「Beur woman in the banlieue:
<Les Histoires d'amour finissent mal en général> and
というタイトルです。
論文自体は英語ですが、タイトルにはフラ語も交じっています。
要は、タイトルにもある2本の映画の比較なんですが、
どちらも見てません!
(というか、見る方法がありません。
DVD もDL もないし。)
だから迷ったんですが、
読んでみたら、見てなくても大丈夫でした。
(書き方がうまいんでしょうか?)
2作の共通点は;
・同じ語りの構造(ってつまり、主人公の1人称が語るわけです)
・主人公は、若いアラブ系の女性
・彼女は、パリの郊外に住み、両親からはウザがられていて、
低賃金労働に従事している。
・主人公には白人の恋人ができるが、うまくいかない。
Mmm、たしかに似てます。
が、
ここからTarr は、
いかに2作には違いがあるのかを説明します。
前者のヒロインは、可愛い子で、
アラブ系の彼氏がいますが、
結婚が近づくと、
義母のような「アラブの良き妻&良き母」になることがどうしてもイヤで、
白人の男の子と急接近します。
彼は、彼女の将来の夢(女優)を応援すると言ってくれますが、
結局彼は、アラブの女の子への興味本位。
最後は、彼女が気まぐれだとかなんとか言い出し、
逃げていってしまいます。
だから彼女は、家も、居場所も、お金も、愛情もなく、
抛り出され、第3の男の子と出会い、依存しようとするところで、
映画は終わる。ということのようです。
一方後者は、
基本似た構造で、
しかも男の子と別れるのも同じなのですが、
こちらのヒロインは、
もう彼と会うのはやめようと、自分で、自主的に、決めます。
物語の終わりでも、
彼女はいい仕事を得られるわけではありませんが、
さまざまな(民族を越えた)友人ができ、
そこから彼女のアイデンティティーは形成されていくかに見える、
という感じのようです。
つまり、前者は、
ヒロインがアイデンティティー問題を抱えているのを認識しながら、
その問題を、なんだか雑に放り出してしまう。
けれども後者は、
そのへんを、アラブ文化のいい点をも表現しながら、
丁寧に扱う。
ここに、決定的な違いがある、とTarr は言うのです。
なるほど。
たしかにそう、ですね。
このTarr という人の映画評、とてもおもしろいです。