2018年12月23日日曜日

なおも Gilets jaunes

もう1か月以上になりますが、
そしてやや勢いが衰えつつあるようですが、
それでもまだ、
Gilets jaunes 運動は続いています。
直近のパリでのデモについては、
「反ユダヤ的」な色彩があったと、
フィリップ首相は指摘しています。

https://www.capital.fr/economie-politique/gilets-jaunes-macron-appelle-a-lordre-philippe-denonce-des-gestes-antisemites-1321078

まあ、なにか意図があるようにも感じますが。

この運動については、
たとえば堀茂樹先生は、「階級闘争」なのだと言っています。
なるほど。
これはブレイディみかこさんに倣って言えば、
左右ではなく、上下の闘争だ、ということなのでしょう。

マクロンは、バリバリのグローバリスト。
そして資本家寄りで、企業家寄りで、投資家寄り。
つまり、peuple(ピープル)の利益からはかなり遠い政治家だと感じます。
たとえマクロンが、文化的にリベラルで、
多文化主義や共生に積極的であっても、
今はそのことは関係ない。
多文化主義に賛成の人も、そうじゃない人も、
グローバリズム的&ネオリベ的姿勢に反対ならば、
今はその一点で「反マクロン」の立場を取るわけなんでしょう。
左右はではない、というのは、
このことを指しているわけです。

翻って日本では、
こんなデモは起きません。
なぜなんでしょうか? と学生に訊かれます。
よくは分かりませんが、
ふつうに考えれば、やはり、
日本人は革命を経験していないから、というのが理由なのでしょう。
フランスで、peuple(ピープル)が、
自分は「フランス人」だと言うとき、
そこにはほぼ必ず、
フランス革命の子孫だ、という含意があるように思います。
彼らのそうしたアイデンティティーの一部は、
フランス革命における成功体験によってできているのです。
だから、
「フランス人」がデモをするのは、
いわば自己確認だとさえいえるのかもしれません。
(もちろん、フランス革命が客観的に「成功」だったかどうかは、
議論の分かれるところです。
もっとソフト・ランディングできたはずだ、
そうすれば、あんなに犠牲者は出なかったし、
王政復古もしなかった…… かもしれません。)

アメリカが銃を手放せないのは、
その建国神話の中に、「銃」が組み込まれているからだ、
という指摘があります。
「銃」をやめるなら、
あらたな建国神話が必要なんだと。

「国」を形作る幻想は、
いろんな現実を招来するのですね。