2024年5月20日月曜日

『勝手にしやがれ』

今日の授業で、
もう何回目なんでしょう、

『勝手にしやがれ』(1960)

を見ました。

やっぱりおもしろい!
正直言って、今一つピンと来ないゴダール作品もあるんですが、
やっぱりこれは別格というか、
音楽も速度も俳優もいい。

途中に出てきて印象に残る、

不老不死で死ぬこと
Devenir immortel, puis mourir

歳をとると、このセリフの意味がリアルになってきます。
その後、最後にかかるのはモーツァルト(クラリネット協奏曲)だし。

見ていて、あっという間の90分でした!

2024年5月14日火曜日

ベスト・ショットを探せ!

『パリ、ジュテーム』の中の、

Loin du 16e

は、映画の授業のウォーミングアップによく使います。
で、今回は、
ちょっと趣向を変えて、
一応レポートを書いてもらった後で、さらに、
ベスト・ショットをあげてもらいました。
(5分の映画です。よければ参加してみてください!)


大学院の授業なので、7人しかいませんでしたが、
そのうち2人が、わたしと同じ意見でした。
もちろん、「正解」があるわけじゃありませんが、
わたしとしては、もう、ここしかないと思うのです。
それは、2分28秒に1分10秒足したところです。
(いきなり「答え」の数字が目に入らないようにしてます!)
ここには、階級と、その底辺の、
暗く狭い空間に閉じ込められたシングル・マザー、アナが、
とても印象的に捉えられています。
しかもこれに続くのは、そのリバース・ショットで、
穴が下から階級を見上げています。

授業では、なかなかショット分析までいかないのですが、
もちろんこれもおもしろいですね。

Polina Osetinskaya

YouTubeを見ていて、
驚かされるような演奏に出会うことが時々あります。
実は数日前、
突然BWV1060をずいぶん聴いてないことに気づき、
無性に聴きたくなって、
家にあるCDを次々(と言っても4枚ですが)かけて聴きました。
ただ、それでも足りない気がして、
YouTubeで物色していたんですが、
その時たまたま、
BWV1052が目に入り、ちょっと聞いてみたところ、
なんというか、
聞いたことがないような演奏で、
最後まで聞いてしまいました。
これです;


音楽を語る語彙がないので、
うまく表現できませんが、
とにかく、聞いたことがないタイプに感じられました。
もちろん彼女の他の演奏もチェックしましたが、
やはりこういう感じの音でした。
たとえば、


この第一変奏を聴いただけでも、
何か違う気がします。

繰り返し聴いた時、
印象は変わってくるかもしれませんが、
今日の通勤の行き帰りは、
彼女の演奏を聞いていました。

『黒いスーツを着た男』

この映画については、
以前「ふらんす」に書きました。


この連載は1年間(12回)あったのですが、
中では、うまく書けた方だと自分では思いました。
で、
その後も授業で使っていて、
今日また、映画の解説をしたのですが、
上の文章を書いた時よりも、
かなり理解が深まっていると自分でも感じました。
まあ、何年も授業で扱って、
何度も何度も見て、
授業で使う解説をブラッシュアップしたきたわけですから、
当然と言えば当然ですが。

『最強のふたり』や『サンバ』も、
けっこう詳しいと想うのですが、
この『黒いスーツを着た男』も、
同じくらい詳しくなった気がしています。
でも授業以外、使いようもないんですけどね!


2024年5月9日木曜日

The Birds

大学院のゼミで、ヒッチコックの

『鳥』(1963)

を見てみました。(アマプラ無料)


この映画は、
わたしがこどものころは、
割と頻繁にテレビで放映されていて、
三回くらいはみた記憶があります。
ただもちろん、今は、違って見えます。
(当たり前!)

この映画は、
サンフランシスコ近郊のある海沿いの街で、
鳥たちが人間に襲いかかる様を描いています。
だたそこにはとてもはっきりしたきっかけがあるのですが、
それは、メラニーをいう女性の訪問でした。
彼女は若く、美しく、セクシー
(金髪で、真っ赤なマニキュアをして、比較的短いスカートを履き、
その身のこなしは、スカートから伸びた脚を強調する印象があります)で、
古い価値観など気にかけず、
どこでもタバコをふかし(1960年代です)、
気に入った男性がいれば自分から追いかけ、
単独行動を厭わない自立した人間です。
そんなメラニーが、
保守的で旧弊な街を訪れた時、
鳥たちは彼女を襲い、
さらには、彼女がいる街そのものを襲うのです。
1人の場合を除いては、
鳥たちが襲ってくる時、そこには必ずメラニーの姿があります。
(その例が的なケースは、
映画的な要請、
つまりパニック映画としての雰囲気の醸成のためたど考えられます。)
そしてクライマックスは、
メラニーの部屋のベッド(←もちろん記号でしょう)を占拠していた鳥たちが、
一斉に彼女に襲いかかるシーンです。
このシーンは、1分ほど続くでしょうか。
彼女が攻撃され、血を流して傷つく様子が、
延々と映し出されます。
明らかに彼女は「処罰」されています。

そしてラスト、
メラニーは、好きな男性の母親
(彼女は旧い価値観の擬人化です)
の肩にもたれかかります。
つまり彼女は、
旧い秩序に敗北したわけです……

この映画でのヒッチコック(←カトリックです)は、
陰惨なほど保守的です。
とてもよくできた映画ですが、
作品を貫く価値観は、そんな感じでした。

2024年5月6日月曜日

ヴァレリー・ムレジェヌ講演会

6月5日、日仏会館にて、

ヴァレリー・ムレジェヌ講演会「IJKL:今日アーティストであること」


が行われます。
参加無料です!


アーティストのサイト:https://valeriemrejen.com/

2024年5月5日日曜日

『捜索者』

1955年と言いますから、
『ゴジラ』の翌年に公開された西部劇、

『捜索者』

を見てみました。
以前見た時は、評判ほどおもしろいとは思わなかったんですが。


この映画は、
公開当時の評価は芳しくなく、
その後どんどん評価が上がっていた作品として知られています。
ジョン・フォード監督の代表作は『駅馬車』だとわたしは思いますが、
いや、『捜索者』の方が上だ、という声もあります。

舞台は南北戦争の3年後、つまり明治維新の年です。
(映画のラストは、その6年後。)
見ていて何となく思い出したのは、
この映画には、感情移入できる人物が見当たらない、ということです。
主役のジョン・ウエインはアウトサイダーなんですが、
元南軍の兵士で、矛盾した人間に見えます。
つまり、兄夫婦のいる「暖かい家庭」に帰還するくせに、
そうした生活や価値観には馴染まない態度だし、
コマンチに連れ去られた姪を救出(=家族制度を守る)しようとするものの、
そしてその過程では、
牧師兼隊長である人物(=共同体の規範を象徴)の命令に従うものの、
5年後、やっと見つけた彼女が、
コマンチの酋長の妻の1人になっていることを知ると、
彼女を殺そうとするのです。
もう白人じゃない、と彼はいうのです。
矛盾は、ふつうは魅力的なものです。
ただ彼の場合、それは魅力には感じられません。

とはいえ、すごく好意的に見れば、
彼は変化したとも言えます。
その後意見を変えた彼は、姪を連れ帰ることに賛成します。
また、コマンチの血が入っているという理由で毛嫌いしていたワカモノを、
自分の遺産の相続人に指名します。
学習はしているのです。
ただ、白人共同体 vs.「インディアン」という善悪の構図の中で、
彼の位置は中途半端です。
共同体に入らないのに、人一倍「インディアン」の殺戮に燃えているのです。

もちろん映画ですから、
風景の美しさや、
戦いの場面の迫力なども要素としてあるわけですが、
好きな映画とは言えません。
でも、教材としてなら、抜群かもしれません。

『パルプ・フィクション』

1994の映画、

『パルプ・フィクション』

久しぶりに見てみました。

この映画については、
もう多くのことが語られていて、
付け加えるような感想はないんですが、
改心するギャング、という、
いわば倫理的なテーマと、
いわゆる「不道徳」な表現との落差の大きさが、
今見ても相当なものだと感じました。
ブラクスプロイテーションの影響などが明らかで、
そちらに目が行きがちですが、
この映画の持つ倫理性を掘り下げた論文も読みたいと思いました。

2024年5月2日木曜日

2024年5月1日水曜日

『フォーリング・ダウン』

アマプラで、アメリカ映画、

『フォーリング・ダウン』(1993)

を見てみました。


妻と子供に去られ、軍関係の職も失った、
中年の白人男性ビル(マイケル・ダグラス)。
精神的に不安定な妻と2人暮らしで、
ヒスパニック系の女性部下に慕われている、
退職の日を迎えた白人男性ブレンダガス(ロバート・デュバル)。
物語は、別れた家族に会うことに取り憑かれたビルの、
さまざまな破壊的行動と、
彼を追うブレンダガス刑事の追跡劇、
ということになるのでしょう。
ただ注目点は、
ビルが襲いかかってゆく相手が、
アジア系、ヒスパニック系、
ホモフォビアのネオナチ、
不必要な道路工事を続ける工事人たち、
会員制ゴルフクラブの金満老人たち、
美容整形で財を成した成金、
であることなのでしょう。
中でも念入りに描かれるのが移民系の人たちで、
ビルが差別主義者なのは明瞭です。
特に、アジア(韓国)系のドラッグストアの店主は、
ブタの置物と一緒に映し出され、
さらに店のカーテンは黄色(←黄色人種)であり、
ビルの差別感情が濃厚に描かれます。
ビルは、自分の置かれた個人的・経済的状況を、
「構造的に理解」することができず、
目の前のもろもろを構造だと勘違いしている、という指摘もあります。
なるほどね。

日本でのキャッチコピーは、
「衝撃のパニック・アクション」
だったようですが、
全然違うような気が……

Gaza, Gaza, Sorbonne est avec toi !

フランスでも。

https://twitter.com/PalestineEmb/status/1785457545613840570

https://www.humanite.fr/societe/bande-de-gaza/blocage-de-la-sorbonne-en-soutien-a-gaza-une-intervention-de-la-police-en-cours


もちろん、Sorbonne だけではありません。

https://www.youtube.com/watch?v=qgB5pnmi-K8




反ユダヤ主義

「ほぼすべての人道組織が言っていることに同意するのは,

反ユダヤ主義ではない」