2020年1月31日金曜日

『真昼の決闘』

Amazon Prime で、

『真昼の決闘』(1952)

を見ました。
もう、4、5回目なので、
さすがにストーリーはよく覚えていました。

その日保安官は、
結婚式を挙げ、
美しい新妻と町を離れようとしていました。
けれどもそこに、
かつて彼が逮捕し、絞首刑になったはずのワルたちが、
減刑されて出所し、
保安官に復讐にやってきます。
妻は早く逃げようといいますが、
保安官は、彼の信条として、
留まることを選択します。
彼は、「正義」や「法」を象徴する人物なわけです。
ただ、彼の予想とは違い、
町の住民は誰一人、彼に協力しようとはしません。
それどころか、
隠れて彼のための棺を作り始めさえするのです……

で、なぜまたこの映画を見たかといえば、
これもまた、川本三郎さんの文章を確認したかったからです。
この映画は、
「正義に手を貸さない町の人間」
「善良な人間のいかがわしさ」
を描いており、そこには
「当時の赤狩り体験が反映されている」
というのです。
たしかに、
この映画の中の「大衆」は、
傲慢で、身勝手で、陰湿。
教会に集まっているものたちもまた、
保安官に恩義を感じながらも、
結局、事なかれ主義に陥ってしまいます。
「宗教」も頼りにならないわけです。
つまりここでは、リベラルな正義が良しとされているわけです。
保安官は、セルフ・メイド・マンであろうとはしません。
民主的な協力のもと、
「悪」と戦おうをするのです。

さらに言えば、
新妻は、最後の最後に彼のもとに戻って来はしますが、
彼女もまた、
彼を残して町を出ようとします。
銃撃のシークエンスでは、
役にも立ちますが、
彼の足を引っ張りもするのです。
「愛」もまた、
無効なのでしょうか?

こうした「大衆」のイメージ、
それは、東部のインテリたちが思い描く「大衆」そのもので、
赤狩りにおいてインテリを攻撃した(もう一つの)「大衆」の、
ちょうど裏返しだというわけです。

『真昼の決闘』が描く「大衆」を、
こうした文脈に置いて眺めてみると、
そのイメージのアメリカにおける位置が、
想像しやすいわけですね。

(それにしても、
新婚を演じたゲーリー・クーパーとグレース・ケリーは、
今調べたら、
実際には、28歳の年の差があるようです。
たしかに、そのくらいの差に見えました。)

2020年1月30日木曜日

『ペイド・バック』

原題が The Debt なので、
内容に合わせてふつうに訳せば、
『遂行義務』
くらいだと思うんですが、
今日見た映画の邦題は、

『ペイド・バック』

という、カタカナでした。
(「借りを返された」かな?)

https://www.youtube.com/watch?v=ZXFXoXomoxk

モサドを描いているということ、
ジェシカ・チャステインが出ているということ、
が見た理由です。

映画の冒頭、
やや時間の処理が込み入っていて、
というかあまりうまくなくて、
戸惑いましたが、
全体としては混乱しませんでした。

物語は、かつて「ビルケナウの外科医」と呼ばれた、
ナチ所属の医師を中心に回ります。
彼は、ナチ的優生思想を信奉しており、
それは逃げ回っている今(1966)も変わりません。
モサドは、なんとか彼を逮捕し、
裁判にかけようと思っています。
そしてついに、東ドイツで医者をしていた彼を発見するのです。
モサドは、3人のメンバーを送り込みます。
その作戦は、成功したかに見えました……

ジェシカ・チャステインはユダヤ人なのかと思ってちょっと調べたら、
あるユダヤ系雑誌のインタヴューで、
こんなやり取りをしていました。

ーFor a non-Jew, you’re very steeped in our culture.
JC: I’m an honorary.

名誉ユダヤ人(?)、
なんですね!

でも彼女については、結局、
『女神の見えざる手』
が一番好きです。
ただこの邦題もイマイチ。
アダム・スミスかと思っちゃうし。
こちらの原題は

Miss Sloane

このほうが、
まさにヒロインそのものを描いてるんだ、
という感じが伝わると思うんですが。

表参道、原宿、新宿

今日の東京はとても暖かく、
表参道に出かけたついでに、
原宿まで歩いてみました。
都会的散歩道としては、
東京屈指ということになるんでしょうか。

表参道はもちろん「参道」ですから、
その先にある明治神宮を少し意識しながら歩くと、
そういう道を歩いているという気がしないでもありません。
でも今、
表参道は Omotesando となり、
むしろ「面」として展開しているようです。

ここを歩くために最初に訪れたのは、高校の頃。
それは1974年だったはずなので、
なんと46年前! です。
でもその頃と、
基本的な雰囲気に変わりはないようです。
店も、歩いている人たちも変わったけれど、
街の骨格も、
坂道の勾配も、
変わりません。
もちろん、その勾配の感覚を、
「足が覚えている」というほどには、
通いつめてはいませんが。

そして新宿駅につくと、
なぜか、少しほっとしました。
やはりわたしには、
こちらのほうが「ホームグラウンド」のようです。

#JeNeSuisPasUnVirus

まずはこのハッシュタグ、

#JeNeSuisPasUnVirus

https://twitter.com/hashtag/JeNeSuisPasUnVirus?src=hashtag_click&f=live

これに関するニュースがこれ。
フランスで、「アジア人」が避けられている、と。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200130-00000060-jij-eurp

https://www.francetvinfo.fr/sante/maladie/jenesuispasunvirus-la-communaute-asiatique-denonce-une-vague-de-racisme-a-son-encontre_3804293.html

天声人語でも、
中国人観光客を見ると……
みたいな書き方がされていて、
違和感を感じましたが、
そういう反応は、
どこにもあるのでしょうね。

『イージー・ライダー』

アメリカン・ニュー・シネマの代表作とされる、

『イージー・ライダー』 (1969)

を見ました。
学生時代以来なので、
40年ぶり? くらいです。

麻薬の取引で大金を得た二人の若者が、
その金で買った最新型のハーレーで、
ロサンジェルスからニューオリンズを目指すという、
ロード・ムーヴィーです。
その旅の途中で、
さまざまな人や事件と出会うわけですが、
やっぱりこの映画といえば、
悲惨な結末で記憶されているのでしょう。

これを久しぶりに見る気になったのも、
川本三郎さんの文章を読んだからです。

********************************

『イージー・ライダー』の南へ南への旅は、だから、
自虐的な旅である。
彼らは南部で自分たちが親にかわって撃たれるであろうことは
十分に知り尽くしたうえで自滅してゆく。
彼らは、南部でも東部でももはや生きていくことはできない。

*********************************

そして文中の「だから」の部分には、
赤狩り以来の、
東部(やロス)のインテリ層と、
南部の「大衆」との間の対立、
そして「インテリ」の代表ケネディが起こしたヴェトナム戦争というカオスなどが、
一連の文脈として語られています。
「親」については、
ピーター・フォンダにとってみれば、
まさに、『12人の怒れる男』で「インテリ」を演じた、
父ヘンリー・フォンダが象徴的です。
彼はまさにそういうものとして、
陪審員となった「大衆」を「導いた」わけです。
そこでは、「インテリ」の勝利が描かれ、
「大衆」は頑迷な存在として描かれてしまいました。

アメリカがヴェトナムから撤退するのは、
この映画が公開された4年後のことでした。

2020年1月29日水曜日

Made in China

『最高の花婿』、

http://tomo-524.blogspot.com/2015/07/quest-ce-quon-fait-au-bon-dieu.html

この中で、
中国系の夫の役だったフレデリック・ショー、
アラブ系の夫の役だったメディ・サドゥーンが共演している、

Made in China    (2019)

を見てみました。
こんなタイトルですが、フランス映画です。

https://www.youtube.com/watch?v=9wRvIYYc_W8

舞台は、予想通りパリ13区の中華街。
『エキゾチック・パリ案内』で詳しく書いた地域で、
主人公の父親は、潮州系の寺院に通っていて、
しかもヴェトナム戦争をボートで逃れてきたと言っているので、
つまり、1970年代に、
ボート・ピープルとなってフランスに渡ってきた、
華僑の家族ということなのでしょう。
20代後半の主人公は第三世代で、
最後、第4世代にあたる赤ちゃんも生まれます。

物語自体は単純です。
10年前、進路を巡って父親と言い争いになり家出した主人公。
彼は、自分の意思を通し、写真家になっています。
で、ブルターニュ出身の彼女との間に、
赤ちゃんができたことをきっかけに、
自分のルーツについても考えるようになり、
恋人の強い勧めもあって、
父親との和解を試みます。が、
この父親がおそろしいほどの石頭。
ほんとは仲良くしたいのに、
息子を許すことができません。
ただそれでも、中国系の親戚たちや幼馴染が協力し、
最後は、関係が修復されていく、というお話です。

小ネタで面白いものはあったし、
パリ(おそらく郊外)の中国人墓地というものを初めて見たし、
おなじみの Steve Tran の顔も見られたし、
もちろんよく知っている場所でもあったので、
まあ楽しくは見ましたが、
あまり深さや屈折みたいなものは感じませんでした。

監督のジュリアン・アブラアムは、
La Cité rose と撮った人ですが、
作品としては、
そっちの方がよかった、かな。

2020年1月28日火曜日

『タクシー運転手  約束は海を越えて』

『1987』を見たら、
その中でも言及されていた光州事件を扱った映画もまた、
見るつもりでいました。
(比較的近い時期に公開されたので、
そういう見方もきっと多かったと思います。)
これです。

『タクシー運転手』 (2018)

https://www.youtube.com/watch?v=uDy9Bd08CH4

光州事件の全容は、
未だに分かっていないと言います。
軍隊の恐ろしさとは、
その銃口が国民に向かうこともある、
というところにあるのでしょう。
それが、一番悲惨な形。
そしてそういうことは、
歴史上繰り返されてきました。

多くのハリウッド的戦争映画とは違って、
戦闘の場面が、
まったく娯楽になっていないところが、
いいと思いました。
やっぱり、『1987』と合わせて見てよかったです。
『国際市場で逢いましょう』もいい映画ですが、
この韓国における民主化の苦闘がすっぽり抜けているで、
それを(ほかの映画などで)補う必要はありますね。
授業では、時間が足りないのですが……。

アウシュビッツから

27日は、
アウシュビッツ解放の日でした。
75年、経ったことになるわけですね。

で、オランダで、初の公式謝罪があったようです。

https://www.msn.com/ja-jp/news/world/オランダ政府、第2次大戦中のユダヤ人迫害めぐり初の謝罪/ar-BBZmoYk?ocid=spartanntp

フランスが、
フランス政府、ないし警察の、
ナチへの協力を公式に認めて謝罪したのは、
1995年、シラク大統領の時でした。
それは、70年代には多く指摘されていたことなので、
遅すぎる、と言われてましたが。

パリ郊外のボビニーでは、
かつてのユダヤ人収容所が記念館になっていて、
その前庭には、短い線路と貨車が置かれていました。
いかにも、ここから貨車に乗せられて、
アウシュビッツに向かった、というように。
でも、そうじゃなかった。
その収容所から最寄りの駅まで、
フランスの警察車両が、
ユダヤ人たちを運んだのです。
フランスは、その事実を隠蔽するため、
収容所の目の前に貨車を置いたのだと言われています。

2020年1月27日月曜日

『1987』

ずっと見ようと思っていて見そびれていた、

『1987』 (2018)

やっと見ました。

https://www.youtube.com/watch?v=1YkPGGn5e6U

韓国の民主化を扱った、
事実に基づく作品ですが、
これは、思っていた以上によかったです。
映画として見ても、
人物を登場させてゆくタイミングも、
彼らが背負っているものの描き方も、
残虐さや潔癖さを描く節度も、
感心しました。
(スピード感はハリウッド的なので、
少し目まぐるしいですが。)

国が、こういう経験を経ていれば、
民主主義というものに対する感覚がちがってくるのは当然でしょう。
日本の「民主主義」は、
勝ち取られたものとは言えません。
日本と韓国は、
世界的に見ればずいぶん似ている国だと思いますが、
この民主主義に対する感覚は、
決定的に違うと言われています。
なるほどそうだろうと、思わざるを得ませんでした。

2020年1月26日日曜日

En liberté !

アデル・エネル、
ヴァンサン・エルバーズ、
そしてオドレ・トトゥが出演している、

En liberté !  (2018)

を見てみました。

https://www.youtube.com/watch?v=qGpDZ51EVFU

なんというか、まあフランスでよくある「B級」コメディ映画で、
おもしろいところもあるんですが、
どうという作品ではありません。

イヴォンヌは、同じ警察官であるジャンと8年暮らし、
子どもも儲け、
幸せに暮らしてきました。が、
ある事件でジャンが亡くなった後、
実は彼が、悪徳刑事だったことが判明。
大きなショックを受けます。
で、彼の罠にかかり、
無実の罪で服役しているアントワーヌのことがどうしても気にかかり、
彼の力になようとするのですが……

アデル・エネルは、
いわゆる「美人女優」とは違うと思いますが、
その存在感は抜群で、
今回もまたそうでした。
そう考えると、
彼女を見る映画なのかもしれません。



amazon Prime では、
『午後8時の訪問者』
が、無料です。

http://tomo-524.blogspot.com/2017/07/la-fille-inconnue.html

同じアデル・エネルなら、
こちらのほうがいいですね。

2020年1月25日土曜日

『スノーピアサー』

巷で話題の『パラサイト』。
シネフィルの院生も「いい」と言っていたので、
きっといいのでしょう。
で、
映画館を予約しようとするんですが、
これがけっこう混んでいて、
好みの席がとれず今日まで来てしまいました。
しょうがないので、
ポン・ジュノ監督の別の作品でもということで見てみたのが、

『スノーピアサー』(2014)

舞台は2031年。
17年前に、
地球温暖化に対抗して散布した薬品によって、
「氷河期」に入ってしまった地球。
ここで生き延びているのは、
「スノーピアサー」という名の列車に乗り込んだ乗客だけ。
しかもこの列車のエンジンは永久機関で、
となると列車が世界の比喩で、
乗客が人類の比喩なのは明らかです。
で、その列車内では、
いわば極端な階級制が保持されていて、
いま、そこに革命が起ころうとしている、というお話。

ポン・ジュノ監督は、
この脚本にも関わっているんですが、
まあ正直に言えば、
設定はムリがあり、
(原作があるようですが)
世界観は浅く、
そんな風になるはずはない、
の連発でした。
登場人物の誰一人、
丹念に内面を描かれるということもないし……。
おそらく、エンタメのつもりなんでしょうが、
血しぶきも、おぞましい記憶も、
みんなあざいと感じてしまいました。

2020年1月24日金曜日

『ケイン号の叛乱』

敬愛する川本三郎さんの本を読んでいて、
とても見ないではいられない紹介のされ方をしていた映画、

『ケイン号の叛乱』(1954)

を見てみました。
公開年は、『ゴジラ』と同じ年です。

https://www.youtube.com/watch?v=q1rTU9oXroM

wiki に、わりと長いストーリー紹介がありました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ケイン号の叛乱

要は、
プリンストン大学出で、
たった3か月の研修を受けたキースが、
少尉としてケイン号に乗り込み、
そのたたき上げの艦長(ハンフリー・ボガード)と対立。
その結果、
船員たちと艦長の間に軍法裁判沙汰が持ち上がり……、
というお話なんですが、
実は見どころは、
この裁判の結果出たあとに訪れます。

<以下ネタバレです>
艦長は、船が台風に会った時、
船員たちによって急遽その任を解かれたのですが、
それを反乱罪として訴えていました。
実はこの艦長は、
緊迫した場面で取り乱す人間で、
また偏執狂的な側面も強くあったのですが、
裁判自体は、艦長が勝利するものと思われていました。が、
船員たちに優秀な弁護士が付いたことで、
彼らの側が勝利するのです。
そして彼らが勝利の美酒に酔っていた会場に、
くだんの弁護士が現れます。
そしてなんと、かれらに言うのです、
本当は艦長の弁護をしたかった、
わたしが法律を勉強し、
君たちがプリンストンにいたころ、
艦長(的な人たち)は、銃を取って戦っていたのだ、
しかも君たち(インテリ)の中には、
裏切り者がいるじゃないか、と。

この演説は、
映画の中で浮いています。
でもだからこそ、
ここは重要なのです。

これは川本さんの本(『映画の戦後』)の受け売りですが、
この大演説の背後には、
あの「赤狩り」があるのだそうです。
そう、この作品の監督エドワード・ドミトリクは、
あの「ハリウッド・テン」の一人で、
出所後は「転向」し、
「密告者」となった人です。

船員たちは、「赤」だとされた「インテリ」たちの比喩、
船長は、彼らを糾弾した「大衆」。
映画内で、
ドミトリクはあえて「インテリ」に勝利させ、その上で、
本当は「大衆」の応援をしたかった、
と言っていることになります。
自分を「転向者」「裏切り者」と呼んだ「インテリ」たちに対し、
自分の中にある「大衆」へのシンパシーを提示してみせたと。

おもしろい指摘で、
実際見てみて、
なるほどと思いました。
つまり、「赤狩り」は、
単なる左右の対立ではなく、
東部の裕福なインテリと、
南部などの大衆の対立だったわけですね。

Wozniacki, Serena, Naomi...

オーストラリア・オープン、
今日は、朝から楽しみにしていた、

大坂ナオミ vs. ココ・ゴフ

の試合がありました。
ココはステキだけど、
まあ勝つことはないだろうと思っていましたが、
なんと、圧勝でした。

フォアハンド、
見ていると、
ナオミは、後ろが小さくてフォロースルーが大きく、
ココは逆に、後ろを大きくとってその勢いで振ってきます。
今、男子プレーヤーのほとんどは、
ナオミ的なスイング。
実際ナオミは、
フェデラーのように振りたいと言っていたことがありました。

ただ今日のナオミは、
ミスが多かった。
チャンスボールを何度も、
ネットしたりオーヴァーしたり。
テニスにおける最大の真理は、
「ミスしたほうが負ける」でしょうから、
今日は勝ち目がなかったですね。

それにしてもココのサーブは早い。
180km以上出てたので、
それこそフェデラー並みです。
(まあフェデラーは、全力で振らず、
コースを狙ってそのスピードですが。)

そして、
これも驚きでしたが、
セレーナとウォズニアッキも負けてしまいました。
女子は、群雄割拠の戦国時代と言われていますが、
まさにそんな感じですね。
次の興味は、準決勝で当たるはずの、
バーティ― vs. クビトバ。
この勝者とココが決勝で当たるようなことがあったら、
これは大注目ですね。

2020年1月23日木曜日

C'est mon frère qui joue.

昨日、弟が打ち合わせにきました。
で、ついでに演奏もしてもらいました!
曲は自作。
ギターは 愛用の Gretsch。
画像はイマイチですが、曲だけでも。



2020年1月21日火曜日

パリ13区に「デヴィッド・ボウイ通り」!

東京にも作って!

https://www.francetvinfo.fr/culture/musique/david-bowie/bientot-une-rue-david-bowie-a-paris-annonce-le-maire-du-13e-arrondissement_3780459.html

Life on Mars を奏でる教会の鐘も出てきます!
誕生日のお祝いだったようですね。

"Sex Education"

https://twitter.com/brutofficiel/status/1218473605094182913

フランス語字幕付いてます。

"L'éducation sexuelle, c'est un truc qu'on n'a presque pas à l'école. Du coup, comme ressources, il y a quoi ? Il y a le porno. C'est pas ouf." 「セックスについての教育って、学校じゃほとんどやってくれない。 じゃあ、どっから学ぶ? ポルノでしょ。それじゃだめじゃん」

至近距離からゴム弾

フランス警察が、デモ隊に対して、
至近距離からゴム弾を発射している現場を捉えているヴィデオです。

https://www.lemonde.fr/police-justice/video/2020/01/10/video-le-tir-de-lbd-a-bout-portant-d-un-policier-pendant-la-manifestation-du-9-janvier-a-paris_6025477_1653578.html

こんな警官に、
こんな武器を持たせること自体、
ダメでしょう。
(罪には問われないようです。)

2020年1月19日日曜日

De sas en sas

Zita Hanrot つながりでもう1本、

De sas en sas     (2016)

を見てみました。

https://www.youtube.com/watch?v=B-ExdPmMYjc

監督は、なんとラシダ・ブラクニ。
彼女にとっては、初の監督作品です。
出演はしていません。

この映画は、いわゆる群像劇で、
映画内のほとんどの時間は刑務所内です。
看守以外の登場人物たちは受刑者ではなく、
受刑者に面会にやってきた人たち。
で、彼らは、2人以外すべて女性。
アラブ系の女性が多く、
ヴェールをしている女性
(彼女は、義理の母親に連れられて、
まだ会ったこともないフィアンセに面会するのです)、
妊娠中の女性、
ちいさな女の子をつれた白人女性もいます。
で、
彼らは酷暑の中予定を合わせて面会に来たわけですが、
なぜか、なかなか面会にたどりつかない。
(タイトルの sas は、おそらく「エアロック」のことで、
エアロックにとざされた空間を移動させられる感じでしょう。)
こちらで待たされ、あちらで待たされ、
どこかで騒動が起き、
看守は姿を消し……
というわけで、
映画は次第に不条理劇の様相を呈し、
その中で、
女性同士の小競り合いが、
そして大げんかが勃発し……
という映画です。

演劇的な感じは、
たとえば『ガザの美容室』に似ているところもあります。
あちらも、出られなくなる物語でした。
『出口なし』、の系譜ですね。

2020年1月18日土曜日

Rally for Relief

もうすぐ、
オーストラリアOPが開幕します。
ナオミもココもクビトバもセレーナも出ていて、
楽しみです。が、
オーストラリアといえば、
気になっているのが火事。
ビデオなどで見ると、
たしかに、こんなにひどい燃え方は、記憶にない気がします。
人間にとっても植物にとっても動物たちにとっても、
なにもいいことはない。
早く大雨が降ることをずっと願っています。

で、
その応援のためのイヴェント、Rally for Relief。

https://www.youtube.com/watch?v=rrXBj5mpt8U&t=2405s


La fête est finie

Fatima で注目された、ジャマイカ系の父親を持つ Zita Hanrot と、
Clémence Boisard が共演した、

La fête est finie (2017)

を見てみました。

https://www.youtube.com/watch?v=B4TNIxLTWpk

これはなかなかハードな内容でした。
まず、セレストゥ。
まだ19歳の彼女は、薬物依存症です。
あらゆる薬物に手を出し、
深く依存し、
母親や友人に暴力をふるっていました。
そしてシエム。
26歳になる彼女は、
アラブ系の知的な家庭で育ちました。
父親も、自分を含めた三姉妹も、
みな法律を勉強し、
妹は実際企業弁護士として活躍しています。
でもシエムは、
勉強を半年で放棄し、その後、
薬物依存となり、
恋人の子どもを妊娠したものの、
摂取していた薬物のせいで妊娠を継続することができませんでした。
物語は、
セレストゥとシエム、
この二人が、たまたま同じ日に、
薬物依存治療のための収容所に到着するところから始まります。

幼い闘士のようなセレストゥと、
プライドの高いシエムは、
最初誰とも打ち解けなかったのですが、
同室になった二人は、
このセンターへの反発を共有し、
しだいに仲良くなってゆきます。
で、一緒にお風呂に入っている姿に、
同性愛行為を疑われ、
その他の逸脱行動とも合わせ、
出て行かされるのです。
(このセンターでは、性的な行為はご法度です。)
そして、本当に大変なのは、
町に戻ってからでした……

正直言って、
やや重い映画です。
薬物依存者たちの会合が繰り返し登場し、
また基本的に二人も重荷を抱えている状態だからです。
(会合の場面は、
ローレンス・ブロックのマット・スカダー・シリーズの、
アルコール依存者の集会を思い出させます。)
そしてそう感じながら見ていたのですが、
ラストは、よかった。
決して「これでよし」というようなものではないのだけれど、
たとえ失敗しながらでも、
なんとか二人はやっていくだろうと思えたからです。
女性の友情を描いた映画って多くはないですが、
これは、間違いなく(やや特殊ですがですが)その1本です。

(「女性の友情を描いたフランス映画」というテーマで、
論文が書けそうな気もしますね。
すぐに思い浮かぶのは、
『女はみんな生きている』や、

http://tomo-524.blogspot.com/2015/06/cheba-louisa.html

http://tomo-524.blogspot.com/2015/06/bande-de-filles.html

http://tomo-524.blogspot.com/2011/02/blog-post_21.html

くらいですが、もうこれだけでも書けそう、かな?)


女優二人も、ともによかったです。
クレマンス・ブワサールのほうは、
これにも出ていました。

http://tomo-524.blogspot.com/2016/07/gare-du-nord.html

これもまた見たいです。

Frères ennemis

レダ・カテブとマティアス・スーナールツ主演の映画、

Frères ennemis    (2018)

を見てみました。
よかったです。

https://www.youtube.com/watch?v=iQQ75Pa5mNI

まず、舞台の中心となるのは、ここ。


背後に、特徴あるTDF の姿が見えています。
で、TDF 周辺の Leader Price をグーグル・マップで探してみると、
ありました。
リラとロマンヴィルの境界あたりのシテです。
(このあたりは以前、
Cheba Louisa という映画のフィールドワークで歩きました。)
このシテで、
主人公たちは兄弟のように育ち、
やがて、ドリス(レダ・カテブ)は麻薬取締官となり、
マニュはディーラーとなりました。
その二人が「対決する」という宣伝文句でしたが、
実際にはもっと複雑で、
勝ち負けを決めるような単純なものではありませんでした。

イムラーヌは、マニュの相棒でしたが、
同時にドリスに情報を提供するスパイでもありました。
そして、ある日麻薬を運搬中に、
イムラーヌが撃たれて死にます。
マニュは命からがら逃げ出したものの、
この犯行の首謀者だと周りから思われ、行き場をなくしてしまいます。
そこに現れたドリスは、
警察に協力すれば助けてやると申し出ます……

先日見た潜水艦の映画の中で、
レダ・カテブは優秀な艦長でした。
そこでは、彼がアラブ系であるかどうかはまったく問題にならず、
それをあえて指摘することは、
過剰なラベリングにさえ感じられるほどでした。
でも、今回は違います。
まず映画冒頭、
別の事件でとあるアジトに踏み込んだドリスたちが、
現行犯でディーラーたちを逮捕するシークエンス。
捕まったアラブ系の犯人の一人は、
ドリスに向かって、
アラビア語で声高に叫ぶのです。
そのときドリスはフランス語で、
「おれはアラビア語なんかわからないよ、バカ野郎」
と返すのです。
そうか、そういう世代のアラブ系なのだな、
と思うのですが、
映画の後半、
ある時、苦しい思いを抱えたドリスは、
どうやらかなり疎遠になっている実家を訪れます。
父親は冷たく、何しに来た、と突き放し、
ドリスは「会いたかったんだ」と返すのですが、
このシークエンスでの会話はすべて、
アラビア語で行われるのです。
ドリスは、アラビア語がちゃんとできるのです。
そして考えてみれば、
この映画の大きな主題の1つは、
自分の出身コミュニティーから出て、
なおかつ、
それと対峙する仕事を選んだドリスの、
深い葛藤なのでした。
シテ出身であることを生かして麻薬捜査部に入り、
かつての仲間を「情報源」となることを強い、
それがためにその「情報源」が殺され、
なおコミュニティーで生きる父親とは断絶状態。
でもドリスは、
友人も父親も愛している……

フィルム・ノワールが、
(加藤幹朗氏が言うように)
「映画が始まった時にはすでに失われているもの」
を巡る物語であるとすれば、
ここではそれは、
ドリスの古いアイデンティティーだということになるのでしょう。

監督は、以前この映画を撮った人です。

http://tomo-524.blogspot.com/2016/08/loin-des-hommes.html

こちらもやはり、レダ・カテブでした。

2020年1月17日金曜日

セルフ・メイド・マンとリバタリアン

今週の大学院のゼミでは、
クリント・イーストウッド監督の話をしました。
まず、
このところゲストで遊びに来ている学部4年生に発表してもらって、
みんなでそれについて話すという感じで。

彼のこのところの映画は、
レイシストでセクシストでいい人、
という主人公が登場するわけですが、
これは、どんな文脈に置けばいいのか。
クリント・イーストウッドの場合、
もちろんその出発点は西部劇で、
となれば、そこで提示されるのは、
いわゆるセルフ・メイド・マン、
独立不羈で、
自分のことは自分で片を付けるぜ、という人間。
これこそが、
イーストウッドの映画的ペルソナの出発点だと言えるでしょう。
これはまた、「アメリカ国民」の理想の原像だとも言えそうです。

彼の初監督作品は『アウトロー』で、
これは、妻と息子を無残に殺した北軍とその一味に、
イーストウッドがやがて復讐を果たす物語です。
この北軍と、敗れた南軍の対立の構図は、
図式的に言えば、その後は、
東部的インテリ&リベラル&小金持ち vs. 大衆、
の対立とパラレルに考えることができるでしょう。

そして、変化してゆく現実の世界、
管理が強まってゆく拝金的資本主義時代において、
セルフ・メイド・マンは生きにくさを感じます。
(イーストウッドはいつも不機嫌です。)
で、
アメリカ国民の理想にして大衆でもある「イーストウッド」は、
ダーティー・ハリーとして「正義」を体現し、
また『グラン・トリノ』などでも老退役軍人として、
やはり「正義」を実現しようとします。
この、生きにくさと「正義」の結託が、
大衆としてのイーストウッドのテーマなのでしょう。

わたしが興味を惹かれるのは、
イーストウッドのセルフ・メイド・マンは、
リバタリアンにはならなかった、
という点です。
もちろん彼は共和党支持だし、
銃規制には反対だし、
オバマを揶揄したりもしてましたが、
『アメリカン・スナイパー』はアメリカ軍の話だし、
ダーティー・ハリーは警察官(公務員)だし、
マイノリティーを助けたりもするわけです。
リバタリアンは、
公務員は減らせ、という立場でしょうから、
彼を主人公にしはしないでしょう。
この点、
論理的にはリバタリアンに繋がるセルフ・メイド・マンを描きながら、
そこまではには至らなかったのはなぜなのか、
そこに興味がわきます。

明日(というか今日)は、
イーストウッドの新作の公開日です。
院生たちは、初日に見る、と言ってました。

2020年1月14日火曜日

Les Invisibles

今日見たのは、

Les Invisibles (2018)

つまり「見えない者(物)たち」というタイトルの映画です。
この映画も、去年の「フランス映画祭」において、
『社会の片隅で』というタイトルで、
4日間だけ公開されたようです。

https://www.youtube.com/watch?v=NaYUuvYXN_I

ベルギーとの国境に近いアンザン。
ここは、『ジェルミナール』の元になった事件のあった土地で、
明らかにその文脈が感じられます。
この町にある、
女性ホームレスたちのための、
日中の収容施設が舞台です。
この施設で身を粉にして働いているのは、
職員のオドレーと、
施設長のマニュ、
そしてヴォランティアのエレーヌです。
そしてここには、日中を過ごすため、
あるいは食事やシャワーのために、
女性たちが集っています。
ヨーロッパ系白人も、
アラブ系も、
アフリカ系もいます。
ただ、この施設に来ている女性たちは、
社会復帰率がとても低い。
それは職員たちが甘やかすからだ、という理由で、
この施設は閉鎖されることになります。
そしてここから、物語が動き始めます。

マニュたちは、
閉鎖どころか、
上層部に隠れ、
この施設で寝泊まりすることを許します。
ただそれはあくまで、
女性たちが社会復帰するのを助けるため。
つまり、
社会と向き合うための尊厳を取り戻させるためです。
もちろん、求人も限られてはいます。
それでもより重要なのは、
女性たち自身の尊厳なのでしょう。
(マニュには、アフリカ系の養女がいます。
彼女も、幼いホームレスでした。)

映画の中で、こうした女性たちを演じているのは、
実際にホームレスだった人たちです。
だから、と言っていいのかどうかわかりませんが、
部分部分は、とてもドキュメンタリー風です。
こうした「見えない」存在の女性たちにスポットを当てること、
それがこの作品のキモであるのは、誰が見ても明らかでしょう。

ただ一方で、
オドレーの葛藤、
つまり、こんなに安い給料でこんなに尽くして、
カレシも家もお金もなくて、
わたしには何にもないじゃない!
という嘆きも描かれます。
またエレーヌも、
実は夫が離婚したがっていて、
でも自分は別れたくないという状況の中で、
ヴォランティアに打ち込んでいるわけです。
(オドレーを演じるのは、
Tout ce qui brilleの体操コーチ、
あるいは『パリ未成年保護特別部隊』の、
赤ちゃんを揺すって補導されるお母さん、
を演じた彼女です。
そしてエレーヌは、
『カミーユ、恋はふたたび』に主演していた、
ノエミ・ウヴォヴスキです。

ケン・ローチの『ダニエル・ブレイク』と並べると、
英仏の「貧困」が置かれた状況が見えてきます。
日本版DVDが出れば、授業で使いたいです。
(ぜひ出してください!)

2020年1月13日月曜日

Le Chant du Loup

オマール・シー、
レダ・カテブ、
マチュー・カソヴィッツ、
という、珍しい組み合わせのキャスティングの映画、

Le Chant du Loup  (2019)

を見てみました。
アントナン・ボードリ監督にとっては、
初の長編作品です。
あくまでエンターテインメント映画としてですが、
かなりよくできていると思いました。
軍事用語が多くて、フランス語は難しかったです。
(日本では、フランス映画祭で、1日だけ公開されたようです。)

https://www.youtube.com/watch?v=0-LTTNiGgUA

潜水艦もの、というと、
『レッド・オクトーバーを追え』とか、
『Uボート』とかを思い出しますが、
今ちょっと調べてみると、
実際には、かなり作られていました。

主人公は、「黄金の耳」を持ったショーセット。
(靴下を忘れてことがあって、このあだ名。)
彼は、音を聞けば、その実体が分かるという特殊能力があり、
しかも、それを使って分析官の仕事をする訓練を受けた若者です。
たとえば、
キーボードにパスワードを打ち込む音を聞いて、
あとからそれを再現できちゃったり。
そんな彼が潜水艦に乗り込み、
敵の動きに耳を澄ますわけです。

2時間超の映画は、およそ3部に分かれていて、
最初は、シリア沖でフランス兵を迎える予定が、
なんとショーセットの判断ミスにより、
大変な危機に陥る物語です。
中盤は陸の上。
いろいろ調べるうち、
あれは判断ミスではなく、
そもそもの軍のリストにエラーがあったことが判明。
その実体は、旧ソ連の潜水艦でした。
そして終章は、
原子力潜水艦と、それを見送る潜水艦が出航し、
その後なんと、
ベーリング海峡からフランスに向けて、
核ミサイルが発射されたという情報が入り、
一気に緊張が高まり……

潜水艦という閉鎖空間は、
それだけである緊張をもたらしますが、
その緊張が高まるような演出がなされていて、
飽きるところがありません。
エンタメとして成功している所以です。
ただ、
この手の映画の判断はいつもビミョーです。
どうしても、フランス国家に奉仕するものたちの美学、
ないし、
軍人として生きる潔さ、
みたいなものがにじみ出てしまい、
それに完全に乗ることは不可能だからです。
ただこの映画は、
たとえば『ゼロ・ダーク・サーティー』ほどの、
露骨なプロパガンダ感はなく、
「アクション映画」に徹している感じはあります。

ちなみに、
褒めている批評が多い中、
ヌーヴェル・オプスは、
ストーリーが馬鹿げてるばかりじゃなく、
キャスティングも全然ダメ、
と切り捨てていました。

2020年1月12日日曜日

Les Hommes du Feu

ロシュディ・ゼム主演の映画、

Les Hommes du Feu (2017)

を見てみました。

https://www.youtube.com/watch?v=3o465FtbhfM

舞台は、南フランスの Bram。
(Toulouse の近くです。)
その人口800人強の村の、消防隊が描かれます。

これが、思いのほかよかったです。
今までに見た Pierre Jolivet 監督の作品の中では、
これが一番よかったかな。
消防隊の物語ですから、
いわゆる「ヒューマン・ドラマ」みたいなものかな、
と思って見始めたんですが、
(実際、ゼムが出ていなければ、
DVDを買ったりしなかったでしょう。)
むしろフランス南部の日常が垣間見えるように作られていて、
そこが魅力です。
たとえば、
ワイン醸造所から、タンクに落ちた人を救って欲しい、
と連絡があったり、
もっとも “sensible”  な地区の消火活動では、
「荒れるワカモノたち」に邪魔されたり、
アフリカの民族衣装を着た女性たちばかりが暮らすアパルトから救援要請があり、
行ってみるとそこには、
今にも出産してしまいそうな女性がいたり。
そしてこの最後のケースでは、
彼女も周囲の女性たちも、
一言もフランス語が話せず、
彼女を救急車に乗せて搬送する途中、
赤ちゃん(しかも双子!)が生まれてしまうのですが、
そのときの隊員たちの必死さは特筆ものでした。
そして二人の若い男性隊員は、
二人の赤ちゃんの名付け親になるのですが、
彼らはそれをとても自慢にして、
赤ちゃんたちの写真をみんなに見せて回るという、
ほほえましくて感じのいいシークエンスもありました。
(隊員の中には、
完全な性差別主義者で、しかもいい人、もいます。)

そういえば、
落ち込んだ女性隊員を励ますために、
隊長がある歌の歌詞を引用するのですが、
それが、
(映画の中でバンド名は示されないのですが)
レーナード・スキナードのこの曲でした。


レーナード・スキナードといえば、
あれは高校生の頃、
「セカンド・ヘルピング」というアルバムをよく聞きました。
まあ、サザンロックは「田舎臭い」ということになっていますが、
その時期はよく聞いていました。
(チャイコフスキーも、ちょっとそんな感じ?)
このバンドの曲が選ばれたのは、
フランスとアメリカの「南部繋がり」なんだろうと想像しています。

2020年1月9日木曜日

紙を選ぶ

今日、
写真集の打ち合わせのため、
池袋の近くにある印刷会社に行ってきました。

幹線道路から少し引っ込んた、
中くらいのビルが立ち並んでいる地区。
目指す印刷会社のビルも同じくらいの大きさで、
ただし、
ビルの前の、
車3台分ほどの駐車スペースに入った途端、
インクのにおいが漂ってきました。
1階で、実際に印刷が行われているのが、
チラリと見えました。

ここは、写真集を多く手掛けている印刷会社で、
担当の方も、
知識豊富でいろいろ教えてくれます。
打ち合わせをしたスペースには、
何本も本棚があり、
そこは写真集で埋め尽くされています。
今日は特に、
紙を選びに行ったのですが、
実際のさまざまな写真集を見せてくれて、
この紙は○○、こちらは○○……
と言う感じで説明してくれるのです。
いろんな要素がありますが、
やはり、「黒」のノリ具合は、
重要なポイントなのでしょう。

もちろん、
たとえば参考書を作るときでも、
編集者と一緒に紙選びをしたことはありますが、
それは読者にとっての見やすさ、使いやすさ、
がポイントでした。
今回はそれが、
たとえば「黒」の表現力、
ということなので、
やっぱり同じではなかったです。

おもしろい経験でした。

2020年1月6日月曜日

スト

フランスでは、
鉄道ストが長引いています。
仕事明けにちゃんと電車が動いていなくて、
イラッとすることも当然あるでしょう。
でも、
今朝のフランスのニュースでの、
街頭インタヴューを見た限りでは、
もちろん「さっさとやめて」と言う人もいましたが、
「こっちも大変だけど応援する」と答えていた人も少なくなく、
このへんはさすがだと思いました。
このストが、引いては自分や、
自分の子どもを含む若い世代にも、
いい条件を作ってくれるだろう、と言うのです。
その通り。
ことは、スト決行者だけの問題ではないわけです。
こういう発想が、
日本でも広まるといいと思います。

夜郎自大な

お正月早々から、
アメリカによる「テロ攻撃」のニュースがありました。
行為そのものは言うまでもなく、
驚きだったのは、
まずアメリカの情報収集能力。
その場所にイランの司令官がいて、
彼と通じているイラクの人間もいる。
この瞬間を、ピンポイントで、しかも無人機で攻撃できる。
これは他の国々に対する強い威嚇にもなるのでしょう。
また、
トランプ大統領の暴走ぶりも、相当な感じ。
どこかで指摘がされていましたが、
彼の手に、核爆弾発射装置が握られていることは、
とても怖いことです。
今回の攻撃が、
選挙活動の一環であり、
弾劾から目を逸らせるためだったとしても、
とにかく「やる」人なわけです。
彼はしばしば「サイコパス」だと指摘されますが、
これもマイナスの情報でしょう。

それにしてもアメリカは、傍若無人&夜郎自大です。
ビン・ラディンの時だって、
パキスタン政府を無視して作戦を決行したわけですし。

トランプ大統領は、
「覇権」からじりじり後退し、
多極化構造を目指しているのでは?
とも言われてきていますが、
そう簡単には、
覇権の味は忘れられないのかもしれません。

2020年1月5日日曜日

最低賃金

年末のニュースですが、
イギリスは、
「最低賃金」を6%以上引き上げるようです。

https://www.huffingtonpost.fr/entry/smic-royaume-uni-boris-johnson_fr_5e0b1994e4b0843d360b98f6?ncid=other_twitter_cooo9wqtham&utm_campaign=share_twitter

で、フランスの最低賃金は抜かされることに。
ちなみに、フランスもイギリスも、
1200円を超えています。

まずはここから

今日は1日かけて、
「まいにちフランス語・3月号」のテキストの、
ゲラ直しでした。
放送はまだ折り返しに差し掛かったところですが、
テキストのほうはもう3月号。
終わりが近づいてきました。
(3月号もおもしろいです。期待してください!)
「仕事はじめ」、
という感じです。


今年は、
早ければ3月、遅くとも5月くらいまでには、
パリの写真集を出す予定です。
タイトルは、

Paris / Diaspora  (『パリ/ディアスポラ』)

としました。
「ディアスポラ」というのは、
もともとは、ユダヤ人の「離散」のことだったのですが、
今では、もっと一般的な「離散」に使うことのほうが多いようです。
フランス語の diaspora なら、
離散してきた人が作るコミュニティ、
の意味にもなります。
自分としては、
なかなかいいデキだと思っているのですが……。

それから3月には、
これは大学の紀要なのですごく地味ですが、
論文が1つ掲載されます。

「クレテイユ映画の前線」

という題で、
パリ郊外クレテイユを舞台にした映画を、
まずは網羅的に見て整理し、
それから中でも画期的だと思える作品

Tellement proches

について、詳しく論じました。
この映画は、残念ながら日本未公開なんですが、
監督は、『最強のふたり』をとった二人組です。
しかも、『最強のふたり』の直前の作品で、
オマール・シーも出演しているコメディーです。

https://www.youtube.com/watch?v=cMOqwjo5_-U&t=6s

クレテイユに住む夫婦と子どもたち、
そしてパリの、モンマルトルの裏手に住む妹夫婦と子ども、
この2組の家族が、
仕事、宗教、教育、恋愛……を巡ってさまざまに対立したり、
また和解したり。
広く言えばファミリー映画だとも言えますが、
わたしは映画の中の空間の構造に注目して書きました。
少ししたら、
ネット上で読めるようになると思いますので、
もしよろしければ!
(100枚ほどなので、ちょっと長いです。)

まずは、ここまでちゃんと仕上げたいと思っています。
今年の前半の目標、ということにします!

2020年1月3日金曜日

初対戦

今日、義弟と将棋を指しました。
彼とは、もう何度も会っていて、
かなりいろいろ話してもいるんですが、
今日は、ふとした流れで将棋の話になり、
じゃあちょっと指してみよう、ということになったのでした。

わたしは、ほぼ毎日、
1~2局は(モバゲーで)指すので、
このところ、明らかに力は下降気味ですが、
まあ指し慣れてはいます。
(中学の時は将棋部でした。)
一方彼は、もう10年ぶり? という感じなので、
正直なところ、
あまり本気でやらないほうがいいかな?
くらいのノリで始めたんですが、
まったく予想と違って、
彼は強いのでした!

で、指しながら訊いてみると、
なんと、稚内での小学校時代は、
将棋の道場に通い、
そこには、
後の「永世クイーン名人」、中井広恵名人もいらしたとか。
しかも、彼女に勝ったことがある!
(まあ、相手は「角落ち」だったそうですが、それでも、ね。)

相矢倉戦からのシーソーゲームの末、
今回だけはわたしが辛勝したのですが、
ちょっと勘を取り戻せば、
彼のほうが明らかに強いと感じました。
それにしても、稚内の道場の話は、
驚きでした。

2020年1月2日木曜日

2020年1月1日水曜日

Bonne année !


明けましておめでとうございます。
本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
みなさんにとって、よい年になりますように……。

で、
2020年最初にコメントする映画は、

Joueurs

です。

https://www.youtube.com/watch?v=7IJrElxp4Tc


タハール・ラヒム主演、
しかも彼が「博打打ち(joueur)」を演じるということで、
期待して見始めました。

パリの、なかなかいい感じのビストロ。
シェフと二人の娘、そして従業員も7,8人。
繁盛してる店です。
そこに、一人の若者が、ホール係のバイトとして採用されます。
彼、アベル(ラヒム)は、
ある夜の閉店後、
シェフの娘エラと二人になった時、
レジのお金を持って逃げ出します。
エラは追いかけ、メトロまでも追いかけ、
でも結局、アベルに引きずられるように、
とある秘密カジノにやってきます。
アベルは言葉たくみにエラを誘い込み、
ビギナーズラックでちょっとした大金を得ます。
アベルは、根っからの賭け事師だったのです。
そしてここから、
「かたぎ」の生活をしていたエラの、
愛と転落の物語が始まります……

前半、エラが賭け事とアベルの魅力に引き込まれていくくだりは、
なかなかよかったです。
ラヒムは、こういう、やさしげなワルを演じさせると天下一品。
惚れてしまう女性たちは少なくないだろうな、と思います。
ただ、映画としては、
中盤から後半がやや精彩を欠く、というか、
まとまりがない、というか、
ベタである、というか。
収斂して盛り上がっていく感じが足りないと思いました。
そこが、『ボニーとクライド』になれなかった点でしょう。

パリのカジノは、今はほとんど閉鎖されていて、
残っているのは、
クリシー広場近くの、
クラブ・モンマルトル、くらいのようです。
これです。


で、もちろんこのカジノも、映画の中に登場します。

また出てくる場所は、
サン=ドニ、サンティエ、クリシー、レピュブリック、などで、
しかもその「夜」の世界が中心です。
そこには、アラブ系はアフリカ系の人たちも多く、
その辺は、「メイン・ストリーム」とは違っています。
ただしこの流れ自体は、
2000年以前から始まっていましたね。
(たとえば『チャオ・パンタン』にも、
アラブ系もユダヤ系もいました。)

エラを演じたステイシー・マーティンは、
今調べたら、
リドリー・スコットの『ゲティ家の身代金』にも出てるんですね。
見てみましょう。