2009年2月28日土曜日

そんな時代も


ふと気づくと、もう2月も終わり。ああ、2月は短いですねえ。

昨日 Queen のことなど書いていて思ったことがあります。

これは前にも書いたかもしれませんが、わたしが初めて買ったLPレコードは、ブルー・コメッツでした。そう、グループ・サウンズと言われた歌謡曲です。小学校低学年でした。

それから数年は歌謡曲が好きで、中学に入ると、当時人気のあったレターメンとかスリー・ドッグ・ナイトとかチェイスとかを聞き、それからトム・ジョーンズとか一応ビートルズも聞き、ただビートルズにはそれほど惹かれず、で、中3の頃から、いわゆるフォークを聞き出しました。陽水、かぐや姫、泉谷しげる、かな。やっとスムーズにコードが押さえられるようになったギターを使って、そのへんをよく歌いました。

高校に入って、エレキ・ギターと出会いました。買ったのは、ストラトキャスター。(画像)ま、定番です。同じバンドに、レスポールを持っていた友達がいたので、かぶるのを避けたこともありますが。

最初は、とにかくなるべくたくさん聞きました。なにしろ、ほとんど知らなかったので。中でよく聞いたのは、やはり Queen, Deep Purple, KISS です。ツェッペリンは、それほどハマりませんでした。この頃はロック喫茶に行っていたので、そこで新しい曲を漁っていました。レーナード・スキナードという、南部の泥臭いバンドがいるのですが、かれらと出会ったのは吉祥寺の店でした。あか抜けないところが、逆に新鮮で、これは一時期ハマりました。

フリーとか、バッド・カンパニーなどというバンドは、弾きやすいので、演奏していて楽しかった記憶があります。でも、この辺の曲は、ほんとに好きだったかどうか、今はわかりません。ちなみに英語の授業中は、よくカーペンターズの歌詞(雑誌の付録の)を訳していました。(ちゃんと授業聞きなさい!)

で……

この素人バンド活動の時期は、ディスコ通いの時期と重なっているのですが、実は、バンド友達とディスコ友達は、ほとんどまったく重なっていません。う~ん、今思うと少し不思議。(ただわたしの周りには、バイク小僧や、のんだくれ小僧もいましたが、わたしはそちらとは縁がありませんでした。)

ディスコでは、前にも書いたように、モータウン中心で、いわゆるソウル・ミュージックばかり。今思うと(今日はこれが多いですが)、音楽としては、こちらのほうが合っていた気がします。なんと言っても、わたしにとってのティーンエイジ・ベスト・ソングは、Stevie Wonder の「悪夢」です。

なにをだらだら書いているかというと、ちょっと不思議な気がしたわけです、ロックをソウルを同時期に聞いていて、な~んにも違和感を感じていなかったことが。そんなもんですかねえ、若いって!

そして大学に入る前後の頃、わたしのヒーローはDavid Bowie でした。Bob Welch 率いるParis も、すごく新しい感じがしました。そしてやがて、レゲエの季節。Bob Marley はもちろん、Peter Tosh やThird World が好きでした。そしてパンク。もちろんPistols。スターリン、なんていう日本のバンドもいましたねえ。

で実は、大学院に行く頃から、なぜかクラシックに目覚めてしまい、なんだか急に別の世界が開けるのでした。その切っ掛けは、シューマンの「交響的練習曲」でした。0歳から小学生までは、家庭内ではクラシックばかりだったので、聞いてみると、聞き覚えのある曲も多かったのでした……

ああ、なんだか今日は、どうでもいいような記憶に付き合わせてしまって、申し訳ありません。明日はイキのいい話にしましょう!(希望)

2009年2月27日金曜日

そして Queen


今日の東京は寒かった! 北国の方には笑われそうですが、雪も数センチ積もりました。今日は会議があったので、登校必須、だったわけですが、クルマで行って大丈夫かなあ、と思うほどでした。というのも、大学の直前に、かなり急な坂があるからです。(ああいうところでタイヤが空転すると、あっという間にエンストします。)ま、結果的には問題ありませんでした。

今週の水曜日、中野の「なかのzero」というホールで開かれた、「ブルースの歴史」を語るイベントに参加してきました。どんな様子だったかは、管さんのブログを見てくださいませ。


そしてなんと、先生の一人である後藤冬樹さんのブログにアップされている写真に、わたしも写ってます。

http://www.starman.co.jp/goto/  の blog のところ。

そうです、後ろ姿のみです。

で、その会の流れでビールを飲んでいる時聞いたところでは、同僚の管さん、かつてDavid Bowie の曲などを演奏して、その手の大会を荒らしていた(?)そうです。なるほど、それで時々、大学内の廊下を、生演奏しながら散歩していたんですね! しかもなかなかうまいんです。

わたしも、ギターは弾けます。ただ、その腕前はというと……

高校生の頃、友人たちと組んでいたバンドでは、ツイン・リードなる演奏を試みようとしていました。つまり、リード・ギターが2人いて、まあハモったりするんですね。百聞は一聴にしかず。出だしだけでもどうぞ。


やりました、この曲。(今探してみて、何十年振りかに聞きました。)しかし! ギターは下ろされてしまったのですね、下手だから! というわけで、まずはサイド・ギターに格下げになり、やがてヴォーカルに専念することになりました。というわけで、「弾ける」と言っても、その程度です。(涙)

ああ、そしてヴォーカルとして愛した歌と言えば…… それは Queen の In the lap of the Gods でした。


フレディー、若いです。アルバムとは、歌いやすくするためでしょう、だいぶメロディーも変えてます。わたしたちも、こうしたライブのメロディーで歌ってました。

1つ思い出しました。武道館の Queen のコンサートに行った時のことです。あの有名な Bohemian Rhapsody を演奏してくれたんですが、その終わり近く、けっこういいところで、フレディーが思いっきり音を外しちゃったんです。で…… 当然わたしたちも、そこは音を外して歌う習慣になりました。もちろん、フレディーが好きだったからです。


I sometimes wish I'd never been born at all !

2009年2月26日木曜日

Guy Roppon


このブログで「六本木」が登場するときは、ことごとく「ギロッポン」としてきました。この「ギロッポン」という響き、なんとなく面白くて、つい使いたくなっちゃいます。これは広く言えば、「さかさま語」の一種ですね。

この前レナさんと話していて、フランス語にも「さかさま語」があることを教えられました。たとえば、「いじわるな」を意味する méchant, e という形容詞の場合、「さかさま語」は chanmé だそうです。「メシャン」が「シャンメ」、わかりいいですね。
ただし、méchant は「意地悪」なのに対し、chanmé というと、これは super の意味。「すごい」ですね。
音が裏返ると意味も裏返る(まあね)なんて、ちょっと面白いですね。

というわけで、これからも Guy Roppon でまいります!(画像は六ヒル屋上、スカイデッキ。)

2009年2月25日水曜日

書きたいこと


今日は1週間ぶりに大学に行き、静かに仕事に集中する、はずでしたが、とりあえず雑用を片付けようと思ったのが運のつき、いくつか雑用をこなすと、なんと5時! あらら……

昨日、「ポトスライム」のことを書いていて、前回の「時の滲む朝」のことを思い出しました。で、ちょうど手元にその時の文芸春秋があったのでぺらぺらめくってみると…… そうでした、こちらは、天安門事件に巻き込まれて挫折し、その後日本に渡ってくる青年の<熱い>話でした。

この選評を見ると、(以下敬称略で)石原慎太郎は「政治が書けてない」、宮本輝は「日本語がなってない」、村上龍は「<大きな物語>は終わったことがわかってない」…… というわけで、選者全員が認めているわけではないんですね。池澤夏樹のように、構成の粗さなどの欠点を認めた上で、将来性を買って、という選者もいました。

そして、池澤を含め、受賞に賛成した選者に共通しているのは、「この作家には、書きたいことがある」という評価です。ああ、たしかに…… これがないと、ただ器用なだけのお飾りになってしまいます。

で、わたしが思ったのは(というか誰でも分かることなんですが)、この「時の滲む朝」と「ポトスライム」に共通しているのは、それがプレカリアートの生活と接している、ということです。後者などは、もうはっきり『蟹工船』と比較されていますね。

これは厳しい問題なので、こんな言い方は能天気だと思われるかもしれませんが、たしかにプレカリアートの問題は、個人と社会を貫く問題であり、現代の問題であり、歴史的問題でもある、実に小説向きの題材のような気もします。そういう意味で、「ポトスライム」のような方向の小説は、もっと読みたいと思います。ただ、ここから「社会」へ広がってゆく視点が欠けると、それはほんとにショーモナイものになるだろうし、また、1つの「運動」の報告として書くなら、よほどのことがないとそれを高いレベルで成し遂げることはできないと思いますが。

久しぶりに(?)トリトメありませんでした。ソーリー!

2009年2月23日月曜日

ポトスライムの舟


この前発表になった芥川賞、「ポトスライムの舟」を読みました。

書き手の女性は、1978年生まれ。若いです。読みやすくて、現代的で、面白かったです。

芥川賞は、出るたびに読みます。いつも、掲載されている文芸春秋を買って読み、それから選評も読みます。それぞれの選者の感想が揃うことはむしろ稀で、読むことの広がりというか、難しさというか、そういうものを感じます。

今回は、前回の受賞作「時が滲む朝」とはまったく違う、わたしたちの日常から地続きのお話です。29歳の契約社員(女性)の生活を、昔の同級生たちの生き方と並走させています。時給などがリアルに書かれていて、まさに「リアル」です。

昔、たしかモームだったと思う(違ってたらすみません!)のですが、小説の中の食事代とか、旅費とか、なんなら給料とか、いったいいくらなのかはっきり書いてくれ! と主張するエッセイを読んだ覚えがあります。たしかにね、わたしたちの生活では、たとえばカフェモカのショートとトールではいくら違うのかは、大問題ですね。だから、そのへんを完全にすっ飛ばした小説に違和感が湧くのも、よくわかる気がします。(もし同感でしたら、「ポトスライム」、読んでみてください。)

2009年2月22日日曜日

首が……


今日はもう、冬は終わった感じがしましたね。黒い愛用の(ユニクロの)薄いダウンジャケットを着ていたのですが、なんだか、黒い服を着たくない気分でした。(そうは言いつつ、1年中着てるんですけどね。)

そんなことより、今日は大変でした、寝違えで! 首が痛くて、左はほとんど向けません。だから、クルマの運転中、左を見る時も、体全体をひねる感じ。まったく、人生なにが起こるかわかりません!

というわけで、今日は、朝刊で見かけた「名前」の話でも、と思ったんですが、こうして打っていてもちょっと痛いので、今日は早退します! デゾレ!

2009年2月20日金曜日

メディア


今日はある集まりがあって、中野サンプラザに行ってきました。で、その集まりの終りに、ある先生を紹介していただいて、なんだか気があった(わたしだけ?)ので、まだ3時過ぎだったにもかかわらず、もう開いていた小さな飲み屋で日本酒を飲みました。

その先生は、もう70歳を越えていらして、今はある大学で宗教社会学を教えてらっしゃるそうです。が、むしろ彼の本領はジャーナリスム論、メディア論にあるように感じました。というのも、彼はもと大新聞社のワシントン特派員だったことがあるからです。

メディア、ってことば、よく耳にします(メディア芸術祭、とか!)が、いまいちピンと来ないですね? でも、彼の説明は明快で、かつ魅力的でした。ご紹介しますね。

「メディアってのは、もとはミディアム(medium)の複数形ですよね? で、メディアムっていうのはラテン語で、「中間の」ということ。ほら、肉の焼き加減も、中間くらいがミディアムでしょ? で、つまりそういうこと、「中間にあるもの」「間にあるもの」ってことよ」

「間? 何と何の?」

「まあ、送り手と受け手かな? たとえばテレビだったら、番組を作ってる人と、それを受け取ってる人の間にあるのは、電波、でしょ。だからそれが、メディア。まあ、それを大きく「テレビ」って言っちゃってるわけ。でもね、電波や紙ばかりがメディアじゃないのよ。

たとえば宗教革命以前の時代、神と大衆をの間にいたのは…… 神父。つまりこの場合は、神父が神の言葉を伝えるメディアだということになるの。当時聖書の写本はすごく高価(今の1000万円くらいかな。)で、庶民はとても買えなかったからね。で、その神父たちがテキトーなこと言ったりして、免罪符なんかもあって…… でとどめは、グーテンゲルグが発明した印刷術で、聖書が行き渡り始めるの。つまり、メディアが、神父から聖書(紙)に代わるわけね。

で、メディアが代わると、その内容も変わる。それは、今の時代も同じこと」

「本を書くときと、ネットに書き込む時では、内容が変わる?」

「That's right ! まあこのへんは、マクルーハンが言ってるけど」

なるほどね~。つまり、巫女さんは、あの世とこの世のメディアであり、予言者は、未来と現在のメディアなんですね。う~ん、面白いかも!

そして彼はまた、レーガンに単独インタヴューした時の様子なども話してくれました。いろんな人が、いろんなことやってきてるんですねえ。U先生、面白い話、ありがとうございました! 

2009年2月18日水曜日

ひと安心!


今日は久しぶりにレナさんと会いました。いつも通り、元気でした! なんだか忙しそうです。

で、二人で向かったのは、この前手術を終えたタケちゃんのところ。立派な病院の8階です。

部屋に入ると…… なんと、机に向って仕事しています。見ると、おお、たくさんのゲラがベッドにちらばっています。どうも、メルロ・ポンティに関する本のようです。

まあ、とりあえずよかったです、仕事ができる状態で! タケちゃんとは、すでに2冊約束しているので、元気になってもらわないと!

(そのうちの1冊は、レナさんとの『フラ語フレーズ』です。今日、「今だけブログ」のほうに書いていただいたものを、すべてレナさんに渡しました。とても喜んでいました。ご協力いただいたみなさん、Merci mille fois !  というわけで「今だけ」のほうは、近々店じまいします。)

タケちゃん、もっともっと本作りますよ! 

2009年2月17日火曜日


昨日、大学業務の流れで、同僚たちと飲む機会がありました。総勢7名。わたしにしてみれば、初めてお話する先生が3人。沖縄料理屋でした。

中で、特に印象に残ったのは、建築の先生とのやりとりでした。彼は、かつて大きなプロジェクトにいくつも関わり、ゼネコンに籍を置いたこともあり、6年前から大学教員になったという大御所です。年齢も、わたしより1回り以上上です。

1番面白かった、というか、わたしのこれまでの見方が覆されたのは、エッフェル塔の話になったときです。これはご存知の方も多いでしょうけれど、ギュスターヴ・エッフェルは、「橋」のエンジニアであり、エッフェル塔は「橋」を立ち上げたようなデザインです。そしてその塔は、鉄という新素材を用いて、当時の先端テクノロジーの力を示そうとしたものであり、それは石とガラスの街パリそぐわないと言われ、多くのパリ市民に敬遠された……

まあ、ここまでは共通認識なのです。でも、この先が、ちがっていたのです。

わたしはこれまで考えていたのは…… というわけでエッフェルは、「美」のことなんか考えてなかった。エッフェル塔に初めて「美」を見出したのは、20世紀初めの(ドローネーをはじめとする)芸術家たちであり、だからこそ彼らがその「美」について語っても、エッフェル自身は意外な顔をするばかりで、「美」のことなんか考えてもいなかったと答えた…… まあ、簡単にいえば、そんな風に理解してました。

そんなはずはない、と大御所はいいます。建築屋は、そして人間は、何かを作るという時に、「美」を意識しないはずはない、わたしだって、「美」を意識しなかったことなんてないんだ。エッフェルさんは、チョーの付く恥ずかしがり屋だったんだろう……

う~ん、なるほど。実際にたくさんの建物を作ってきた先生の発言だけに、説得力があります。彼が言うには、「先端」を扱う人は、とりわけその傾向が強いといいます。

「でも」とわたしは答えました、「かつて映画『家族ゲーム』の中で、夜の東京湾岸に立ち並ぶコンビナートの群れを見て、「ああ、きれい!」と言った少年がいたけれど、さすがにコンビナート作るときは、「美」なんか考えてないでしょう?」

「だからね、考えてるんですよ、コンビナートだって。考えるものなんですよ」 出来の悪い生徒に言い聞かせるように、彼は言うのでした……

「じゃあもう1つ質問」とわたし。「都市は、フツー自己更新する、つまり<生き物>みたいなイメージで捕えられがちだけど、どうなんでしょう、建築家の人たちもそう考えているのか、あるいは、彼らは都市を創造しているつもりなのか?」

「……それはね、こう答えましょうか。建築という仕事は、概念や美学だけじゃどうにもならないんです。どうしても、<形>がいるんです。そしてその<形>は使えるものじゃなきゃならない、10年20年と、使えるものじゃなきゃならない…… これで答えになりますか?」

分野違いの人としゃべるのは、だから止められません!

2009年2月14日土曜日

フロスト


メディア文化祭、今日行った友人によると、2時過ぎに入場制限が入ったそうです。さもありなん!

今日は、ついに「東京詩」の仮ゲラが到着したので、それを読んでいました。1日に原稿を送ってから、わざと1度も見なかったので、少しは客観的になれそうな、まだなりきれなさそうな、ビミョーなところです。が、なんとか進めています。

今週、気分転換に読んでいたのが『フロスト気質』でした。これは去年、年末恒例・週刊文春ミステリーベスト10の堂々1位。まあ、そんなに高い評価じゃなくても、このシリーズなら読むっていう人は多いでしょう。わたしもそうです。

なんといっても、最も言ってはならないことを、最も言ってはいけないタイミングで言い放つ、あの(下卑た)爽快感がたまりません。数ページに1回は出てくる「くそいまいましい」という訳語も、自分が使う場面がないので、なんだかうらやましいくらいです。カッコ付きならともかく、フツーに「くそいまいましい」という日本語を使いこなすのは、かなりの技がいると思います。

上下巻の文庫で、それぞれ450ページくらい。読みでがありますが、すらすら進みます。わたしは10代の頃、推理小説なんて「文学」じゃない! と思って毛嫌いしていたのですが、そんなことも今は昔、推理小説は基本的に好きです。ただ、なぜか好きな作品はほぼすべて海外もの。で、フロストもその中の1つです。(というか、超人気シリーズですけど。)

フロストの下品な言葉遣いは、ただ単にスケベ親父な場合もママありますが、時に反権力、反ブルジュア、反道徳、反民主主義、反正義…… でもあります。痛快です!

2009年2月13日金曜日

ドレスデン


行ってきました、「ギロッポン」、メディア芸術祭。いやあ、なかなかのもんでした!

先日ここでも、受賞作品がみられるサイトを紹介しましたが、やはり受賞作品は強いインパクトがありました。メンデレヴィッチという、今年30歳になる青年の写真は、どこかミュエクを思わせる、かすかな違和感が独特でしたし、さらに若い田口行弘のビデオ作品は、床板が街を旅するのですが、とても面白い。もう釘付けでした。

そして、ちょっと衝撃に近いものを感じたのは、77年生まれのマルクス・キーソン(Markus Kison)の作品、touched echo です。画像をご覧になってください。この作品はもともと、ドレスデンの市街を見下ろす公園の手すりなのです。で、その手すりには、頭を抱えた人間のマークが何箇所か表示してあり、手すりに肘をつく感じでマークと同じ姿勢をとると……、聞こえてくるのです……、1945年2月、ドレスデンを壊滅させた時の戦闘機の音が、そしてその爆撃音が。そう、骨伝導を利用しているのだそうです。そして「頭を抱える」ポーズは、空爆を受けたドレスデン市民の姿勢そのものだというのです。

「メディア・アート」というと、技術を見せようと気負っている作品もありますが、これは違います。方法が、メッセージに従属しているわけでもありません。素晴らしい作品だと思います。

これら以外にも、渋谷の駅前交差点や新宿アルタ前を芝生にしてしまった写真や、ケータイを使う釣り、アニメ、マンガ、そしてテノリオンと、盛りだくさんです。会期が15日までで、なんだかやたら短いんですが、もし「ギロッポン」近くにおいでならば、ぜひ寄ることをお勧めします。入場無料です。(ちょい込んでます。)

2009年2月12日木曜日

言葉


まずはお知らせ。管啓次郎さんのブログを貼り付けます。

            ◇

3月7日、日本学術振興会のシンポジウム「芸術は誰のものか?」に参加します。
入場無料、申し込みは以下から。


ぼくは朝のセッションで、基調講演者・沼野充義さん(スラヴ諸語比較文学・世界文学)へのコメンテーター。司会はフランス文学者で翻訳家の野崎歓さん。どんなことを話すかは前夜まで(あるいはその場まで)決まらないと思うけど、ともあれ、よかったら遊びにきてください。

            ◇

ほんとに、誰のものなんでしょう!? 何が飛び出すか楽しみです!

ついでに、これもそそられます。

田中庸介『スウィートな群青の夢』(未知谷)朗読+刊行記念トークショー

言葉が生まれる瞬間
■池袋ジュンク堂 2009年3月14日(土) 19:00 ~  伊藤比呂美×田中庸介


            ◇

この「言葉が生まれる瞬間」の宣伝文を読んでいて、思い出したことがあります。それは、吉本隆明がどこかで書いていたこんなことです。

「詩人は自分に固有の表現・言葉を追求する」のが一般的だが、日本では谷川俊太郎ただ一人が、自在にさまざまな言葉を、高いレベルで操っている……

たしかにね、「固有の表現・言葉」を追求するのって、当然だと思っていたこともあります。でも、そうじゃない方向もあるわけですね。そもそも「固有」っていっても、言葉はわたしたちが生まれる前からすでに在る「システム」で、個人の創造物じゃないわけだから、厳密に「固有」ってのはあり得ないですね。

かといって、紋切り型のオンパレードで、たとえば、「今や遅しとおっとり刀で駆けつける、世にも珍しい目が点になる恋物語」みたいな小説、気持悪いですね。ほんと、紋切り型ばかりで書くと、いかにも何も考えていない感じがします。まあ、でも実際そうなのかな。だって、完全に、轍(わだち)のついた道だけを歩いているようなものだから。

考えだすと、言葉を使うのって難しいです!(ま、ふだんはあまり考えてないので、気楽に使ってます!)

2009年2月11日水曜日

Soul Train


というわけで、今日はレトロな回です。

みなさん、Soul Train というアメリカのTV番組、ご存知でしょうか? 今 wiki で見たら、1971~2006 という、か~な~り長きにわたって放送されたようです。この番組、1970年代には日本でも放送されていて、そりゃあよく見ました。

これはまあ歌番組なんですが、soul やR&B の歌手やグループが演奏し、ほぼ必ずその周りで Soul Train Dancers が踊っています。そしてその出演者は、当時は99%黒人でした。(でも、David Bowie も出ました。)ようは、ブラック・ミュージック&ダンスの番組なのでした。

この番組も見せ場の一つが、Soul Train Line と呼ばれる奔放な踊りの場面。画質はいただけません(高画質のほうを選ぶと、まだ大丈夫かも。)が、この回のダンサーはなかなかイケテるんじゃないでしょうか。曲( Earth, Wind and Fire の Mighty Mighty)もステキ 。


当時はブラック・ミュージックを探す方法が限られていたので、この番組は大事でした。

実は1975年を中心に、よく新宿のディスコに行ったのですが、そこでかかっていたのはこんな曲でした。(そういえば、まさに Soul Train という店もありました。)当時の仲間は、みんな(ほんとにみんな)踊るのが好きでした。で、わたしたちの間で1番人気のあった踊りは「バンプ」です。そうです、腰とか腕とか肩とかをぶつけあうので、bump なんです。

これも画質ワルイですが、このLine の中で、バンプを見せているカップルが何組かいます。


ああ、これほんとによく踊りました!
                                               で、さっき知りましたが、このLine にオバマ大統領も参加したことがあるみたいです。
                                               ほ~~

メディア芸術祭


今日はお休みですね。水曜あたりに休みがあると、ほっとします。

さて、今「ギロッポン」の国立新美術館で、「メディア芸術祭」が開かれています。(15日まで)これ、ちょっとおもしろそう。

http://plaza.bunka.go.jp/festival/2008/  (←受賞作品一覧もあり)

エンターテイメント部門の「テノリオン」は、実は思い出深い(?)楽器です。ここでも何度も登場している明治大学のディジタル・コンテツ系(大学院)、実はこの系の設立記念シンポジウムのときに紹介されたものの1つに、このテノリオンがありました。あの時は、開発者である岩井俊雄さんとヤマハの技術担当の方もいらしたのでした。

テノリオン? 説明はデモ視聴に「しかず」。


おもしろい楽器ですね。ただ、まだまだこの楽器の可能性が十分には引き出されていない気もしますが。(シンポジウム後、ついに一般発売されました。12万くらいです。)

受賞作品を見る限り、興味を引かれるものもありますね。わたしものぞいてみるつもりです。

2009年2月8日日曜日

You haven't done nothig.


みなさん、お元気ですか? こちらは元気です。

なんだか、まだ編集会議を通っていないので、いつ流れるかも知れないのですが、何人かのオムニバスで、「昭和」を語る本を作ろう、という話があります。それぞれの人(まあ、4~6人?)が、ある時代のある場所のことを書き、そこから「昭和」が浮かびあがるような、ということなんでしょう。

今の予定では、わたしは1975年あたりの東京、ということになってます。何日か前に、「オリーブの首飾り」のことを書きましたが、実はあの曲が流行ったのも、その頃です。で、調べてみたのでした。ということは…… これからちょっと、レトロな話が増えるかもしれません。

わたし自身は、どちらかというと「なつメロ」的なものは苦手で、基本、今のもののほうが好きなんですが、まあこれから1~2か月は、レトロな感じになるかもしれませんので、お許しください。

というわけで、わたしにとっての「昭和」を語るのに欠かせないのはこの曲、sunshine of everyone's life, スティーヴィー・ワンダーの「悪夢」です。


スティーヴィーといえば、最近は、オバマの応援(画像)でも何度も見かけました。ラッパー・オバマ登場で、ちょっとだけおもしろいのはこれ。たった2分です。


話は戻りますが、「悪夢」の原題は You haven't done nothig.  あの頃はこの曲を聴きながら、you って誰のことだろう、なんて考えていました。

2009年2月7日土曜日

ビノシュ


週末です。公開してる映画館は少ないですが、『パリ』、いかがでしょう。ただし、クラピッシュの映画は、基本「ドラマ」は起こりません。

この前も登場した、ゼミのレポートに指定したものです。そういえば、主演のビノシュ、ダンスの来日公演がありますね。(画像)

『イングリッシュ・ペイシェント』、今では懐かしい感じです。新たな活動してるんですね。

2009年2月6日金曜日

アキバにて・2


というわけで、昨日は管啓次郎オープンゼミ第二夜でした。ゲストは田中功起さん。まだお若いんです。

田中さんの作品は、you tube でけっこう見られます。たとえば buckets & balls


楽しいですね! 

「アート」とか「藝術」なんていうと、なんだかミョーにお高くとまっていたり、はたまた重大な「メッセージ」を読み取ることを強要されたり、そもそもつまらなかったりもします、残念ながら。

学生に映画を見せると、「意味/意図がわからない」という感想が寄せられることがあります。で、「意図」を読み取ろうというんじゃなく、楽しめばいいの! と答えることもできます。(実際そうなんですから。)が、実は学生は、要は「つまらない」と言いたいんですね。意図やストーリーが不鮮明でも、「わからないけど面白かった」という感想になることもありますから。

そう、作品は、とにかく魅力がなくてはだめです。すべてはそこからです。どんなに高級な政治的メッセージが込められていても、つまらなければ作品としてはだめです。

その点、buckets & balls は、面白いですね。見ていて、楽しいです。(楽しくないけど魅力的、というのもありえるでしょう。)

昨日田中さんの作品を見ていて、素人のわたしが「これ面白いぜ!」と思ったのは、How to wash my dirty clothes でした。これはね、ベルンのパウル・クレー美術館(画像)での展示だったそうなんですが……

上の画像から分かるとおり、波打ってるんですね、この美術館。(設計はあのレンゾ・ピアノ。ポンピドゥー・センターも、関空も。)で、田中さんは、この「谷間」の部分に紐を渡し、なんと洗濯物を干しちまったのです! しかも室内には、洗濯機&洗剤まで!

ふざけてますよねえ。ほんと、こういうふざけかた、大好きです。(でも田中さん、子供時代は「まじめ」だったそうです。)しかも、会期の終盤には、ほかのアーティストまで、俺にも洗濯させて! と言い出し、実際洗濯して干したそうです。みんなふざけてます!

こういう展示を、たとえば「異化効果」とか、「デペイズマン」とか、「既存の枠組みに揺さぶりをかける」とかいう言葉を使って説明することも、不可能ではないでしょう。でも、大切なのは魅力、とわたしは思います。能書きだけじゃね。

みなさん、クレー美術館に、色とりどりの洗濯物が翻っている様子を想像なさってみてください。イケてます!

今後の田中さんの活動が楽しみです!

                  ◇


ほんの一週間のつもりでしたが、コメントしてくださる方もいて、まだ開けてます。

オープンゼミにも、来てくださったんですね。スーツの似合うマサタカさん、またお目にかかれて嬉しかったです。pistachio さん、声かけてくれればよかったのに! 

2009年2月5日木曜日

アキバにて


昨日はアキバで、かわなかのぶひろ(映像作家)さんによるオープン・ゼミに参加してきました。

前半は、前・映画史、とでも言うのでしょうか、エジソンやリュミエール兄弟以前の、のちに映画につながる技法について紹介してくださいました。(大昔、かなりそれに近い展覧会を見たのを思い出しました。)

後半は、いわゆるアンダーグラウンド映画(ほぼ=実験映画)を何本か見せてもらえました。中に、とっても面白いものがありました。たとえば「タンゴ」という作品は、舞台は終始一つの部屋。そこには開いた窓と、ベビーベッド、フツーのベッド、円卓、イス3脚、大きめの棚一つ、があります。

最初は窓からボールが投げ込まれ、それを男の子が拾いに来ます、窓を乗り越えて。そしてそれが何度か(ループで)繰り返されると、次は赤ちゃんを抱いたお母さんが入ってきて、おっぱいをやり、それから赤ちゃんをベビーベッドに寝かせます。で、彼女はそれを繰り返します。次は泥棒です。彼は男の子と同じ窓から忍び込み、棚から大きなケースを盗み出します。で、それを繰り返します。登場人物たちは、もちろん画面の中に同時に存在していますが、決してぶつかりはしないし、お互いの行動に気づきません。で…… 

人は増え続けます。盗まれることになるケースを運び込む人、机で宿題でもやるらしい少女、イスで倒立する体操選手、テーブルに食事を運ぶ人、それを食べる人、裸の女性は棚からワンピースを取って着るし、ベッドに倒れこむカップル、そして同じベッドでは赤ちゃんのおむつ換えもあり、あるいは老婆が横たわりもします。つまり、ピーク時には10人以上の人が、小さな部屋ににぎやかに出入りするのです!

そして最後は、だんだん人が減り、またしても窓から投げ込まれたボールを、今度は老婆が拾って、それを静かに部屋から持ち去って終わります…… で、面白いでしょ?

あと、まったく個人的に驚いたことを一つ。私が小学生の頃、父親がある短編映画について語ってくれました、「初めから終わりまで、柵しか映ってないんだよ」と。なぜか妙に記憶に残っていたのですが、ああ、まさかこんな所で出会うなんて! それは、All my life という、エラ・フィッツジェラルドの歌が流れる中、まさに柵だけが映っていました。が……

厳密には、その手前には鮮やかな花々が、そして抜けるような空が、同時に映ってもいました。そしてかわなか先生は、その二者の色の鮮やかさをおっしゃるわけです。わたしの親の場合、見ていたのが「柵ばかり」だったことと考え合わせると、かなり視点が違うのに気づかされます。

かわなか先生は、そこからユング的な「集団的無意識」の方向に踏み出しています。(「ストーリーなんかなくても、ある意味普遍的な、訴求力のあるイメージというものが存在するんじゃないでしょうか」)「柵」派の見方は、むしろ「夢」への親和というか、シュールなイメージのほうに向ってゆきます。

短編映画の孕(はら)むものって、意外に大きいみたいです。

             ◇

ご心配いただきましたタケちゃんの手術、無事終わりました。あとは回復を待つばかりです。ゆっくりいそげ!

2009年2月3日火曜日

池上の奇跡


たしか去年の10月に、池上本門寺のお会式を紹介しました。

「ありふれた奇跡」、ご覧になっていますか? もちろんわたしは欠かさず見てます。で、ついに先週、主人公の青年一家が、池上駅ちかくの、東矢口に住んでいることが判明しました。なんとね、わたしが生まれてから中2まで利用して、小さい時にはただ電車を見るためにだけ通った、あの小さな池上駅を、仲間由紀恵が歩いていました。フシギでした!

当然ながら、あの辺は土地勘があります。東矢口なら、たいていの場合矢口渡駅のほうが近いのですが、池上駅とほぼ同じくらいの地域もあります。で、そのあたりは、かつてわたしが住んだ池上6丁目と同方向です。(フォークソングの「池上線」の舞台は、線路沿いを五反田方向に行くので、ちがう方角です。)

それにしても、ここまで静かに進んできたドラマが、先週は急にスピードを上げました。で分かってきたのは、これはどうやら2つの家族の物語らしいということです。そう、主人公の若い男女の家族のことです。

主人公、その両親、その親、この3世代。この家族構成は、ほとんど鏡像のように描かれています。もちろん、一方の「母親」は、一緒に住んではいないし、祖父母の世代は、男女どちらか一方だけなんですが、それでもやはり、合わせ鏡のようです。

そして、住み込みで働くらしい男性。彼は郷里に家族がいますが、目の前にはいません。そして第1回で自殺を試みた男性、彼は家族を火事で失っています。この二人も、ある種の対をなしているようです。今だけなのか、永遠になのか、これは決定的に違いますが、それでも、2人にあるつながりを見出すことは可能でしょう。

ああ、さすが山田太一。続きが待ち遠しいです!

2009年2月2日月曜日

まさかの


みなさまの応援のおかげで、「東京詩」、昨夜無事コヤナギさんに送ることができました。ありがとうございました!

すみません、簡単におさらいさせてください。発行予定は4月下旬。で、少しだけでも目立たせよう(1冊だけだと、大海の藻屑のように消えてゆきそうなので)と、版元の左右社から、3冊同時発売をもくろんでいます。その3冊とは;

管啓次郎   『本は読めないものだから心配するな』
波戸岡啓太 『オープンスペース・アメリカ』
わたし    『東京詩 ―藤村から宇多田まで』

です。管さんのは読書にまつわるエッセイ。といっても管さんの書くものだから、身辺雑記とは違います。さっと読めるものを、とおっしゃってますが、いい意味で引っかかりが多いのは間違いないでしょう。波戸岡さんのは、期待の新鋭ここにありという感じの、ドライブ感のある文章。日米の多くの映画の「読み」も、まさに読みどころ。アメリカ文学研究の、掛け値なしの最前線が感じられるはずです。(それにしても、自分が今の波戸岡さんの年齢だった頃は……、ぼーっとしてました……)

楽しみです!

              ◇

今日、そういうわけで原稿も送ったので、ちょっと立川のマユールにカレーでも食べに行くか、と思ってクルマを取りに行くと、なんと、クルマが真っ白! これってまさか??

そう、そのまさかの火山灰でした、長野方面からの! で、運転しながら注意していると、白いクルマの多いこと。それにしても、まさか浅間山の話が、自分の日常と繋がるなんて、考えもしませんでした。お近くの方は、大変でしょう。お察しします。(もちろん桜島近くの方も。)

浅間山はねえ、なんといってもあの鬼押出ができたのが、江戸の天明噴火とかいうやつでしたね。昔、吉村昭が好きで続けて読んでいた時、その話も出てきた記憶があります。もちろん、今あれが起きたらら大変なことですが…… 地球のサイクル、みたいなことを考えさせられますね。

さて、実は明日、仲良しの編集者の手術があるんです。うまくいきますように! Bon courage, タケちゃん!

2009年2月1日日曜日

買っといて!


今日の東京は久しぶりのいい天気で、気持ち良かったです。風は強かったけど、もう真冬じゃないですね。春遠からじ!

一昨日から、「主要参考文献」リストなるものを作りました。(ということは、本文はほぼ終わりです!)これがね、意外に時間かかります。ちょっとした発想のタネみたいなことを言い出したらきりがないので、まあ100冊くらいを目安にと思っていたので、そんなところです。

すでに手持ちだった本以外は、①アマゾン買ったもの ②古本屋で買ったもの ③図書館で借りたもの  に分けられます。そして特に③の場合、これは明らかにわたしが最初に借りたのがわかるものもありました。(たとえば先日紹介した、『氷見敦子全集』とか。)そういう時、ああ、どなたか存じ上げませんが、この本を買っといてくださってありがとうございます! という気持ちになります。

わたしたちも、大学の図書館に本の購入をお願いすることがありますが、そういう時、「これは学生は誰も読まないだろうなあ、やめとこうかなあ」と思うこともありますが、そうじゃないんですね。そういう基準でばかりで選んでいては、10年後20年後の誰かの役には立てません。もちろん学生向きの本も大量に必要ですが、いつの日か誰かが手に取ってくれる本を、図書館の片隅にすべり込ませておくのも、大事なことだなあと思います。

アマゾンも古本屋もチョー便利だけれど、図書館も必要です。がんばれ図書館!