2018年7月31日火曜日

Awa Ly

『我らの生活』の中で、
セネガル系移民を演じていたのは、
歌手のAwa Ly でした。
実際にセネガル系である彼女は、
パリ生まれですが、
今は拠点をイタリアに置き、
歌手としての活動をメインに続けています。

https://www.youtube.com/watch?v=wCH6Z2D4dug

英語、フランス語、イタリア語、ができるんですね。

『我らの生活』

気分転換(?)にイタリア映画も、と思って、

『我らの生活』(2010)

を見てみました。(Amazon Primeで。)

https://www.youtube.com/watch?v=ZPhnlYtwRgs

これは……
いいとかどうとかいう以前に、
わたしにはグッとくる映画でした。

建設現場で働くクラウディオ。
可愛らしい妻は妊娠中で、
これが3人目の子供です。
イケヤでの買い物も、とっても幸せそうです。が、
出産の時、母親は命を落としてしまいます。
3人の子供と、若い父。
それぞれの悲しみ、それぞれの寂しさ……。

そして若い父は、作業員を辞め、
お金を工面して、下請け業に乗り出します。
お金があれば…… と、彼は考えたのでした。
(それは消費的資本主義社会においては、
一面の真実ではあるのでしょう。)
けれども、この事業はうまくいきません。
工期は遅れ、支払いは遅れ、
不法移民の作業員たちは彼を見限ります。
出口なしに見えたその時…… というお話。

そして物語には、
2つのサブストーリーがあります。

1つは、クラウディオが作業員をしていたころ、
建設中のビルのエレベーターの穴で見つけた死体に関することです。
この死体は、
ルーマニア系移民である警備員のものでした。
しかしクラウディオはそれを警察に通報せず、
事業主の社長と一緒に放置したのです。
「飲んだくれで、使い物にならない奴。
家族もいない」と社長は言っていたのですが、
ある日、今ではクラウディオが仕切っている現場に、
亡くなった警備員の息子と、内縁の妻が現れます。
クラウディオは「知らない」と言いますが、
良心の呵責からか、
この妻が働く海の家の工事の手配を引き受けます。
そして、ティーンエイジャーに見える息子も、
クラウディオの現場働くことになります。
つまり……
もう1つの「父と子」が、ここに置かれるわけです。
このルーマニア系の息子の言動、
特に、「金さえあれば」という態度に対する批判は、
クラウディオのボディーにじわじわ効いてゆくのです。

もう1つは、クラウディオをお隣さん、
アリとチェレスタのカップルの物語です。
車椅子に乗った麻薬の売人、アリは、
それなりに年配に見えます。
一方、セネガル系のチェレスタは、
2人の間の子供を抱えながら、
クラウディオの子供たちのシッターも努めています。が、
食事中でもなんでも、
顧客である「娼婦たちがローマ中から」集まってくる生活に、
やがてチェレスタは耐えられなくなります。
セネガルに帰る時が来たのです……

クラウディオの思想に、
全面的に賛成できるわけではありません。
むだにマッチョな部分だってあります。
それでも彼は、変わります。
いい父になろうとしています。
子供たちは、これからは、
安心して暮らせるでしょう。

2018年7月30日月曜日

『ガッジョ・ディーロ』

このところ、トニー・ガトリフを2作見たので、
ついでにもう1本、

『ガッジョ・ディーロ』(1997)

を見てみました。

https://www.youtube.com/watch?v=YcCnSeAm-2U

ロマン・デュリス演じるパリジャンが、
ある女性歌手を探して、
ルーマニアのロマの村にたどり着きます。
で、なぜか、村のおじいさんに気に入られ、
強引に引き留められ、
そのまましばらく村に滞在するうち、
村の美女と仲良くなって……というお話。

これは、先日見たDjam から見ると、
20年も前の作品ですが、
ガトリフがやりたいこと自体に、
大きな変化ないように思います。
ただ、Djam はもちろん、
『トランシルヴァニア』と比べても、
やや軽さがないように感じました。

『善き人のためのソナタ』

そういえば見てなかった、と思って、

『善き人のためのソナタ』(2007)

を見てみました。

https://www.youtube.com/watch?v=UM_jFjwojNU

ドラマの背景として描かれているのは、
東ドイツという監視社会。
今見ると、他人事とは思えませんが、
公開当時もおそらくそうだったのでしょう。
(今のほうが、逼迫しているでしょうが。)
全体に緊迫感があり、
大人の俳優たちが演じているため、
落ち着いて見られました。

そして描かれているのは、1984年なんですが、
これって、あの『パレードへようこそ』の舞台と同じ年です。
今回の映画でも、終わり近くには、ゴルビーも登場。
サッチャー・レーガンがいて、
(少し前からですが)鄧小平がいて、
ゴルビーがいて、
ベルリンの壁が壊れて……。

やはり80年代は重要だと感じる今日この頃ですが、
あの頃院生だったわたしは、
当時なんとぼんやりしていたのでしょうか。
もっとちゃんと、
世界のことを勉強していればよかった!

『おじいちゃんの里帰り』2

先日、この映画をゼミで見たと書きました。
で、授業後、ゼミ生たちに補足したメールを出しました。
それを、ここにも貼ってしまいましょう。

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昨日お話したことに、少し補足します。
ポイントは、「語り(ナラティヴ)」です。

Nくんが、映画の中の、

トルコ → ドイツ :現在
トルコ ← ドイツ :過去

という2つの交差する方向(オリエンテーション、ヴェクトル)を
指摘してくれました。
で、これは

現在 :物語(として描かれる)
過去 :回想(として語られる)

ことになるわけですが、問題は、この「語られる」ということです。

語るのは、3世(で妊娠中)のチェナン。
けれども、語られる内容は、
明らかにチェナン自身は体験していないことばかりです。
中心には、もちろん「おじいちゃん」である1世の記憶があるわけですが、
中には、トルコにとどまったいた「おばあちゃん」が、
銀行(?)でお金を受け取る場面もあり、
これは「おばあちゃん」の記憶です。
つまりこのチェナン語りは、いわば「ニセモノ」であり、
彼女の肉体(=声)を通して実際に語っているのは、
「おじいちゃん&おばあちゃん」、
つまり1世たちだということになります。
これはなにを意味するのか?
これは、チェナンと「おじいちゃん&おばあちゃん」の、
一体化、ないし同一化、だと言えるでしょう。
だから、ラストで語られる「我々」についての「思想」は、
きわめて1世的なものになったのだと言えるでしょう。

さらに、

チェナンが語る相手は、やはり3世のチェンクです。
彼の場合は、話を聞くプロセスが、
一体化、同一化のプロセスになっています。
というのも、最後の演説の場面、「おじいちゃん」の言葉は、
チェンクの肉体(=声)を通して提示されるからです。

つまり、

チェナンがチェンクに「語る」という構造は、
この二人の3世に対して、
(それぞれ別の形ではあるけれど)
1世との同化をもたらすことになっている、
と考えられるわけです。

この先には、当然、
ナショナル・アイデンティティーと
エスニック・アイデンティティーの問題が横たわっています。
しかもドイツは、「国」として、
多文化主義を掲げたことはありません。
受け入れると言っていただけです。
考えてみてください。

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肉体、というより、
身体、と言ったほうがよかったでしょうか?
でもここは、肉体な感じなんですよね。

『トランシルヴァニア』

数日前、
トニー・ガトリフの Djam を見ましたが、
トニー続きということで、

『トランシルヴァニア』(2006)

を見てみました。
主演は、ファティ・アキン作品でお馴染みの、
ビロル・ユーネルです。
今回の彼も、
タナトスが強めの役で、
なかなか魅力的でした。

https://www.youtube.com/watch?v=OXDI_WOKLZA

ガトリフの映画らしく、
音楽はやっぱり重要なんですが、
お話そのものは、ちょっと逸れていくというか、
滑っていくものでした。
(もちろん、本当の主人公は、
こうしたもろもろのトポスとなるトランシルヴァニアだ、
とも言えます。)

イタリア人のジンガリーナは、
フランスから海外追放された恋人を探して、
ここ、ルーマニアのトランシルヴァニアにやってきます。
彼女は妊娠しているのです。
そして、あるお祭りの途中、
ミュージシャンである恋人を見つけるのですが、
彼はあまりに冷たく、もう終わりだ、と告げて立ち去ります。
どうしていいかわからなくなった彼女は、
一緒に来ていた友人からも逃げ出し、
当てもなく彷徨します。
そしてそんな時、
以前出会っていた、トルコ系のブローカーの男と再会し、
2人の、やさぐれた道中が始まります……

ビロル・ユーネルは、
やさぐれさせたら天下一品。
対抗できるのは……
『セリ・ノワール』などのパトリック・ドヴェール、
かな?

音楽は、ガトリフ監督らしく、
イケテます。
印象的だったのは、
やさぐれ男が村のミュージシャンたちを雇い、
雪原で飲んだくれて踊るシーン。
おじさん音楽家たちは、ふいに演奏をやめて、
こういうのです。

音楽は、生きるためのものだ。
苦しむためのものじゃない。

これは、監督自身の言葉でもあるのでしょう。

「フランスのW杯優勝は「アフリカの勝利」なのか 」

ワールドカップが終わって早2週間。
この、「アフリカの勝利」だという指摘も、
一段落ついて(?)、まとめられています。

http://www.liberation.fr/debats/2018/07/28/coupe-du-monde-la-victoire-de-la-france-n-est-pas-celle-de-l-afrique_1669369

また日本でも。

https://www.buzzfeed.com/jp/yoshihirokando/france-africa?utm_term=.ww04vwWJXO#.djWZKrV1Pz

これについては、堀茂樹先生が、
ズバリと言ってくれています。

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このノア君は、国籍とエスニシティを混同し、
ナショナルアイデンティティを民族性に還元している。
差異主義の米国人は普遍主義のフランスの理念性を理解できず、
その無知ゆえにフランスの現実を曲解し、
いつもこの手の偉そうなトンチンカンを言う。

米国人ノア氏の多文化主義的言説は
レイシズム”racism”でないとしても、
"racialism"を帯びている。

オーストリア生まれの作家S・ツヴァイクはユダヤ系だったが、
ユダヤ人である事を意識せず、
完全にドイツ語圏文化に同化し、
両次大戦間には欧州を代表する程の知識人として活躍していた。
その彼に、
お前は「本当は」ユダヤ人だ、
その「本当の」アイデンティティを自覚しろと迫ったのがナチスであった。

他人が標榜するナショナル・アイデンティティを素直に認めず、
その人をエスニシティに回収して定義する「民族的ルーツ主義者」は、
レイシストを裏返しただけの偽アンチ・レイシストです。

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御意。

2018年7月26日木曜日

『サッカーことばランド』


『パリのすてきなおじさん』で大ブレークした、
金井真紀の新刊です。
今度はサッカー、ですが、
もちろん、サッカーのことに詳しくなくても、
十分楽しめます。
なにしろ、ことば、ですから。
フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、などはもちろん、
タイ語、ベトナム語、ズール―語、アラビア語……などなど、
さまざまな言語での、
サッカーオモシロ表現が詰まっています。
たとえば、
「イスラムの服を着せる」
「ちぢまったスミレ」
「ピアノを運ぶ人」
などがでてきますが、これって!?

そして金井さんとくれば、やっぱりイラスト。
彼女のイラストは、ぜんぜん匠気がないところが大きな美点で、
今回も、やさしいイラストと出会うことができます。
造本もステキ。

どうぞご覧になってみてください!

2018年7月25日水曜日

前期ゼミ終了

大学院のゼミでは、
このところドイツ映画を続けて見ていました。
昨日は、ファティ・アキンの3部作に続き、
『おじいちゃんの里帰り』を。
この映画、いくつか問題点があるように思うのですが、
それは別として、
トルコ系移民1世、2世、3世の関係が、
ややステレオタイプであることを差し引いても、
分かりやすく描かれていて、
わたしたち日本人には、
この60年ほどのパースペクティヴを感じるという意味で、
とても参考になると思います。

ドイツ語ができないので、
論文を書くことは出ませんが、
もっと見たいと思っています。

2018年7月22日日曜日

Djam

フランス人の父と、
アンダルシア系ロマ人の母を持ち、
アルジェリア生まれの監督、トニー・ガトリフ。
彼の作品は、
いつも音楽が重要な役目を果たしているんですが、
今回見た

Djam (2017)

もまた、「レベティコ」が大活躍していました。
このレベティコとは、1920~30年代に登場した、
ギリシャの大衆音楽なんですが、
当初その演じ手の中心にいたのは、
トルコから移民してきたギリシャ系の人たちだったようです。
で、映画の中でも、
「ギリシャとトルコがミックスしてできた音楽」
と説明されています。

https://www.youtube.com/watch?v=nUsguCbEAng

若きギリシャ人女性ジャムは、
叔父さん(シモン・アブカリアン)と暮らしていたレスボス島から、
イスタンブールに行くことになります。
実は、叔父さんの持っている古い船の修理のためには、
ある特殊な部品が必要なんですが、
それは、イスタンブールの知り合いの鍛冶屋に作ってもらうしかないのです。
で、ジャムが、そのお使いに行くわけです。
そしてそこで、パリ南郊、
シャントネー・マラビーのシテ出身の少女、
アヴリルと知り合い、
そこから、二人の無軌道な旅が始まります。
(いや、本当は旅なんかしていないで、
さっさとレスボスに帰らなければならないんですが。)

ジャムは、ギリシャ語とフランス語(と英語)が話せます。
かつて、パリの、義父のレストランで働いていたからです。
でこの少女が、明らかに「変わり者」なんですが、
それがまさに彼女の魅力でもあります。
彼女は踊り、歌い、
嫌いだった祖父の墓には pisser します。
アヴリルのほうは、なにやら訳ありなんですが、
印象的なのは、
ジャムと一緒にレスボスに渡った時、
アヴリルがショックを受ける光景です。
海辺には、何隻もの小型ボートが、
そしてその脇には、
数えられないほどの救命胴衣が捨てられていたのです。
それらはみな、
ヨーロッパを目指した移民たちが捨てていったものなのでしょう……

ジャムのおじさんの船は、また動き始めます。が、
彼の家は、銀行に差し押さえられてしまいます。
緊縮財政のギリシャが、
そういう形で描きこまれるわけです。

風変わりな主人公と、
やや風変わりな物語。
でも、おもしろい映画でした。

2018年7月21日土曜日

Guerrière

『クロッシング・ウォー』で、
アフガニスタンのドイツ兵の姿を見たわけですが、
そういえば、
ドイツを舞台に、
アフガン難民の少年が登場するドイツ映画があったはず、
と思って積んであるDVDを探してみると、
ありました、これです。

Guerrière (2011)

フランス語字幕で見たのでこのタイトルですが、
日本で公開されたときは、
『女闘士』だったのですね。

https://natalie.mu/eiga/news/229581

画質がイマイチですが、全編版がありました。(英語字幕)

https://www.youtube.com/watch?v=2S3ZwkaGEik

旧東ドイツ地区。
マリザは、恋人ともども、
バリバリのネオ・ナチです。
ヒットラーを崇拝し、
黒人やアジア人を見かければ、
片っ端から襲いかかる……
で、ある時マリザは、
バイクに二人乗りしていたアフガニスタンからの難民兄弟を、
クルマで引っ掛けて逃げ去ります。が、
その行為は彼女の心の中で、
罪の意識に変容してゆきます……

思い出されるのは、
もちろん、『フレンチ・ブラッド』です。
この映画のスキンヘッズたちも、
やはり激しく暴力的でしたが、
この『女闘士』との違いは、
当然ながら、
主人公が男か女か、でしょう。
『女闘士』には、
ヒロインとパラレルに描かれる15歳の少女も登場し、
彼女らの家庭も描かれます。

作品としては、
『フレンチ・ブラッド』のほうがよくできていると感じます。
それは主に、
映画が持つ「社会」への意識の差なのでしょう。
ただもしも、アフガニスタンの少年がもっと深く描かれていれば、
またちがった印象になったかもしれません。
この少年の苦しみも、喜びも、
今一つ迫ってきませんでした。
そこが、弱点なのでしょう。

『クロッシング ウォー』

昨日見た L'Étrangère がよかったので、
同じ Feo Aladag 監督の作品を(AmazonPrimeで)見てみることにしました。
(オーストリア出身の女性監督です。)
これです。

クロッシング ウォー(2014)

この映画は、アフガニスタンを舞台に、
タリバンから自らを守ろうとする村民たちと、
彼らを応援するドイツ軍の活動を描いています。

https://www.youtube.com/watch?v=7XbRcCPRpFY&t=41s

背景事情としては……

911 直後の2001年10月、
アメリカとイギリスはアフガニスタンに侵攻すると、
タリバン政権を倒し、
傀儡的なカルザイ政権を擁立。
けれどもアフガニスタンの状況は安定せず、
ついに2006年、
アメリカとイギリスはNATOに協力を要請し、
それに応えたドイツは、2500人を派兵。
これが、ドイツにとっての、悪夢の始まりでした。
というのも、このあと11年間に、
ドイツは結局 85000人を派兵し、
54人の犠牲者を出すことになるからです。

(以上は、田中宇この記事から。
https://tanakanews.com/100207afghan.php )

戦争ものですが、
ハリウッド的な戦闘シーンはありません。
それは、現地の人たちの状況を描きこんでいることと、
裏表の関係にあるでしょう。
この点は、L'Étrangère に似ているかもしれません。
どちらか一方の視点からだけ描くことはしていません。
(この映画の場合なら、
ドイツ軍兵士の視点をキープすれば、
ヨーロッパの観客は「くつろいで」見ることができるでしょうが、
アフガニスタン村民の視点が入ることで、
くつろいでばかりもいられなくなります。)

L'Étrangère ほどのデキではないように思いますが、
それでも、悪くない映画だと思いました。

2018年7月20日金曜日

L'Étrangère

『愛より強く』で、
鮮烈な女優デビューを果たしたシベル・ケキリ。
彼女が2010年に主演したドイツ映画、

L'Étrangère  (Die Fremde)

を見てみました。
とてもよかったです。
(『そして、わたしたちは愛に帰る』の第1部で、
トルコ系の娼婦を演じた Nursel Köse が、
レストランのマネージャーとして登場します。)

https://www.youtube.com/watch?v=D3NkwryRdLE

シベル演じるヒロイン、ウマイは、
トルコ系ドイツ人で、結婚して、
イスタンブールに嫁いた女性です。
(DVDのパッケージでは「ドイツ系トルコ人」、
wiki では「トルコ系ドイツ人」となっており、
見る前は「?」でしたが、
結局、どちらも間違ってはいないわけですね。)
で、そういうウマイでしたが、
夫の暴力(彼女に対して、そして最愛の息子ジェムに対して)に
耐え切れず、
意を決して、
ドイツの実家に戻ります。が、
両親は彼女が期待していた対応はしてくれません。
おまえを愛しているが、
おまえは夫に属している、
何回か殴られるくらいなんだ、
というわけです。
イスラムを核とするトルコ系コミュニティに属する両親、
およびその家族にとって、
子連れで出戻った娘など「恥」でしかありません。
家族が、ジェムを「誘拐」して、
イスタンブールに連れ帰る計画を知ったウマイは、
ある未明、息子を捨てて実家を出ようとしますが、
玄関ドアには鍵がかかっています。
ウマイは、警察に連絡し、保護を求めます……

話しは、まだこの後、
二転三転するのですが、
語られるエピソード自体は、
「初耳」のものはありませんでした。が、
それを表現するシベルが素晴らしい。
演出は、過度なのか抑制されたものなのか、
メディアでは見方が分かれていますが、
わたしは過度だとは思いませんでした。
(ただ一か所、ラスト・シークエンスのラスト・シーンだけ、
少し疑問が残ったのですが。)

図式的に言うなら、
両親と家族が属する伝統的な価値観と、
ウマイが生きようとする価値観の対立ということになりますが、
こういう場合のセオリー通り、
ウマイは、両親を愛しているのです。
そこに苦しさの根源があります。
そもそもウマイが個人主義的な道を選ぼうとしているのは、
思想的な選択ではなく、
DVな夫から逃れるためでした。
もしもやさしい夫だったら、
ウマイもまた、イスラムのコミュニティにとどまっていたでしょう。
そして彼女の父親も、
娘への愛を抑圧しているのです。

映画のラストでは、
悲惨な事件が起こります。
これを避けるためにしなければいけないこと、
それを探すことを、
この映画はうながすようです。

この映画、
実は『婚礼』という作品と大きな共通点があります。

http://tomo-524.blogspot.com/2018/01/blog-post_78.html

本人も!

話題のネイマール・チャレンジ、
本人まで参加してます!

https://twitter.com/InvictosSomos/status/1019958772641533954

しぶとい!

そしてベルギーのマルチネス監督は、
決勝でのフランスのプレーを、

une performance plutôt moche
「どっちかっていえばみっともないプレー」

https://fr.yahoo.com/sports/news/roberto-martinez-le-selectionneur-de-la-belgique-flingue-le-jeu-des-bleus-064650380.html

と批判しています。
でもまあ、結果として優勝してるので、
記事の書きぶりも、
みょうに落ち着いていますね。

2018年7月16日月曜日

撮影はポグバ




...Il y a quelques mois, il était donné pour mort au Mali,

parce qu'il se bat pour le pays,

il est au régiment médical.

On l'a sauvé.

Il a perdu une jambe, un bras, il a été abîmé de partout.

J'ai fait sa connaissance au mois de juin,

on ne voit qu'une chose,

c'est son sourire,

comme vous pouvez le voir ce soir.




...Il m'a dit:

"J'ai une faveur à vous demander.

Après-demain, quand vous verrez les joueurs,

dites-leurs qu'ils ont fait rêver un petit Français comme moi",

c'est pour ça que je voulais vous l'emmener,

parce que je voulais que vous vous rendiez compte de ce que vous faites.


ああ、ちょっと感動的ですが……

マクロンは、経済右派だけど、
文化左翼なので、
ポグバを始めとする移民系フランス人には優しいのでしょう。
でも、
この優勝の場面に、
マリからの帰還兵、
それも片腕を片足を失った兵士を連れてくるのは……
だって、マリの戦争は、
フランスのエゴですから。
それをワールドカップの文脈に乗せて正当化するのは……

多民族国家としてのフランスが、
98年の時のように、
広く評価されるようになればいいと思っています。

C’EST FAIT !

応援はしていましたが、
まさかほんとに優勝するとは!!!

おめでとうございます!!!

2018年7月15日日曜日

ラス2に

前期の授業もあと1週間ほどとなりましたが、
大学院の授業だけは月曜なので、あと2回あります。
(明日は休日ですが、授業実施日です。)
で、
最後の2回、「映画と都市」で何を見せようかと思い、
考えた挙句、
『憎しみ』と『猫が行方不明』にしました。
なぜか?
前者が1995年で、後者が1996年の制作。
しかも後者は、1995年の大統領選挙の時代が舞台なので、
まあ、ほぼまったく同じ時代を描いていると言えるでしょう。
にもかかわらず、なんて似てない!
パリ郊外の荒れたワカモノと、
バスティーユ界隈の下町の人情。
これが、同時に進行していたというのが……
ほとんど眩暈です。
(でも、落ち着いて考えれば、
そういうものなんでしょうけど。)
この落差を、最後に味わうことにします。

そしてこの場合の1つのお楽しみは、
両方の作品に出ている俳優がいること。
そう、ジネディーヌ・スアレムです。
彼は、先日見せた『戦争より愛のカンケイ』にも出てたわけなので、
院生たちは、3度、
彼と出会うことになります。
これは初めての企画ですが、
けっこういいかも!