル、
現代でも使われているわけです。

で、この「スワッシュバックラー」の古典の1本、

『ロビンフッドの冒険』(1938)

を見てみました
古い映画ですが、カラーです。


エロール・フリンとオリヴィア・デ・ハヴィランドが、
絵に描いたような美男美女で、
いかにも往年の映画スターという感じです。
映画自体もふつうにおもしろくて、
85年も前も今も、
やっぱりおもしろいものはおもしろいんだなと、
あらためて思いました。

舞台は、
ノルマン・コンクエスト(1066~)後のイギリス。
ギヨームⅡから数えると、
曾孫に当たるリチャード獅子王の時代。
このリチャード獅子王が、
十字軍参加のためイギリスを離れている間に、
弟のジョンが王位を奪おうとします。
けれどもそれを知ったロビンフッドたちサクソン人が、
ジョンの暴走を止め、
リチャード獅子王の帰還を言祝ぐ、
そして最後は、ロビンフッドが、
リチャード獅子王の被後見人であるマリアン姫と結ばれ、
めでたしめでたし、というお話です。

おもしろいんですが、
1つ「エンタメ」感が強く感じられるのは、
全編英語であること。
だって、この時代、
特にこの物語に出てくるような「上流」の人たちは、
みんなフランス語を話していたはずだからです。
そもそもリチャード獅子王もジョンもノルマン人だし。
(まあね、
『太陽と月に背いて』では、
パリのカフェで、
ヴェルレーヌとランボーが英語で話してましたから!)

2023年2月12日日曜日

『七人の侍』

これはまあ、
知らない人はいない名作、

『七人の侍』(1954)

これも久しぶりに見てみました。
(『ゴジラ』と同じ年の制作です。)
207分。
つまり3時間以上の長編ですが、
おもしろいので飽きません。


これは昔も感じたのですが、
ところどころ、
特に「百姓」たちが話す(あるいは怒鳴る)シーンでは、
日本語が聞き取れませんでした。
(日本語字幕が欲しかった!)
志村喬や三船敏郎のセリフは問題なく聞き取れるので、
なにか差があるのかもしれません。

ほぼ完全にホモ・ソーシャルな世界の話なんですが、
「七人」の中で最年少の勝四郎は、
かなり両性的に描かれていました。
つまり、死を覚悟すべき最終決戦の前夜、
村の少女と初体験をするのですが、
一方、彼の久蔵(無口な剣豪)に向ける憧れの視線は、
少女に向けるものよりもむしろ熱がこもっているように見えるのです。
「七人」の中では、この勝四郎だけが、
花に包まれるように映し出されることが何度かあります。

たしかに素晴らしい映画だと思いましたが、
ただラスト、
「七人」のリーダーである勘兵衛(志村喬)が、
これは負け戦だ、勝ったのは百姓たちだ、
と、死んだ仲間の墓の前でつぶやく場面があるのですが、
あれはいらないでしょう。
説明的すぎるし、墓を見れば、
それははっきり分かりますから。

2023年2月11日土曜日

トルコ・シリア地震

大変な事態です。
亡くなった方が二万人を超えたと……。
しかも、倒壊した建物が多く、
まだまだ増えそうだと……。

一昨日の朝のニュース(ZDF)を見ていたら、
大混雑するイスタンブールの空港が映し出されました。
何が起きたのかと思ったら、
ボランティアに行こうと集まってきたトルコの人たちで、
空港がごった返していると。
イスラム、さすがです。

そして……

生存者が救出されると、期せずして周りの人から
アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)の声が上がる。 欧米諸国では、この言葉、
まるでテロリストが犯行に出る時の決まり文句のように報じられて、
日本のメディアもそれをコピーして、誤解を与えてきた。


そうなんですね。

『隠し砦の三悪人』

黒澤明でもう1本、
今度は、

『隠し砦の三悪人』(1958)

を見てみました。


戦国時代らしき頃、
A家とB家が戦い、A家が勝つ。
B家は、姫とその側近が逃げ延び、
お家の再興を期す。
その元手は、逃げ出す際に持ち出した金(きん)だ。
B家の姫の側近の一人は、凄腕の侍。
彼に守られ、姫は生き延び、
最後は、かつてこの侍が情けをかけた敵の将に救われ、
寝返ったこの将とともに、
B家の再興を果たす。

これはまあ、『スター・ウォーズ』
(←本作の影響を受けたようです。)
を始め、よく見る類型的な物語です。
誰が見ても、この「姫」は、
あのレイア姫と似ています。
(というか、順番が逆ですが。)

そして本作では、
二人の村人も登場します。
情があり、でも強欲で、諦めが早く、立ち直りも早い、
時に自己中心的で、時に献身的。
まあ、こうしたものとして、
「ふつうの人間」
を描こうとしたのでしょう。
彼らは、姫や侍とは階級が違うのです。

姫は、なかなか「強い」人間として描かれています。
(涙は他人には見せません。)
太ももはずっとむき出しで、
それは、二人の村人にとっても、
観客にとっても、
明らかに性的な記号です。

この映画には、
いわゆる実存的変化を遂げた人間は登場しません。
強いて言えば、
姫たちを助ける敵方の将でしょうか。
彼は、侍にかけられた情けを逆に恨んでいたのですが、
「受けた情けをどう使うかは本人次第」
という姫の言葉に、考えをあらためるのです。
ただ彼は、物語上は重要人物ですが、
深く描かれているわけではありません。

おもしろくなくはないです。が、
このパターンの物語は、
わたしはあまり好みじゃありません。
また人物たちも、深さが感じられない。
庶民の描き方も、悪いとは思いませんが、
それほどいいとも思えない。
見せよう、としているいくつかの場面も、
そこで物語の時間が停滞する感じもあり、ビミョーです。
そう、
そしてちょっと長い(139分)です。

2023年2月7日火曜日

『羅生門』

黒澤明の「名作」、

『羅生門』(1950)

を見ました。
何十年振りかですが、
「デジタル版」だったので、
記憶よりもキレイでした。


始まってそうそう、
印象的で力強いショットが連続し、
さすが、という感じ。
三船敏郎や京マチ子の哄笑も素晴らしい演技で、
圧倒されます。
動と静のコントラストも。

もともと黒澤明は、
「女が描けない」という定評(!?)があるわけですが、
『姫とホモソーシャル』では、
その点をより深く洞察していておもしろかったです。
(それを確認したくて見たわけです。)

途中、
京マチ子がレイプされるシークエンスで、
無理矢理キスされた彼女が、
手にしていた短刀をはらりと落とし、
そのまま、その右手を、
三船の背中に這わせるところがあります。
『姫とホモソーシャル』の中では、
これが、
実際は三船の「語り」であるのに、
あたかも事実であるようにして映画が進んで行く点を、
疑問視しています。
もちろん、こんなの、
見た瞬間に「男」のファンタスムだと感じます。
しかも、そういう界隈では、
定番のファンタスムだと。
なので、これを三船の幻想だと考えずに論じる批評があるなんて、
とても意外でした。

そしてまた、
映画のラストの「希望」の提示の仕方にも、
わたしは違和感がありました。
この映画は、こんなテーマじゃないでしょう。
羅生門で語り合う三人の場面と、
京マチ子らが登場する森のシークエンス、
あるいは裁判のシークエンスは、
うまく接続していない気が、わたしはしました。

この映画でもっとも凄みがあるのは、
いかにも審美的な雨などではなく、
三船と京マチ子の哄笑にあると感じました。
2つの哄笑は鋭く対立し、
しかも底に潜むエロスという点では共通しているんじゃないでしょうか?
「性」ではなく、「生」としてのエロスです。

2023年2月6日月曜日

MyFFF

毎年楽しみにしているMFFF。
今年も始まっていて、
まずいことにあと1週間しかありません!
今年は……、ちょっと時間がなかったからなあ……
しかも、まだいろいろあるし……
13日までなんですが、何本見られるか。
なるべく見たいと思います!

『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』

で、ディズニー+にあるのでついでにもう1本、
ウェス・アンダーソン作品を。
今度は、

『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』(2001)

です。


これは、『ダージリン急行』に似て、
「家族の再生」がテーマになっているようです。
離婚後、もとの家族を長くほったらかしにしていた男が、
子どもたちが大人になった頃突然現れ、
「家族」ごっこをやりたがるという物語です。
ただこの男(ジーン・ハックマン!)は、
実際破産もしており、住むところもありません。
で、自分は末期がんだと偽って、
子どもたちは妻の歓心を買おうとするのです。

この男、ダメでしょう。
いや、人間的な魅力はあるのです。
でも、やってることはほぼダメ。
しかも、こんな好き勝手な人生の晩年に、
しかも、ウソをついて、もと家族の中に入りこみ、
そのウソがバレルまでの6日間が、
人生で一番だったなんて、
わたしは感動しません。

そしてもう一人の「おもしろい」人物は、
グイネス・パルトロー演じる、
この男の長女です。
彼女は養子で、
男はことあるごとにそのことを言明します。
また彼女の右手の薬指は欠損しているのですが、
それは、12歳の時、実の父親を訪ね、
そこで薪を割るときに、
指まで切られてしまったといういきさつがあります。
この失われた指は、何か。
それはまあ、「愛」なのでしょう。
彼女は実家でも、養家でも、
また今の夫からも、十分な「愛」を受けていないようです。
で、彼女の精神的放浪は終わらないのです。
ただ最後、
彼女は(血の繋がらない)弟と相思相愛であることがわかります。
でも彼女は、
それを秘密にしようというのです。
臆病なんですね。
この女性のキャラはいいと思いました。

『天才マックスの世界』

ウェス・アンダーソンの、1998年の作品、

『天才マックスの世界』

を見てみました。
この監督について卒論を書いた学生が、
この監督の作品の中で一番好き、と言っていた作品です。


なんというか、
おもしろいんですけど、
主人公のキャラが、ややしつこい。
そこが、好みの分かれるところかもしれないと感じました。

フランスでのレヴューを見ると、
この主人公が、
『卒業』のダスティン・ホフマンに似てる、とか、
『ビッグ』の反対、つまり、
大人の体を持ってしまった子ども、ではなく、
子どもの体の中に閉じ込められた大人、であり、
そこから奇妙な笑いが生まれる、
みたいな(presseの)コメントがありました。

主人公ともう一人の中年男性(ビル・マーレイ)は、
同じ女性にフラれます。
そのとき男二人の間に生まれる空気は、
ややホモソーシャル。
また、虚言が現実を変えてゆくのですが、
ただ「事実」はそれとは別に存在し、
観客はそれを知っているので、
まあ、コメディなんだな、と感じました。
(ちゃんとした感想になってません!)

ちなみに音楽は、
キンクス、The Who、
そしてイヴ・モンタンまで使われてました。
60年代風、ってことなんでしょうね。

2023年2月4日土曜日

『ディストラクション・ベイビーズ』

これは院生に勧められて、

『ディストラクション・ベイビーズ』(2016)

を見てみました。
柳楽優弥主演、菅田将暉と小松菜奈が共演しています。


これは誰が見てもすぐ分かるとおり、
テーマは暴力です。
で次に問題になるのは、
ここで描かれている「暴力」とは何か、です。
もちろん、いろんなことが言えるでしょう。
ただこの映画が提示しているのは、
比喩的でも、象徴的でもない暴力、
むきだしの、
まさに「暴力」そのものであるように見えます。
柳楽優弥は、その化身です。

俳優たちに魅力があるので、
見ているのはゼンゼン問題ありません。楽しいです。
ただ、生理的にダメ、という反応はありえるでしょう。

『淵に立つ』

水曜日のゼミでは、
院生のセレクションで、

『淵に立つ』(2016)

を見ました。
カンヌに出品された作品です。

 
変な言い方ですが、
これ、小説で言ったら、
芥川賞レベルだと感じました。
見ている間、なんというか、
いわゆる「純文学」のいい小説を読んでいる感覚でした。

町工場を経営する一家は、
夫婦と小学生の娘。
そこに、男の「古い友だち」が訪ねてきて、
これがいかにもワケアリで、
男は、その友だちを雇い入れ、
かつ、一緒に自宅に住まわせることにします。
ただしこれは、妻への相談は一切なしです。
男は、食事中も新聞を読み、
家事はもちろん、
娘のことにもほとんど興味を示しません。
そしてもちろん(?)、
妻は、この友だちと接近します。が、
一線を越えようとした友だちを妻がはねつけたとき、
この映画の、真の始まりが訪れます……

男は、徹底的にダメなヤツです。
自己中心主義で、ナルシシストで、
他者への想像力を欠いています。
妻はクリスチャンで、「いい人」です。
なぜ彼女が、こんな男と結婚したのか、
これが謎です。
男のダメさは、根っからのもので、
昔はやさしかった、みたいなことではないように見えるからです。

かなり厳しい映画ですが、
僭越ながら、
90点を付けたいと思います。
マイナス10点は何かと言えば、
たとえば冒頭の、母親を食べる昆虫のエピソード。
これ、もう飽きた。
これは悪い意味で「純文学」的なところだと感じます。
でも、「赤」の使い方も巧みだし、
演者もいいし、
もちろん90点は「とてもいい」という意味です。

修士論文

というわけで2校も終わり、
昨日、今日は、院生の修士論文チェックです。
院生とは、
いつもよくしゃべっているので、
わたしは何が言いたいか分かりますが、
これを、誰が読んでも分かる、
過不足なく正確な表現になるよう、アドヴァイスします。
といっても、
なかなかよく書けているので、
それほど直すところもないんですが。

で、夜、直した原稿を送った上で、
電話で2時間ほど、
あれこれ説明しました。
彼が修士に入ってから2年、あっという間でした。

ただ今年は、
2月、3月、
院のゼミは続行する予定です。
これはわたしも楽しいので、
春休みにリズムができてちょうどいいです!