2021年11月28日日曜日

『アンダーカバー:秘密捜査官』シーズン1

先にスピンオフ映画『フェリー』から見始め、
今日やっと、シーズン1を見終わったのが、

『アンダーカバー:秘密捜査官』

です。
『フェリー』の舞台はアムステルダムでしたが、
今回は、オランダ国境沿いにあるベルギーの町、
ロンメルが舞台です。
フェリーをボスとする麻薬密売組織は、
ロンメルのキャンプ場を根城にしているのですが、
そこに、男女二人の覆面捜査官、
ペーターとキムが潜入し、
フェリーたちと仲良くなり、
最後は、偽の「仕事」を持ちかけてはめようという作戦です。

フェリーは単なる「太ったおじさん」にも見えますが、
その独特な風貌はなかなか魅力的です。
こんな家業だし、誰も信用してないし、
酒が入ると特に家父長的態度が丸出しですが、
誠実な人間で、妻を愛し、
受けた恩を忘れない人間でもあります。
(イーストウッドの描く人間が、
「差別的でいい人」なのが思い出されます。)
そして、フェリーの妻がダニエル。
キャンプ場で一人暮らしし、
夜店の売店で働いていた彼女が、
ある晩、元彼にしつこくからまれていたところを、
居合わせたフェリーが助けたのが、
二人が仲良くなる初めでした。
この恋愛は、何度も頓挫しかかったのですが、
ぎりぎりのところでうまくいったのです。
ただダニエルは、今も、
夫の仕事についてほとんど知らされていません。

このドラマ、マフィア物なのに、とても静か。
銃撃戦や乱闘シーンはほとんどありません。
でも、なぜか、
するすると最後まで見てしまいました。
もちろん、潜入捜査の成否もサスペンスを作りますが、
ドラマの後半で気づいたこと、
それは、ダニエルが気になるということです。
というのも、なにも知らない彼女は、
女性捜査官であるキムに誘惑され、
レスビアンとしての自分に目覚め、
キムを愛し始めるのです。

(左がダニエル)


そしてキムは、苦しみます。
麻薬組織撲滅のためとはいえ、
素朴なダニエルを、深くだましていることに違いはないからです……

まさか、
こんな隠し球が用意されているドラマだとは思っていませんでした。
わたしはおもしろかったです。
(映画『フェリー』を先に見ておいてよかったと思っています。
映画の方が、時間的に前だし、
フェリーやダニエルのことが、
よく分かってみる方が、
まちがいなく味わい深いからです。)

シーズン2に入ります!

2021年11月26日金曜日

pour lutter contre la maltraitance animale

今週記憶に残ったニュースの1つがこれ。



2024年ですから、まあ、すぐですね。
フランスのニュースを見ていると、
「もう店をたたむ」
と言っている店主もいれば、
「犬と猫だけって、なんて不徹底」
と憤るブリーダーもいました。
まあ、たしかにそういう面もあるのでしょうが、
この法律が画期的なのは間違いないでしょう。

ヨーロッパでは、
環境問題や動物愛護に関わる法律が厳しく、
それはまったく日本の比ではないのでしょう。
その是非は措くとしても、
今回のフランスのような法律は、
日本では検討された形跡すらないわけですから。

ただ、ここで思い出されるのは、生類憐れみの令。
この、悪法として知られた法律が、
1980年代以降、
とりわけ2010年代以降、
動物愛護の文脈から見直されていると言います。
(『いのちへの礼儀』より)
いろんな分野での地殻変動を感じるこの頃ですが、
ここでもまた、
なにかが変ろうとしているのでしょうか。

2021年11月25日木曜日

『マリリン&モナ』

4年前にフランス語版で見たこの映画、


日本語版が出ているのを知って、
DVDを買っておいたんですが、
先日、院生と一緒に見ました。
彼はかなりのシネフィルなんですが、
ラシッド・ブーシャレブ監督は見たことがないと。
わたしは好きな監督なので、
じゃあ見てみてよ、
となったわけでした。


90分弱で、
シカゴと、そこからサンタフェに向かう道中と、
二人の生き生きした女性たち、
彼女らを取り巻くさまざまな人たちが、
過不足なく描写されていて、
やっぱりわたしは好きな映画でした。

2021年11月23日火曜日

『バルスーズ』

今週の大学院ゼミでは、

『バルスーズ』(1974)

を見ました。
原題は Valseuses。
「女性バレリーナ」ですが、
隠語として別の意味もあります。


日本ではあまり知られていないようですが、
アラン・ドロンとベルモンドの次の時代の幕開けを告げる映画だと、
ピエール・マイヨは指摘しています。
ゼミでは、その文脈で見ました。

主演は、ジェラール・ドパルデューとパトリック・ドヴェール。
とにかく、
これは極めつけの「不道徳」な映画です。
まず冒頭、この二人が画面の登場するわけですが、
それは、
スーパーのカートに乗ったドパルデューを、
パトリックが早足で押しています。
ふざけた登場です!
しかも二人は、中年女性をつけ回している最中で……


彼らは、殺人を犯したりはしませんが、
細かな不道徳はいくらでもやらかす人間なのです。

でこの二人は、
クルマを盗んだことがきっかけで、
ある若い女性と仲良く(?)なります。
彼女は、勤め先の美容室の店長の愛人で、
まあ、セックスをさせることに抵抗がありません。が、
実は彼女は「不感症」なのです。
でこの「不感症」と、
男たちの持つピストルが、
大きな象徴性を持つことになるように見えます。
彼女は、ピストル(=パターナリズム)を持つ男性とはダメで、
初めてピストルを持たない男性を関係したとき、
やっと「感じる」ことができるのです。
それは、抑圧から解放された女性像のようにも見えるでしょう。

パトリックの役名は「ピエロ」で、
これは『きちがいピエロ』を踏まえているでしょう。
また、彼ら3人の逃避行は、
ボニー&クライドを思い出させもします。
また彼らの他に、
刑務所から出所してくる女性(ジャンヌ・モロー)や、
ピエロたちと初体験をする女性(イザベル・ユペール)なども登場し、
「読み」を誘ってきます。

『フェリー』

主人公の風貌に惹かれて(ネトフリで)見始めたのは、

『フェリー』(2021)


舞台はアムステルダム。
麻薬組織のボスの右腕として働くフェリーは、
どんな汚れ仕事もこなしてきました。
で、今回は、
彼らの事務所を襲い、
ボスの息子を撃った3人組を「始末」する指示を受けます。
一人、二人……、
順調に「始末」しますが、
3人目を探して潜り込んだキャンプ場で、
ほがらかでサンパな女性ダニエルと出会い、
二人は心を通わせていきます。が、
ダニエルの弟が現れ……
というお話。

「ふつう」の物語で、
なにか目新しいものがあるわけではありません。
でも、フェリーとダニエル、
二人の雰囲気がよくて、
楽しく見ることができました。

で……

『アンダーカバー:秘密捜査官』というドラマがあり、
マイリストに入れてあったのですが、
この『フェリー』、
実は『アンダーカバー』のプロローグになっていました。
(見終わってから気づきました。)
しょうがないので(?)、
『アンダーカバー』も見始めました!

2021年11月20日土曜日

今年一番

今日は……
朝9時頃から、
今、夜の11時10分前まで、
食事時間以外は

ず~~~~~~~~~っと

パソコンの前にいて、
一昨日編集者と打ち合わせた仕事を進めていました。
おそらく、
仕事時間は今年一番です。
でも、
一応今日の目標は達成できて、
よかったです。
明日もまた、がんばります!
(明日は、授業の予習もあるので、
今日より厳しくなる……!?)

そして!
ついに管さんが登場。


必聴です。

2021年11月19日金曜日

iel

この問題、ずっと気になっています。



文法的性は、
自然の性を模倣しているもの。
自然の性とは、
もう少し正確に言えば、
人間が「自然」だと認識しているものの、
さらに、「性」だと認識しているもの。

はっきり言って、
伝統がどうの歴史がどうのという論議は、
頭の固い「国語」学者のよう。
言語は人間の認識の反映。
認識が変れば言語は変る。
当たり前のこと。

2021年11月18日木曜日

ロイホで

というわけで、
今日は久しぶりに、
対面で打ち合わせを敢行しました。
「ええと、2年振り? 3年振り?」
もう、最後にいつ会ったのか思い出せないくらい。

で、以前使っていた店が営業しておらず、
中ではテーブルが広いロイヤルホストへ。
昼間のファミレスって、
打ち合わせ、って感じです。
ドリンクバーもあるし、
打ち合わせし放題!

こちらの増補版は何にして、
あちらの増補版はこんな感じ、
こんなのも入れたらどうでしょう、
それからそれらの、新しい帯の色、
あの有名語学者の3月予定のイベント、
それに合流させてもらうかどうか……

かれこれ4時間ほど、
楽しく盛り上がりつつ、
打ち合わせできました。
やっぱり、対面がいいですね!

fortnitiser

毎週のことですが、
授業が週の前半に偏っているので、
月・火・水はあっという間に過ぎてゆきます。
授業があるということは、
その前になるべくレポートも読んでおきたいので、
日曜日、あるいは土曜日も、
けっこうレポート読みに時間を使っています。
なので、
ちょっと余裕があるのは、
木・金、なんですが、
金は会議日になることもわりとあるので、
結局、木曜が一番ほっとします。
ただし!
明日(というかもう今日ですが)は、
ほんとに久しぶりに、
編集者と対面で打ち合わせする予定です。
ついにここまで来たなあ、という感じ。
もちろん、
また今後次の波がやってくるのはほぼ確実なんでしょうが。

打ち合わせの資料を求めて、
ネット上をさまよっているうち、
1つおもしろい動詞を発見しました。
それは動詞、

fortnitiser 

です。
これなんでしょう? 
そう、あのゲーム、
「フォートナイトをする」
です!
そして調べてみたところ、
「~にフォートナイトのキャラを与える」
の意味もあるようです。
ウルヴァリンとか、
ミスティークとか、
いましたね。

たわいないですが、
こういうの、好きです!

2021年11月14日日曜日

「コンテンポラリー・リリックの世界」

現代詩手帖で、
不定期(?)に連載されているこのシリーズ、
トヨザキ社長と広瀬大志さんの対談形式なんですが、
今回(11月号)のは、
なかなか読み応えがありました。
これはつまり、
いわゆる「詩」の世界と、
歌謡曲~J-POP的な「歌詞」の世界との、
分岐したり合流したりする関係を読み解こうとする試みです。

まず、1つの足がかりとされている、
吉本隆明の「戦後詩」解釈があるんですが、
(平出隆の「吹上坂」と、さだまさしの「無縁坂」の間に、
決定的な違いはないんだ、という指摘)
これは、ここでも展開されている論議です。


で……

ここで広瀬氏が示している説は、
全面的に賛成、とはいきませんでしたが、
少なくとも、とてもおもしろいと思いました。

まず、
「戦前の詩は、近代史の流れと歌謡曲の流れがリンクしていて、
北原白秋にしても西條八十にしても、
詩が自然と定型的な歌になっています」
というわけですが、
なるほど「鉄道唱歌」にしたところで、
「リンク」した地点に成立しているとも言えそうです。

そして戦後については、
「荒地」と「歌謡文芸」が、
「列島」と「新歌謡界」が、
それぞれ同じ年の出版である(なんと!)ことを踏まえて、
そこにある「分岐」の徴を読み取ります。
なるほどね~

でその後は、1970年代から現在まで、
代表的な「歌詞」の読み込みを中心に、
この流れの跡をたどるのですが、
1つのエポックとされているのは椎名林檎で、
彼女の登場は、
分岐の合流を意味しているとされるのです。
これはいわれてみれば、
たしかにそんな印象もあります。
(『東京詩』を書くとき、
入れようかどうしようか、
最後まで迷ったのが「歌舞伎町の女王」でした。)

そしてここ数十年ほどの「代表曲」については、
わたしが知らないものも複数混じっていたので、
さっそく YouTube で勉強しました。
正直言って、
ここで褒められているほどとは感じないものもありましたが、
でも、とてもおもしろかったです。
1つだけ例を挙げるなら、これかな。


明媚 洛上 折々の
汲み取るストイック 不安だけ
浮世さ
負う 鎮火 鎮火

というのがサビですが、
これ、空耳が起きるのを計算して作っているそうです。
たしかに、英語混じりの、
別の言葉に聞こえます。
(まあ、ギャグ、っていうレベルにも聞こえますけど!)

次回も楽しみです。

2021年11月12日金曜日

『24時間の情事』

今週の大学院ゼミでは、
予定していた『きちがいピエロ』を急遽取りやめて、

『24時間の情事』(1959)

を見てみました。
(『エターナルズ』を見てきた院生が、
「ヒロシマ」も途中言及されていた、と言いだし、
訊いてみたら、
『24時間の情事』は未見だというので、
それなら、となったのでした。)


これは、デュラス&アラン・レネ作品だけあって、
物語を説明するのは難しいのですが、
まあ表面的には、
日本人男性と、
映画撮影でヒロシマを訪れていたフランス人女優との、
「行きずりの恋」、
ということになるのでしょう。

構図的には、当然、
男(岡田英次)はヒロシマ・日本、
女(エマニュエル・リヴァ)はフランス、
なんですが、同時に、
男はWWⅡにおけるあるドイツ兵(のイメージを形象化)、
でもあるのです。
実は、女は大戦中、ドイツ兵(←殺される)と恋仲になり、
終戦後は、対独協力者として、
村人たちに髪の毛を切られた経験を持っています。
で、
一人の女性が二重化され、
男もまた二重化されていくのです。

評価するのはなかなか難しいですが、
エマニュエル・リヴァは、
40年前に見たときより魅力的に感じられたし、
見ていて飽きませんでした。
何が可能で何が不可能なのか、
それが問題なのかもしれません。

『ザ・テキサス・レンジャーズ』

先日見た『最後の追跡』がよかったので、
やはりテキサス・レンジャーが登場する、
その名もズバリ、

『ザ・テキサス・レンジャーズ』(2019)

を見てみました。
主演はケビン・コスナーです。


舞台は、1934年のアメリカ。
もちろんテキサスは出てきますが、
州内におさまる物語ではありません。
というのも、この映画、
あのボニーとクライドを追う、
引退していたテキサス・レンジャーの話だからです。
この、世界恐慌から5年後のアメリカで、
とりわけテキサスには、
貧しい移民キャンプがありました。
ボニーもクライドも、
そうした場所で育ったのです。
ただ物語は単純で、
引退して「老後」を送っていた、
かつての「凄腕」「テキサスレンジャー」に、
ボニーたちを捕まえてくる(というか射殺も可)仕事が回ってきます。
で彼らは、紆余曲折ありながら、
その仕事を完遂させるのですが、
その過程そのものが映画の物語です。

ボニーとクライドは、
テキサスの移民キャンプで育ったようなんですが、
テキサスでは、

*******************************

植民地時代にテキサスを領有していたスペインをはじめ、

ドイツ、アルザス、スイス、オーストリア、

チェコなどからの移民が持ち込んだ文化が融合して

食文化、ビール、建築、音楽に影響を及ぼし、

南部や南西部の他地域とは異なる「テキサス的」な文化が創り上げられた。

例えば、ドイツから持ち込まれたアコーディオンは、

土着のメキシコ系テキサス人(テハノ)の音楽に影響を及ぼし、

19世紀にはテハノ音楽におけるポピュラーな楽器となった。

 映画『セインツ-約束の果て-』公式サイト (u-picc.com)

*******************

というのです。
たしかにそういう雰囲気が感じられました。
監督自身もまた、テキサス出身です。

まあ、映画自体はそれほど魅力は感じませんでした。
主人公たちも、
わたしには無駄にマッチョに見えて、
惹かれるところはなかったし、
ちょっと中途半端な印象でした。
ただ、移民キャンプの描写だけは、
なかなか新鮮でした。

<Let's go Brandon !>

今朝のBSニュースで知りましたが、
これ、もとは誤解
(Brandonというカーレーサーのインタヴュー中、
Fu** Joe Biden という歓声を、
同じリズムの Let's go Brandon と聞き間違え、
それ以来、逆にこのLet's go Brandonが、
Fu** J B の意味で使われるようになったとか。)
から始まった、
バイデン大統領への悪口だそうです。
もう wiki までできてました。


ただ、ようは「悪口」であって、
ちゃんとした批判からは程遠いので、
イイ感じはしませんね。


2021年11月9日火曜日

倉石さん登場!

日本を代表する写真批評家、
倉石さんの登場です。
そしてもちろん、
詩人としても、
劇作家としても、
バリバリ活躍中です。


倉石さんと話していると、
その話の中から、
いろんな「パースペクティブ」が浮かび上がってくるので、
いつも感心させられます。
そうなりたいものです。


2021年11月7日日曜日

「読めなかった本と出会い直すには」 『本は読めないものだから心配するな』(ちくま文庫)刊行記念

11月10日です。


リアルタイム配信&アーカイブ、ですね。

下北沢、
もうずいぶん行ってないなあ。


2021年11月6日土曜日

「自民側から1100万円受注 支払いの一部は税金」

大メディアは、
なぜこの問題を報じないんでしょうか?
選挙前だって、
ある程度報じることはできたはずだと思うんですが。


お金のこともありますが、
やってることが下品。

『最後の追跡』

テキサスレンジャー、というものになんとなく惹かれ、
見始めたのがこれ、

『最後の追跡』(2016)

です。
原題は Hell or High Waterで、
「地獄、あるいは絶頂」
くらいでしょうか?
ほとんどなにも期待してなかったんですが、
引き込まれました。
おもしろかったです。


クリス・パイン演じる中年男トビーが、
出所したてのワルの兄と銀行強盗を働き、
それを、定年間近のテキサスレンジャーとその相棒が追う、
というお話です。
こう書くと単なる犯罪もののようですが、
それほど単純ではありません。
そもそも、まじめなトビーが銀行強盗するに至ったのは、
つい最近亡くなった彼の母親が、
まさにその銀行に、
ほとんど詐欺のような手口で、
先祖代々守ってきた牧場を差し押さえられそうだったからでした。
それが執行される前に借金を払おう、
それについては、銀行に払ってもらうことにしよう、強盗してでも、
というわけなのです。
でも、背景はまだ奥があります。
レンジャーの一人は、
先住民とメキシコ系のダブルで、
(先住民系であることを、
彼の上司は執拗にからかい続けます。)
その彼が、あるとき銀行を前にしてつぶやくのです、
「かつて、ここはすべておれたちの土地だった、
それを軍隊が奪い、
いまやまたそれを、
こいつらが奪おうとしている……」
こいつら、とは、銀行のことなのです。
それはつまり、強欲資本主義の象徴のようなのです。
で、さらに、微妙な伏線もあります。
実はトビーたちもまた、
コマンチの血をひいているらしいのです。
トビーの兄は、ある賭博場で、
コマンチの子孫と一触即発になります。が、
そのときこの兄は、
これもコマンチだ、
と言い放つのです。
最初は冗談のようにも聞こえましたが、
やはりこれは事実なのでしょう。
ということは、トビー名義になっている広大な牧場
(そこから石油が出ました!)
は、コマンチの時代以来の所有物なのかもしれないのです。
そう考えると、トビーが子供たちに、
「(相続しても)ゼッタイに売るな」
と言っていたこととも符合します。
つまり、一見単純な銀行強盗は、
背後に、先住民以来の土地に関わる問題が絡んでいたわけです。

邦題は、トビーたちを追うレンジャーに焦点を合わせていますが、
そしてそういう部分もたしかにあるのですが、
やはりこれは、
トビーの土地を巡る物語だと考えるべきでしょう。

乾いた映像が美しく、
その点では『ノマドランド』を思い出しました。
いい映画でした。

2021年11月4日木曜日

お菓子

今日、久しぶりにケーキを食べましたが、
やっぱり、なかなかおいしいもんですね。
人間の手作業はすごいな、と感じます。
もちろん、料理にも。

たまたま、中東のお菓子のレシピを見つけました。
作ったのは一橋大学。
最後の方にある写真だけでもおもしろいです。


『アルジェの戦い』の舞台となったお店、
というのが気になります。
いつか、アルジェに行くことができるかな?

2021年11月3日水曜日

ジョナタン・コーエン/3

今度は、ジョナタン・コーエンが刑事役の、

『アーミー・オブ・シーブズ』

を(ネトフリで)見てみました。
(「シーブズ」って、thieves です。)


この映画は、
<『アーミー・オブ・ザ・デッド』の前日譚>という位置づけで、
『デッド』でも活躍するらしい金庫破りの達人の、
なぜそのようなものになったのか、
が描かれています。(まあ、一応。)

ポツダム。
マティアスは、「退屈」で「平凡」で「オタク」な生活を送っていた。
そこに現れたの魅力的な女性、グウェンドリン。
彼女は彼の金庫破りの腕を見込んで、
強盗仲間に引き入れに来たのだ。
そして彼は、お金よりも、
仕事そのものに魅了されてゆく。
伝説の金庫作りである、ハンス・ワグナーの作品を、
順に3つ攻略しようというのだ。
これを破れば、
自分もまた伝説になれる……

で、ジョナタン・コーエンは、
この強盗団を追い続けているインターポールの刑事。
基本英語でしゃべりますが、
ときにフランス語も。

エンタメとしては、
それなりにおもしろかったです。
金庫破りなら単純にスリリングだし、
人が死んだりしないので安心だし、
そしてやっぱり、
マティアスやグウェンドリンに魅力があるのが大きいです。
グウェンドリンを演じているのは、
『ワイ・スピ』にも出ているナタリー・エマニュエル。
彼女はイギリス人ですが、
母親はドミニカ人とイギリス人を、
父親はセント・ルシア人とイギリス人を、
両親に持っていたようです。

で、おもしろいんですが、
まあ、ラストあたり、
ちょっと違和感もなくはないです。
でもそうしないと、
次作との繋がりが悪い、
ということでしょうか?

『監禁面接』

エリック・カントナ主演のミニ・シリーズ、

『監禁面接』

を見てみました。


(原題は Dérapages。
「横滑り」のことですが、
ここでは、事態がとんどん思わぬ展開を示すことを指しているのでしょう。
複数形だし。
となると、この恐ろしげな邦題は、
ちょっとな~、とも思いますが、
これは原作小説の邦題を、
無視できなかった結果とも言えるでしょう。)

設定はそれなりに現実的ですが、
そこで展開する物語はかなり荒唐無稽で、現実離れしています。
主人公はアラン。
57歳、月収500ユーロ。
二人の娘は独立し、今は妻と二人暮らしです。
彼は、70人程度の規模の会社で、
人事部長として働いていましたが、
6年前にリストラされ、
それ以降は、求人広告を見ては仕事を得る生活。
アパルトマンのローンも残っていますが、
それよりなにより、
彼の自尊心がボロボロに傷ついています。
「失業者」という自分を、どうしても受け入れられないのです。
だから最近の彼は、かなり短気で暴力的。
自己中心主義的でもあります。
そんな彼から、妻や娘たちの心も、
薄皮が剥がれるように、遠ざかってゆきます。
また彼の長女は妊娠中ですが、
その銀行員である夫、つまり義理の息子とはそりが合いません。
次女は弁護士で、
父親のケース(その内1つはクレテイユの裁判所)を担当することになります。
……と、ここまでは、現実的です。

物語は込み入っています。
ある大企業が、大リストラを担当する重役を選ぶため、
偽装テロ事件を企画します。
そんな中でも、会社を守ろうとするのは誰か、
というわけです。
(ひどい話です。)
で、その企画にモニター越しに参加し、
重役を評価する仕事があるわけですが、
その仕事が、
新規採用のためのテストに使われることになります。
アランは、そこに参加することになります。
ただ、この馬鹿馬鹿しく非人間的な企画の途中、
アランが大きく「横滑り」を見せるのです。
彼は、用意してあった銃を抜き、
本物の人質事件を起こすのです……

物語はこの後も、
「横滑り」を続けます。
このあたりを、おもしろいと感じる場合もあるかもしれませんが、
わたしは、ピンときませんでした。
失業者と新自由主義者の対決、
という構図の中で、
権威主義的で暴力的な主人公の、
ある種の逆転を描いているとも言えるのでしょうが、
残念ながら、
このアランが好きになれない。
そこが苦しいところです。


アランの次女を演じたのは、
『パリ警視庁:未成年保護特別部隊』
の中で、
暴行されて妊娠し、
その子を産む女性を演じていたアリス・ドゥ・ランクザン。
彼女は、Noces や『水の中のつぼみ』にも出てましたね。


またアランの妻は、これらに出ていました。



後者は、ソフィー・マルソー主演ですから、
日本版が出てもいいと思うんですが。
(この監督、かなり好きです。)

『喜劇急行列車』

渥美清ですねえ。
6日(土曜)の21時まで、
無料だそうです。


1967年と言えば、
おお、最近見たばかり、
『サムライ』の年ですね。

2021年11月2日火曜日

筋が

政治がらみのことを書きたいわけじゃないんですが……

枝野氏が辞任を発表して、
まずはまっさきに、
小川淳也氏が、実質的な立候補宣言をしました。
もちろん、
まだまだまだまだ流動的なのでしょう。が、
もしも小川氏が勝つようなことになると……

先日、
『なぜ君は総理大臣になれないのか』
の感想のところにも書きましたが、
小川氏自身は、真面目で、信用できる人のように見えます。
ただ、彼の政治信条は、
ネオリベであるように見えるわけです。
なにしろ、彼自身が、
自分は「前原さんの最側近」
と公言しているわけですから、
間違いないでしょう。
となると、
もしも小川氏が勝つと、
これは、維新との接近が強く予想されます。
維新は自民よりネオリベ性が強く、
わたしにとっては自民より避けたい存在です。

なぜ大阪で維新が連勝したのかについて、
いくつか仮説を読みました。
その中で目立ったのは、
維新支持者の反知性主義的傾向です。
彼らがもっとも嫌うのは、維新に批判的な
「<頭いい感じの>リベラル」
「<上から視線の>知性」
なのだと。
(これって、海の向こうでも起こりましたよね?)
カジノ、民営化、合理化、選択と集中、
どれも維新的で、ネオリベ的。
演説が上手いんだとか、
ルックスがいいんだとか、
そんな説明もありましたが、
彼らのネオリベ性について、
大阪の人たちはどんな風に評価しているのでしょう?
大阪的なるものが、
全国的になっていくのが嬉しいという部分もある、
という説明もありましたが、
それならタイガース優勝の方が!

話がどんどんそれましたが、
とにかく、
最大野党が維新と合流するのは、
とても筋が悪いと思っています。
返す返す、
辻元氏がいないのがイタイです……

「打つ手はある」

retweet です。

**********************

依然として温暖化に打つ手はある。
二酸化炭素排出量のほぼ75―80%は
世界20カ国の4大排出源
(発電所、自動車、建物、工場)
での化石燃料燃焼が原因だからだ。
つまり、
これら20カ国の四つの産業部門の
クリーンエネルギー化を試みれば
状況は大きく変化する。


********************************

いわゆる「貧しい国」は、
そもそも CO2 を出す燃料を、
大量に買うことなどできません。
G20、豊かな国の、自己欺瞞?

2021年11月1日月曜日

高尾山

今日、
予定していたゼミが諸事情のため休講になり、
(というか、本来、文化祭のため休講なんですが、
まあ暇だしやるか、という感じだったのです)
ふと思い立って、高尾山に行ってきました。
紅葉にはまだだいぶ早いんですが。

まずケーブルカー。



で中腹に到着。これは東京方面。




そこから10分ほどで薬王院。




さらに20分上ると、頂上です。




薄曇り。
で、時々太陽が顔を出す、という感じでしたが、
晴れの日よりむしろしっとりして、
山の静けさが深まる印象でした。

自宅から高尾山口まで、
クルマで1時間弱。
今日も、
家を出たのは昼食後、1時過ぎでした。
でもこれで、
行こうと思えばすぐ行けることが、
はっきり分かりました。

ジョナタン・コーエン/2

ジョナタン・コーエンと、
マニュ・パイエ主演のコメディー映画、

Budapest 『クレイジー・プラン・イン・ブダペスト』(2018)

を見てみました。
ネトフリです。


パリ。
上司にいびられたりするうち、
だんだん仕事がイヤになった二人の中年男性、
アルノーとヴァンサン。
彼らは、ほんの思いつきで、
バチュラー・パーティーを催行する仕事を始めます。
その行き先はブダペスト。
何でも安いし、「美人が多い」からです。

ところで二人は、
アルノーの方は特に、
妻との関係を正面から受け入れることができず、
つまり、
まだ子供でいたがっているような子供、でした。
(ロマン・デュリスが得意なキャラですね。
まあ今回は、そこまでじゃないですが。)
だからこそ、
自分の願望の代理として、
他人のバチュラー・パーティーを盛り上げようと思ったのでしょう。

ドタバタから浮気、ベンチャー・ビジネスまで、
盛りだくさんではあるのですが、
やはり、フランスのコメディー映画によくある雰囲気で、
ご都合主義と軽薄さが目立ちます。

ただし、映画としてのデキはイマイチでも、
興味をひく点はいくつかありました。
まず、まあ紆余曲折合った後、
もともと仲のよかったヴァンサンと妻は、
なんとかよりを戻すのですが、
アルノーの妻は、
たとえアルノーが改心したように見えるとしても、
彼を許さず、拒絶するのです。
つまりふたりの男性について、
(妻ふたりが、ひとりの女性の分身なのだと考えれば、)
選ばれるのは、大人になることを受け入れたひとりであり、
もう一方は、過去の未熟さゆえ、
信用を勝ち取ることはできません。
これはピエール・マイヨ風に言うなら、
ここには、「フランス/マリアンヌ」が長らく求めてきたフィアンセの、
もっとも重要で、
もっとも見つけにくい資質がある、ということになるでしょう。

そして、
これはまたまったく別のことですが、
映画のラスト、
ほんの1分足らずですが、
今度は女性ふたりが、
女性のためのバチュラー・パーティーを企画するというオチの中で、
その女性客たちが「人間狩り」をするシーンがあるのですが、
そのとき(もちろんおもちゃの銃でですが)
「狩り」の対象となるのは、
登場人物の中でもっとも弱い不法移民である男性、なのです。
これは、監督も脚本も男性であることを考えると、
女性に対する悪意があると感じられました。
女性たちは男性を「狩る」のであり、
だから、男性は女性から逃げるのだ、
とでも言っているように見えるからです。

まあ、65点くらいの映画ですが、
結果的に、考えるポイントはありました。

そうそう、最後になってしまいましたが、
ヴァンサンの妻は、この映画


で、主人公の妹を演じていました。
アラブ系なので、
ちょっとレイラ・ベクティにも雰囲気が似ていて、
華がありました。

ジョナタン・コーエン/1

ネトフリのドラマ、

『ファミリービジネス』

そう言えばちょっと前に見終わっていました。が、
それほどどうということはない作品で、
忘れてました。


ようは、マリファナが合法化されるという(ガセの)情報を得たユダヤ人一家が、
その法律の成立に先駆け、
一家総出でマリファナ栽培に打って出る話です。
コメディなんですが、
まあ……

主人公はジョナタン・コーエン。
その恋人が、この映画


に主演していたリナ・エル・アラビ。
彼の姉が、この映画


などのジュリア・ピアトンです。
やはりここでも、
レスビアンの役です。

フランスのコメディらしく、
適度な下ネタ、民族ネタ、ブラック・ジョークなどがちりばめられていますが、
全体としては、
早く続きが見たい、
とはあまり思わない程度のおもしろさ? でした。

一夜明け

一夜明けて、
もろもろ全貌が見えてきました。
今後、さまざまな分析がなされるのでしょう。

とりあえず、
東京比例区については、
1議席を確保できて良かったです。
朝起きて、
寝床の中で確認してしまいました。
ただ、
全体としては、
野党の敗北ということになるのでしょう。

とても残念だったのは、
辻元氏が落選したこと。
彼女は、首相候補だと思っているので、
捲土重来を期待しています。

MOYAMOYA

そろそろ日が変りますが、
選挙情報は続いています。
小選挙区、わたしが入れた候補者は勝てませんでした。
残念……
で、
東京比例区、
まだ結果は出てませんが、
なんとか1議席を確保して欲しいです。
彼一人いるといないとでは、
違うと思っています。

久しぶりに、この時間にテレビをつけ、
いくつかのチャンネルを見ていましたが、
なんというか、
敬意のない質問者たちの態度が、目に余るように感じました。
自分の役割に過剰適応した、あるいはそれを曲解したと思える人、
自己顕示とマウンティングに余念がない人、
いつも通りピントの外れた、高学歴の人、
それぞれに lamentable でした。
そしてこうした人たちを起用する制作者のレベルをして、
メディアの劣化、が指摘されているのでしょう。

それにしても、
選挙の後は、(1回を除いて)いつも、
こう、モヤモヤが残りますねえ……

とりあえず、
明日のゼミに全集中します!