2023年9月9日土曜日

『キングスマン』

あるエッセイを読んでいたら、
「女の子」だけではなく、
「男の子」だって「プリンセス」は好きなんだという指摘がありました。
で、
その例として上がっているのが、
まずは『ローマの休日』。
なるほどそうも言えそうです。が、
あの新聞記者は、当初、
なにか特ダネが得られそうだというのでアン王女に取り入るわけです。
もちろんその後、
二人は恋仲になるわけですが、
その際、
新聞記者がアンを好きになる要素として、
彼女が「王女」であることが含まれていたかどうか、
仮に含まれていたとしても、
その優先順位はどの程度のものなのか、
という気もしました。

また、映画

『キングスマン』(2015)

もその例に挙がっていたので、
これは見てみました。(ディズニー+)


この映画、
もともと見始めた動機を忘れてしまうくらいには、
十分おもしろかったです。
誰でも思うとことでしょうけど、
コリン・ファースが着ているイギリス風スーツがカッコイイし、
適当にブラックだし、
サミュエル・L・ジャクソンがいい意味で場違いだし、
マイケル・ケインもいつも通りだし。
これは拾いものだと思いました。
(いや、「拾いもの」なんて失礼かも。
わたしが不勉強で見てなかっただけで。)

で、
この映画の主人公は、
メインのミッションを遂行する過程で、
囚われていたスウェーデンの王女と遭遇し、
助けを求められます。
そこで、
「助けたらキスしてくれる?
王女とキスするのが夢だったんだ」
と言うようなことを言うのです。
上に挙げたエッセイでは、
この部分に、
男性のプリンセスへの憧れが見て取れる、と指摘されてます。

たしかに、それがこのセリフの表面上の意味だし、
またこのセリフには、とても違和感を感じるというわけでもないので、
その指摘自体が間違っているということはないと思います。
ただ、
実はこの後、王女は
「助けてくれたら、もっといいことしてあげる」
というフシダラな(!)セリフを吐き、
実際、それはその後現実となるのです。

この一連の場面の前提となっているのは、
スウェーデンの首相(男性)の、
「ぼくは共和主義者だから王女はどうでもいい」
という発言なのでしょう。
そして王女の現実の行為は、
いわばまさに「共和」的で、
まったく貴族的なものではありません。
つまりここでは、
君主制の否定が中心的テーマであって、
その前の主人公の「キス」云々は、
その前振り程度の意味かなとも感じるわけです。

……こう書きましたが、
そのエッセイが収められている本自体はとてもおもしろいです。
教えられることも多いし。
見てない映画は、
こうやって確認して、
見方の違いを楽しんでいます。